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右門捕物帖(うもんとりものちょう)29 開運女人地蔵

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:48:20  点击:  切换到繁體中文

底本: 右門捕物帖(三)
出版社: 春陽文庫、春陽堂書店
初版発行日: 1982(昭和57)年9月15日
入力に使用: 1982(昭和57)年9月15日新装第1刷
校正に使用: 1996(平成8)年4月20日新装第3刷

 

右門捕物帖

開運女人地蔵

佐々木味津三




     1

 その第二十九番てがらです……。
 事の起きたのは四月初め。――もう春も深い。
 小唄こうたにも、浮かれ浮かれて大川を、下る猪牙ちょき船影淡く、水にうつろうえり足は、紅の色香もなんじゃやら、エエまあ憎らしいあだ姿、という穏やかでないのがあるとおり、江戸も四月の声をきくとまず水からふぜいが咲いて、深川あたり大川の里、女もそろそろ色づくが、四月はまた仏にも縁が深い。――花御堂はなみどう灌仏会かんぶつえ、お釈迦しゃかさまも裸になって、善男善女が浮かれだして、赤い信女がこっそり寺の庫裡くりへ消えて、数珠じゅずと杯を両手の生き仏から怪しい引導を渡されるのもこの月にしばしば聞くうわさの一つです。
 朝、あけてまだ日も上がらないうちでした。その仏に縁の多い寺社奉行所ぶぎょうしょから、不意に不思議なお差し紙が、名人の寝床へ訪れました。
「当奉行所にては手に余る珍事出来しゅったいいたしそうろうあいだ、ぜひにお力添え願いたく、右折り入って申し入り候。
深川興照寺にて、一昨夜石仏六基盗難に会い候ところ、今朝にいたり永代橋上に右六基とも捨てある由、同寺より届けいでこれありそうらえども、いささか不審にたえざる節々これあり候えば、火急にご詮議せんぎくだされたく、南町奉行所のほうへは当所よりしかるべくごあいさついたしおくべく候あいだ、その儀ご懸念これなく、即刻ご出馬願い入り侯」
 そういうお差し紙でした。
「茶にしたことをいってきたね」
 伸び上がりながら、拾い読みをして、さっそく音をあげたのは伝六です。
「品が違うんだ、品がね。どうせおすけだちをお願い申すんだったら、もっとしゃれた話を持ち込みゃいいのに、たわいもねえことをぎょうさんに騒ぎたてて珍事出来が聞いてあきれるじゃござんせんか。なくなったしろものが出てきたんだったら、橋の上にあろうと、うなぎ屋の二階にあろうと、めでたしめでたしでけっこう話ア済んでいるんだからね。まさかにお出かけなさるんじゃありますまいね」
「…………」
「え! ちょっと!――やりきれねえな、行くんですかい」
「…………」
「ね! ちょっと! 品が違うんですよ、品がね。寺社奉行所にだって人足アいくらでもあるんだからね。越後えちごから米つきに頼まれたんじゃあるめえし、こんなちゃちな詮議にのこのことお出ましになりゃ、貫禄かんろくがなくなりますよ、貫禄がね。――え! だんな! ね、ちょっと!――かなわねえな。やけに急いでおしたくをしていらっしゃいますが、まさかにお出かけになるんじゃありますまいね」
 しかし、名人右門の考え方は、おのずからまた別でした。なるほど、伝六のいうとおり、お差し紙の文面に現われたあな(事件)そのものはまことにたわいのなさそうなことではあるが、係り違いの寺社奉行所から特に出馬を懇請してきたところに味があるのです。
「はええところ、しりっぱしょりでもやりなよ」
「へ……?」
「行くんだよ」
「あきれたね。お江戸名代はいろいろあれど、知恵伊豆様にむっつり右門、この名物があるうちは、八百八町高まくらってえいうはやり歌があるくれえじゃござんせんか、虫のせいでお出ましなさるなら悪止めしやしませんが、江戸に名代のそのだんながお安くひょこひょこと飛び出して、あとでかれこれ文句をおっしゃったって、あっしゃ知りませんぜ」
「うるせえやッ」
「へえへ……おわるうござんした。行きますよ。えええ、参りますとも! どうせあっしゃうるせえ野郎なんだからね。じゃまになるとおっしゃるならば、あごをはずしてでも、口に封印してでもめえりますがね、ものにゃけじめってえものがあるんだ。買って出て男の上がるときと、でしゃばって顔のすたるときとあるんだからねえ。それをいうんですよ、それをね。ましてや、相手は石仏なんだ。ものを一ついうじゃなし、あいきょう笑い一つするじゃなし、――えッへへ。でも、いいお天気だね。え! だんな! どうですかよ、この朗らかさってえものは! 勤めがなくて、ぽっぽにたんまりおこづけえがあって、べっぴん片手に船遊山ふなゆさん、チャカホイ、チャカホイ、チャカチャカチャ――と、いけませんかね。けえりに中州あたりへ船をつけて……パイイチやったら長生きしますぜ、ね、ちょいと。またやかましくしゃべってうるせえですかい」
 まったく、こやつにかかってはかなわない。鳴ったかと思えばきげんが直り、直ったかと思えば途方もなく浮かれだして、口やかましくたたいているうちに道は稲荷橋いなりばしまで一本道、その中州へ渡って駕籠かごもまた早いのです。――橋上に捨てある由。興照寺より届けいでこれあり候とあったその永代橋へたどりついてみると、名人の出馬いまかいまかとかたずをのんで、寺社奉行ご支配の小者たちが群がり集まる群衆を制しつつ、その到着を待ちあぐんでいるさいちゅうでした。
「ご無理願いまして恐れ入ります」
「どうつかまつりまして、お役にたちますならばいつなりと。――念までもござるまいが、石仏は六基ともそのまま手つけずにお置きでありましょうな」
「はッ。たいせつなご詮議せんぎの妨げになってはと存じまして、てまえどもはもとより、通行人どもにも指一本触れさせず、先ほどからずっとこのとおりやかましく追いたてて、お越しをお待ち申していたのでござります」
「それはなにより。てまえの力でらちが明きますかどうか。では、拝見いたしますかな」
 軽く会釈しながら近よってみると、なるほど、橋の中ほどの欄干ぎわに、ずらりと六基の石仏が置いてあるのです。いずれもたけは五尺ばかりの地蔵尊でした。
 しかし、これがただ並べて置いてあるんではない。六体ともに鼻は欠かれ、耳はそがれ、目、口、手足、いたるところ無数の傷を負って、あまつさえ慈悲忍辱にんにくのおつむには見るももったいなや、馬の古わらじが一つずつのせてあるのです。しかも、気味のわるいことには、何がどうしたというのか、その六体の地蔵尊の前に向き合って、いかにも可憐かれんらしく小さい小坊主が、ものもいわず、にこりともせず、白衣びゃくえのえりを正しながら、ちょこなんと置き物のようにすわっているのでした。
「ちぇッ。やだね。生きてるんですかい」
 見るが早いか、ここぞとばかり、たちまちやかましく早太鼓を鳴らしだしたのはおしゃべり屋です。
「てへへ、おどろいたね。え! ちょいと! なんてまあこまっけえんだろうね。豆に目鼻をけえたにしても、これほど小さかねえですよ。――ね、和尚おしょう、豆大将、おまえさんそれでも息の穴が通っているのかい」
「これはいらっしゃい。おはようございます」
「ウッフフ。あきれたもんだね。生意気に生きていらあ。ね、ちょっと。こんなにこまっかくとも、ちゃんと一人まえにものをいうんですよ。ようよう。笑やがった、笑やがった。気味がわるいね。え! ちょっと! どっちにしてもただものじゃねえですぜ。あつらえたって、こんな小造りなのはめったにできねえんだからね。なんぞこの豆和尚にいわくがあるにちげえねえですぜ」
 まったく小さい。澄ましてちんまりとすわっているところが、またいかにも子細ありげに見えるのです。もちろん、名人もいいようのないいぶかしさに打たれて、小者をさし招くと、こっそりきき尋ねました。
「あれは?」
「どうもそれが少しおかしいんですよ。ご詮議のじゃまになるからどけどけといって、どんなにしかっても、あたしがいなくなりますとお地蔵さまが寂しがりますゆえどきませぬと、このように言い張って、先ほどからあそこにちんまりとすわったままなのでござります」
「ほほう。変わったことを申しますのう。何かなぞを持っておるやもしれませぬゆえ、当たってみましょう。――お小僧さん、こんにちは。いいお天気でござりますな」
「はい、こんにちは。わたくしもさように思います」
 くるくると目をみはりながら、涼しい声でいってのけて、いうことがまた禅味たっぷり、弁舌がまた小粒に似あわず気味のわるいくらいにさわやかでした。
「おじさん、遠いところをご苦労でございまするな。お寺ならばお茶なとさし上げられますのに、このようなところではおもてなしもできませず、おきのどくでござります」
「あはは。これはごあいさつ、痛み入りました。お寺ならばと申しましたところをみますと、では、そなた興照寺のお小僧さんでありましょうのう」
「あい。珍念と申します」
「ほほう、珍念さんとのう。姿に似合うたよい名でありますこと。お年は?」
「九つでござります」
「去年は?」
「八つでござりました」
「来年は?」
「十になるはずでござりますけれど、なってみねばわかりませぬ」
「あはは。なかなかりこうなことをおっしゃる。ほんとうにそうでありますのう。あした病気にでもなりましたならば、み仏のおそばへ行かねばなりますまいからのう。そのおりこうなそなたがまた、どうしたわけでお役人のおさしずもきかず、そんなところにすわっているのでござります?」
「いいえ、あの、お役人さまのおさしずにさからったのではござりませぬ。あの、あの――」
 珍念、何を答えるかと思われたのに、きくも天真爛漫らんまん、こともなげにいってのけました。
「わたくしは、このお地蔵さまと大の仲よしだからでござります」
「なに! 仲よしでありますとのう。どんなふうに仲がよいのでござります?」
「毎朝毎晩、お水をあげるのもわたくし、お花を進ぜますのもわたくし。このお地蔵さまのお世話は、何から何までみんなこの珍念がしてあげたのでござります。それゆえ、ひと朝なりともお世話欠かしましては、お地蔵さまもさぞかしお寂しかろうと存じまして、けさもこのとおり急いでやって参りました。そこをようごろうじませ。お花もござります。お水もござります。みんなそれは仲よしのこの珍念がお上げ申したのでござります」
 いかさま、よくよく見ると、小坊主珍念さながらのような、いかにもかわいらしく小さい竹筒に、ちんまりといじらしくも小さい花をたむけて、水もまたちゃんと供えてあるのです。
「なるほどのう。では、そなたこの地蔵さまがどうしてこんなところへ、このようなお姿にされて捨てられたか、それもこれもみんなご存じでござりまするな」
「いいえ! 知りませぬ! 存じませぬ! だれがこんなおかわいそうなめにお会わせ申したのやら。きのうの朝でござりました。いつものとおり、お花と水を進ぜに参りましたところ、ふいっとこのお地蔵さまが消えてなくなっておりましたゆえ、わたしを捨ててどこへお逃げなさいましたやらと、ゆうべひと晩じゅう泣いておりましたら、けさほど檀家だんかのおかたが、ここにおいでと知らしてくださいましたゆえ、ころころと飛んでまいったのでござります」
「ほほうのう。では、それゆえなつかしゅうてなつかしゅうて、いかほどお役人がたにしかられましても、おそばを離れることができませんなんだというのでござりまするな」
「あい。そのとおりでござります。それに、このお地蔵さまたちは、うちのお師さまとは因縁の深い、だいじなだいじな守り仏でござりますゆえ、仲よしの珍念がお師さまに代わってお守り申しあげたら、さぞかしお喜びでござりましょうと存じまして、いっしょうけんめいお話し相手になっていたのでござります」
「なに! お師さまには因縁の深いお地蔵さまとのう。どんな因縁でござります?」
「どんなもこんなもありませぬ。この六地蔵さまは、うちのお寺がご本寺の一真寺さまから分かれてまいりましたとき、新寺のお守り仏としていっしょにいただいてまいりました分かれ地蔵でござります」
「といいますると、では、そのご本寺の一真寺とやらにも、これと同じようなお地蔵さまがおありなさるのでござりまするな」
「あい。あちらにも残りのお地蔵さまがやはり六体ござります。合わせて十二体ござりましたゆえ、十二地蔵とも、また女人にょにん地蔵とも申しまして、一真寺においでのころから評判のお地蔵さまでござりました」
「なに! 女人地蔵とのう! それはまたどうしたわけからでござります?」
「あちらの六体のお施主も、これをご寄進なさいましたかたがたも、みんなそろうて女のかたばかりでござりますゆえ、だれいうとなく一真寺の女人地蔵といいだしたのでござります。うそじゃと思うたら、おじさんも字が読めるはず、お地蔵さまたちのお背中をようごろうじませ。ちゃんとお奇特なかたがたのお名まえが刻んでござります」
「はあてね。べらぼうめ。おらだっても字ぐれえ読めるんだ。どれどれ、どこにあります? え! ちょいと! 手もなく読んでやるから、どこに彫ってありますかい」
 出ないでもいいのに、しゃきり出たあいきょう者ともども、うしろへ回ってみると、なるほど女名まえがどれにも彫りつけてあるのです。
「本所外手町弁天小路たま」というのが一基。
「深川安宅あたか町大口横町すず」というのが一つ。
「日本橋小網町貝杓子店かいじゃくしだなすえ」というのが一体。
「浅草花川戸町戸沢長屋しげ」というのが一つ。
「深川摩利支天まりしてん横町ひさ」というのが一基。
「日本橋亀島かめじま町紅梅新道まつ」というのが一体。
 しかも、六地蔵ともに寄進の年月はついおととしの、日もまたそろって同じ灌仏会かんぶつえのある四月八日でした。
 故意か、ただのいたずらか、なぞを解くかぎはここに一つあるにちがいない!
 読み終わると同時に、きらりと鋭く名人の目のさえたのは当然。声もまた鋭くさえて、今なおちんまりとすわったままでいる珍念のところへ飛びました。
「そなた、もとよりこの女たちの素姓、お知りでありましょうの」
「いえ。あの……あの珍念はまだ年がいきませぬゆえ、女のことはなに一つ知りませぬ。でも、あの……」
「なんじゃ!」
「そのかたたちはどのような素姓やら少しも存じませぬが、うちのお寺にはたいせつなたいせつなお檀家だんかとやらで、お参詣さんけいのたびごとにお師さまもたいそうごていねいにおもてなしでござります」
「ほほうのう。そのお師さまはおいくつくらいじゃ。さだめし、もうよほどのお年でありましょうのう」
「いえ。ことしようやく二十三でござります」
「なに! ただの二十三でござりますとのう。そんなお年で一寺のお住職になられるとは、ちと若すぎるようじゃが、よほどおできのかたでござりまするか」
「あい。お本寺の一真寺のほうにおいでのころから評判のおかたでござりましたゆえ、なくなられました大和尚おしょうさまもたいそうお力を入れて、わざわざ今の興照寺をお建立こんりゅうのうえ、ご住職におすえ申しましたとやらいうお話でござります」
「なるほどのう。お姿は?」
「は?……」
「そのお師さまのお様子じゃ。ご美男でござりまするか」
「ええもう、それはそれは、お気高くて、やさしゅうて、絵からぬけ出たように美しい若上人わかしょうにんさまでござります」
 さらに光った。――そこにもなぞを解くかぎが一つあるにちがいない。否! 絵から抜け出たようなといったその美男のところに、なぞの山へ分け入る秘密の間道があるに相違ないのです。しかも、寄進についている六地蔵のその施主は、身分素姓年ごろこそわからぬ、いずれもなまめかしくえんな下町女らしい名まえばかりでした。
 故意か?
 いたずらか?
 それとも、故意はこいであっても、恋のこいであるか?
「えへへ。やっぱり、足まめに出かけてくるもんだね。ちくしょうめ。さあ、穏やかでねえぞ。安珍清姫の昔からあるんだ。べっぴんの若いご上人しょうにんさまがあって、ぽうとなった女の子があって、会いたい、見たい、添いとげたい。ままになるならついでのことに、ときどき尊い引導も授けてもらいたい、――とね。陰にこもって日参をしてみたが、生き仏さまにはとうからもう女人地蔵がついているんだ、それもこの背中の名まえどおり六人もそろってね。だから、おこぼれさえもちょうだいできねえというんで、ええくやしい、腹がたつ、憎いはこの地蔵とばかり、たちまち女の一念嫉刃ねたばに凝って、こんなよからぬわるさをしたにちげえねえですよ。ええ、そうですとも! べらぼうめ。思っただけでもくやしいね。たびたびいうせりふだが、江戸の女がおらに断わりもしねえで、かれこれと浮いたまねをするってえ法はねえんだ。ね! ちょっと! しゃべってまたうるせえですかい」
 ここをせんどとやかましく始めたのを、名人は柳に風と聞き流しながら、子細に六地蔵の傷個所を見しらべました。――どの傷もどの傷も、ぐいとひと欠けに欠けて、使った得物はどうやら金づちらしく、しかもところきらわずめったやたらにぶちこわしているところを見ると、ただのいたずらだったら格別、もし故意にやったことならば、遺恨のもとがなんであるにしろ、下手人はまた何者であるにしろ、まさしくこれを人目にさらして、この六地蔵菩薩ぼさつと、その寄進者を恥ずかしめようという目的のもとに行なわれた暴行にちがいないのです。
「ウフフ。手がかりは何もない。落とし物もなに一つない。あるものはおつむにのっかっている古わらじばかりだとすると、頼みの綱はおいらの知恵蔵一つだ。――干そうぜ!」
「え……?」
「おまえにいってるんじゃねえ。まだちっと季節に早いが、早手回しに知恵蔵の虫干ししようかと、おいら、おいらに相談しているんだ。――珍念さん」
「はい。朝のおときいただかずに駆けだしてまいりましたゆえ、少しおなかがひもじゅうなりました」
「おきのどくにのう。もうこれでご用済みになるゆえ、はよう帰ってたんといただきなさいよ。そなたのお寺はどこでござる?」
「興照寺ならば、あの……あの、あれでござります。あそこの火の見やぐらの向こうに見える高いお屋根がそうでござります」
 指さした川下の左手に目をやると、なるほど、川にのぞんで水もやの中からくっきりと空高く浮き上がりながら、朝日にきらきらと照りはえているいらかの尾根が見えました。橋からの距離は約六、七町ばかり。
「一真寺は?」
「ご本堂は、ほら、あの、あれでござります。川をはさんでうちのお寺とにらめっこをしている右側の、あの高いお屋根がご本堂でござります」
 いかさま、ちょうどその真向かいの、松平越前えちぜん侯お下屋敷とおぼしきひと構えのこちらに、さながら何かの因縁ごとででもあるかのごとく、黙々として屋根の背中を光らせながらそびえ立っている堂宇が見えるのです。
「にらめっことはうまいことをいいましたね。ほんとうに、屋根と屋根とがけんかをしているようだ。分かれ地蔵がこのありさまならば、一真寺のお残り地蔵も気にかかる。十八番のからめ手詮議でぴしぴしとたたき上げていってみようよ。――ご出役のかたがた、ご苦労さまでした。ちっと回り道のようだが、これがあっしの流儀です。一真寺のほうから洗ってみましょうからね。この六地蔵さまともども、どうぞもうお引き揚げくださいまし。珍念さんもね、仲よしのお菩薩ぼさつさまがこのとおりたいへんなおけがだ。こっちのお役人さまにてつだっていただいて、お寺へお連れ申してから、せいぜいお看病してあげなさいよ」
「あい、おじさん。今度またお目にかかりましたら、お地蔵さまともお相談をして、おはぎをどっさりおもてなしいたします。さようなら……」
 愛くるしい声をあとにして、まず目ざしたところは、むしろ意外といっていいご本寺の一真寺なのでした。これこそは忘れてはならぬ右門流十八番中の十八番、一見迂遠うえんに見えて迂遠でない、遠回りしていって、事の起こりの根から探り出す名人独自のからめ手詮議なのです。――急ぐほどに、しっとりと沈んだ朝の大気の中を漂って、目ざしたその一真寺の境内から、しだいに強く線香のにおいが近づきました。


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

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