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突貫紀行(とっかんきこう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-4 10:04:16  点击:  切换到繁體中文

底本: ちくま日本文学全集 幸田露伴
出版社: 筑摩書房
初版発行日: 1992(平成4)年3月20日
校正に使用: 1992(平成4)年3月20日第1刷


底本の親本: ちくま文学の森
出版社: 筑摩書房

 

身にはやまいあり、胸にはうれいあり、悪因縁あくいんねんえども去らず、未来に楽しき到着点とうちゃくてんの認めらるるなく、目前に痛き刺激物しげきぶつあり、よくあれども銭なく、望みあれどもえん遠し、よし突貫してこの逆境をでむと決したり。五六枚の衣を売り、一行李こうりの書を典し、我を愛する人二三にのみわかれをつげて忽然こつぜん出発す。時まさに明治二十年八月二十五日午前九時なり。桃内ももないを過ぐるころ、馬上にて、
  

きていたるものまでいで売りはてぬ
   いで試みむはだか道中


 小樽おたるに名高きキトに宿りて、夜涼やりょうに乗じ市街を散歩するに、七夕祭たなばたまつりとやらにて人々おのおの自己おのが故郷のふうに従い、さまざまの形なしたる大行燈おおあんどう小行燈に火を点じ歌いはやして巷閭こうりょ引廻ひきまわせり。町幅一杯まちはばいっぱいともいうべき竜宮城りゅうぐうじょうしたる大燈籠おおどうろうの中にいく十の火を点ぜるものなど、火光美しくきてことに目ざましくあざやかなりし。
 二十六日、枝幸丸えさしまるというに乗りて薄暮はくぼ岩内港いわないみなとに着きぬ。この港はかつて騎馬きばにて一遊せし地なれば、我が思う人はありやなしや、我が面を知れる人もあるなれど、海上けむめてなみもおだやかならず、夜のくらきもたよりあしければ、船にとどまることとして上陸せず。都鳥に似たる「ごめ」という水禽みずとりのみ、黒み行く浪の上にれ残りて白く見ゆるに、都鳥もしのばしく、父母すみたもう方、ふりすてて来し方もさすがに思わざるにはあらず。海気は衣をってねむり美ならず、夢魂むこん半夜が家をかめぐりき。
 二十七日正午、ふね岩内を発し、午後五時寿都すっつという港に着きぬ。此地ここはこのあたりにての泊舟はくしゅうの地なれど、地形みょうならず、市街も物淋ものさびしく見ゆ。また夜泊やはくす。
 二十七日の夜ともいうべき二十八日のはやくに出港せしが、浪風あらく雲乱れて、後には雨さえ加わりたり。福山すなわち松前まつまえ往時むかしいし城下に暫時ざんじ碇泊ていはくしけるに、北海道にはめずらしくもさすがは旧城下だけありて白壁しらかべづくりの家などに入る。此地には長寿ちょうじゅの人他処よそに比べて多く、女も此地生れなるは品よくして色うるわしく、心ざま言葉つきも優しき方なるが多きよし、気候水土の美なればなるべし。上陸して逍遥しょうようしたきは山々なれど雨にさまたげられて舟を出でず。やがてまた吹き来し強き順風に乗じて船此地を発し、暮るる頃函館はこだてに着き、ただちに上陸してこの港のキトに宿りぬ。建築けんちく半ばなれども室広く器物清くして待遇たいぐうあしからず、いと心地よし。
 二十九日、市中を散歩するにわずか二年余見ざりしうちに、著しく家列いえならびもよく道路も美しくなり、大町末広町なんどおさおさ東京にもおとるべからず。公園のみは寒気強きところなれば樹木の勢いもよからで、山水のながめはありながら何となくかぬ心地すれど、一切の便利は備わりありて商家の繁盛はんじょううばかり無し。客窓の徒然つれづれなぐさむるよすがにもと眼にあたりしままジグビー、グランドを、文魁堂ぶんかいどうとやら云えるみせにてうて帰りぬ。午後、我がせし狼藉ろうぜき行為こういのため、はばかる筋の人にとらえられてさまざまに説諭せつゆを加えられたり。されどもいささか思い定むるよし心中にあればがんとしてくっせず、他の好意をば無になして辞して帰るやいなや、直ちに三里ほどへだたれる湯の川温泉というにいたり、しこうして封書ふうしょを友人に送り、此地に来れるよしを報じおきぬ。罪あらば罪を得ん、人間の加え得る罪は何かあらん。事を決する元来ようるがごとし、多少の痛苦は忍ぶべきのみ。此地の温泉は今春以来かく大きなる旅館なども設けらるるようなりしにて、箱館はこだて相関聯あいかんれんして今後とも盛衰せいすいすべき好位置に在り。眺望ちょうぼうのこれと指して云うべきも無けれど、かの市より此地まであるいは海浜かいひん沿いあるいは田圃たんぼを過ぐるみちの興も無きにはあらず、空気ことに良好なる心地して自然と愉快ゆかいを感ず。林長館といえるに宿りしが客あしらいも軽薄けいはくならで、いとたのもしく思いたり。
 三十日、清閑せいかん独り書を読む。
 三十一日、微雨びう、いよいよ読書にみょうなり。
 九月一日、館主と共に近き海岸に到りて鰮魚いわしを漁する態をる。海浜に浜小屋はまごやというもの、東京の長家ながやめきて一列に建てられたるを初めて見たり。
 二日、無事。
 三日、午後箱館に至りキトに一宿す。
 四日、初めて耕海入道と号する紀州の人と知る。よわいは五十をえたるなるべけれど矍鑠かくしゃくとしてほとんと伏波将軍ふくはしょうぐん気概きがいあり、これより千島ちしまに行かんとなり。
 五日、いったん湯の川に帰り、引かえしてまた函館に至り仮寓かぐうを定めぬ。
 六日、無事。
 七日、静坐せいざ読書。
 八日、おなじく。
 九日、市中を散歩して此地には居るまじきはずの男に行きいたり。何とて父母を捨て流浪るろうせりやと問えば、情婦のためなりと答う。帰後独坐感慨どくざかんがいこれをひさしうす。
 十日、東京に帰らんと欲すること急なり。されど船にて直航せんには嚢中のうちゅう足らずして興うすく、陸にて行かばくるしみ多からんが興はあるべし。嚢中不足は同じ事なれど、仙台せんだいにはその人無くばまむ在らば我が金を得べきことわりある筋あり、かつはいささかにても見聞を広くし経験を得んには陸行にしくなし。ついに決断して青森行きの船出づるに投じ、突然とつぜん此地を後になしぬ。わかれげなばさまたげ多からむをおもんぱかり、ただわずかに一書を友人にのこせるのみ。
 十一日午前七時青森に着き、田中ぼうう。この行風雅ふうがのためにもあらざれば吟哦ぎんがに首をひねる事もなく、追手をけてぐるにもあらざれば駛急しきゅうと足をひきずるのくるしみもなし。さればまことに弥次郎兵衛やじろべえの一本立の旅行にて、二本の足をうごかし、三本たらぬ智恵ちえの毛を見聞を広くなすことの功徳くどくにて補わむとする、ふざけたことなり。
 十二日午前、田中某に一宴いちえんせんせらるるまま、うごきもえせず飲みふけり、ひるいい終わりてたちいでぬ。安方町やすかたまち善知鳥うとうのむかしを忍び、外の浜に南兵衛のおもかげを思う。浅虫というところまで村々みな磯辺いそべにて、松風まつかぜの音、岸波のひびきのみなり。海の中に「ついたて」めきたるいわおあり、その外しるすべきことなし。小湊こみなとにてやどりぬ。このあたりあさのとりいれにて、いそがしぶる乙女おとめのなまじいに紅染べにぞめのゆもじしたるもおかしきに、いとかわゆき小女のかね黒々とそめぬるものおおきも、むかしかたぎの残れるなるべしとおぼしくてなり。見るものきくものあじわう者ふるるもの、みないぶせし。にもるいいをしいの葉のなぞと上品の洒落しゃれなど云うところにあらず。浅虫にいでゆあるよしなれど、みちなかなればいらずありき、途中とちゅう帽子ぼうしを失いたれどあがなうべき余裕よゆうなければ、洋服には「うつり」あしけれど手拭てぬぐいにて頬冠ほおかぶりしけるに、犬のゆることはなはだしければ自ら無冠むかん太夫たゆうと洒落ぬ。旅宿やど三浦屋みうらやと云うに定めけるに、ふすまかたくしてはだに妙ならず、戸は風りてゆめさめやすし。こし方行末おもい続けてうつらうつらと一夜をあかしぬ。
 十三日、明けてぬかくさき飯ろくにもわず、脚半きゃはんはきて走り出づ。清水川という村よりまたまた野辺地のべちまで海岸なり、野辺地の本町ほんまちといえるは、御影石みかげいしにやあらんはば三尺ばかりなるを三四丁の間き連ねたるは、いかなる心か知らねど立派なり。戸数は九百ばかりなり。とある家に入りて昼餉ひるげたべけるにあつものの内にきのこあり。椎茸しいたけに似てかおりなく色薄し。されど味のわろからぬままつくしけるに、半里ほど歩むとやがて腹痛むこと大方ならず、なみだうかべて道ばたの草をしとねにすれど、路上坐禅ざぜんを学ぶにもあらず、かえって跋提河ばだいが釈迦しゃかにちかし。一時ひとときばかりにして人より宝丹ほうたんもらい受けて心地ようやくたしかになりぬ。おそろしくして駄洒落だじゃれもなく七戸しちのへ腰折こしおれてやどりけるに、行燈あんどうの油は山中なるに魚油にやあらむくさかりける。ことさら雨ふりいでて、秋の夜の旅のあわれもいやまさりければ、

さらぬだに物思う秋の夜を長み
   いねがてに聞く雨の音かな


 食うものいとおかしく、山中なるに魚のなますは蕈のためしもあればおそれて手もつけず、わんの中のどじょうの五分切りもかたはら痛きに、とうふのかたさはいもよりとはあまりになさけなかりければ、

塩辛しおからき浮世のさまかしち
   ほそきどじょうの五分切りのしる


 十四日、朝早くたちて行く間なく雨しとしとふりいでぬ。きぬぎぬならばやらずの雨とも云うべきに、旅にはきことのかぎりなり。三本木もゆめ路にすぎて、五戸ごのへにて昼飯す。この辺牛馬殊に多し。名物なれど喰うこともならず、みやげにもならず、うれしからぬものなりと思いながら、三の戸まで何ほどの里程みちのりかと問いしに、三里と答えければ、いでや一走りといきせきたって進むに、とうげ一つありて登ることやや長けれどもきず、雨はいよいよ強く面をあげがたく、足に出来たる「まめ」ついにやぶれてあし折るるになんなんたり。並木なみきの松もここには始皇をなぐさめえずして、ひとりだちの椎はいたずらに藤房ふじふさのかなしみに似たり。隧道トンネルに一やすみす。この時またみちのりを問うに、さきの答は五十町一里なりけり。とかくして涙ながら三戸につきぬ。とこ刀掛かたなかけを置けるは何のためなるにや、家づくりいとふるびて興あり。この日はじめてさけを食うにその味美なり。
 十五日、朝、雨気ありたれども思いきりて出づ。三の戸、金田一、福岡ふくおかと来りしが、昨日きのう昼餉ひるげたべはぐりてくるしみければ今日はむすび二ツもらい来つ、いで食わんとするに臨み玉子うる家あり。価を問えば六りんと云う。三つばかり買いてなお進み行くに、路傍ろぼうに清水いづるところあり。わんさえ添えたるに、こしかけもあり。草をしとねとし石をたくとして、谿流けいりゅう※(「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1-90-16、90-2)えいかいせる、雲烟うんえんの変化するを見ながら食うもよし、かつ価もれんにして妙なりなぞとよろこびながら、あおいで口中に卵を受くるに、におい鼻をき味舌をす。おどろきてき出すにくされたるなり。くちそそぎて嗽げども胸わろし。この度は水の椀にとりて見るにまたおなじ、次もおなじ。これにて二銭種なしとぞなりける。腹はたてども飯ばかり喰いぬ。

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