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メールストロムの旋渦(メールストロムのせんか)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 8:54:25  点击:  切换到繁體中文


 自分のまわりを眺めたときのあの、畏懼いくと、恐怖と、嘆美との感じを、私は決して忘れることはありますまい。船は円周の広々とした、深さも巨大な、漏斗じょうごの内側の表面に、まるで魔法にでもかかったように、なかほどにかかっているように見え、その漏斗のまったくなめらかな面は、眼がくらむほどぐるぐるまわっていなかったなら、そしてまた、満月の光を反射して閃くものすごい輝きを発していなかったら、黒檀こくたんとも見まがうほどでした。そして月の光は、さっきお話ししました雲のあいだの円い切れ目から、黒い水の壁に沿うてみなぎりあふれる金色こんじきの輝きとなって流れ出し、ずっと下の深淵のいちばん深い奥底までもしているのです。
 初めはあまり心が乱れていたので、なにも正確に眼にとめることはできませんでした。とつぜん眼の前にあらわれた恐るべき荘厳が私の見たすべてでした。しかし、いくらか心が落ちついたとき、私の視線は本能的に下の方へ向きました。船がふちの傾斜した表面にかかっているので、その方向はなんのさえぎるものもなく見えるのです。船はまったく水平になっていました、――というのは、船の甲板が水面と平行になっていた、ということです、――がその水面が四十五度以上の角度で傾斜しているので、私どもは横ざまになっているのです。しかしこんな位置にありながら、まったく平らな面にいると同じように、手がかりや足がかりを保っているのがむずかしくないことに、気がつかずにはいられませんでした。これは船の回転している速さのためであったろうと思います。
 月の光は深い渦巻の底までも射しているようでした。しかしそれでも、そこのあらゆるものを立ちこめている濃い霧のために、なにもはっきりと見分けることができませんでした。その霧の上には、マホメット教徒が現世から永劫えいごうの国へゆく唯一ゆいいつの通路だという、あのせまいゆらゆらする橋(14)のような、壮麗なにじがかかっていました。この霧あるいは飛沫は、疑いもなく漏斗の大きな水壁が底で合って互いに衝突するために生ずるものでした。――がその霧のなかから天に向って湧き上がる大叫喚は、お話ししようとしたって、とてもできるものではありません。
 上の方の泡の帯のところから最初に深淵のなかへすべりこんだときは、斜面をよほど下の方へ降りましたが、それからのちはその割合では降りてゆきませんでした。ぐるぐるまわりながら船は走ります、――が一様な速さではなく――目まぐるしく揺れたり跳び上がったりして、あるときはたった二、三百ヤード――またあるときは渦巻の周囲をほとんど完全に一周したりします。一回転ごとに船が下に降りてゆくのは、急ではありませんでしたが、はっきりと感じられました。
 こうして船の運ばれてゆくこの広々とした流れる黒檀の上で、自分のまわりを見渡していますと、渦に巻きこまれるのが私どもの船だけではないことに気がつきました。上の方にも下の方にも、船の破片や、建築用材の大きな塊や、樹木の幹や、そのほか家具の砕片や、こわれた箱や、樽や、桶板おけいたなどの小さなものが、たくさん見えるのです。私は前に、不自然なくらいの好奇心が最初の恐怖の念にとってかわっていたことを申しましたね。その好奇心は恐ろしい破滅にだんだんに近づくにつれて、いよいよ増してくるのです。私は奇妙な関心をもって、私どもと仲間になって流れている無数のものを見まもりはじめました。どうも気が変になっていたにちがいありません、――そのいろいろのものが下の泡の方へ降りてゆく速さを比較することに興味を求めさえしていたのですから。ふと気がつくとあるときはこんなことを言っているのです。『きっとあのもみの木が今度、あの恐ろしい底へ跳びこんで見えなくなるだろうな』――ところが、オランダ商船の難破したのがそれを追い越して先に沈んでしまったので、がっかりしました。このような種類の推測を何べんもやり、そしてみんな間違ったあげく、この事実――私がかならず見込み違いをしたというその事実――が私にある一つながりの考えを思いつかせ、そのために手足はふたたびぶるぶる震え、心臓はもう一度どきんどきんと強く打ちました。
 このように私の心を動かしたのは新たな恐怖ではなくて前よりもいっそう心を奮いたたせる希望の光が射してきたことなのです。この希望は、一部分は過去の記憶から、また一部分は現在の観察から、生れてきたのでした。私は、モスケー・ストロムに呑みこまれ、それからまた投げ出されてロフォーデンの海岸にき散らされた、いろいろな漂流物を思い浮べました。そのなかの大部分のものは、実にひどく打ち砕かれていました、――とげがいっぱいにつきたっているように見えるくらい、りむかれてざらざらになっていました、――が私はまた、そのなかには少しもいたんでいないものもあったことを、はっきり思い出しました。そこでこの相違は、ざらざらになった破片だけが完全に呑みこまれたものであり、その他のものは潮時を大分遅れて渦巻に入ったか、あるいはなにかの理由で入ってからゆっくりと降りたために、底にまで達しないうちに満潮あるいは干潮の変り目が来てしまったのだ、と思うよりほかに説明ができませんでした。どちらにしろ、これらのものが早い時刻に巻きこまれたり、あるいは急速に吸いこまれたりしたものの運命に遭わずに、こうしてふたたび大洋の表面に巻き上げられることはありそうだ、と考えました。私はまた三つの重要な観察をしました。第一は、一般に物体が大きければ大きいほど、下へ降りる速さが速いこと、――第二は、球形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、下降の速さは球形のものが大であること、第三は、円筒形のものとその他の形のものとでは、同じ大きさでも、円筒形がずっと遅く吸いこまれてゆくということです。私は助かってから、このことについて、この地方の学校の年寄りの先生となんども話したことがありますが、『円筒形』だの『球形』だのという言葉を使うことはその先生から教わったのです。その先生は、私の観察したことが実際水に浮いている破片の形からくる自然の結果だということを説明してくれました、――その説明は忘れてしまいましたが、――そしてまた、どういうわけで渦巻のなかを走っている円筒形のものが、他のすべての形をした同じ容積の物体よりも、渦巻の吸引力に強く抵抗し、それらよりも引きこまれにくいかということを、私に聞かせてくれたのです(15)。
 このような観察を裏づけ、さらにそれを実地に利用したいと私に思わせた、驚くべき事実が一つありました。それは、渦巻をぐるぐるまわるたびに船は樽やそのほか船の帆桁ほげたマストのようなもののそばを通るのですが、そういうような多くのものが、私が初めてこの渦巻の不思議な眺めに眼を開いたときには同じ高さにあったのが、いまではずっと私どもの上の方にあり、もとの位置からちょっとしか動いていないらしい、ということなのです。
 もう私はなすべきことをためらってはいませんでした。現につかまっている水樽にしっかり身を結びつけ、それを船尾張出部から切りはなして、水のなかへ跳びこもうと心を決めたのです。私は合図をして兄の注意をひき、そばに流れてきた樽を指さし、私のしようとしていることをわからせるために自分の力でできるかぎりのことをしました。とうとう兄には私の計画がわかったものと思われました、――がほんとにわかったのか、それともわからなかったのか、兄は絶望的に首を振り、環付螺釘リング・ボールトにつかまっている自分の位置から離れることを承知しないのです。兄の心を動かすことはできないことですし、それに危急のさいで一刻もぐずぐずしていられないので、私はつらい思いをしながら、兄を彼の運命にまかせ、船尾張出部に結びつけてあった縛索しばりなわで体を樽にしっかり縛り、そのうえもう一刻もためらわずに樽とともに海のなかへ跳びこみました。
 その結果はまさに私の望んでいたとおりでした。いまこの話をしているのが私自身ですし――私が無事に助かってしまったことはご覧のとおりですし――また助かった方法ももうはやご承知で、このうえ私の言おうとすることはみんなおわかりのことでしょうから、話を急いで切りあげましょう。私が船をとび出してから一時間ばかりもたったころ、船は私よりずっと下の方へ降りてから、三、四回つづけざまに猛烈な回転をして、愛する兄を乗せたまま、下の混沌こんとんとした湧きたつあわのなかへ、永久にまっさかさまに落ちこんでしまいました。私のからだを縛りつけた樽が、渦巻の底と、船から跳びこんだところとの、中間くらいのところまで沈んだころに、渦巻の様子に大きな変化が起りました。広大な漏斗の側面の傾斜が、刻一刻とだんだんけわしくなくなってきます。渦巻の回転もだんだん勢いが弱くなります。やがて泡や虹が消え、渦巻の底がゆるゆると高まってくるように思われました。空は晴れ、風はとっくに落ち、満月は輝きながら西の方へ沈みかけていました。そして私は、ロフォーデンの海岸のすっかり見える、モスケー・ストロムの淵がさっきまであったところの上手の、大洋の表面に浮び上がっているのでした。滞潮よどみの時刻なのです、――が海はまだ台風の名残りで山のような波を揚げていました。私はストロムの海峡のなかへ猛烈に巻きこまれ、海岸に沿うて数分のうちに漁師たちの『漁場』へ押し流されました。そこで一そうの船が私を拾いあげてくれました、――疲労のためにぐったりと弱りはてている、そして(もう危険がなくなったとなると)その恐ろしさの思い出のために口もきけなくなっている私を。船にひきあげてくれた人たちは、古くからの仲間や、毎日顔を合わせている連中でした、――が、ちょうどあの世からやってきた人間のように誰ひとり私を見分けることができませんでした。その前の日まではからすのように真っ黒だった髪の毛は、ご覧のとおりに白くなっていました。みんなは私の顔つきまですっかり変ってしまったといいます。私はみんなにこの話をしました、――が誰もほんとうにしませんでした。今それをあなたにお話ししたのですが、――人の言うことを茶化してしまうあのロフォーデンの漁師たち以上に、あなたがそれを信じてくださろうとは、どうも私にはあまり思えないんですがね」


(1)「暗黒の海」――昔、地中海沿岸の住民に知られない外海(大西洋)のことをかく言ったのであるという。――前の「ヌビアの地理学者」というのは誰のことか、はっきりわかっていない。ポーの晩年の論文『ユウレカ』のなかには、「ヌビアの地理学者 Ptolemy Hephestion によって記述された暗黒の海云々うんぬんとあるが、これはポーの思い違いであるらしく、おそらくアレクサンドリアの天文地理学者 Claudius Ptolemy ではなかろうかと言われている。
(2)強風のときに船が海上で安全のため、帆を低く下げあるいは絞って、できるかぎり風の方へ船首を向け、ほとんど静止していること。
(3)chopping――強い潮流の方向と反対に風が吹くとき、あるいは二つの潮流が合するときなどに生ずるように、波が短く不規則に乱れたように立ち騒ぐこと。かりに「狂い波」と訳しておいた。
(4)Maelstr※(ダイエレシス付きO小文字)m――ノルウェー北部の海岸にある有名な大旋渦だいせんか。モスケン(モスケー)・ストロムとも呼ばれる。原語読みならばメールシトルムとでも書くべきであるが、ここでは英語読みにした。前のノルドランド(ノルラン)以下の固有名詞も必ずしも原語読みにしたがわず、便宜上の読み方を用いた。島の名などは多く作者の創作にかかるものらしい。
(5)Jonas Rarmus(一六四九-一七一八)――ノルウェーの僧侶そうりょ。ノルウェーの地理および歴史に関する著述がある。
(6)ギリシャ神話の冥府めいふにある燃ゆる炎の河。
(7)アイスランドの東南、スコットランドの北方の洋上にある諸島。
(8)Athanasius Kircher(一六〇一-八〇)――ドイツの数学、言語学、考古学の学者。
(9)バルチック海の北方の海。
10)向い風のために帆がマストに吹きつけられること。
11)できるだけ風の来る方に近く帆走し上がること。
12)船首から船尾にいたるまですっかり平坦へいたんに張られた上甲板。通し甲板。
13)ring-bolt――綱などを結びつけるために甲板に取り付けられたかんのついた螺釘ねじくぎ。環釘。
14)マホメット教徒の信ずるところによれば、現世から天国へ至るには蜘蛛くもの糸よりも細い橋を渡るのである。その橋を渡るときに罪ある者は地獄の深淵しんえんに落ちるという。
15)アルキメデス“De Incidentibus in Fluido”第二巻を見よ。(原注)





底本:「黒猫・黄金虫」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年8月15日発行
   1995(平成7)年10月15日89刷改版
   2004(平成16)年2月5日100刷
※(1)~(15)は訳注番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように小書きされています。また数字は縦中横になっています。
入力:kompass
校正:土屋隆
2005年11月1日作成
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