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一夜(いちや)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 7:34:27  点击:  切换到繁體中文


 この時いずくよりか二ひきありい出して一疋は女のひざの上にのぼる。おそらくは戸迷とまどいをしたものであろう。上がり詰めた上には獲物えものもなくてくだみちをすら失うた。女は驚ろいたさまもなく、うろうろする黒きものを、そと白き指で軽く払い落す。落されたる拍子ひょうしに、はたと他の一疋と高麗縁こうらいべりの上で出逢であう。しばらくは首と首を合せて何かささやき合えるようであったが、このたびは女の方へは向わず、古伊万里こいまりの菓子皿をはじまで同行して、ここで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云う。
「八畳の座敷があって、三人の客が坐わる。一人の女の膝へ一疋の蟻が上る。一疋の蟻が上った美人の手は……」
「白い、蟻は黒い」と髯がつける。三人がひとしく笑う。一疋の蟻は灰吹はいふきを上りつめて絶頂で何か思案している。残るは運よく菓子器の中で葛餅くずもち邂逅かいこうして嬉しさの余りか、まごまごしている気合けわいだ。
「そのにかいた美人が?」と女がまた話を戻す。
「波さえ音もなき朧月夜おぼろづきよに、ふと影がさしたと思えばいつのにか動き出す。長くつらなる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」
「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲はくにやんで新たなる一曲を始めたと見える。あまりうまくはない。
「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると
「ビステキの化石を食わせるぞ」と一人が云う。
「造り花なら蘭麝らんじゃでもき込めばなるまい」これは女の申し分だ。三人が三様さんようの解釈をしたが、三様共すこぶる解しにくい。
珊瑚さんごの枝は海の底、薬を飲んで毒を吐く軽薄の」と言いかけて吾に帰りたる髯が「それそれ。合奏より夢の続きが肝心かんじんじゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。
えがけども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて軽く銀椀ぎんわんたたく。葛餅をたる蟻はこの響きに度を失して菓子椀の中を右左みぎひだりへけ廻る。
「蟻の夢がめました」と女は夢を語る人に向って云う。
「蟻の夢は葛餅か」と相手は高からぬほどに笑う。
「抜け出ぬか、抜け出ぬか」としきりに菓子器を叩くは丸い男である。
「画から女が抜け出るより、あなたが画になる方が、やさしゅう御座んしょ」と女はまた髯にきく。
「それは気がつかなんだ、今度からは、こちが画になりましょ」と男は平気で答える。
「蟻も葛餅にさえなれば、こんなに狼狽うろたえんでも済む事を」と丸い男は椀をうつ事をやめて、いつの間にやら葉巻を鷹揚おうようにふかしている。
 五月雨さみだれに四尺伸びたる女竹めだけの、手水鉢ちょうずばちの上におおい重なりて、余れる一二本は高く軒にせまれば、風誘うたびに戸袋をすってえんの上にもはらはらと所えらばず緑りをしたたらす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。
 床柱とこばしらけたる払子ほっすの先にはき残るこうの煙りがみ込んで、軸は若冲じゃくちゅう蘆雁ろがんと見える。かりの数は七十三羽、あしもとより数えがたい。かごランプのを浅く受けて、深さ三尺のとこなれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬおもむきがある。「ここにも画が出来る」と柱にれる人が振り向きながらながめる。
 女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇きぬうちわかろゆるがせば、折々はびんのあたりに、そよと乱るる雲の影、収まれば淡きまゆの常よりもなお晴れやかに見える。桜の花を砕いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「わたしになりましょか」と云う。はきと分らねど白地にくずの葉を一面に崩して染め抜きたる浴衣ゆかたえりをここぞと正せば、暖かき大理石にてきざめるごとき頸筋くびすじ際立きわだちて男の心をく。
「そのまま、そのまま、そのままが名画じゃ」と一人が云うと
「動くと画が崩れます」と一人が注意する。
「画になるのもやはり骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらしょうともせず、膝に乗せた右手をいきなりうしろへわして体をどうと斜めにらす。たけ長き黒髪がきらりとを受けて、さらさらと青畳にさわる音さえ聞える。
「南無三、好事こうず魔多し」と髯ある人がかろく膝頭を打つ。「刹那せつなに千金を惜しまず」と髯なき人が葉巻のがらを庭先へたたきつける。隣りの合奏はいつしかやんで、を伝う雨点うてんの音のみが高く響く。蚊遣火かやりびはいつのにやら消えた。
「夜もだいぶけた」
「ほととぎすも鳴かぬ」
「寝ましょか」
 夢の話しはつい中途で流れた。三人は思い思いに臥床ふしどに入る。
 三十分ののち彼らは美くしき多くの人の……と云う句も忘れた。ククーと云う声も忘れた。蜜を含んで針を吹く隣りの合奏も忘れた、蟻の灰吹はいふきのぼった事も、はすの葉に下りた蜘蛛くもの事も忘れた。彼らはようやく太平に入る。
 すべてを忘れ尽したる後女はわがうつくしき眼と、うつくしき髪のぬしである事を忘れた。一人の男は髯のある事を忘れた。他の一人は髯のない事を忘れた。彼らはますます太平である。
 むか阿修羅あしゅら帝釈天たいしゃくてんと戦って敗れたときは、八万四千の眷属けんぞくを領して藕糸孔中ぐうしこうちゅうってかくれたとある。維摩ゆいまが方丈の室に法を聴ける大衆は千か万かその数を忘れた。胡桃くるみうちひそんで、われを尽大千世界じんだいせんせかいの王とも思わんとはハムレットの述懐と記憶する。粟粒芥顆ぞくりゅうかいかのうちに蒼天そうてんもある、大地もある。一世いっせい師に問うて云う、分子ぶんしはしでつまめるものですかと。分子はしばらくく。天下は箸のさきにかかるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。
 また思う百年は一年のごとく、一年は一刻のごとし。一刻を知ればまさに人生を知る。日は東より出でて必ず西に入る。月はつればかくる。いたずらに指を屈して白頭にいたるものは、いたずらに茫々ぼうぼうたる時に身神を限らるるをうらむに過ぎぬ。日月はあざむくとも己れを欺くは智者とは云われまい。一刻に一刻を加うれば二刻とえるのみじゃ。蜀川しょくせん十様の錦、花を添えて、いくばくの色をか変ぜん。
 八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくのごとく一夜いちやを過した。彼らの一夜をえがいたのは彼らの生涯しょうがいを描いたのである。
 なぜ三人が落ち合った? それは知らぬ。三人はいかなる身分と素性すじょうと性格を有する? それも分らぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? 三人とも一時に眠くなったからである。

(三十八年七月二十六日)





底本:「夏目漱石全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年10月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
※底本本文では、「※(「虫+(くさかんむり/嘯のつくり)」、第4水準2-87-94)しょうしょう」は、「虫+嘯のつくり」とつくってある。しかし、底本の注記では、つくりにくさかんむりのある「※(「虫+(くさかんむり/嘯のつくり)」、第4水準2-87-94)」が用いられている。下記の異本とも照合の上、当該の箇所は「※[#「虫+(くさかんむり/嘯のつくり)」で入力した。
   「倫敦塔・幻影の盾」岩波文庫、岩波書店
   1930(昭和5)年12月20日第1刷発行
   1990(平成2)年4月16日第23刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第30刷発行
   「倫敦塔・幻影の盾」新潮文庫、新潮社
   1952(昭和27)年7月10日初版発行
   1968(昭和43)年9月15日20刷改版発行
   1997(平成9)年4月25日69刷発行
入力:柴田卓治
校正:LUNA CAT
2000年9月11日公開
2004年2月26日修正
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