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大江山(おおえやま)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-1 11:56:20  点击:  切换到繁體中文

底本: 日本の英雄伝説
出版社: 講談社学術文庫、講談社
初版発行日: 1983(昭和58)年6月10日
入力に使用: 1983(昭和58)年6月10日第1刷
校正に使用: 1983(昭和58)年6月10日第1刷

 

   一

 むかし源頼光みなもとのらいこうという大将たいしょうがありました。その家来けらい渡辺綱わたなべのつな卜部季武うらべのすえたけ碓井貞光うすいのさだみつ坂田公時さかたのきんときという四にんつよ武士ぶしがいました。これが名高なだかい、「頼光らいこうの四天王てんのう」でございます。
 そのころ丹波たんば大江山おおえやまに、酒呑童子しゅてんどうじばれたおそろしいおにんでいて、毎日まいにちのようにみやこまちへ出てては、方々ほうぼういえ子供こどもをさらって行きました。そしてさんざん自分じぶんのそばにおいて使つかって、ようがなくなるとべてしまいました。
 するとあるとき池田中納言いけだのちゅうなごんという人の一人ひとりきりのおひめさまがきゅうえなくなりました。中納言ちゅうなごん奥方おくがたもびっくりして、ぬほどかなしがって、上手じょうずうらなしゃにたのんでみてもらいますと、やはり大江山おおえやまおにられたということがわかりました。
 中納言ちゅうなごんはさっそく天子てんしさまの御所ごしょがって、大事だいじむすめ大江山おおえやまおにられたことをくわしくもうげて、どうぞ一にちもはやくおに退治たいじして、世間せけんおやたちの難儀なんぎをおすくくださるようにとおねがもうげました。
 天子てんしさまはたいそうどくおぼして、
「だれか武士ぶしのうちに大江山おおえやまおに退治たいじするものはないか。」
 と大臣だいじんにおたずねになりました。すると大臣だいじんは、
「それは源氏げんじ大将たいしょう頼光らいこうと、それについております四天王てんのうさむらいどもにかぎります。」
 ともうげました。天子てんしさまは、
「なるほど頼光らいこうならば、かなら大江山おおえやまおに退治たいじしてるに相違そういない。」
 とおっしゃって、頼光らいこうをおしになりました。
 頼光らいこう天子てんしさまのおいいつけをうかがいますと、すぐかしこまってうちへかえりましたが、なにしろ相手あいて人間にんげんちがって、変化自在へんげじざいおにのことですから、おおぜい武士ぶしれて行って、ちからずくでとうとしても、おににうまくげられてしまってはそれまでです。なんでもこれは人数にんずうすくなくともよりぬきのつよ武士ぶしばかりでかけて行って、ちからずくよりは智恵ちえ工夫くふうをしなければなりません。こうおもったので、頼光らいこう家来けらいの四天王てんのうほかには、一ばんなかのいい友達ともだち平井保昌ひらいのほうしょうだけをつれて行くことにしました。世間せけんではこの保昌ほうしょうのことを四天王てんのうならべて、一人武者ひとりむしゃといっていました。
 それからこれは人間にんげんちからだけにはおよばない、神様かみさまのおちからをもおりしなければならないというので、頼光らいこう保昌ほうしょう男山おとこやま八幡宮はちまんぐうに、つな公時きんとき住吉すみよし明神みょうじんに、貞光さだみつ季武すえたけ熊野くまの権現ごんげんにおまいりをして、めでたい武運ぶうんいのりました。
 さていよいよ大江山おおえやまけてつことにきめると、頼光らいこうはじめ六にん武士ぶしはいずれも山伏やまぶし姿すがたになって、あたま兜巾ときんをかぶり、篠掛すずかけました。そしてよろいかぶとおいの中にかくして、背中せなか背負せおって、片手かたて金剛杖こんごうづえをつき、片手かたて珠数じゅずをもって、脚絆きゃはんの上に草鞋わらじをはき、だれの目にも山の中を修行しゅぎょうしてある山伏やまぶしとしかえないような姿すがたにいでたちました。

     二

 六にん武士ぶしはいくつとなくけわしい山をえて大江山おおえやまのふもとにきました。たまたまきこりにえばみちき、おに岩屋いわやのあるという千丈せんじょうたけひとすじにざして、たにをわたり、みねつたわって、おくおくへとたどって行きました。
 だんだんふかはいって行って、まっくらなはやしの中の、いわばかりのでこぼこしたみちをよじて行きますと、やがて大きな岩室いわむろまえに出ました。その中に小さな小屋こやをつくって、三にんのおじいさんがんでいました。頼光らいこうはこんな山奥やまおく不思議ふしぎだとおもって、これもおにけたのではないかと油断ゆだんのない目でていますと、おじいさんたちはその様子ようすさとったとみえて、にこにこしながら、ていねいにあたまげて、
「わたくしどもはけっして変化へんげでも、おにけたのでもありません。一人ひとり摂津せっつくにから、一人ひとり紀伊きいくにから、一人ひとり京都きょうとちか山城やましろくにからたものです。あの山のおく酒呑童子しゅてんどうじのためにつまや子をられて残念ざんねんでたまりません。どうかしてかたきりたいとおもって、ここまでのぼってはましたが、わたくしどものちからではどうすることもできませんから、ここにこうしてあなたがたのおいでをちうけていました。山伏やまぶし姿すがたにやつしてはおいでになりますが、あなたがたはきっと酒呑童子しゅてんどうじ退治たいじするために、京都きょうとからおくだりになった方々かたがたでしょう。さあ、これからわたくしどもがこの山の御案内ごあんないをいたしますから、どうぞあのおに退治たいじして、わたくしどものかたきをいっしょにっていただきとうございます。」
 といいました。
 頼光らいこうはそれをいてやっと安心あんしんしました。そしてしばらく小屋こやの中にはいって足のつかれをやすめました。そのときにんのおじいさんは、
「あのおにはたいそうおさけきで、名前なまえまで酒呑童子しゅてんどうじといっております。好物こうぶつのおさけんで、たおれますと、もうからだかなくなって、けることも、にげることもできなくなります。わたくしどものこのおさけは、「かみ方便ほうべんおに毒酒どくざけ」という不思議ふしぎなおさけで、人間にんげんめばからだかるくなってちからがましますが、おにめばからだがしびれて、通力つうりきがなくなってしまって、られても、つかれても、どうすることもできません。このおさけをあげますから、酒呑童子しゅてんどうじにすすめていつぶした上、首尾しゅびよくおにくびってください。」
 といって、おさけのかめをわたしました。
 それから三にんのおじいさんはさきって、千丈せんじょうたけのぼって行きました。十じょうくらいながさのある、まっくらな岩穴いわあなの中をくぐってそとへ出ますと、さあさあとおとてて、ちいさな谷川たにがわながれているところへ出ました。そのときおじいさんたちはふりいて、
「ではこの川についてどんどんのぼっておいでなさい。すると川のふちに十七八のむすめがいますから、その子にたずねて、おに岩屋いわやへおいでなさい。」
 といったとおもうと、三にんともふいと姿すがたえなくなりました。
 みんなはあの三にんのおじいさんは、住吉すみよし明神みょうじんさまと、熊野くまの権現ごんげんさまと、男山おとこやま八幡はちまんさまがかり姿すがたをおあらわしになったものであることをはじめてって、不思議ふしぎおもいながら、うしろから手をわせておがみました。そしてこのとおかみさまのあらたかな加護かごのある上は、もうおに退治たいじしたも同然どうぜんだと心強こころづよおもいました。
 そこでおそわったとおり川についてどこまでものぼって行きますと、十七八のきれいなむすめが、川のふちでのついた着物きものあらいながら、しくしくいていました。
 頼光らいこうはそのそばへって、
「あなたはだれです。どうしてこんな山の中に一人ひとりでいるのです。」
 ときました。むすめはまたぽろぽろとなみだをこぼしながら、
「わたくしはみやこから、あるばんおににさらわれてこの山の中にたのでございます。おとうさまやおかあさまや、ばあやたちはどうしているでしょう。その人たちにも二うこともできないうえになりました。」
 といいました。そして、
「あなたがたはいったいどうしてこんなところへいらしったのです。ここはおに岩屋いわやで、これまでよそから人間にんげんたことはありません。」
 といいました。頼光らいこうは、そこで、
「いや、わたしたちは天子てんしさまのおいいつけで、おに退治たいじたのだから、安心あんしんしておいでなさい。」
 といいきかせますと、むすめはたいそうよろこんで、
「それではこの川をまたずんずんのぼっておいでになりますと、てつもんがあって、もん両脇りょうわき黒鬼くろおに赤鬼あかおにばんをしています。もんの中にはるりの御殿ごてんがあって、そのにわにははるなつあきふゆ景色けしきがいっぱいにつくってあります。しゅてんどうじはその御殿ごてんの中で、夜昼よるひるさけんで、わたくしどもにうたうたったり、おどりをおどらせたり、手足をさすらせたりして、あきるとつかまえて、むごたらしくって、ほねかわばかりにしてててしまいます。このとおり今日きょうも、ころされたお友達ともだちのついた着物きものをこうしてあらっているのです。」
 といいました。

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