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踊る地平線(おどるちへいせん)04虹を渡る日

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-27 6:49:09  点击:  切换到繁體中文


 BUMP!
 すでに高度は千メートル以上。百メートルの速力。これから千乃至五千の高さを揺曳ようえいして飛ぶ。一分間に汽車の窓から見る視野の二十倍が一秒のあいだに私たちのまえ――いや、下にあるわけで、機の真下の一地点だけでも、まさに六マイル平方にあたる勘定だ。
 もううにクロイドンを飛び出したのだろう。人家がまばらになって、バリカンのあとみたいな耕地がGrrrrと斜めにゆるくうしろへ流れつつある。
 空の濁っているのが倫敦ロンドンの方角らしい。
 機首はきまった――一直線に巴里パリーブウルジェへ!
 こうなると私たちには何らの恐怖も危惧もない。あるのはただこみ上げてくる愉悦と単純な驚異の連続だけだ。
 洋々たる「空の怒濤」。
 おとこの雲。
 おんなの雲。
 こどもの雲。
 みんな仲よく私たちのまわりに遊んでる。さわいでる。笑ってる。
 笑うと言えば、いままで他愛なく笑っていた機内の人々は、急にじぶん達の笑いに気がついて、その笑ったことが恥しいように、あわてて「人間界」の威儀をつくり出した。そこで狂奔する音響のなかで、私のうしろのお婆さんは毎日郵報デエリイ・メイルを拡げ出し、商人らしい中年の紳士は小鞄をあけて書類を読みはじめ、女学生は林檎りんごき、女の児は窓へつかまり、その母親は背後から女の児をつかまえ、もうひとりの若い男はよろけながらWCへ立ち、ボウイが飲み物を売りにくる――いかにも旅行の一頁らしい光景。
 彼女が私へノウトを渡す。筆談だ。書いてある。
『イカガ?』
 私が返事をかく。
『ヘイキ。』
 彼女がほほえむ。私もほほえむ。それからまた、むさぼるように二人は下界の観察だ。
 プロペラの音、その風、自信に満ちみちて大きくうなずく銀いろの翼、私の窓のそとに泣くようにふるえている、一本の寒いロウプ
 地球はいま私たちに関係なく廻っている。
 何たるそれはのろくさい文明であろう! じつに笑うに耐えた平面・矮小・狭隘きょうあい・滑稽そのものの社会であり、歴史であり、思想であり、「人生の悲劇または喜劇」であろう! なんというパセテックなにんげん日々の希望であり、Patho であり、微笑であることよ!
 上から見る生活の白じらしいはかなさ――鳥はすべて虚無主義者に相違ないと私は思う。
 機内はあかるい。天井に薄い布を張った菱形の非常口があるからだ。裂く羽目リッピング・パネルである。Ripping Panel ―― in case of emergency, pull ring sharply. こう読める。忘れていた気味のわるい思いがふっとまた頭を出しかける。No Smoking とも大書してある。Not Even Abdullas とすぐあとに断ってある。アブドュラは軽いから煙草じゃないなんて言う人もあるとみえる。ちょっと引っぱれば取れるように、頭のうえに救命帯が細い糸一ぽんで吊してある。これを見ていてあんまり気もちのいいものじゃない。Life-Belt, Pull Only in Emergency ――。
 私は思い出す。つい一週間ほどまえ、なんとかスタインという倫敦ロンドン財界の大頭おおあたま――すでに何とかスタインである以上、それはつねに財界の黒幕にきまっている――が、海峡のうえで飛行機から落ちて、新聞と取引所をはじめロンドンぜんたいが大さわぎをしていたことを。そして、その死体がきのう海岸で発見されて、先刻クロイドン飛行場エロドロウムにそういう掲示が出ていたことを。一昨日はまた、これは旅客機ではないが、このⅠ・Aの飛行機がBUMPと落ちて、ちょっと Joy-ride としゃれていた会社の女タイピストと事務員の一行を飛行家とともに全部恨みっこなしに殺している。じつはこれらの事実は、私が考えまい考えまいと努力していたところのものだが、「裂く羽目リッピング・パネル」だの救命帯だのをじっと見つめていると、私はいつしか、いまこの天空のうえで故障が起って――操縦者パイロットの心臓麻痺・突然の発狂ということもあり得る――客一同は総立ちになり、誰かが躍り上ってリッピング・パネルを破り、彼女は私にしがみつき、女たちは泣き叫び、男はただうろうろし――そのあいだも、一団の火煙と化した機は螺旋らせんをえがいて落下しつつある! としたらどうだ! などと、内心安全を確信していればこそ、とかくこんな場面も空想にのぼるんだろうが、いままでの空の犠牲者――早い話が何とかスタインにしろⅠ・Aのタイピストにしろ――は、誰でもこの、ぼんやりながら根強い、自分だけは大丈夫にきまっているという内心の確信にまかせて機上の人となったに相違ない。
 そう思うと、何とも飛んだことをしたような気がしてくる――ものの、この快翔に一たい何が起り得るというのだ?
 ああ、悪魔だった。そも悪魔に、落ちたり死んだりすることが考えられようか。悪魔! 悪魔! 赤いももひきに赤いまんと蝸牛かたつむりの頭巾に小意気こいきな鬚のメフィストフェレスは、いま銀のつばさを一ぱいに張ってこの大ぞらを飛行している。悠々とそして閑々と、法規と礼譲と道徳とあらゆる小善とを勇敢に無視して、そのうえを往く「空の無頼漢アパッシュ」だ。何という近代的に無責任なCHIC!
 BUMP! そしてRolling。
 窓から手を出す。指が切れて飛びそうだ。つめたいのか痛いのかちょっと感覚の判断に迷う。
 ボウイが正面壁間ブルワアクの黒板へ何か書き出す。みなの眼が白墨へあつまる。NOW OVER と上にぺんきで出ていて、ボウイのチョウクがあとをつけ足す。
 NOW OVER Sevenoak.
 セヴノウクの町だ。
 ははあ、固まってる。うすっぺらの家が、後園バック・ガアデンが、洗濯物が、木が路が人が。
 鶏? それとも犬かしら? 白い広場に何かぽつんと黒点が見える。ゆらゆらとセヴノウクがうしろへすっ飛んだ。
 畑だ。
 森だ。
 野だ。
 畑は赤・黄・白の幾何的だんだら。森は黒い集団。野は雲の投影。
 機は早い。
 NOW OVER Tombridge.
 おや! 帯が落ちてる。何だ、国道ハイウェイじゃないか。ばかに曲りくねってるなあ。無数のぽちぽちがじっとしてる。自動車の列だ。あれでも早いつもりで走ってるんだろう。そのうえをすうと飛行機の影がいてゆく。
 川がある。橋がある。人が渡ってる。
 川は白い絹糸、橋は六号活字の一、人はペンさきのダットだ。すぐうえに太陽があり、まわりにうすい雲が飛び去り、下は一めんに不可思議なパノラマ――すべての王国と共和国と財宝と野心と光栄と、それらがみな私への所属をねがってひろがっている。何という地上の媚態、嬌姿! だが、現世うつしよの舞台は何と悪魔の眼にあわれに貧しく映ることよ!
 私たちが夢にも知らないうちに、科学はこの赫灼かくしゃくたる動きとパッションをこころゆくまで享楽していたのだ。銀翼号と他の飛行機たちよ! このとおり頭を下げる。おんみらこそは新世紀の芸術だ。私たちの最大の傑作――あ! 汽車だよあれは。二寸ほどの列車! おい、見ろみろ、はっはっは、何てしたり顔の、こましゃくれた爬虫類だろう!
 NOW OVER Dungeness.
 谷・巨木・まっくろな突起。
 岩・白砂・かがやくうんも
 地形に変化が多いと機は動揺する。それを逃げて一段たかく上げかじをとった時、私たちの下にまんまんたる青い敷物があった。
 ドウヴァ海峡だ。
 AHA! 水銀の池。
 乗客はみんな窓から覗いて、またへらへら笑い出した。何となく馬鹿々々しくくすぐったいのだ。いやにしとやかに陽に光って、さわるとぺこんへこみそうな、ふっくらとした水の肌――こいつは落ちても痛くないぞ。
 しかし、何とこれは美々びびしく印刷された地図だろう! 日の矢と、それを反射する段々の小皺と。
 海峡の色は私の食慾をそそる。
 みんなと一しょに私たちも空中でランチをたべる。魔法つかいの会食。舌のサンドウィッチにトマト・桃・バナナ。彼女は水をもらう。飲みながらほほえむ。私もほほえむ。
 彼女の口が大きく動いて、三つの日本発音を私に暗示する――オ・フ・ネ、と。
 やあ! ほんとにオフネだ、オフネだ! 赤い立派なオフネが一そう真下の水に泳いでいる。これは汽船でもなければ、船でもない。たしかに坊やのおもちゃのオフネだ。それにしても、何てまあ横に広い坊やのオフネだろう!
 ドウヴァはいそがしい。灰色の軍艦もむこうに海の陽炎かげろうに包まれている。
 あ! なかまだ! 三台の飛行機! 二つは上に、ひとつは下に。AH! 殷賑いんしんをきわめる空の交通整理よ! 行ってしまった。
 BUMP! 空の波だ。
 一同はっとして「うう!」と唸る。
 BUMP!
 UUGH!
 BUMP!
 UUGH!
 しばらくがぶりがつづく。ボウイが紙に書いて苦悶中の女客へ見せてまわる。
 Bumps will soon be less.
 同じ悪魔でも、やはり女のほうはすこしデリケイトに出来てるらしい。いぎりすの奥さんなんか、けっして下を見ないように真正面に眼を据えたきりだ。お婆さんは相変らず新聞を読み、商人はしきりに書類をしらべ、私は首をのばしてふらんすの海岸線を待っている。
 すると、出てきた。
 くっきりとした地と水のさかい。屈折する陸の進出と、海の侵蝕。仏蘭西フランスの浜は赤土の露出だ。それに白い浪がよせている。
 この絢爛ゴウジャスな感情・王者のこころ。
 私の全神経がぷろぺらとともにしんしんと喜悦の音を立てる。
 百姓家。一つ光る湖、NO! 硝子ガラス窓だ。
 NOW OVER Le Touquet.
 機は早い。
 もう仏蘭西語の地名。
 BUMP!
 UUGH!
 NOW OVER Abbeville.
 巴里パリーは近い。向うむきの雲先案内パイロットの首がますます太くなる。
 君! もっともっとスピイドを出したまえ!
 蟠踞ばんきょする丘と玉突台のような牧場と。
 部落。
 共有地。
 並木。
 小市街。
 無視する。
 黙過する。
 抹殺する。
 やがて巴里――異国者の開港場。
 その巴里が、2・30PMのブウルジェが、ふたたび「社会」が人性が生活が、いまぐんぐん機の下に盛れあぶってきている。
 やあい! 子供が走ってるぞ! ふらんすの子供が!
 踏切りに荷馬車と人が重なって、汽車の通りすぎるのを待ってらあ。
 その上を機は草原の中空へ――ブウルジェ飛行場だ。
 虹の橋のおわり。悪魔ももとの人間に還元しなければならない。で、お婆さんは新聞をたたみ、男はねくたいへ手をやり、女は一せいにバッグをあけて鼻のあたまを叩き出す。
 BUMP!
 BUMP!
 BUMP!
 なつかしい地面が見るみる眼下に迫ってきている。世の中のにおい・石ころ・土・草の葉――色のくろい操縦者の横顔が笑う。下の仏蘭西フランスの格納庫員へ手をあげて――。
 彼女から私への最後の筆談。
『ヒコウカニナリタイ。』

   都会の顔

 ちょうどいつか。そしてどこかですれ違った通行人のなかに、性格的な人の顔が何ということなしに長く頭にこびりついていて、それがときどき訳もなくふっと思い出されるようなことがあるのとおなじに、旅にも、何ら特別の意味もないのに、どういうものかいつまでも忘れられない不思議な小都会というのがある。
 それはなにも、その町のつゴセック建築の伽藍がらんでもなければ、おれんじ色の照明にウォルツの流れる大ホテルの舞踏場でもない。さらにベデカに特筆大書してある「最新流行」の産地たる散歩街や、歴史的由緒のふかい広場や、文豪の家や博物館では決してない。では何がそれほどその町を印象づけるか、というと、そこには分解して言えない一つの空気があるのだ。
 旅の芸術アウトは、こっちがあくまで受動的に白紙ブランクのままで、つぎつぎに眼まぐるしくあらわれる未知に備えずしてそなえ、すべてをこころゆっくりと送迎してゆく手法にある。そうすると深夜に汽車のとまった山間の寒駅にも、高架線の下に一瞥した廃墟のような田舎町にも、夏ぐさにうずもれた線路の枕木の黄いろい花にも、その一つひとつに君は自分を見出すだろう。そうしてそれらに君じしんの姿を見た以上、山間の小駅も廃墟のような田舎町も、枕木の黄色い花も、しっくりと旅のこころに解けあって、いつまでも君を離れないであろう。
 この、人見知りをしない Care-free さで、ぶらりと君がひとつの町へ下りたとする。
 新しい不可思議な色彩が君のまえにある。
 奇妙な文字の看板、安っぽい椅子の海が歩道へはみ出ているキャフェ、悲しい眼の女たち、意気な軍服と口笛の青年士官、モウニング・コウトに片眼鏡の紳士、どなるように客を呼ぶタキシ、四、五人で笑いさざめいてゆく町の娘、見なれない電車、に踊る停車場まえの裸像の噴水、兵卒のような巡査、駈けよってくる花売り女――騒音は都会の挨拶グリイテングだ。
 ちがった外見の、けれど内容のおなじ生活がここにも集合している。しみじみそういう気がする。そのせいだろう、もしそのとき君が、前に一度、夢でか現実にか、この町へ来たことがあるような気がしたら、そしてまた、家のならびや往来の走りぐあいが君の想像していたところと全く同一なら――多くの場合そうだが――君はどんなにその町を愛し、そこにれ親しんでもさしつかえない。君はすでに町をつかんでいるからだ。
 このあたらしい都会でぴたりとくる感じ――私はそれを町の顔と呼ぶ。
 へんなことには、都会の顔は近代化した大通りや、いわゆる「見物の場所プレイス・オヴ・インタレスト」にはけっして見られない。老婆と主婦と雑貨と発音が鳩といっしょに渦をまく朝の市場、しみだらけの歪んだ壁と、小さな窓と、はだしの子供たちの狭い裏まち。それに坂だ!――私はどうしてこう坂と横町と市場が好きなんだろう?――これらに私は、じいっと私を見つめている「町の顔」を発見する。
 こういう「町の顔」のなかで、性格的に印象を打って長くあたまにこびりついている多くの「顔」を私は持つ――そのうちでも白耳義ベルギー首府メトロポリスブラッセルは、私にとって忘れられない「都会の顔」の一つだ。その、千百一の物語を蔵していそうな裏まちと、市場と、市街の坂と、私はこの欧羅巴ヨーロッパの片隅に「存在をゆるされて」いるブラッセルの可憐さ――それは孤児の少女に似た――をいまだに大事にこころの底にしまいこんでいる。
 ブラッセルでは、私たちはブラッセルを生きた。そのあいだ靉日あいじつがつづいていた。
 着いたのは夜だった。
 着くのは、あたらしい町へつくのは夜に限る。昼だと、旅に疲れた君の眼に一ばんさきにうつるのは白っぽい欠点だ。そして、そこにあるのはどこも同じ実務の世界だけだ。が、それがもし夜なら、闇黒とともしびに美化された都会が素顔を包んで君をむかえる。そして、そこにあるのは浪漫の世界だけだ。あくる朝ホテルの窓をあけてほんとの町を発見する。旅人はどうしても夜ついた都会を愛するわけだ。だから、あたらしい町へはいるのは夜にかぎる。
 で、着いたのは夜だった。巴里パリーからブラッセルの「南の停車場ガル・ドュ・ミデ」へ。
 ブラッセル・すなっぷしゃっと。
 セン河にまたがり「沼の上の宮殿ブルック・ツエル」の転訛。
 オテル・ドュ・ヴィユ――市役所。ゴセックとルイ十四世式の効果的合成。十五世紀の建築。
 アンシャン美術館――ルウベンス・ルウベンス・そしてルウベンス。
 正義の殿堂プラス・ドュ・ジュステス――裁判所。前庭の階段にならぶ雄弁家の立像。シセロ、デモステネス、アルピアン。丘。中世紀的市街の鳥瞰。

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