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オモチャ箱(オモチャばこ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 9:57:31  点击:  切换到繁體中文


          ★

 小田原の生家には亡夫のあとを守つて彼の母が孤独な生活をつゞけてゐる。まことに気丈な孤独生活で、長年小学校の訓導、男まさりの生活、そのうへ亡夫と一緒のころから孤独には馴れてゐた。なぜなら亡夫は外国航路の船長で、大部分は海で暮して、たまに帰ると家よりも青楼せいろうで深酌高唱、時にはまだ学生の庄吉をつれて出たまゝ倅まで青楼へ泊めてしまふていたらくで、亭主と顔を合せるたびに剣客が他流試合をするやうな長々の生活に馴れてきたのだ。
 亡夫の遺産は年端もゆかぬ庄吉がみるみる使ひ果し家屋敷は借金のカタにとりたてられ、執達吏はくる、御当人は逃げだして文学少女とママゴトみたいな生活して、原稿は売れず、酒屋米屋家賃に追はれて、逃げ廻り、居候、転々八方うろつき廻り、子供が病気だのと金をせびりにくる、彼女は長年の訓導生活で万金のヘソクリがあるからそれを見こんで庄吉が騙しにくるのだけれども、もう鐚一文びたいちもんやらないことにしてゐる。下宿を追はれ、どこかの居候もゐにくゝなると、小田原へ逃げのびてきて糊口をしのぎ、原稿をかいてどこかの部屋をかりる当がつくとサッサと飛びだすといふ習慣、恩愛の情など微塵もなく、たゞもうヤッカイ千万な奴だと思つてゐる。
 然しそのとき庄吉には都落ちを慰めてくれる非常に大きな希望があつた。それは東都の第一流の大新聞が連載小説を依頼してくれたからで、近頃では新聞の連載などではカストリもろくに飲めないけれども、そのころの新聞連載、それも彼の依頼を受けた第一流の新聞ともなれば、生活は一気に楽になる。
 庄吉は孤高の文学だのストア派などゝ言はれ当人もその気になつてゐたが、実際の心事はさうではなくて、何よりも金が欲しい。貧乏はつらいのだ。そのくせ武士は食はねど高楊子、金なんか何だい、たゞ仕事さへすりやいゝんだ、静かな部屋、女房子供に患はされぬ閑居があれば忽ち傑作が出来あがるやうな妄想的な説を持してゐる。
 彼は然し実際は最も冷酷な鬼の目をもち、文学などはタカの知れたもの、芸術などゝいふと何か妖怪じみた純粋の神秘神品の如くに言はれるけれども、ゲーテがたまたまシエクスピアを読み感動してオレも一つマネをしてと慌てゝ書きだしたのが彼の代表的な傑作であつたといふぐあいのもの、古来傑作の多くはお金が欲しくてお金のために書きなぐつて出来あがつたものだ、バルザックは遊興費のために書き、チエホフは劇場主の無理な日限に渋面つくつて取りかゝり、ドストエフスキーは読者の好みに応じて人物の性格まで変へ、あらゆる俗悪な取引に応じて、その俗悪な取引を天来のインスピレーションと化し自家薬籠の大活動の源と化す才能をめぐまれてゐたにすぎない。通俗雑誌の最も俗悪な注文に応じても、傑作は書きうるもの、さういふことを彼は内実は知つてゐた。
 事実に於て文学はさういふものだ。自由といふものは重荷なもので、お前の自由に存分の力作をたのむ、と言はれると却つて困却することが多い。本当に書きたいもの、書かずにゐられぬものはさう幾つもあるものではないからだ。だから、通俗雑誌などから注文をつけられたり、こんなことを書いてくれと言はれると、却つてそれをキッカケに独自な作家活動が起り易いもの、なぜなら、作家は自分一人であれこれ考へてゐる時は自分の既成の限界に縛られそこから出にくいものであり、他から思ひも寄らない糸口を与へられると、自分の既成の限界をはみだして予測し得ざる活動を起し新らたな自我を発見し加へることができ易いからだ。だから、誰からもうるさいことを言はれず、家庭のキヅナを離れ、思ふ存分に傑作を書きたいなどゝは空疎な念仏にすぎず、傑作は鼻唄まじりでも喧噪の巷に於ても書きうるもの、閑静な部屋でジックリ腰でもすへればそれで傑作が書けるといふやうな考へは悲惨な迷信だ。
 同様に亦、名も金もいらない、たゞ存分に、良心的な仕事を、などゝいふ精神主義も最も文学を誤るもので、作家が持てる才能を全的に発揮するには心の励みが必要で、名や金は要するに心の励みだ。心に励みがなければ、いかほど大才能に恵まれてゐても、それを全的に発揮することはできない。ドストエフスキーほどの大天才でも、いつたん世間の黙殺にあふと二十年近く、まつたく愚作の連続、いたづらに人を模倣し、右コ左ベン、全然自分の力量を現し得ない。落伍者ほどウヌボレの強いものはないが、ウヌボレと自信は違つて、自信は人が与へてくれるもの、つまり人が自分の才能を認めてくれることによつて当人が実際の自信を持ち得るもので、ドストエフスキーほどの大天才でも人々に才能を認められ名と金を与へられて、はじめて全才能を発揮しうる自信に恵まれることができた。
 無名作家が未来の希望に燃えて精進没入するのと違つて、庄吉の如くにいつたん一応の文名を得ながら、いつまでたつてもウダツがあがらず、書く物は概ね金にならず、雑誌社へ持ちこんでも返されてしまふ。さういふ生活がつゞいては自信を失ひ、迷ふばかりで、ウヌボレばかり先に立ちいたずらに力みかへつて精進潔斎、創作三昧、力めば力むほど空疎な駄文、自我から遊離した小手先だけ複雑な細工物ができあがるばかり、苦心のあげくにこしらへものゝ小説ばかりが生まれてくる。
 庄吉は近代作家の鬼の目、即物性、現実的な眼識があるから、もとより這般しやはんの真相は感じもし、知つてもゐた。そのくせ時代の通念がその自覚に信念を与へてくれず、自信がなくて、彼は徒らに趣味的な文人墨客的気質の方に偏執し、真実の自我、文学の真相を自信をもつて知り得ない。
 だから金が欲しくてたまらなくとも、通俗雑誌には書かないとか、雑文を書いちやいけないとか、注文をつけてきたからイヤだとか、まことの思ひとウラハラなことを言つて、徒らに空虚に純粋ぶる。
 東都第一流の大新聞から連載小説の依頼を受けて、燃え上るごとくに心が励んだけれども、子供の学校のこと、女房のこと、オフクロの顔を見てたんぢや心が落付かないんだ、下らぬ文人気風の幻影的習性に身を入れて下らなく消耗し、ともかく小田原の待合の一室を借りて日本流行大作家御執筆の体裁だけとゝのへたが、この小説が新聞にのり金がはいるのが四五ヶ月さきのこと、出来が悪くて掲載できないなどと云つたらこの待合の支払ひを如何にせん、そんなことばかり考へて、実際の小説の方はたゞ徒らに苦吟、遅々として進まない。
 せつかく燃えひらめいた心の励みも何の役にも立たなくなり、いつたん心が閃いたゞけ、遅々として進まなくなり、わが才能を疑りだすと、始めに気負つた高さだけ、落胆を深め、自信喪失の深度を深かめる。徒らに焦り、たゞもう、もがきのたうつ如く心は迷路をさまよひ曠野をうろつく。
 元々彼の近作はその根柢に於て自我の本性、現実と遊離し苦吟の果の細工物となり、すでにリミットに達してゐた。このリミット、この殻を突き破り一挙にくづして自我本来の作品に立ち戻るにはキッカケが必要で、それには心の励みが何よりの条件になるものであるのに、天来の福音をむざむざ逃して、今では福音のために却つて焦りを深め、落胆をひろげ、心を虚しくしてしまつた。
 待合の一室に無役に紙を睨んで、然しうはべは大新聞御連載の大作家、膝下に参ずる郷里の後輩共を引見して酒、酔つ払つてむやみに威張つて、おい大金がはいるんだから心配するな、むかしの三枝さんと違ふんだからな、酒はどうも胃にもたれていけねえ、ウヰスキーはねえか、オールドパアがいゝんだ、などゝ泥酔して家へ帰る。女房柳眉を逆立てゝ、
「どこをノタクッて飲んでくるのよ。お米やお魚を買ふお金をどうしてくれるの。それを一々おッ母さんに泣きついて貰つてこなきやアいけないの。おッ母さんから貰つてくるなら、あなたが貰つてきてちやうだい。さもなきや、私はもう小田原にはゐないから」
「何言つてやあんだ。行くところがあつたらどこへでも行きやがれッてんだ」
 然し胸の底では彼の心は一筋の糸の如くに痩せるばかり、小説を如何にせん、もはや書きつゞける自信もない、待合の支払ひ、連日の酒代を如何にせん、この機会にして書き得なければもはや文学的生命の見込みもない、この切なさを何処どこに向つてもらすべき。
 酔ひからさめれば、女房のくりごとも胸にくひこむ。いくらでもないお魚の代金まで母に泣きつく女房のせつなさ、もとより彼自身のせつなさなのだ。心配するな、金策してくる。そこで雑文を書き上京して雑誌社をまはり、三拝九拝ねばりぬいて何がしの金を手に入れる、友だちとお茶をのんで、なんしろ一枚のヒモノを買ふ金もないてんで女房の奴怒り心頭に発して、などゝ白昼は大いにケンソンしてお茶をなめてゐるけれども、夕頃に近づくと、どうも飲まずに汽車にのるのはテレちやうな、ちよつとだけ飲もう、そこでちよつと飲む、まアいゝや、今の汽車は通勤の帰りの人でこんでるからなどゝ、終列車で深夜に帰る。泥酔して、よろめき、ころがり、泥にまみれて、無一文、おまけに襟のあたりに口紅がついてゐる。
「この口紅は何よ」
「アハハハ。バレたか。アハハハ。それは疑雨荘のマダムに可愛がられちやつたんだ。アハハ」
 本当は新橋の片隅の横丁のインチキバアで人喰人種の口のやうな女にかぢりついて貰つたのだが、貧し貪すれば残るものは弱い者いぢめの加虐癖ぐらゐのもの、しすましたりと嬉しさうにダラシなく笑つて、かう言ふ。女房は烈火の如く憤り、気も顛倒した。彼女は宿六とマダムの交際の真相については露いさゝかも知らないのだから、貧苦に追はれて流浪十幾年、積年の怨み、重なる無礼、軽蔑、カンニンブクロの緒が切れた。
 翌日早朝、手廻りのものを包みに人気のない小田原の街を蹴るが如くに停車場へ、上京して、宿六の弟子の大学生浮田信之を訪ねてワッと泣いた。
 この大学生はこの前の失踪中もちよつと泣きに行つて色々といたはられ、失踪からの帰りには一緒についてきてくれて宿六にあやまつてくれたのである。ところがまだ大学生のことだから、一番ありふれた俗世の実相がわからない。夫婦喧嘩は犬も食はないと云つて、昔から当事者以外は引込んでゐるべき性質のものだが、彼はすつかり女房の言ふことをマに受けて、失踪帰りの女房について送つてきたとき、先生、変な女にひつかゝるの言語道断などゝ一人前に口上をのべて先生を怒らせてしまつたものだ。
 そこで鬱憤もあるところへ、再び女房がワッと泣きこんできたから、大いに同情し、行くところがないから泊めて、と言ふが、すねカヂリの大学生では両親の手前も女は泊められない、そんなら一緒に旅館へ泊りに行きませうと、元々その気があつてのことで、手に手をとつて失踪してしまつた。
 一週間すぎても帰らない。庄吉もまつたく狼狽して実家へ問ひ合せたがそこにも居らず、探してみると浮田信之と失踪してゐることが分つた。浮田の父親は仰天して庄吉の前に平伏し、倅めを見つけ次第刀にかけても成敗してお詫び致します、マアマア、そんな手荒なことはなさつてはいけません、と彼もその時は大人らしく応待したが、さてその日から、彼は一時に懊悩狂乱、神経衰弱となり、にはかに顔までゲッソリやつれ、癈人の如くに病み衰へてしまつた。

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