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アッシャー家の崩壊(アッシャーけのほうかい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 6:34:58  点击:  切换到繁體中文

底本: 黒猫・黄金虫
出版社: 新潮文庫、新潮社
初版発行日: 1951(昭和26)年8月15日、1995(平成7)年10月15日89刷改版
入力に使用: 1997(平成9)年第93刷
校正に使用: 1998(平成10)年8月20日第94刷

 

アッシャー家の崩壊

THE FALL OF HOUSE OF USHER

エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe

佐々木直次郎訳




Son coeur est un luth suspendu;
Sit※(サーカムフレックスアクセント付きO小文字)t qu'on le touche il r※(アキュートアクセント付きE小文字)sonne.
「彼が心はかれる琵琶びわにして、
触るればたちまち鳴りひびく」
ド・ベランジュ
[#改ページ]


 雲が重苦しく空に低くかかった、ものい、暗い、寂寞せきばくとした秋の日を一日じゅう、私はただ一人馬にまたがって、妙にものさびしい地方を通りすぎて行った。そして黄昏たそがれの影があたりに迫ってくるころ、ようやく憂鬱ゆううつなアッシャー家の見えるところへまで来たのであった。どうしてなのかは知らない――がその建物を最初にちらと見たとたんに、堪えがたい憂愁の情が心にしみわたった。堪えがたい、と私は言う。なぜならその感情は、荒涼とした、あるいはものすごい自然のもっとも峻厳しゅんげんな姿にたいするときでさえも常に感ずる、あの詩的な、なかば心地よい情趣によって、少しもやわらげられなかったからである。私はの前の風景をながめた。――ただの家と、その邸内の単純な景色を――荒れはてた壁を――眼のような、ぽかっと開いた窓を――少しばかり生いしげった菅草すげぐさを――四、五本の枯れた樹々きぎの白い幹を――眺めた。阿片耽溺者あへんたんできしゃの酔いざめ心地――日常生活への痛ましい推移――夢幻のとばりのいまわしい落下――といったもののほかにはどんな現世の感覚にもたとえることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、いたみ、――どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。なんだろう、――私は立ち止って考えた、――アッシャー家を見つめているうちに、このように自分の心をうち沈ませたものはなんだろう? それはまったく解きがたい神秘であった。それからまた私は、もの思いに沈んでいるとき自分に群がりよってくる影のようないろいろの妄想もうそうにうち勝つこともできなかった。で、そこにはたしかに、我々をこんなにも感動させる力を持ったまことに単純な自然物象の結合があるのだが、その力を分析することは我々の知力ではとてもかなわないのだ、という頼りない結論に落ちるより仕方なかった。また、この景色の個々の事物の、つまりこの画面のこまごましたものの、配置をただ変えるだけで、もの悲しい印象を人に与える力を少なくするか、あるいはきっと、すっかり無くなすのではあるまいか、と私は考えた。そこでこの考えにしたがって、この家のそばに静かな光をたたえている黒い無気味な沼のけわしい崖縁がけぶちに馬を近づけ、灰色の菅草や、うす気味のわるい樹の幹や、うつろな眼のような窓などの、水面にうつっている倒影を見下ろした、――が、やはり前よりももっとぞっとして身ぶるいするばかりであった。
 そのくせ、この陰鬱な屋敷に、いま私は二、三週間滞在しようとしているのである。この家の主人、ロデリック・アッシャーは私の少年時代の親友であったが、二人が最後に会ってからもう長い年月がたっていた。ところが最近になって一通の手紙が遠く離れた地方にいる私のもとへとどいて、――彼からの手紙であるが、――それは、ひどくせがむような書きぶりなので、私自身出かけてゆくよりほかに返事のしようのないようなものであった。その筆蹟ひっせきは明らかに神経の興奮をあらわしていた。急性の体の疾患のこと――苦しい心の病のこと――彼のもっとも親しい、そして実にただ一人の友である私に会い、その愉快な交遊によって病をいくらかでも軽くしたいという心からの願いのこと――などを、彼はその手紙で語っていた。すべてこれらのことや、なおそのほかのことの書きぶり――彼の願いのなかに暖かにあらわれている真情――が、私に少しのためらう余地をも与えなかった。そこで私は、いまもなおたいへん奇妙なものと思われるこの招きに、すぐと応じたのである。
 子供のころ二人はずいぶん仲のよい友達ではあったが、私は実のところ彼についてはほとんど知らなかった。彼の無口はいつも極端で、しかも習慣的であったのだ。だが私は、ごく古い家がらの彼の一家が、遠い昔から特別に鋭敏な感受性によって世に聞えていて、その感受性は長い時代を通じて多くの優秀な芸術にあらわれ、近年になっては、それが音楽理論の正統的なたやすく理解される美にたいするよりも、その錯綜さくそうした美にたいする熱情的な献身にあらわれているし、また一方では、幾度もくりかえされた莫大ばくだいな、しかし人目にたたぬ慈善行為にあらわれている、ということは知っていた。また、アッシャー一族の血統は非常に由緒ゆいしょあるものではあるが、いつの時代にも決して永続する分家を出したことがない、いいかえれば全一族は直系の子孫だけであり、ごく些細ささいなごく一時的の変化はあっても今日まで常にそうであった、というまことに驚くべき事実をも知っていた。その屋敷の特質と、一般に知られているこの一家の人々の特質とが、完全に調和していることを思い浮べながら、また数世紀も経過するあいだにその一方が他方に与えた影響について思いめぐらしながら、私は次のように考えた、――この分家がないということと、世襲財産が家名とともに父から子へと代々よそへれずに伝わったということのために、とうとうその世襲財産と家名との二つが同一のものと見られて、領地の本来の名を「アッシャー家」という奇妙な、両方の意味にとれる名称――この名称は、それを用いる農夫たちの心では、家族の者と一家の邸宅との両方を含んでいるようであった――のなかへ混同させてしまったのではなかろうか、と。
 私のいささか子供らしい試みの――沼のなかをのぞきこんだことの――唯一ゆいいつの効果がただ最初の奇怪な印象を深めただけであったことはすでに述べた。私が自分の迷信――そういってはいけない理由がどこにあろう? ――の急速に増してゆくことを意識していることが、かえってますますそれを深めることになったということは、なんの疑いもないことだ。こんなことは、前から知っていたことだが、恐怖を元としているすべての感情に通ずる逆説的な法則である。そして、私が池のなかにうつっている家の影からふたたび本物の家に眼を上げたとき、自分の心のなかに一つの奇妙な空想のき起ったのも、あるいはただこの理由からであるかもしれない。――その空想というのは実は笑うべきもので、ただ私を悩ました感情の強烈な力強さを示すためにしるすにすぎない。私は想像力を働かして、この屋敷や地所のあたりには、そこらあたりに特有な雰囲気ふんいき――大空の大気とはちっとも似てない、枯木や、灰色の壁や、ひっそりした沼などから立ちのぼる雰囲気――どんよりした、のろい、ほとんど眼に見えない、鉛色の、有毒で神秘的な水蒸気――が一面に垂れこめているのだ、とほんとうに信ずるようになったのである。
 夢であったにちがいない、こんな気持を心から振りおとして、私はもっと念入りにその建物のほんとうの様子を調べてみた。まず、その第一の特徴はひどく古いということであるらしい。幾時代もたっているのでまったく古色蒼然そうぜんとしていた。微細な菌が、こまかにもつれた蜘蛛くもの巣のようになってのきから垂れさがり、建物の外側一面をおおいつくしている。しかし、こんなことはみな、ひどく破損しているということではない。石細工のどの部分も崩れたところはなかった。そしてその各部分がまだ完全にしっくりしていることと、一つ一つの石のぼろぼろになった状態とのあいだには、妙な不調和があるように見えた。その有様を見ているとなんとなく、どこかのうち捨てられたあなぐらのなかで、外気にあたることもなく、永年のあいだ朽ちるがままになっていた、見かけだけはそっくり完全な、古い木細工を思い出させるのであった。しかし、この広大な荒廃のきざしのほかには、その建物はべつにもろそうな有様をほとんど示していなかった。ただおそらく、念入りに観察する人の眼には、ほとんど眼につかないくらいの一つのひびわれが、建物の前面の屋根のところから電光状に壁をいさがり、沼の陰気な水のなかへ消えているのを、見つけることができたであろう。
 こんなことに眼をとめながら、私は短い土手道を家の方へと馬を進めた。そして待ち受けていた召使に馬をとらせると、玄関のゴシック風の拱廊きょうろうに入った。そこからはしのび足の侍者が、無言のまま、多くのうす暗い入り組んだ廊下を通って主人の書斎へと私を導いた。その途中で出会った多くのものは、なぜかは知らないが、前に述べたあの漠然ばくぜんとした感情を高めるだけであった。私のまわりの事物が――天井の彫刻、壁のくすんだ掛毛氈かけもうせん黒檀こくたんのように真っ黒な床、歩くにつれてがたがた音をたてる幻影のような紋章付きの戦利品などが、自分の幼少のころから見慣れていたもの、あるいはそれに類したものであるにもかかわらず、――どれもみな自分のよく見知っているものであることをすぐと認められるにもかかわらず、――平凡な物の形が自分の心にあおりたてる空想のあまり奇怪なのに私は驚いた。ある一つの階段のところで、私はこの一家の医者に会った。彼の容貌ようぼうは卑屈な狡猾こうかつと当惑とのまじった表情を帯びているように私には思われた。彼はおどおどしながら挨拶あいさつして通りすぎて行った。やがて侍者はとびらをさっと開いて、主人の前に私を案内した。
 その部屋は非常に広くて天井が高かった。窓は細長く、とがっていて、内側からはぜんぜん手がとどかないくらい、黒いかしの床から高く離れたところにあった。よわよわしい真紅色の光線が、格子形こうしがたにはめてある窓ガラスを通してしこんで、あたりの一きわ目立つものを十分はっきりとさせていた。しかし、部屋の遠くのすみずみや、あるいは組子細工の円天井の奥の方は、どんなに眼を見張っても視力がとどかなかった。黒ずんだ壁掛けが壁にかかっていた。家具はたいがい大がかりで、わびしく、古びて、ぼろぼろにこわれかけていた。書物や楽器がたくさんあたりに散らばっていたが、それはこの場面になんの生気を与えることもできなかった。私は悲しみの空気を呼吸しているのを感じた。きびしい、深い、救いがたい憂鬱の気が一面に漂い、すべてのものにしみわたっていた。
 私が入ってゆくと、アッシャーはながながと横たわっていた長椅子ソファから立ち上がって、快活な親しみをもって迎えたが、そこには度をすぎた懇切――人生に倦怠アンニュイを感じている俗人のわざとらしい努力――が大分あるように、初め私には思われた。だが一目彼の顔を見るとすぐ、彼の完全な誠実を信ずるようになった。二人は腰を下ろした。そして彼がまだ話し出さないあいだ、私はしばらくなかばあわれみの、なかばおそれの情をもって彼を見まもった。たしかに、ロデリック・アッシャーほど、こんなに短いあいだにこんなに恐ろしく変りはてた人間はいまい! いま自分の前にいるこのあおざめた男と自分の幼年時代のあの友達とが同一の人間であるとは、私にはちょっと信じられなかった。それでも彼の顔の特徴は昔と変らず目立つものであった。死人のような顔色。大きい、澄んだたぐいなく輝く眼。すこし薄く、ひどく蒼いが、非常に美しい線のくちびる。優美なヘブライ型の、しかしそのような形のものにしては珍しい鼻孔の幅を持っている鼻。よい格好ではあるが、突き出ていないために精神力の欠乏を語っているあご。蜘蛛の巣よりも柔かく細い髪の毛。それらの特徴は、※(「需+頁」、第3水準1-94-6)こめかみのあたりの上部が異常にひろがっていることとともに、まったくたやすくは忘れられぬ容貌を形づくっている。そしていま、私が誰に話しかけているのだろうと疑ったほどのひどい変化は、これらの容貌の主な特徴と、それがいつもあらわしている表情とが、ただいっそう強くなっているという点にあったのだ。なによりも、いまのもの凄く蒼ざめている皮膚の色と、いまの不思議な眼の輝きとが、私を驚かせ恐れさせさえした。絹糸のような髪の毛もまた、まったく手入れもされずに生えのびて、それが小蜘蛛の巣の乱れたようになって顔のあたりに垂れさがる、というよりも漂うているのであったから、どうしても私は、この奇異な容貌と、普通の人間という観念とを結びつけることができなかったのである。
 友の態度にどこか辻褄つじつまの合わぬこと――矛盾のあることに、私はすぐに気がついた。そして間もなく、それが絶え間のない痙攣けいれん――極度の神経興奮を、抑えつけようとする力弱い無駄むだな努力からくるものであることがわかった。もっともこんなことがあろうとは、彼の手紙だけでなく、子供のころの特性の回想や、彼の特殊な体質と気質とから考えて、かねて私の期していたところであった。彼の挙動は快活になったり陰気になったりした。声ははっきりしない震え声(活気がまるで無いように思われるときの)から急に、酔いつぶれてしまった酔いどれや手のつけられぬ阿片喫煙者などの極度の興奮状態にあるときに認められるような、あの力のある歯切れのよい声――あの突然な、重々しい、落ちついた、洞声うろごえの発音――鈍い、よくりあいのとれた、完全に調節された喉音こうおん――に変ったりした。
 私の訪問の目的や、私に会いたいという切望や、私から得ようと期待している慰安などについて、彼の語ったのはこのような調子であったのだ。彼は自分の病気の性質と考えていることを少し詳しく話しだした。彼のいうところによると、それは生れつきの遺伝的な病であり、治療法を見出みいだすことは絶望だというのであった。――もっともただの神経の病気で、いまにきっとなおってしまうだろう、と彼はすぐつけ加えたが。その病気は多くの不自然な感覚となってあらわれた。そのなかの二、三は、彼が詳しく話しているあいだに、おそらくその言葉づかいや全体の話しぶりの関係からだったろうが、私にたいへん興味を感じさせ、また驚かしたのであった。彼は感覚の病的な鋭さにひどく悩まされているのだ。もっとも淡泊な食物でなければ食べられない。ある種の地質の衣服でなければ着られない。花の香はすべて息ぐるしい。眼は弱い光線にさえ痛みを感じた。彼に恐怖の念を起させない音はある特殊な音ばかりで、それは絃楽器げんがっきの音であった。
 私には彼がある異常な種類の恐怖のとりこになっているのがわかった。「僕は死ぬのだ」と彼は言うのだった。「こんなみじめなくだらないことで僕は死なねばならんのだ。こうして、ほかのことではなくかならずこうして、死ぬことになるだろう。僕は未来に起ることを、それだけとしてはべつに恐れないが、その結果が恐ろしい。この堪えがたい心の動揺に影響するようなことは、どんなに小さなことでも、考えただけでぞっとする。実際、僕は危険がいやなのではない、ただその絶対的の結果――恐怖、というものが厭なんだ。こんな弱りはてた――こんな哀れな有様で――あのもの凄い『恐怖』という幻影とたたかいながら、生命も理性もともにてなければならんときが、遅かれ早かれかならず来るのを感ずるのだ」
 なお私はときどき、きれぎれの曖昧あいまいな暗示によって、彼の精神状態のもう一つの奇妙な特質を知った。彼は長年のあいだ一歩も出ずに住んでいる自分の住居に関して、――ここでもう一度述べることのできないくらいに漠然とした言葉で話した、ある想像的な力の影響――つまり、彼の言うところでは、先祖からの屋敷の単なる形態と実質とのある特異性が、長いあいだの放任によって彼の心に及ぼした影響――灰色の壁と塔とそれらのものが見下ろしているうす暗い沼との形象フィジィクが、とうとう彼の精神モラルにもたらした効果――に関して、ある迷信的な印象にとらわれているのであった。
 しかし、ためらいながらも彼の認めたところによれば、このように彼を悩ましている特殊な憂鬱の大部分は、もっと自然で、よりもっと明らかな原因として、――長年のあいだ彼のただ一人の伴侶はんりょであり――この世における最後にして唯一の血縁である――深く愛している妹の、長いあいだの重病を、――またはっきり迫っている死を、――挙げることができるというのであった。「彼女が死んでしまえば」と、彼は私の決して忘れることのできない痛ましさで言うのであった。「僕は(なんの望みもない虚弱な僕は)ふるいアッシャー一族の最後の者となって残されるのだ」彼がこう話しているあいだにマデリン嬢(というのが彼女の名であった)は、ゆっくりと部屋の遠くの方を通り、私のいるのに気もつかずに、やがて姿を消してしまった。私は、恐怖をさえまじえた非常な驚きの念をもって、彼女をじっと見まもった。――しかもそのような感情をどうにも説明することができなかった。眼が彼女の去りゆく歩調を追うとき、私は茫然ぼうぜんとしびれるような感覚におそわれた。とうとう、扉がしまって彼女の姿が見えなくなると、私の視線は本能的に熱心にその兄の顔の方に向けられた、――が、彼は顔を両手のなかに埋めていた。そして私はただ、ひどく蒼ざめた色がせおとろえた指にひろがり、そのあいだから熱い涙がしたたり落ちるのを認めることができただけであった。


 

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