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踊る地平線(おどるちへいせん)05白夜幻想曲

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-27 6:50:19  点击:  切换到繁體中文


『日本はほんとにいい国です。私も度々たびたび行きました。また行くつもりです。しかし、もうあんまり掘出し物はありませんな、高価たかいばかりで。いや、たかいの何のって、とても私なんかにあ手が出ません。この写楽はいいでしょう――が、このへんになるとどうも――それから広重――と、氏は読みにくい昔の日本文字を自由に読みこなして――東海道五十三次掛川之宿かけがわのしゅく。どうですこの藍の色は! 嬉しいですね。さあ、ほうら! 歌麿です。この線――憎いじゃあありませんか。ねえ、この味が判らないんだから、毛唐なんて私あんなけだものだって言うんです。』
 とだんだん昂奮してきて、
『それあ私も西洋人ですけれど、西洋の文明はもうおしまいですね。退歩しつつあります。なっちゃいないんですからねえ。まるで泥棒ときちがいの寄合よりあいだ。自制なんかということは薬にしたくてもない。一に金、二に金、三に金、が、金が何です! 金よりも心でしょう! 強いこころこそ国と人のたからです!――まあいい。こいつらがこうやって物質にばかり走ってい気になってるあいだに、日本はどんどん心の修養を怠りません。そのはずです。心のないところに何があり得ましょう! じっさい私は「東洋の心オリエンタル・マインド」というものを幾分か理解し、そしていつも尊敬しています。』
 彼は奇妙な慷慨家こうがいか肌の男で、熱してくると、いつか眼にいっぱい涙を持っていた。
 古いストル・トルグの広場――一五二〇年丁抹デンマアクの暴王クリスチャン二世がここでスウェイデンの貴族達を虐殺したという、歴史に有名な「血のゆあみ」のあと。株式取引所のまえだ。黒い石畳。
 ここへ行ったら、ついでに近くの、ゲルマン時代からある地下室料理デン・ギュルデン・フレデン――オステルランガタン五一番――へ寄らなければならない。画家アンデルス・ゾルンが買い取ってアカデミイへ寄附したもので、場処それ自身も芸術的に面白く、おまけに料理がいい。この家をわずにストックホルムを去るなかれ。
 帝室公園のハガの奥に「建たなかった宮殿のあと」というのがある。いわれを聞いてみると、グスタフ三世がヴェルサイユと同じプランで一七八一年から九二年まで十二年かかってやっと土台だけ出来た時に、暗殺されてしまったのだと。だから「建たなかった城のあと」で、畳々じょうじょうたる石垣と地下室と隧道とんねるが草にうずもれ、大きな松タアル小さな松グロウ――青苔で足が滑る。
 ハガの入口、カペテントという野外カフェへ這入る。十七世紀の近衛兵営舎。門に一風致ふうち。お茶一杯一クロウネ十四オウル。
 郊外ドロットニングホルムでは、「王の小劇場」だけは見なければならない。近代的なプロンプタアBOX、天使の降りる雲、その天使や悪魔の消滅する仕かけ等すっかり調ととのっていて、観覧席には当時のままの標字が残っている。騎士席、侍従席、侍女席。ずっと上のほうに宮廷理髪師フリイジア席、宮廷靴磨き席、宮廷料理人席――何と華やかな笑い声の夜をこれらの席名が暗示することよ! 光るよろいと粋な巻毛のかつらと、巨大なひげと絹のマントと、股引ももひきと道化者と先の尖った靴と!
 エレン・ケイが死んでから二年になる。
 二日がけで西南バトン潮に沿うヴァッドスナ町に彼女の家を訪ねた。家の名をモルバッカ“Morbacka”という。女史の遺志によって今は一種の婦人ホウムになっている。湖畔の一夜。
 そうだ。
 もっと――もっともっと北へのぼろう。
 バルチックを横断してフィンランドへ――となって、そこで或る薄暮。
 うら淋しいスケプスブロンの波止場からS・Sオイホナ号へ乗りこむ。
 雨の出港。濡れる灯のストックホルム。
 バルチック海。
 と、たちまちまた小別荘、松、灯台を載せた小群島アウチペラゴが私たちのまわりに。
 船に近くあるいは遠く、わだかまり、伸び上り、寝そべり、ささやきあい、忍び笑いし、争ってうしろへ消えていく驚くべき多島――これから芬蘭土フィンランドへルシングフォウスまで海上一昼夜の旅だ。やがて新興の Land of Thousands Lakes が私達のまえにほほえむだろう。
 風が出た。
 鉄綱ワイヤのうなりが一晩耳につく。

   SUOMI

 フィンランド共和国は欧羅巴ヨーロッパの最北端に位し、北緯六十度と七十度のあいだにある。しかしその割りには暖かくて、夏のおわりがちょうど日本の四、五月だった。深夜たびたび停船して水先案内を乗せたオイホナ号は、島の多い、というより凸起とっきした陸地の間にわずかに船を通すに足る水の、フィンランド湾の岸にそって、午前十時ごろ、半島の町ハンゴへ寄り、それからまた原始的なアウチペラゴのなかを、午後おそくこの国最大の都会である首府へルシングフォウスへ入港した。途中あちこちの小島の岩に大きく白くHasselholmenなどと島の名が書いてあるのを見る。夏のヴィラがあって人が住んでいたのだ。
 フィンランド国――芬蘭土フィンランド語ではスオミ、Suomi ――の首府へルシングフォウス――芬蘭土フィンランド語でヘルシンキ――は、密林と海にかこまれた、泣き出したいほどさびしい貧しい町だった。
 一九一八年に露西亜ロシアから独立したばかりで、そのとき四箇月間「人民の家」と称する共産党政府に苦しめられたことを人々はまだ悪夢のように語りあい、ソヴィエットの風が北部西欧へ侵入してこようとするをここで食いとめる防壁ブルワアクをもってみんな自任している。そのためと明かに公言して、国民軍の制度が不必要と思われるほど異常に発達し、四箇月の軍事教育ののちに属する国民軍なる大きな団体が、政治的にも社会的にも力を持っている。これに対立して露系共産党の策謀あり、この北陬ほくすうの小国にもそれぞれの問題と事件と悩みがあるのだ。何だか「国家」の真似事をしてるようで妙に可愛く微笑みたくなるが、しかし、同時にその素朴さ、真摯しんしな人心、進歩的な態度――約束されている、フィンランドの将来には何かしら健全で清新なものが――気がする。
 が、世界で一ばん古い独立国からの旅人の眼に、この世界で一番あたらしい独立国は、ただ雪解けの荒野を当てもなくさまようようにへんにはかなく映ったのは仕方ないのだろう。歴史的、そして地理的関係上、瑞典スエーデンの影響をいたるところに見受けるのはいうまでもない。国語もふたつ使われて、上流と知識階級はスウェイデン語を話し、他はフィニッシである。だから町の名なんかすべて二つの言葉で書いてある。語尾にガタンとついているのが瑞典スエーデン語、おなじく何なにカツとあるのが、芬蘭土フィンランド語で、地図も看板もそのとおりだから、旅行者はすくなからず魔誤々々まごまごしてしまう。
 ホテルでは、日本人の夫婦が舞いこんで来たというんで大さわぎだ。それには及ばないというのに、番頭が大得意で町の案内に立つ。
『これが郵便局です。どうです、素晴らしい建物でしょう? それからこれが停車場、あれがグロウハラアの要塞――。』
 一々感心したような顔をせざるを得ない。人には社交性というものがあるし、それにこの単純なフィンランド人を失望させたくないから――そこで、ありきたりの建物にも最大の讃辞を呈し、寒々しい大統領官邸にも最上級の驚嘆を示し――番頭は上機嫌で商売なんかそっちのけだ。
 エイラの島の絶景に大いに感心し、つぎに船着場の花とほうきの市場にまた大いに感心し、それから「異国者フォリソンの島」の博物園では十六世紀のお寺と、お寺の日時計・砂時計・礼拝中に居眠りするやつを小突くための棒・男たちの wicked eye から完全に保護されている女だけの席・地獄の絵・審判の日の作り物・うその告白をした女を罰する足枷あしかせ――それらにまんべんなく感心してしまうと、もうありませんな、と番頭のほうが困っている。可哀そうで、まあ君、これだけ見せてもらえばたくさんです。そう悲観したもうな、と慰めたくなる。
 その他、ついでに感心すべきものを附記すると、S・Sデゴロという船で一夕の島めぐり。夕陽をとかす水、島、岩、松、白樺、子供、あしを渡る風、小桟橋、「郊外の住宅へ帰る」ようにデゴロビビウだのヴォドだのイグロなんかという恐ろしげな名の島へ上陸して行くヘルシンキの勤人つとめにん、家の窓からそれを見て小径こみちを駈けてくる若い細君、船員が岸の箱へ押し込んで廻る夕刊と郵便物、今朝けさ頼んでおいた砂糖やめりけん粉の買物を船長さんから受取るべく船を待っている主婦たち――ここにも同じょうな人間の生活が営まれていることをいまさらのようにしみじみと思わせられる。
 それから、こんどは美術館アテネアムに感心しなければならない。ミレイとコロウとドガが紛れこんで来ている。
 もう一つ、お土産品を売るというんで自他ともに許しているはずのミカエル街ピルチの店に、売子と埃と好意と空気の他何ひとつ商品のないのに最後に感心。
 近処に常設館がふたつあって、夜になると不思議にも電灯がともる。一つを「ピカデリイ」、他はオリムピアと呼号し、前者はいま――というのは私のいたとき――ロン・チャニイ主演「刑罰」、後者はアイリン・プリングルとチェスタア・コンクリン共演の喜活劇を上映していた。ほかのいわゆる先進国、ことに日本の私たちは、もっとシンプルな享楽を享楽し、より謙遜な歓喜を歓喜としなければならないことをこの中学生みたいに若々しい人々によって教えられたような気がした。
 ブランス公園のうらの小池に The Waiting Girl と題する少女の裸像があるが、この、どんよりした沼のまんなかにうずくまっている田舎の処女の姿こそは、私の印象するSUOMIの全部だ。
 どこからでも見えるもの――旧ニコライ堂。
 どこにでも見かけるもの――OSAKEという広告サイン、と言っても、禁酒国だから酒場バーではない。「オサケ」は会社のこと。
 フィンランドの産物――かない材木と挽いた材木。ランニング選手、ヌルミとリトラと無数のその幼虫。
 さて、もっと、もっともっと北へ進もう――というんで、涙の出るようなさびしい、けれど充分近代的で清潔なフィンランドの汽車が、内部に私達を発見した。
 夜行。奥地の湖水地方へ――イマトラ――サヴォリナ――プンカハリュウ――ヴィプリ―― And God knows where !

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