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家(いえ)1 (上巻)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-8 10:47:43  点击:  切换到繁體中文



 暗くなって三吉夫婦は自分等の新しい家に着いた。汽車の都合で、途中に一晩泊って、猶(なお)さ程旅を急がなかった為に、復た午後から乗って来た。その日のうちに着きさえすれば可い、こういう積りであったので。お雪は汽車を降りるから自分の家の庭に入るまで、暗い、知らない道を夫に連れられて来た。
 庭を上ると、直ぐそこは三尺四方ばかりの炉を切った部屋で、炉辺(ろばた)には年若な書生が待っていた。この書生は三吉が教えに行く学校の生徒であった。
「明日は月曜ですから、最早それでも御帰りに成る頃かと思って、御待ち申していました」と書生はお雪に挨拶した後で言った。
「大分ユックリやって来ました」と三吉も炉辺に寛(くつろ)いだ。
 お雪は眺(なが)め廻しながら、
「へえ、こういうところですか」
 と言って、書生に菓子などを出して勧めた。先ず眼につくものは、炉に近い戸棚、暗い煤(すす)けた壁、大きな、粗末な食卓……
「ここは士族屋敷の跡なんだそうだ」と三吉は妻に言い聞かせた。「後の方に旧(もと)の入口があるがね、そこは今物置に成てる。僕等が入って来たところは、先に住んだ人が新規に造(こしら)えた入口だ。どうも、酷(ひど)い住方をして行ったものサ。壁を張る、畳を取替える――漸(ようや)くこれだけに家らしくしたところだ。この炉も僕が来てから造り直した」
 書生は物置部屋の方から奥の洋燈(ランプ)を点(つ)けて出て来た。三吉はそれを受取って、真暗な台所の方へ妻を連れて行て見せた。広い板間(いたのま)、立て働くように出来た流許(ながしもと)、それからいかにも新世帯らしい粗末な道具しかお雪の目に入らなかった。台所の横手には煤けた戸があった。三吉はそれを開けて、そこに炭、薪、ボヤなどの入れてあることを言って、洋燈を高く差揚げて見せたが、お雪には暗くてよく見えなかった。
「ここをお前の部屋にするが好い」
 と三吉が洋燈を持って案内したは、炉辺の次にある八畳の間で、高い天井、茶色の壁紙で貼(は)った床の間などがお雪の眼についた。奥には、これと同じ大さの部屋があって、そこには本や机が置いてある。その隣に書生の部屋がある。割合に広い住居ではあったが、なにしろ田舎臭い処であった。
 停車場前で頼んで置いた荷物も届いた。夫婦は未だ汽車で動(ゆす)られているような気がした。途中から一緒に汽車に乗り込んで来た夫婦ものらしい人達は、未だ二人の前に腰掛けて二人の方を見て、何か私語(ささや)き合っているらしくも思われた。あの細君の大きな目――あの亭主の弱々しい、力のない眼――そういうものは考えたばかりでも羞恥(しゅうち)の念を起させた。二人は人に見られて旅することを羞(は)じた。どうかすると互に顔を見ることすら避けたかった。


 戸の透間(すきま)が明るく成った。お雪は台所の方へ行って働いた。裏口を開けて屋外(そと)へ出てみると、新鮮な朝の空気は彼女に蘇生(いきかえ)るような力を与えた。その清々(せいせい)とした空気はお雪が吸ったことの無いようなものであった。
 一晩知らずに眠った家は隣と二軒つづきの藁葺(わらぶき)の屋根であった。暗くて分らなかった家の周囲(まわり)もお雪の眼前(めのまえ)に展(ひら)けた。彼女は、桑畠(くわばたけ)の向に見える人家や樹木の間から、遠く連(つづ)いた山々を望むことの出来るような処へ来ていた。ゴットン、ゴットンと煩(うるさ)く耳についたは、水車の音であった。
 裏には細い流もあった。胡頽子(ぐみ)の樹の下で、お雪は腰を曲(かが)めて、冷い水を手に掬(すく)った。隣の竹藪(たけやぶ)の方から草を押して落ちて来る水は、見ているうちに石の間を流れて行く。こういう処で顔を洗うということすら、お雪にはめずらしかった。
 例の書生は手桶(ておけ)を提(さ)げて、表の方から裏口へ廻って来た。飲水を汲(く)む為には、唐松(からまつ)の枝で囲った垣根の間を通って、共同の掘井戸まで行(いか)なければ成らなかった。
 前の晩に見たよりは、家の内の住み荒された光景(ありさま)も余計に目についた。生家(さと)を見慣れた眼で、部屋々々を眺めると、未だ四辺(そこいら)を飾る程の道具一つ出来ていなかった。
 書生はよくお雪の手伝いをした。不慣な彼女が勝手で働いている間に、奥の方の庭までも掃除を済ました。バケツを提げて、その縁側へお雪が雑巾掛(ぞうきんがけ)に行ってみると、丁度躑躅(つつじ)の花の盛りである。土塀(どべい)に近く咲いた紫と、林檎(りんご)の根のところに蹲踞(うずくま)ったような白とが、互に映り合て、何となくこの屋根の下を幽静(しずか)な棲居(すまい)らしく見せた。土塀の外にもカチャカチャ鍋(なべ)を洗う音などがした。向の高い白壁には朝日が映(あた)って来た。
 飯の用意も出来た。お雪は自分の手で造ったものを炉辺の食卓の上に並べて、夫にも食わせ、自分でも食った。書生も楽しく笑いながら食った。世帯を持って初めての朝、味噌汁(みそしる)も粗末な椀(わん)で飲(のん)だ。お雪が生家(さと)の知人(しりびと)から祝ってくれたもので、荷物の中へ入れて持って来た黒塗の箸箱(はしばこ)などは、この食卓に向きそうも無かった。
 やがて三吉や書生が学校へ行く時が来た。質素な田舎のことで、着て出る物も垢(あか)さえ着いていなければそれで間に合った。お雪は夫の為に大きな弁当箱を包んだ。こんな風にして、彼女は新婚の生涯を始めた。奉公人を多勢使って贅沢(ぜいたく)に暮して来た日までのことに比べると、すべて新たに習うようなものである。とはいえ、お雪は壮健(じょうぶ)な身体を持っていた。彼女は夫を助けて働けるだけ働こうと思った。


 鍛冶屋(かじや)に注文して置いた鍬(くわ)が出来た頃から、三吉は学校から帰ると直ぐそれを手にして、裏の畠の方へ出た。彼は家の持主から桑畠の一部を仕切って借りた。そこは垣根に添うた、石塊(いしころ)の多い、荒れた地所で、野菜畠として耕す前には先ず堅い土から掘起して掛らなければ成らなかった。
 俗に鉄道草と称(とな)える仕末に負えない雑草が垣根の隅(すみ)に一ぱい枯残っていた。それを抜取るだけでも、三吉はウンザリして了(しま)った。その他の雑草で最早(もう)根深く蔓延(はびこ)っているのも有った。青々とした芽は、其処(そこ)にも、是処(ここ)にも、頭を擡(もちあ)げていた。
 労苦する人達の姿が三吉の眼に映り初めたのは、橋本の姉の家へ行く頃からであった。木曾に居る時も、幾分(いくら)か彼はその心地(こころもち)を紙に対(むか)って書いた。こうして僅かばかりの地所でも、実際自分で鍬を執(と)って耕してみるということは、初めてである。不慣な三吉は直に疲れた。彼の手足は頭脳(あたま)の中で考えたように動かなかった。時々彼はウンと腰を延ばして、土の着いた重い鍬に身体を持たせ凭(か)けて、青い空気を呼吸した。
 マブしい日が落ちて来た。三吉は眼鏡(めがね)の上から頬冠りして、復た働き始めた。
「どうも、好く御精が出ます」
 と声を掛けて、クスクス笑いながら垣根の外から覗(のぞ)いて通る人があった。学校の小使だ。この男の家では小作をして、小使の傍(かたわ)ら相応の年貢を納めている。いずれ三吉はこの男に相談して、畠の手伝いを頼もうと思った。野菜の種も分けて貰おうと思った。
 翌日(あくるひ)も、学校から帰ると直ぐ三吉は畠へ出た。
 お雪は垣根と桑畠の間を通って、三吉の働いている処へ来た。書生も後から随(つ)いて来た。
「オイ、そんなところに立って見ていないで、ちと手伝いをしろ」と三吉が言た。
「御手伝いに来たんですよ」とお雪は笑った。
「お前達はその石塊(いしころ)を片付けナ」と三吉は言付けて、「子供のうちから働きつけた者でなくちゃ駄目だね――所詮(とても)この調子じゃ、俺も百姓には成れそうも無いナ」
 三吉は笑って、一度掘起した土を復た掘返した。大な石塊が幾個(いくつ)も幾個も出て来た。
 お雪も手拭を冠り、尻端を折って、書生と一緒に手伝い始めた。石塊は笊(ざる)に入れて、水の流の方へ運んだ。掘起した雑草の根は畠の隅に積重ねてあった。その容易に死なない、土の着いた、重いやつを、何度にか持運んで捨てに行くということすら、お雪には一仕事であった。三人は日光を浴びながら一緒に成って根気に働いた。
「頬冠りも好う御座んすが、眼鏡が似合いません」
 こうお雪は夫の方を見て、軽く笑うように言った。書生も立って見ていた。三吉も苦笑(にがわらい)して、土の着いた手で額の汗を拭(ぬぐ)った。


 清い流で鍬を洗って、入口の庭のところに腰掛けながら、一服やった時は、三吉も楽しい疲労(つかれ)を覚えた。お雪も足を洗って入って来た。激しく女の労働する土地で、麻の袋を首に掛けながら桑畠へ通う人達が会釈して通る。お雪は家を持つ早々こうして女も働けば働けるものかということを知った。
 嫁(かたづ)いて来たばかりで、まだ娘らしい風俗がお雪の身の辺(まわり)に残っていた。彼女の風俗は、豊かな生家(さと)の生活を思わせるようなもので、貧しい三吉の妻には似合わなかった。紅(あか)く燃えるような帯揚などは、畠に出て石塊(いしころ)を運ぶという人の色彩(いろ)ではなかった。
 三吉はお雪の風俗から改めさせたいと思った。彼は若い妻を教育するような調子で、高い帯揚の心(しん)は減らせ、色はもっと質素なものを択(えら)べ、金の指輪も二つは過ぎたものだ、何でも身の辺(まわり)を飾る物は蔵(しま)って置けという風で、この夫の言うことはお雪に取って堪え難いようなことばかりであった。
「今から浅黄の帯揚なぞが〆(し)められるもんですか」とお雪はナサケないという眼付をした。「今からこんな物を廃(よ)せなんて――若い時に〆なければ〆る時はありゃしません」
 とはいえ、お雪は夫の言葉に従った。彼女は今までの飾を脱ぎ去って、田舎教師の妻らしく装うことにした。「よくよく困った時でなければ出すなッて、阿爺(おとっ)さんに言われて貰って来たんですが……」と言って、百円ばかりの金の包まで夫の前に置いた。お雪は又、附添(つけた)して、仮令(たとい)倒死(のたれじに)するとも一旦嫁(とつ)いだ以上は親の家へ帰るな、と堅く父親に言い含められて来たことなどを話した。凛然(りん)とした名倉の父の気魄(きはく)、慈悲――そういうものは、お雪の言葉を通しても略(ほぼ)三吉に想像された。
若布(わかめ)は宜(よ)う御座んすかねえ」と門口に立って声を掛ける女が幾人(いくたり)もあった。遠く越後の方から来る若い内儀(かみさん)や娘達の群だ。その健気(けなげ)な旅姿を眺めた時は、お雪も旅らしい思に打たれた。蛙の鳴声も水車の音に交って、南向の障子に響いて来る……ガタガタ荷馬車の通る音も聞える……
 この三吉の家は旧(ふる)い街道の裏手にあたって、古風な町々に連続(つづ)いたような位置にある。お雪は一度三吉に連れられて、樹木の多い谷間(たにあい)を通って、校長という人の家に案内された時、城跡に近い桑畠の向に建物の窓を望んだ。それが夫の通う学校であった。三吉はその道を取ることもあり、日によっては裏の流について、停車場前の新しい道路を横に切れて、それから桑畠だの石垣だのの間を折れ曲って鉄道の踏切のところへ出ると、そこで一里も二里も通って来る生徒の群に逢(あ)って、一緒にアカシヤの生(お)い茂った学校の表門の前へ出ることもある。お雪は夫の話によって、自分等の住む家が大きな山の上の傾斜の中途にあることを知った。幾十里隔てて、橋本の姉と同じ国に来ているような気がしない、と夫は言ったが、お雪にはまだその方角さえも判然(はっきり)しなかった。


 裏の畠には、学校の小使に習って、豆、馬鈴薯(じゃがいも)、その他作り易(やす)い野菜から種を播(ま)いた。葱苗(ねぎなえ)を売りに来る百姓があった。三吉の家では、それも買って植えた。
 お雪が三吉の許(もと)へ嫁いて来るについては種々(いろいろ)な物が一緒に附纏(つきまと)って来た。「未来のWと思っていたが、君が嫁いて失望した……いずれその内に訪ねて行く……」こんなことを女名前にして書いて寄(よこ)す人も有った。お雪はそれを三吉に見せて、こういう手紙には迷惑すると言った。三吉は好奇心を以(もっ)て読でみた。放擲(うっちゃらか)して置いた。どうかするとお雪は不思議な沈黙の状態(ありさま)に陥ることも有った。何か家の遣方(やりかた)に就いて、夫から叱られるようなことでも有ると、お雪は二日も三日も沈んで了う。眼に一ぱい涙を溜(た)めていることも有る。こういう時には三吉の方から折れて出て、どうしても弱いものには敵(かな)わないという風で、種々に細君の機嫌(きげん)を取った。
「氷豆腐というものもナカナカ好いものだね……ウマい……ウマい‥…今日の菜(さい)は好く出来た……」
 こう三吉の方で言うと、お雪も気を取直して、夫と一緒に楽しく食うという風であった。尤(もっと)もこの沈黙はそう長くは続かなかった。一度その状態(ありさま)を通り越すと、彼女は平素(いつも)のお雪に復(かえ)った。そして、晴々しい眼付をして、復た根気よく働いた。お雪は夫の境涯をさ程苦にしているでもなかった。
 お雪の部屋には、生家(さと)から持って来た道具なども置かれた。大きな定紋の付いた唐皮(からかわ)の箱には、娘の時代を思わせるような琴の爪(つめ)、それから可愛らしい小さな男女(おとこおんな)の人形なども入れてあった。親族や知人からはそれぞれ品物やら手紙やらで祝って寄(よこ)した。三吉が妻の友達にと紹介した二人の婦人からも来た。
「曾根さんは曾根さんらしい細い字で書いて来たネ」と三吉が言て笑った。
真実(ほんと)に皆さんは御上手なんですねえ」とお雪も眺めた。
 名倉の店に勤めている人で、お雪が義理ある兄の親戚にあたる勉からも、お雪へ宛(あ)てて祝の手紙が来た。これは又、若い商人らしい達者な筆で書いてあった。
 こんな風にして、三吉夫婦の若い生涯は混(まじ)り始めた。やがて裏の畠に播いた莢豌豆(さやえんどう)も貝割葉(かいわれば)を持上げ、馬鈴薯も芽を出す頃は、いくらかずつ新しい家の形を成して行った。お雪は住居の近くに、二人の小母さんの助言者をも得た。一人は壁一重隔てて隣家(となり)に住む細君で、この小母さんは病身の夫と多勢の子供とを控えていた。小母さん達はかわるがわる来て、時の総菜が出来たと言ってはくれたり、世帯持の経験を話して聞かせたりするように成った。

     五

 東京の学校が暑中休暇に成る頃には、お雪が妹のお福も三吉の家へやって来た。お福は、お雪の直ぐ下にあたる妹で、多勢の姉妹(きょうだい)を離れて、一人東京の学校の寄宿舎に入れられている。名倉の母の許を得て、一夏を姉の許(ところ)に送ろうとして来たのである。
 三吉が通っている学校は、私人の経営から町の事業に移りかけているような時で、夏休というものもお福の学校の半分しかなかった。お福の学校では二月の余も休んだ。裏の畠(はたけ)の野菜も勢よく延びて、馬鈴薯(じゃがいも)の花なぞが盛んに白く咲く頃には、漸(ようや)く三吉も暇のある身(からだ)に成った。
 三吉は新(あらた)に妹が一人増(ふ)えたことをめずらしく思った。読書の余暇には、彼も家のものの相手に成って、この妹を款待(もてな)そうとした。お雪は写真の箱を持出した。
 名倉の大きな家族の面影(おもかげ)はこの箱の中に納められてあった。風通しの好い南向の部屋で、お雪姉妹は集って眺(なが)めた。養子して名倉の家を続(つ)いだ一番年長(うえ)の姉、※という店を持って分れて出た次の姉、こういう人達の写真も出て来る度(たび)に、お雪は妹と生家(さと)の噂(うわさ)をした。お福の下にまだ妹が二人あった。その写真も出て来た。姉達の子供を一緒に撮(と)ったのもあった。この写真の中には、お雪が乳母と並んで撮った極く幼い時から、娘時代に肥った絶頂かと思われる頃まで、その時その時の変遷(うつりかわり)を見せるようなものがあった。中には、東京の学校に居る頃、友達と二人洋傘(こうもり)を持って写したもので、顔のところだけ掻※(かきむし)って取ったのもあった。
 三吉の方の写真も出て来た。お雪は妹に指して見せて、この帽子を横に冠ったのは三吉が東京へ出たばかりの時、その横に前垂を掛けているのが宗蔵、中央(まんなか)に腰掛けて帽子を冠っている少年が橋本の正太、これが達雄、これが実、後に襟巻(えりまき)をして立ったのが森彦などと話して聞かせた。
「どうです、この兄さんは可愛らしいでしょう」
 と三吉もそこへ来て、自分がまだ少年の頃、郷里(くに)から出て来た幼友達と浅草の公園で撮ったという古い写真を出して、お福に見せた。
「まあ、これが兄さん?」とお福は眺めて、「これは可愛らしいが、何だか其方(そっち)はコワいようねえ」
 お雪も笑った。お福がコワいようだと言ったは、三吉の学校を卒業する頃の写真で、熟(じっ)と物を視(み)つめたような眼付に撮れていた。
 お雪が持って来た写真の中には、女の友達ばかりでなく、男の知人(しりびと)から貰ったのも有った。名だけ三吉も聞いたことの有る人のもあり、全く知らない青年の面影(おもかげ)もあった。
「勉さんねえ」
 とお福は名倉の店に勤めている人のを幾枚か取出して眺めた。


「福ちゃん」
 とお雪は妹を呼んだ。返事が無かった。お福はよく上(あが)り端(はな)の壁の側や物置部屋の風通しの好いところを択(えら)んで、独(ひと)りで読書(よみかき)するという風であったが、何処(どこ)にも姿が見えなかった。
「福ちゃん」
 と復(ま)たお雪は呼んで探してみた。
 南向の部屋の外は垣根に近い濡縁(ぬれえん)で、そこから別に囲われた畠の方が見える。深い桑の葉の蔭に成って、妹の居る処は分らなかったが、返事だけは聞える。
 お雪は入口の庭から裏の方へ廻って、生い茂った桑畠の間を通って、莢豌豆(さやえんどう)の花の垂れたところへ出た。高い枯枝に纏(まと)い着いた蔓(つる)からは、青々とした莢が最早(もう)沢山に下っていた。
「福ちゃん、福ちゃんッて、探してるのに――そんなところに居たの」こうお雪が声を掛けた。
 お福は畠の間から姉の方を見て、「今ね――一寸(ちょっと)裏へ出て見たら、あんまり好く生(な)ってるもんだから。すこし取って行って進(あ)げようと思って」
「そう……好く生ったことね」と言ってお雪も摘取りながら、「福ちゃん、此頃(こないだ)姉さんと約束したもの……あれを書いておくれナ。母親(おっか)さんの許(ところ)へ手紙を出すんだから――」
「姉さん、そんなに急がなくたって可(い)いわ」
「だって、どうせ出す序(ついで)だもの」
「それもそうね」と言ってお福は姉の傍へ寄った。
 妹は自分で摘取った莢を姉の前垂の中へあけて、やがて畠を出て行った。お雪はそこに残っていた。
 桑の葉を押分けて、復たお雪が入口の庭の方へ戻って行った頃は、未だ妹は引込んで書いていた。お雪は炉辺の食卓の上に豆の莢を置いて、一つずつその両端を摘切った。
 お福は下書を持って静かな物置部屋の方から出て来た。
「姉さん、これで可(よ)くッて?」とお福は書いたものを姉に見せて言った。
「もうすこし丁寧にお書きな」とお雪が言った。
「だって、どう書いて好いか解らないんですもの」と妹は首を傾(かし)げて、娘らしい微笑(えみ)を見せた。
 お福は姉の勧めに従って、勉と結婚することを堅く約束する、それを楽みにして卒業の日を待つ、という意味を認(したた)めて、お雪に渡した。お雪は名倉の母へ宛(あ)てた手紙の中へこの妹に書かせたものを同封して送ることにした。
 名倉の母からは、お福が行って世話に成るという手紙と一緒に、菓子の入った小包が届いた。遠く離れた母の手紙を読むことは、お雪に取って何よりの楽みであった。お雪はその返事を書いたのである。序に妹のことをも書き加えたのである。
 お雪の許へ宛てて勉からは度々(たびたび)文通が有る。復たお雪は受取った。彼女は勉から来る手紙の置場所に困った。


 ある日、三吉は勉からお雪へ宛てた手紙を他の郵便と一緒に受取った。
「勉さんからはよく手紙が来るネ」
 こう三吉はお雪を呼んで言って、何気なくその手紙を妻の手に渡した。
 どういう事柄が書かれてあるにもせよ、それを聞こうともしなかった程、三吉は人の心を頼んでいた。こういう文通の意味を略(ほぼ)彼も想像しないではなかった。しかし、それに驚かされる年頃でもなかった。彼は、自分が種々なところを通り越して来たように、妻もまた種々なところを通り越して、そして嫁(かたづ)いて来たものと思っていた。お雪も最早二十二に成る。こうして種々な手紙が新しい家まで舞込んで来るのは、別に三吉には不思議でもなかった。唯、妻が自己(おのれ)の周囲(まわり)を見過(みあやま)らないで、従順(すなお)に働いてくれさえすればそれで可い、こう思った。彼には心を労しなければ成らないことが他に沢山有った。
 畠の野菜にもそれぞれ手入をすべき時節であった。三吉は鍬(くわ)を携えて、成長した葱(ねぎ)などを見に行った。百姓の言葉でいう「サク」は最早何度かくれた。見廻る度に延びている葱の根元へは更に深く土を掛けて、それから馬鈴薯の手入を始めた。土を掘ってみると、可成(かなり)大きな可愛らしいやつが幾個(いくつ)となく出て来た。
「ホウ、ホウ」
 と三吉は喜んで眺(なが)めた。
 裏の流で取れただけの馬鈴薯を洗って、三吉は台所の方へ持って行って見せた。お雪もめずらしそうに眺めた。新薯は塩茹(しおゆで)にして、食卓の上に置かれた。家のものはその周囲(まわり)に集って、自分達の手で造ったものを楽しそうに食ったり、茶を飲んだりした。
 その晩、三吉はお福や書生を奥の部屋へ呼んで、骨牌(トランプ)の相手に成った。黄ばんだ洋燈(ランプ)の光は女王だの兵卒だのの像を面白そうに映して見せた。お福はよく勝つ方で、兄や若い書生には負けずに争った。お雪も暫時(しばらく)仲間入をしたが、やがてすこし頭が痛いと言って、その席を離れた。
 炉辺(ろばた)の洋燈は寂しそうに照していた。何となくお雪は身体が倦(だる)くもあった。毎月あるべき筈(はず)のものも無かった。尤(もっと)も、さ程気に留めてはいなかったので、炉辺で独(ひと)り横に成ってみた。
 奥の部屋では楽しい笑声が起った。一勝負済んだと見えた。復た骨牌が始まった。頭の軽い痛みも忘れた頃、お雪は食卓の上に巻紙を展(ひろ)げた。彼女は勉への返事を書いた。つい家のことに追われて、いそがしく日を送っている……この頃の御無沙汰(ごぶさた)も心よりする訳では無いと書いた。妹との結婚を承諾してくれて、自分も嬉しく思うと書いた。恋しき勉様へ……絶望の雪子より、と書いた。


 この返事をお雪は翌日(あくるひ)まで出さずに置いた。折を見て、封筒の宛名だけ認(したた)めて、肩に先方(さき)から指してよこした町名番地を書いた。表面(おもて)だって交換(とりか)わす手紙では無かったからで。お雪は封筒の裏に自分の名も書かずに置いた。箪笥(たんす)の上にそれを置いたまま、妹を連れて、鉄道の踏切からずっとまだ向の崖下(がけした)にある温泉へ入浴(はいり)に行った。
 ふと、この裏の白い手紙が三吉の目に着いた。不思議に思って、開けてみた。一度読んだ。気を沈着(おちつ)けて繰返してみた。彼は自分で抑えることもどうすることも出来ない力のままに動いた。知らないでいる間は格別、一度こういう物が眼に触れた以上は、事の真相を突留めずにいられなかったのである。つと箪笥の引出を開けてみた。針箱も探してみた。櫛箱(くしばこ)の髢(かもじ)まで掻廻(かきまわ)してみた。台所の方へも行ってみた。暗い入口の隅(すみ)には、空いた炭俵の中へ紙屑(かみくず)を溜(た)めるようにしてあった。三吉は裏口の柿の樹の下へその炭俵をあけた。隣の人に見られはせぬか、女連(おんなれん)は最早(もう)帰りはせぬか、と周囲(あたり)を見廻したり、震えたりした。
 勉が手紙の片(きれ)はその中から出て来た。その時、三吉はこの人の熱い情を読んだ。若々しい、心の好さそうな、そして気の利(き)いた勉の人となりまでも略(ほぼ)想像された。温泉に行った人達の帰りは近づいたらしく思われた。読んだ手紙は元の通りにして、妻が帰って来て見ても、ちゃんと箪笥の上に在(あ)るようにして置いた。
 お雪とお福の二人は洋傘(こうもり)を持って入って来た。お雪は温泉場の前に展(ひら)けた林檎畠(りんごばたけ)、青々と続いた田、谷の向に見える村落、それから山々の眺望の好かったことなどを、妹と語り合って、復た洗濯物を取込むやら、夕飯の仕度に掛るやらした。
 やがて家のものは食卓の周囲(まわり)に集った。お雪は三吉と相対(さしむかい)に坐って、楽しそうに笑いながら食った。彼女の眼は柔順と満足とで輝いていた。時々三吉は妻の顔を眺めたが、すこしも変った様子は無かった。三吉は平素(いつも)のように食えなかった。


 一夜眠らずに三吉は考えた。翌日(あくるひ)に成ってみると、お雪や勉が交換(とりかわ)した言葉で眼に触れただけのものは暗記(そらん)じて了った程、彼の心は傷(いた)み易(やす)く成っていた。家を出て、夕方にボンヤリ帰って来た。
 夫の好きな新しい野菜を料理して、帰りを待っていたお雪は、家のものを蒐(あつ)めて夕飯にしようとした。土地で「雪割(ゆきわれ)」と称(とな)えるは、莢豌豆(さやえんどう)のことで、その実の入った豆を豚の脂(あぶら)でいためて、それにお雪は塩を添えたものを別に夫の皿へつけた。彼女は夫の喜ぶ顔を見たいと思った。
頂戴(ちょうだい)」
 とお福や書生は食い始めた。三吉は悪い顔色をして、折角お雪が用意したものを味おうともしなかった。
「今日は碌(ろく)に召上らないじゃ有りませんか……」
 と言って、お雪は萎(しお)れた。
 その晩、三吉は遅くまで机に対って、書籍(ほん)を開けて見たが、彼が探そうと思うようなものは見当らなかった。復た夜通し考え続けた。名倉の母へ手紙でも書こうか、お雪の親しい友達に相談しようか、と思い迷った。
 錯乱した頭脳(あたま)は二晩ばかり眠らなかった為に、余計に疲れた。彼はお雪と勉の愛を心にあわれにも思った。ブラリと家を出て、復た日の暮れる頃まで彷徨(うろつ)いた三吉は、離縁という思想(かんがえ)を持って帰って来た。もし出来ることなら、自分が改めて媒妁(ばいしゃく)の労を執って、二人を添わせるように尽力しよう、こんなことまで考えて来た。
 家出――漂泊――死――過去ったことは三吉の胸の中を往(い)ったり来たりした。「自分は未だ若い――この世の中には自分の知らないことが沢山ある」この思想(かんがえ)から、一度破って出た旧(ふる)い家へ死すべき生命(いのち)も捨てずに戻って来た。その時から彼はこの世の艱難(かんなん)を進んで嘗(な)めようとした。艱難は直に来た。兄の入獄、家の破産、姉の病気、母の死……彼は知らなくても可いようなことばかり知った。一縷(いちる)の望は新しい家にあった。そこで自分は自分だけの生涯を開こうと思った。東京を発(た)つ時、稲垣が世帯持の話をして、「面白いのは百日ばかりの間ですよ」と言って聞かせたが、丁度その百日に成るか成らないかの頃、最早自分の家を壊そうとは三吉も思いがけなかった。
 倒死(のたれじに)するとも帰るなと堅く言ってよこしたという名倉の父の家へ、果してお雪が帰り得るであろうか。それすら疑問であった。お雪は既に入籍したものである。法律上の解釈は自分等の離縁を認めるであろうか。それも覚束(おぼつか)なかった。三吉はある町に住む弁護士の智慧(ちえ)を借りようかとまで迷った。蚊屋(かや)の内へ入って考えた。夏の夜は短かかった。


 三吉は家を出た。彼の足は往時(むかし)自分の先生であったという学校の校長の住居(すまい)の方へ向いた。古い屋敷風の門を入って、裏口へ廻ってみると、向の燕麦(からすむぎ)を植えた岡の上に立ってしきりと指図(さしず)をしている人がある。その人が校長だ。先生は三吉を見つけて、岡を下りて来た。先生の家では学校の小使を使って可成(かなり)大きな百姓ほど野菜を作っていた。
 師はやがて昔の弟子(でし)を花畠に近い静かな書斎の方へ導いた。最早入歯をする程の年ではあったが、気象の壮(さか)んなことは壮年(わかもの)にも劣らなかった。長い立派な髯(ひげ)は余程白く成りかけていた。この阿爺(おと)さんとも言いたいような、親しげな人の顔を眺めて、三吉は意見を聞いてみようとした。他(ひと)に相談すべき事柄では無いとも思ったが、この先生だけには簡単に話して、どう自分の離縁に就(つい)て考えるかを尋ねた。先生は三吉の為に媒妁の労を執(と)ってくれた大島先生のそのまた先生でもある。
 雅致のある書斎の壁には、先生が若い時の肖像と、一番最初の細君の肖像とが、額にして並べて掛けてあった。
「そんなことは駄目です」と先生は昔の弟子の話を聴取(ききと)った後で言った。「我輩のことを考えてみ給え――我輩なぞは、君、三度も家内を貰った……最初の結婚……そういう若い時の記憶は、最早二度とは得られないね。どうしても一番最初に貰った家内が一番良いような気がするね。それを失うほど人間として不幸なことは無い。これはまあ極く正直な御話なんです……」
 三吉は黙って先生の話を聞いていた。先生は往時(むかし)戦争にまで出たことのある大きな手で、種々(いろいろ)な手真似(てまね)をして、
「君なぞも、もっと年をとってみ給え、必(きっ)と我輩の言うことで思い当ることが有るから……我輩はソクラテスで感心してることが有る。ソクラテスの細君と言えば、君、有名な箸(はし)にも棒にも掛らないような女だ……それをジッと辛抱した……一生辛抱した……ナカナカあの真似はできないね……あそこが我輩はあの哲学者の高いところじゃないかと思うね」
 先生の話は宗教家のような口調を帯びて来た。そして、種々なところへ飛んで、自分の述懐に成ったり、亜米利加(アメリカ)時代の楽しい追想に成ったりする。
「亜米利加の婦人なぞは、そこへ行くと上手なものだ。以前に相愛の人でも、自分の夫に紹介して、奇麗に交際して行く―― 'He is my lover' なんて……それは君、サッパリしたものサ。日本の女もああいかんけりゃ面白くないね」
 訪ねて来た客があったので、先生は他の話に移った。
「まあ、小泉さん、よく考えてご覧なさい」という言葉を聞いて、三吉は旧師の門を出た。一歩(ひとあし)家の方へ踏出してみると復た堪え難い心に復(かえ)った。三吉は自分の家の草屋根を見るのも苦しいような気がした。
 家にはお雪が待っていた。何処(どこ)までも夫を頼みにして、機嫌(きげん)を損(そこ)ねまいとしているような、若い妻の笑顔は、余計に三吉の心を苦めた。
 燈火(あかり)の点(つ)く頃まで、三吉は自分の部屋に倒れていた。
「オイ、手拭(てぬぐい)を絞って持って来てくれ」
 こう夫から言付けられて、お雪は一度流許(ながしもと)へ行って、戻って来た。あおのけに畳の上に倒れている夫の胸は浪打(なみう)つように見えた。
「まあ、どうなすったんですか」
 と言って、お雪は夫の胸の上へ冷い手拭を宛行(あてが)った。


 翌晩、三吉は机に対(むか)って紙を展(ひろ)げた。遅くまで書いた。書生は部屋の洋燈(ランプ)を消し、お福も寝床へ入りに行ったが、未だ三吉は書いていた。
「お雪、すこしお前に読んで聞かせるものが有る……俺(おれ)が済むまで、お前も起きておいで」
 こう妻を呼んで言った。お雪は炉辺で独(ひと)り解(ほど)き物(もの)をしていた。小さな夏の虫は何処から来るともなく洋燈(ランプ)の周囲(まわり)に集った。
 お雪が鳴らしていた鋏(はさみ)を休めた頃は、十二時近かった。お福や書生は最早前後も知らずに熟睡している頃であった。
「何ですか」
 とお雪は不思議そうに夫の机の傍へ来た。
「こういうものを書いた、この手紙はお前にもよく聞いて貰わんけりゃ成らん」
 と言って、三吉は洋燈を机の真中に置直した。彼は平気を装おうとしたが、その実周章(あわて)て了ったという眼付をしていた。声も度を失って、読み始めるから震えた。とはいえ、彼はなるべく静かに、解り易(やす)く読もうとした。
 お雪は耳を※(そばだ)てた。
甚(はなは)だ唐突ながら一筆申上候(そうろう)……かねてより御噂(うわ)さ、蔭乍(なが)ら承り居り候。さて、未だ御目にかからずとは申しながら腹蔵なく思うところを書き記し候。此(この)手紙、決して悪(あ)しき心を持ちて申上ぐるには候わず。何卒々々心静かに御覧下されたく候……」
 お雪は鋭く夫の顔を眺めて、復た耳を澄ました。
「実は、君より妻へ宛(あ)てたる御書面、また妻より君へ宛てたる手紙、不図(ふと)したることより生の目に触れ、一方には君の御境遇をも審(つまびらか)にし、一方には……妻の心情をも酌取(くみと)りし次第に候……」
 お雪は耳の根元までも紅(あか)く成った。まだ世帯慣れない手で顔を掩(おお)うようにして、机に倚凭(よりかか)りながら聞いた。
斯(か)く申す生こそは幾多の辛酸にも遭遇しいささか人の情(なさけ)を知り申し候……されば世にありふれたる卑しき行のように一概に君の涙を退くるものとのみ思召(おぼしめ)さば、そは未だ生を知らざるにて候……否……否……」
 どうかすると三吉の声は沈み震えて、お雪によく聞取れないことがあった。
斯(か)く君の悲哀(かなしみ)を汲(く)み、お雪の心情をも察するに、添い遂げらるる縁(えにし)とも思われねば、一旦は結びたる夫婦の契(ちぎり)を解き、今迄(まで)を悲しき夢とあきらめ、せめては是世(このよ)に君とお雪と及ばず乍ら自身媒妁(ばいしゃく)の労を執って、改めて君に娶(めあわ)せんものと決心致し、昨夜、一昨夜、殆ど眠らずして其(その)方法を考え申候……ここに一つの困難というは、君も知り給う名倉の父の気質に候。彼是(かれこれ)を考うれば、生が苦心は水の泡(あわ)にして、反(かえ)って君の名を辱(はずかし)むる不幸の決果を来さんかとも危まれ候……」
 暫時(しばらく)、部屋の内は寂(しん)として、声が無かった。
「ああ君と、お雪と、生と――三人の関係を決して軽きこととも思われず候。世間幾多の青年の中には、君と同じ境遇に苦む人も多からん。新しき家庭を作りて始めて結婚の生涯を履(ふ)むものの中には、あるいは又生と同じ疑問に迷うものもあらん。斯(かか)ることを書き連ね、身の恥を忘れ、愚かしき悲嘆(なげき)を包むの暇(いとま)もなきは、ひとえに君とお雪とを救わんとの願に外ならず候。あわれむべきはお雪に候。君もし真にお雪を思うの厚き情(なさけ)もあらば、願わくは友として生に交らんことを許し給え……三人の新しき交際――これぞ生が君に書き送る願なれば。今後吾家庭の友として、喜んで君を迎えんと思い立ち候。思うに君は春秋に富まるるの身、生とても同じ。一旦の悲哀よりして互に終生を棄つるなく、他日手を執りて今日を追想し、胸襟(きょうきん)を披(ひら)いて相語るの折もあらば、これに過ぎたる幸はあらじと存じ候……」
 この勉へ宛てた手紙を読んで了った時、三吉は何か事業(しごと)でも済ましたように、深い溜息(ためいき)を吐(つ)いた。お雪は畳の上に突伏(つっぷ)したまま、やや暫時(しばらく)の間は頭を揚げ得なかった。
「オイ、そんなことをしていたって仕様が無い。この手紙は皆なの寝てるうちに出して了おう」
 と三吉は慰撫(なだ)めるように言って、そこに泣倒れたお雪を助け起した。郵便函(ポスト)は共同の掘井戸近くに在った。三吉は妻を連れて、その手紙を出しながら一緒にそこいらを歩いて来ようと思った。
 お福や書生の眼を覚ませまいとして、夫婦は盗むように家の内を歩いた。表の戸を開けてみると、屋外(そと)は昼間のように明るかった。燐(りん)のような月の光は敷居の直ぐ側まで射して来ていた。
 

 裏の流は隣の竹藪(たけやぶ)のところで一度石の間を落ちて、三吉の家の方へ来て復た落ちている。水草を越して流れるほど勢の増した小川の岸に腰を曲(かが)めて、三吉は寝恍(ねぼ)けた顔を洗った。そして、十一時頃に朝飯と昼飯とを一緒に済ました。彼は可恐(おそろ)しい夢から覚めたように、家の内を眺め廻した。
 口では思うように言えないからと言って、お雪が手紙風に書いた物を夫の許へ持って来た頃は、書生も水泳(およぎ)に行って居なかった。お雪が三吉に見てくれというは、種々(いろいろ)止(や)むを得ない事情から心配を掛けて済まなかった、自分は最早どうでも可いというようなそんな量見で嫁いて来たものでは無い、自分は自分相応の希望を有(も)って親の家を離れて来た、という意味が認めてある。猶(なお)、勉へ宛てて最後の断りの手紙を書いたから、それだけは許してくれ、としてある。
「なにも、俺は断れと言ってあんな手紙を書いたんじゃない。お前なんかそう取るからダメだ」と三吉は言ってみた。「福ちゃんの旦那さんに成ろうという人じゃないか……行く行くは吾儕(われわれ)の弟じゃないか……」
 お雪は答えなかった。
 冷(すず)しい風の来るところを択んで、お福は昼寝の夢を貪(むさぼ)っていた。南向の部屋の柱に倚凭(よりかか)りながら、三吉はお雪から身上(みのうえ)の話を聴取ろうと思った。夫婦は不思議な顔を合せた――今まで合せたことのない顔を合せた――結婚する前には、互に遠くの方でばかり眺めていたような顔を……
「勉さんとお前とはどういう関係に成っていたのかネ」三吉は何気なく言出した。
「どういうとは?」とお雪はすこし顔を紅めて。
「家の方でサ。そういうことはズンズン話して聞かせる方が可い」
 その時、三吉は妻の口から、勉と彼女とは親が認めた間柄であること、夫婦約束を結ばせたではないが親達の間だけにそういう話のあったこと、店の番頭に邪魔するものが有って、あること無いこと言い触らして、その為に勉の方の話は破れたことなどを聞いた。
 済んだことは済んだこと、こう妻は言い消して了おうとした。夫はそれでは済まされなかった。
 寂しい心が三吉の胸の中に起って来た。その心は、女をいたわるということにかけて、自分もまた他の男に劣るものではないということを示させようとした。その日、三吉は種々と細君の機嫌(きげん)を取った。機嫌を取りながら、悶(もだ)えた。


 間もなく勉から返事が来た。一通は三吉へ宛て、一通はお雪へ宛ててあった。お雪へ宛てては、「自分の為に君にまで迷惑を掛けて気の毒なことをした、君に咎(とが)むべきことは一つも無い、何卒(どうか)自分にかわって君から詫(わび)をしてくれよ」という意味が書いてある。お雪はその手紙を読んで泣いた。
 月を越えて、三吉の家では一人の珍客を迎えた。三吉は停車場まで行って、背の高い、胡麻塩(ごましお)の鬚(ひげ)の生えた、質素な服装(みなり)をした老人を旅客の群の中に見つけた。この老人が名倉の父であった。
「まあ、阿父(おとっ)さん……」
 とお雪も門に出て迎えた。
 名倉の父は、二人の姉娘に養子して、今では最早余生を楽しく送る隠居である。強い烈(はげ)しい気象、実際的な性質、正直な心――そういうものはこの老人の鋼鉄のような額に刻み付けてあった。一代の中に幾棟(いくむね)かの家を建て、大きな建築を起したという人だけあって、ありあまる精力は老いた体躯(からだ)を静止(じっと)さして置かなかった。愛する娘のお雪が、どういう壮年(わかもの)と一緒に、どういう家を持ったか、それを見ようとして、遙々(はるばる)遠いところを出掛けて来たのであった。
「先ずこれで安心しました」
 と老人はホッと息を吐(つ)くように言った。
 南向の部屋の柱には、新しい時計が懸った。そして音がし出した。若夫婦へ贈る為に、わざわざ老人が東京から買って提(さ)げて来たのである。これは母から、これは名倉の姉から、これは※の姉から、と種々な土産物(みやげもの)がそこへ取出された。
 煤(すす)けた田舎風の屋(うち)の内(なか)を見て廻った後、老人は奥の庭の見える座敷に粗末な膳(ぜん)を控えた。お雪やお福のいそいそと立働くさまを眺めたり、水車の音を聞いたりしながら、手酌でちびりちびりやった。
何卒(どうぞ)もうすこしも関(かま)わずに置いて下さい。私はこの方が勝手なんで御座いますから」
 と老人が言った。何がなくともお雪の手製(てづくり)のもので、この酒に酔うことを楽みにして来たことなどを話した。
 三吉は炉辺へお雪を呼んで、
「何かもうすこし阿爺さんに御馳走(ごちそう)する物はないかい」
「あれで沢山です」とお雪が言う。
「こんな田舎じゃ何物(なんに)も進(あ)げるようなものが無い。罐詰(かんづめ)でも買いにやろうか」
宜(よ)う御座んすよ。それに、阿爺さんは後から何か持って行ったって、頂きやしません」
 幼少の時父に別れた三吉は、こういう老人が訪ねて来たことを珍しく嬉しく思った。父というものは彼がよく知らないようなもので有った。三吉が何時(いつ)までも亡くなった忠寛を畏(おそ)れているように、お雪やお福は又、この老人を畏れた。


 名倉の父は二週間ばかり逗留(とうりゅう)して、東京の学校の方へ帰るお福を送りながら、一緒に三吉の家を発(た)って行った。この老人は橋本の姉や小泉の兄の方に無いようなものを後へ残して行った。そして、亡くなった忠寛が手本を残しておいた家の外(ほか)に、全く別の技師が全く別の意匠で作った家もある、ということを三吉に思わせた。「こんな書籍(ほん)を並べて置いたって、売ると成れば紙屑(かみくず)の値段(ねだん)だ」――こう言うほど商人気質(しょうにんかたぎ)の父ではあったが、しかし三吉はこの老人の豪健な気象を認めずにはいられなかった。
 翌年の五月には、三吉夫婦はお房という女の児(こ)の親であった。書生は最早居なかった。手の無い家のことで、お雪は七夜(しちや)の翌日から起きて、子供の襁褓(むつき)を洗った。その年の初夏ほど、三吉も寂しい旅情を経験したことは無かった。奥の庭には古い林檎の樹があって、軒に近い枝からは可憐(かれん)の花が垂下った。蜜蜂(みつばち)も来て楽しい羽の音をさせた。すべての物の象(かたち)は、始めて家を持った当時の光景(ありさま)に復(かえ)って来た。
「俺の家は旅舎(やどや)だ――お前は旅舎の内儀(おかみ)さんだ」
「では、貴方は何ですか」
「俺か。俺はお前に食物(くいもの)をこしらえて貰ったり、着物を洗濯して貰ったりする旅の客サ」
「そんなことを言われると心細い」
「しかし、こうして三度々々御飯を頂いてるかと思うと、難有(ありがた)いような気もするネ」
 こんな言葉を夫婦は交換(とりかわ)した。
 ヒョイヒョイヒョイヒョイと夕方から鳴出す蛙の声は余計に旅情をそそるように聞える。それを聞くと、三吉は堪え難いような目付をして、家の内を歩き廻った。
 新婚の当時のことは未だ三吉の眼にあった。東京を発って自分の家の方へ向おうとする旅の途中――岡――躑躅(つつじ)――日の光の色――何もかも、これから新しい生涯に入ろうとするその希望で輝かないものは無かった。洋燈(ランプ)の影で書籍(ほん)を読みながら聞いた未だ娘のような妻の呼吸――それも三吉の耳にあった。彼は女というものを知りたいと思うことが深かったかわりに、失望することも大きかったのである。
 どうかすると、三吉は往時(むかし)の漂泊時代の心に突然帰ることが有った。お雪が勝手をする間、子供を預けられて、それを抱きながら家の内を歩いている時、急に子も置き、妻も置いて、自分の家を出て了おうかしらん、こんな風に胸を突いて湧(わ)き上って来ることも有った。
「好い児だ――好い児だ――ねんねしな――」
 眠たい子守歌をお房に歌ってやりながら三吉は自分の声に耳を澄ました。お雪はよく働いた。


 裏の畠には、前の年に試みた野菜の外に茄子(なす)、黄瓜(きうり)などを作り、垣根には南瓜(かぼちゃ)の蔓(つる)を這(は)わせた。ある夕方、三吉が竹箒(たけぼうき)を持って、家の門口を掃除したり、草むしりをしたりしていると、そこへ来て風呂敷包を背負った旅姿の人が立った。
 橋本の大番頭、嘉助が行商の序(ついで)に訪ねて来たのであった。毎年の例で、遠く越後路から廻って来たという。この番頭の日に焼けた額や、薬を入れた籠(つづら)の荷物を上(あが)り端(はな)のところへ卸した様子は、いかに旅の苦痛に耐えて、それに又慣らされているかということを思わせる。嘉助は草鞋(わらじ)の紐(ひも)を解いて上った。
是方(こちら)でも子供衆が出来さっせえて、御新造さんも手が有らっせまいで、寄るだけは寄れ、御厄介には成るな――こう姉様(あねさま)から言付かって来ました」と嘉助が言った。
「まあ、そんなことを言わなくても可い。是非泊って行って下さい、姉さんの家の話も種々(いろいろ)伺いたい」
 と三吉は引留めて、一年に一度ずつ宿をすることに定(き)めていると言った。お雪も勝手の方から飛んで来た。
 嘉助は橋本の家を出て最早(もう)足掛二月に成るという。この長い行商の旅は、ずっと以前から仕来(しきた)ったことで、橋本の薬といえば三吉が住む町のあたりまで弘まっていた。燈火(あかり)の点く頃から、お雪も嘉助の話を聞こうとして、子供を抱きながら夫の傍へ来た。
「女のお児さんかなし。子供衆の持薬(じやく)には極く好いで、すこし置いていかず」
 こう嘉助が言って、土産がわりに橋本の薬を取出した。
「貴方のところでもお嫁さんがいらしったそうで……」とお雪は正太の細君のことを言った。「豊世さんでしたね」と三吉も引取て、「吾家(うち)へも手紙を貰いましたが、なかなか達者に好く書いてありましたッけ」
「ええ、まあ、御蔭様で好いお嫁さんを見つけました。あれ位のお嫁さんは探したってそう沢山(たんと)無い積りだ。大旦那始め皆な大悦びよなし……」
 と言って、嘉助は禿頭(はげあたま)を撫(な)でた。正太が結婚について、いかに壮(さか)んな式を挙げたかということは、この番頭の話で略(ほぼ)想像された。
「嘉助さんが褒(ほ)める位だから、余程好いお嫁さんに相違ないぜ」
「正太さんも御仕合ですこと」
 こんな言葉を、三吉夫婦は番頭の聞いていないところで交換(とりかわ)した。
 翌朝(よくあさ)早く嘉助は別離(わかれ)を告げて発った。その朝露を踏んで出て行く甲斐々々(かいがい)しい後姿は、余計に寂しい思を三吉の胸に残した。
 三吉は東京の方の空を眺めて、種々な友達から来る音信(たより)を待ち侘(わ)びる人と成った。学校がひける、門を出る、家へ帰ると先ず郵便のことを尋ねる。毎日顔を突合せている同僚の教師の外には、語るべき友も無かった。
 お雪の友達にもと思って三吉が紹介した一人の婦人からは、結婚の報知(しらせ)が来た。三吉は又曾根からも山の上へ避暑に行こうと思うという手紙を受取った。

     六

 停車場(ステーション)の方で汽車の音がする。
 山の上の空気を通して、その音は南向の障子に響いて来た。それは隅田川(すみだがわ)を往復する川蒸汽の音に彷彿(そっくり)で、どうかするとあの川岸に近い都会の空で聞くような気を起させる。よく聞けばやはり山の上の汽車だ。三吉はそれを家のものに言って、丁度離れた島に住む人が港へ入る船の報知(しらせ)でも聞くように、濡縁(ぬれえん)の外まで出て耳を立てた。新聞にせよ、手紙にせよ、新しい書籍(ほん)の入った小包にせよ、何か一緒に置いて行くものはその音より外に無かった。三吉は曾根から来た手紙のことを胸に浮べた。最早(もう)山の上に来ているかしらん、とも思った。
 曾根が一夏を送りたいと言って寄(よこ)したは、三吉夫婦が住む町とは五里ばかり離れたところにある避暑地である。同じ山つづきの高原の上で、夏は人の集る場所である。
 東京へ行った学生達はポツポツ帰省する頃のことであった。三吉の家へは、復(ま)たお福がやって来ていた。
 丁度三吉も半日しか学校のない日で、外出する用意をして、炉辺で昼飯(ひる)をやった。
何処(どちら)へ?」とお雪は給仕しながら尋ねてみた。
「曾根さんが来てるか行って見て来ようと思う」こう三吉は答えた。
「最早いらしったんでしょうか」とお雪は夫の顔を眺める。
「居るか居ないか解らんがね、まあ遊びがてら行って見て来る」
 三吉が曾根を妻に紹介して、二人の女の間を結び付けようとしたのは、家庭の友として恥かしからぬ人と思ったからで。曾根は音楽に一生を托(たく)しているような婦人で、三吉が向いて行こうとする方面にも深く興味を有(も)っていた。言わば、三吉には、自分を知ってくれる人の一人と思われた。この思想(かんがえ)が彼を喜ばせた。
 しかし、お雪はあまり喜ばないという風であった。三吉が曾根のことを言って、彼女の身内が悲惨な最期を遂げた時に、それを独(ひと)りで仕末したという話をして、「どうして、お前なかなかシッカリモノだぜ」などと言って聞かせると、「その話を聞くのはこれで三度目です」とか何とかお雪の方では笑って、「最早(もう)沢山」という眼付をする。お雪は曾根を知ろうともしなかった。どうしてこう女同志は友達に成れないものかしらん、と三吉は嘆息することも有った。
 三吉は妻の狭い考えを笑った。そして、男とか女とかということを離れて、もっと種々な人を知りたいと思った。
何卒(どうぞ)、御逢(あ)いでしたら宜敷(よろしく)」
 こういう妻の言葉を聞捨てて、三吉は出て行った。暑い日であった。


 曾根の宿を探しあぐんで、到頭三吉は分らず仕舞に自分の家の方へ引返した。ギラギラするような日光を通して見た避暑地の光景(ありさま)は、三吉の心を沈着(おちつ)かせなかった。彼は種々な物の象(かたち)を眼に浮べながら帰って来た――ところどころに新築された別荘、赤く塗った窓、蕃牡丹畠(キャベツばたけ)……それから古い駅路の両側にある並木、その蔭を往来する避暑客、金色な髪の子供を連れて歩く乳母……
 三吉は又、はじめて曾根を知った当時のことを想(おも)いながら帰って来る人であった。多勢若い男や女の居る部屋で、ふと曾根は三吉の傍へ来て、亡くなった友達のことを尋ねた。机の上には、短い曲の譜があった。「神の意(こころ)のままに」という題で、男女(おとこおんな)の別離(わかれ)を歌ったものだった。メンデルソオンの曲だ。その一節を、曾根は極く小さい震えるような声で歌って聞かせた。音楽者の癖で、曾根が手の指は無心に洋琴(ピアノ)の鍵盤に触れるように動いた。これはそう旧(ふる)いことでも無かった。急に、三吉はこの人と親しみを増すように成った。十年一日のような男同士の交際とは違って、何故(なぜ)かこう友情を急がせるようなところもあった。
 垣根に這(は)わせた南瓜(かぼちゃ)は最早盛んに咲く頃であった。その大きな黄色い花に添うて、三吉は往来の方から入って来た。家には珍しい客が待っていた。
「直樹さん――」思わず三吉は微笑(ほほえ)んで言った。
「兄さんのお留守へやって参りました」と直樹も出て迎えた。
 この中学生は、三吉が一緒に木曾路(きそじ)を旅した頃から比べると、見違えるほど成人していた。丁寧な口の利(き)きようからして、いかにも都会に育った青年らしい。丁度この直樹位の年頃の生徒を毎日学校で相手にしている三吉には、余計にその相違が眼についた。直樹は父の許を得て、暑中休暇を三吉の家で送ろうとして来たのである。
 日頃親身の弟のように思う人がこうして一緒に成ったということは、三吉を喜ばせたばかりでは無かった。「姉さん、姉さん」と呼ばれるお雪も心から喜んで、この青年を迎えた。退屈でいるお福も好い話相手を得た。遽(にわ)かに三吉の家では賑(にぎや)かに成った。
 翌日から、直樹は殆(ほと)んど家の人であった。子供を可愛がることも、この青年の天性に近かった。お福は、娘でありながら、直樹のようには子供を好かなかった。
房(ふう)ちゃん、房ちゃん」と言って、子供を背中に乗せて、家の内を歩く直樹の様子を眺(なが)めると、三吉は昔時(むかし)自分が直樹の家に書生した時代のことを思出さずにいられなかった。
「僕も、ああして、よく直樹さんを背負って歩いたものだ」
 と三吉は妻に話した。直樹は生れ落ちるから、三吉の手に抱かれた人である。


「曾根さんが先刻(さっき)訪ねていらっしゃいましたよ」とお雪は入口の庭のところで張物をしながら言った。
 屋外(そと)から入って来た三吉は、妻の顔を眺めた。何時(いつ)山の上へ着いたとも、何処(どこ)へ宿を取ったとも、判然(はっきり)知らせて寄(よこ)さないような曾根が、こうして自分等の家へ訪ねて来たということは、酷(ひど)く三吉を驚かした。
「あの」とお雪は張物する手を留めて、「そこいらまで見物に被入(いら)しった序(ついで)に御寄んなすったんですッて」
「お前も又、待たして置けば好いのに――折角来たものを」
「だって御上りなさらないんですもの。お連(つれ)の方がお有んなさるからッて」
「へえ、誰か一緒に来たのかい」
「女の方が二人ばかり、流の処に蹲踞(しゃが)んでいらっしゃいました」
「姉さん」とお福は上(あが)り框(がまち)のところに腰掛けながら、「あの連の方は必(きっ)と耶蘇(ヤソ)ですよ」
「どうして耶蘇ということが分るの」とお雪は妹の方を見た。
衣服(きもの)の風や束髪で分りますわ」とお福が言った。
「復た寄るとは言わなかったかい」と三吉は妻に尋ねた。
「ええ、被入(いら)っしゃりたいような様子でしたよ」とお雪は妙に力を入れて、「なんでも、停車場前の茶屋に寄っていらっしゃるんですッて」
「行って見て来るかナ」
 こう三吉は言捨てて、停車場の方を指して急いだ。
 茶屋には、曾根が二人の連と一緒に休んでいた。連の一人は曾根の身内にあたる婦人で、艶(つや)の無い束髪や窶々(やつやつ)しいほど質素な服装などが早く夫に別れたらしい不幸な生涯を語っていた。今一人は肥え太った、口数のすくない女学生であった。いずれもすこし歩き疲れたという風で、時刻過ぎてからお腹(なか)をこしらえようとしていた。三吉は休茶屋にあるものを取寄せて、この人達をもてなした。
何卒(どうぞ)おかまい下さいますな。私共は持って参りました……」
 と言って、年長(としうえ)の婦人は寂しそうに笑った。山歩きでもするように、宿から用意して来た握飯(むすび)がそこへ取出された。肥った女学生は黙って食った。
 やがて、三吉はこの人達を城跡の方へ案内した。桑畠の間を通って、鉄道の踏切を越すと、そこに大きな額の掛った門がある。四人は熱い日の映(あた)った赤土の崖(がけ)に添うて、坂道を上った。高い松だの、アカシヤだのの蔭を落している石垣の側へ出た。
 どうかすると、連の二人はズンズン先へ歩いて行って了(しま)った。曾根は深張の洋傘(こうもり)に日を避(よ)けながら、三吉と一緒に連の後を追った。
 大きな石を積み上げた古い城跡には、可憐な薔薇(ばら)の花などが咲乱れていた。荒廃した石段を上って、天主台のところへ出ると、長い傾斜の眺望が四人の眼前(めのまえ)に展(ひら)けた。
 三吉はその傾斜の裾(すそ)の方を指して見せて、林に続く村落の向にはある風景画家の住居もあることなどを語り聞かせた。曾根は眼を細くして、
「私もこうして人の知らない処へでも来ていたらばと思います」
 と眺め入りながら沈み萎(しお)れた。
 松林の間を通して、深い谷の一部も下瞰(みおろ)される。そこから、谷底を流れる千曲川(ちくまがわ)も見える。

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