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風と光と二十の私と(かぜとひかりとはたちのわたしと)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-5 10:02:44  点击:  切换到繁體中文


       ★

 私はそのころ太陽というものに生命を感じていた。私はふりそそぐ陽射しの中に無数の光りかがやく泡、エーテルの波を見ることができたものだ。私は青空と光を眺めるだけで、もう幸福であった。麦畑を渡る風と光の香気の中で、私は至高の歓喜を感じていた。
 雨の日は雨の一粒一粒の中にも、嵐の日は狂い叫ぶその音の中にも私はなつかしい命を見つめることができた。樹々の葉にも、鳥にも、虫にも、そしてあの流れる雲にも、私は常に私の心と語り合う親しい命を感じつづけていた。酒を飲まねばならぬ何の理由もなかったので、私は酒を好まなかった。女の先生の幻だけでみたされており、女の肉体も必要ではなかった。夜は疲れて熟睡した。
 私と自然との間から次第に距離が失われ、私の感官は自然の感触とその生命によって充たされている。私はそれに直接不安ではなかったが、やっぱり麦畑の丘や原始林の木暗い下を充ちたりて歩いているとき、ふと私に話かける私の姿を木の奥や木の繁みの上や丘の土肌の上に見るのであった。彼等は常に静かであった。言葉も冷静で、やわらかかった。彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。
 だが私は何事によって苦しむべきか知らなかった。私には肉体の慾望も少なかった。苦しむとは、いったい、何が苦しむのだろう。私は不幸を空想した。貧乏、病気、失恋、野心の挫折、老衰、不知、反目、絶望。私は充ち足りているのだ。不幸を手探りしても、その影すらも捉えることはできない。叱責を怖れる悪童の心のせつなさも、私にとってはなつかしい現実であった。不幸とは何物であろうか。
 然し私はふと現れて私に話しかける私の影に次第に圧迫されていた。私は娼家へ行ってみようか。そして最も不潔なひどい病気にでもなってみたらいいのだろうか、と考えてみたりした。
 私のクラスに鈴木という女の子がいた。この子の姉は実の父と夫婦の関係を結んでいるという隠れもない話であった。そういう家自体の罪悪の暗さは、この子の性格の上にも陰鬱な影となって落ちており、友達と話をしていることすらめったになく、浮々と遊んでいることなどは全くない。いつも片隅にしょんぼりしており、話しかけるとかすかに笑うだけなのである。この子からは肉体が感じられなかった。
 私は不幸ということに就て戸惑いするたびに、この十二の陰鬱な娘の姿を思い出した。
 石津という娘と、山田という娘がいた。私はこの二人は生理的にももう女ではないのだろうかと時々疑ったものだが、石津の方は色っぽくて私に話しかける時などはびるような色気があったが、そのくせ他の女生徒にくらべると、嫉妬心だの意地の悪さなどは一番すくなく、ただやがてもてあそばれるふくよかな肉体だけしかないような気がする。これも余り友達などはない方で、女の子にありがちな、親友と徒党的な垣をつくるようなことが性格的に稀薄なようだ。そのくせ明るくて、いつも笑ってポカンと口をあけて何かを眺めているような顔だった。
 山田の方は豆腐屋の子で、然し豆腐屋の実子ではなく、女房の連れ子なのである。その妹と弟は豆腐屋の実子であった。この娘は仮名で名前だけしか書けない一人で、女の子の中で最も腕力が強い。男の子と対等で喧嘩をして、これに勝つ男はすくないので、身体も大きかったが、いつも口をキッと結んで、顔付はむしろ利巧そうに見える。陰性というのとも違う、何か思いつめているようで、明るさがなく、全然友達がない。喋ることに喜びを感じることがないように人と語り合うことがすくなく、それでも沈黙がちに遊戯の中へ加わって極めて野性的にとび廻っている。笑うことなどはなく、面白くもなさそうだが、然し跳ね廻っている姿は他の子供に比べると格段にその描きだす線が大きく荒々しく、まったく野獣のような力がこもっていて、野性がみちていた。そのくせ色気が乏しい。大胆不敵のようだが、実際は、私は他の小さなたわいもない女生徒の方に実はもっと本質的な女自体の不敵さを見出していたもので、嫉妬心だの意地の悪さだの女的なものが少いのである。今は早熟の如くでも、すべてこれらの子供達が大人になったときには、結局この娘の方が最後に女から取り残され、あらゆる同性に敗北するのではないかと私は思った。
 この娘の母親がある一夜私を訪ねてきたことがある。この娘の特別の事情、つまり、何人かの妹弟の中でこの娘だけが実子でないために性格がひねくれていることを説明して、父母の方では別に差別はしていないのだから、もっと父に打ちとけるように娘にさとしてくれというのだ。この母親は淫奔な女だという評判で、まったく見るからに淫奔らしい三十そこそこの女であった。いや、ひねくれてはおりません、と私は答えた。ひねくれたように見えるだけです。素直な心と、正しいものをあやまたずに認めてそれを受け入れる立派な素質を持っています。私の説教などは不要です。問題はあなた方の本当の愛情です。私がいちばん心配なのは、あの娘は、人に愛される素質がすくない。女として愛される素質がすくない。ひねくれのせいではないのです。あの娘は人に愛されたことがないのではありませんか。先ず親に、あなた方に愛されたことがないのではありませんか。私に説教してくれなんて、とんでもないお門違いですよ。あなたが、あなたの胸にきいてごらんなさい。
 この母親はちっとも表情を表わさずに、私の言葉をとりとめのない漠然たる顔付できいていた。これも仮名で名前しか書けない一人だろうと私は思った。ただ、子供とはあべこべに、徹頭徹尾色っぽく、肉慾的だ。最も女であった。その淫奔な動物性が、娘の野性と共通しているだけだった。娘は大柄であるのに、母親はひどく小柄であった。顔はどちらも美人の部類である。二三分だまっていたが、やがてひどく馴れ馴れしく世間話をして帰って行った。
 鈴木と並べて石津と山田を私は思いだす習慣になっていた。この三人の未来には不幸のみが待ち構えているように思われてならない。私は不幸というものを、私自身に就てでなしに、生徒の影の上から先ず見凝みつめはじめていたのだ。その不幸とは愛されないということだ。尊重されないということだ。石津の場合はただオモチャにされ、私はやがて娼婦となって暮している喜怒哀楽の稀薄な、たわいもない肉塊を想像した。私は実際の娼家も娼婦も知らなかったが、まったく小説などから得たものの中で現実を組み立てていたのである。然し私の予感は今でも当っていたように考えている。
 石津は貧しい家の娘で、その身体にはいっぱいしらみがたかっていた。外の子供がそう云って冷やかす。キリリと怒るような顔になるが、やがて又たわいもない笑い顔になってしまう。善良というよりも愚かという魂が感じられる。読み書きはともかく出来て、中くらいの成績なのだが、人生の行路では、仮名も知らない女よりも処世にうとくて、要するに本当の生長がないような愚な魂がのぞけて見えるのだ。そのくせ、ひどく色っぽい。ただ、それだけだ。
 私は先生をやめるとき、この娘を女中に譲り受けて連れて行こうかと思った。そうして、やがて自然の結果が二人の肉体を結びつけたら、結婚してもいいと思った。まったくこれは奇妙な妄想であった。私は今でも白痴的な女に妙にかれるのだが、これがその現実に於けるはじまりで、私は恋情とか、胸の火だとか、そういうものは自覚せず、極めて冷静に、一人の少女とやがて結婚してもいいと考え耽っていたのである。
 私は高貴な女先生の顔はもうその輪郭すらも全く忘れて思い描くよしもないが、この三人の少女の顔は今も生々しく記憶している。石津はオモチャにされ、踏みつけられ、しいたげられても、いつもたわいもなく楽天的なような気がするのだが、むろん現実ではそんな筈はない。虱たかりと云われて、やっぱり一瞬はキリリとまなじりを決するので、踏みしだかれて、路上の馬糞のようにあえいでいる姿も思う。私の予感は当っていて、その後娼家の娼婦に接してみると、こんな風なたわいもない楽天家に屡々しばしばめぐりあったものである。

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