您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 小島 烏水 >> 正文

天竜川(てんりゅうがわ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 8:59:06  点击:  切换到繁體中文


   二

 渚には空船が底を空に向けて、乾されてゐる、川岸には荷を積みかけた船が、もやつてゐる、私はこの荷船に乗るのである、どうせ積荷を主な目的とする船であるから、無理やりに、荷物の中へ割り込んで、坐るぐらゐの窮屈は、忍ばずばなるまい、何となれば時又から、一日で、天竜の下流、鹿島かしまに達するまでの「通し船」を、傭ふには、非常に高い賃銀を払はせられるので、私のやうな日本アルプスの貧しい巡礼に、貴族的の豪奢を、要求することに当るからである、私は時又から満島みつしままで、八里の間を、この荷船に便乗し、満島から西のまで、九里の間は、村落蕭条として、荷船さへ通はないだけ、それだけ、天竜川が怒吼激越の高調をして、深谷の怖ろしい姿が見られるのであるから、その距離だけを、別に船を仕立て、西のから鹿島までは、毎日客船が出るさうであるから、それに乗り換へることにしたのである。
 時又は川添ひの間の宿で、一寸した料理屋が川端にある。浴衣を着た、白粉剥げのした女が、素足に草履を穿き、川縁に立つて、名古屋訛りの言葉で、船頭に言伝てを頼みながら、手紙を渡してゐる、船はその茶屋の側から出る、これが港であつたら、黒い船、赤い船が、ほばしらや烟突を、林のやうに立たせ、重々しく鎖を引き擦り、錨を卸して、青い海の上と、焼けるやうな赤い雲の下に、装飾的に行列してゐるところであるが、この奇体な、みすぼらしい川船は、渚に繋がれてゐるのはいかにも迷惑さうに、航海者が慄気おぞげを震ふ風なんぞは、一向に平気だといふやうな顔をして、一寸した水のうねりにも、神経をピリリと動かせ、今にも水の底を潜りかねない気配をして、待ちくたびれてゐるげに見える。船体を白く塗つてゐないから、白鳥とは見えないが、又鰭を振る魚とも見えない、船の長さ七間半、幅四尺、深さ三尺ぐらゐで、両方の舷側には、小さな穴を明け、棕櫚繩で、長さ九尺ぐらゐもあらうかといふ樫製のかいを、左右に二挺結びつけてある、櫂の折れ目に鉄環でツギをあてたのもある。
 船の中には、竹棹が何本となく抛り出されてある、その棹の先には、鉄の環が二つ嵌り、尖端は木槍の身のやうに、細く削つてあるが、岩石を烈しく突き立てると見えて、サヽラか草楊枝のやうに裂けてゐる、荷物を見廻すと、菓子、酒、塩、饂飩、殻類[#「殻類」はママ]、提灯などが積まれ、「濡れ物、御用心」など紙札を張つたのもある、荷物がなければ、一船に定員二十五人を詰め込むのだそうであるが、今は人の方が附けたりなので、四五人の乗客しかなかつた。
 薄ツぺらの船板は、へなへなしなつて、コルクみたいに柔らかく、水をいなすから、板と言つても、帆布カンヴアス一枚で、漂流するやうな気もされる、一人の船頭は艫に立つて、櫓を操り、一人は舳先に立つて、水先案内の役を務める、外に船頭が二人で、両舷の櫂を、ボートのやうに水にピタピタ入れると、瀬の音がさらさらと鳴り始める、岸から水中へ辷り込んだとおもふと、物に魂でも入つたやうに、ツイと放れた。
 船底がゴブゴブいふ、雨風にやつれた船の、心臓が喘ぎ喘ぎ波を打ち出した、もう水に流れ始めると、先刻感じたやうに、柔らかい帆布でもなく、水を泳ぐ魚でもなく、角度角度が前後両翼の櫂で決まつて、白い石の土堤、桑畑、荒壁の土蔵、屋根の上のゴロ石などが、引いて取られるやうに、すつと後へ退り、川上の伊那山脈は、紫陽花色あぢさゐいろの、もくもくした雲の下へ捻ぢこまれて、強烈な印度青インチゴーの厚ぼつたい裾も、前なる草山のうしろへ、没してしまふ。
「筏の行つたあとを通るだなあ」「白い瀬の東下りるだよ」と、舳先からは艫の方へ声をかける、中の船頭は、鉄の環の入つた竹棹を、水にグイと入れる、眼に見えない強い力で、両手を引ツ張られ、グルグル引き廻されて、惰力のついたところで、抛り出されたやうに、船はいきほひづいて、滅入るやうに前にかゞんで、又ひとうねりの大波を乗つ越すと、瀬の水は白い歯を剥き出して、船底をがりがり噛み始める、水球が飛び散つて、舷側は平手で、ぴちやぴちや叩かれる音がする、腰の廻りへ、袴のやうにござを着て、鮎を釣つてゐる人が、水沫しぶきの中で掻き消されて、又しよツぱい顔が浮ぶ。
「親殺し」といふ崖の下で、水は油を流したやうに、澄んで、今までのさわぎは忘れたやうに、けろりととぼけてゐる。
かはらへついて廻したぞ」と、艫の方から声がかゝつたが、夕立のやうに、水がざわついて、小さな水球が、霧雨きりさめとなつて飛んで来たので、もう名高い天竜峡に入ツて来たと知つた、竜角峯とか、何々石とかいふ岩石が、水ですり磨され、覇王樹シヤボテンのやうに突ツ張つてむらがつてゐる、どの石もみんな深成岩しんせいがんと言はれてゐる花崗岩くわかうがんで、地殻の最下層の、岩骨が尖り出て、地下の神経を剥き出しにしてゐるのである、岸と岸との間は、おそらく十五米突メートルぐらゐな距離しかあるまいが、この並行線は、いつまでも一致しないで、喰ひ合はうとしては離れ、離れては又曲りくねつて、その間を玉虫のような、翡翠ひすいのやうな、青葡萄のやうな水が、すうい、すういと流れ、表をかへすと、雪のやうな白い裏地が見える、崖の骨に喰ひついて、萱草かんぞうの花が火を燈したやうに、黄色く咲いてゐる、船はもうハムモツクのやうに、空と水の境を揺られる。
 崖の出口の、寺が淵へ来ると、騒ぎくたびれた水は、しんとして、静まりかへる、それもしばしで、オハチへ来たころは、渦まく水が強い呼吸で、吹き分けられたやうに、落ち込みが出来て、浪の中に二三尺の穴が明く、船はその中へ吸ひ込まれさうになつて、大岩の曲り角へと突つかけて来ると、竹棹が崖へ飛びついて、弓のやうにしなふ、一人の船頭は櫂で舷をコトコト叩いて、上り船に信号をする、ざんざの水音と、コトコト叩く櫂の音が、入り乱れるが、その櫂の音は、力のない音響の一滴に過ぎなかつた、私はこの櫂で叩く音を、簡単な上り船への信号とのみ見たくない、チエンバレイン氏が「日本のアイノ」に描かれたやうに、水中の窪魔あまを、追ひ退けるため、水を追うて川を下りたといふおまじなひが、今でも無意識に伝はつてゐるのでは、あるまいかと考へた。
 コアゼの大滝へ来たときは、どんどろの水が、沸り落ちて、船は麻痺した身体が、動かない手足を、じたばたさせながら、何とも仕方ないやうに、立ちすくんでしまふ、舳先の船頭が、手練で舞はす櫂は、蜻蛉とんぼの薄羽のやうに、鮮やかにキラリと光つて水を切つても、船は水底の、世にも怖ろしい執念の力で、引き留められるやうに、行き悩む、中なる船頭が、木彫の仁王のやうな、力瘤の入つた筋肉を隆くして、丁字櫂を握つたまゝ、踏ん反り返り、合掌に引いてゐるのが、千曳の大岩でも、水底から引き上げるやうに力瘤が入る、水と船との死物狂ひの闘ひを、小面の憎いほど知らん顔して、煙管を横銜へに、竹の網を張りながら、こつちを瞰下してゐる男がゐる。
 竹棹で大きな白い岩を突かうとした船頭は、帽子を水の中に落して、あつと言ふ間もなく、塵芥のやうに、黒い点となつて、引ツたくられてしまつた。
 この辺の川は、むかしは大岩だらけで、いく船を打ち割つたものださうだが、今でも俵石などいふ巨大な岩塊が、水の上へ背を露はしてゐる、朝に一本の歯を抜かれ、夕に一本の角を折られるやうに、岩石は切り開かれて、川路は作られても、洪水や風雨が、後から後から、大小の石を転ばして来ては、一水もやらじとやうに、邪魔をする。
 大久保の長とろへ来たときは、水は湖沼のやうに、穏やかな、円かな夢でも見るか、ひつそりして、やんわりと大様な亀甲紋が、プリズムの断面を見るやうに、青硝子色をしてのんびりとひろがつてゐる、乗客たちは、安心したやうに、濡れた袂を絞るやら、マツチへ火をつけるやらしてゐる、銜へ煙管に膝を抱いて、ポカンと青い空を見てゐるのもある、竹棹の先の鳶口を、岩に引つかけ、船を右舷に傾斜させて置いて、船底の片隅を、溝をなして流れる閼伽水あかみづを、短い汲桶で、酌み出しては、川へ抛りこむ。
 大久保といふ村落のあるところを過ぎて、峡間がひらけたかと思ふと、あまり高くはないが、日本アルプス系の一峯が、遠い空に聳えてゐる、おもひ出せば、或時は夕暮の夏の、赫々たる入日に、鋼線はりがねが焼き切れるやうな、輝やきと光沢を帯びて、燃え栄つてゐたのも、是等の山々であつた、その山の白い頭を、いや白くして、白金プラチナの輝やきを帯びてゐた氷雪が、日の光と、生命の歓楽に、よどみを作つて、房々とした黒髪の長い処女の森を通り抜け、何千年となく無辜むこの生霊を葬つてゐる、陰惨たる洞窟から、滲み出て、異教徒のやうに、反抗の叫びを高くして、放浪児のやうに、刹那々々の短い歓楽を謳歌して、数千万の水球の群れが、山と山とに囲まれてゐる狭い喉を、我ちに、先を争つて通過してゆくのである、一分一秒は、白く泡立つ波と、せゝらぐ水の音に、記録されてゐる、凡ての雰囲気が、みんな水に化けてしまふかとばかりに、一団の雲とも、水蒸気ともつかぬ精力エネルギーになつて、吹つ飛んでゆく。
 谷川の水であるから、海にあるやうな深い水の魔魅まみはないかも知れない、けれどもまた海の水のやうに、半死半生の病人が、痩せよろぼひて、渚をのたうち廻つたり、入江に注ぎ入る水に、追ひ退けられたりする甲斐性なしとは違つて、冷たい空の下でも、すゞし絹のやうに柔らかに、青色の火筒ほやのやうに透明に、髪の毛までも透き通るまでに晶明に、地球上最も堅固な岩石の、花岡岩[#「花岡岩」はママ]をすら、齲歯むしばのやうにボロボロに欠きくづして、青色の光線を峡谷に放射し、反射して、心のまゝ、思のまゝに、進行する見事なる峡流カニヨンの姿は、豪奢な羽を精一杯にひろげて、烈々たる日光の下で、王者の舞ひを舞ふ孔雀の威よりも、大きく見える、私は水の青色と、絶え間のない流動の姿とで、沈欝な気分を圧伏され、神経を静かに慰安されたやうになつて、一枚のハンケチを顔の上にかぶせ、仰向きになつて、暫らく青空を見つめてゐた、それも眩ゆくなつたので、崖へ視線を落すと、崖には山百合の花が、白く点々として、芳烈な香気が川風に送られて、鼻腔へ入る、秋は紅葉が赤くなると、どのくらゐ美しいかと、土地の人らしいのが、自慢話をしてゐるのを、聞くともなく聞いてゐるうちに、自分ながら眼晴ひとみが、あやしく散大するやうで、凡ての物が※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ヴエールすかして、遠く小くなり、感覧があるのか、ないのか解らぬほど鈍くなり、恍惚として、夢ともなくうつゝともなく、寝てしまつたが、ちらりと光つた青色の水の姿で、目が冴えて、起き上つた。
 川はいま段落をして、船が引きずり卸されるやうに、下向きになつたかとおもふと、船頭たちは櫂の手を休めて、無抵抗主義に乗り越える、その時は爪先が立つて、前へめるやうな気がして、人々は思はず、荷の上の油紙を引き寄せ、腰から下へ、前垂代りにかけながら、水面の恐ろしい傾斜を、まざまざと正面に見せつけられた、「唐傘谷といつて、難所でさあ」と船頭は平気である。
 つゞいて茶々淵ちや/\ぶちの大難所が来る、水の多いところを避けて、船は右へ左へと、一個の肉体を、自由自在に運動の継続で、調節させるやうにして、Zの線を描いたり、蛇の舌をぺろぺろさせるやうに、突進して、鋭く迅く速力を出したりして、水の音楽と、姿態と、拍子とに、合奏させてゐたが、八間岩はちけんいはといふ大屏風を引き廻して、峡流カニヨンも横ざまに線を引いたやうに、一頓して落下する、もう峡流といふより、飛瀑と言つた方がいゝ、船頭はこゝで一人残らず、客ををかに上げてしまつた。ビシヨ濡れになつても、かまはぬと最後まで、残つてゐた私をも、追つ立てるやうにして、陸上の人としてしまつた。
 空に引き渡した鋼線はりがねに縋つて通ふ渡し舟を、見ながら、私たちは、河原の石コロ路を、二三町も歩いた、傘も下駄も、船の中へ置き去りにして、尻ッ端折になつて、炎天の焼石の上を、腫れ物に障るやうに足袋裸足で歩いてゐる乗客もある、河原には埃を浴びて白くなつた萱草かんぞうの花の蔭から、蜥蜴とかげの爬ひ出す影が、暑くるしく石に映る、今夜の泊りの「満島みつしままではまだ四里半もありやす」と、道伴れになつた[#「なつた」は底本では「なつは」]同船の客から聞いて、傘をさしかけ、かはらにしやがんで、下つて来る船を待つ、河原に焚火をした痕と見えて、焦げた薪や、灰が散らばつてゐる、溺死人でも、あつたんぢやないか知らんと思ふ。
 暫らく停まつて呼吸を入れてゐた船は、こつちを目がけて、走つて来る、難所中の難所といふ、やぐらの瀑へかゝつて来たときは、波から三尺ばかり船体が乗り出したと思ふと、水煙が噴水の柱のやうに立つて、船頭の黒い立像が、水沫しぶきの中から二体浮び出た、火影に映る消防夫の姿のやうに。
 乗客一同は又迎へられて、船中の人となつた、榎の渡しを横に見て、川田かはだ温田ぬくだの二村のあるところで、乗客は大体どつちかの村へ下りた、饂飩五函、塩一俵が岸に揚がつた、村近くなつて、峡流カニヨンも静かになり、米を舂く水車船も、どうやら呑気らしい、御供ほやといふ荒村にしばらく船をとゞめて、胡桃の大木の陰になつてゐる川添ひの、茶屋で、私たちは昼飯を食べた、下条村の遠州ゑんしう街道かいだうが、埃で白い路を一筋、村の中を通つてゐる、ここで、又残りの荷があらかた卸された。
 今まで峡流カニヨンには珍らしいほど、屈曲の少なかつた天竜川は、こゝで急な瀬と、深い淵を挟んで、大屈曲をしてゐる、崖は漆喰で固めたように、石を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)みつけ、それに根を下した紅葉の一枝が、紅をしてゐる、日は少し西へ廻つたと見えて、崖の影、峯巒ほうらんの影を、深潭にひたしてゐる、和知川わちがはが西の方からてら/\と河原をうねつて、天竜川へ落ち合ふ。
 両岸が円い石を束ねて、水はその中に狭められて流れてゐる、白壁の土蔵が、柳の樹の間から、ちらほら見える、船からは、酒樽を渚のほとりへ揚げ、船頭が口へ手を当てゝ、オーイと呼ぶ、岸の上から人が覗いて、何か言つてゐる、船頭は今朝の女から、言伝ことづかつた手紙を、樽の上へそつと置き、小石を重石代りに乗つけて、又船を川中へ押しやろうとすると、河原について、瀬が浅いので、がりがり言ふばかりで、動かない、二条の細引を舳先に括りつけ、二人して水の中へ入りながら、深いところまで船をおびき出して、動き調子がついたときに、手繰りながら船に躍り込む。
 川はエス字状に屈曲して、浅瀬と深淵と落ち合つて「捨粟の大曲り」を行く、左岸の峯は雲つくばかりに立ち上り、日の光も森にかくれて、燻んだやうに暗く、森の中には、枯木が巨大な動物の骨のやうに、散乱してゐる、崖から庇のやうに突き出た大石の上には、大木が根ぐるみ乗りかけてゐる、冷たい風が、川水を吹いて、裾から腋の下、背から襟へと、駈けめぐつて、そこら中をくすぐつて、振り返る姿を川波に残して、通りぬける。石から石の上を飛びめぐる鶺鴒せきれいと筋交ひに、舟は両崖の迫つた間の急湍を、櫂を休めて悠々と乗つ切る、川には筏に組む材木が漂ひながら岩に堰かれてゐる、王子製紙会社の紙の原料で、中部なかつぺの支社で、製するのだといふ。
 右岸から和田川を併せて、船はこよひの泊りの満島の土堤を仰ぎ、高い岸には屏風に張り交ぜた色紙のやうな畑を見るやうになつた、ふと眼の前にそゝり立つ大きな岩に、吸ひつけられさうになつて、櫂を斜に構へ、岩の根をコヂリ上げるやうにして、やつと放れたが、岩石が目まぐるしく多くなり、灘が急になつて、村とはいへ、船着きがよくない、やうやく船をもやつて、私は船頭におぶはれて、岸に着いた。
 白い土蔵が、山腹に見えて、水車がゴト/\うすづいてゐる、鶏が餌を捜してクッ/\啼いてゐる、傾斜のゆるい坂路の村の中には、荒物屋があつて、夾竹桃の花が、その庭に真ツ赤に咲いてゐる、導かれたのは村長で、旅宿屋はたごやを兼ねた田村為輔といふ人の宅で、離れ二階の広い座敷へ通された、良材を惜しげなく使つた建築で、畳も新しく、床の間には、七宝焼の瓶に、美しい草花が投げ込まれ、鹿の角の飾物や、金蒔絵の硯箱が置かれてある、静かな庭には、杉や、棕櫚や、柳のしなやかな枝振りなどが、今までの動揺した気分を鎮めてくれる、それに天竜川は深く落ち込んでゐるので、もう二階からは見えない、浴衣に着換へ、てすりに倚つてると、いへうしろには、峯を負ひ、眼の下には石を載せた板葺家根が、階段のやうに重なつて、空地には唐もろこしを縁に取つた桑畑が見える、苗代田が青く光つて、水はその間を、縦横に流れてゐる。
 谷の中が、黄な臭いやうに、ボーッと明るくなつたとおもふと、高い空を浮ぶ雲が、夕日を受けて、鈍い朱に染まつた、ひぐらしが、時間を一秒一秒刻み込んで、谷の中へ追ひ込んでゆくやうに、キ、キ、キと啼き落す、杉林の一本々々の樹が、どちらから寄るともなく、塊まつて、黒い法師のやうになつて、囁き合つてゐる。
 夜になると、こつちの岸と、向うの岸の半腹に、燈火が螢火のやうについて、神寂びた寺院の廻廊か、大森林の秘奥にともす法燈でもあるかのやうに、ひつそり閑となつて、その間に薬研やげんのやうな天竜の大峡谷があるともおもはれない。

上一页  [1] [2] [3] 下一页  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告