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楚囚之詩(そしゅうのし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-31 10:54:36  点击:  切换到繁體中文


 

   第十二

余には穢《きた》なき衣類のみなれば、
是を脱ぎ、蝙蝠《こうもり》に投げ与ふれば、
彼は喜びて衣類と共に床《ゆか》に落《おち》たり、
余ははひ寄りて是を抑《おさ》ゆれば、
蝙蝠は泣けり、サモ悲しき声にて、
何《な》ぜなれば、彼はなほ自由を持つ身なれば、
恐るゝな! 捕ふる人は自由を失ひたれ、
卿《おんみ》を捕ふるに……野心は絶えて無ければ。
嗚呼! 是《こ》は一の蝙蝠!
余が花嫁は斯《かか》る悪《に》くき顔にては!
左《さ》れど余は彼を逃げ去らしめず、
何《な》ぜ……此生物は余が友となり得れば、
好し……暫時《しばし》獄中に留め置かんに、
左れど如何にせん? 彼を留め置くには?
吾に力なきか、此一獣を留置くにさへ?
傷《いた》ましや! なほ自由あり、此獣《けもの》には。
   余は彼を放ちやれり、
   自由の獣……彼は喜んで、
   疾《と》く獄窓を逃げ出たり。

次ぎの画《え》は甚しき失策でありました、是れでも著名なる画家と熱心なる彫刻師との手に成りたる者です。野辺の夕景色としか見えませぬが、獄舎の中と見て下さらねば困ります。

   第十三

恨むらくは昔の記憶の消えざるを、
 若き昔時《むかし》……其の楽しき故郷《ふるさと》!
暗《く》らき中にも、回想の眼はいと明《あか》るく、
 画と見えて画にはあらぬ我が故郷!
雪を戴《いただ》きし冬の山、霞をこめし渓《たに》の水、
 よも変らじ其美くしさは、昨日《きのう》と今日《きよう》、
 ――我身独りの行末が……如何に
   浮世と共に変り果てんとも!
嗚呼蒼天《そうてん》! なほ其処に鷲は舞ふや?
嗚呼深淵! なほ其処に魚は躍るや?
  春? 秋? 花? 月?
是等の物がまだ存《あ》るや?
曽《か》つて我が愛と共に逍遥せし、
楽しき野山の影は如何にせし?
摘みし野花? 聴《き》きし渓《たに》の楽器?
あゝ是等は余の最も親愛せる友なりし!
  有る――無し――の答は無用なり、
  常に余が想像には現然たり、
   羽あらば帰りたし、も一度
   貧しく平和なる昔のいほり。

   第十四

冬は厳《きび》しく余を悩殺す、
壁を穿《うが》つ日光も暖を送らず、
日は短し! して夜はいと長し!
寒さ瞼《まぶた》を凍らせて眠りも成らず。
然れども、いつかは春の帰り来らんに、
好し、顧みる物はなしとも、破運の余に、
たゞ何心なく春は待ちわぶる思ひする、
余は獄舎《ひとや》の中より春を招きたり、高き天《そら》に。
遂に余は春の来るを告《つげ》られたり、
鶯《うぐいす》に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!
知らず、そこに如何なる樹があるや?
梅か? 梅ならば、香《かおり》の風に送らる可《べ》きに。
 美くしい声! やよ鶯よ!
余は飛び起きて、
 僅に鉄窓に攀《よ》ぢ上るに――
鶯は此響《ひびき》には驚ろかで、
 獄舎の軒にとまれり、いと静に!
余は再び疑ひそめたり……此鳥こそは
 真《まこと》に、愛する妻の化身ならんに。
鶯は余が幽霊の姿を振り向きて
 飛び去らんとはなさずして
再び歌ひ出でたる声のすゞしさ!
 余が幾年月の鬱《うさ》を払ひて。
卿《おんみ》の美くしき衣は神の恵みなる、
卿の美くしき調子も神の恵みなる、
卿がこの獄舎《ひとや》に足を留《と》めるのも
また神の……是《こ》は余に与ふる恵《めぐみ》なる、
 然り! 神は鶯を送りて、
余が不幸を慰むる厚き心なる!
 嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ、
余が身にも……神の心は及ぶなる。
思ひ出す……我妻は此世に存《あ》るや否?
彼れ若《も》し逝《ゆ》きたらんには其化身なり、
我《わが》愛はなほ同じく獄裡に呻吟《さまよ》ふや?
若し然らば此鳥こそが彼れの霊《たま》の化身なり。
自由、高尚、美妙なる彼れの精霊《たま》が
この美くしき鳥に化せるはことわりなり、
斯くして、再び余が憂鬱を訪ひ来《きた》る――
誠《まこと》の愛の友! 余の眼に涙は充《み》ちてけり。

   第十五

鶯は再び歌ひ出でたり、
 余は其の歌の意を解《と》き得るなり、
百種の言葉を聴き取れば、
 皆な余を慰むる愛の言葉なり!
浮世よりか、将《は》た天国より来りしか?
余には神の使とのみ見ゆるなり。
嗚呼左《さ》りながら! 其の練《な》れたる態度《ありさま》
恰《あた》かも籠の中より逃れ来れりとも――
  若し然らば……余が同情を憐みて
  来りしか、余が伴《とも》たらんと思ひて?
鳥の愛! 世に捨てられし此身にも!
鶯よ! 卿《おんみ》は籠を出《い》でたれど、
 余は死に至るまで許されじ!
余を泣かしめ、又た笑《え》ましむれど、
 卿の歌は、余の不幸を救ひ得じ。
我が花嫁よ、……否な鶯よ!
 おゝ悲しや、彼は逃げ去れり
 嗚呼是れも亦た浮世の動物なり。
若し我妻ならば、何《な》ど逃《にげ》去らん!
余を再び此寂寥《せきりよう》に打ち捨てゝ、
この惨憺たる墓所《はかしよ》に残して
――暗らき、空しき墓所《はかしよ》――
其処《そこ》には腐《くさ》れたる空気、
湿《しめ》りたる床《ゆか》のいと冷たき、
余は爰《ここ》を墓所と定めたり、
生《いき》ながら既に葬られたればなり。
  死や、汝何時《いつ》来《きた》る?
  永く待たすなよ、待つ人を、
  余は汝に犯せる罪のなき者を!

   第十六

鶯は余を捨てゝ去り
余は更に怏鬱《おううつ》に沈みたり、
春は都に如何なるや?
確かに、都は今が花なり!
 斯《か》く余が想像《おもい》中央《なかば》に
久し振にて獄吏は入り来れり。
遂に余は放《ゆる》されて、
大赦《たいしや》の大慈《めぐみ》を感謝せり
門を出《いづ》れば、多くの朋友、
 集《つど》ひ、余を迎へ来れり、
中にも余が最愛の花嫁は、
 走り来りて余の手を握りたり、
彼れが眼《め》にも余が眼にも同じ涙――
 又た多数の朋友は喜んで踏舞せり、
先きの可愛《かわ》ゆき鶯も爰《ここ》に来りて
 再び美妙の調べを、衆《みな》に聞かせたり。



*1
中国・春秋戦国時代の楚の鐘儀が晋に捕らえられてのちも楚国の冠をつけて祖国を忘れなかった故事から、他郷で捕らわれの身となった人、捕虜、囚人を指す。
*2
この部分のルビには疑問がある。透谷は12歳のときに東京銀座に移り住んだ。透谷の名も、数寄屋橋の数寄屋(すきや)→透谷(すきや)→透谷(とうこく)と発想されたものだと考えられている。ということは、透谷橋に「すきやばし」という読みをあてはめるべきではないだろうか。



底本:「北村透谷選集」岩波文庫、岩波書店
   1997(平成9)年11月16日第27刷
入力校正:浜野 智
1998年9月4日公開
2002年1月8日修正
青空文庫作成ファイル:
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