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家なき子(いえなきこ)02

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:48:06  点击:  切换到繁體中文



     アーサのおじさん――ジェイムズ・ミリガン氏(し)

 わたしがマチアの位置(いち)であったなら、おそらくかれと同様な想像(そうぞう)をしたかもしれなかったが自分の位置としてわたしはそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコル氏(し)がわたしの父親だということは、もはや疑(うたが)う余地(よち)なく証明(しょうめい)された。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。かれは疑い得(え)る……けれどわたしは疑(うたぐ)ってはならない。かれがなんでも自分の思うことを、わたしに信(しん)じさせようと努(つと)めると、わたしはかれにだまっていろと言い聞かせた。けれどもかれはなかなか頑強(がんきょう)で、その強情(ごうじょう)にいつも打ち勝つことは困難(こんなん)であった。
「なぜきみだけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」とかれはくり返して、その点を問いつめようとした。
「どうしてびんぼう人がやわらかなレースや、縫箔(ふいはく)を赤んぼうに着せることができたか」これがもう一つたびたびくり返される質問(しつもん)であった。するとわたしはこちらから逆(ぎゃく)に反問(はんもん)して、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとってわたしが子でないならば、なぜぼくを捜索(そうさく)したか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに金をやったか。
 マチアはわたしの反問(はんもん)に返事ができなかったけれども、かれはけっして承服(しょうふく)しようとはしなかった。
「ぼくらは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」とかれは勧(すす)めた。
「そんなことができるものか」
「きみは一家といっしょにいるのが義務(ぎむ)だと言うのかい。でもこれがきみの一家だろうか」
 こういうおし問答の結果(けっか)は、一つしかなかった。それはわたしをいままでよりもよけい不幸(ふこう)にしただけであった。疑(うたが)うということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思ってもわたしは疑った。わたしが自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがって泣(な)いていたじぶん、こうしてうちができた今日かえってこれほどの失望(しつぼう)におちいろうとはだれが思ったろう。どうしたらわたしはほんとうのことがわかるだろう。そう考えて、いよいよ胸(むね)にせまってくるとき、わたしは歌を歌って、おどりをおどって、笑(わら)って、しかめっ面(つら)でもするほかはなかった。
 ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろとわたしに言いわたした。かれはマチアだけを一人外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。祖父(そふ)だけが一人、二階に残(のこ)っていた。わたしは父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親を訪(たず)ねて来る人とは、まるでちがった紳士(しんし)がはいって来た。かれは五十才ぐらいの年輩(ねんぱい)で、流行の粋(すい)を集めた身なりをしていた。犬のようなまっ白なとんがった歯をして、笑(わら)うときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。かれはしじゅうわたしのほうをふり向いてみながら、イギリス語でわたしの父に話しかけた。
 それからしばらくして、かれはほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。
「これがきみの話をした子どもか」とかれは言った。「なかなかじょうぶそうだね」
「だんなにごあいさつしろ」と父親がわたしに言った。
「ええ、ぼくはごくじょうぶです」
 こうわたしはびっくりして答えた。
「おまえは病気になったことはなかったか」
「一度肺炎(はいえん)をやりました」
「はあ、それはいつだね」
「三年まえです。ぼくは一晩(ひとばん)寒い中でねました。いっしょにいた親方はこごえて死にましたし、ぼくは肺炎になりました」
「それからからだの具合はなんともないか」
「ええ」
「つかれることはないか、ねあせは出ないか」
「ええ。つかれるのはたくさん歩いたからです。けれどほかに具合の悪いところはありません」
 かれはそばへ寄(よ)ってわたしのうでにさわった。それから頭を心臓(しんぞう)にすりつけた。今度は背中(せなか)と胸(むね)にさわって、大きく息をしろと言った。かれはまたせきをしろとも言った。それがすむと、かれは長いあいだわたしの顔を見た。そのときわたしはかれがかみつこうとするのだと思ったほど、かれの歯はおそろしい笑(わら)い顔(がお)のうちに光った。しばらくしてかれは父親といっしょに出て行った。
 これはなんのわけだろう。あの人はわたしをやとい入れるつもりなのかしら。わたしはマチアともカピとも別(わか)れなければならないのかしら。いやだ。わたしはだれの家来にもなりたくない。まして初(はじ)めっからきらっているあんな人の所へなんか行くものか。
 父親は帰って来て、「行きたければ外へ出てもいい」とわたしに言った。わたしは例(れい)のうまやの車の中へはいって行った。するとそこにマチアがいたので、どんなにびっくりしたろう。かれはそのとき指をくちびるに当てた。
「うまやのドアを開けたまえ」とかれは小声で言った。「ぼくはそっとあとから出て行くからね。ぼくがここにいたことを知られてはいけない」
 わたしはけむに巻(ま)かれて、言われるとおりにした。
「きみはいま父さんの所へ来た人がだれだか、知ってるかい」とかれは往来(おうらい)へ出ると、目の色を変(か)えてたずねた。「あれがジェイムズ・ミリガン氏(し)だよ。きみの友だちのおじさんだよ」
 わたしはしき石道のまん中に行って、ぽかんとかれの顔をながめた。かれはわたしのうでをつかまえてあとから引(ひ)っ張(ぱ)った。
「ぼくは一人ぼっちで出かける気にならなかった」とかれは続(つづ)けた。「だからねむるつもりであすこへはいった。だがぼくはねむれずにいた。するうちきみの父さんと一人の紳士(しんし)がうまやの中へはいって来た。その人たちの言うことを残(のこ)らずぼくは聞いたのだ。はじめはぼくも聞く耳を立てるつもりではなかったが、のちにはそれをしずにいられないようになった。
『どうして、岩のようにじょうぶだ』とその紳士(しんし)が言った。『十人に九人までは死ぬものだが、あれは肺炎(はいえん)の危険(きけん)を通りこして来た』
『おいごさんはどうですね』ときみの父さんがたずねた。
『だんだんよくなるよ。三月(みつき)まえも医者がまたさじを投げた。だが母親がまた救(すく)った。いや、あれはふしぎな母親だよ。ミリガン夫人(ふじん)という女は』
 ぼくがこの名前を聞いたとき、どうして窓(まど)に耳をくっつけずにはいられたと思うか。
『ではおいごさんがよくなるのでは、あなたの仕事はむだですね』ときみの父さんがことばを続(つづ)けた。
『さしあたりはまずね』ともう一人が答えた。『だがアーサがこのうえ生きようとは思えない。それができれば奇跡(きせき)というものだ。おれは奇跡を心配しない。あれが死ねば、あの財産(ざいさん)の相続人(そうぞくにん)はおれのほかにはないのだ』
『ご心配なさいますな。わたしが見ています』とドリスコルさんが言った。
『ああ、おまえに任(まか)せておくよ』とミリガン氏(し)が答えた」
 これがマチアの話すところであった。
 マチアのこの話を聞きながら、わたしの初(はじ)めの考えは、父親にすぐたずねてみることであったが、立ち聞きをされたことを知らせるのは、かしこいしかたではなかった。ミリガン氏(し)は父親と打ち合わせる仕事があるとすれば、たぶんまたうちへ来るだろう。このつぎは向こうで顔を知らないマチアが、あとをつけることもできる。
 それから二、三日ののち、マチアはぐうせん往来(おうらい)で、以前(いぜん)ガッソーの曲馬団(きょくばだん)で知り合いになったイギリス人のボブに出会った。わたしはとちゅうでかれがマチアにあいさつするところを見て、ひじょうに仲(なか)のいいことがわかった。
 かれはまたすぐとカピやわたしが好(す)きになった。その日からわたしたちはこの国に一人、しっかりした友だちができた。かれはその経験(けいけん)とちえで、のちに困難(こんなん)におちいった場合、わたしたちのひじょうな力になったのであった。


     マチアの心配

 春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品が積(つ)みこまれた。そこにはぼうし、肩(かた)かけ、ハンケチ、シャツ、膚着(はだぎ)、耳輪(みみわ)、かみそり、せっけん、おしろい、クリーム、なんということなしにいろいろなものが積(つ)まれた。
 馬車はもういっぱいになった。馬が買われた。どこからどうして買ったか、わたしは知らなかったが、いつのまにか馬が来ていた。それでいっさい出発の用意ができた。
 わたしたちは、いったい祖父(そふ)といっしょにうちに残(のこ)るのか、一家とともに出かけるのか、知らずにいた。けれど父親はわたしたちが音楽でなかなかいい金を取るのを見て、まえの晩(ばん)わたしたちにかれについて行って音楽をやれと言いわたした。
「ねえ、フランスへ帰ろうよ」とマチアは勧(すす)めた。「いまがいいしおどきだ」
「なぜイギリスを旅行して歩いてはいけないのだ」
「なぜならここにいると、きっとなにか始まるにちがいないから。それにフランスへ行けば、ミリガン夫人(ふじん)とアーサを見つけるかもしれない。アーサが加減(かげん)が悪いのだと、夫人(ふじん)はきっと船に乗せて来るだろう。もうだんだん夏になってくるから」
 でもわたしはかれに、どうしてもこのままいなければならないと言った。
 その日わたしたちは出発した。その午後かれらがごくわずかの値打(ねう)ちしかない品物を売るところを見た。わたしたちはある大きな村に着くと、馬車は広場に引き出されていた。その馬車の横側(よこがわ)は低(ひく)くなっていて、買い手の欲(よく)をそそるように美しく品物がならんでいた。
「値段(ねだん)を見てください。値段を見てください」と父親はさけんだ。「こんな値段はどこへ行ったってあるものじゃありません。まるで売るんじゃない。ただあげるのだ。さあさあ」
「あいつはどろぼうして来たにちがいない」
 品物の値段(ねだん)づけを見た往来(おうらい)の人がちょいちょいこう言っているのをわたしは聞いた。かれらがもしそのとき、そばでわたしがきまり悪そうな顔をしているのを見たら、いよいよ推察(すいさつ)の当たっていることを知ったであろう。
 かれらはしかしわたしに気がつかなかったとしても、マチアは気がついていた。
「いつまできみはこれをしんぼうしていられるのだ」とかれは言った。
 わたしはだまっていた。
「フランスへ帰ろうよ」とかれはまた勧(すす)めた。「なにか起こる。もうすぐになにか起こるとぼくは思う。おそかれ早かれ、ドリスコルさんが、こう品物を安売りするところを見れば、巡査(じゅんさ)がやって来るのはわかっている。そうなればどうする」
「おお、マチア……」
「きみが目をふさいでいれば、ぼくはいよいよ大きく目をあいていなければならない。ぼくたちは二人ともつかまえられる。なにもしなくっても、どうしてその証拠(しょうこ)を見せることができよう。ぼくたちは現(げん)にあの人がこの品物を売って得(え)た金で、三度のものを食べているのではないか」
 わたしはついにそこまでは考えなかった。こう言われて、いきなり顔をまっこうからなぐりつけられたように思った。
「でもぼくたちはぼくたちで自分の食べ物を買う金は取っている」と、わたしはどもりながら弁護(べんご)しようとした。
「それはそうだ。けれどぼくたちはどろぼうといっしょに住まっていた」と、マチアはこれまでよりはいっそう思い切った調子で答えた。「それでもし、ぽくたちが牢屋(ろうや)へやられればもう、きみのほんとうのうちの人を探(さが)すこともできなくなるだろう。それにミリガン夫人(ふじん)にも、あのジェイムズ・ミリガンに気をつけるように言ってやりたい。あの人がアーサにどんなことをしかねないか、きみは考えないのだ。まあ行けるうちに少しも早く行こうじゃないか」
「まあもう二、三日考えさしてくれたまえ」とわたしは言った。
「では早くしたまえ。大男退治(たいじ)のジャックは肉のにおいをかいだ――ぼくは危険(きけん)のにおいをかぎつけている」
 こんなふうにして煮(に)えきれずにいるうちに、とうとうぐうぜんの事情(じじょう)が、わたしに思い切ってできなかったことをさせることになった。それはこうであった。
 わたしたちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は競馬(けいば)のあるはずの町で、屋台店の車を立てようとしていた。マチアとわたしは商売のほうになにも用がないので、町からかなりへだたっていた競馬場(けいばじょう)を見に行った。
 イギリスの競馬場のぐるりには、たいてい市場が立つことになっていた。いろいろ種類(しゅるい)のちがう香具師(やし)や、音楽師(おんがくし)や、屋台店が二、三日まえから出ていた。
 わたしたちはあるテント張(は)り小屋(こや)で、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通り過(す)ぎると、曲馬団(きょくばだん)でマチアの友だちであったボブを見つけた。かれはまたわたしたちを見つけたので、たいそう喜(よろこ)んでいた。かれは二人の友だちといっしょに競馬場(けいばじょう)へ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある音楽師(おんがくし)を二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行(こうぎょう)は失敗(しっぱい)になるのではないかと心配していたところであった。かれの仕事にはにぎやかな人寄(ひとよ)せの音楽がなければならなかった。
 わたしたちはそこでかれの手伝(てつだ)いをしてやろうということになった。一座(いちざ)ができて、わたしたち五人の間に利益(りえき)を分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが演芸(えんげい)の合い間に芸(げい)をして見せてくれることを望(のぞ)んでいた。わたしたちはやくそくができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。
 わたしが帰ってこのもくろみを父に話すと、かれはカピはこちらで入用だから、あれはやられないと言った。わたしはかれらがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかと疑(うたが)った。わたしの目つきから、父はもうわたしの心中を推察(すいさつ)した。
「ああ、いや、なんでもないことだよ」とかれは言った。「カピはりっぱな番犬だ。あれは馬車のわきへ置(お)かなければならん。きっとおおぜい回りへたかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一かせぎやって来るがいい。たぶんおまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『大がしの宿屋(やどや)』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」
 わたしたちはそのまえの晩(ばん)『大がしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約一・六キロ)はなれたさびしい街道(かいどう)にあった。その店はなにか気の許(ゆる)せない顔つきをした夫婦(ふうふ)がやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それはまっすぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、わたしは服従(ふくじゅう)しなければならなかった。それでわたしは宿屋(やどや)で会うことをやくそくした。
 そのあくる日、カピを馬車に結(ゆ)わえつけて番犬において、わたしはマチアと競馬場(けいばじょう)へ急いで行った。
 わたしたちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜まで続(つづ)けた。わたしの指は何千という針(はり)でさされたように、ちくちく痛(いた)んだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。
 もう夜中を過(す)ぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、かれらが演芸(えんげい)に使っていた大きな鉄の棒(ぼう)がマチアの足に落ちた。わたしはかれの骨(ほね)がくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。
 そこでかれはその晩(ばん)ボブといっしょにとまることになった。わたしはあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「大がしの宿屋(やどや)」へ行くことにした。その宿屋へわたしが着いたときは、まっくらであった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目にはいったものは大きなおりだけで、そのそばへ寄(よ)ると野獣(やじゅう)のほえ声がした。ドリスコル一家の財産(ざいさん)であるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。わたしは宿屋(やどや)のドアをたたいた。亭主(ていしゅ)はドアを開けて、ランプの明かりをまともにわたしの顔にさし向けた。かれはわたしを見覚(みおぼ)えていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしてはいられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。
 わたしはイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことを覚(おぼ)えた。わたしはかれの言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、わたしは行くことはできなかった。マチアを置(お)いて行くことはできなかった。
 わたしは痛(いた)い足をいやいや引きずって競馬場(けいばじょう)に帰りかけた。やっと苦しい一時間ののち、わたしはボブの車の中でマチアとならんでねむっていた。
 あくる朝ボブはルイスへ行く道を教えてくれたので、わたしは出発する用意をしていた。わたしはかれが朝飯(あさはん)のお湯をわかすところを見ながら、ふと目を火からはなして外をながめると、カピが一人の巡査(じゅんさ)に引(ひ)っ張(ぱ)られて、こちらへやって来るのであった。どうしたということであろう。
 カピがわたしを見つけたしゅんかん、かれはひもをぐいと引っ張った。そして巡査の手からのがれてわたしのほうへとんで来て、うでの中にだきついた。
「これはおまえの犬か」と巡査(じゅんさ)がたずねた。
「そうです」
「ではいっしょに来い。おまえを拘引(こういん)する」
 かれはこう言って、わたしのえりをつかんだ。
「この子を拘引するって、どういうわけです」とボブが火のそばからとんで来てさけんだ。
「これはおまえの兄弟か」
「いいえ、友だちです」
「そうか。ゆうべ、おとなと子どもが二人、セント・ジョージ寺へどろぼうにはいった。かれらははしごをかけて、窓(まど)からはいった。この犬がそこにいて番をしていた。ところが犯行(はんこう)中おどろかされて、あわてて窓からにげ出したが、犬を寺へ置(お)いて行った。この犬を手がかりにして、どろぼうは確(たし)かに見つかると思っていた。ここに一人いた。今度はそのおやじだが、そいつはどこにいる」
 わたしはひと言も言うことができなかった。この話を聞いていたマチアは、車の中から出て来て、びっこをひきひきわたしのそばに寄(よ)った。ボブは巡査(じゅんさ)に、この子が罪人(ざいにん)であるはずがない、なぜならゆうべ一時までいっしょにいたし、それから「大がしの宿屋(やどや)」へ行って、そこの主人と話をして、すぐここへ帰って来たのだからと言った。
「寺へはいったのは一時十五分過(す)ぎだった」と巡査(じゅんさ)が言った。「するとこの子がここを出たのは一時だから、それから仲間(なかま)に会って、寺へ行ったにちがいない」
「ここから町までは十五分以上(いじょう)かかります」とボブが言った。
「なに、かければ行けるさ」と巡査が答えた。「それに、こいつが一時にここを出たという確(たし)かな証拠(しょうこ)があるか」
「わたしが証人(しょうにん)です。わたしはちかいます」とボブがさけんだ。
 巡査(じゅんさ)は肩(かた)をそびやかした。
「まあ子どもが判事(はんじ)の前へ出て、自分で陳述(ちんじゅつ)するがいい」とかれは言った。
 わたしが引かれて行くときに、マチアはわたしの首にうでをかけた。それはあたかも、わたしをだこうとしたもののようであったが、マチアにはほかの考えがあった。
「しっかりしたまえ」とかれはささやいた。「ぼくたちはきみを見捨(みす)てはしないよ」
「カピを見てやってくれたまえ」とわたしはフランス語で言った。けれど巡査(じゅんさ)はことばを知っていた。
「おお、どうして」とかれは言った。「この犬はわしが預(あず)かる。この犬のおかげできさまを見つけたのだ。もう一人もこれで見つかるかもしれない」
 巡査(じゅんさ)に手錠(てじょう)をかわれて、わたしはおおぜいの目の前を通って行かなければならなかった。けれどこの人たちはわたしがまえにつかまったときの、フランスの百姓(ひゃくしょう)のように、はずかしめたりののしったりはしなかった。この人たちはたいてい巡査に敵意(てきい)を持っていた。かれらはジプシー族や浮浪者(ふろうしゃ)であった。どれも宿(やど)なしの浮浪人であった。
 今度拘引(こういん)された留置場(りゅうちじょう)にはねぎが転(ころ)がしてはなかった。これこそほんとうの牢屋(ろうや)で、窓(まど)には鉄の棒(ぼう)がはめてあって、それを見ただけで、もうどうでもにげ出したいという気を起こさせた。部屋(へや)にはたった一つのこしかけと、ハンモックがあるだけであった。わたしはこしかけにぐったりたおれて、頭を両手にうずめたまま、長いあいだじっとしていた。マチアとボブは、よし、ほかの仲間(なかま)の加勢(かせい)をたのんでも、とてもここからわたしを救(すく)い出すことはできそうもなかった。わたしは立ち上がって窓(まど)の所へ行った。鉄の格子(こうし)はがんじょうで、目が細かかった。かべは三尺(じゃく)(約一メートル)も厚(あつ)みがあった。下のゆかは大きな石がしきつめてあった。ドアは厚い鉄板をかぶせてあった。どうしてにげるどころではなかった。
 わたしはカピがお寺にいたという事実に対して、自分の無罪(むざい)を証拠(しょうこ)だてることができるであろうか。マチアとボブとは、わたしが現場(げんじょう)にいなかったという証人(しょうにん)になって、わたしを助けることができようか。かれらがこれを証明(しょうめい)することさえできたら、あのあわれな犬が、わたしのためにつごう悪く提供(ていきょう)した無言(むごん)の証明があるにかかわらず、放免(ほうめん)になるかもしれない。看守(かんしゅ)が食べ物を持って来たとき、わたしは判事(はんじ)の前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。わたしはそのときまで、イギリスでは、拘引(こういん)されたあくる日、裁判所(さいばんしょ)へ呼(よ)ばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。
 わたしは囚人(しゅうじん)が差(さ)し入(い)れの食べ物の中に、よく友だちからの内証(ないしょう)のことづけを見つけるという話を聞いていた。わたしは食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、パンを割(わ)り始めた。わたしは中になにも見つけなかった。パンといっしょについていたじゃがいもをも粉(こな)ごなにくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。
 わたしはその晩(ばん)ねむられなかった。つぎの朝看守(かんしゅ)は水のはいったかめと金だらいを持って、わたしの部屋(へや)にはいって来た。かれは顔を洗(あら)いたければ洗えと言って、これから判事(はんじ)の前へ出るのだから、身なりをきれいにすることは損(そん)にはならないと言った。しばらくしてまた看守(かんしゅ)はやって来て、あとについて来いと言った。わたしたちはいくつかろうかを通って、小さなドアの前へ来ると、かれはそのドアを開けた。
「おはいり」とかれは言った。
 わたしのはいった部屋(へや)はたいへんせま苦しかった。おおぜいのわやわやいうつぶやきをも聞いた。わたしのこめかみはぴくぴく波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。
 部屋は大きな窓(まど)と、高い天井(てんじょう)があって、りっぱな構(かま)えであった。判事(はんじ)は高い台の上にこしをかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の裁判官(さいばんかん)がこしをかけていた。そのそばにわたしは法服(ほうふく)を着て、かつらをかぶった紳士(しんし)といっしょにならんだ。これがわたしの弁護士(べんごし)であることを知って、わたしはおどろいた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。
 証人(しょうにん)の席(せき)には、ボブと二人の仲間(なかま)、「大がしの宿屋(やどや)」の亭主(ていしゅ)、それからわたしの知らない二、三人の人がいた。それから向(む)こう側(がわ)には五、六人の人の中に、わたしを拘引(こういん)した巡査(じゅんさ)を見つけた。検事(けんじ)は二言三言で、罪状(ざいじょう)を陳述(ちんじゅつ)した。セント・ジョージ寺で窃盗事件(せっとうじけん)があった。どろぼうはおとなと子どもで、はしごを登ってはいるために、窓(まど)をこわした。かれらは外へ張(は)り番(ばん)の犬を置(お)いた。一時十五分過(す)ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした、五、六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしくほえて、どろぼうは犬をあとに残(のこ)したまま、窓(まど)からにげた。犬のちえはおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を巡査(じゅんさ)が競馬場(けいばじょう)へ連(つ)れて行った。そこでかれはすぐと主人を認識(にんしき)した。それはすなわち現(げん)に囚人席(しゅうじんせき)にいる子どもにほかならなかった。なお一人の共犯者(きょうかんしゃ)に対しては、追跡(ついせき)中であるからほどなく捕縛(ほばく)の手続(てつづ)きをするはずである。
 わたしのために言われたことはいたってわずかであった。わたしの友人たちはわたしが現場(げんじょう)がいなかったという証言(しょうげん)をしたけれども、検事(けんじ)は、いや、寺へ行って共犯者(きょうはんしゃ)に出会って、それから「大がしの宿屋(やどや)」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。わたしはそれからどうして犬が一時十五分ごろ寺にいたか、その理由を述(の)べろと言われた。わたしは犬はまる一日自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、わたしはなにも知らないと申し立てた。
 わたしの弁護士(べんごし)は、犬がその日のうちに寺に迷(まよ)いこんで、寺男が戸を閉(し)めたとき、中へ閉めこまれたものであるということを証拠(しょうこ)立(だ)てようと努(つと)めた。かれはわたしのためにできるだけのことをしてくれたが、その弁護は力が弱かった。
 そのとき判事(はんじ)はしばらくわたしを郡立刑務所(ぐんりつけいむしょ)へ送っておいて、いずれ巡回裁判(じゅんかいさいばん)の回って来るまで待つことにしようと言いわたした。
 巡回裁判。わたしはこしかけにたおれた。おお、なぜわたしはマチアの言うことを聞かなかったのであろう。


 

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