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泥濘(でいねい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-30 8:09:24  点击:  切换到繁體中文


     三

 ライオンを出てからは唐物屋で石鹸を買った。ちぐはぐな気持はまたいつの間にか自分に帰っていた。石鹸を買ってしまって自分は、なにか今のは変だと思いはじめた。瞭然はっきりした買いたさを自分が感じていたのかどうか、自分にはどうも思い出せなかった。宙を踏んでいるようにたよりない気持であった。
ゆめうつつってるからじゃ」
 過失などをしたとき母からよくそう言われた。その言葉が思いがけず自分の今たことのなかにあると思った。石鹸は自分にとって途方もなく高価たかい石鹸であった。自分は母のことを思った。
奎吉けいきち……奎吉!」自分は自分の名を呼んで見た。悲しい顔付をした母の顔が自分の脳裡のうりにはっきり映った。
 ――三年ほど前自分はある夜酒に酔って家へ帰ったことがあった。自分はまるで前後のわきまえをなくしていた。友達が連れて帰ってくれたのだったが、その友達の話によると随分非道ひどかったということで、自分はその時の母の気持を思って見るたびいつも黯然あんぜんとなった。友達はあとでその時母が自分を叱った言葉だと言って母の調子を真似てその言葉を自分にきかせた。それは母の声そっくりと言いたいほど上手にしてあった。単なる言葉だけでも充分自分は参っているところであった。友人の再現して見せたその調子は自分を泣かすだけの力を持っていた。
 模倣もほうというものはおかしいものである。友人の模倣を今度は自分が模倣した。自分に最も近い人の口調はかえって他所から教えられた。自分はその後に続く言葉を言わないでもただ奎吉けいきちと言っただけでその時の母の気持をきいきとよみがえらすことができるようになった。どんな手段によるよりも「奎吉!」と一度声に出すことは最も直接であった。眼の前へ浮んで来る母の顔に自分は責められ励まされた。――
 空は晴れて月が出ていた。尾張町から有楽町へゆく鋪道ほどうの上で自分は「奎吉!」を繰り返した。
 自分はぞーっとした。「奎吉」という声に呼び出されて来る母の顔付がいつかちがうものに代っていた。不吉をつかさどる者――そう言ったものが自分に呼びかけているのであった。聞きたくない声を聞いた。……
 有楽町から自分の駅まではかなりの時間がかかる。駅を下りてからも十分の余はかかった。夜のけた切り通し坂を自分はまるで疲れ切って歩いていた。はかまさばける音が変に耳についた。坂の中途に反射鏡のついた照明燈が道を照している。それを背にうけて自分の影がくっきり長く地をっていた。マントの下に買物の包みを抱えて少しふくれた自分の影を両側の街燈が次には交互にそれを映し出した。後ろから起って来て前へ廻り、伸びて行って家の戸へ頭がひょっくりもちあがったりする。あわただしい影の変化を追っているうちに自分の眼はそのなかでもちっとも変化しない影を一つ見つけた。極く丈の詰った影で、街燈が間遠になるとあざやかさを増し、片方が幅を利かし出すとひそまってしまう。「月の影だな」と自分は思った。見上げると十六日十七日と思える月が真上を少し外れたところにかかっていた。自分は何ということなしにその影だけが親しいものに思えた。
 大きな通りを外れて街燈のまばらな路へ出る。月光は初めてその深祕さで雪の積った風景を照していた。美しかった。自分は自分の気持がかなりまとまっていたのを知り、それ以上まとまってゆくのを感じた。自分の影は左側から右側に移しただけでやはり自分の前にあった。そして今は乱されず、鮮かであった。先刻自分に起ったどことなく親しい気持を「どうしてなんだろう」と怪しみなつかしみながら自分は歩いていた。型のくずれた中折を冠り少しひよわな感じのするくびから少しいかった肩のあたり、自分は見ているうちにだんだんこちらの自分を失って行った。
 影の中に生き物らしい気配があらわれて来た。何を思っているのか確かに何かを思っている――影だと思っていたものは、それは、なまなましい自分であった!
 自分が歩いてゆく! そしてこちらの自分は月のような位置からその自分を眺めている。地面はなにか玻璃はりを張ったような透明で、自分は軽い眩暈めまいを感じる。
「あれはどこへ歩いてゆくのだろう」と漠とした不安が自分に起りはじめた。……

 路に沿うた竹藪たけやぶの前の小溝こみぞへは銭湯で落す湯が流れて来ている。湯気が屏風びょうぶのように立騰っていて匂いが鼻をった――自分はしみじみした自分に帰っていた。風呂屋の隣りの天ぷら屋はまだ起きていた。自分は自分の下宿の方へ暗い路を入って行った。





底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年9月12日公開
2005年10月5日修正
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