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虎狩(とらがり)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-17 11:34:49  点击:  切换到繁體中文


       七

 さて、これでやっと虎狩の話を終ったわけだ。で、の虎狩から二年程って、例の発火演習の夜から間もなく、彼が私達友人の間から黙って姿を消してしまったのは、前に言ったとおりだ。そうして、それからここに十五六年、まるで彼とは逢わないのだ。いや、そう云うと嘘になる。実は私は彼に逢ったのだ。しかも、それがつい此の間のことだ。だからこそ、私もこんな話を始める気になったのだが、しかし、その逢い方というのがすこぶる奇妙なもので、果して、逢ったといえるか、どうか。その次第というのはこうだ。
 三日程前の午過ひるすぎ、友人に頼まれた或る本を探すために、本郷通りの古本屋を一通りあさった私は、かなり眼の疲れを覚えながら、赤門前から三丁目の方へ向って歩いていた。丁度昼休みの時間なので、大学生や高等学校の生徒や、その他の学生達の列が、通り一杯に溢れていた。私が三丁目の近くの、やぶそばへ曲る横丁の所まで来た時、その人通りの波の中に、一人の背の高い――その群集の間から一際、頭だけ抜出ているように見えた位だから、余程高かったに違いない――痩せた三十恰好の、ロイド眼鏡を掛けた男の、じっと突立っているのが、私の目をいた。の男は背が人並外れて高かったばかりではなく、その風采が、また著しく人目を惹くに足るものだった。古い羊羹ようかん色の縁の、ペロリと垂れた中折を阿弥陀あみだにかぶった下に、大きなロイド眼鏡――それも片方のつるが無くて、ひもがその代用をしている――を光らせ、汚点しみだらけの詰襟服はボタンが二つも取れている。薄汚ない長い顔には、白く乾いた脣のまわりにまばらな無精髭ぶしょうひげしょぼしょぼ生えて、それが間の抜けた表情を与えてはいるが、しかし、又、其の、間の迫った眉のあたりには、何かしら油断の出来ない感じをさせるものがあるようだ。いって見れば、田舎者の顔と、掏摸すりの顔とを一緒にしたような顔付だ。歩いて来た私は、五六間もさきから、すでに、群集の中に、この長すぎる身体をもてあましているような異様な風体の男を発見して、それに眼を注いでいた。すると、向うもどうやら私の方を見ていたらしかったが、私がその一間ほど手前に来た時、その男の、心持しかめていた眉の間から、何か一寸ちょっとした表情のやわらぎといった風のものがあらわれた。そして、その、目に見えない位のかすかな和らぎが忽ち顔中に拡がったと思うと、急に彼の眼が(勿論、微笑一つしないのだが)私に向って、あたかも旧知を認める時のように、うなずいて見せたのだ。私はびっくりした。そうして、前後を見廻して、其のウインクが私に向って発せられたものであることを確かめると、私は私の記憶の隈々を大急ぎで探しはじめた。その間も、一方、眼の方は相手からそらさずに怪訝けげんそうな凝視を続けていたのだが、その中に、私の心のすみっこに、ハッキリとは解らないが何か非常に長い間忘れていたようなあるものが見付かったような気がした。そして、その会体えたいの知れない或る感じが見る見る拡がって行った時、私の眼は既に、彼の眼差に答えるための会釈えしゃくをしていたのだ。その時にはもう私には、此の男が自分の旧知の一人であることは確かだった。ただそれが誰であったかが疑問として残ったに過ぎない。
 相手は此方こちらの会釈を見ると、此方も向うを思い出したものと思ったらしく、私の方へ歩み寄って来た。が、別に話をするでもなく、笑顔を見せるでもなく、黙って私と並んで、自分の今来た道を逆に歩き出した。私もまた黙ったまま、彼が誰であるかを、しきりに思い出そうと努めていた。
 五六歩あるいた時、その男は私にしわがれた声で、――私の記憶の中には、どこにも、その様な声はなかった――「煙草を一本くれ」と言い出した。私はポケットを探して、半分程空になったバットの箱を彼の前に差出した。彼はそれを受取り、片方の手を自分のポケットに突込んだかと思うと、急に妙な顔をして、そのバットの箱を眺め、それから私の顔を見た。しばらくそうして馬鹿のような顔をして、バットと私とを見比べた後、彼は黙って、私が与えたバットの箱をそのまま私に返そうとした。私は黙ってそれを受取りながらも、何だか狐につままれたような腑に落ちない気持と、又、一寸、馬鹿にされたような腹立たしさの交った気持で、彼の顔を見上げた。すると、彼は、その時初めて、薄笑いらしいものを口の端に浮かべてう独り言のように言った。
 ――言葉で記憶していると、よくこんな間違をする。――
 勿論、私には何の事か、のみこめなかった。が、今度は彼は、極めて興味ある事柄を話すような、勢こんだせかせかした調子で、その説明を始めた。
 それによると、彼が私からバットを受取って、さて、燐寸マッチを取出すために右手をポケットに入れた時、彼はそこに矢張り同じ煙草の箱を探りあてたのだという。その時に、彼はハッとして、自分の求めていたものが煙草でなくて燐寸であったことに気がついた。そこで彼は、自分が何故、この馬鹿馬鹿しい間違いをしたかを考えて見た。単なる思い違いと云ってしまえば、それまでだが、それならば、其の思い違いは何処どこから来たか。それを色々考えた末、彼はこう結論したのだ。つまり、それは、彼の記憶がことごとく言葉によったためであると。彼ははじめ自分に燐寸がないのを発見した時、誰かに逢ったら燐寸を貰おうと考え、その考えを言葉として、「自分は他人ひとから燐寸を貰わねばならぬ」という言葉として、記憶の中にとって置いた。燐寸がほんとうに欲しいという実際的な要求の気持として、全身的要求の感覚――へんな言葉だが、此の場合こう云えば、よく解るだろう、と、彼はその時、そう附加えた。――として記憶の中に保存して置かなかった。これがあの間違いのもとなのだ。感覚とか感情ならば、うすれることはあっても混同することはないのだが、言葉や文字の記憶は正確なかわりに、どうかすると、とんでもない別の物に化けていることがある。彼の記憶の中の「燐寸」という言葉、もしくは文字は、何時の間にかそれと関係のある「煙草」という言葉、もしくは文字に置換えられて了っていたのだ。……彼はそう説明した。それが、此の発見がいかにも面白くてたまらないというような話ぶりで、おまけに最後に、こういう習慣はすべて概念ばかりで物を考えるようになっている知識人の通弊だ、という思い掛けない結論まで添えた。実をいうと、私は、その間、彼自身は非常に興味を感じているらしい此の問題の説明に、あまり耳を傾けてはいなかった。ただ、そのセカセカした早口なしゃべり方を聞きながら、確かに、これは(声こそ違え)私の記憶の何処かにある癖だ、と思い、しきりに、その誰であったかを思い出そうとしていた。が、丁度、極めてやさしい字が仲々思い出せない時のように、もうすっかり解って了ったような気がしながら、渦巻の外側を流れるあくたの如く、ぐるぐる問題のまわりを廻ってばかりいて、仲々その中心にとび込んで行けないのだ。
 その中に私達は本郷三丁目の停留所まで来た。彼がそこで立止ったので、私もそれにならった。彼は電車に乗るつもりかも知れない。私達は並んで立ったまま、眺めるともなく、前の薬局の飾窓を眺めていた。彼はそこに何か見付けたらしく、大胯おおまたに其の窓の前に歩いて行った。私も彼について行ってのぞいて見た。それは新発売の性器具の広告で、見本らしいものが黒い布の上に並べられていた。彼はその前に立って、微笑を浮かべて暫く覗いていた。その彼を、私は横に立って眺めていた。と、その時、彼のそのニヤニヤした薄笑いを横あいから覗き込んだ時、突然、私はすっかり思い出した。今まで私の頭の中で、渦巻のまわりの塵のようにぐるぐる廻ってばかりいた私の記憶が、その時、忽ち渦巻の中心に飛び込んだのだ。皮肉げに脣を曲げたあの薄笑い。眼鏡を掛けてはいるが、その奥からのぞいている細い眼。お人良しと猜疑さいぎとのまざりあった其の眼付。――おお、それが彼以外の誰だろうか。虎に殺され損った勢子せこを足で蹴返していまいましげに見下した彼以外の誰の眼付だろうか。その瞬間、一時に私は、虎狩や熱帯魚や発火演習などをごたごたと思い浮かべながら、これが彼であるのを見出すのに、どうしてこんなに手間を取ったろうか、と自分ながらあきれてしまった。そうして私は今や心からの喜びを以て、後から彼の肩を打とうとした。所がその時、真砂町の方から来た一台の電車が停留所に停った。それを見た彼は、私の手がまだ彼の高い肩に達しない前に、そして、私の動作に一向気づきもしないで、あわただしく身をひるがえして、その電車の方へ走って行った。そして、ひらりと飛乗ると、車掌台から此方こちらを向いて右手を一寸挙げて私に会釈し、そのまま、長い身体を折るようにして車内にはいって了った。電車はすぐに動き出した。かくして私は、十何年ぶりかで逢った我が友、趙大煥を、――趙大煥としての一言ひとことをも交さないで、再び、大東京の人混みの中に見失って了ったのだ。





底本:「中島敦全集 1」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年1月21日第1刷発行
   2000(平成12)年4月5日第7刷発行
底本の親本:「中島敦全集」筑摩書房
   1976(昭和51)年3月~9月
初出:「光と風と夢」筑摩書房
   1942(昭和17)年7月15日発行
入力:小林繁雄
校正:多羅尾伴内
2003年7月6日作成
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