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家(いえ)1 (上巻)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-8 10:47:43  点击:  切换到繁體中文



 夫婦は眠い盛りであった。殊(こと)に三吉が旅から帰って来てからは、下婢まで遅く起きるように成った。どうかすると三吉の学校へ出掛けるまでに、朝飯の仕度の間に合わないことも有った。
 朝の光が薄白く射して来た。戸の透間(すきま)も明るく成った。一番早く眼を覚(さま)すものは子供で、まだ母親が知らずに眠っている間に、最早(もう)床の中から這出(はいだ)した。
 子供は寝衣のままで母の枕頭(まくらもと)に遊んでいた。お雪は半分眠りながら、
「ちょッ。風邪(かぜ)を引くじゃないか」
 と叱るように言って、無理に子供を床の中へ引入れた。お房は起きたがって母に抱かれながら悶(もが)き暴(あば)れた。
 水車小屋の方では鶏が鳴いた。洋燈は細目に暗く赤く点(とぼ)っていた。お雪は頭を持上げて、炉辺(ろばた)に寝ている下婢を呼起そうとした。幾度も続けざまに呼んだが、返事が無い。
「ああああ、驚いちまった」
 お雪は嘆息した。この呼声に、下婢が眼を覚まさないで、子供が泣出した。
「ハイ」
 と下婢は呼ばれもしない頃に返事をして、起きて寝道具を畳んだ。下婢が台所の戸を開ける頃は、早起の隣家の叔母(おば)さんは裏庭を奇麗に掃いて、黄色い落葉の交った芥(ごみ)を竹藪(たけやぶ)の方へ捨てに行くところであった。
「どんなにお前を呼んだか知れやしない……いくら呼んだって、返事もしない」
 こうお雪が起きて来て言った。
 暗い、噎(む)せるような煙は煤(すす)けた台所の壁から高い草屋根の裏を這って、炉辺の方へ遠慮なく侵入して行った。家の内は一時この煙で充(み)たされた。未だ三吉は寝床の上に死んだように成っていた。
「最早、起きて下さい」
 とお雪が呼起した。三吉は眠がって、いくら寝ても寝足りないという風である。勤務(つとめ)の時間が近づいたと聞いて、彼は蒲団(ふとん)を引剥(ひきは)がすように妻に言付けた。
宜(よ)う御座んすか。真実(ほんと)に剥がしますよ――」
 お雪は笑った。
 漸(ようや)く正気に返った三吉は、急いで出掛ける仕度をした。その日、彼は学校の方に居て、下婢が持って来た電報を受取った。差出人は東京の実で、直に金を送れとしてある。しかも田舎(いなか)教師の三吉としてはすくなからぬ高である。前触(まえぶれ)も何もなく突然こういうものを手にしたということは、三吉を驚かした。
 兄弟とは言いながら、殆(ほと)んど命令的に金の無心をして寄した電報の意味を考えつつ三吉は家へ帰った。委(くわ)しいことの分らないだけ、東京の家の方が気遣(きづか)わしくもある。とにかく、兄の方で、よくよく困った場合ででもなければ、こんな請求の仕方も為(す)まいと想像された。そして、小泉の一族の上に、何となく暗い雲を翹望(まちもう)けるような気がした。
 三吉は断りかねた。と言って、余裕のあるべき彼の境涯でも無かった。お雪もそれを気の毒に思って、万一の急に備えるようにと名倉の父から言われて貰って来た大事の金を送ることに同意した。三吉は電報為替(がわせ)を出しに行った。


 夫は出て行った。お雪は子供の傍に横に成った。次第に発育して行くお房は、離れがたいほどの愛らしい者と成ると同時に、すこしも母親を休息させなかった。子供を育てるということは、お雪に取って、めずらしい最初の経験である。しかし、泣きたい程の骨折ででもある。そればかりではない、気の荒い山家育ちの下婢(おんな)を相手にして、こうして不自由な田舎に暮すことは、どうかすると彼女の生活を単調なものにして見せた。
「ああああ――毎日々々、同じことをして――」
 こうお雪は嘆いて、力なさそうに溜息(ためいき)を泄(もら)した。暫時(しばらく)、彼女は畳の上に俯臥(うつぶし)に成っていた。復たお房は泣出した。
「それ、うまうま」
 と子供に乳房を咬(くわ)えさせたが、乳は最早出なかった。お房は怒って、容易に泣止まなかった。
 炉に掛けた鉄瓶(てつびん)の湯はクラクラ沸立っていた。郵便局まで出掛た三吉は用を達して戻って来て、炉辺で一服やりながら、一雨ごとに秋らしく成る山々、蟋蟀(こおろぎ)などの啼出(なきだ)した田圃側(たんぼわき)、それから柴車だの草刈男だのの通る淋(さび)しい林の中などを思出していた。お雪は子供を下婢に背負(おぶわ)せて置いて、夫の傍へ来た。
「房ちゃん、螽捕(いなごと)りに行きましょう」
 と言って、下婢は出て行った。
 夫婦は、質素な田舎の風習に慣れて、漬物で茶を飲みながら話した。めずらしくお雪は煙草(たばこ)を燻(ふか)した。
「何だってそんなに人の顔をジロジロ見るんです」とお雪が笑った。
「でも、煙草なぞをやり出したからサ」こう答えて、三吉もスパスパやった。
「どういうものか、私は普通(なみ)の身体(からだ)でなくなると、煙草が燻したくって仕様が有りません」
「してみると、いよいよ本物かナ」
 三吉は笑い事では無いと思った。今からこんなに子供が出来て、この上殖えたらどうしようと思った。
 それから四五日経って、三吉は兄の実から手紙を受取った。その中には、確かに送ってくれた金を受取ったとして、電報で驚かしたことを気の毒に思うと書いてあったが、家の事情は何一つ知らして寄さなかった。唯、負債ほど苦しい恐しいものは無い、借金する勿(なか)れ、という意味が極く簡単に言ってあった。
 十一月に入って、復(ま)た実は電報を打って寄した。そうそうは三吉も届かないと思った。しかし、弟として、出来得るかぎりの力は尽さなければ成らないような気がした。せめて全額でないまでも、送金しようと思った。その為に、三吉は三月ばかり掛って漸く書き終った草稿を売ることにした。
「オイ、子供が酷(ひど)く泣いてるぜ。そうして休んでいるなら、見ておやりよ」
「私だって疲れてるじゃ有りませんか――ああ、復た今夜も終宵(よっぴて)泣かれるのかなあ。さあ、お黙りお黙り――母さんはもう知らないよ、そんなに泣くなら――」
 こんな風に、夫婦の心が子供の泣声に奪われることは、毎晩のようであった。母の乳が止ってから、お房の激し易(やす)く、泣き易く成ったことは、一通りでない。それに、歯の生え初めた頃で、お房はよく母の乳房を噛(か)んだ。「あいた――あいた――いた――いた――ち、ち、ちッ――何だってこの児はそんなに乳を噛むんだねえ――馬鹿、痛いじゃないか」と言って、母がお房の鼻を摘(つま)むと、子供は断(ちぎ)れるような声を出して泣いた。
「馬鹿――」
 と叱られても、お房はやはり母の懐(ふところ)を慕った。そして、出なくても何でも、乳房を咬(くわ)えなければ、眠らなかった。
 三吉は又、自分の部屋をよく出たり入ったりした。子供の泣声を聞きながら机に対(むか)うほど、彼の心を焦々(いらいら)させるものは無かった。日あたりの好い南向の部屋とは違って、彼が机の置いてあるところは、最早寒く、薄暗かった。
 収穫(とりいれ)の休暇(やすみ)が来た。農家の多忙(いそが)しい時で、三吉が通う学校でも一週間ばかり休業した。
 ある日、三吉は散歩から帰って来た。お雪は馳寄(かけよ)って、
「西さんが被入(いら)っしゃいましたよ」
 と言いながら二枚の名刺を渡した。
「御出掛ですかッて、仰(おっしゃ)いましてね――それじゃ、出直しておいでなさるッて――」とお雪は附添(つけた)した。
 こういう侘(わび)しい棲居(すまい)で、東京からの友人を迎えるというは、数えるほどしか無いことで有った。やがて、「お帰りでしたか」と訪れて来た覚えのある声からして、三吉には嬉しかった。
 西は少壮(としわか)な官吏であった。この人は、未だ大学へ入らない前から、三吉と往来して、中村という友達などと共に若々しい思想(かんがえ)を取換(とりかわ)した間柄である。久し振で顔を合せてみると、西は最早堂々たる紳士であった。
 西が連れて来て三吉に紹介した洋服姿の人は、やはりこの地方に来ている新聞記者であった。B君と言った。奥の部屋では、めずらしく盛んな話声が起った。
 西は三吉の方を見て、
「僕は君、B君なら疾(とう)から知っていたんだがネ、長野に来ていらっしゃるとは知らなかった……新聞社へ行って、S君を訪ねてみたのサ。すると、そこに居たのがB君じゃないか」
「ええ、つい隣に腰掛けるまで、西君とは思いませんでした」と記者も引取って、「それに苗字(みょうじ)は変ってましょう、髭(ひげ)なぞが生えてる、見違えて了(しま)いましたネ。実は西君が来ると言いますから、S君などと散々悪口を利(き)いて、どんな法学士が来るかなんて言っていました――来てみると西君でサ」
 西も笑出した。「君、なかなか人が悪いんだよ……僕もね、今度県庁から頼まれてコオペレエションのことを話してくれと言うんで来たのサ。ところが君、酷(ひど)いじゃないか。僕の来る前に、話しそうなことを皆な書いちまって、困らしてやれッて、相談していたんだとサ――油断が成らない――人の悪い連中が揃(そろ)っているんだからね」


 西は葉巻の灰を落しながら、粗末な部屋の内を見廻したり、こういう地方に来て引籠(ひきこも)っている三吉の容子(ようす)を眺(なが)めたりした。三年ばかり山の上で暮すうちに、三吉も余程田舎臭く成った。
「B君は寒いでしょう。御免蒙(こうむ)って外套(がいとう)を着給え」と西は背広を着た記者に言ってみて、自分でもすこし肩を動(ゆす)った。「どうも、寒い処だねえ――こんなじゃ有るまいと思った」
 お雪はいそいそと茶を運んで来た。西は旅で読むつもりの書籍(ほん)を取出して、それを三吉の前に置いて、
「小泉君、これは未だ御覧なさらないんでしょう。中村に何か旅で読む物はないかッて、聞いたら、これを貸してくれました。その葉書の入ってるところまで、読んでみたんです――それじゃ御土産がわりに置いて行きましょう――葉書は入れといてくれ給え」
 記者もその書籍(ほん)を手に取って見た。「私のように仕事にばかり追われてるんじゃ仕様が有りません。すこし静かな処へ引込んで、こういう物を読む暇が有ったら、と思います」
 西は記者の横顔を眺めた。
 記者は嘆息して、三吉の方を見た。「貴方なぞは仕事を成さる時に、何かこう自然から借金でも有って、日常(しょっちゅう)それを返さなけりゃ成らない、と責められて、否応(いやおう)なしに成さるようなことは有りませんか――私はね、それで苦しくって堪(たま)りません。自分が何か為(し)なければ成らない、と心で責められて、それで仕方なしに仕事を為ているんです。仕事を為ないではいられない。為(す)れば苦しい。ですから――ああああ、毎日々々、彼方是方(あっちこっち)と馳(かけ)ずり廻って新聞を書くのかナア――そんなことをして、この生涯が何に成る――とまあ思うんです」
「そりゃあ君、確かに新聞記者なぞを為ている故(せい)だよ」と西が横槍(よこやり)を入れた。「廃(よ)してみ給え――新聞を長く書いてると、必(きっ)とそういう病気に罹(かか)る」
「ところがそうじゃ無いねえ」と記者は力を入れて、「私もすこしは楽な時が有って、食う為に働かんでも可いという時代が有りました。やっぱり駄目です。今私が新聞屋を廃(や)めて、学校の教員に成ってみたところが、その生涯がどうなる……畢竟(つまり)心に休息の無いのは同じことです」
「それは、君、男の遺伝性の野心だ。野心もそういう風に伝わって来れば、寧(むし)ろ尊いサ」と西が笑った。
「そうかナア」と記者は更に嘆息して、「――所詮(とても)自然を突破るなんてことは出来ない。突破るなら、死ぬより外に仕方が無い。そうかと言って、自然に従うのは厭(いや)です。何故厭かと言うに、あまり残酷じゃ有りませんか……すこしも人を静かにして置かないじゃ有りませんか……私は、ですから、働かなけりゃ成らんという心持から退(の)いて、書籍(ほん)も読みたければ読む、眠たければ眠る、という自由なところが欲しいんです」
「僕もそう思うことが有るよ」と西は記者の話を引取った。「有るけれども、言わないのサ――言うと、ここの主人に怒られるから――小泉君は、働くということに一種の考えが有るんだねえ。僕は疾(とう)からそう思ってる」
「実際――Lifeは無慈悲なものです」
 と復た記者が言った。
「君、君」と西は記者の方を見て、「真実(ほんとう)に遊ぶということは、女にばかり有ることで、男には無いサ。み給え――小説を読んでさえそうだ、只(ただ)は読まない――何かしらに仕ようという気で、既に読んでるんだ。厭だね、男の根性という奴は。ホラ、あのゾラの三ヵ条――生きる、愛する、働く――厭な主義じゃないか。ツマラない……」
「小泉さんはこういう処にいらしって、御寂(おさみ)しくは有りませんか」と記者が聞いた。
「そりゃあ君、細君の有る人と無い人とは違うからね」
 こう西が戯れるように言出したので、思わず三吉は苦笑(にがわらい)した。


「そこだよ」と記者は言葉を続けた。「細君が有れば寂しくは無いだろうか。細君が有って寂しくないものなら、僕はこうやって今まで独身などで居やしない――しかも、新聞屋の二階に自炊なぞをして、クスブったりして――」
 西は話頭(はなし)を変えようとした。で、こんな風に言ってみた。「男が働くというのも、考えてみれば馬鹿々々しいサ。畢竟(つまり)、自然の要求というものは繁殖に過ぎないのだ」
「そうすれば、やっぱり追い使われているんだね。鳥が無心で何の苦痛も知らずに歌うというようには、いかないものかしら……」と記者が言った。
「鳥だって、み給え、対手(あいて)を呼ぶんだと言うじゃないか。人間でも、好い声の出る者が好い配偶を得るという訳なんだろう……ところが人間の頭数が増えて来たから、繁殖ということばかりが仕事で無くなって来たサ――だから、自分の好きな熱を吹いて、暮しても、生きていられるのが今の世の中サ」
「何だか僕等の生涯は夢らしくて困る」
「いずくんぞ知らん、日本国中の人の生涯は皆な夢ならんとはだ」
 三吉は黙って、この二人の客の話を聞いていた。その時記者は沈んだ、痛ましそうな眼付をして、西の方を見た。西は目を外(そら)した。しばらく、客も主人(あるじ)も煙草(たばこ)ばかり燻(ふか)していた。
 お房が覗(のぞ)きに来た。
房(ふう)ちゃん、被入(いら)っしゃい」
 と西が見つけて呼んだ。お房は恥かしそうに、母のかげに隠れた。やがて母に連れられて、菓子皿の中にある物を貰いに来た。
「お客様にキマリが悪いと見えて、母さんの後であんがとうしてます」と言ってお雪は笑った。
 西は二度も三度も懐中時計を取出して眺めた。
「君は何時(なんじ)まで居られるんだい。なんなら泊って行っても可いじゃないか」と三吉が言った。
「ああ難有(ありがと)う」と西は受けて、「今夜僕の為に歓迎会が有るというんで、どうしても四時半の汽車には乗らなくちゃ成らない。今夜はいずれ酒だろうから、僕はあまり難有くない方だけれど――それに、明日はいよいよ演説をやる日取だ」
「それにしても、まあユックリして行ってくれ給え」
「あの時計は宛(あて)に成らない」と西は次の部屋に掛けてある柱時計と自分のとを見比べた。「大変後れてるよ」
「アア吾家(うち)のは後れてる」と三吉も答えた。
 お雪はビイルに有合せの物を添えて、そこへ持って来た。「なんにも御座いませんけれど、どうか召上って下さい」と彼女が言った。三吉も田舎料理をすすめて、久し振で友人をもてなそうとした。
「こりゃどうも恐れ入ったねえ。僕は相変らず飲めない方でねえ」と西は言った。「しかし、気が急(せ)いて不可(いけない)から、遠慮なしに頂きます」
 三吉は記者にもビイルを勧めた。「長野の新聞の方には未だ長くいらっしゃる御積りなんですか」
「そうですナア、一年ばかりも居たら帰るかも知れません……是方(こっち)に居ても話相手は無し、ツマリませんからね……私は信濃(しなの)という国には少許(すこし)も興味が有りません」こう記者が答えた。
 西はめずらしそうに、牛額(うしびたい)と称する蕈(きのこ)の塩漬などを試みながら、「僕は碓氷(うすい)を越す時に――一昨日(おととい)だ――真実(ほんと)に寂しかったねえ。彼方(あそこ)までは何の気なしに乗って来たが、さあ隧道(トンネル)に掛ったら、旅という心地(こころもち)が浮いて来た。あの隧道を――君、そうじゃないか――誰だって何の感じもしないで通るという人は有るまいと思うよ。小泉君が書籍(ほん)を探しに東京へ出掛けて、彼処を往ったり来たりする時は、どんな心地だろう」


 客を見送りながら、三吉は名残(なごり)惜しそうに停車場まで随(つ)いて行った。寒く暗い停車場の構内には、懐手(ふところで)をした農夫、真綿帽子を冠(かぶ)った旅商人、それから灰色な髪の子守の群などが集っていた。
 西と三吉とは巻烟草(まきたばこ)に火を点けた。記者もその側に立って、
「僕が初めて西君と懇意に成ったのは、何時(いつ)頃だっけね。そうだ、君が大学へ入った年だ。僕はその頃、新聞屋仲間の年少者サ――二十の年だっけ――その頃に最早天下の大勢なんてことを論じていたんだよ」
「今は余程(よっぽど)分っていなくちゃならない――ところが、君、やっぱり今でも分らないんだろう」と西が軽く笑った。
 記者は玉子色の外套の隠袖(かくし)へ両手を入れたまま、反返(そりかえ)って笑った。やがて、すこし萎(しお)れて、前曲(まえこご)みに西の方を覗(のぞ)くようにしながら、
「その頃と見ると、君も大分変った」
 と言われて、西は黙って記者を熟視(みつめ)た。三吉は二人の周囲(まわり)を歩いていた。
 三人は線路を越して、下りの汽車を待つべきプラットフォムの上へ出た。浅間へは最早雪が来ていた。
「寒い寒い」と西は震えながら、「僕は汽車の中で凍え死ぬかも知れないよ」
「すこし歩こう」と三吉が言出した。
「そうだ。歩いたら少しは暖かに成る」と言って、西は周囲(あたり)を眺め廻して、「この辺は大抵僕の想像して来た通りだった」
 三吉は指(ゆびさ)して見せた。「あそこに薄(うっ)すらと灰紫色に見える山ねえ、あれが八つが岳だ。ずっと是方(こっち)に紅葉した山が有るだろう、あの崖(がけ)の下を流れてるのが千曲川(ちくまがわ)サ」
「山の色はいつでもあんな紫色に見えるのかい。もっと僕は乾燥した処かと思った」
「今日は特別サ。水蒸気が多いんだね。平常(いつも)はもっとずっと近く見える」
「それじゃ何ですか、あれが甲州境の八つが岳ですか――あの山の向が僕の故郷です」と記者が言った。
「へえ、君は甲州の方でしたかねえ」と西は記者の方を見た。
「ええ、甲州は僕の生れ故郷です……ああそうかナア、あれが八つが岳かナア。何だか急に恋しく成って来た……」と復(ま)た記者が懐(なつ)かしそうに言った。
 三人は眺め入った。
「小泉君」と西は思出したように、「君は何時(いつ)までこんな山の上に引込んでいる気かネ……今の日本の世の中じゃ、そんなに物を深く研究してかかる必要は無いと思うよ」
 三吉は返事に窮(こま)った。
「しかし、新聞屋さんもあまり感心した職業では無いね」と西は言った。
「君は又、エジトルだって、そう見くびらなくッても可いぜ」と記者が笑った。
 西も笑って、「あんなツマラないことは無いよ。み給え、新聞を書く為に読んだ本が何に成る。いくら読んだって、何物(なんに)も後へ残りゃしない。僕は、まあ、厭だねえ。君なんかも早く切上げて了いたまえ」
「君はそういうけれど、僕は外に仕方が無いし……生涯エジトルで暮すだろう……これも悪縁でサ」と言って、記者は赤皮の靴を鳴らして、風の寒いプラットフォムの上を歩いてみた。
 下りの汽車が来た。少壮(としわか)な官吏と、少壮な記者とは、三吉に別れを告げて、乗客も少ない二等室の戸を開けて入った。
「この寒いのに、わざわざ難有う」
 と西は窓から顔を出して言った。車掌は高く右の手を差揚げた。列車は動き初めた。長いこと三吉はそこに佇立(たたず)んでいた。


 黄ばんだ日が映(あた)って来た。収穫(とりいれ)を急がせるような小春の光は、植木屋の屋根、機械場の白壁をかすめ、激しい霜の為に枯々に成った桑畠(くわばたけ)の間を通して、三吉の家の土壁を照した。家毎に大根を洗い、それを壁に掛けて乾すべき時が来た。毎年山家での習慣とは言いながら、こうして野菜を貯えたり漬物の用意をしたりする頃に成ると、復た長い冬籠(ふゆごもり)の近づいたことを思わせる。
 隣の叔母さんは裏庭にある大きな柿の樹の下へ莚(むしろ)を敷いて、ネンネコ半天を着た老婆(おばあ)さんと一緒に大根を乾す用意をしていた。未だ洗わずにある大根は山のように積重ねてあった。この勤勉な、労苦を労苦とも思わないような人達に励まされて、お雪も手拭(てぬぐい)を冠り、ウワッパリに細紐(ほそひも)を巻付けて、下婢(おんな)を助けながら働いた。時々隣の叔母さんは粗末な垣根のところへやって来て、お雪に声を掛けたり、お歯黒の光る口元に微笑(えみ)を見せたりした。下婢は酷(ひど)い荒れ性で、皸(ひび)の切れた手を冷たい水の中へ突込んで、土のついた大根を洗った。
「地大根」と称えるは、堅く、短く、蕪(かぶ)を見るようで、荒寥(こうりょう)とした土地でなければ産しないような野菜である。お雪はそれを白い「練馬(ねりま)」に交ぜて買った。土地慣れない彼女が、しかも身重していて、この大根を乾すまでにするには大分骨が折れた。三吉も見かねて、その間、子供を預った。
 日に日に発育して行くお房は、最早親の言うなりに成っている人形では無かった。傍に置いて、三吉が何か為(し)ようとすると、お房は掛物を引張る、写真挾(ばさみ)を裂く、障子に穴を開ける、終(しまい)には玩具(おもちゃ)にも飽いて、柿の食いかけを机になすりつけ、その上に這上(はいあが)って高い高いなどをした。すこしでも相手に成っていなければ、お房が愚図々々言出すので、三吉も弱り果てて、鏡や櫛箱(くしばこ)の置いてある処へ連れて行って遊ばせた。お房は櫛箱から櫛を取出して「かんか、かんか」と言った。そして、三吉の散切頭(ざんぎりあたま)を引捕えながら、逆さに髪をとく真似(まね)をした。
「さあ、ねんねするんだよ」
 こう三吉は子供を背中に乗せて言ってみた。書籍(ほん)を読みながら、自分の部屋の中を彼方是方(あちこち)と歩いた。
 お房が父の背中に頭をつけて、心地(こころもち)好(よ)さそうに寝入った頃、下婢は勝手口から上って来た。子供の臥床が胡燵(こたつ)の側に敷かれた。
「とても、お前達のするようなことは、俺(おれ)には出来ない」
 と三吉は眠った子供をそこへ投出(ほうりだ)すようにして言った。
「旦那さん、お大根が縛れやしたから、釣るしておくんなすって」
 と下婢が言った。この娘は、年に似合わないマセた口の利きようをして、ジロジロ人の顔を見るのが癖であった。
 三吉は裏口へ出てみた。洗うものは洗い、縛るものは縛って、半分ばかりは乾かされる用意が出来ていた。彼は柿の樹の方から梯子(はしご)を持って来て、それを土壁に立掛けた。それから、彼の力では漸く持上るような重い大根の繋(つな)いである繩(なわ)を手に提げて、よろよろしながらその梯子を上った。お雪や下婢は笑って揺れる梯子を押えた。


「どうも、御無沙汰(ごぶさた)いたしやした」こう言って、お房の時に頼んだ産婆が復た通って来る頃――この「御無沙汰いたしやした」が、お雪の髪を結っていた女髪結を笑わせた――三吉は東京に居る兄の森彦から意外な消息に接した。
 それは、長兄の実が復た復た入獄したことを知らせて寄(よこ)したもので有った。その時に成って三吉も、度々(たびたび)実から打って寄したあの電報の意味を了解することが出来た。森彦からの手紙には、祖先の名誉も弟等の迷惑をも顧みられなかったことを掻口説(かきくど)くようにして、長兄にしてこの事あるはくれぐれも痛嘆の外は無い、と書いて寄した。
 三吉は二度も三度も読んでみた。旧(ふる)い小泉の家を支(ささ)えようとしている実が、幾度(いくたび)か同じ蹉跌(つまずき)を繰返して、その度に暗いところへ陥没(おちい)って行く径路(みちすじ)は、ありありと彼の胸に浮んで来た。三吉が過去の悲惨であったも、曾(かつ)てこういう可畏(おそろ)しい波の中へ捲込(まきこ)まれて行ったからで――その為に彼は若い志望を擲(なげう)とうとしたり、落胆の極に沈んだりして、多くの暗い年月を送ったもので有った。
 実が残して行った家族――お倉、娘二人、それから他へ預けられている宗蔵、この人達は、森彦と三吉とで養うより外にどうすることも出来なかった。それを森彦が相談して寄した。この東京からの消息を、三吉はお雪に見せて、実にヤリキレないという眼付をした。
「まあ、実兄さんもどうなすったと言んでしょうねえ」
 と言って、お雪も呆(あき)れた。夫婦は一層の艱難(かんなん)を覚悟しなければ成らなかった。
 冬至には、三吉の家でも南瓜(かぼちゃ)と蕗味噌(ふきみそ)を祝うことにした。蕗の薹(とう)はお雪が裏の方へ行って、桑畑の間を流れる水の辺(ほとり)から頭を持上げたやつを摘取って来た。復た雪の来そうな空模様であった。三吉は学校から震えて帰って来て、小倉の行燈袴(あんどんばかま)のなりで食卓に就(つ)いた。相変らず子供は母の言うことを聞かないで、茶椀(ちゃわん)を引取るやら、香の物を掴(つか)むやら、自分で箸(はし)を添えて食うと言って、それを宛行(あてが)わなければ割れる様な声を出して泣いた。折角(せっかく)祝おうとした南瓜も蕗味噌も碌(ろく)にお雪の咽喉(のど)を通らなかった。
「母さんは御飯が何処へ入るか分らない……」


 お雪はすこし風邪(かぜ)の気味で、春着の仕度を休んだ。押詰ってからは、提灯(ちょうちん)つけて手習に通って来る娘達もなかった。お雪が炬燵(こたつ)のところに頭を押付けているのを見ると、下婢(おんな)も手持無沙汰の気味で、アカギレの膏薬(こうやく)を火箸(ひばし)で延ばして貼(は)ったりなぞしていた。
 寒い晩であった。下婢は自分から進んで一字でも多く覚えようと思うような娘ではなかったが、主人の思惑(おもわく)を憚(はばか)って、申訳ばかりに本の復習(おさらい)を始めた。何時(いつ)の間にか彼女の心は、蝗虫(いなご)を捕(と)って遊んだり草を藉(し)いて寝そべったりした楽しい田圃側の方へ行って了った。そして、主人に聞えるように、同じところを何度も何度も繰返し読んでいるうちに、眠くなった。本に顔を押当てたなり、そこへ打臥(つッぷ)して了(しま)った。
 急に、お房が声を揚げて泣出した。復(ま)た下婢は読み始めた。
「風邪を引いてるじゃないか。ちっとも手伝いをしてくれやしない」
 こうお雪が言った。お雪はもう我慢が仕切れないという風で、いきなり炬燵を離れて、不熱心な下婢の前にある本を壁へ投付けた。
喧(やか)ましい!」
 下婢は止(よ)すにも止されず、キョトキョトした眼付をしながら、狼狽(うろた)えている。
何事(なんに)も為(し)てくれなくても可いよ」とお雪は鼻を啜(すす)り上げて言った。「居眠り居眠り本を読んで何に成る――もう可いから止してお休み――」
 唐紙を隔てた次の部屋には、三吉が寂しい洋燈(ランプ)に対(むか)って書物を展(ひろ)げていた。北側の雪は消えずにあって、降った上降った上へと積るので、庭の草木は深く埋(うずも)れている。草屋根の軒から落ちる雫(しずく)は茶色の氷柱(つらら)に成って、最早二尺ばかりの長さに垂下っている。夜になると、氷雪の寒さが戸の内までも侵入して来た。時々可恐(おそろ)しい音がして、部屋の柱が凍割(しみわ)れた。
旦那(だんな)さん、お先へお休み」
 と下婢は唐紙をすこし開けて、そこへ手を突いて言った。やがて彼女は炉辺の方で寝る仕度をしたが、三吉の耳に歔泣(すすりなき)の音が聞えた。一方へ向いては貧乏と戦わねばならぬ、一方へ向いては烈(はげ)しい気候とも戦わねばならぬ――こういう中で女子供の泣声を聞くのは、寂しかった。三吉は綿の入ったもので膝(ひざ)を包んで、独(ひと)りで遅くまで机の前に坐っていた。
 三吉が床に就く頃、子供は復た泣出した。柱時計が十二時を打つ頃に成っても、未だお房は眠らなかった。
 お雪は気を焦(いら)って、
「誰だ、そんなに泣くのは……其方(そっち)行け……あんまり種々な物を食べたがるからそうだ……めッ」
 いよいよお房は烈しく泣いた。時には荒く震える声が寒い部屋の壁に響けるように起った。母が怒って、それを制しようとすると、お房は余計に高い声を出した。
「ねんねんや、おころりや、ねんねんねんねんねしな……」とお雪は声を和(やわら)げて、何卒(どうか)して子供を寝かしつけようとする。お房は嬉しそうな泣声に変って、乳房を咬(くわ)えながらも泣止まなかった。
「母さんだって、眠いじゃないか」
 と母に叱られて、復たお房はワッと泣出す。終(しまい)には、お雪までも泣出した。母と子は一緒に成って泣いた。


「どうしてあんなに子供を泣かせるんだねえ。あんなに泣かせなくっても済むじゃないか」
 とお雪は下婢の前に立って言った。隣家(となり)では朝から餅搗(もちつき)を始めて、それが壁一重隔てて地響のように聞えて来る。三吉の家でも、春待宿(はるまつやど)のいとなみに忙(せわ)しかった。門松は入口のところに飾り付けられた。三吉は南向の日あたりの好い場所を択(えら)んで、裏白だの、譲葉(ゆずりは)だの、橙(だいだい)だのを取散して、粗末ながら注連飾(しめかざり)の用意をしていた。
 貧しい田舎教師の家にも最早正月が来たかと思われた。三吉は、裏白の付いた細長い輪飾を部屋々々の柱に掛けて歩いたが、何か復た子供のことでお雪が気を傷(いた)めているかと思うと、顔を渋(しか)めた。三吉の癖で、見込の無い下婢よりは妻の方を責める――理窟(りくつ)が有っても無くても、一概に彼は使う方のものがワルいとしている。だから下婢が増長する、こうまたお雪の方では残念に思っている。
「そりゃ、お前が無理だ」と三吉はお雪に言った。「未だ彼女(あれ)は十五やそこいらじゃないか――子供じゃないか――そんなに責めたって不可(いけない)」
「誰も責めやしません」とお雪はさも口惜(くや)しそうに答えた。お雪は夫が奉公人というものを克(よ)く知らないと思っている――どんなに下婢が自分の命令(いいつけ)を守らないか、どんなに子供をヒドくするか、そんなことは一向御構いなしだ、こう思っている。
「責めないって、そう聞えらア」と復た三吉が言った。
「私が何時責めるようなことを言いました」とお雪は憤然(むっ)とする。
「お前の調子が責めてるじゃないか」
「調子は私の持前です」
「お前が父親(おとっ)さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」
「誰が親と奉公人と一緒にして、物を言うやつが有るもんですか。こんな奉公人の前で、親の恥まで曝(さら)さなくっても可(よ)う御坐んす」
「解らないことを言うナア――なにも、そんな訳で親を舁(かつ)ぎ出したんじゃなし――奉公人は親ぐらいに思っていなくって使われるかい」
 奉公人そッちのけにして、三吉とお雪とはこんな風に言合った。その時、お房は何事が起ったかと言ったような眼付をして、親達の顔を見比べた。下婢は下婢で、隅(すみ)の方に小さく成って震えていた。
「女中のことで言合をするなぞは――馬鹿々々しい」と三吉は思い直した。そして、自分等夫婦も、何時の間にかこんな争闘(あらそい)を始めるように成ったか、と考えた時は腹立しかった。
「今日は。お餅(もち)を持って参じやした。どうも遅なはりやして申訳がごわせん」
 こう大きな百姓らしい声で呶鳴(どな)りながら、在の米屋が表から入って来た。
「お餅! お餅!」と下婢は子供に言って聞かせた。お房は手を揚げて喜んだ。この児は未だ「もう、もう」としか言えなかった。
 百姓は家の前まで餅をつけた馬を引いて来た。「ドウ、ドウ」などと言って、落葉松(からまつ)の枝で囲った垣根のところへ先(ま)ずその馬を繋(つな)いだ。

     八

 橋本の姉が夫の達雄と一緒に、汽車で三吉の住む町を通過ぎようとしたのは、翌々年(よくよくとし)の夏のことで有った。
 姉のお種は病を養う為に、伊豆の伊東へ向けて出掛ける途中で、達雄は又、お種を見送りながら、東京への用向を兼ねて故郷を発(た)ったのである。この旅には、お種は娘のお仙も嫁の豊世も家に残して置いて、汽車の窓で三吉夫婦に逢(あ)われる順路を取った。彼女は、故郷で別れたぎりしばらく末の弟にも逢わないし、未だ弟の細君も知らないし、成るなら三吉の家で一晩泊って、ゆっくり子供の顔も見たいと思うのであったが、多忙(いそが)しい達雄の身(からだ)がそうは許さなかった。
 この報知(しらせ)を受取った三吉夫婦は、子供に着物を着更えさせて、停車場(ステーション)を指して急いだ。夫婦は、四歳(よっつ)に成る総領のお房ばかりでなく、二歳(ふたつ)に成るお菊という娘の親ででもあった。お房は母に手を引かれて、家から停車場まで歩いた。お菊の方は近所の娘に背負(おぶ)さって行った。
「お前は菊(きい)ちゃんを抱いてた方が好かろう」
 と三吉は、停車場に着いてから、妻に言った。お雪は二番目の子供を自分の手に抱取った。
 上りの汽車が停まるべきプラットフォムのところには、姉夫婦を待受ける人達が立っていた。やがて向の城跡の方に白い煙が起(た)った。牛皮の大靴を穿(は)いた駅夫は彼方此方(あちこち)と馳(か)け歩いた。
 種々(さまざま)な旅客を乗せた列車が三吉達の前で停ったのは、間もなくで有った。達雄もお種も二等室の窓に倚凭(よりかか)って、呼んだ。弟夫婦は子供を連れてその側に集った。その時、お雪は初めて逢った人々と親しい挨拶(あいさつ)を交換(とりかわ)した。
「橋本の伯母(おば)さんだよ」
 と三吉はお房を窓のところへ抱上げて見せた。
房(ふう)ちゃんですか」と言って、お種は窓から顔を出して、「房ちゃん……お土産(みや)が有りますよ……」
「ヨウ、日に焼けて、壮健(じょうぶ)そうな児だわい」と達雄も快濶(かいかつ)らしく笑った。
 お種は窓越しに一寸(ちょっと)でもお房を抱いてみたいという風であったが、そんなことをしている時は無かった。彼女はいそがしそうに、子供へと思って用意して来た品々の土産物を取出して、弟夫婦へ渡した。
「ずっと東京の方へ御出掛ですか」と三吉が聞いた。
「いや、東京は後廻しです」と達雄は窓につかまって、「私だけ東京に用が有りますから、先(ま)ず家内を送り届けて置いて……今度の様に急ぎませんとね、お種もいろいろ御話したいんでしょうけれど――」
「お雪さん、ゆっくり御話も出来ないような訳ですが、今度は失礼しますよ――いずれ復(ま)たお目に掛りますよ」とお種も言った。
 お雪は二番目のお菊を抱きながら会釈する、お種は車の上からアヤして見せる、碌(ろく)に言葉を交(かわ)す暇もなく、汽車は動き出した。


 お種が窓から首を出して、もう一度弟の家族を見ようとした頃は、汽車は停車場を離れて了(しま)った。田舎(いなか)の子供らしく育ったお房の紅い頬(ほお)、お菊を抱いて立っているお雪の笑顔、三吉の振る帽子――そういうものは直にお種の眼から消えた。
漸(やっ)とこれで私も思が届いた」とお種も言ってみて、やがて窓のところに倚凭(よりかか)った。
 しばらく達雄夫婦の話は三吉等の噂(うわさ)で持切った。旅と思えば、お種も気を張って、平常(いつも)より興奮した精神(こころ)の状態(ありさま)にあった。なるべく彼女は弱った容子(ようす)を夫に見せまいとしていた。その日は達雄も酷(ひど)く元気が無かった。しかし、夫はまた夫で、それを外部(そと)へは表すまいと勉めていた。
 汽車が山を下りた頃、隣の室の客で、窓から乳を絞って捨てる女が有った。お種はそれを見て子の無い自分の嫁のことを思出した。彼女は忰(せがれ)や、嫁や、それから不幸な娘などから最早(もう)余程離れたような気がした。
 この旅はお種に不安な念(おもい)を抱(いだ)かせた。何ということはなしに、彼女は心細くて心細くて成らなかった。彼女の衰えた身体(からだ)は、正太の祝言を済ました頃から、臥床(とこ)の上に横(よこた)わり勝で、とかく頭脳(あたま)の具合が悪かったり、手足が痛んだりした。で、弟の森彦の勧めに従って、この前にも伊豆の温泉を択(えら)んで、遠く病を養いに出掛けたこともあった。伊東行は丁度これで二度目だ。どういうものか、今度は家を離れたくなかった。厭(いや)だ、厭だ、とお種がいうやつを、無理やりに夫に勧められて出て来た位である。
 赤羽で乗替えて、復た東海道線の列車に移った頃は、日暮に近かった。達雄はすこし横に成った。お種はセル地の膝掛(ひざかけ)を夫に掛けてやって、その側で動揺する車の響を聞いた。寝ても寝られないという風に、達雄は間もなく身を起したが、紳士らしい威厳のあるその顔には何処(どこ)となく苦痛の色を帯びていた。彼は、眼に見ることの出来ないある物に追われているような眼付をした。
「どうか成さいましたか」とお種は心配顔に尋ねてみた。「都合が出来ましたら、貴方(あなた)もすこし伊東で保養していらしったら……」
「どうして、お前、そんなユックリしたことが言っていられるもんじゃない」と達雄が言った。「東京で用達をして、その模様に依(よ)っては直に復た国の方へ引返さなけりゃ成らん……俺(おれ)は今、一日を争う身だ……」
 達雄は祖先から伝わった業務にばかり携わっていることの出来ない人であった。彼は今、郷里の銀行で、重要な役目を勤めている。決算報告の期日も既に近づいている。
 車中の退屈凌(しの)ぎに、お種は窓から買取った菓物(くだもの)を夫に勧めた。達雄はナイフを取出して、自分でその皮を剥(む)こうとした。妙に彼の手は震えた。指からすこし血が流れた。
「俺も余程どうかしてるわい」
 こう言って、達雄は笑に紛らした。お種は不思議そうに夫の顔を眺めたが、ふとその時心の内で、
「まあ、旦那(だんな)が手を切るなんて……今までに無い事だ」
 と不審(いぶか)しく思って見た。
 乗りつづけに乗って行った達雄夫婦は、その晩遅く、疲れて、国府津(こうず)の宿まで着いた。


 波の音が耳について、山から行った人達は一晩中碌(ろく)に眠られなかった。海の見える国府津の旅舎(やどや)で、達雄夫婦は一緒に朝飯を食った。
 お種は多忙(いそが)しい夫の身の上を案じて、こんな風に言出した。
「貴方――もし御多忙しいようでしたらここから帰って用を達して下さい。最早(もう)船に乗るだけの話で、海さえ平穏(おだやか)なら伊東へ着くのは造作ない――私独(ひと)りで行きます」
「そうか……そうして貰えると、俺も大きに難有(ありがた)い……しかし、お前独りで大丈夫かナ」と達雄が言った。
「大丈夫にも何にも。ここまで貴方に送って頂けば沢山です。初めての旅ではないし、それに伊東へ行けば多分林さん御夫婦や御隠居さんが来ていらっしゃるで、何にも心配なことは有りません」
「じゃあ、ここでお前に別れるとしよう……こうっと、俺はこれから直に東京へ引返して、銀行の方の用達をしてト……大多忙(おおいそがし)」
 こういう話しをしているところへ、宿の下婢(おんな)が船の時間を知らせに来た。東京の方へ出る汽車が有ると見えて、宿を発(た)って行く旅人も有った。
「汽車が出るそうな」とお種は聞耳を立てた。「丁度好い――この汽車に乗らっせるが可い」
「伊東まで行く思をして御覧な」と達雄は言った。「なにも、そんなに周章(あわ)てなくても好い。汽車はいくらも出る」
「でも、貴方は、一日を争う身だなんて仰(おっしゃ)っていらしったで……それほど大切な時なら、一汽車でも早く東京へ入った方が好からずと思って」
「まあ、船までお前を送ってやるわい」
 多忙(いそが)しがっている人に似合わず、達雄はガッカリしたように坐って、復(ま)た煙草を燻(ふか)し始めた。何となく彼は平素(ふだん)のように沈着(おちつ)いていなかった。
 停車場の方では、汽車の笛が鳴った。達雄は一向それに頓着(とんちゃく)なしで、思い屈したように、深く青い海の方を眺めていた。
 そのうちに、伊東行の汽船の出る時が来た。夫婦は宿を出て、古い松並木の蔭から海岸の方へ下りた。細い砂を踏んで、礫(こいし)のあるところまで行くと、そこには浪(なみ)が打寄せている。旅人の群も集って来ている。艀(はしけ)に乗る男女の客は、いずれも船頭の背中を借りて、泡立ち砕ける波の中を越さねば成らぬ。お種は夫に別れて、あるたくましげな男に背負(おぶ)さった。男はジャブジャブ白い泡の中を分けて行った。
 艀が浮いたり沈んだりして本船の方へ近づくに随(したが)って、悄然(しょんぼり)見送りながら立っている達雄の顔も次第にお種には解らなく成った。勝手を知った舟旅で、加(おまけ)に天気は好し、こうして独りで海を渡るということは、別にお種は何とも思わなかった。唯、彼女は夫のことが気に懸って成らなかった。汽船に移ってから、彼女は余計に心細く思って来た。夫は最早傍に居なかった。

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