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小熊秀雄全集(おぐまひでおぜんしゅう)-16

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:05:35  点击:  切换到繁體中文


 吉原義彦 リアリスト吉原の作画態度や、今度の独立への出品画に就いては、もつと採りあげて問題にしていゝ。殊に若い画家達の間には、リアリズムに就いてかなり関心を深めてその方向に画風を進めてゐる人が少くないだけに、吉原の仕事の進め方の検討は意義がある。絵画上のリアリズム論は茲では措いて、私は『オルガに扮せる原泉子』では、まだまだ手も足もでないリアリズムを感ずる。ブルジョア的写実主義者の作画上の自由性と新しい写実主義者殊に何等か仕事の上に社会性を附与しようと企てゝゐる、画家の作画上の自由性とは、それぞれ制約するものがちがつてゐる。吉原の場合ブルジョア的な自由は欲しないだらう。だが見給へ。ブルジョア的な自由主義画家がいかに勝手にふるまつてゐるかといふことを。その意味に於いて吉原はもつと大いに勝手にふるまつて良い。吉原の絵を見ると建設的要素は多いが、破壊的要素が少ない。然もこれらの要素を吉原は絵の上では個人的立場に解決してゐる。もつとリアリズムの守り手として、旧来の絵画上の諸秩序の打ちこはし手として吉原の創造性を発揮してもらひたいし、若い後進のためにリアリズムの基本的方向を示してやるべきだ。

    第十一室

 田中佐一郎 この人は気迫の弱さにありながら、殊更に強い絵を描かうと努力してゐるといふ感がある。だから自然な素直なあまり無理をしない態度のものとかへつて人柄がでゝ美しいものがある。『牛』などその意味からも好感をもつことができる。
 中村節也 カラーリストらしくふるまつてゐるが事実はカラーリストとしては認め難い。仕事は出鱈目なところが多いが、絵のまとめ上げの点や効果を心得てゐる点では隅に置けない『池鯉』など殊にさうである。

    第十二室

 多賀延夫 『石など』 この絵のやうな画風をどんどんと追求して行つたら独自的な世界へゆくと思ふ。態度も素朴であるし、対象の理解も複雑である。石と鉄片の構成は面白いし、殊に石とか鉄片とかいふ物質に関心をもち、これらの粗雑な物質の表面の凸起面の描写に苦心してゐることは判る。題材は良し、残るところは描き方だけである。
 三岸好太郎 この室には三岸の遺作が列んでゐる。『貝がら』とか『海と射光』とか『海洋を渡る蝶』といつたシュールリアリズムとしての彼の題材のものに矢張り好感がもてる『立てる道化』といつたクラシック張りは三岸でなくても誰でもやれる仕事である。
 クラシックとモダニズムとの矛盾の児と彼を呼ぶことに異議があるまい。もう少し彼を永生きさせてをいたら相当面白い仕事をしてくれたと思ふが、中途半端な仕事で夭折したことは惜しい。彼は好んで蝶を海の上に飛ばせる。それは彼の近代人としての不安感の表現である。
 ダリの頭にヱルンストの尻尾をくつつけて自己の物と主張してゐる風な画家が少くない折柄、三岸のものは人柄がでゝ気が置けなく見れて良い、やうやく少しばかり彼の独創性が加はりかけてきたのに惜しいことをした。私は彼の絵は好きでない。才能が好きである。

    第十三室

 大野五郎 『女と』と『朝』では前者の大野らしい詩のある絵の方を好む。スポーツマン[#「スポーツマン」は底本では「スホースマン」]の朝の充実した感情を描いた『朝』では手堅い仕事ではあるが試みの域を出てゐない。『女と』では構図の上にも、色感でも、どこか伸々とした大野らしいところがあるし、一種の親しみぶかいユーモラスを感じさせる。どんどんと気儘な絵を書いてもらひたい。彼の構へ方は良い。
 浦久保義信 『花と駄馬』では坂路を鉄片や針金らしいものを積んだ馬が喘ぎながら登つてくる。野では花を踏みにじつてゐるといふ絵である。テーマは古い、然し描写の近代性の点では浦久保の仕事は独自的な新しさがある。馬の脚元に花を散らしたものは観る者の感傷性を唆るだけで、テーマの上では甘い。だが前にも述べたやうに、浦久保義信には特殊な色彩への感能があり、線の奔放性と、色彩の激情性を特に私はかひたい。『夜店』が彼の本質的なものだ。『花と駄馬』それに次ぐ、他は動揺の作だ、浦久保の絵あたりを見て始めて新しい『独立展』を見たやうな気がする。福沢一郎にせよ、浦久保義信にせよ、中間冊夫にせよ、また須田国太郎にせよ、絵の上にある共通した突きつめたものがある。それが一つの凄愴感となつて何れも訴へてくる。これらの自己に甘えてゐない作家たちの絵は何時の場合にも周囲を圧倒するものがある。

    附言

 最も新しい方向を辿る洋画グループとしての独立展のその進歩性に就いて現在のやり方は相当問題がある。一応審査員があつて、作品を採り、また沢山の作品を落してゐる以上、会そのものの責任の限界を何時の場合でもはつきりしてをく必要がある。賞の出し方の無方針極まるやり方や、毎回厳選主張を標示しながら、厳選、厳選をいつも会全体でなく、個人にもつてゆくやり方は会を全体的に進歩せしめることが出来ないだらう。出品者達は血の出るやうなせり合ひをたがひにやつてゐるに反して、会員諸君が案外心境的に馴れ合つてゐるのではないだらうか。会員同志でも、もつとせり合ふやうでなくては、活気ある独立展を見ることはできまいし、第一現状の儘では後進が可哀さうだ。
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商業資本と日本画家の良心
   三越日本画展を観て


 日本画と洋画との社会的地位の相違、かなりデリケートな立場にある。しかし洋画の畠は残念ながら商品化の世界に登場するほど未だ大人になつてゐない。洋画が商品化されてゐないといふ理由は、商品的な値打がないといふ問題とまた別個に、日本の長い伝統の中に一般民衆の美術に関する認識へ添はないといふ大きな問題を含んでゐる。だがこゝでは洋画に就いての問題はさし置いて、日本画に就いて述べてみたい。
 殊に旧臘一日から八日まで三越四階西館で催された『三越日本画大展覧会』をみて、その主催が純然たる商業資本の下に行はれ、総ての規模、計画が商業資本に依存されてゐるのをみて一そう此の問題を取り上げる理由もはつきりして来る。
 日本画が芸術的な価値を主張しながら如何なる姿で商業資本と握手する事が今後可能であるかといふことは興味ある問題である。殊に之等のデパートと別個に一応純芸術の発表機関が他に存在してゐる今日、当然二つの間に開きが今後現はれるか、それとも顧客本位のいはゆる売絵の芸術性と無選択に一緒になるかどうかといふ今後現はれる所の現象等は一応検討の必要があるだらう。
 僕の考へる所に依れば商人と職人との関係がどうも起きさうに思へてならない。こゝでは価格の高い、安いは何ら理由にならなくて、下駄職人が新品をデパートに持ちこみそれが委托の形式でウィンドに並び一定の時期が来て売れないものは返品するといふデパートの資本要らずの返品主義とどの様な違ひがあるだらう。今度の展覧会をみたが、堂々たるもので、龍子、関雪、翠雲、大観の錚々たるところを筆頭に大体に於て画壇で社会的地位を代表した画家を並べ、またどういふ縁故関係かおそろしく無名な画家も四、五を添へ先づ見た眼は相当な粒揃ひであつた。作品の出来も僕は小品揃ひではあるが大体に良心的なものが多かつたやうに思ふ。
 商人といふものは専門家でないやうでゐて、それが専門絵画に関する専門的な見方、どれが良いとか、どの画家を選ぶべきかといふ事は他が考へるやうに無鑑識なものではない。それは商人の特質ともいふべきものであつて、より多く儲かる商品をより高く売り得る商品を発見するといふ才能は芸術専門を以て自任してゐる専門家よりもその職業が一そう敏感な働きをもつものである。だから商人の商品価値の眼識をもつて芸術家の芸術価値へ眼鏡を与へる場合、相当な眼識をもつて芸術家の芸術性の殆んどのパーセンテージを知る事が出来るのである。試みに一人の専門に洋傘を製造してゐる職人、或は皮革製品の専門職人と、デパートのその売場専門の係員へと専門商品に就いて討論さしてみたまへ。おそらく専門職人が知らない種々な知識をもつてゐるといふ事を知るだらう。それと同様にこの種の三越日本画展は早晩専門職人以上の美術鑑賞をデパートに与へるやうになる事はハッキリしてゐる。結局画家諸君が自分の作品を持ち込み、展覧会をひらきそれを繰り返す過程にすつかり商人教育が成り立つであらうといふ事は明らかである。
 そこで何故僕は専門画家以上に日本画についての一般眼識が商業資本家に握られるかといふ事を考へてみよう。
 それは解り易く言へば美術品が商品化の世界へ手渡された瞬間に、美術家は下駄製造職人と何ら変らないところの職人性へ立場を置かざるを得なくなるからである。悲しいかな美術家の特殊性といふものはその作り上げるものゝ特殊性である。そして自分の労働の生産品をよくしよう、発展させようとすればする程、その方法として専門化してゆかなければならない。それが勢ひ特殊な労働といふものは特別な画家といふ他と違つた専門的な立場へ自分を置くようになる。
 その労働の専門化、限定性といふものがとりも直さず職人性と呼んでよいものである。たゞ下駄職人と美術家と違ふ点は下駄職人は自分の拵らへるものに一つの美を発見するといふことはあるだらう。だが正義観、道徳観で下駄を作つてゐるやうな馬鹿者はゐないだらう。それは商品の為の商品でありいはゆる職人である。だが画家の場合は、下駄職人と違ふ点は、善と正義観といふ道徳的な意識が余計に加へられてゐるといふ意味に於て下駄職人と一緒に出来ない。
 だがもし下駄同様作品の美のみ追求して正義観や善を作品の世界へ主張する事が出来なくなつた場合は、デパートの一般商品と同じ立場になる。おそろしいのは商品性である。
 デパート展の方針は明らかに善や芸術家の正義感を売る事を考慮に入れてゐない。そこでは良心的な美術鑑賞家を目標にするのではなくて他の商品の顧客者をその儘美術品へ移してゆけば、デパートの目的はそれで充分なのである。そして漸次的に自分の作品が売れて欲しいといふやうな追従心がます/\画家の作品へ濃く現はれざるを得ないではないか。しかもこの商品としての美術品は画商の世界に於てもすでに芸術品を商品的な侮辱の下に扱はれてゐるといふ事はハッキリしてゐるので、いかに手間をかけたかといふ事つまり労働力をだすその時間的な長さも既に商品的な価値の部分へ繰り込まれてゐる。その証拠には某大画伯の水墨の竹、それは非常にあつさり画かれたものではあるが、もう葉が一枚画面の空間に描かれてあればこの絵は百円違つたのだがと画商をして平然と言はしめてゐる。つまり労働の量、葉を一枚多く画いたか否かといふ事が商品的価値の上に大きな作用を生じさせてゐる。そこで心得た画家は弐百円の竹、五百円の竹、千円の竹といふ事の価格的な価値を手間賃に換算して或る時は筆を入れ、或る時は筆をぬき、時にはおそろしく密画を画くことも心得てゐる。これなどは明らかにハッキリとした芸術品の手間賃だと言へるだらう。その場合その絵画の価値といふものは金銭といふ形式などに於て定められてくる。しかも芸術家の人知れない苦心などゝいふものは商人にとつては関心事ではない。特殊な技術性も認められずたゞ商人の頭の考への中には金銭的、数字的思索を発達させるだけである。芸術家の唯一の誇ともいふべき所の絵画への真、善、美なるものは全くその基準を失つてゐる状態である。今回の三越日本画大展覧会の中の絵を例としてみてもハッキリしてゐる。例へば横山大観先生、二尺五寸幅横物『月明』と題するものをみても明瞭である。横山大観が何故いはゆる大観王国を形成するほど勢力があるか。彼の画壇的政治工策の事はおいて、さてあの無数の展覧会の出品の中に人間を離れた一個の芸術品として、総ての他の画家の作品と肩を並べて位置し観賞してみるがよい。大観といふハンディキャップなしに周囲のものと較べてみたらよい。残念ながら『光つてゐる』だがその光り方が一つの問題である。画壇人の中でも大観の作品に何らかの威圧を感じてゐる人もあるだらう。或ひは一顧の価値をも認めないと広言し得る者もあるだらう。さてしからば具体的にその理由を語つてみよと言つた時にはおそらく説明ができないだらう。以上は同業画壇人への言葉である。
 次にかゝる絵の専門家ではなくいはゆる絵の筆法や色彩に良心的な観察などを働かす余地のない、いはゆる単純にみて感動し、単純に誹謗する一般の人々はどうか。こゝで僕はすべての一般人が大観の絵に非常に感動させられてゐるとはつきり言ふ事が出来る。そして何故一般人に大観の絵が何故よいかといふ質問を発した場合に絵かきに問ひを発した場合よりハッキリと『解らない、たゞ何となくよい』と答へるだらう。そこに大衆に支持される理由があり、ここに商品的価値を高めさしてゐる原因もある。大観の『月明』は松の描写が稚拙といふよりも粗雑に類する描き方であつた。それは先を切つたちび筆で描いたやうなボキ/\した枝や葉の描写で何ら松の木のリアリティを捉へたものではない。そしてたゞ影絵のやうな黒い松林の地に月の反射を受けた軟い白い波がひた/\と打ち寄せてゐる。空には白い月が大観一流の暈しで円くかゝつてゐる。松の描写は粗雑である。だが光に対する感度の高さは僅かなスペースに非常な感動をそゝるやうな仕組に描かれてゐる。その描き方のコツの良さは第一に一般人の程度の低い感傷さを生理的に捉へてしまふ。言葉をかへれば大観の普遍性を捉へる歳の劫を経た力量が隠されてゐるのだ。それは長い年月迷ひぬき、苦みぬいた揚句の通俗性への勝利である。そしてこの種の解り易く、野心の内面的であつて表面的でない絵はよく売れるのである。それに較べて例へば小松均先生の『氷見鰤』は二尺五寸横物に殆んど画面一ぱいに逞ましい胴太の鰤を無雑作に転がして描いた絵これなどは画面の位置を考慮するでもなし大衆の感傷性を上手に捉へる色彩を選ぶでもなし、全く非妥協的な描き方のものである。鬼才小松均先生の芸術的な良心はこゝでは商品化の資格を失つてゐるのだ。
 之程にも一つは売れる要素を具へ、一つは売れない要素と芸術とが共同的な仕事をしてゐる事はあまりと言へば皮肉な現象である。制作展で絵が売れないといふ事は恥辱にはならない。だが商業資本家展で絵が売れないといふ事はこの世界でのみの恥辱である。しかもこの二つの矛盾をもつものは同一の作者であり、同一の絵である。商業資本家展の出品に対する考へ方に案外ルーズな見方をしてゐるといふ事は芳しくない。こゝで僕の提案したい事は制作展と商業展との劃然たる分離を心理的にもつて頂きたいといふ事だ。どつちが好い加減であつても必ずその画家は損するであらう。制作展で評判のものを商業展に列べた場合には完全に売れない。その反対に商業展でおそろしく人気のよい作品は制作展では落されてしまふといふやり方を徹底さした方がよい。両者の混同は決してよくない。商業展にはあくまで売れる絵を描くといふ事を徹底させたらよい。その絵には決して芸術的な批評を加へないといふところまで出品者は徹底した方がよい。一方制作展に商業展の販売意識を少しでも持ち込むものがあつたならば片つ端から落したらよい。しかもデパート展などは画稿料を払つたとしてもそれは一部の画家に過ぎないだらうし、多くは委托販売の形式になるのだからあくまでせいぜい売れる絵の出品を企て売つた方がよい。デパート展には制作良心なしといふ所まで徹底し生じつかな芸術良心を働かして無意識の間にこのデパート展の販売政策に絵の本質を売り渡す事がないやうに『デパート展の絵』の劃然たるものを一般出品画家が心構へして過つもデパート展の場内芸術意識のせり合ひなどをやらない様にした方がよい。何故といつてそれは無益であり、お互に不幸であるから。
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小熊秀雄個展


「画観」の高木さんが、私が池袋「コティ」で突然小品個展を開いたので、何か感想を書くようにといふことである、あの個展は、言はゞ「非公開の公開展」ともいふべき性質のもので案内状も出さずほんの知人への公開といふ意味の催しであつた、私は画家でないので詩人としての絵であるがさりとて、会期中あるママ家がつくづく私の絵をみて『貴方は絵画上の造形性といふものをどう考へますか』と質問されたのにはダアとなつた。
 この質問者の眼からみると、私の絵には何か画家がよくいふ『造形的なもの』が欠けてゐたのだらう、そこでさうした質問がでたわけだらう、その造形的なものの臭味をこそ脱けたいばつかりに僕はこれまで絵の上では苦心してきたのである。
 そして私はこの質問者にぶつきら棒に答へた『もし造形性を無視して、僕のやうな絵が描けたらお目にかゝりたいですよ――』と実際に私は本職の洋画家の人よりも、最近では沢山画を書いてゐるのだし、素描もかなりたまつた。いつぺん吐き出してしまひたい心で個展をやつただけであつた。洋画家諸君にとつては私の絵は問題の提出的になつたやうだし、忠実に観てくれた。そして謙遜な画家は素直に、この絵の実感はどうして出したのかと質問してくれたので、私は出来るだけ判り易い言葉で、その実感の出し方についての過程を説明したりした、絵の上では私は、素人も玄人もないと考へる、日本の洋画の発展が遅々としてゐるのは、現在の社会的環境に依ること勿論だが、それよりも各個の画家が同一の作画上の問題を、同一に協力的に解決しようとしないところに、発展が遅れる理由があると思ふ、おたがひに話し合つて技術上の交換などをやつたらいゝのだが、その自由主義がない、ヱゴイズムが何か個性的な画風を確立するかのやうに思ひちがひをして排他的である、それではいけない、僕のやつた画家ではない画家(私は私自身を参考画家と呼んでゐる)何か私の描き方に画家諸君にとつて参考になるやうなところがあつたら自分の喜びだ、油絵は今年になつてから始めたといつていゝ、線の発展だけで狂ひ廻つてゐる洋画家達の群の中で、私は地味ではあるが『質感』の研究をやつてゐる形態上の変化などは今の処面白いことに考へたい、質感が充実した面を描けもしないで、線だけ踊らしても始まらないと思ふからである、デッサンは三百枚程この一年間に描いた、ペン画で小市民の生活をテーマにしたものである、機会をみてこの素描展をやりたいと思つてゐる、それからこゝで画観の谷氏へ注文があるのでそれは日本画家の素描は僕が好きなので、日本画家のデッサンも画観に折々載せて欲しいと思ひます。
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超現実派洋画に就て
   ヱコルド東京絵画展の感想


 東京府美術館で催された独立美術系の若い洋画家たちの、集団『ヱコルド東京展』をみて、私は兼ねてから抱いてゐた超現実派の洋画に関する私の考へ方を一層確信的なものにした、どういふ形で確信的なものにしたかといふと、我国の洋画界には、まだまだシュルレアリズムの正統的な画家はゐないといふ結論であつた。ヱコルド東京といふ団体に果して幾人の超現実派作家がゐるかといふことが問題であつて、殆んど私の眼には写らないのである。
 この団体の人々は、或は自分達はシュルレアリズムの団体ではないと言ふかも知れない、さういふ自覚があつたら幸ひである。
 不幸なことには我国には、あまりに超現実派の立派な絵画が多すぎる、日本画の伝統は将にそれであつて、日本画の中には、実にすぐれたシュルレアリズムの絵画が多い、現在の若い洋画家は、日本画の超現実性は勿論否定もするだらう。そして自分達の求めてゐるシュルは東洋的なものではなくて、ヨーロッパ的なそれだといふだらう。
 私は超現実性なるものの理解が、東洋的なものでなくて、西洋的なものであるといふ画家があつたら、それでは『君の仕事を全く唯物的基礎から出発し直し給へ!』と言ふだらう。唯物的であることが、超現実派の作品を描かせなかつたとしたら、それは真個ほんとうの意味のシュルレアリストではないのである。そして日本の画家にせよ、詩人にせよ、この派の人には残念ながら、東洋的理解にも、西洋的理解にも立つことのできない、宙ぶらりんの、中途半端な存在であるといふことができるだらう。
 日本画の雪舟の水墨のもつリアリテはセザンヌのもつリアリテと比べて何の遜色がないといへる許りか、優つてゐても劣つてはゐないのであるし、現実主義者としての写楽の高さは、単なる観念的な現実主義者ではなく、芸術に於いて言はれてゐるところの『表現力』を併つたところの写実性であるところに写楽の偉さがあるだらう。
 新しい洋画家たちは、北斎や、雪舟や、写楽などをどういふ風に観てゐるだらうか、私の知つてゐる限りの画家では、さう深い理解の上でこれらの日本の過去の作家をみてゐないやうである。日本の伝統的な良さを洋画に新しくとりいれるといへば、富士を描き、鶴や、鯉のぼりを描く努力を払う、それも悪くはないが、富士を描くことが伝統の継承でもない新しい努力でもない、同時にこれを洋画のテーマからとりのぞくことまた一層消極的である。富士とか、鶴とかいふものが日本的、東洋的であることは勿論だが、これらのものが日本的、東洋的だと言はれるやうになるまでの、歴史的な現実を考へてみたらいゝ、富士が日本的なものと言はれるやうになるまでには、相当の理由があるわけだ。それは富士が日本ではなくて、日本的現実の単なる抽象であることに気をつけたらいゝ、従つて富士を描くことを怖れる心理と、描くことの愚かしさと二つあるのであつて、それらは画家の怖れであり、愚かしさであるだけであつて、富士そのものにとつては少しも責任がないのである。たまたま独逸からアーノルド・ファンク博士といふ映画監督がきて、映画『新しき土』の中で富士をファンク博士が、富士を細長くとつたり、真丸く撮つたりしたといつて、或る日本主義者がそんな格好の富士は日本の富士ではない、ファンク博士の歪曲だといつて憤慨したさうであるが、ファンク博士許りではない、これまでにもたとへば地質学者などはとつくに『富士は三角』といふ概念をうちこはした富士の見とり図を描いてゐる筈である。
 ただ画家だけが概念を変革する力をもつてゐずに、それを描くことを避け、無神経に描いてゐるだけである。そして現在に到つただけである、画家がまごまごしてゐる間に、画家以外の科学的な態度で仕事をしてゐる人々がどんどんと抽象的な日本、概念的な日本を覆して真実な日本を表現してゐるわけだ、立派に現実的基礎から出発して、超現実とも呼ばれるものが生れてゐるのを見のがして、『超現実』といふ言葉や他人の主張の尖端にとびついてゐては、ほんとうの意味の超現実の絵画などは書けることがないだらう。
 仏蘭西の新進超現実派の作家サルウァドル・ダリの評論をみても、決して日本のシュルの作家のやうな甘い考へをそこでは述べてはゐない、ダリはセザンヌを観念的唯物主義者とみてゐるといふことは、私も正しいと思ふ、然しながらダリのセザンヌへの反撥のことごとくがダリとあのやうに新しい絵を描かせてゐるのであるし、同時にその反撥が彼の絵の弱点を生んでゐるのである。
 観念的唯物論者としてのセザンヌが果した役割を理解しなくては、決してセザンヌを一歩も越えることができない。より強く否定したかつたなら、より強く肯定してからでなければならない、日本画の伝統を否定したかつたなら、それをよく理解し肯定するといふ仕事が残つてゐる、芸術とは現実への反撥だけで成り立つといふ態度は決してその作家を大きく肥しはしないのである、ダリは幾分さうした反撥の作家でありもしダリが現在のやうな態度をつづけて行くとしたら、ダリの行き詰りは明らかなものであり、ダリ的傾向を追ひ廻してゐる多くの日本の超現実派の作家は、当然ダリと共に没落するだらう。然も作品的にはダリの足元へも寄りつけない拙作を抱へたまゝで没落するだらう。ダリは新しい衣を着た古典主義者にすぎない。ダリの理論的根拠は一応科学的ではあるが、新しい絵だと他人に見せかけることが出来る程度の科学性よりもち合してゐない、いまどきフロイド主義的理解に立つてゐるダリを私はどうしても新しい作家だなどとは思へないのである。
 ダリ自身かういつてゐる『サルウァドル・ダリが、英国のラファヱル前派の明白なシュルレアリズムに眩惑されずにゐるだらうか?』といふ言葉の中には、ラファヱル前派に対する所謂ダリ的主観と合理化があり、こゝでは完全に復古主義者としてのダリを証明してゐるだけである。ダリがラファヱル前派に眩惑することは勝手であるが、セザンヌまたラファヱル前派を忠実に観察してゐなかつたとはどうしていふことができるだらう。ダリはセザンヌを『プラトニックな石工にすぎない』とみてゐるとか、私はダリをまた『プラトニックなシンコ細工屋』と評することができる、形態の変化は芸術家の自由ではあるが、その変化が絶対的観念に於て求められるといふことなどはない、現実の変形の可変性といふことを考へることが、芸術家の良心的態度の一種である。画家がどのやうに林檎の形態を、ひんまげる自由をもつて描かうと、林檎からは苦情は来ないのであるそのことを良いことにして林檎の真実を離れて形態だけを変へるといふ態度は、少くとも自然物に対する芸術家の愛の態度ではない。もし私が林檎と同じ立場にあつて、画家が私を不自然に描いたとしたら私は『私の気持をまるきり描いてくれない不満である!』といつて苦情をいふだけである。
 日本の所謂新しい傾向を追跡してゐる画家が、判らないのは理解がないのだといつて、自分の芸術の主観性をどこまでも押し通すことは勝手である、人間の寿命などといふものは、たかだか五十年か六十年である。毎年、毎年、お祭騒ぎの判らない絵を描いて、その年々だけ、良いとか悪いとか言はれてゐる間にすぐ五十年や六十年は経つてしまふだらう。つまりどんなに大衆と離れて判らない絵を描いてゐても誰もなんとも言ひはしないのである。たゞこの人々の描いた絵が所謂芸術の永遠性をもつことができない。生きてゐる間だけ灯してゐる提灯のやうに、本人が倒れると火も消えてしまふやうな無駄な仕事をつづけることが意味がないといふことを私が忠告してゐるだけである。
『ヱコルド東京』の若いグループの中では、麻生君や、安孫子君は私の好きな画家であり、作品も個性的であるといふ意味で支持したいが、正直なところこの二人の画家にも来年の仕事は保証が出来ないのである。若い年代に良い絵を描くことは、生理的にも当然なことで、三十を過ぎて行き詰つてゐる画家を訪ねて二十代の絵を見せて貰つてみたまへ、かならず二十代にはいゝ絵を描いてゐるにきまつてゐる、それが奇妙に三十をすぎると言ひ合したやうに洋画でも、日本画でも行き詰る人が多い、人間の生活に時間が加はるとその人間の価値がだんだん下落してゆくといふことは、世間一般の生活人には案外に少ない位で、却つて芸術家の場合が多いのだ、年輩になると人間が出来てくるといふことは、世間一般に言はれてゐることで、感情的な仕事に携つてゐない通俗社会人でも、そのことがある。何かしら人柄の穏やかな、好ましい庶民的タイプといふものが、画家ではアンリー・ルッソーの描く人物のやうな人物がある、別に芸術をやるわけではないが人間そのものが芸術品のやうな人物がゐる、ところが年をとるとともにその作品に通俗性が加はつてくるといふことが芸術品に却つて多い、私はそのことが堪へられないことだと考へる。若い年代には何かしら新しさを求めるといふ欲望が動くそのことは賛成だが、描かれたものの真実性は即ち(新しさ)でそれ以外ではない。『真実を描く』といふ一本槍は何々主義などといふ絵画の主張を超えて、独自な新しさを表現することにならう。ヨーロッパ的なものに飛つくこともよいがその前に東洋的なものの過去の遺産の摂取に若い画家こそ大いに勉強していゝのではないかと思ふ。
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