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山庵雑記(さんあんざっき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-31 10:46:32  点击:  切换到繁體中文

底本: 現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1974(昭和44)年6月5日
入力に使用: 1985(昭和60)年11月10日初版第15刷
校正に使用: 1977(昭和52)年4月20日初版第7刷

 

   其一

 夢見まほしやと思ふ時、あやにくに夢の無き事あり、夢なかれと思ふ時、うとましき夢のもつれ入ることあり。寤(さ)むる時、亦た斯(かく)の如し、意(おも)はざらんと思ふに意ひ、意はんと思ふに意はず。左(さ)りとて意の如くならぬをば意の如くせまじと思ふにもあらず、静に傾き尽きなんとする月を見れば、よろづ意の儘にならぬものぞなき、徐(おもむ)ろに咲き出(いづ)らん花を待つに、よろづ心に任せぬものぞなき。如意却(かへ)つて不如意。不如意却つて如意。悲しむも何かせむ。歓ぶも何かせむ。「無心」を傭(やと)ひ来つて、悲みをも、歓びをも、同じ意界に放ちやりてこそ、まことの楽(たのしみ)は来(きた)るなれ。

     其二

 早暁臥床を出でゝ、心は寤寐(ごび)の間に醒め、意(おも)ひは意無意(いむい)の際にある時、一鳥の弄声を聴けば、忽(こつ)として我(わ)れ天涯に遊び、忽として我塵界に落るの感あり。我に返りて後(のち)其声を味へば、凡常の野雀のみ、然るも我が得たる幽趣は地に就(つ)けるものならず。爰に於て私(ひそか)に思ふは、感応は我を主として、他を主とせざるを。

     其三

 人間の心中に大文章あり、筆を把(と)り机に対する時に於てよりも、静黙冥坐する時に於て、燦爛(さんらん)たる光妙ある事多し。心中の文章より心外の文章を綴るは善し、心外の文章を以て心中の文章を装はんとするは、文字の賊なるべし。古(いにし)へより卓犖(たくらく)不覊(ふき)の士、往々にして文章を事とするを喜ばず、文字の賊とならんより心中の文章に甘んじたればならむ。

     其四

 身心を放ちて冥然として天造に任(にん)ぜんか、身心を収めて凝然として寂定(じやくぢやう)に帰せんか、或は猖狂(しやうきやう)、或は枯寂、猖狂は猖狂の苦味あり、枯寂は枯寂の悲蓼(ひれう)あり、魚躍り鳶舞ふを見れば聊(いさゝ)か心を無心の境に駆ることを得、雨そぼち風吹きさそふにあひては、忽(たちま)ち現身(げんしん)の心に還る、自然は我を弄するに似て弄せざるを感得すれば、虚も無く実もなし。

     其五

 世にありがたき至宝は涙なるべし。涙なくては情(じやう)もなかるらむ。涙なくては誠もなかるらむ。狂ひに狂ひしバイロンには涙も細繩ほどの役にも立ざりしなるべけれど、世間おほかたのものを繋ぎ止むるはこの宝なるべし。遠く行く情人の足を蹈み止(とゞ)まらすもの、猛く勇む雄士(ますらを)の心を弱くするもの、情差(たが)ひ歓(よろこび)薄らぎたる間柄を緊(し)め固うするもの、涙の外(ほか)には求めがたし。人世涙あるは原頭に水あるが如し。世間もし涙を神聖に守るの技(わざ)に長(た)けたる人を挙げて主宰とすることあらば、甚(いた)く悲しきことは跡を絶つに幾(ちか)からんか。

     其六

「※(「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1-94-76)(あら)く斫(き)られたる石にも神の定めたる運あり。」とは沙翁の悟道なり。静かに物象を観ずれば、物として定運なきにあらず。誰か恨むべき神を知りそめたる。誰か喞(かこ)つべき仏(ぶつ)を識りそめたる。心を物外に抽(ぬ)かんとするは未だし、物外、物内、何すれぞ悟達の別を画かむ。運命に黙従し、神意に一任して、始めて真悟の域に達せんか。

     其七

 孤雲野鶴を見て別天地に逍遙するは詩人の至快なり。然(しか)れども苦海塵境を脱離して一身を挺出せんとするは、人間の道にあらず。苦海塵境に清涼の気を輸(はこ)び入るゝにあらざれば、詩人は一の天職を帯びざる放蕩漢にして終らんのみ。

     其八

 他(ひと)を議せんとする時、尤も多く己れの非を悟る。頃者(ちかごろ)、激する所ありて、生来甚だ好まざる駁撃の文を草す。草し終りて静に内省するに、人を難ずるの筆は同じく己れを難ぜんとするに似たり。是非曲直軽(かろ/″\)しく判(はん)し難し。如(し)かず、修練鍛磨して叨(みだ)りに他人の非を測らざることをつとむるに。

     其九

 大なる「悔改(くいあらため)」は、又た一個の大信仰なり。罪の罪たるを知らざるより大なる罪はなし、とはカーライルに聞くところなり、昨日(さくじつ)の非を知りて明日(みやうにち)の是(ぜ)を期するは、信仰に入るの要緘(えうしん)にして、罪人の必らず自殺すべしとせざるは之をもてなり。罪の重荷は忘れざるによつて忘るゝを得べし、忘れたる重荷はいつまでも重荷なり。悔改(くいあらため)の生涯は即ち信仰の生涯なるか。

(明治二十六年二月)




 



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三三九號」女學雜誌社
   1893(明治26)年2月25日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年1月27日作成
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