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緑の芽(みどりのめ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-6 9:34:08  点击:  切换到繁體中文

底本: 佐左木俊郎選集
出版社: 英宝社
初版発行日: 1984(昭和59)年4月14日

 

   一

 弾力に富んだ春の活動は、いたるところに始まっていた。
 太陽は燦爛(さんらん)と、野良(のら)の人々を、草木を、鳥獣を、すべてのものを祝福しているように、毎日やわらかに照り輝いた。農夫は、朝早くから飛び起きて、長い間の冬眠時代を、償おうとするかのように働いていた。
 菊枝はまだ床の中で安らかな夢に守られているらしかった。父親は、朝飯前にと、近所へ出掛けたきり、陽(ひ)は既に高く輝いているのにまだ戻らなかった。祖父は炉端(ろばた)で、向こう脛(ずね)を真赤(まっか)にして榾火(ほだび)をつつきながら、何かしきりに、夜更(ふ)かし勝ちな菊枝のことをぶつぶつ言ったり、自分達の若かった時代の青年男女のことを呟(つぶや)いていた。そして時々思い出したように、どうしても我慢がならねえ……と言うように、菊枝の眠っている部屋の方へ、太いどら声で呼びかけた。
「菊枝! 菊枝! もう、午(ひる)になってはあ! もう、てえげに起きだらいかべちゃは。」
 こう祖父は、幾度となく呼び起こした。けれども、彼女は、すやすやと眠っているらしく、なんとも答えなかった。
 彼女が自分自身の時間を惜しむ近頃の癖(くせ)から、もう一つは口やかましい祖父に対する反感から、眠り果てぬ眠りを装(よそ)うているのだということは、祖母も母も感付いていた。が、母は、彼女の真実の母でないという遠慮から、彼女を起こしに行くだけの大胆さはなかった。祖母はまた、軒の下や庭に散らばっている塵を掃き蒐(あつ)めながら、揺り起こしに行こうか、いま揺り起こしに行こうかと思いながらも、また一方では、自分の娘以上に手をかけて育てた子供だけに、ただの一分間でも余計にじっと寝かして置きたいような気がした。
「本当に、今時の娘達は気儘(きまま)なもんだ。」
 祖父はとうとう独り言を始めた。
「夜は夜で、夜業(よなべ)もしねで、教員の試験を受けっとかなんとかぬかして、この夜短かい時に、いつまでも起きてがって、朝は、太陽(おてんとさま)が小午(たぼこ)になっても寝くさってがる。身上(しんしょう)だって財産(かまど)だって、潰(つぶ)れてしまうのあたりめえだ……」
 彼女の継母(ままはは)は、祖父のこの呟(つぶや)きを、快く聞き流しながら、背中に小さな子供を不格好に背負い込んで囲炉裏(いろり)で沢山の握り飯を焼いていた。
 祖母は戸外から這入(はい)ってきて、あまりにも口やかましい祖父に、不機嫌な視線を投げかけた。併し、祖父はそれどころではなかった。もう既に焼き飯も焼けているのに、菊枝が起きてこないと言うだけのことで、魚を漁(と)りに行く時間が遅くなるのに、まだ朝飯にならないのだから。子供達も、学校の時間に急(せ)きたてられながら、飯になるのばかりを待っていた。
「学校さ行く小児(こども)も、やきもきしていんのに……」
 祖父は最後にこう呟いて、真赤にやけた向こう脛(ずね)を一撫(ひとな)でして腰を伸ばした。そして、菊枝を蹴起こしてやるというような意気込みで、彼女の寝ている部屋に這入って行った。

     二

 みんなが食卓のまわりを襤褸束(ぼろたば)を並べたように取り巻いて、いざ食事にかかろうとしているところへ、彼女の父親が他所(よそ)から帰ってきた。みんなは彼を眼で食卓の傍(そば)へ招いた。
 父親は近所での見聞を、断片的にものがたりながら食卓に就いたが、食事にとりかかってその種(たね)を失った。祖父は重い口調で命令的に訴えた。
「松三。少し菊枝さ、言ってきかせて置がせえちゃ。俺言ったて、馬の耳さ念仏だから……」
 祖父はこう切り出して松三の顔を見、菊枝の表情(かおいろ)に見入り……。
 菊枝の頬はほんのりと紅がさして、自然に項垂(うなだ)れてしまった。そして彼女は、まるで飯粒を数えるように、飯粒の上に、箸の上に、小さな動作を繰り返した。
「まだ初稼ぎだで、山仕事で疲れてんのがと思えば……」
 祖父は容赦(ようしゃ)なく続けた。
「この忙し時、朝っぱらから、寝床の中で、書物を見てがるんだから……本当に呆(あき)れだもんだ。」
 松三は、けれども何も言わなかった。――そんなこと、別に腹立てる程のことでもあるまい――そんな表情で飯をかき込んだ。菊枝は、全く済まないことをしたと言うように、そのまま消えてもしまいたいと言うように、ほんのり、顔を赤らめて、息を殺して碗(わん)に盛った飯をもてあましていた。
「こんなことは、俺が言わなくたって……松三はなんと思うか知らねえが。俺は、百姓の娘(こ)がこんなごっては……」
 祖母が横から、祖父の顔を睨(にら)むようにして、そして祖父の言葉尻を捉えるように言った。
「そんなこと言ったって、爺(じん)つあまや。何しろまだ十六だもの……裁縫(てど)習(なれ)えにもやんねえのだもの、考(かんげ)えで見ればこのわらしも……」
 祖母はまず自分自身の哀れなオールライフを涙含(ぐ)ましく思った。
「考(かんげ)えで見れば、可哀想ださ。ほんでも、朝っぱらから、寝床の中で、書物を読んでるなんて、百姓の娘が……」
「学校の先生様になんのだぢゅうもの、何、いがすぺちゃ」と、黙り続けていた継母が突然口を入れた。
 松三は食事の間、一言も口をきかなかった。食事が済むと、しかし悠長に煙管(きせる)をくわえて、何事をおいても、この事を解決してしまわねばならないというような表情で、けれども、全く落ち着き払った態度で……。
「菊枝! 台所が済んだら、ちょっとここさ来(こ)うまず。」
 菊枝は台所からおどおどしながら出てきて、窮屈な雪袴(ゆきばかま)の膝を板の間に折った。
 父親は、掌(てのひら)でぽんぼんと煙草の吸い殻を落として、眤(じ)っと、項垂(うなだ)れた菊枝の顔を凝視(みつ)めた。
「菊枝! 貴様は、年も行かねえのに、いろいろど気がついて働いでくれで、仲々感心な奴だと思っていだら、もっての外の考えをもっていんなや?」
 菊枝は、黙々として項垂(うなだ)れ続けた。祖父は幾分後悔の気持ちで刻(きざ)み煙草を燻(くゆ)らし続けていたし、祖母はかばってやらねばならぬ折を、おどおどしながら待っていた。
「今までは本当に、全く感心な奴だと思っていたのに……今からは、そんなごってはなんねだでや。この通り、俺家(おらえ)ど言うもの、稼ぐ者ってば、俺とお前ばかりだべ。母(がが)は母で病身だし、他(ほか)は、年寄りわらしばんだ。――そして、貴様になど、どんなことあったって、受かりこなどねえんだ。毎日それにばり一年もぶっ続け勉強した、かしゅくさんせえ、落第したんだもの。」
「百姓の子は……」祖父が突然口を入れた。「みっしり百姓のごとを習って、いいどこさ嫁に行けば、それでいいんだ。学(がく)で飯を食うべと思わねえで……」
「そんな、柄(がら)であんめえちゃ。」
 継母は台所の方から出てきて、罵(ののし)りを含んだ微笑に口を歪(ゆが)めながら言った。
 菊枝はその言葉がぎくりと胸にこたえた。が、彼女はちらりと睨むような視線を走らせたきり、尚も項垂れて黙り続けた。
「ようく聞いて置いでな、菊枝! 今おめえに稼ぎを休まれたら、父(ちゃん)が一人で、どうもこうもなんねえんだから……」
 こう言う祖母の表情は、ことにその眼は、菊枝の心に温(あたた)かな、しかも涙ぐましい影を落とした。
「そんでもこんでも、試験を受げて見っと言うのなら仕方がねえげっとも、ほんどき、旅費も何も自分で心配(すんぺえ)しんだでや。俺は、不賛成なごどには金ば出さねえがら……」
 父はこう言って煙管を敲(たた)いた。
「そんなごと無(ね)えんだから、早く稼ぎさ行ぐ支度をしてはあ……」
 祖母は傍らから、庇護(かば)うように言った。
 菊枝は渋々と立ち上がって、だが、すぐに山ゆきの支度にかかった。

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