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鵞鳥(がちょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 9:28:14  点击:  切换到繁體中文


     ○

 顔も大きいが身体からだも大きくゆったりとしている上に、職人上りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚あごひげ上髭うわひげ頬髯ほおひげ無遠慮ぶえんりょやしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚おうようにまださほどは居ぬ吾家うちからげた大きな団扇うちわゆるはらいながら、せまらぬ気味合きみあいで眼のまわりにしわたたえつつも、何か話すところは実に堂々として、どうしても兄分である。そしてまたこのの主人に対して先輩せんぱいたる情愛と貫禄かんろくとをもって臨んでいる綽々しゃくしゃくとして余裕よゆうある態度は、いかにもここの細君をしてその来訪をもとめさせただけのことは有る。これに対座している主人は痩形やせがた小づくりというほどでも無いが対手あいてが対手だけに、まだはばが足らぬように見える。しかしよしや大智深智だいちしんちでないまでも、相応にするど智慧ちえ才覚が、おそろしい負けぬ気を後盾うしろだてにしてまめに働き、どこかにコッツリとした、人には決して圧潰おしつぶされぬもののあることを思わせる。
 客は無雑作むぞうさに、
「奥さん。トいう訳だけで、ほかに何があったのでも無いのですから、まわりの苦労はなさらないでいいのですヨ。おめでたいことじゃありませんかネ、ハハハ。」
ほがらかに笑った。ここの細君は今はもう暗雲を一掃いっそうされてしまって、そこは女だ、ただもう喜びと安心とを心配の代りに得て、大風たいふういた後の心持で、主客の間の茶盆ちゃぼんの位置をちょっと直しながら、軽くかしらを下げて、
「イエもう、わざの上の工夫くふうげていたと解りますれば何のこともございません。ホントにこの人は今までに随分こんなこともございましたッけ。」
と云った。客と主人との間の話で、今日学校で主人が校長から命ぜられた、それは一週間ばかり後に天子様が学校へご臨幸りんこう下さる、その折に主人が御前ごぜんで製作をしてごらんに入れるよう、そしてその製品をただちに、学校から献納けんのうし、お持帰りいただくということだったのが、解ったのであった。それで主人の真面目顔をしていたのは、その事に深く心を入れていたためで、別にほかに何があったのでもない、と自然に分明ぶんみょうしたから、細君はうれいてんじて喜とし得た訳だったが、それも中村さんが、チョクに遊びに来られたおかげで分ったと、上機嫌になったのであった。
 女は上機嫌になると、とかくに下らない不必要なことを饒舌しゃべり出して、それが自分の才能ででもあるような顔をするものだが、この細君は夫のきびしい教育を受けてか、その性分からか、さいわいにそういうことは無い人であった。純粋じゅんすい感謝かんしゃの念のこもったおじぎを一つボクリとして引退ひきさがってしまった。主人はもっと早く引退ってもよかったと思っていたらしく、客もまたあるいはそうなのか、細君が去ってしまうとかえって二人は解放されたような様子になった。
「君のところへびに行きはしなかったかネ。もしそうだったら勘弁かんべんしてくれたまえ。」
「ム。ハハハ。ナニ、ちょうど、話しに来ようと思っていたのサ。」
 主客の間にこんな挨拶が交されたが、客は大きな茶碗ちゃわんの番茶をいかにもゆっくりと飲乾のみほす、その間主人の方を見ていたが、茶碗を下へ置くと、
「君は今日最初辞退をしたネ。」
と軽く話し出した。
「エエ。」
と主人は答えた。
「なぜネ。」
「なぜッて。イヤだったからです。」
「御前へ出るのにイヤってことはあるまい。」
 ホンの会話的の軽い非難だったが、答えは急遽せわしかった。
「御前へ出るのにイヤの何のと、そんな勿体もったいないことは夢にも思いません。だから校長に負けてしまいました。」
「ハハア、校長のいいつけがイヤだったのだネ。」
「そうです。だがもう私がすぐに負けてしまったのだから論はありません。」
「負けた負けたというのが変に聞えるよ。分らないネ。校長が別に無理なことを云ったとも私には思えないが。私も校長のいいつけで御前製作をして、面目めんぼくをほどこしたことのあるのは君も知っててくれるだろうに。」
と、少しおもてをあげて鬚をしごいた。少し兄分っているようにも見えた。しかし若崎の何か勘ちがいをしたかんがえっているらしいもうひらいてやろうというような心切しんせつから出た言葉に添った態度だったので、いかにも教師くさくは見えたが、威張いばっているとは見えなかった。
 若崎は話しの流れ方のいきおいで何だか自分が自分を弁護べんごしなければならぬようになったのを感じたが、貧乏神びんぼうがみ執念しゅうね取憑とりつかれたあげくが死神にまで憑かれたと自ら思ったほどに浮世の苦酸くさんめた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止ふみとどまることを知っているので、反撃的はんげきてきの言葉などを出すに至るべき無益ととの一歩手前で自ら省みた。
「ヤ、あのにわとりは実に見事に出来ましたネ。私もあの鶏のような作がきっと出来るというのなら、イヤも鉄砲てっぽうも有りはしなかったのですがネ。」
謙遜けんそん布袋ぬのぶくろの中へ何もかもほうり込んでしまう態度を取りにかかった。世の中は無事でさえあればいというのなら、これでよかったのだ。しかし若崎のこの答は、どうしても、何か有るのをあらわすまいとしているのであると感じられずにはいない。
「きっと出来るよ。君のうでだからナ。」
と軽い言葉だ。善意の奨励しょうれいだ。赤剥あかむきに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。若崎は徹底てっていしてオダテとモッコには乗りたくないと平常いつも思っている。客のこの言葉を聞くとブルッとするほどいやだった。ウソにいじりまわされている芸術ほどケチなものは無いと思っているからである。で、思わず知らず鼻のさきで笑うような調子に、
「腕なんぞで、君、何が出来るかネ。僕等ぼくらよりズットえらい人だって、腕なんかがアテになるものじゃあるまい。」
と云った。何かが破裂はれつしたのだ。客はギクリとしたようだったが、さすがは老骨ろうこつだ。禅宗ぜんしゅう味噌みそすり坊主ぼうずのいわゆる脊梁骨せきりょうこつ提起ていきした姿勢しせいになって、
「そんな無茶なことを云い出しては人迷ひとまよわせだヨ。腕で無くって何で芸術が出来る。まして君なぞすでにいい腕になっているのだもの、いよいよ腕をみがくべしだネ。」
 戦闘せんとうが開始されたようなものだ。
「イヤ腕を磨くべきはもとよりだが、腕で芸術が出来るものではない。芸術は出来るもので、こしらえるものでは無さそうだ。君の方ではこしらえとおせるかも知れないが、僕の方や窯業ようぎょうの方の、火の芸術にたずさわるものは、おのずと、芸術は出来るものであると信じがちだ。火のはたらきは神秘しんぴ霊奇れいきだ。その火のはたらきをくぐって僕等の芸術は出来る。それを何ということだ。鋳金ちゅうきんの工作過程かていを実地にご覧に入れ、そして最後には出来上ったものを美術として美術学校から献上けんじょうするという。そううまく行くべきものだか、どうだか。むかしも今も席画というがある、席画に美術を求めることの無理でなのは今は誰しもみとめている。席上鋳金に美術を求める、そんな分らない校長ではないと思っていたが、校長には校長の考えもあろうし、鋳金はたとい蝋型ろうがたにせよ純粋美術とは云い難いが、また校長には把掖はえき誘導ゆうどう啓発けいはつ抜擢ばってき、あらゆるおんを受けているので、実はイヤだナアと思ったけれどもげて従った。この心持がせめて君には分ってもらいたいのだが……」
と、中頃は余り言いすごしたと思ったので、末にはその意をにごしてしまった。言ったとて今更どうなることでも無いので、図に乗って少し饒舌しゃべり過ぎたと思ったのは疑いも無い。
 中村は少しへこまされたかども有るが、この人は、「肉の多きややいばその骨におよばず」という身体からだつきのとくを持っている、これもなかなかのこうを経ているものなので、若崎の言葉の中心にはかまわずに、やはり先輩ぶりの態度をくずさず、
「それでうちへ帰って不機嫌だったというのなら、君はまだ若過ぎるよ。議論みたようなことは、あれは新聞屋や雑誌屋ざっしやの手合にまかせておくサ。僕等は直接に芸術の中に居るのだから、へい落書らくがきなどに身を入れて見ることは無いよ。なるほど火の芸術と君は云うが、最後のるという一段だけが君の方は多いネ。ご覧に入れるには割が悪い。」
と打解けて同情し、場合によったら助言でも助勢でもしてやろうという様子だ。
「イヤ割が悪いどころでは無い、熔金を入れるその時に勝負が着くのだからネ。機嫌がひどく悪いように見えたのは、どういうものだか、帰りの道で、吾家うちが見えるようになってフト気中きあたりがして、何だか今度の御前製作は見事に失敗するように思われ出して、それで一倍鬱屈うっくつしたので。」
「気アタリというやつは厭なものだネ。わたしも若い時分には時々そういうおぼえがあったが。ナーニ必ず中るとばかりでも無いものだよ。今度の仏像ぶつぞう御首みぐしをしくじるなんと予感しておおきにショゲていても、何のあやまちも無く仕上って、かえってめられたことなんぞもありました。そう気にすることも無いものサ。」
と云いかけて、ちょっと考え、
「いったい、何を作ろうと思いなすったのか、まだ未定なのですか。」
と改まったようにたずねた。
「それが奇妙きみょうで、学校の門を出るとすぐに題が心に浮んで、わずかの道の中ですっかり姿すがたまとまりました。」
「何を……どんなものを。」
鵞鳥がちようを。二の鵞鳥を。薄いひらめな土坡どばの上に、おすの方は高く首をげてい、めすはその雄に向って寄って行こうとするところです。無論小さく、写生風しゃせいふうに、鋳膚いはだで十二分に味を見せて、そして、思いきりばしたくびを、伸ばしきった姿の見ゆるように随分ずいぶん細く」
と話すのを、こっちも芸術家だ、眼をふさいで瞑想めいそうしながら聴いていると、ありありとその姿が前に在るように見えた。そしてまだ話をきかぬ雌までも浮いて見えたので、
「雌の方の頸はちょいと一※(小書き片仮名ト、1-6-81)うねりしてネ、そして後足のつめかかととに一※(小書き片仮名ト、1-6-81)工夫がある。」
というと、不思議にも言いてられたので、
「ハハハ、その通りその通り。」
と主人はさわやかに笑った。が、その笑声の終らぬうちに、客はフト気中りがして、鵞鳥が鋳損いそんじられた場合を思った。デ、好い図ですネ、と既に言おうとしたのをんでしまった。
 主人は、
「気中りがしてもしなくても構いませんが、ただ心配なのは御前ですからな。せっかくご天覧いただいているところで失敗してはたまりませんよ。と云って火のわざですから、失敗せぬよう理詰りづめにはしますが、その時になって土を割ってみない中は何とも分りません。何だか御前で失敗するような気がすると、居ても立っても居られません。」
 中村は今げんに自分にも変な気がしたのであったから、主人に同情せずにはいられなくなった。なるほど火の芸術は! 一切いっさい芸術の極致きょくちは皆そうであろうが、明らかに火の芸術は腕ばかりではどうにもならぬ。そこへ天覧という大きなことがかぶさって来ては! そこへまた予感というあやしいことが湧上わきあがっては! 鳴呼ああ、若崎が苦しむのも無理は無い。と思った。が、この男はまだ芸術家になりきらぬ中、香具師やし一流ののぞみまかせて、安直に素張すばらしい大仏を造ったことがある。それも製作技術の智慧からではあるが、丸太まるたを組み、割竹わりだけを編み、紙をり、色をけて、インチキ大仏のその眼のあなから安房あわ上総かずさまで見ゆるほどなのを江戸えどに作ったことがある。そういうたちの智慧のある人であるから、今ここにおいて行詰まるような意気地無いくじなしではなかった。先輩として助言した。
「君、なるほど火の芸術は厄介やっかいだ。しかしここに道はある。どうです、鵞鳥だからむずかしいので。蟾蜍ひきがえると改題してはどんなものでしょう。むかしから蟾蜍の鋳物は古い水滴すいてきなどにもある。みにくいものだが、雅はあるものだ。あれなら熔金れるおそれなどは少しも無くて済む。」
 好意からの助言には相違無いが、若崎は侮辱ぶじょくされたように感じでもしたか、
「いやですナア蟾蜍は。やっぱり鵞鳥でくるしみましょうヨ。」
と、悲しげにまた何だかうらみっぽく答えた。
「そんなに鵞鳥にくこともありますまい。」
「イヤ、君だってそうでしょうが、題は自然に出て来るもので、それとまったら、もうわたしにはてきれませぬ。げ道のために蝦蟇がまの術をつかうなんていう、忍術にんじゅつのようなことは私には出来ません。進み進んで、出来る、出来ない、成就じょうじゅ不成就の紙一重ひとえあやうさかいに臨んでふるうのが芸術では無いでしょうか。」
「そりゃそういえば確にそうだが、忍術だって入※(小書き片仮名ト、1-6-81)用のものだから世に伊賀流いがりゅう甲賀流こうがりゅうもある。世間には忍術使いの美術家もなかなか多いよ。ハハハ。」
「御前製作ということでさえ無ければ、少しも屈托くったくは有りませんがナア。同じ火の芸術の人で陶工とうこう愚斎ぐさいは、自分の作品をかまから取出す、火のための出来損じがもとより出来る、それは一々取ってはげ、取っては抛げ、大地へたたきつけて微塵みじんにしたと聞いています。いい心持の話じゃありませんか。」
「ムム、それで六兵衛ろくべえ一家いっかもといを成したというが、あるいはマアお話じゃ無いかネ。」
「ところが御前でたたこわすようなものを作ってはなりませぬ、是非とも気のむようなものを作ってご覧をいただかねばなりませぬ。それが果して成るか成らぬか。そこに脊骨せぼねしぼられるようななやみが……」
「ト云うと天覧をあおぐということが無理なことになるが、今更野暮やぼを云っても何の役にも立たぬ。悩むがよいサ。苦むがよいサ。」
断崖だんがいから取って投げたように言って、中村は豪然ごうぜんとして威張った。
 若崎は勃然むっとして、
「知れたことサ。」
と見かえした。身体中に神経がピンときびしく張ったでもあるように思われて、円味まるみのあるキンキン声はその音ででも有るかと聞えた。しかしまたたちまちグッタリ沈んだていかえって、
「火はナア、……火はナア……」
ひとった。スルト中村は背を円くしかしらを低くして近々と若崎に向い、声も優しく細くして、
「火の芸術、火の芸術と君は云うがネ。何の芸術にだって厄介なところはきっと有る。僕の木彫もくちょうだって難関は有る。せっかくだんだんと彫上ほりあげて行って、も少しで仕上しあげになるという時、木の事だから木理もくめがある、その木理のところへ小刀こがたなの力が加わる。木理によって、うすいところはホロリと欠けぬとは定まらぬ。たとえば矮鶏ちゃぼ尾羽おははしが三五分欠けたら何となる、鶏冠とさかみねの二番目三番目が一分二分欠けたら何となる。もうつくろいようもどうしようも無い、全く出来損じになる。材料も吟味ぎんみし、木理も考え、小刀も利味ききあじくし、力加減も気をつけ、何から何まで十二分に注意し、そしてわざの限りをつくして作をしても、木のというものは一々にちがう、どんなところで思いのほかにホロリと欠けぬものでは無い。君の熔金の廻りがどんなところで足る足らぬが出来るのも同じことである。万一なところから木理がハネて、釣合つりあいを失えば、全体が失敗になる。御前でそういうことがあれば、何とも仕様は無いのだ。自分の不面目はもとより、貴人のご不興も恐多いことでは無いか。」
 ここまで説かれて、若崎は言葉も出せなくなった。何の道にもくるしみはある。なるほど木理は意外のわざをする。それで古来木理の無いような、ねばりの多い材、白檀びゃくだん赤檀しゃくだんの類を用いて彫刻ちょうこくするが、また特に杉檜すぎひのきの類、とうの進みの早いものを用いることもする。御前彫刻などには大抵たいてい刀の進みやすいものを用いて短時間に功をげることとする。なるほど、火、火とのみ云って、火の芸術のみを難儀なんぎのもののように思っていたのは浅はかであったと悟った。
「なるほど。何の道にも苦しい瀬戸せとはある。有難い。お蔭で世界を広くしました。」
と心からしみじみ礼を云ってかしらたたみへすりつけた。中村もよろこばしげに謝意を受けた。
「ところで若崎さん、御前細工というものは、こういう難儀なものなのに相違無いが、木彫その他の道において、御前細工に不首尾のあったことはかつて無い。徳川とくがわ時代、諸大名しょだいみょうの御前で細工事さいくごとご覧に入れた際、一度でも何のなにがしがあやまちをしてご不興をこうむったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。」
 これには若崎はまたおどろかされた。

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