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わが町(わがまち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 10:20:47  点击:  切换到繁體中文

 

第二章 大正


     1

 そこは貧乏たらしくごみごみとして、しかも不思議にうつりかわりの尠ない、古手拭のように無気力な町であった。
 角の果物屋は何代も果物屋をしていて、看板の字も主人にも読めぬくらい古びていた。
 酒屋は何十年もそこを動かなかった。
 銭湯も代替りをしなかった。
 薬局もかわらなかった。よぼよぼの爺さんが、いまだに何十年か前の薬剤師の免状を店に飾って、頓服を盛っているのだった。もぐさが一番よく売れるという。
 八百屋の向いに八百屋があって、どちらも移転をしなかった。隣の町に公設市場が出来ても、同じことであった。
 一文菓子屋の息子はもう孫が出来て、店先にぺたりと坐って、景品(あてもの)附きの一文菓子を売るしぐさも、何か名人芸めいて来た。
 散髪屋の娘はもう二十八歳で、嫁に行かなかった。年中ひとつ覚えの「石童丸」の筑前琵琶を弾いていた。散髪に来る客の気を惹くためにそうしているらしく、それが一そう縁遠い娘めいた。
 一銭天婦羅屋は十年路地の入口で天婦羅をあげていた。
 甘酒屋の婆さんももうかれこれ十五年寺の門前で甘酒の屋台を出していた。夏でも出していた。
 相場師も夜逃げをしなかった。落語家(はなしか)も家賃を六つもためて、十七年一つ路地に居着いていた。
 路地は情けないくらい多く、その町にざっと七八十もあろうか。
 いったいに貧乏人の町である。路地裏に住む家族の方が、表通りに住む家族の数よりも多いのだ。
 地蔵路地は※の字に抜けられる八十軒長屋である。
 なか七軒はさんで凵の字に通ずる五十軒長屋は榎路地である。
 入口と出口が六つもある長屋もある。狸(たのき)裏といい、一軒の平家に四つの家族が同居しているのだ。
 銭湯日の丸湯と理髪店朝日軒の間の、せまくるしい路地を突き当ったところの空地を、凵の字に囲んで、七軒長屋があり、河童路地という。
 この空地は羅宇(らお)しかえ屋の屋台の置場であり、夜店だしの荷車も置かれ、なお、病人もいないのに置かれている人力車は、もちろん佐渡島他吉の商売道具である。
 この空地は洗濯物の干場にもなる。けれど、風が西向けば、もう干せない。日の丸湯の煙突は年中つまっていて、たちまち洗濯物が黒くなってしまうのだ。
 羅宇しかえ屋の女房は名古屋生れの大声で、ある時、亭主を叱った声が表通りまできこえ、通り掛った巡査があやしんで路地の中まで覗きに来たというくらい故、煙突の苦情は日の丸湯の番台へ筒ぬけだが、日の丸湯の主人はきかぬ振りした。
 また、長屋の中で、改まって煙突の掃除のことで、日の丸湯へ掛け合った者はひとりもない。
 日の丸湯の主人というのは、先代より引き続いて、河童路地の家主であり、横車(ごりがん)も振る男であった。
 河童路地はむかしこのあたりに河童が棲んでいたという噂からそういう名がついたほかに俗に只(ただ)裏ともいい、家賃は只同然にやすいさかいやと、日の丸湯の主人は言っていたが、それさえ誰もきちんと払えた例しはなく、かたがた煙突の苦情も言うて行けなかった。
 つまりは、貧乏長屋であった。
 だから、たとえば蝙蝠傘修繕屋のひとり息子は、小学校にいる間から、新聞配達に雇われて、黄昏の町をちょこちょこ走った。
 明るいうちに配ってしまわぬと、帰りの寺町がひっそりと暗くて怖い。十歳の足で、高津神社の裏門の石段を、ある夕方、ひと日、ふた日は晴れたれど、三日、四日、五日は雨に風、道のあしさに乗る駒も、踏みわずらいて、野路病い……と、歌いながら、あわてて降り、黒焼屋の前まで来ると、
「次郎ぼん、次郎ぼん」
 うしろから呼び止められた。
 振り向くと、血止めの紙きれをじじむさく鼻の穴に詰めこんだ他吉が空の俥をひきながら、にこにこ笑っている。
「他あやん、また喧嘩したんやなア。あんまり売りだしたら、どんならんな」
 二軒並んだ黒焼屋の店先へ、器用に夕刊を投げこみながら、そう言うと、
「さいな、あんまり現糞(げんくそ)のわるい事言いやがったさかい……」
 しかし、――他吉という男はど阿呆や、われが六年もいて一銭の金もよう溜めんといたマニラへ娘の婿を懲りもせんと行かす阿呆があるかと言われて、何をッと腹が立った余りの喧嘩だとは、さすがに子供相手に語りも出来ず、
「お初に告わんといてや」
 しおらしい声で言った。
「さあ。どないしょ? ここが思案の四ツ橋……」
「子供だてらに生意気な言い方しイな。――どや、しかしもう、犬に吠えられたかて、怖いことあれへんか」
「犬か、犬はもう馴れたわ」
「そか、そらええ。次郎ぼん、なんぼでも、せえだい働きや。人間はお前、苦労して、身体を責めて働かな、骨がぶらぶらしてしまうぜ。おっさんら見てみイ。六年まえ、ベンゲットで……」
 松屋町筋まで来た。
「他あやん、もっとほかの話してんか。ベンゲットの話ばっかしや。〆さんの落語(はなし)の方がよっぽどおもろいぜ」
「そら、下手は下手なりに、向(むこ)は商売人や。――どや、しんどいやろ。豆糞ほど(少しの意)俥に乗せたろか」
「なんじゃらと、巧いこと言いよって……。そないべんちゃら[#「べんちゃら」に傍点](お世辞)せんでも、他あやん喧嘩したこと黙ってたるわいな」
 そして、早く配ってしまわねば叱られるさかいと、駈け出して行くのを、他吉は随いて行って、
「ほな、おっさんに夕刊一枚おくれんか」
 その気もなく言うと、
「やったかて、読めるのんかいな。おっさんら新聞見ても、新聞やのうて珍ぷん漢ぷんやろ?」
「殺生な。そんな毒性(どくしょ)な物の言い方する奴あるか。――ほんまはな、夕刊でなこの鼻の穴の紙を……」
 ……詰めかえながら、河童路地へ戻って来ると、めずらしく郵便がはいっていた。切手を見て、マニラの婿から来た手紙だとすぐ判ったが、勿論読めなかった。
 歯抜きの辰という歯医者を探したところ、とっくに死んでいたというたよりがあってから、一月振りの手紙で、こんどはどんなたよりが書いてあるかと、娘の帰りを待ち切れず、〆団治なら読めるだろうと、その足で、
「〆さん、〆さん、留守か。居るのんか。居れへんのんか」
 隣の〆団治に声をかけた。
 すると、羅宇しかえ屋の家の中から、声だけ来て、
「〆さんは寄席だっせ」
「さよか。――ところで、おばはん、けったいな事訊くけど、おまはん字イはどないだ?」
「良え薬でもくれるのんか。なんし、わての痔イは物言うても痛む奴ちゃさかい」
 字と痔をききちがえて、羅宇しかえ屋のお内儀が言うと、
「あれくらい大けな声出したら、なるほど痛みもするわいな」
 と、理髪店朝日軒で客がききつけて、大笑いだった。

     2

 理髪店朝日軒では、先年葬礼の道供養に友恵堂の最中を二百袋も配って、随分近所の評判になった。
 袋には朝日軒と書かれてあり、普通何の某家と書くところを、わざとそうしたのは無論宣伝のためであったろう。
 死んだのはそこの当主で、あと総領の敬吉が家業を継ぐわけだが、未だ若かった、先代は理髪養成学校の創立委員で、嘱託されて教師にもなり、だから死なれて見ると、二代目の敬吉の若さは随分目立つ。おまけに高慢たれで、腕はともかく客あしらいはわるいと、母親のおたかにも心細くわかり、道供養に金を掛ける気持も出たのだろうが、ひとつには、娘の義枝のこともあったのではなかろうか。
 どういうわけか、縁遠いのだ。二十六でまだ片づかぬのはおかしいと、近所の評判がきびしくて、父親も息を引きとる時まで、これを気にしていたくらいだ。
 なお、義枝の下に定枝がいて、二十三といえば、義枝の歳に直ぐだった。しかも、そういう縁遠い小姑が二人もいては、敬吉に嫁の来手もあるまいと二十九歳の敬吉の独身までが目立ち、商売とちがって、ここでは彼の若さも通らなかったわけだ。おまけに、十七の久枝、十三の敬二郎、十の持子もあとに控えている。
 父親の生きている時分はともかく、後家になったいまは、何か肩身のせまい想いに身が縮まって、おたかがそんな道供養を張り込んだ気持も、うなずけるのだった。
 それかあらぬか、葬式が済んで当分の間、おたかは毎日かやく飯や五目寿司を近所へ配った。長屋の者など喜んだのはむろんである。わりにおたかの肩身が広くなったようで、それで娘の歳なども瞬間隠れた。
 義枝はそんな母の心を知ってか知らずにか、忙しく立ち働いて炊事を手伝った。
 小柄で、袖なしなどを色気なく着て、こそこそ背中をまるめ、びっくりしたような眼をしていた。器量もたいして良くなかった。
 筑前琵琶をならい、年中「石童丸」を弾いて、それで散髪に来る客の心を惹いているように誤解されていることは、さきに述べた通りである。
 父親の四十九日が済んで間もなく、紋附きを着た男が不意に来て、義枝の縁談であった。
 気配で何かそれらしく、おたかは随分狼狽した。咄嗟の心構えがつかず、むしろ気恥かしく応待した。取り乱しては嗤われるかねがねの負目で、嬉しい顔も迂濶に出来なかった。
 客は小憎いほど落ち着いて、世間話のまくらをだらだらとふった。
 それで焦らされて、おたかはわざと濃い表情も自然に装えて、顔をしかめた。すると、縁談をきく心用意もどうやら出来たが、そうして落着いたところは、意外にも断る肚であった。
 相手の身分も訊かぬうちに、そんな風に決めて、われながら意固地な母だったが、いまに始ったわけではない。
 ……父親の生きていた頃、三度義枝に縁談があったことはあった。
 相手は呉服屋の番頭、公設市場の書記、瓦斯会社の集金人と、だんだん格が落ちた。
 父親はいつのときも、賛成も反対もせず、つまりは煮え切らず、ぼそぼそ口の中で呟いているだけだったが、おたかはまるで差し出でて、仲人に向い、
「格式の違うことあれしまへんか」
 と、いつもこの調子で、仲人を怒らしてしまい、その都度簡単に話は立ち消えたのだ。
 当座の小気味良さも、しかし、あとでむなしい淋しさと変った。だから、義枝には、
「あんな仕様むない男に貰われたら、お前の一生の損やさかいに……」
 と言い聴かせ、それをまた自分へのいいわけにもした。
 よその娘なら知らず、義枝の父親は理髪業者の寄合へ洋服で出席した最初の人で、なお町会の幹事もしているのだ……。
 ところが、そんなことがあって、こんどの相手は畳屋の年期奉公上りの職人で、と聴いてみると、やはりおたかはあらかじめ断る肚をきめて置いてよかったと思った。
 散髪屋も畳屋も同じ手職稼業でたいした違いはないようなものの、おたかにしてみれば、口惜しいほど格式が落ちたと思われ、だから断るにもサバサバした気持だった。
 仲人はあきれて帰って行った。
 おたかは暫時ぺたりと坐りこんだまま、肩で息をし、息をし、畳の一つところを凝視していた。腹立たしいというより、むしろさすがに取り逃した気持でわれにあらず心に穴があいた。
「なんぜ断る気になったんやろか」
 と、考えてみても判らず、所詮いまさらの後悔だったが、いってみれば父親は下手に町会の幹事などしたわけだ。
 ひとつには、義枝の年が若ければ、かえって畳屋の職人でもあっさりと応じられたのかもしれず、つまりはひがみだったろうか。
 やがてそわそわと立ち上り、勝手元へ出てみると、義枝はしきりに竈の下を覗いていた。新聞紙を突っ込み、薪をくべ、音高く燃えて、色黒い義枝の横顔に明るく映えていた。ふと振り向いたその眼が赤く、しばたたき、煙のせいばかりでないとおたかは胸痛く見たが、どういうわけかおたかの声は、
「えらい煙たいやないか」
 と、叱りつけるようだった。
 大分経って、義枝の下の定枝を貰いに来た。
 先方は小学校の教員で、二十九歳だというから、定枝と四つちがいだった。二十五の娘(いと)はんやったらしっかりしたはって、願ったりかなったりだと、わざわざ定枝の歳をありがたいものにするいい方を、仲人はして、つまりはおたかの気性をのみこんでいた。
 そうされてみれば、おたかもさすがに固い表情が崩れ、小学校の教員といえば、よしんば薄給にしろまずまず世間態は良いと、素直に考えることが出来た。贔屓目にも定枝の器量は姉の義枝とそんなにちがいはしなかったが、ずんぐりとして浅黒い義枝とくらべて、定枝はややましにすんなりと蒼白く、そういう談があってみれば、いまそれは透き通るように白いと、改めて見直されるぐらいだった。なお、先方は尺八の趣味があるといい、それも何となく奥床しいではないかと、これで纒らねば嘘だった。
 仲人は無料の散髪をして帰った。
 ところが、纒まると見えて、いざ見合いという段になると、いきなりおたかは断ってしまった。
 仲人は驚いたが、怒った顔も見せず、なるほど、姉さんをさし置いて妹御をかたづける法もなかったと筋を通して、御縁は切れたわけでもないと、苦労人だった。
 けれども、その言葉は思いがけずおたかには痛く、妙なところで効果があった。
 実はもって、おたかには断るほどの理由もはっきりとはなく、強いて娘の見合いの晴れがましさに馴れず臆したのだと言ってみたところで、それでは余りに阿呆らしく小娘めく。仲人ももう一押し押せば、十に一つは動く振り[#「動く振り」は底本では「く動振り」と誤植]もおたかには充分あったところだが、もはやそんな痛いところを突かれては、おたかの気持はいつものところへ落ち着いて、
「格式が違うことあれしめへんか」
 意固地な声であった。さすがの仲人もむっとした。
 怒った顔二つ暫時にらみ合って、やがて仲人の帰ったあと、勝手元で騒々しい物音や叫声がして、おどろいておたかが出て見ると、義枝と定枝が掴み合い掴み合っているのだ。
 おたかは何か思い当って、はっと胸をつかれ、蒼ざめた途端に、いきなり逆上して、二人を突き離すと、漆喰の上へ転がり落ちたのは、義枝の方だった。そのつもりではなかったが、倒れて見れば、やはり義枝らしかった。
 物音で近所のひとびとがわざとのように駈けつけて来ると、ぴたりと三人は静まりかえった。
 定枝はぷいと出て行った。義枝はおろおろと身体を縮めて忍び泣いていたがやがて座敷へはいると、琵琶をかきならした。それが店の間にもきこえ、客は頭を刈られながら、ふんふんときいた。
 翌日、おたかは近所へ海老のはいったおからを配った。
 半年経って、十九の久枝に縁談があったとき、矢張り義枝をさし置いてということが邪魔した。
 久枝は北浜の銀行へ勤めに出て、太鼓の帯に帯〆めをきりりとしめ、赤い着物に赤い鼻緒の下駄で、姉たちとはかけはなれて派手な娘であった。なお、眼鏡を掛けていた。
 相手は同じ銀行に働く男で、銀行員といえば、もう飛びつきたい話にはちがいなかった。しかし、同じところで働いていたとすれば、浮いた話ではなかったかと近所の評判も気にされた。
 もともと久枝を勤めに出すことは、何かと気がひけていたのである。娘を働かさねばやって行けぬ世帯かと見られることが、随分辛いのだ。だから、同じ銀行で働く男と結婚したとすれば、一層とやかくの噂は避けがたい。
 それがおたかにはいやだった。といって、断るには惜しい談だと、いろいろ迷ったあげく、結局義枝の縁組みもせぬうちに久枝をかたづけるわけには行かぬと、これがおたかの肚をきめたのである。
 次の縁談があるまで半年待った。
 こんどの談は敬吉に来て、先方は表具屋の娘だったから、これも敬吉の意見をきかぬうちに有耶無耶になった。仲人はしかし根気よく三度足を運んだのだった。
 が、三度目にはもう、
「こんな年増の小姑のいる家に、誰が嫁に来まっかいな」
 と、捨科白して、ばたばたと帰ってしまった。
 いわれてみると、おたかはちくちく胸が痛み、改めて敬吉の歳を数えてみると、三十だった。
 三十の声をきいてから、敬吉の頬にはめきめき肉がついて、ふっくらとし、おまけに商売柄いつも剃り立ての髭あとがなまなまと青かった。
 そんな顔を敬吉は店の間からはいって来てぬっと見せると、
「いまのお客さん何しイに来はったんやねん?」
 わりに若い声で訊いた。
「何もしイに来やはれへんぜ」
 おたかはとぼけて見せ、
「――店放っといてええのんか」
 叱りつけるように言うと、敬吉はこそこそ店へ引きかえした。
 そして、見習小僧に代って、客の顔を剃りながら、かねがね理由(わけ)もなしに母親に頭の上らぬ自分の顔を、しょんぼり鏡に覗いていると、何となく気が滅入ったが、ふと、
「良え薬でもくれるのんか。なんし、わての痔イは物言うても痛む奴ちゃさかい」
 という羅宇しかえ屋のお内儀の声がきこえ、
「あれくらい大けな声出したら、なるほど痛みもするわいな」
と、客が笑ったのにつられて、敬吉も黒いセルロイドのマスクのかげで笑い、
「ほんまにイな」
 剃刀をとめて、客の笑いのとまるのを待っているところへ、他吉がひょっくりはいって来た。
「敬さん。また無心や」
「なに貸してほしいねん?」
「さいな。今日は剃刀とちがう。あんたの学を貸してほしいねん」
「安い御用やが……」
 敬吉は講義録など読み、枢密院の話などを客にして、かねがね学があると煙たがられていた。
「これをひとつ読んでほしいねん」
 マニラからの手紙を渡すと、敬吉は剃刀を片手に眼を通した。
「どうせ婿の新太郎から来た手紙や思いまっけど、なんぞ言うとりまっか。マニラは暑うてどんならん言うとりまっか」
 敬吉はしかしそれに答えず、
「他あやん、えらい鈍(どん)なこっちゃけど、こらわいには読めんわ」
 と、びっくりした顔だった。
「えらいまた敬さんに似合わんこっちゃな、どれ、どれ、わいにかして見イ、わいが読んだる」
 客は散髪台の上に仰向けになったまま、他吉の手からその手紙を受けとったが、すぐ、あっと声をのんで、
「わいにも読めんわ。えらい鈍なことで……」
 と言いながら、滅法高い高下駄をはいた見習小僧にそれを渡した。
「――お前読んでみたりイ」
「へえ」
 そして、読みだした小僧の声は、筑前琵琶の音にところどころ消されたが、他吉の胸に熱く落ちて来た。
 マニラへ行っていた婿の新太郎が、風土病の赤痢に罹って死んだ旨、新太郎に部屋を貸している人からの報らせの手紙だった。
「なんやて? さっきのとこもういっぺん読んで見てんか。一昨日の……?」
「一昨日の午前二時、到頭看護及ばず逝去されました」
「セイキョてなんやねん」
「死ぬこっちゃ」
 小僧は十六歳だった。
 瓦斯燈がはいって、あたりはにわかに青い光に沈んだ。
 理髪店の大鏡に情けない顔をちらと蒼弱くうつして、しょんぼり表へ出ると、夜がするする落ちて来た。
 他吉は腑抜けて、ひょこひょこ歩いた。

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