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右門捕物帖(うもんとりものちょう)37 血の降るへや

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:57:15  点击:  切换到繁體中文


     3

 待ちうけているところへ、ことりことりと下から足音が近づいて、若い男の顔がまずぽっかりと現われました。
「書生か」
「さようでござります」
「名は?」
「平四郎と申します」
 なにかもっときくだろうと思ったのに、それっきりです。
「よし。行け」
 けげんそうに帰っていったのと入れ違いに、また若い顔が現われました。
「おまえも書生だな」
「さようでござります」
「親は男親がすきか、母親がすきか」
「は……?」
「よしよし。もう帰れ」
 不思議そうに首をかしげて降りていったあとから、ことことと足音が近づきました。軽いその足音を聞いたばかりで、あげもしないのです。
「よし、わかった。下男だな。来んでもいい。かえれ」
 入れ違いに重い足音が近づくと、代脈らしい男の顔が現われました。ちらりとその顔を見たばかりです。
「よし。おまえにも用はない。早く行け。あとはふたりずつ来るよう言いつけろ」
 これもけげんそうに帰ったあとから、陸尺ろくしゃくたちがふたり現われました。ふん、といったきり、ききもしないのです。入れ違いにあがってきたのは、ふたりの女中でした。
「おまえ、すきだろう。伝六、何かきいてみな」
「へ……?」
「おふたりとも、なかなかご器量よしだ。もののはずみで、どんなことにならねえともかぎらねえ。ききたいことがあったら、尋ねてみろといってるんだよ」
「はずかしいや……」
「がらかい!――よし、よし、ご苦労さまでした。もう用はありませぬ。あとはおうちのおふたりだ。すぐに来るよう申してもらいましょう」
 同じように首をかしげながら降りていったのと入れ違いに、ものやわらかなきぬずれの音が近づきました。
 妻女と娘のふたりです。母は五十くらい、あたりまえな顔だが、しかし、娘はうって変わって、寒くなるような美人でした。手、指、つめ、どこからどこまでがほっそりとしていて、青く白く、血のない女ではないかと思えるほどに、しんしんと透きとおっているのです。そのうえに震えが見える。美しい顔が、足が、かすかに波をうっているのです。
「お名まえは?」
千萩ちはぎと申します……」
「ほほう、千萩さんといいますか。いまにも散りそうな名でござりまするな」
 上から下へ、右から左へ、娘の顔とふた親の顔とを、じろり、じろりと見比べていたが、なにを見てとったか、ふいと立ち上がると、さっさと帰りじたくを始めました。
「ぞうさはござりますまい。なんとか目鼻がつきましょう。だれにもいっさい他言せぬようお気をつけなさいませよ。いいですかい。お忘れなすっちゃいけませんぞ」
 特に念を押しておくと、早いものです。すうと出ていったかと思うと、しかし、とつぜん、伝六をおどろかして命じました。
「この町内か、近くの町内に、お針の師匠はねえか、洗ってきな」
「お針……? お針の師匠というと、おちくちくのあのお針ですかい」
「決まってらあ。つり針や意地っぱりに師匠があるかい。どこの町内でも、娘があるからにゃお針の師匠もひとりやふたりあるはずだ。がちゃがちゃしねえで、こっそりきき出してきな」
「…………?」
「なにをぼんやりひねっているんだよ。おひねりだんごじゃあるめえし、まごまごしていりゃ夜がふけるじゃねえか」
「あんまり人を小バカにしなさんな。ひねりたくてひねっているんじゃねえですよ。裏を返して軸物を掛けてみたかと思や、ひとりひとり呼びあげて、ろくでもねえことをきいて、町内にお針の師匠がおったら何がどうしたというんです。ひねってわるけりゃ、もっと人情のあることをいやいいんですよ」
「しようのねえ男だな。これしきのことがわからなくてどうするかい。くれぐれもご内密にと、三庵さんあん先生が拝むように頼んでおるじゃねえか。だからこそ、血の一件を知らすまいと思って、わざわざ裏返しに掛けさせたんだ。裏は返しておいても、あの家の者の中にいたずらをしたやつがおったら、軸を見ただけでもぴんと胸を刺されるにちげえねえんだ。胸を刺されりゃ、自然と顔のいろも変わろうし――」
「足も震えるだろうし――」
「それだけわかってりゃ、なにも首なんぞひねるがものはねえじゃねえかよ。ほかの者はみんなけげんそうな顔をして降りていったが、あの娘だけが震えていたんだ。ばかりじゃねえ。おまえさんはあの娘の顔と親たちの顔を比べてみたかい」
「いいえ、自慢じゃねえが、あっしゃそんなむだをしねえんですよ。べっぴんはべっぴんでけっこう目の保養になるんだからね。しわくちゃな親の顔なんぞと比べてみなくとも、ちゃんと堪能たんのうできるんですよ」
「あきれたやつだ。だから、伝六でんでんにしんの子、酒のさかなにもなりゃしねえなんぞと、子どもにまでもバカにされるんだよ。とびがたかを産んだという話はきくが、おやじの三庵はあのとおりおでこの慈姑頭くわいあたま、おふくろさんは四角い顔の寸づまり、あんな似たところのねえ親子なんてものはありゃしねえ。不審はそれだ。娘のことを探るのは娘どうし、その娘っ子の寄り集まるところといや、まずてっとり早いところがお針のお師匠さんじゃねえか。三人五人と町内近所の娘が寄りゃ、あっちの娘の話、こっちの娘のうわさ、今のあの不思議な娘のことも、何かうわさを聞いているだろうし、陰口もたたき合っているにちげえねえんだ。それを探るというんだよ、それをな。ほかのところじゃねえ、女護が島を見つけに行くんだ。わかったら、勇んでいってきなよ」
「かたじけねえ。そういうふうに人情を割って話してくれりゃ、あっしだってすねるところはねえんですよ。べらぼうめ、どうするか覚えていろ。ほんとうに……! おうい、どきな、どきな、じゃまじゃねえか。道をあけな」
 べつにだれも道をふさいでいるわけではないのに、事ひとたび伝六が勇み立ったとなるとすさまじいのです。ひらひらとそでを振っていったかと思うまもなく、姿が消えました。


 

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