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白蟻(しろあり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 7:24:07  点击:  切换到繁體中文



 一、二つの変貌と人瘤

 八月十六日――その日は、早朝からこの地峡の上層を、真白な薄雲が一面に覆うているので、空気は少しも微(ゆる)がう[#底本のまま]とはせず、それは肢体に浸み渡らんばかりの蒸し暑さだった。それでも正午頃になると、八ヶ岳の裾の方から雲が割れてきて、弾左谿(だんざだに)の上空にはところどころ碧(あお)空が覗かれたが、まもなく、さうして[#底本のまま]片方に寄り重なった雲には、しだいに薄気味悪い墨色が加わってきた。そして、その一団の密雲は、ちょうど渓谷の対岸辺りを縁にして、除々と西北の方角に動きはじめたのであったが、そのうち、いやにぬくもりを含んだ風が、峰から吹き下りて来たかと思うと、やがて轟々(ごうごう)たる反響が、広い地峡の中を揺ぶりはじめた。しかしその雲も、小法師岳寄りの側になると、よほど薄らいでいて、時折太い雨脚が一つ二つ見えるという程度だったけれども、葉末の中ははや黄昏(たそがれ)ていて、その暗がりのなかで絶えず黄ばんだ光りが瞬(またた)いていた。その頃、騎西家の頭上にある沼の畔で、不安げに、雲の行脚を眺めている一人の女があった。それは、見ようによっては三十近くにも見えるだろうが、だいたいに塊量といった感じがなく、どこからどこまで妙にギスギス棘立っていて、そのくせなんとなく、熱情的な感じがする女だった。そして、薄汚ない篠輪絣(ささのわがすり)の単衣(ひとえ)に、縞目も見えなくなった軽山袴(かるさんばかま)をはいていて、服装だけは、いかにも地臭(エルトゲルフ)そのものであろうが、それに引きかえ顔立ちには、全然それとはそぐわない、透き徹った理智的な、むしろ冷酷ではないかと思われるような峻烈なものがあって、その二つが異様な対照をなしていた。十四郎の妻の滝人(たきと)は、こうして一時間もまえから、沼の水際(みぎわ)を放れなかったのである。
 けれども、その顔が漠然とした、仮面のように見えるのは、なぜであろうか。もちろんそれには、あの耐えられない憂鬱や、多産のせいもあるとは云え、たかが三十を二つ越えたばかりの肉体が、なぜにそう見る影もなく害(そこな)われているのであろうか。顔からも四肢の艶(つや)からも、張りや脂肪の層がすでに薄らぎ消えていて、はや果敢(はか)ない、朽ち葉のような匂いが立ちのぼっているのだった。しかし、眼には眦(まなじり)が鋭く切れて、それには絶えず、同じことのみ眺め考えているからであろうか、瞳のなかが泉のように澄み切っていた。事実、彼女の心のなかには、あのふしだらな単調な生活にも破壊されず、けっして倦(う)むこともなく、絶えず一つの思念を、凝視してゆく活力があった。それが、滝人の蒼ざめた顔のなかで、不断の欲望を燃えさからせ、絶えず閃(ひらめ)いては、あの不思議な神経を動かしていった。そのためかしら、滝人の顔には、しだいと図抜けて、眼だけが大きくなっていった。そして肉体の衰えにつれて、鼻端がいよいよ尖り出し唇が薄らいでくると、その毛虫のような逞(たくま)しい眉と俟(ま)って、たださえ険相な顔が、よりいっそう物凄く見えるのだった。そのように、滝人には一つの狂的な憑着(ひょうちゃく)があって、その一事は、すでに五年越しの疑惑になっていた。けれども、そのために、時折危険な感動を覚えるということが、かえって今となっては、滝人の生を肯定している唯一のものになってしまった。事実、彼女はそれによって、ただ一人かけ離れた不思議な生き方をしているのだった。そして、疑惑のどこかに、わずかな陰影でもあれば、絶えずそれを捉えようとあがいていたのであるが、そのうちいつとなく、気持の上に均衡が失われてきて、今では、もう動かしがたい、心理的な病的な性質が具わってしまった。さて、滝人の心中に渦巻き狂っているというその疑惑は、そもそも何事であろうか――それを述べるに先立って、一言、彼女と夫十四郎との関係を記しておきたいと思う。
 その二人は、同じながら晩婚であって、滝人は二十六まで処女で過し、また十四郎は、土木工学の秀才として三十を五つも過ぎるまで洗馬隧道(せんばとんねる)の掘鑿(くっさく)に追われていた。そして、滝人の実家が馬霊教の信者であることが、そもそもの最初だった。それから、繁(はげし)い往来(ゆきき)が始まって、そうしているうちにいつしか二人は、互いに相手の理智と聰明さに惹(ひ)かれてしまったのである。しかし、初めのうちは隧道ぎわの官舎に住み、そのうちこそ、二人だけの世界を持っていたのだったが、ちょうど結婚後一年ばかり過ぎた頃に、思いがけない落盤の惨事が、二人を深淵に突き落してしまった。ところが十四郎は、運よく救い出された三人のうちの一人だったけれども、それを転機にして、運命の神は死にまさる苦悩で、彼女を弄(もてあそ)びはじめた。と云うのは、落盤に鎖された真暗な隧道の中で、十四郎は恐怖のために変貌を来たしてしまい、あまつさえ、その六日にわたる暗黒生活によって、その後の彼には、性格の上にも不思議な転換が現われてきた。そうして滝人は、これが十四郎であると差し示されたにもかかわらず、どうして顔も性格も、以前とは似てもつかぬ、醜い男を夫と信じられたであろうか。
 なるほど、持ち物はまさしくそうだし、かつまた身長から骨格までほとんど等しいのであったが、十四郎はまったく過去の記憶を喪(うしな)っていて、あの明敏な青年技師は、一介の農夫にも劣る愚昧(ぐまい)な存在になってしまった。その上、それまでは邪教と罵(ののし)っていた、母の馬霊教に専心するようになったのだが、彼の変換した人格は、おもにその影響を滝人のほうにもたらせていた。と云うのは、だいいち十四郎の気性が、粗暴になってきて、血腥(ちなまぐさ)い狩猟などに耽(ふけ)り、燔祭(はんさい)の生き餌までも、手ずから屠(ほふ)ると云ったように、いちじるしい嗜血(しけつ)癖が現われてきた事だった。またもう一つは、ひどく淫事を嗜(たしな)むようになったという事で、彼女は夜を重ねるごとに、自分の矜恃(ほこり)が凋(しぼ)んでゆくのを、眺めるよりほかになかった。あの動物的な、掠奪(ひった)くるような要求には――それに慣れるまで、彼女は幾度か死を決したことだったろう。そして、その翌年、惨事常事妊(みご)もっていた稚市(ちごいち)を生み落した以後は、毎年ごとに流産や死産が続いていて、彼女の肉体はやがて衰えの果てを知ることができないようになってしまった。しかし、滝人にとると、そうして魔法のような風に乗り、訪れてきた男が、第一自分の夫であるかどうかというよりも、まずそれを決める、尺準がないのに困惑してしまった。
 変貌、人格の変換――そうした事は、仮説上まさしくあり得るだろうが、一方には、それをまた根底から否定してしまうような事実を、直後に知ってしまったのだった。そうして疑惑と苦悩の渦は、いぜん五年後の今日になっても、波紋を変えなかった。滝人もまた、それに狂的な偏執を持つようになって、おそらくこれが、永遠に解けぬ謎であろうとも、どうして脳裡から、離れ去る機(おり)があろうとは思われなかった。それから滝人の生活は、夢うつつなどというよりも、おそらく悪夢という地獄味の中で――ことに味の最も熾烈(しれつ)なものだったに相違ない。たぶん彼女には、現実も幻も、その差別がつかなかったであろう。そして五年にもわたって、夫とも他人ともつかぬ、異様な男と同棲を続けてきたことは、事実苦悩とも何ともつかない――それ世上、人間の世界には限度があるまいと思われるほど、痛ましい経験だったことであろう。しかし、より以上怖ろしさを覚えるのは、滝人のあくことのない執着だった。それが一方において、強烈な精神力を築き上げてしまい、彼女には自分の外界がどう変ってゆこうが、そんな事にはてんで頓着がなく、ひたすらその、執念一途にのみ生き続けていたのである。それゆえ、五年前の救護所における彼女と、今しも沼の面を、無心に眺めつづけている滝人との差を求めたとすれば、わずかに肉体の衰えをそうと云えるのみであろう。その間は、日ごと同じような循環論が繰り返されていって、あの痛々しげな喘(あえ)ぎが、いかにかすれゆくとも、彼女の生が終るまでは、どうして断たれることがあろうと思われた。その時、雷の嫌いな滝人は、しばらく顔を上げて空を眺めていたが、ようやく雲の行脚に安堵(あんど)したものか、やおら立ち上がって、畔近い槲の木立ちの中に入って行った。そこには、樹疫のためか、皮が剥がれて、瘤々した赤い肌が露われている老樹が立ち並んでいた。滝人は、それを一つ一つ数えながら、奥深く入って行ったが、やがて人間のように、四肢(てあし)をはだけた古木の前に立つと、彼女は眼の光りを消し、それを微笑に変らせていった。そして、唇からは、夢幻的な恍(うっ)とりとしたような韻(いん)が繰り出された。
「こんなふうに貴方(あなた)の前に立っただけで、もう私は、なんとも云えぬ不思議な気持になってしまいます。貴方は、私が雷が嫌いなのをご承知でいらっしゃいましょう。いいえ、ご存知でなくても、私はそうに決めてしまいますわ。そして、いつもそんな時には、額から瞼の上にかけて、重い幕のようなものに包まれてしまって、膝は鉛のように気懶(けだる)くなり、ホラこんな具合に、眼の中から脈搏(みゃくはく)の音が聴えてくるのです。そうしますと、眼に映っている事物の線がなんだかビクビク引っつれだしてきたような気持がしてきて、貴方のお顔にどうやら似ていると思われるこの瘤の模様が、時には微笑(ほほえみ)だしたように思ったりなどして、私も、ともどもそれにつれて笑い出そうといたしますのですが、またそのような時は、急に恥かしくなってきて、こんなふうに真っ赤になってしまうのでございますよ。ああ貴方は、けっして遠い処に、お暮しになっているのではございません。私が永い間流し続けてきた涙は、いつか知らず、このような奇体な修練を覚えさせてくれたのです。貴方の本当のお顔を、この幹の中ではじめて見た時には、今度はまるで性質のちがった涙が、私の心をうまく掻き雑(ま)ぜてくれました。私はどうしても、そうせずにはいられなかったのです。この三重の奇態な生活が、結局無駄とは知りながらも、そう知れば知るほど、その夢幻が何にも換えられなくなってまいります。ねえ貴方、あの男は、いったい本当の貴方なのでしょうか。それとも、私がそれではないかと疑ぐっている、鵜飼邦太郎(うがいくにたろう)なのでしょうか。もし、その差別(けじめ)をクッキリとつけることが出来れば、もう木の瘤(こぶ)の貴方のところへは、私、二度とはまいりますまいが……」
 その槲(かしわ)の木は、片側の根際まで剥ぎ取られていて、露出した肌が、なんとなく不気味な生々しい赤色で、それが腐り爛(ただ)れた四肢の肉のように見えた。そして、その中央辺に、奇妙な瘤が五つ六つあって、その一帯が、てっきり人の顔でも連想させるような、異様な起伏を現わしていた。けれども、その樹の前に立ち塞がって、人瘤に優しく呼びかけている女というのが、もしも花の冠でもつけた、オフィリヤでもあるのなら、この情景はさしずめ銅版画の夢でもあろう。しかし、滝人の眼は、吐いてゆく言葉の優しさとは異り、異様な鋭さをみせていて、その中には一つの貫かずには措(お)かない、はげしい意欲の力が燃えていた。彼女は、額の後毛(おくれげ)を無造作にはね上げて、幹に突っ張った、片手の肩口から覗き込むようにして、なおも話しかけるのを止めようとはしなかった。
「あの時、同じ救い出された三人のうちで、たしか弓削(ゆげ)とかいう、工手の方がおりましたわね。その方が、私にこういう事実を教えてくれました。なんでも、最後の七日目の日だったとかいうそうですが、その時まで生き残っていたのが、貴方はじめ技手の鵜飼、それから二人の工手だったそうでございましたわね。そして、最初の落盤が、水脈を塞いでしまったために水がなく、もうその時は水筒の水も尽きていて、あの暗黒の中では、何より烈しい渇きが、貴方がたを苦しめていたのでした。それに、あの辺は温泉地帯なので、その地熱の猛烈なことと云ったら、一方凍死を助けてくれたとは云い条、そのために、一刻も水がなくては過せなかったのではございませんでしたか。それで、貴方はもう矢も盾(たて)もたまらなくなって、洞(ほら)の壁に滴水(したたりみず)のある所を捜しに出かけたのでしたわね。そして、とうとうその場所を見付けたのでしたが、その滴水というのが、間歇泉の枝脈なのですから、一時は吹き出しても、それは間もなくやんでしまって、再び地熱のためからからに干上がってしまうのです。ところが、その水の出口に唇を当てているうちに、あの湿った柔かい土の中に、貴方のお顔は、ずるずると入り込んでいったのです。ああ私は、自分ながらこの奇異(ふしぎ)な感情を、なんといい表わしたらよいものでしょうか……。だって、人もあろうに貴方に向かって、現在ご自分がお出逢いなった経験を、お聴かせしなければならないのですものね。いいえ、貴方はもう、この世にはお出でにならないのかもしれませんわ。きっとそれでなければ、楽しい想い出まで、何もかもお忘れになった、あの阿呆のような方になってしまって……」
 そこで滝人は再び口を噤(つぐ)んで、視線を力なく下に落した。その時、雷雲の中心が、対岸の斑鳩山(いかるがさん)の真上に迫っていて、この小暗い樹立の中には、黄斑(きわだ)を打(ぶ)ちまけたような光が明滅を始めた。すると、黄金虫や団子蜂などが一団と化して、兇暴な唸り声を立て、この樹林の中に侵入してきた。そして、その――重く引き摺るような音響に彼女は、以前遠くから聴いた落盤の響を連想した。
「ねえ、そうではございませんか。私は、あの怖ろしい疑惑を解くために、どれほど酷(むご)い鞭を、神経にくれたことだったか。まったく、私の精神力が、今にも尽きそうでいて、そのくせまだ衰えないのですけれど、それがどうしてどうして、私には不思議に思われてなりませんわ。けれども、それをし了せるためには、たとえどのような影一つでも、一応は捉えて、吟味しなければならないのです。貴方が、救い出されて救護所に運び込まれた時には、一体どんな顔で隧道(とんねる)を出たとお思いになりまして。その時、医者はこう申しましたわ。貴方は二度目の落盤の時、その恐怖のために笑い筋が引っつれてしまったので、あの大きな筋の異常で鼻は曲り、眼窪が、押し上げられた肉に埋もれてしまったそうなのです。いいえ、まったくその顔といったら、まず能にある悪尉(あくじょう)ならば、その輪廓がまだまだ人並ですが、さあなんと云おうか、さしずめ古い伎楽面の中でも探したなら、あのこの上ない醜さに、滑稽をかねたものがあると思いますわ。しかし、そうして貴方の変貌に思わず我を失ってしまったのですが、ふとかたわらを見ますと、技手の鵜飼さんの屍体の上にも、それはそれは、奇蹟に等しいものが現われていたのです。いいえ、それが鵜飼の屍体だと云われるまでは、どうしても私の眼がそれを信じ――いえいえ、この方こそと思いながら、その顔の上に、ぴったり凍りついたまま、離れることが出来なくなっておりました。まあなんと、その顔が同じ変貌によるとは云え……。ああ、一つの場所で二つの変貌――だなどと、そのような奇態が符号が、この人の世にあり得るのでございましょうか。それはともかくして、その鵜飼の顔というのが、じつに貴方そっくりだったでございませんか。そうして、その二つを見比べているうちに、私の頭の中には、それまであった水がすっかり使い尽されてしまって、ただあの怖ろしい疑惑だけが、空虚な皮質にがんがんと響いてくるのでした。まったく、今でさえそうですけど、現在の十四郎というのが、そのじつ鵜飼邦太郎であって……。あの、四肢(てあし)が半分ほどの所からなく、岩片で腹を裂かれて、腸が露出している無残な死体のほうが、真実の貴方だったのではなかったか。そうなれば、誰しもそう信ずるのが、自然ではございませんかしら。それに、その事実を貼(は)り合わせたように裏書する言葉が、貴方のお口からも吐かれたのです。そのとき貴方は、鵜飼の隣りで横向きに臥しておいでになり、眼の前にいるのが私とも知らずに、絶えず眼覆(めかく)しを除(はず)してくれと、子供のようにせがまれておりました。私も、大分刻限が経っていたことですから、たいした障りにもなるまいと思って、その結び目をやんわりと弛めてあげました。そして、幾分上のほうにずらせたとき、いきなり貴方は、両手を眩(まぶ)しそうに眼に当てておしまいになったのです。けれども、その時なんという言葉が、口を衝(つ)いて出たことでしょう。いいえ、けっしてそれは、眼の前にある、鵜飼の無残な腸綿(ひゃくひろ)ではないのです。貴方は、高代という女の名をおっしゃいました。高代――ああ私は、何度でも貴方がお飽(あ)きになるまで繰り返しますわ」といきなり滝人は、引っ痙(つ)れたような笑みを泛(うか)べ、眼の中に、暗い疲れたような色を漂わした。すると、全身にビリビリした神経的なものが現われてきて、それから、瘤(こぶ)の表面をいとしげに擦(こす)りはじめた。
「ですから、当然私には、その夜から、貴方が病院をお出になる日が、またとなく怖ろしく思われてきたのです。なぜなら、どうしてそれまでに、真実貴方であるか、鵜飼邦太郎であるか分らない男に、抱かれる夜のことなど、想い泛(うか)べたことがあったでしょうか。いいえ、そればかりか、その後まもなく私は、高代という言葉を突き究めることができました。それが駭(おどろ)いたことには、鵜飼の二度目の妻で、前身は、四つ島の仲居だった女の名なのです。そこでようやく、この疑題の終点に辿りついたような、気がしたのでしたけれども、またそこには、着衣とか所持品とかいう要点もあって、たとえば、その二人の身長が、どんなにか符合しようと、また他にも、一致するような特徴が、あろうがどうだろうが、結局結論となると、変貌という――都合のいい解答一つで片づけられてしまうのでした。ああ、あの確証を得たいばかりに、毎夜私は、どんなにか空々しく、あの男の身長を摸索(まさぐ)っていたことでしょう」
 滝人は上気したような顔になって、知らず知らず吐く息の数が殖えていった。彼女は唇を絶えず濡(しめ)し、眼を異様に瞬(しばた)たいて、その高まりゆく情熱から逃れようとしたが、無駄だった。やがて、柔かい苔の上に身体を横たえたが、過ぎ去った日の美しい回想やら、現実の苦悶やらが雑多と入り乱れて、滝人はさまざまな形に身悶えを始めた。
「あの閨(ねや)の背(たけ)比べ――恥ずかしがりやの私には、これまで貴方のお身体を、しみじみ記憶に残す機会がございませんでした。お互いに、いらぬ潔癖さがつき纏(まと)っていて、私達はまったく不鍛練でございましたわね。(以下四七一字削除)しかし、その中でただ一つ、はっきりと頭の中に残っておりますのは、あの背比べなのでございます。つまり、薦骨(こしぼね)の突起と突起を合わせてみると、双方の肩先や踝(くるぶし)にどのくらいの隔たりが出来るか……。(以下一八六字削除)それが、以前の貴方の場合とぴったり合ってしまうので、なおさら昏迷(こんめい)の度が深められてまいるわけなのです。なにしろ、片方は死に、一方は過去の記憶を失っているという始末ですから、どうせどっちつかずの循環論になってしまって、結局はその二人の幻像が、ああでもないこうでもないと、物狂わしげな叫び声を上げながら、私の頭の中を駈け廻るにすぎませんでした。ああほんとうに、あの仮面を見ていると、頭の中が徐々(だんだん)と乱れてきて、不思議な幻影があちこち飛び廻るようになってしまいます。ですけど、どのみちこの運命悲劇を、自分の力でどうすることも出来ないとすれば、結局相手を殺すか、私が死ぬかの二つの道しかないわけでございます。でも、それには、ぜひにも理由を決定しなければなりません。ところが、それが出来ないのでございます。あの決定(けじめ)がつかないまでは、どうして、影のようなものに、刃(やいば)が立てられましょうか。そうしますと、一方ではあの執着が、私の手を遮ってしまうので、結局宿命の、行くがままに任せて――。死児を生み、半児の血塊(ちだま)を絶えず泣かしつづけて――。ああほんとうに、あの鬼猪殃々(おにやえもぐら)の原から、生温(なまぬる)い風が裾に入りますと、それが憶い出されて、慄然(ぞっ)とするような顫(ふる)えを覚えるのでございます。ねえ貴方、それを露西亜(ロシア)的宿命論というそうではございませんか。帝政露西亜の兵士達は、疲れ切ってしまうと、最後には雪の中に身を横たえてしまって、もう何事もうけつけず、反応もなければ反抗もせず……」
 そこまで、云いつづけているうちに、頭上にある栴檀(せんだん)の梢から、白い花弁(はなびら)が、その雪[#「その雪」に傍点]のように舞い落ち、滝人の身体はよほど埋まっていた。すると、それに気づいたのが、恐ろしい刺激ででもあったかのごとく、彼女はいきなり弾(はじ)かれたように立ち上がった。
「だいたい、隠されたものというのは、それが表に現われる日が来るまで、どうあっても、隠されていなければならないといいます。けれども、もうそんな日が来るのを、こっちから便々と待ってはいられなくなりました。そうして終(つい)に、私も決心の臍(ほぞ)を固めて、どのみちどっちに傾いたところで、陰惨この上ない闇黒世界であるに相違ないのですから、私の一身を処置するためには、どうしてもあの二つの変貌と、高代という名の本体を、突き究(きわ)めねばならぬと思いました。それから、辛い夜の数を一つ一つ加えながら、いつ尽きるか涯しないことを知りながらも、あの永い苦悩と懐疑の旅に上っていったのでした」
 雷鳴のたびごとに、対岸の峰に注ぐ、夕立の音が高まり、強い突風が樹林のここかしこに起って、大樹を傾け梢を薙(な)ぎ倒しているが、そのややしばし後になると、小法師岳の木々が、異様に反響して余波に応えていた。そして、その間は、天地がひっそりと静まり返って、再びあの耐えがたい湿度が訪れてくる。そのいいようのない蒸し暑さの中で、滝人は、とうてい人間の記録とは思われないような、一連のものを語りはじめた。
「それには、女学校を出たのみの私の知識だけでは、とうてい突破し切れまいと思われたほど、さまざまな困難がございました。しかし、とうとうそれにもめげず、おそらく異常心理については、ありとあらゆる著述を猟り尽しました。その結果、二つの仮説を纏め上げることができたのです。その一つは、いうまでもないことですが、……ひとまず、貴方の変貌についてはさて置くとして、鵜飼邦太郎の変貌には、なにか他から加えられた力があるのではないかと思われたのです。それで、私は、ちょうどぴったりとくる一つの例を、エーベルハルトの大戦に関する類例集の中から、拾い上げることができました。それは、皮紐の合わない小型の瓦斯(ガス)マスクを、大男がつけたとして、その男が突撃の際にでも仆(たお)されたとします。すると、瞬間顔の筋肉が、その窮屈な形なりに硬直してしまうというのです。以前にも小城魚太郎(こしろうおたろう)は、探偵小説『後光(ごこう)殺人事件』の中で、精神の激動中に死を発した場合、瞬間強直を起すという理論を扱いました。けれども私は、それとは全然異った経路で、あるいはそれが真因ではないかと考えるようになりました。と云うのはほかでもございません。貴方が洞壁の滴り水を啜(すす)ったことは、前にも申しました。ところが、その際に出来た面形(めんがた)が、あるいはその後、温泉の噴出が止むと同時に干上がってしまったのではないかと思われたのです。そして、工手の弓削の話によりますと、それからしばらく後になって、今度はその場所を貴方から聴き、鵜飼邦太郎が手さぐりながら出掛けて行ったそうではありませんか。なんでも、そのとき弓削は、鵜飼が「あったにはあったが、水の口が判らない」と云いますと、それに貴方は「もっと奥へ口をつけて」と教えたのを聴いたというそうですが、その瞬間、第二の落盤が起ったのです。そして、貴方はその場で気を失い、鵜飼邦太郎は、先に作られた面形に顔を埋めたまま、その場を去らず、強直したのではないかと思われました。つまり貴方の変貌には、純粋の心理的な原因があるにしても、鵜飼の場合をそうだとすることは、とうてい神業とするより外にないでしょう。たしかにあの男は、貴方の面形の中に、ぴったりと顔を埋めているうち、突然の駭(おどろ)きが、そのままの形で硬ばらせてしまったに相違ありません。だいいちあの、いかにも捏(で)っちあげたような不自然な形が、一方変貌という理論を、力づけていたのではないでしょうか」
 それには、凄烈を極めた頭脳の火花が散るように思われたが、そこに達するまでの艱苦(かんく)には、さぞかし涙ぐましいものがあったであろう。滝人も、追想やら勝ち誇った気持やら苦悩の想い出などで、ひどく複雑な表情を泛(うか)べて黙っていたが、やがて口を次いだ。
「しかし、その次になって、貴方の口から吐かれた高代という言葉になると、とうていこのほうは、実相に近い仮説を組みあげることはできませんでした。私が執心に執心をかさねて、やっとのことで掴みあげたというこの一つでさえも、一端は言葉となって進行してはゆきますが、すぐに前後を乱してバラバラになってしまうのです。それで、私がわずかに拾い上げたというのも、たったこの一つだけなのでございます。というのはたしか、サイディスの『複重性人格(マルティブル・パーソナリティ)』には、一番明確なものが挙げられていたように思われますけど、大体が、盲目から解放された瞬間の情景なのです。ここにもし、先天的な白内障患者や、あるいは永いこと、真暗な密室の中にでも鎖じ込められていた人達があったとして、それがやっとのことで、暗黒から解放されるようになったと仮定しましょう。すると、そうして最初の光明に接した際に、いったいどんなものが眼に飛びついてくるとお思いですか。それは、線でも角でもなくて、ただ輪廓が茫(ぼう)っとしている、色と光りだけの塊(かたま)りに過ぎないのです。よく私どもの幼い頃には、眩影景(暗い中を歩かせられて、不意に明るみに出ると、前述したような理論で、何でもないものが恐ろしいものに見える、一種の心理見世物)などいう心理見世物が、きまって、お化(ばけ)博覧会などの催し物には含まれていたものです。つまり、それによく似た現象が、あのとき眼に映った、鵜飼の屍体の中に、あったのではございませんでしたろうか。それでなくても、俗に腸綿(ひゃくひろ)踊りなどと申すものがございます。それは、今も申した心理見世物の一種なのですが、遠見では人の顔か花のように見えるものが、近寄って見ると、侍が切腹していたり、凄惨な殺し場であったりして、つまり、腸綿(はらわた)の形を適当に作って、それに色彩を加えるという、いわゆる錯覚物(だましもの)の一種なのです。そうしてみると、腸綿(ひゃくひろ)がとぐろまいている情態ほど、種々雑多な連想を引き出してくるものは外になかろうと思われます。すると、あの時の鵜飼はどうだったでしょうか。腹腔(はら)が岩片に潰されてしまって、その無残な裂け口から、幾重にも輪をなした腸綿(はらわた)が、ドロリと気味悪い薄紫色をして覗いておりましたわね。ああそうそう、あのブヨブヨした堤灯(ちょうちん)形の段だらだけは、貴方にはご存知がないはずです。ですけど、私の眼にさえも、それは異様なものに映じておりました。多分それというのも、胆汁や腹腔内の出血などが、泥さえも交え、ドロドロにかきまざっていたせいもあるでしょうが、ちょうどその色雑多な液の中で、腸綿のとぐろがブワブワ浮んでいるように見えたのです。ですから、輪廓が判らずに、ただ色と光りしか眼に映らなかったとすれば、あるいは――私はこう考えるのです。そのどこか一部分に、ひょっとしたら、高代という字の形をしたものが現われていたのではなかったか――と。それなり高代という言葉を、あの十四郎は一度も口にしたことはございません。それになお考えてみますと、まだまだ仮説とするには、至って不分明なのでございます。まして、反対の観点からみて、潜在意識といってしまえば、それまででもあって、まったく結論とするには、心細い輪廓しか映っておりませんので、せっかくそこまで漕ぎ付けたにもかかわらず、再び眼醒めかかった意識が、すうっと遠退(の)いて行くような気がしてしまいました。そして、それから五年の間というものは、絶えずその二つの否定と肯定とが絡(から)み合っていて、現在私が十四郎と呼んでいる男というのが、いったいそのどっちなのであろうか――聴いてさえも物狂わしくなるような疑惑が、時には薄らぎ消え、ある時はまた、真実に近い姿に見えたりなどして、結局見透しのつかない雲層の中に埋(うず)もれてしまうのが常でした。ああ私が、どうして今日の日まで狂わずにいられたのか、不思議でならないくらいですわ。いいえ、それがあったからこそ、明け暮れ同じ顔を突き合わせているだけでも――、終いにはその顔の細かい特徴までも読み尽してしまって、その上話すにも話しよう種がないといった――それがまさしく騎西家の現状なのでございますが、そのような寂寥のどん底の中でも、私だけはこんなにも力強く、一つの曙光(しょっこう)を待ち焦がれて生きてゆけるのですから。でも、その曙光というのが、もしかして訪れてきた時には、私はいったいどうしたらいいのでしょうか。つまり、それまでは眼も開けられなかった――あの霧が、晴れたときのことですわ……」
 滝人の眼の中では、血管がみるみるまに膨れていって、それまで覆うていた、もの淋しげな懐疑的なものが消えた。そして、全身が不思議なことに、まったく見違えてしまったほどに豊かな、いかにも生理的にも充実しているかのような、烈しい意欲の焔(ほのお)に包まれてしまったのである。しかし、そのとき何と思ったか、滝人はサッと嫌悪の色を泛(うか)べて、樹の肌から飛び退いた。

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