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右門捕物帖(うもんとりものちょう)35 左刺しの匕首

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:55:28  点击:  切换到繁體中文


     3

 なるほどある。
 古いのれんに、すず文と染めぬいて、間口も三間あまり、なかなかの大屋台です。
 しかし、表の飾り天水おけはあってもたががはじけ、のれんには穴があいて、左前が軒下にのぞいているような構えでした。
「うそじゃねえや。屋根がほんとうに傾いていやがる。――おるか。許せよ」
「いらっしゃいまし……あいすみませぬが、ご両替ならこの次にお願いしとうござります…」
「この次を待ってりゃ土台骨がなくなろうと思って、大急ぎにやって来たんだ。おまえが主人か」
「さようでございますが、だんなさまはどちらの」
「どちらの男でもいい。しょぼしょぼしていてよく見えねえや。もっとこちらへ顔をみせろ」
 いぶかるようにあげた顔は、もう六十あまり。――目にはやにが浮き、ほおは青やせにやせこけて深いしわがみぞのように走り、三度三度のいただきものも事欠いているのではないかと思われるような、しょぼしょぼとした老人でした。
 そばに丁稚でっちがひとり。
 これも食べないための疲れからか、まだ起きたばかりの朝だというのに、こくりこくりと舟をこいでいるのです。
「店のものはこれっきりか」
「ほかにおることはおったんですが――」
「牢へへえったんだろう」
「さようでござんす。よくご存じですな。あのほかにいまひとり――」
「まだいたか!」
「おりました。つえとも柱とも頼んだ番頭がおりましたんですが……」
「なに、番頭!」
「さようでござんす。子どものうちからてまえの兄弟のようにして育ったのがおりましたんですが、店が傾いてくるとしようのないものでござんす。一軒構えたい、のれんを分けてくれと申しますんで、やらないというわけにもいかず、こんな店にまたおってもしかたがあるまいと、ついこのひと月ほどまえに暇をやりました。残ったのはこの小僧ひとり、子もなし、家内もなし、火の消えたようなものでござんす……」
「ふふん、そうか。ひと月ほどまえに暇をとったというか。いくらかにおってきやがったな」
 出馬したとしたら早い。
 にらみも早いが、ホシのつけ方も早いのです。
「その番頭の構えたという店はどこだ」
「あれでござんす」
「あれ?」
「あの前の横町へ曲がるかどにある店がそうでござんす」
 変なところへまた店を張ったものでした。なるほど、店から見とおしの、目と鼻のところに見えるのです。
 のれんも新しく、ご両替、鈴新という文字が目を射抜きました。
 こんな不思議はない。ふらちはない。別な稼業かぎょうならいざ知らず、同じ商売の両替屋なのです。恩ある主家なら、別な町か、遠いところへ店を張るべきがあたりまえなのに、まるで商売がたき、客争いをいどむように、二町と離れない近くへのれんを張っているのです。
「笑わしゃがらあ。ねえ、あにい、どうでえ。おかしくって腹がよじれるじゃねえかよ」
「そうですとも。あっしゃもうさっきからおかしくってしようがねえんだ」
「ばかに勘がいいが、なにがおかしいかわかっているのかよ」
「わかりますとも。あのおやじの顔でがしょう。ちんころが縫いあげしたような顔ってえことばがあるが、こんなのは珍しいや。浅草へでも連れていったら、けっこう暮れのもち代はかせげますよ」
「あほう」
「へ……?」
「いつまでたっても知恵のつかねえやつだ。だから嫁になりてもねえんだよ。おいらのおかしいのは、あば敬のことなんだ。不審のかどありが聞いてあきれらあ。ちゃんとこの店の前に、不審のかどのご本尊がいらっしゃるじゃねえかよ。のれんを分けてもらった子飼いの番頭が、ご本家へ弓を引くようなまねをするはずがねえ。ふたりの手代どもが忠義顔に罪を着たがったのも、火もとはあの辺だ。ぱんぱんとひとにらみに藻屑もくずをあばいてお目にかけるから、ついてきな」
「ちげえねえ」
「おそいや! 感心しねえでもいいときに感心したり、しなくちゃならねえときに忘れたり、まるで歯のねえげたみてえなやつだ。そっちじゃねえ。あのかどの鈴新へ行くんだよ。とっとと歩きな」
 名人の気炎、当たるべからずです。
 表へいってみると、その鈴新が豪勢でした。みがき格子こうしあらのれん、小僧の数も四人あまりちらついて、年の瀬を控えた店先には客足もまた多いのです。
「根が枯れて、枝が栄えるというのはこれだよ。鈴新というからにゃ、新兵衛しんべえ新九郎しんくろう新左衛門しんざえもん、いずれは新の字のつく名まえにちげえねえ。おやじはいるか、のぞいてみな」
「待ったり、待ったり。穏やかならねえ声がするんですよ。出ちゃいけねえ、出ちゃいけねえ。ちょっとそっちへ引っこんでおいでなさいまし」
「なんだ」
「女の声がするんですよ」
「不思議はねえじゃねえか」
「いいや、若い娘らしいんだ。――ね、ほら、べっぴん声じゃござんせんか……」
 なるほど、張りのいい若やいだ声が耳を刺しました。
「久どん! 久どん! いけないよ。なんだね、おまえ、だいじなお宝じゃないか。小判をおもちゃになんぞするもんじゃないよ」
「いいえ、お嬢さま、おもちゃにしているんじゃねえんですよ。精出して音いろを覚えろ、にせの小判とほんものとでは音が違うからと、おだんなさまがおっしゃったんで、音いろを聞き分けているんですよ」
「うそおっしゃい! そんないたずらをしているうちに、また一枚どこかへなくなったというつもりだろう。おとといもそうやっているうちに、小粒が一つどこかへなくなってしまって、出ずじまいじゃないか、ほかのだれをごまかそうとも、このわたしばかりはごまかせないよ。音いろを聞きたかったら、この目の前でおやり!」
 権高に店員をしかっているあんばい、むろんこの家の娘にちがいないが、どうやら店のこと、金の出入りの采配さいはいも、その娘が切りまわしているらしい様子でした。
 ひょいとのぞいてみると十八、九、――品はないが、まずまずべっぴんの部類です。
「繁盛だな……」
「いらっしゃい。どうぞ、さあどうぞ。そこではお冷えなさいます。こちらへお掛けなさいまし」
 あいきょうがまたばかによい。こぼれるような笑顔えがおをつくりながら、こわい名人を名人とも知らないのか、下へもおかない歓待ぶりでした。
「ご両替でございましょうかしら? お貸し金でございましょうかしら? ――お貸し金のほうなら、もう暮れもさし迫っておることでございますゆえ、抵当がないとお立て替えできかねますが……」
「金に用はない。のれんに用があって参ったのじゃ」
 ずばりと、切りさげるように一本くぎをさしておくと、やんわりといったものです。
「小判に目が肥えているなら、こっちのほうも目が肥えておろう。この巻き羽織でもようみい」
「まあ。そうでござんしたか。どんなお詮議せんぎやら、朝早くのご出役ご苦労さまでござります。お尋ねはにせ金のことかなんかでございましょうかしら?」
 おどろく色もなく嫣然えんぜんと笑って、流るる水のごとくなめらかに取りなしました。
「なんのお調べでござんしょう? わたくし、娘の竹というものでござります。わたしでお答えのできないことなら親を呼びますが……」
「おるか!」
「朝のうち一刻ひとときは信心するがならわし。あのご念仏の声が親の新助でござります」
「いいや、行く、行く。お上のだんなの御用ならいま行くぞ……」
 耳にはさんだとみえて、いそいそと出てきたその親の新助が、また至極とあいそがいいのです。
「毎度のご出役ご苦労さまでござります。おおかただんなさまも、てまえのうちが向かいの主人の鈴文さまのお店より景気がいいんで、それにご不審をうってのお越しじゃござんせんか」
「よくわかるな。どうしてそれがわかる」
「いいえ、敬四郎のだんなさまもそのようにおっしゃって、たびたび参りましたんで、たぶんまたそんなことだろうと察しがついただけなんでございますよ。そのご不審でのお越しならば、ここに一匹招きねこがおりますゆえ、ようごろうじませ。アハハハハ。親の口からは言い憎いことでござりまするが[#「ござりまするが」は底本では「ごさりまするが」]、一にあいきょう、二にあいきょう、若い娘のあいきょうほど客を引くにいい元手はござりませぬ。店の繁盛いたしますのも、みんなこの招きねこのせいでございますよ。ほかにご不審がございましたら、お白州へでも、ご番所へでも、どこへでも参ります。なんならただいまお供いたしましてもよろしゅうござります。アハハハハ。いかがでござります。だんなさま」
 にこやかに笑って、あいそのいい応対ぶり、さながらにすべすべとしたぬれ岩をでもつかむようでした。
「ふふん。しようがねえや……」
 不思議です。
 なんと思ったか、とつぜん名人が吐き出すようにつぶやいたかと思うと、にやにや笑いながら、さっさと店を引きあげました。


 

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