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二都物語(にとものがたり)01 上巻

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 7:25:14  点击:  切换到繁體中文

底本: 二都物語 上巻
出版社: 岩波文庫、岩波書店
初版発行日: 1936(昭和11)年10月30日
入力に使用: 1967(昭和42)年4月20日第26刷

 

二都物語

上巻

チャールズ・ディッケンズ

佐々木直次郎訳




     序

「二都物語」はチャールズ・ディッケンズ(一八一二―一八七〇)の一八五九年の作である。すなわちこの巨匠が数え年四十八歳の時の作である。作者は一八三六年に諧謔小説「ピックウィク倶楽部」によって一躍ウォールター・スコット以後のイギリス随一の流行作家となり、以来「オリヴァー・トゥウィスト」、「ニコラス・ニックルビー」、「骨董店」、「バーナビー・ラッジ」、「マーティン・チャッズルウィット」、「ドムビー父子」、「デーヴィッド・コッパフィールド」、「物淋しい家」、「小さなドリット」等の諸大作その他の作品を発表して、既に、当時全ヨーロッパにおける最も高名な小説家の一人であり、その名声のみならず文学的手腕においても彼の高潮に達していたのであった。「二都物語」の作者自身の緒言に記されているように、彼がこの作の主要な観念を思い付いたのは彼の年少の友人ウィルキー・コリンズの劇を演じていた時であって、それは一八五七年の夏のことであった。しかし、その思付きはただごく漠然たるものであり、当時は家庭的不和のためにはなはだしく心を苦しめられていて、ただちにそれの具体化に著手することが出来なかったが、やがて、フランス革命を背景としてその観念を中心に一の物語を創作することとし、慎重綿密にその考案、準備、構想を進めたらしい。翌五八年の一月末には、彼の親友であり後に彼の伝記作者となったジョン・フォースターに宛てた書簡の中で、「いつかは」というその物語の標題を報じており、更に同年三月には「生埋いきうめ」、「黄金こがねの糸」、「ボーヴェーの医師」という標題を挙げている。また、書かれた正確な年月は不明であるが、一八五五年から書き始めた彼の覚書帳メモランダムの中には、この作について、「二つの時期――フランスの劇のように間に時の推移のある――にわたる物語については如何? そういう思付きのための標題。時! 森の木の葉。散らばった木の葉。偉大な車輪。※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)って。古い木の葉。ずっと以前に。遠く離れて。落葉。二十五年。何年も何年も。過ぎ去る歳月。毎日毎日。伐り倒された樹。記憶のカートン。やくざ者。二つの世代。」とあり、他に、この作の主要人物である獅子のやまいぬとしてのカートンと、同じく作中人物のクランチャー夫妻とについての萠芽的な思付きが記されている。しかし、五八年の五月にはディッケンズは妻のキャサリンと遂に合意の別居をすることとなり、また同年から彼の自作朗読会を始めたので、その年もその制作に没頭することが出来ず、翌五九年の三月に至ってようやく「二都物語」と現在の標題が決定され、「ハウスホールド・ワーヅ誌」に代って創刊された同じく彼自身の主宰する週刊雑誌「オール・ジ・イア・ラウンド誌」上に、その第一号すなわち四月三十日号から同年の十一月二十六日号までにわたって連載されたのである。かつ、同年六月から十二月までにわたってチャップマン・アンド・ホール社から作者の他の諸長篇と同様に月刊分冊で逐次出版され、ただちに巨万の読者に迎えられた。これは八分冊に分れ、各分冊に「ピックウィク倶楽部」の挿画以来フィズの名で知られたハブロット・ブラウンの挿画が二葉ずつ入り、第六分冊までは定価各一シリング、最後の第七第八分冊は合本二シリングであって、その最後の分冊に標題紙タイトルページや目次などと共に緒言が附せられた。制作の前及びその間に作者が異常な苦心を重ね努力を払い時日を費したことは彼の手記や書簡などによって窺い知られる。
 本篇の手法に関する意図について、作者は制作中の書簡にこう書いている。「私は、真実に迫った人物、しかし彼等が対話によって自分自身を現すよりも以上に物語そのものが現すべき人物がいて、各章ごとに興味の加わる、画のように叙述した一つの物語を作るこの小さな仕事に専心している。他の言葉で言えば、(中略)人物を出来事それ自身の臼の中で搗き砕き、その人物から彼等の興味を打ち出して、出来事の物語を書くことが出来ると思ったのである。」
 フランス革命に取材したことについては、作者が年来絶えず繰返して読み、決して厭きることのなかった、トマス・カーライルの名著「フランス革命史」に負うところが極めて多かった。この物語の文体、思想等についても、カーライルの影響を示しているところが見られる。なお、作者が制作の準備中に知人であるカーライルに自分の目的に役立ちそうな数冊の参考書の借用を請うたところ、カーライルはただちに荷車二台に満載したフランス革命に関する文献をディッケンズの邸宅に送り届けたという。
「二都物語」は「バーナビー・ラッジ」に次ぐディッケンズの第二の歴史小説であり、また彼の最後の歴史小説である。歴史小説と言っても、時代を過去に採り、背景を歴史的事件に求めただけであって、登場する人物はことごとく非歴史的人物であり、作者自身の純然たる創造になる人物のみである。本篇の主人公である、自己犠牲的な深い愛によって進んで断頭台の下に立つ弁護士シドニー・カートンは、疑いもなく近代小説の群像中でも最も魅力ある性格の一であるに違いない。その他、その正義感のために暴虐な貴族の手によってバスティーユ牢獄に投獄され、十八年間監禁されていた医師アレクサーンドル・マネット、その娘リューシー・マネット、フランスの貴族の地位と財産とを自ら抛棄してイギリスで自活するシャルル・エヴレモンド、その叔父サン・テヴレモンド侯爵、パリーの酒店の主人であり革命党員であるエルネスト・ドファルジュ、その妻テレーズ・ドファルジュ、銀行員ジャーヴィス・ロリー、弁護士ストライヴァー、走使いクランチャー、家政婦プロス等の諸人物は、いずれも、円熟した大作家にふさわしい手腕で鮮かに創造されている。そして、これらの人物が、フランス大革命の前及びその間の時代を背景とし、イギリス及びフランスの両国、主としてロンドンとパリーとの二都を舞台として演ずる劇的な物語は、実に津々たる興味にみちているのである。ある意味ではまさしく歴史小説であるよりも以上に伝奇小説ロマンスであるかもしれない。
 また、この作はディッケンズの全作中において特異な地位を占めるものである。「ピックウィク倶楽部」以下彼の諸長篇の大部分にあっては、殊に前半期の多くの作にあっては、プロットはあまり顧慮ないしは重視されず、誇張して言えば全篇が挿話の連続であり、豊かな興味は主として作中諸人物の滑稽感ヒューマー哀感ペーソスに集中しているのが普通であるに対して、本篇では、プロットは完全に首尾一貫し、全体の構成がはなはだ緊密であり、作中諸人物はことごとく物語の進展に関与し、物語は巧みな戯曲的展開をもって章を逐うて最後の不可避的な結末に至る。すなわち、その人物以上に事件の進展に読者の感興が惹かれる。他の諸大作よりも量において小であり、人物の数も比較的に少く、全体的に極めて圧縮されていることもまた、この作の顕著な一特質である。
 外面的にはディッケンズの最大の特徴である諧謔ヒューマーは、本篇にあっては題材の性質上著しく抑制されている。しかしそれは全然影を潜めているのではなく、この作の処々に現れて微妙な効果を収めていることは、細心な読者には容易に認め得るところである。
 その異常な題材、印象的な人物、劇的な事件、巧緻な手法、等、等によって、この物語はあらゆる読者を深く愉しませるのみならず、また、終りの方に表現されているその主要観念は、愛や人生そのものについて考えさせるものをも含んでいる。
 従来の批評家がディッケンズの他のいかなる作よりもこの作に対する評価について意見を異にし、ある評家は諧謔ヒューマーに乏しいこの物語をさほど高く評価せず、また他の評家はこれをこの作家の最も完璧な傑作と激賞し、作者自身もその完成の少し前に本篇を「自分のこれまでに書いた最上の物語」として期待したが、作家が最近の労作を自己の最上の作と考えやすい傾向などをも考慮に入れても、要するに、この「二都物語」が、ディッケンズの代表作とは遠いものであるにせよ、単に彼の力作たるに止まらず、少くとも「デーヴィッド・コッパフィールド」その他と共にこの民衆の作家、小説文学の巨匠の最高傑作の一であり、かつ世界の文学における傑れた一名作であることは、何等の疑いもあり得ない。
 物語は全三巻から成る。第一巻は、一七七五年の秋から冬へかけての数日間のことを取扱い、この物語全曲に対する短い静かな序曲に過ぎない。第二巻は、一七八〇年の三月からフランス革命勃発の三年後すなわち一七九二年の八月に至るまでの十二年間余にわたり、最も変化に富む展開部に当る。第三巻は、一七九二年秋から翌九三年暮までの一年数箇月間、革命の真最中のことであり、荒れ狂う終曲であると共に、全曲の最高潮クライマクスである。
 第三巻中の医師マネットの手記によって物語の発端は遠く一七五七年まで遡り、更に第三巻の結末にはシドニー・カートンのそれから数十年後の予想が記され、時代はフランス革命の前後数十年間にわたっているが、この作の姿なき主人公はフランス革命であるとも言い得る。この物語によって読者は絵画的に具象化されたかの革命とその時代とについて歴史書以外の知識と感銘とを得るであろう。その意味で、この小説は、人類の歴史が過去に有した最大の動乱の時代の一であるフランス革命の時代に興味と関心とを有する人々にも読まれるに価するものである。
 訳者の他のすべての飜訳におけると同様に、訳文中に傍点を附してある箇処は、原文においてだいたい強調の意味をもって斜体活字イタリックで印刷されている箇処であり、訳文中圏点を附してある語は、同じく原文に強調の意味をもって頭文字のみで記されている語である。ダッシュ、句読点、その他については、絶えず数種の底本を対照して適当と考えるところに拠る。
 星標★を附した箇処の語句には巻末に註を附して、主として作品の細部または細部の語句をも正確に理解するに必要なことを記したが、各読者が単にその必要に応じて参照さるべきである。
 同じく巻末に附した解説は、もし読まれるならば、原作の後に読まれることを希望したい。


   一九三六年八月
佐々木直次郎
[#改丁]

     目次
 
 序(訳者)

緒言
第一巻 甦る
 第一章 時代
 第二章 駅逓馬車
 第三章 夜の影
 第四章 準備
 第五章 酒店
 第六章 靴造り
第二巻 黄金の糸
 第一章 五年後
 第二章 観物
 第三章 当外れ
 第四章 祝い
 第五章 豺
 第六章 何百の人々
 第七章 都会における貴族
 第八章 田舎における貴族
 第九章 ゴルゴンの首

  註(訳者)

  解説(訳者)
[#改丁]
    二都物語
[#改丁]

     緒言

 私が自分の子供たちや友人たちと共にウィルキー・コリンズ氏の劇の「凍れる海」を演じていた時に、私は初めてこの物語の主要な観念を思い付いたのである★。その観念を自分自身で具体化してみたいという強い欲望が、その時私に起った。それで私は自分の空想のうちで特別の注意と感興とをもってそれを追究したが、空想裡ではそれは烱眼な観客に対しての上演を必要ならしめたのであった。
 その観念が私の心に親しくなって来るにつれて、それは次第次第にそれの現在の形体になって来た。その制作の間を通じて、それは私を完全に捉えていた。私は、これらの頁の中になされかつ感じられているところのことを、自分ですべて確かになしかつ感じたくらいにまで、それらを実感したのである★。
 かの大革命の前ないしはその間におけるフランスの人民の状態についてここに何等かの言及(いかにわずかなものであろうとも)がなされている時にはいつでも、それは、真に、最も信頼するに足る証拠に基いてなされているのである。カーライル氏の驚歎すべき書物★の哲学に何かを附け加えるということは何人にも望むことが出来ないけれども、あの怖しい時代についての一般の絵画的な理解の手段に何ものかを附け加えたいというのは私の希望の一つであったのである。

     ロンドン、タヴィストック館★にて、 一八五九年十一月。
[#改丁]
    第一巻 よみがえ
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    第一章 時代

 それはすべての時世の中で最もよい時世でもあれば、すべての時世の中で最も悪い時世でもあった。叡智の時代でもあれば、痴愚の時代でもあった。信仰の時期でもあれば、懐疑の時期でもあった。光明の時節でもあれば、暗黒の時節でもあった。希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。人々の前にはあらゆるものがあるのでもあれば、人々の前には何一つないのでもあった。人々は皆真直に天国へ行きつつあるのでもあれば、人々は皆真直にその反対の道を行きつつあるのでもあった。――要するに、その時代は、当時の最も口やかましい権威者たちのある者が、善かれ悪しかれ最大級の比較法でのみ解さるべき時代であると主張したほど、現代と似ていたのであった。
 イギリスの玉座には、大きな顎をした国王と不器量な顔をした王妃とがいた。フランスの玉座には、大きな顎をした国王と美しい顔をした王妃とがいた★。どちらの国でも、現世の利得を保持している国家の貴族たちには、天下の形勢が永久に安定しているということは水晶よりも明かなのであった。
 それはキリスト紀元一千七百七十五年のことであった。その恵まれた時代には、現代と同様に、さまざまの心霊的な啓示がイギリスに授けられた★。サウスコット夫人★は彼女の第二十五囘の祝福された誕生日を迎えたばかりであったが、近衛騎兵聯隊の予言者の一兵卒が、ロンドンとウェストミンスター★とを呑み込む手筈が出来ていると言い触らして、彼女の荘厳な出現を先触れしていた。例の雄鶏小路コック・レーンの幽霊★でさえ、あの昨年の精霊も(不可思議にも独創力に欠けていて)御託宣メッセジをやはりこつこつと叩いて知らせたように、自分の御託宣メッセジをこつこつと叩いて知らせた後に、鎮められてから、ちょうど十二年たったに過ぎなかった。それとは違って俗世界の出来事であるが、ただの音信メッセジが、つい先頃、アメリカにおける英国臣民の会議から、イギリスの国王ならびに人民宛にやって来た★。不思議なことには、この音信メッセジの方が、これまで雄鶏小路コック・レーンのどのひよっこから受け取ったどんな通信よりも、人類にとってもっと重要なものであるということが、後にわかったのである★。
 心霊的な事柄では概して楯と三叉戟との姉妹国★ほどに恵まれていなかったフランスは、紙幣を造ってはそれを使い果して、素晴しい勢で下り坂を転げ落ちていた★。そのほか、キリスト教の牧師たちの指導の下に、フランスは、一人の青年がおおよそ五六十ヤードばかり離れた視界の内を通り過ぎる修道僧たちのきたならしい行列に敬意を表するために雨中にひざまずかなかったからといって、その青年の両手を切り取り、舌を釘抜くぎぬきで引き抜き、体を生きながら焼くように、宣告したりするような慈悲深い仕事をして楽しんでいた。その受難者が死刑に処せられた時に、フランスやノルウェーの森林には、歴史上にも怖しい、嚢と刃物との附いているある動かし得る枠細工★を作るために、伐り倒されて板に挽かれるようにと、運命という樵夫きこりが既にしるしをつけておいた樹木が、生い繁っていたのであろう。また、その日には、死という農夫がかの大革命の時の自分の死刑囚護送馬車にするために既に取除けておいた粗末な荷車が、パリー近隣のねとねとした土地を耕している百姓たちのむさくるしい納屋の中に、田野の泥にまみれ、豚に嗅ぎ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)され、とりどもにとやにされて、雨露を防いでいたのであろう。しかし、その樵夫きこりとその農夫とは、絶えず働いてはいるけれども、黙々として働いているのである。それで、彼等が跫音あしおとを忍ばせながら歩き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)っているのを、誰一人として聞きつけはしなかった。彼等が目を覚しているのではなかろうかと疑いを抱くだけでも、無神論者で叛逆者になるというのであったから、それはなおさらのことであったのだ。
 イギリスでは、大層な国民的の自慢ももっともだというだけの秩序や保安は、すこぶる怪しいものだった。武器を携えた連中の大胆不敵な押込強盗や、大道強奪は、首都でさえ毎晩のように行われた。市内の家庭へは、家具を家具商の倉庫に移して安全にしてからでなければ市外へ出てはならぬと、公然とお達しがあった。夜の追剥おいはぎ昼間ひるま本市シティー★で商売をしている男であった。そして、「首領キャプテン★」の資格で止れと命じた自分の仲間の商人に正体を見破られてなじられると、勇ましくその男の頭を射貫いぬいて馬を飛ばして逃げ去った。駅逓馬車★が七人の剽盗に待伏せされ、車掌がその中の三人を射殺したが、「弾薬が欠乏したために」自分も残りの四人に射殺された。その後で駅逓馬車の客は無事安穏に掠奪された。あの素晴らしい勢力家のロンドン市長も、ターナム・グリーン★で一人だけの追剥に立ち止って所持品を渡せとやられたものだった。追剥はその著名な人物を彼の随行員一同の目の前で剥奪したのであった。ロンドンの監獄の囚人が獄吏と戦闘をし、弾丸を籠めた喇叭銃らっぱじゅう★が尊厳なる法律によって囚人たちの中へ撃ち込まれたこともあった。盗賊どもが宮廷の引見式で貴族たちの頸から金剛石ダイヤモンドの十字架を切り偸んだこともあった。銃兵たちが密輸品を捜索するためにセント・ジャイルジズ★へ入って行くと、暴民が銃兵に発砲し、銃兵が暴民に発砲したこともあった。が、誰一人としてこれらの出来事のどれ一つをも大して変ったこととは考えなかったのである。こうした出来事の最中に、いつも多忙でいつも無益であるよりも有害な絞刑吏は、のべつに用があった。時には、ずらりと並んだいろいろな罪人を片っ端から絞殺したり、時には、火曜日に捕えられた強盗を土曜日に絞首にしたり、時には、ニューゲート★で十二人ずつ手に烙印を押したり、また時には、ウェストミンスター会館ホール★の入口のところで小冊子パンフレットを焼き棄てたりした。今日きょうは、兇悪な殺人者のいのちを取るかと思うと、明日あすは、百姓のせがれから六ペンスを奪ったけちな小盗のいのちを取ったりした。
 こういうすべての事柄や、これに類した数多あまたの事柄が、その親愛なる一千七百七十五年とそのすぐ前後に起っていたのであった。例の樵夫きこりと農夫とが誰にも気づかれずに働いていた間、そういう事柄に取巻かれながら、大きな顎をしたあの二人と、不器量な顔と美しい顔をしたあのもう二人とは、すこぶる堂々と歩み、彼等の神授の王権を傲然と携えて行った。こういう風にして、一千七百七十五年は、その王者たちや、無数の微賤な人々――この物語に出て来る人々をもその中に含めて――を導いて、彼等の前に横わる道を進ませたのである。
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