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三日幻境(みっかげんきょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-31 11:03:50  点击:  切换到繁體中文

 

七年を夢に入れとや水の音

みけるに、翁はこれを何とか読み変へて見たり。翁未だ壮年の勇気をうしなはざれど、生年限りあれば、かねて存命に石碑を建つるの志あり、我が来るを待ちて文をしよくせしめんとの意をのべければ、我は快よく之を諾しぬ、又た彼の多年苦心して集めし義太夫本、我を得て沈滅の憂ひなきを喜び、其没後には悉皆しつかい我に贈らんと言ひければ、我は其好意に感泣しぬ。翁の秀逸一二を挙ぐれば、

夢いくつさまして来しぞほとゝぎす
こゝに寝む花の吹雪にうづむまで

なほ名吟の数多くあり、我他日、翁の為に輯集しふ/\の労を取らんことを期す。この夜、翁の請に応じて即吟、白扇に題したる我句は、

越えて来て又一峰ひとみねや月のあと

 暁天の白むまで眠り得ず、翌朝日けて起き出でたるは、いつの間にか明方の熟睡に入りたりしと覚ゆ。蒼海遂に来らねば、老侠と我と車をならべて我幻境の門を出づ、この時老婆は呉々も我再遊のさきの如く長からざるべきを請ふに、この秋再びと契りて別れたり。行くところは高雄山。同伴つれはおもしろし、別して月も宵にはあるべし、この夜の清興を思へば、涼風ちて車上にあり。

     (下)

 むかしわれ蒼海とともに彼幻境に隠れしころ、山に入りて炭焼、薪木樵たきゞこりわざを助くるをこよなき漫興となせしが、又た或時は彼家かのいへの老婆に破衣やれぎぬを借りて、身をやつしつ炭売車すみうりぐるまあときて、このまちに出づるをも楽しみき。
 かゝる無邪気の労力をもて我はわが胸中にわだかまりたる不平を抑へつ、疲れて帰る夜の麦飯むぎめしの味、今に忘れず、老畸人わが往事を説きて大に笑ふ時、われは頭を垂れて冥想す。昔日せきじつのわが不平、幽鬼の如くにわが背後うしろに立ちて呵々かゝとうち笑ふ。遮莫さもあらばあれ、わがルーソー、ボルテイアのはいに欺かれ了らず、又た新聞紙々面大の小天地に※(「皐+栩のつくり」、第3水準1-90-35)かうしやうして、局促たる政治界の傀儡子くわいらいしとなりをはることもなく、おの夙昔しゆくせきの不平は転じて限りなき満足となり、此満足したるまなこて蛙飛ぶ古池をながむる身となりしこそ、幸ひなれ。
 余は八王子に一泊するを好まざりしといへども、老人の意見げ難く止むことを得ずして、俗気都にも増せる市塵しぢんうちに一夜を過せり。明くれば早暁覊亭きていを出で、馬車に投じて高雄山に向ふ、この時のわが口占くちずさみは、

すゞ風や高雄まうでの朝まだち

 路にをさおとの高く聞ゆる家ありければまなこを転じて見るに、花の如き少女むすめありてを用ゆること甚だはし、わが蓬莱曲の露姫が事を思ひ出でゝなつかしければ、能く其おもてを見んとするに、馬車は行き過ぎてその事かなはず、彼少女が※(「窗/心」、第3水準1-89-54)の外におもしろき花の咲けるに心づきて、其名を問へば、鋸草のこぎりさうなりといふに、少女の風流思ひやられて、句一つ読みたれども難あれば載せず。
 琵琶滝より流れ落つる水のほとりの茶亭にて馬車に別れ、これより登り三十八丁、といふも霊山の路は遠からず。道すがら巣林子の曲を評しあひ、治兵衛梅川などわが老畸人の得意の節おもしろく間拍子とるに歩行かちも苦しからず、じやの滝をも一見せばやと思しが、そこへもおりず巌角にいこひて、清々冷々の玄風げんぷうを迎へ、たいしづかに心のどかにして、冥思を自然の絶奥ぜつおくに馳せて、いさゝか平生の煩羅を洗ふ。幽山にのぼるの興はのぼりつきたる時にあらず、荒榛くわうしんひらき、峭※せうがく[#「山+咢」、98-下-12]わたる間にあるなり、栄達はうらやむべきにあらず、栄達を得るに至るまでの盤紆はんうこそ、まことにきんすべきものなるべし。
 頂上にのぼり尽きたるは真午まひるの頃かとぞ覚えし、憩所やすみどころ涼台すゞみだいを借り得て、老畸人と共にほしいまゝに睡魔を飽かせ、山鶯うぐひすの声に驚かさるゝまでは天狗とを并べて、象外しやうぐわいに遊ぶの夢に余念なかりき。

この山に鶯の春いつまでぞ

 とはわがねぼけながらの句なり。老畸人も亦たむかしの豪遊の夢をや繰り返しけむ、くさめ一つして起きあがりたれば、冷水ひやみづのんど湿るほし、眺めあかぬ玄境にいとま乞して山を降れり。
 琵琶滝を過ぎ、かねて聞く狂人のさまを一見し、かつは己れも平生の風狂を療治せばやの願ありければ、折れて其処そのところくだるに、聞きしに違はず男女の狂人のさま、見るもなか/\にすごくあはれなり。そがなかには家をするの良妻もあるべく、わざに励むの良工もあるべし、恋のもつれに乱れ髪の少女をとめもあらむ、逆想にりて世を忘れたる小ハムレットもあらむ。
 われを見ていづれより来ませしぞと問ひかけたる少年こそは、狂ひて未だ日浅き田里でんりの秀才と覚えたり、世間真面目の人、真面目の言を吐かず、かへつてこの狂秀才の言語、尤も真意を吐露すらし。われは極めて狂人に同情を有するものなり、かつて狂者それがしの枕頭にあること三日、己れも之に感染するばかりになりてへがたかりし事ありしが、今も我は狂人と共に長く留まる事能はず。琵琶滝はさすがに霊瀑なり、神々しきこと比類多からず、高巌かうがん三面を囲んで昼なほ暗らく、深々しん/\として鬼洞に入るの思ひあり、いかなる神人ぞ、この上に盤桓ばんくわんしてこの琵琶のをなすや、こゝに来てこの瀑にうたれて世に立ち帰る人の多きも、ことわりとこそ覚ゆるなれ、われは迷信とのみ言ひて笑ふこと能はず。
 こゝを立ち去りてなほくだるに、ひぐらしの声涼しく聞えたれば、

日ぐらしの声の底から岩清水

 この夜は山麓の覊亭に一泊し、あくる朝連立つれだつて蒼海を其居村に訪ひ、三個みたり再び百草園もぐさゑんに遊びたることあれど、記行文書きて己れの遊興を得意顔に書き立つること平生好まぬところなれば、こゝにて筆をかくしぬ。

(明治二十五年八月)




 



底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「女學雜誌 三二五號、三二七號」女學雜誌社
   1892(明治25)年8月13日、9月10日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年10月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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    「山+咢」    98-下-12

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