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古代人の思考の基礎(こだいじんのしこうのきそ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-29 15:59:55  点击:  切换到繁體中文


     一一 神道と仏法と

神道と言ふ語自身、神道から出たものではなく、孝徳天皇紀の「仏法を重んじて、神道を軽んず……」とあるところから出てゐる。尤、こゝの神道の語は、今日の意味とは違つて、在来の土地の神の信仰を斥してゐる。仏教の所謂「法」は、絶対の哲理であり、「道」は異端の教へである。日本に仏教が這入つて後、仏教を以て本体と考へ、日本在来の神の道を異端、又は、天部テンブの道或は、仏教の一分派のやうに感じた。
陰陽道・仏教が栄えるやうになつて、神道は、仏教から離れて来た。而も尚、仏教家が、仏教を説く方便として、何処の神は、何仏の一分派であるとか、仏法を擁護する為に、此土地にゐた精霊であるとか、言うてゐる。此考へを示してゐるのが、安居院アグヰ神道集である。
神道の語は、実は神道にとつて、不詮索な語であつた。命名当時に溯つて見れば、迷惑を感ずるものである。神ながらの道などゝ言ふ方が、まだよい。併し、語は同じでも、意味は、時代によつて変化するものであるから、「神道」と言ふ語の出所も、意味も忘れられてゐる。故に、神道と言うてゐて、何等さし支へない訣である。

     一二 神道と民俗学と

今後の神道は、如何にして行けばよいか。今までは、民間の神道を軽んじて、俗神道と称して省みなかつた。これは、江戸時代の学者が驕つて、俗神道は、陰陽道・仏教等の影響を受け過ぎてゐる。自分等の考へてゐるのが、古代の神道である、と自惚れた結果である。ところが、彼等の考への基礎は、漢学や仏教であつて、却て俗神道の中に、昔から亡びずに伝つてゐる、純粋な古代精神が、閃めいてゐるのである。
其純粋な古代精神を見出すのが、民俗学である。今まで述べて来た中に、若し多少でも、先輩の説よりも、正しいものがあつたとすれば、其は民俗学の賜である。俗神道中から、もつと古い神道を、民俗学によつて、照し出したお蔭である。かうして行けば、新しい組織が出来、而もそれは、従来の神道を破るものではないと思ふ。今の神道は、余りに急拵へに過ぎる。江戸時代に、急に組織したものを、明治政府が、方便的に利用したもので、半熟である。今の中に、まう一度、訂正することなしに、捨てゝ置いたならば、古代精神を閃めかしてゐる、国中の古い民俗が、次第に亡びて行つて了ふに違ひない。幸に日本は、他の国に較べて、確かに、非常に古い精神を遺してゐる。物忘れをしないのか、頑固なのか、古い生活を、近代風に飜訳しながら、元の形を遺してゐる。陰陽道にも、仏教・儒教にも妥協しながら、新しい形の中に、古いものを遺してゐる。
譬へば、盆の精霊棚は、仏教のものではなく、神道固有のものに、仏教を多少取り入れたものである。又七夕も、奈良朝以前に、支那の陰陽道の乞巧奠の信仰、即、星まつりの形式の這入つたものだ、と思はれてゐるが、ほんとうは、日本固有のものである。其が、後に迄伝つたのは、陰陽道の星まつりの形式と、合体した為である。表面だけを見て、俗神道だ、仏教的だ、など言うてゐてはならない。
神道家の中には、陰陽師・法印・山伏しなどで、明治に這入つて、神官となつたものがある。三四十年の間に、神道の形が出来たのであつて、其処には、陰陽道・仏教・儒教等への変な妥協や、欠陥があるに違ひない。其を指摘し、更に今までの法印や、陰陽師等のやつてゐた事の中にも、神道の古代精神を、見出さなければならない。此は神道そのものゝ為ばかりではなく、日本人の生活に、まう一度、新しい興奮を持ち来す為でもある。
今の世がよくない、とは思はないが、糜爛し切つてゐる事は、事実である。其には、文芸復興によつて、清新な気持ちを吹き込まなければならない。十年前に、万葉熱の起つたのは、その先触れと見る事が出来る。今は、万葉ぶりを標榜しながら、新しい精神のない時代に這入つてゐる。此処に、おぞんが必要となる。海の彼方、常世国から、遠く高天原から、青い/\空気を、吸ひ込まなければならない。

     一三 国民性の基礎

明治以後、安直な学問が栄えたが、もつと本式に腰を据ゑて、根本的に、古代精神の起つて来るところを研究して、古代の論理を尋ねて来る必要がある。其が、日本の国民性の起りである。芳賀先生の「国民性十論」以来、日本の国民性と言へば、よい処ばかりを並べてゐるが、事実はよい事のみではない。もつと根本に溯つて、国民性の起つて来る、周囲の法則・民族性の論理、即、古代論理の立て方を、究めなければならない。此処から、国民性も起つて来るのである。何の為に、忠君愛国の精神がありながら、下剋上の考へが起つて来たのであらうか。どうしても、古代論理にまで溯つて、考へて見なければならないのである。かう言つた種々の問題は、まう一度、ほんとうに情熱をもつて、祖先の生活を考へ、以て古代論理を研究しなければならないと思ふ。





底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「民俗学 第一巻五・六号、第二巻第二号」
   1929(昭和4)年11、12月、1930(昭和5)年2月
※「昭和四年八月三十・三十一日、信濃人会講演筆記」の記載が底本題名下にあり。
※底本の題名の下に書かれている「昭和四年八月三十・三十一日、信濃人会講演筆記。昭和四年十一・十二月、五年二月「民俗学」第一巻五・六号、第二巻第二号」はファイル末の「初出」欄、末尾注記に移しました。
※底本では「訓点送り仮名」と注記されている文字のうち「ノ」「ツ」「能」「爾」は本文中に小書き右寄せになっています。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2006年4月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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    「广+寺」    378-17

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