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吾輩は猫である(わがはいはねこである)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:35:33  点击:  切换到繁體中文


        六

 こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利(イギリス)のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入(ふいり)の毛衣(けごろも)だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中(うち)質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭(ぜに)のかからない生涯(しょうがい)を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水(ぎょうずい)の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾(のれん)を潜(くぐ)った事はない。折々は団扇(うちわ)でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢(ぜいたく)なものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢(す)に漬(つ)けて見たり、味噌(みそ)をつけて見たり好んで余計な手数(てすう)を懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載(の)せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、蚕(かいこ)の御世話になったり、綿畠の御情(おなさ)けさえ受けるに至っては贅沢(ぜいたく)は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫(ごう)も合点(がてん)が行かぬ。第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、放(ほう)っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好(かっこう)をこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾(ずきん)で包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛(くし)とか称する無意味な鋸様(のこぎりよう)の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨(ずがいこつ)の上へ人為的の区劃(くかく)を立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過して後(うし)ろまで食(は)み出しているのがある。まるで贋造(がんぞう)の芭蕉葉(ばしょうは)のようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。丸い頭へ四角な枠(わく)をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身(うきみ)を窶(やつ)してどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈(ぼうだら)のように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫より閑(ひま)なもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人(ひまじん)がよると障(さ)わると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣(けごろも)を着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。毛衣では全く熱(あ)つ過ぎる。
 これでは一手専売の昼寝も出来ない。何かないかな、永らく人間社会の観察を怠(おこた)ったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪(あくせく)する様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎(あいにく)主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分(しょうぶん)である。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしても一向(いっこう)観察する張合がない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来ても好い時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと家中(うちじゅう)に響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法(ぶさほう)な真似をやるものはほかにはない。迷亭に極(きま)っている。
 いよいよ来たな、これで今日半日は潰(つぶ)せると思っていると、先生汗を拭(ふ)いて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥さん、苦沙弥(くしゃみ)君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へ抛(ほう)り出す。細君は隣座敷で針箱の側(そば)へ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、醒(さ)めぬ眼をわざと※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)って座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布(さつまじょうふ)を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おやいらしゃいまし」と云ったが少々狼狽(ろうばい)の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたまま御辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場で御三(おさん)に水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両三日(りょうさんち)は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」「私(わたく)しなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気(のんき)な事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「私(わたし)なんざ、寝たくない、質(たち)でね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見ると羨(うらやま)しいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載(の)せてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。髷(まげ)の重みだけでも横になりたくなりますよ」と云うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好(かっこう)から露見したと思って「ホホホ口の悪い」と云いながら頭をいじって見る。
 迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日(きのう)はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天日(てんぴ)は思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣(ひとえ)では寒いくらいでございましたのに、一昨日(おととい)から急に暑くなりましてね」「蟹(かに)なら横に這(は)うところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。倒行(とうこう)して逆施(げきし)すまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果せるかな細君は分らない。しかし最前の倒行して逆施すで少々懲(こ)りているから、今度はただ「へえー」と云ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出した甲斐(かい)がない。「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と云うと細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と云った。「昔(むか)しハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」「牛飼じゃありませんよ。牛飼やいろはの亭主じゃありません。その節は希臘(ギリシャ)にまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘のお話しなの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君は希臘と云う国名だけは心得ている。「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスなら希臘なんですか」「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」「その男がね奥さん見たように眠くなってぐうぐう寝ている――」「あらいやだ」「寝ている間(ま)に、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンて何です」「ヴァルカンは鍛冶屋(かじや)ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛の尻尾(しっぽ)を持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが眼を覚(さ)まして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分らないんです。分らないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんじゃありませんもの、後(うし)ろへ後(うし)ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。
「時に御主人はどうしました。相変らず午睡(ひるね)ですかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数(おてすう)だがちょっと起していらっしゃい」と催促すると細君は同感と見えて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪るくなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴(ふいちょう)する。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きませんで――それじゃ何もございませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いですよ」「それでも、あなた、どうせ御口に合うようなものはございませんが」と細君少々厭味を並べる。迷亭は悟ったもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走を誂(あつ)らえて来ましたから、そいつを一つここでいただきますよ」ととうてい素人(しろうと)には出来そうもない事を述べる。細君はたった一言(ひとこと)「まあ!」と云ったがそのまあの中(うち)には驚ろいたまあと、気を悪るくしたまあと、手数(てすう)が省けてありがたいと云うまあが合併している。
 ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかに扱(こ)かれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来る。「相変らずやかましい男だ。せっかく好い心持に寝ようとしたところを」と欠伸交(あくびまじ)りに仏頂面(ぶっちょうづら)をする。「いや御目覚(おめざめ)かね。鳳眠(ほうみん)を驚かし奉ってはなはだ相済まん。しかしたまには好かろう。さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をする。主人は無言のまま座に着いて寄木細工(よせぎざいく)の巻煙草(まきたばこ)入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向(むこう)の隅(すみ)に転がっている迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云った。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫で廻わす。「奥さんこの帽子は重宝(ちょうほう)ですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と拳骨(げんこつ)をかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとく拳(こぶし)ほどな穴があいた。細君が「へえ」と驚く間(ま)もなく、この度(たび)は拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張ると釜(かま)の頭がぽかりと尖(と)んがる。次には帽子を取って鍔(つば)と鍔とを両側から圧(お)し潰(つぶ)して見せる。潰れた帽子は麺棒(めんぼう)で延(の)した蕎麦(そば)のように平たくなる。それを片端から蓆(むしろ)でも巻くごとくぐるぐる畳む。「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せる。「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一(きてんさいしょういち)の手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものと見えて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口(そでぐち)から引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を載(の)せてくるくると廻す。もう休(や)めるかと思ったら最後にぽんと後(うし)ろへ放(な)げてその上へ堂(ど)っさりと尻餅を突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸念(けねん)らしい顔をする。細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもし壊(こ)わしでもしちゃあ大変ですから、もう好い加減になすったら宜(よ)うござんしょう」と注意をする。得意なのは持主だけで「ところが壊われないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好(かっこう)にたちまち回復する。「実に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこう云う帽子なんです」と迷亭は帽子を被ったまま細君に返事をしている。
「あなたも、あんな帽子を御買になったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。「だって苦沙弥君は立派な麦藁(むぎわら)の奴を持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって小供があれを踏み潰(つぶ)してしまいまして」「おやおやそりゃ惜しい[#「惜しい」は底本では「措しい」]事をしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思いますんで」と細君はパナマの価段(ねだん)を知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。
 迷亭君は今度は右の袂(たもと)の中から赤いケース入りの鋏(はさみ)を取り出して細君に見せる。「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝(ちょうほう)な奴で、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運(やくうん)を免(まぬ)かれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖(ぎょうこう)の仕合せだと吾輩は看破した。「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三日月形(みかづきがた)の欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規(じょうぎ)の用をする。また刃(は)の裏には度盛(どもり)がしてあるから物指(ものさし)の代用も出来る。こちらの表にはヤスリが付いているこれで爪を磨(す)りまさあ。ようがすか。この先(さ)きを螺旋鋲(らせんびょう)の頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌(かなづち)にも使える。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付(くぎづけ)の箱なんざあ苦もなく蓋(ふた)がとれる。まった、こちらの刃の先は錐(きり)に出来ている。ここん所(とこ)は書き損いの字を削(けず)る場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。一番しまいに――さあ奥さん、この一番しまいが大変面白いんです、ここに蠅(はえ)の眼玉くらいな大きさの球(たま)がありましょう、ちょっと、覗(のぞ)いて御覧なさい」「いやですわまたきっと馬鹿になさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だが欺(だま)されたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。え? 厭(いや)ですか、ちょっとでいいから」と鋏(はさみ)を細君に渡す。細君は覚束(おぼつか)なげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けてしきりに覘(ねらい)をつけている。「どうです」「何だか真黒ですわ」「真黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう」「そこが面白いところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものと見えて「おい俺にもちょっと覧(み)せろ」と云うと細君は鋏を顔へ押し付けたまま「実に奇麗です事、裸体の美人ですね」と云ってなかなか離さない。「おいちょっと御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美くしい髪ですね。腰までありますよ。少し仰向(あおむ)いて恐ろしい背(せい)の高い女だ事、しかし美人ですね」「おい御見せと云ったら、大抵にして見せるがいい」と主人は大(おおい)に急(せ)き込んで細君に食って掛る。「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三(おさん)が御客さまの御誂(おあつらえ)が参りましたと、二個の笊蕎麦(ざるそば)を座敷へ持って来る。
「奥さんこれが僕の自弁(じべん)の御馳走ですよ。ちょっと御免蒙って、ここでぱくつく事に致しますから」と叮嚀(ていねい)に御辞儀をする。真面目なような巫山戯(ふざけ)たような動作だから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。主人はようやく写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦(そば)は毒だぜ」と云った。「なあに大丈夫、好きなものは滅多(めった)に中(あた)るもんじゃない」と蒸籠(せいろ)の蓋(ふた)をとる。「打ち立てはありがたいな。蕎麦(そば)の延びたのと、人間の間(ま)が抜けたのは由来たのもしくないもんだよ」と薬味(やくみ)をツユの中へ入れて無茶苦茶に掻(か)き廻わす。「君そんなに山葵(わさび)を入れると辛(か)らいぜ」と主人は心配そうに注意した。「蕎麦はツユと山葵で食うもんだあね。君は蕎麦が嫌いなんだろう」「僕は饂飩(うどん)が好きだ」「饂飩は馬子(まご)が食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」と云いながら杉箸(すぎばし)をむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。初心(しょしん)の者に限って、無暗(むやみ)にツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも、こう、一(ひ)としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃(せいぞろ)いをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂(すだ)れの上に纏綿(てんめん)している。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユを三分一(さんぶいち)つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛(か)んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉(のど)を滑(すべ)り込むところがねうちだよ」と思い切って箸(はし)を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。左手(ゆんで)に受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんに浸(ひた)すと、アーキミジスの理論によって、蕎麦の浸(つか)った分量だけツユの嵩(かさ)が増してくる。ところが茶碗の中には元からツユが八分目這入(はい)っているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分(しはんぶん)も浸(つか)らない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。迷亭の箸は茶碗を去(さ)る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでも卸(おろ)せばツユが溢(こぼ)れるばかりである。迷亭もここに至って少し※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)躇(ちゅうちょ)の体(てい)であったが、たちまち脱兎(だっと)の勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間(ま)もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛(のどぶえ)が一二度上下(じょうげ)へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴眼尻(めじり)から頬へ流れ出した。山葵(わさび)が利(き)いたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際(てぎわ)を激賞した。迷亭は何にも云わないで箸を置いて胸を二三度敲(たた)いたが「奥さん笊(ざる)は大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数(てすう)を掛けちゃ旨(うま)く食えませんよ」とハンケチで口を拭いてちょっと一息入れている。
 ところへ寒月君が、どう云う了見(りょうけん)かこの暑いのに御苦労にも冬帽を被(かぶ)って両足を埃(ほこり)だらけにしてやってくる。「いや好男子の御入来(ごにゅうらい)だが、喰い掛けたものだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座(しゅうじんかんざ)の裏(うち)にあって臆面(おくめん)もなく残った蒸籠を平(たいら)げる。今度は先刻(さっき)のように目覚(めざま)しい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息を入れると云う不体裁もなく、蒸籠(せいろ)二つを安々とやってのけたのは結構だった。
「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もその後(あと)から「金田令嬢がお待ちかねだから早々(そうそう)呈出(ていしゅつ)したまえ」と云う。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑を洩(も)らして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、よほど労力の入(い)る研究を要するのですから」と本気の沙汰とも思われない事を本気の沙汰らしく云う。「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言う通りにもならないね。もっともあの鼻なら充分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的に真面目なのは主人である。「君の論文の問題は何とか云ったっけな」「蛙の眼球(めだま)の電動作用に対する紫外光線(しがいこうせん)の影響と云うのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の眼球は振(ふる)ってるよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前にその問題だけでも金田家へ報知しておいては」主人は迷亭の云う事には取り合わないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな単簡(たんかん)なものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸い硝子(ガラス)の球(たま)をこしらえてそれからやろうと思っています」「硝子の球なんかガラス屋へ行けば訳ないじゃないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々反身(そりみ)になる。「元来円(えん)とか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、廃(よ)したらよかろう」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上差(さ)し支(つか)えないくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「出来たかい」と主人が訳のないようにきく。「出来るものですか」と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて「どうもむずかしいです。だんだん磨(す)って少しこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持落すと、さあ大変今度は向側(むこうがわ)が長くなる。そいつを骨を折ってようやく磨(す)り潰(つぶ)したかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いが出来ます。始めは林檎(りんご)ほどな大きさのものがだんだん小さくなって苺(いちご)ほどになります。それでも根気よくやっていると大豆(だいず)ほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円は出来ませんよ。私も随分熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本当だか見当のつかぬところを喋々(ちょうちょう)と述べる。「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯のときちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近頃忙がしい忙がしいと云って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠を磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠作りの博士となって入り込みしは――と云うところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。実は先日僕がある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然老梅(ろうばい)君に出逢ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用(こよう)がしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求(しんせんもうぎゅう)に是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。主人は少し真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。「まあこの容子(ようす)じゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人より呑気(のんき)に見受けられる。「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早い方です、事によると廿年くらいかかります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来ませんから……」
 寒月君はちょっと句を切って「何、そんなにご心配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってる事はよく承知しています。実は二三日(にさんち)前行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟易(へきえき)の体(てい)であったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切(とぎ)れた時、極(きま)りの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。「先月大磯へ行ったものに両三日(りょうさんち)前東京で逢うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。奥さんのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生涯(しょうがい)恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんな事をおっしゃるの。随分軽蔑(けいべつ)なさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君だって恋煩(こいわずら)いなんかした事はなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。「そりゃ僕の艶聞(えんぶん)などは、いくら有ってもみんな七十五日以上経過しているから、君方(きみがた)の記憶には残っていないかも知れないが――実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。「ホホホホ面白い事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学(こうがく)のために伺いたいもので」と相変らずにやにやする。
「僕のも大分(だいぶ)神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、実のところ話す張合もないんだが、せっかくだから打ち開けるよ。その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取り掛る。「回顧すると今を去る事――ええと――何年前だったかな――面倒だからほぼ十五六年前としておこう」「冗談(じょうだん)じゃない」と主人は鼻からフンと息をした。「大変物覚えが御悪いのね」と細君がひやかした。寒月君だけは約束を守って一言(いちごん)も云わずに、早くあとが聴きたいと云う風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は蒲原郡(かんばらごおり)筍谷(たけのこだに)を通って、蛸壺峠(たこつぼとうげ)へかかって、これからいよいよ会津領(あいづりょう)[#ルビの「あいづりょう」は底本では「あいずりょう」]へ出ようとするところだ」「妙なところだな」と主人がまた邪魔をする。「だまって聴いていらっしゃいよ。面白いから」と細君が制する。「ところが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋を敲(たた)いて、これこれかようかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸蝋燭(はだかろうそく)を僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶると悸(ふる)えたがね。僕はその時から恋と云う曲者(くせもの)の魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文金(ぶんきん)の高島田(たかしまだ)に髪を結(い)いましてね」「へえー」と細君はあっけに取られている。「這入(はい)って見ると八畳の真中に大きな囲炉裏(いろり)が切ってあって、その周(まわ)りに娘と娘の爺(じい)さんと婆(ばあ)さんと僕と四人坐ったんですがね。さぞ御腹(おなか)が御減(おへ)りでしょうと云いますから、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんです。すると爺さんがせっかくの御客さまだから蛇飯(へびめし)でも炊(た)いて上げようと云うんです。さあこれからがいよいよ失恋に取り掛るところだからしっかりして聴きたまえ」「先生しっかりして聴く事は聴きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟(りくつ)にばかり拘泥(こうでい)してはいられないからね。鏡花の小説にゃ雪の中から蟹(かに)が出てくるじゃないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復した。
「その時分の僕は随分悪(あく)もの食いの隊長で、蝗(いなご)、なめくじ、赤蛙などは食い厭(あ)きていたくらいなところだから、蛇飯は乙(おつ)だ。早速御馳走になろうと爺さんに返事をした。そこで爺さん囲炉裏の上へ鍋(なべ)をかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議な事にはその鍋(なべ)の蓋(ふた)を見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯気がぷうぷう吹くから、旨(うま)い工夫をしたものだ、田舎(いなか)にしては感心だと見ていると、爺さんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きな笊(ざる)を小脇に抱(か)い込んで帰って来た。何気なくこれを囲炉裏の傍(そば)へ置いたから、その中を覗(のぞ)いて見ると――いたね。長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろの捲(ま)きくらをやって塊(かた)まっていましたね」「もうそんな御話しは廃(よ)しになさいよ。厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。「どうしてこれが失恋の大源因になるんだからなかなか廃せませんや。爺さんはやがて左手に鍋の蓋をとって、右手に例の塊まった長い奴を無雑作(むぞうさ)につかまえて、いきなり鍋の中へ放(ほう)り込んで、すぐ上から蓋をしたが、さすがの僕もその時ばかりははっと息の穴が塞(ふさが)ったかと思ったよ」「もう御やめになさいよ。気味(きび)の悪るい」と細君しきりに怖(こわ)がっている。「もう少しで失恋になるからしばらく辛抱(しんぼう)していらっしゃい。すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首(かまくび)がひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと云ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋中(なべじゅう)蛇の面(つら)だらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺さんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆さんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々(めいめい)に蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白いように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くの事骨抜だ、器用な事をやるじゃないか。それから蓋を取って、杓子(しゃくし)でもって飯と肉を矢鱈(やたら)に掻(か)き交(ま)ぜて、さあ召し上がれと来た」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦(にが)い顔をして「もう廃(よ)しになさいよ、胸が悪るくって御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯(しょうがい)忘れられませんぜ」「おお、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分御饌(ごぜん)も頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおく事はないと考えていると、御休みなさいましと云うので、旅の労(つか)れもある事だから、仰(おおせ)に従って、ごろりと横になると、すまん訳だが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。「それから明朝(あくるあさ)になって眼を覚(さま)してからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。朝起きて巻煙草(まきたばこ)をふかしながら裏の窓から見ていると、向うの筧(かけひ)の傍(そば)で、薬缶頭(やかんあたま)が顔を洗っているんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。「それがさ、僕にも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬缶がこちらを向く段になって驚ろいたね。それが僕の初恋をした昨夜(ゆうべ)の娘なんだもの」「だって娘は島田に結(い)っているとさっき云ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかも見事な島田さ。ところが翌朝は丸薬缶さ」「人を馬鹿にしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議の極(きょく)内心少々怖(こわ)くなったから、なお余所(よそ)ながら容子(ようす)を窺(うかが)っていると、薬缶はようやく顔を洗い了(おわ)って、傍(かた)えの石の上に置いてあった高島田の鬘(かずら)を無雑作に被(かぶ)って、すましてうちへ這入(はい)ったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったようなもののその時から、とうとう失恋の果敢(はか)なき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになったら、先生はなお元気かも知れませんよ、とにかくせっかくの娘が禿(はげ)であったのは千秋(せんしゅう)の恨事(こんじ)ですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「僕もそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「しかしあなたは、どこも何ともなくて結構でございましたね」「僕は禿にはならずにすんだが、その代りにこの通りその時から近眼(きんがん)になりました」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀(ていねい)に拭(ふ)いている。しばらくして主人は思い出したように「全体どこが神秘的なんだい」と念のために聞いて見る。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えても未(いま)だに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君はまた眼鏡を元のごとく鼻の上へかける。「まるで噺(はな)し家(か)の話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。
 迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡(さるぐつわ)でも嵌(は)められないうちはとうてい黙っている事が出来ぬ性(たち)と見えて、また次のような事をしゃべり出した。
「僕の失恋も苦(にが)い経験だが、あの時あの薬缶(やかん)を知らずに貰ったが最後生涯の目障(めざわ)りになるんだから、よく考えないと険呑(けんのん)だよ。結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだところに傷口が隠れているのを見出(みいだ)す事がある者だから。寒月君などもそんなに憧憬(しょうけい)したり※(「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54)※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)(しょうきょう)したり独(ひと)りでむずかしがらないで、篤(とく)と気を落ちつけて珠(たま)を磨(す)るがいいよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易(へきえき)したような顔付をする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅(ろうばい)君などになるとすこぶる奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいて承(うけたま)わる。「なあに、こう云う訳さ。先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。――たった一と晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も随分呑気(のんき)だが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋に御夏(おなつ)さんと云う有名な別嬪(べっぴん)がいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、実を云うと僕と老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜(すいか)が食いたくなったんだがね」「何だって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。迷亭は構わずどんどん話を進行させる。「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんと唸(うな)ったが少しも利目(ききめ)がないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはありますよと云って、天地玄黄(てんちげんこう)とかいう千字文(せんじもん)を盗んだような名前のドクトルを連れて来た。翌朝(あくるあさ)になって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日(きのう)申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬(ローマ)の詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者は塵(ちり)である。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものは無(む)である。――よく穿(うが)ってるだろう。女なんか仕方がない」と妙なところで力味(りき)んで見せる。これを承(うけたまわ)った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだか賞(ほ)めるのだか曖昧(あいまい)な事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍(ふえん)して、下(しも)のごとく述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それなら唖(おし)を女房にしていると同じ事で僕などは一向(いっこう)ありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいとへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名(かいみょう)はことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体(もうろうたい)で出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女が必(かなら)ずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云いますがね。なに昔はこれより烈(はげ)しかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目(でたらめ)じゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子(とうなす)のように籠(かご)へ入れて天秤棒(てんびんぼう)で担(かつ)いで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。
「本当さ。現に僕のおやじが価(ね)を付けた事がある。その時僕は何でも六つくらいだったろう。おやじといっしょに油町(あぶらまち)から通町(とおりちょう)へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴(どな)ってくる。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源(いせげん)と云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間で蔵(くら)が五(い)つ戸前(とまえ)あって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚兵衛と云ってね。いつでも御袋(おふくろ)が三日前に亡(な)くなりましたと云うような顔をして帳場の所へ控(ひか)えている。甚兵衛君の隣りには初(はつ)さんという二十四五の若い衆(しゅ)が坐っているが、この初さんがまた雲照律師(うんしょうりっし)に帰依(きえ)して三七二十一日の間蕎麦湯(そばゆ)だけで通したと云うような青い顔をしている。初さんの隣りが長(ちょう)どんでこれは昨日(きのう)火事で焚(や)き出されたかのごとく愁然(しゅうぜん)と算盤(そろばん)に身を凭(もた)している。長どんと併(なら)んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。実はこの伊勢源についてもすこぶる奇譚(きだん)があるんだが、それは割愛(かつあい)して今日は人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日(こんにち)と明治初年頃の女子の品性の比較について大(だい)なる参考になる材料だから、そんなに容易(たやす)くやめられるものか――それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那女の子の仕舞物(しまいもの)はどうです、安く負けておくから買っておくんなさいと云いながら天秤棒(てんびんぼう)をおろして汗を拭(ふ)いているのさ。見ると籠の中には前に一人後(うし)ろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向って安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎(あいにく)今日はみんな売り尽(つく)してたった二つになっちまいました。どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子(とうなす)か何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭を叩(たた)いて見て、ははあかなりな音だと云った。それからいよいよ談判が始まって散々(さんざ)価切(ねぎ)った末おやじが、買っても好いが品はたしかだろうなと聞くと、ええ前の奴は始終見ているから間違はありませんがね後(うし)ろに担(かつ)いでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひびが入ってるかも知れません。こいつの方なら受け合えない代りに価段(ねだん)を引いておきますと云った。僕はこの問答を未(いま)だに記憶しているんだがその時小供心に女と云うものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。――しかし明治三十八年の今日(こんにち)こんな馬鹿な真似をして女の子を売ってあるくものもなし、眼を放して後(うし)ろへ担(かつ)いだ方は険呑(けんのん)だなどと云う事も聞かないようだ。だから、僕の考ではやはり泰西(たいせい)文明の御蔭で女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」
 寒月君は返事をする前にまず鷹揚(おうよう)な咳払(せきばらい)を一つして見せたが、それからわざと落ちついた低い声で、こんな観察を述べられた。「この頃の女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買って頂戴な、あらおいや? などと自分で自分を売りにあるいていますから、そんな八百屋(やおや)のお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依托販売(いたくはんばい)をやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくると自然こんな風になるものです。老人なんぞはいらぬ取越苦労をして何とかかとか云いますが、実際を云うとこれが文明の趨勢(すうせい)ですから、私などは大(おおい)に喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買う方だって頭を敲(たた)いて品物は確かかなんて聞くような野暮(やぼ)は一人もいないんですからその辺は安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そんな手数(てすう)をする日にゃあ、際限がありませんからね。五十になったって六十になったって亭主を持つ事も嫁に行く事も出来やしません」寒月君は二十世紀の青年だけあって、大(おおい)に当世流の考を開陳(かいちん)しておいて、敷島(しきしま)の煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けた。迷亭は敷島の煙くらいで辟易(へきえき)する男ではない。「仰せの通り方今(ほうこん)の女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮まで出来ていて、何でも男子に負けないところが敬服の至りだ。僕の近所の女学校の生徒などと来たらえらいものだぜ。筒袖(つつそで)を穿(は)いて鉄棒(かなぼう)へぶら下がるから感心だ。僕は二階の窓から彼等の体操を目撃するたんびに古代希臘(ギリシャ)の婦人を追懐するよ」「また希臘か」と主人が冷笑するように云い放つと「どうも美な感じのするものは大抵希臘から源を発しているから仕方がない。美学者と希臘とはとうてい離れられないやね。――ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべり立てる。「またむずかしい名前が出て来ましたね」と寒月君は依然としてにやにやする。「Agnodice はえらい女だよ、僕は実に感心したね。当時亜典(アテン)の法律で女が産婆を営業する事を禁じてあった。不便な事さ。Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「何だい、その――何とか云うのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれないのは情けない、不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手を拱(こまぬ)いて考え込んだね。ちょうど三日目の暁方(あけがた)に、隣の家で赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁然大悟(かつぜんたいご)して、それから早速長い髪を切って男の着物をきて Hierophilus の講義をききに行った。首尾よく講義をきき終(おお)せて、もう大丈夫と云うところでもって、いよいよ産婆を開業した。ところが、奥さん流行(はや)りましたね。あちらでもおぎゃあと生れるこちらでもおぎゃあと生れる。それがみんな Agnodice の世話なんだから大変儲(もう)かった。ところが人間万事塞翁(さいおう)の馬、七転(ななころ)び八起(やお)き、弱り目に祟(たた)り目で、ついこの秘密が露見に及んでついに御上(おかみ)の御法度(ごはっと)を破ったと云うところで、重き御仕置(しおき)に仰せつけられそうになりました」「まるで講釈見たようです事」「なかなか旨(うま)いでしょう。ところが亜典(アテン)の女連が一同連署して嘆願に及んだから、時の御奉行もそう木で鼻を括(くく)ったような挨拶も出来ず、ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業勝手たるべき事と云う御布令(おふれ)さえ出てめでたく落着を告げました」「よくいろいろな事を知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概の事は知っていますよ。知らないのは自分の馬鹿な事くらいなものです。しかしそれも薄々は知ってます」「ホホホホ面白い事ばかり……」と細君相形(そうごう)を崩して笑っていると、格子戸(こうしど)のベルが相変らず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまた御客様だ」と細君は茶の間へ引き下がる。細君と入れ違いに座敷へ這入(はい)って来たものは誰かと思ったらご存じの越智東風(おちとうふう)君であった。
 ここへ東風君さえくれば、主人の家(うち)へ出入(でいり)する変人はことごとく網羅し尽(つく)したとまで行かずとも、少なくとも吾輩の無聊(ぶりょう)を慰むるに足るほどの頭数(あたまかず)は御揃(おそろい)になったと云わねばならぬ。これで不足を云っては勿体(もったい)ない。運悪るくほかの家へ飼われたが最後、生涯人間中にかかる先生方が一人でもあろうとさえ気が付かずに死んでしまうかも知れない。幸(さいわい)にして苦沙弥先生門下の猫児(びょうじ)となって朝夕(ちょうせき)虎皮(こひ)の前に侍(はん)べるので先生は無論の事迷亭、寒月乃至(ないし)東風などと云う広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千載一遇の光栄である。御蔭様でこの暑いのに毛袋でつつまれていると云う難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出来るのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まれば只事(ただごと)ではすまない。何か持ち上がるだろうと襖(ふすま)の陰から謹(つつし)んで拝見する。
「どうもご無沙汰を致しました。しばらく」と御辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはり奇麗に光っている。頭だけで評すると何か緞帳役者(どんちょうやくしゃ)のようにも見えるが、白い小倉(こくら)の袴(はかま)のゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪(しかつめ)らしく穿(は)いているところは榊原健吉(さかきばらけんきち)の内弟子としか思えない。従って東風君の身体で普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分の家(うち)らしい挨拶をする。「先生には大分(だいぶ)久しく御目にかかりません」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりだったね。朗読会と云えば近頃はやはり御盛(おさかん)かね。その後(ご)御宮(おみや)にゃなりませんか。あれは旨(うま)かったよ。僕は大(おおい)に拍手したぜ、君気が付いてたかい」「ええ御蔭で大きに勇気が出まして、とうとうしまいまで漕(こ)ぎつけました」「今度はいつ御催しがありますか」と主人が口を出す。「七八両月(ふたつき)は休んで九月には何か賑(にぎ)やかにやりたいと思っております。何か面白い趣向はございますまいか」「さよう」と主人が気のない返事をする。「東風君僕の創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手になる。「君の創作なら面白いものだろうが、一体何かね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちょっと毒気をぬかれて、申し合せたように本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生なお澄し返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は旧劇とか新劇とか大部(だいぶ)やかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇(はいげき)と云うのを作って見たのさ」「俳劇たどんなものだい」「俳句趣味の劇と云うのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云うと主人も迷亭も多少煙(けむ)に捲(ま)かれて控(ひか)えている。「それでその趣向と云うのは?」と聞き出したのはやはり東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいた」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これも極(ごく)簡単なのがいい。舞台の真中へ大きな柳を一本植え付けてね。それからその柳の幹から一本の枝を右の方へヌッと出させて、その枝へ烏(からす)を一羽とまらせる」「烏がじっとしていればいいが」と主人が独(ひと)り言(ごと)のように心配した。「何わけは有りません、烏の足を糸で枝へ縛(しば)り付けておくんです。でその下へ行水盥(ぎょうずいだらい)を出しましてね。美人が横向きになって手拭を使っているんです」「そいつは少しデカダンだね。第一誰がその女になるんだい」と迷亭が聞く。「何これもすぐ出来ます。美術学校のモデルを雇ってくるんです」「そりゃ警視庁がやかましく云いそうだな」と主人はまた心配している。「だって興行さえしなければ構わんじゃありませんか。そんな事をとやかく云った日にゃ学校で裸体画の写生なんざ出来っこありません」「しかしあれは稽古のためだから、ただ見ているのとは少し違うよ」「先生方がそんな事を云った日には日本もまだ駄目です。絵画だって、演劇だって、おんなじ芸術です」と寒月君大いに気焔(きえん)を吹く。「まあ議論はいいが、それからどうするのだい」と東風君、ことによると、やる了見(りょうけん)と見えて筋を聞きたがる。「ところへ花道から俳人高浜虚子(たかはまきょし)がステッキを持って、白い灯心(とうしん)入りの帽子を被(かぶ)って、透綾(すきや)の羽織に、薩摩飛白(さつまがすり)の尻端折(しりっぱしょ)りの半靴と云うこしらえで出てくる。着付けは陸軍の御用達(ごようたし)見たようだけれども俳人だからなるべく悠々(ゆうゆう)として腹の中では句案に余念のない体(てい)であるかなくっちゃいけない。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。そこで虚子先生大(おおい)に俳味に感動したと云う思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木(ひょうしぎ)を入れて幕を引く。――どうだろう、こう云う趣向は。御気に入りませんかね。君御宮(おみや)になるより虚子になる方がよほどいいぜ」東風君は何だか物足らぬと云う顔付で「あんまり、あっけないようだ。もう少し人情を加味した事件が欲しいようだ」と真面目に答える。今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでもだまっているような男ではない。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏(うえだびん)君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国の音(いん)だそうだが、敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんなつまらない物をやって見給え。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室で珠(たま)を磨いてる方がいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国の音(いん)じゃ駄目だ」寒月君は少々憤(むっ)として、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでも構わん事を弁解しかける。「虚子がですね。虚子先生が女に惚れる烏かなと烏を捕(とら)えて女に惚れさしたところが大(おおい)に積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。是非御講釈を伺がいましょう」「理学士として考えて見ると烏が女に惚れるなどと云うのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理な事を無雑作(むぞうさ)に言い放って少しも無理に聞えません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。「なぜ無理に聞えないかと云うと、これは心理的に説明するとよく分ります。実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であります。しかるところあの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと云う訳じゃない、必竟(ひっきょう)自分が惚れているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水(ぎょうずい)しているところを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつも俺と同じく参ってるなと癇違(かんちが)いをしたのです。癇違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。説明だけは積極だが、実際あの劇をやられた日には、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎるように思います」と真面目な顔をして答えた。
 主人は少々談話の局面を展開して見たくなったと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段これと云って御目にかけるほどのものも出来ませんが、近日詩集を出して見ようと思いまして――稿本(こうほん)を幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」と懐から紫の袱紗包(ふくさづつみ)を出して、その中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と云って見ると第一頁に

世の人に似ずあえかに見え給う
   富子嬢に捧ぐ
と二行にかいてある。主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一頁を無言のまま眺(なが)めているので、迷亭は横合から「何だい新体詩かね」と云いながら覗(のぞ)き込んで「やあ、捧げたね。東風君、思い切って富子嬢に捧げたのはえらい」としきりに賞(ほ)める。主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子と云うのは本当に存在している婦人なのですか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招待した婦人の一人です。ついこの御近所に住んでおります。実はただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、生憎(あいにく)先月から大磯へ避暑に行って留守でした」と真面目くさって述べる。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗読するさ。しかし東風君この捧げ方は少しまずかったね。このあえかにと云う雅言(がげん)は全体何と言う意味だと思ってるかね」「蚊弱(かよわ)いとかたよわくと云う字だと思います」「なるほどそうも取れん事はないが本来の字義を云うと危う気にと云う事だぜ。だから僕ならこうは書かないね」「どう書いたらもっと詩的になりましょう」「僕ならこうさ。世の人に似ずあえかに見え給う富子嬢の鼻の下に捧ぐとするね。わずかに三字のゆきさつだが鼻の下があるのとないのとでは大変感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君は解(げ)しかねたところを無理に納得(なっとく)した体(てい)にもてなす。
 主人は無言のままようやく一頁をはぐっていよいよ巻頭第一章を読み出す。
倦(う)んじて薫(くん)ずる香裏(こうり)に君の
霊か相思の煙のたなびき
おお我、ああ我、辛(から)きこの世に
あまく得てしか熱き口づけ

「これは少々僕には解しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々振い過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なああるほど」と云って東風君に返す。
「先生御分りにならんのはごもっともで、十年前の詩界と今日(こんにち)の詩界とは見違えるほど発達しておりますから。この頃の詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではとうてい分りようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです。註釈や訓義(くんぎ)は学究のやる事で私共の方では頓(とん)と構いません。せんだっても私の友人で送籍(そうせき)と云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧(もうろう)として取り留(と)めがつかないので、当人に逢って篤(とく)と主意のあるところを糺(ただ)して見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡(たんかん)に送籍君を打ち留めた。東風君はこれだけではまだ弁じ足りない。「送籍は吾々仲間のうちでも取除(とりの)けですが、私の詩もどうか心持ちその気で読んでいただきたいので。ことに御注意を願いたいのはからきこの世と、あまき口づけと対(つい)をとったところが私の苦心です」「よほど苦心をなすった痕迹(こんせき)が見えます」「あまいとからいと反照するところなんか十七味調(じゅうしちみちょう)唐辛子調(とうがらしちょう)で面白い。全く東風君独特の伎倆で敬々服々の至りだ」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいる。
 主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくる。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天然居士(てんねんこじ)の墓碑銘(ぼひめい)ならもう二三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさい。東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい」「是非伺がいましょう」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
「大和魂(やまとだましい)! と叫んで日本人が肺病やみのような咳(せき)をした」
「起し得て突兀(とっこつ)ですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸(すり)が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸(ドイツ)で大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士(てんねんこじ)以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
「東郷大将が大和魂を有(も)っている。肴屋(さかなや)の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師(さぎし)、山師(やまし)、人殺しも大和魂を有っている」
「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」
 主人は一結杳然(いっけつようぜん)と云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽(かろ)く「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。
 不思議な事に迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁を振わなかったが、やがて向き直って、「君も短篇を集めて一巻として、そうして誰かに捧げてはどうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやろうか」と聴くと迷亭は「真平(まっぴら)だ」と答えたぎり、先刻(さっき)細君に見せびらかした鋏(はさみ)をちょきちょき云わして爪をとっている。寒月君は東風君に向って「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから、懇意になってそれからは始終交際をしている。僕はあの令嬢の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌を詠(よ)んでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああ云う異性の朋友(ほうゆう)からインスピレーションを受けるからだろうと思う。それで僕はあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。昔(むか)しから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄合でもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手は大分(だいぶ)下火になった。吾輩も彼等の変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂(かまきり)を探しに出た。梧桐(あおぎり)の緑を綴(つづ)る間から西に傾く日が斑(まだ)らに洩(も)れて、幹にはつくつく法師(ぼうし)が懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかも知れない。

        七

 吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利(き)いた風だと一概に冷罵(れいば)し去る手合(てあい)にちょっと申し聞けるが、そう云(い)う人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人(ぶじこれきにん)とか称(とな)えて、懐手(ふところで)をして座布団(ざぶとん)から腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下(やにさが)って暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠(こも)って当分霞を食(くら)えのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近(ばんきん)の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気に罹(かか)り出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずその砌(みぎ)りは浮世の風中(かざなか)にふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年に懸(か)け合うと云ってもよろしい。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いに係(かかわ)らず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分仕(つかまつ)るところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜(せいそう)を同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬(ごびゅう)である。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない。世を憂い時を憤(いきどお)る吾輩などに較(くら)べると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたって毫(ごう)も驚くに足りない。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間(のろま)に極(きま)っている。人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々(ようよう)運動の功能を吹聴(ふいちょう)したり、海水浴の利益を喋々(ちょうちょう)して大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何疋(びき)おるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかった試(ため)しがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだが利(き)かなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去(こうきょ)を、落ちると唱(とな)え、人間の寂滅(じゃくめつ)をごねると号している。洋行をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だ。いくら往復したって一匹も波の上に今呼吸(いき)を引き取った――呼吸(いき)ではいかん、魚の事だから潮(しお)を引き取ったと云わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々(びょうびょう)たる、あの漫々(まんまん)たる、大海(たいかい)を日となく夜となく続けざまに石炭を焚(た)いて探(さ)がしてあるいても古往今来(こんらい)一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う断案はすぐに下す事が出来る。それならなぜ魚がそんなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかる後(のち)に知らざるなりで、訳(わけ)はない。すぐ分る。全く潮水(しおみず)を呑んで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著(けんちょ)である。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席(そくせき)全快と大袈裟(おおげさ)な広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。但(ただ)し今はいけない。物には時機がある。御維新前(ごいっしんまえ)の日本人が海水浴の功能を味わう事が出来ずに死んだごとく、今日(こんにち)の猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇(そうぐう)しておらん。せいては事を仕損(しそ)んずる、今日のように築地(つきじ)へ打っちゃられに行った猫が無事に帰宅せん間は無暗(むやみ)に飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が狂瀾怒濤(きょうらんどとう)に対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば猫が死んだと云う代りに猫が上がったと云う語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴は出来ん。
 海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取り極(き)めた。どうも二十世紀の今日(こんにち)運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助(おりすけ)と笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做(みな)されている。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変化する。吾輩の眼玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品隲(ひんしつ)とくると真逆(まっさ)かさまにひっくり返る。ひっくり返っても差(さ)し支(つか)えはない。物には両面がある、両端(りょうたん)がある。両端を叩(たた)いて黒白(こくびゃく)の変化を同一物の上に起こすところが人間の融通のきくところである。方寸を逆(さ)かさまにして見ると寸方となるところに愛嬌(あいきょう)がある。天(あま)の橋立(はしだて)を股倉(またぐら)から覗(のぞ)いて見るとまた格別な趣(おもむき)が出る。セクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。偶(たま)には股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩しないだろう。だから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来をあるき廻ったって一向(いっこう)不思議はない。ただ猫が運動するのを利(き)いた風だなどと笑いさえしなければよい。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審を抱(いだ)く者があるかも知れんから一応説明しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出来ん。だからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買う訳(わけ)に行かない。この二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文(いちもん)いらず器械なしと名づくべき種類に属する者と思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいは鮪(まぐろ)の切身を啣(くわ)えて馳(か)け出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力に順(したが)って、大地を横行するのは、あまり単簡(たんかん)で興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖を汚(け)がす者だろうと思う。勿論(もちろん)ただの運動でもある刺激の下(もと)にはやらんとは限らん。鰹節競争(かつぶしきょうそう)、鮭探(しゃけさが)しなどは結構だがこれは肝心(かんじん)の対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然(さくぜん)として没趣味なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がして見たい。吾輩はいろいろ考えた。台所の廂(ひさし)から家根(やね)に飛び上がる方、家根の天辺(てっぺん)にある梅花形(ばいかがた)の瓦(かわら)の上に四本足で立つ術、物干竿(ものほしざお)を渡る事――これはとうてい成功しない、竹がつるつる滑(す)べって爪が立たない。後(うし)ろから不意に小供に飛びつく事、――これはすこぶる興味のある運動の一(ひとつ)だが滅多(めった)にやるとひどい目に逢うから、高々(たかだか)月に三度くらいしか試みない。紙袋(かんぶくろ)を頭へかぶせらるる事――これは苦しいばかりではなはだ興味の乏(とぼ)しい方法である。ことに人間の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引き掻(か)く事、――これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かない。これらは吾輩のいわゆる旧式運動なる者である。新式のうちにはなかなか興味の深いのがある。第一に蟷螂狩(とうろうが)り。――蟷螂狩りは鼠狩(ねずみが)りほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない。夏の半(なかば)から秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂(かまきり)をさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作(ぞうさ)もない。さて見付け出した蟷螂君の傍(そば)へはっと風を切って馳(か)けて行く。するとすわこそと云う身構(みがまえ)をして鎌首をふり上げる。蟷螂でもなかなか健気(けなげ)なもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い。振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲る。この時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分ある。ところを一足(いっそく)飛びに君(きみ)の後(うし)ろへ廻って今度は背面から君の羽根を軽(かろ)く引き掻(か)く。あの羽根は平生大事に畳(たた)んであるが、引き掻き方が烈(はげ)しいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれる。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねで乙(おつ)に極(き)まっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えて見える。先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出す。それを我無洒落(がむしゃら)に向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂である。もし相手がこの野蛮な振舞をやると、向って来たところを覘(ねら)いすまして、いやと云うほど張り付けてやる。大概は二三尺飛ばされる者である。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくる。蟷螂君(かまきりくん)はまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げ惑(まど)うのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根を振(ふる)って一大活躍を試みる事がある。元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、独逸語(ドイツご)のごとく毫(ごう)も実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない。名前は活躍だが事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだから仕方がない。御免蒙(ごめんこうむ)ってたちまち前面へ馳(か)け抜ける。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくる。その鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたまま仆(たお)れる。その上をうんと前足で抑(おさ)えて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまた抑える。七擒七縦(しちきんしちしょう)孔明(こうめい)の軍略で攻めつける。約三十分この順序を繰り返して、身動きも出来なくなったところを見すましてちょっと口へ啣(くわ)えて振って見る。それからまた吐き出す。今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるところをまた抑えつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまう。ついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまり旨(うま)い物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである。蟷螂狩(とうろうが)りに次いで蝉取(せみと)りと云う運動をやる。単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎(あぶらやろう)、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくて行(い)かん。みんみんは横風(おうふう)で困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て来ない。八(や)つ口(くち)の綻(ほころ)びから秋風(あきかぜ)が断わりなしに膚(はだ)を撫(な)でてはっくしょ風邪(かぜ)を引いたと云う頃熾(さかん)に尾を掉(ふ)り立ててなく。善(よ)く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初はこいつを取る。これを称して蝉取り運動と云う。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上に転(ころ)がってはおらん。地面の上に落ちているものには必ず蟻(あり)がついている。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝転んでいる奴ではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕(とら)えるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。人間の猫に優(まさ)るところはこんなところに存するので、人間の自(みずか)ら誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしても差(さ)し支(つか)えはない。ただ声をしるべに木を上(のぼ)って行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりである。しかし木登りに至っては大分(だいぶ)吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫(ばっそん)たる人間にもなかなか侮(あなど)るべからざる手合(てあい)がいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱(ちじょく)とは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君(かまきりくん)と違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何の択(えら)むところなしと云う悲運に際会する事がないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼を覘(ねら)ってしょぐってくるようだ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際(まぎわ)に溺(いば)りを仕(つかまつ)るのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊(いか)の墨を吐き、ベランメーの刺物(ほりもの)を見せ、主人が羅甸語(ラテンご)を弄する類(たぐい)と同じ綱目(こうもく)に入るべき事項となる。これも蝉学上忽(ゆる)かせにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐(ちんぷ)だからやはり集注にする。――蝉のもっとも集注するのは青桐(あおぎり)である。漢名を梧桐(ごとう)と号するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆団扇(うちわ)くらいな大(おおき)さであるから、彼等が生(お)い重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えずと云う俗謡(ぞくよう)はとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉(ふたまた)になっているから、ここで一休息(ひとやすみ)して葉裏から蝉の所在地を探偵する。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない。真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す。漸々(ようよう)二叉(ふたまた)に到着する時分には満樹寂(せき)として片声(へんせい)をとどめざる事がある。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気(せみけ)がないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと、叉(また)の上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつの間(ま)にか眠くなって、つい黒甜郷裡(こくてんきょうり)に遊んだ。おやと思って眼が醒(さ)めたら、二叉の黒甜郷裡(こくてんきょうり)から庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登る度に一つは取って来る。ただ興味の薄い事には樹の上で口に啣(くわ)えてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時は大方(おおかた)死んでいる。いくらじゃらしても引っ掻(か)いても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君(くん)が一生懸命に尻尾(しっぽ)を延ばしたり縮(ちぢ)ましたりしているところを、わっと前足で抑(おさ)える時にある。この時つくつく君(くん)は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である。余はつくつく君を抑える度(たび)にいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになるとご免を蒙(こうむ)って口の内へ頬張(ほおば)ってしまう。蝉によると口の内へ這入(はい)ってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑(まつすべ)りである。これは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両者の差である。元来松は常磐(ときわ)にて最明寺(さいみょうじ)の御馳走(ごちそう)をしてから以来今日(こんにち)に至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない。手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない。――換言すれば爪懸(つまがか)りのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成(いっきかせい)に馳(か)け上(あが)る。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一は上(のぼ)ったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見(りょうけん)では、どうせ降りるのだから下向(したむき)に馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間違ってる。君等は義経が鵯越(ひよどりごえ)を落(お)としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論下(し)た向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽蔑(けいべつ)するものではない。猫の爪はどっちへ向いて生(は)えていると思う。みんな後(うし)ろへ折れている。それだから鳶口(とびぐち)のように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹の巓(いただき)に留(とど)まるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちる。しかし手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。これ即(すなわ)ち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思ったほどの事ではない。落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩(ゆる)めて降りなければならない。即(すなわ)ちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前(ぜん)申す通り皆後(うし)ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力は悉(ことごと)く、落ちる勢に逆(さから)って利用出来る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる。実に見易(みやす)き道理である。しかるにまた身を逆(さか)にして義経流に松の木越(ごえ)をやって見給え。爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の体量を持ち答える事は出来なくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企(くわだ)てた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越(ひよどりごえ)はむずかしい。猫のうちでこの芸が出来る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのである。最後に垣巡(かきめぐ)りについて一言(いちげん)する。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。椽側(えんがわ)と平行している一片(いっぺん)は八九間もあろう。左右は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやり損(そこな)う事もままあるが、首尾よく行くとお慰(なぐさみ)になる。ことに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜(べんぎ)がある。今日は出来がよかったので朝から昼までに三返(べん)やって見たが、やるたびにうまくなる。うまくなる度(たび)に面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほど巡(まわ)りかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまった。これは推参な奴だ。人の運動の妨(さまたげ)をする、ことにどこの烏だか籍(せき)もない分在(ぶんざい)で、人の塀へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおい除(の)きたまえと声をかけた。真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭を眺(なが)めている。三羽目は嘴(くちばし)を垣根の竹で拭(ふ)いている。何か食って来たに違ない。吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予(ゆうよ)を与えて、垣の上に立っていた。烏は通称を勘左衛門と云うそうだが、なるほど勘左衛門だ。吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き出した。すると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけである。この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退(の)くのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。従って気に入ればいつまでも逗留(とうりゅう)するだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分(だいぶ)労(つか)れている。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こんな黒装束(くろしょうぞく)が、三個も前途を遮(さえぎ)っては容易ならざる不都合だ。いよいよとなれば自(みずか)ら運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体(にんてい)である。口嘴(くちばし)が乙(おつ)に尖(とん)がって何だか天狗(てんぐ)の啓(もう)し子(ご)のようだ。どうせ質(たち)のいい奴でないには極(きま)っている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向(ひだりむけ)をした烏が阿呆(あほう)と云った。次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧(ごていねい)にも阿呆阿呆と二声叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過(かんか)出来ない。第一自己の邸内で烏輩(からすはい)に侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ない。諺(ことわざ)にも烏合(うごう)の衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸を据(す)えて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪(かんしゃく)に障(さわ)る。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくら怒(おこ)っても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒(せんぽう)を去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏(はばたき)をして一二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外(は)ずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上から嘴(くちばし)を揃(そろ)えて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨(にら)めつけてやったが一向(いっこう)利(き)かない。背を丸くして、少々唸(うな)ったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていた。それが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかに応(こた)えるのだが生憎(あいにく)相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥(くしゃみ)先生を圧倒しようとあせるごとく、西行(さいぎょう)に銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞(ふん)をひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすと行(い)かぬ者で、からだ全体が何となく緊(しま)りがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない。毛穴から染(し)み出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏(あぶら)のようにねばり付く。背中(せなか)がむずむずする。汗でむずむずするのと蚤(のみ)が這(は)ってむずむずするのは判然と区別が出来る。口の届く所なら噛(か)む事も出来る、足の達する領分は引き掻(か)く事も心得にあるが、脊髄(せきずい)の縦に通う真中と来たら自分の及ぶ限(かぎり)でない。こう云う時には人間を見懸けて矢鱈(やたら)にこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一を択(えら)ばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間は愚(ぐ)なものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安(めやす)にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫(な)でられ声で膝の傍(そば)へ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わが為(な)すままに任せるのみか折々は頭さえ撫(な)でてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中(もうちゅう)にのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多(めった)に寄り添うと、必ず頸筋(くびすじ)を持って向うへ抛(ほう)り出される。わずかに眼に入(い)るか入(い)らぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想(あいそ)をつかしたと見える。手を翻(ひるがえ)せば雨、手を覆(くつがえ)せば雲とはこの事だ。高がのみの千疋(びき)や二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変(がぜんひょうへん)したので、いくら痒(か)ゆくても人力を利用する事は出来ん。だから第二の方法によって松皮(しょうひ)摩擦法(まさつほう)をやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側(えんがわ)から降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いた。と云うのはほかでもない。松には脂(やに)がある。この脂(やに)たるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延(まんえん)する。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊(たんぱく)を愛する茶人的猫(ちゃじんてきねこ)である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深(しゅうねんぶか)い奴は大嫌だ。たとい天下の美猫(びみょう)といえどもご免蒙る。いわんや松脂(まつやに)においてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞と択(えら)ぶところなき身分をもって、この淡灰色(たんかいしょく)の毛衣(けごろも)を大(だい)なしにするとは怪(け)しからん。少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣(きづかい)はない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるに極(きま)っている。こんな無分別な頓痴奇(とんちき)を相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細い。今において一工夫(ひとくふう)しておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気に罹(かか)るかも知れない。何か分別はあるまいかなと、後(あ)と足(あし)を折って思案したが、ふと思い出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸(シャボン)をもって飄然(ひょうぜん)といずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧(もうろう)たる顔色(がんしょく)が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦(むさくる)しい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少し利目(ききめ)があるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気に罹(かか)って一歳何(なん)が月(げつ)で夭折(ようせつ)するような事があっては天下の蒼生(そうせい)に対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひま潰(つぶ)しに案出した洗湯(せんとう)なるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだから碌(ろく)なものでないには極(きま)っているがこの際の事だから試しに這入(はい)って見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だ。しかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪量(こうりょう)があるだろうか。これが疑問である。主人がすまして這入(はい)るくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先(ひとま)ず容子(ようす)を見に行くに越した事はない。見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭を啣(くわ)えて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた上でのそのそと洗湯へ出掛けた。
 横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立(きつりつ)して先から薄い煙を吐いている。これ即(すなわ)ち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯(ひきょう)とか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬(しっと)半分に囃(はや)し立てる繰(く)り言(ごと)である。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成方(ほう)の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑(けいべつ)してはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪(まつまき)が山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴(さかな)を食ったり、獣(けもの)を食ったりいろいろの悪(あく)もの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫(ふびん)である。行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中を覗(のぞ)くとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側(むこうがわ)で何かしきりに人間の声がする。いわゆる洗湯はこの声の発する辺(へん)に相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓(ガラスまど)があって、そのそとに丸い小桶(こおけ)が三角形即(すなわ)ちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒(りょう)とした。小桶の南側は四五尺の間(あいだ)板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂(おあつら)えの上等である。よろしいと云いながらひらりと身を躍(おど)らすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、未(いま)だ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至(ないし)四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目(しにめ)に逢(あ)わなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観(きかん)はまたとあるまい。
 何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするを憚(はば)かるほどの奇観だ。この硝子窓(ガラスまど)の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃(せいばん)である。二十世紀のアダムである。そもそも衣装(いしょう)の歴史を繙(ひもと)けば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去る事六十年前(ぜん)これも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失(しっ)している。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令(たとい)模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳である。でありますから妾等(しょうら)は出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米舂(こめつき)にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具(けしょうどうぐ)である。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布(くろぬの)を三十五反八分七(はちぶんのしち)買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくの事滞(とどこお)りなく式をすましたと云う話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生れてから今日(こんにち)に至るまで一日も裸体になった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体は希臘(ギリシャ)、羅馬(ローマ)の遺風が文芸復興時代の淫靡(いんび)の風(ふう)に誘われてから流行(はや)りだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常(ふだん)から裸体を見做(みな)れていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとは毫(ごう)も思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸(ドイツ)や英吉利(イギリス)で裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となった後(のち)に、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、獣(けだもの)と思う。それだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做(みな)せばいいのである。こう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。怪(け)しからん事だ。十四世紀頃までは彼等の出(い)で立(た)ちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽術師(かるわざし)流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々(とくとく)たるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的(とんちんかんてき)作用(さよう)によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。それが口惜(くや)しければ日中(にっちゅう)でも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸(でか)けるではないか。その因縁(いんねん)を尋ねると何にもない。ただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう。長いものには捲(ま)かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧(お)されろと、そうれろ尽しでは気が利(き)かんではないか。気が利(き)かんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。
 衣服はかくのごとく人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云うくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物(ばけもの)に邂逅(かいこう)したようだ。化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大(おおい)に困却する事になるばかりだ。その昔(むか)し自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛(ほう)り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸(あかはだか)である。もし人間の本性(ほんせい)が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐(かい)がない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消(たまげ)る物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股(さるまた)を発明してすぐさまこれを穿(は)いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日(こんにち)の車夫の先祖である。単簡(たんかん)なる猿股を発明するのに十年の長日月を費(つい)やしたのはいささか異(い)な感もあるが、それは今日から古代に溯(さかのぼ)って身を蒙昧(もうまい)の世界に置いて断定した結論と云うもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」という三(み)つ子(ご)にでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧(ちえ)には出来過ぎると云わねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩(かっぽ)するのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明した。すると猿股の勢力は頓(とみ)に衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋、生薬屋(きぐすりや)、呉服屋は皆この大発明家の末流(ばつりゅう)である。猿股期、羽織期の後(あと)に来るのが袴期(はかまき)である。これは、何だ羽織の癖にと癇癪(かんしゃく)を起した化物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物共がわれもわれもと異(い)を衒(てら)い新(しん)を競(きそ)って、ついには燕(つばめ)の尾にかたどった畸形(きけい)まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目(でたらめ)に、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝(こ)ってさまざまの新形(しんがた)となったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りに被(かぶ)っているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出来る。それはほかでもない。自然は真空を忌(い)むごとく、人間は平等を嫌うと云う事だ。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけ纏(まと)う今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥(もくあみ)の公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない。帰った連中を開明人(かいめいじん)の目から見れば化物である。仮令(たとい)世界何億万の人口を挙(あ)げて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。赤裸(あかはだか)は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている。
 しかるに今吾輩が眼下(がんか)に見下(みおろ)した人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至(ないし)袴(はかま)もことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視(しゅうもくかんし)の裡(うち)に露出して平々然(へいへいぜん)と談笑を縦(ほしいま)まにしている。吾輩が先刻(さっき)一大奇観と云ったのはこの事である。吾輩は文明の諸君子のためにここに謹(つつし)んでその一般を紹介するの栄を有する。
 何だかごちゃごちゃしていて何(な)にから記述していいか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽(ゆぶね)から述べよう。湯槽だか何だか分らないが、大方(おおかた)湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、長(ながさ)は一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入(はい)っている。何でも薬湯(くすりゆ)とか号するのだそうで、石灰(いしばい)を溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏(あぶら)ぎって、重た気(げ)に濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易(か)えないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由(よし)だがこれまたもって透明、瑩徹(えいてつ)などとは誓って申されない。天水桶(てんすいおけ)を攪(か)き混(ま)ぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これからが化物の記述だ。大分(だいぶ)骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若造(わかぞう)が二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いい慰(なぐさ)みだ。双方共色の黒い点において間然(かんぜん)するところなきまでに発達している。この化物は大分(だいぶ)逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫(な)で廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。「だってこの左の方だぜ」た左肺(さはい)の方を指す。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺を叩(たた)いて見せると、金さんは「そりゃ疝気(せんき)だあね」と云った。ところへ二十五六の薄い髯(ひげ)を生(は)やした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いていた石鹸(シャボン)が垢(あか)と共に浮きあがる。鉄気(かなけ)のある水を透(す)かして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭の禿(は)げた爺さんが五分刈を捕(とら)えて何か弁じている。双方共頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者には叶(かな)わないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御維新前(ごいっしんまえ)牛込に曲淵(まがりぶち)と云う旗本(はたもと)があって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよ。それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったか分らない。事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながら槽(ふね)から上(あが)る。髯(ひげ)を生(は)やしている男は雲母(きらら)のようなものを自分の廻りに蒔(ま)き散らしながら独(ひと)りでにやにや笑っていた。入れ代って飛び込んで来たのは普通一般の化物とは違って背中(せなか)に模様画をほり付けている。岩見重太郎(いわみじゅうたろう)が大刀(だいとう)を振り翳(かざ)して蟒(うわばみ)を退治(たいじ)るところのようだが、惜しい事に未(ま)だ竣功(しゅんこう)の期に達せんので、蟒はどこにも見えない。従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒(べらぼう)に温(ぬ)るいや」と云った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色(けしき)とも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶(あいさつ)をする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、頭(ず)が高(た)けえんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれで一(い)っぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町(しろかねちょう)にも古い人が亡(な)くなってね、今じゃ桶屋(おけや)の元さんと煉瓦屋(れんがや)の大将と親方ぐれえな者だあな。こちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どう云うもんか人に好かれねえ。人が交際(つきあ)わねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
 天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入(おおいり)で、湯の中に人が這入(はい)ってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々(ゆうゆうかんかん)たる物で、先刻(さっき)から這入るものはあるが出る物は一人もない。こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽(おけ)の中を見渡すと、左の隅に圧(お)しつけられて苦沙弥先生が真赤(まっか)になってすくんでいる。可哀(かわい)そうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色(けしき)も見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だ。なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気(ゆけ)にあがるがと主思(しゅうおも)いの吾輩は窓の棚(たな)から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちと利(き)き過ぎるようだ、どうも背中(せなか)の方から熱い奴がじりじり湧(わ)いてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。「なあにこれがちょうどいい加減です。薬湯はこのくらいでないと利(き)きません。わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一体この湯は何に利くんでしょう」と手拭を畳(たた)んで凸凹頭(でこぼこあたま)をかくした男が一同に聞いて見る。「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね。豪気(ごうぎ)だあね」と云ったのは瘠(や)せた黄瓜(きゅうり)のような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等(きょうなど)は這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨(ふく)れ返った男である。これは多分垢肥(あかぶと)りだろう。「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。「冷(ひ)えた後(あと)などは一杯飲んで寝ると、奇体(きたい)に小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。
 湯槽(ゆぶね)の方はこれぐらいにして板間(いたま)を見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んで各(おのおの)勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っている。その中にもっとも驚ろくべきのは仰向(あおむ)けに寝て、高い明(あ)かり取(とり)を眺(なが)めているのと、腹這(はらば)いになって、溝(みぞ)の中を覗(のぞ)き込んでいる両アダムである。これはよほど閑(ひま)なアダムと見える。坊主が石壁を向いてしゃがんでいると後(うし)ろから、小坊主がしきりに肩を叩(たた)いている。これは師弟の関係上三介(さんすけ)の代理を務(つと)めるのであろう。本当の三介もいる。風邪(かぜ)を引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形(こばんなり)の桶(おけ)からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股に呉絽(ごろ)の垢擦(あかす)りを挟(はさ)んでいる。こちらの方では小桶(こおけ)を慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸(シャボン)を使え使えと云いながらしきりに長談議をしている。何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は斬り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだ。どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内(わとうない)の時にゃ無かったね。和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷(えぞ)から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変学(がく)のできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。それでその義経のむすこが大明(たいみん)を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使をよこして三千人の兵隊を借(か)してくれろと云うと、三代様(さんだいさま)がそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか云ったっけ。――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎(じょろう)を見せたんだがね。その女郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた。……」何を云うのかさっぱり分らない。その後(うし)ろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物(はれもの)か何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌(しゃべ)ってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中(せなか)が見える。尻の中から寒竹(かんちく)を押し込んだように背骨(せぼね)の節が歴々(ありあり)と出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤く爛(ただ)れて周囲(まわり)に膿(うみ)をもっているのもある。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際(てぎわ)にはその一斑(いっぱん)さえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易(へきえき)していると入口の方に浅黄木綿(あさぎもめん)の着物をきた七十ばかりの坊主がぬっと見(あら)われた。坊主は恭(うやうや)しくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩(ごゆっ)くり――どうぞ白い湯へ出たり這入(はい)ったりして、ゆるりと御あったまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛嬌(あいきょう)ものだね。あれでなくては商買(しょうばい)は出来ないよ」と大(おおい)に爺さんを激賞した。吾輩は突然この異(い)な爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今上(あが)り立(た)ての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴を揚(あ)げてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐(こわ)い? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだからたちまち機鋒(きほう)を転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋(おうみや)へ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。あの戸の潜(くぐ)りの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行(い)んだげな。御巡(おまわ)りさんか夜番でも見えたものであろう」と大(おおい)に泥棒の無謀を憫笑(びんしょう)したがまた一人を捉(つ)らまえて「はいはい御寒う。あなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。
 しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中(うち)から消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある。見ると紛(まぎ)れもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいた。これは正(まさ)しく熱湯の中(うち)に長時間のあいだ我慢をして浸(つか)っておったため逆上(ぎゃくじょう)したに相違ないと咄嗟(とっさ)の際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為(せい)なら咎(とが)むる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声(どうまごえ)を出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意気(なまいき)書生を相手に大人気(おとなげ)もない喧嘩を始めたのである。「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入(はい)っていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万人のうちに一人くらいは高山彦九郎(たかやまひこくろう)が山賊を叱(しっ)したようだくらいに解釈してくれるかも知れん。当人自身もそのつもりでやった芝居かも分らんが、相手が山賊をもって自(みずか)らおらん以上は予期する結果は出て来ないに極(きま)っている。書生は後(うし)ろを振り返って「僕はもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態度と云い言語と云い、山賊として罵(ののし)り返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っているはずだ。しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、先刻(さっき)からこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、利(き)いた風の事ばかり併(なら)べていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものと見える。だから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人の桶(おけ)へ汚ない水をぴちゃぴちゃ跳(は)ねかす奴があるか」と喝(かっ)し去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快哉(かいさい)を呼んだが、学校教員たる主人の言動としては穏(おだや)かならぬ事と思うた。元来主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたき殻(がら)見たようにかさかさしてしかもいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山を超(こ)える時に、路の真中に当って大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな岩へ醋(す)をかけて火を焚(た)いて、柔かにしておいて、それから鋸(のこぎり)でこの大岩を蒲鉾(かまぼこ)のように切って滞(とどこお)りなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんな利目(ききめ)のある薬湯へ煮(う)だるほど這入(はい)っても少しも功能のない男はやはり醋をかけて火炙(ひあぶ)りにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑固(がんこ)は癒(なお)りっこない。この湯槽(ゆぶね)に浮いているもの、この流しにごろごろしているものは文明の人間に必要な服装を脱ぎ棄てる化物の団体であるから、無論常規常道をもって律する訳にはいかん。何をしたって構わない。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかし一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息(せいそく)する娑婆(しゃば)へ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。従って人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいるところは敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓言愉色(かんげんゆしょく)、円転滑脱(えんてんかつだつ)の世界に逆戻りをしようと云う間際(まぎわ)である。その間際ですらかくのごとく頑固(がんこ)であるなら、この頑固は本人にとって牢(ろう)として抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯正(きょうせい)する事は出来まい。この病気を癒(なお)す方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職して貰う事即(すなわ)ちこれなり。免職になれば融通の利(き)かぬ主人の事だからきっと路頭に迷うに極(きま)ってる。路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌(だいきらい)である。死なない程度において病気と云う一種の贅沢(ぜいたく)がしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞと嚇(おど)かせば臆病なる主人の事だからびりびりと悸(ふる)え上がるに相違ない。この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでの事さ。
 いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはない。一飯(いっぱん)君恩を重んずと云う詩人もある事だから猫だって主人の身の上を思わない事はあるまい。気の毒だと云う念が胸一杯になったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠(おこ)たっていると、突然白い湯槽(ゆぶね)の方面に向って口々に罵(ののし)る声が聞える。ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狭い柘榴口(ざくろぐち)に一寸(いっすん)の余地もないくらいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り乱れて動いている。折から初秋(はつあき)の日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立て籠(こ)める。かの化物の犇(ひしめ)く様(さま)がその間から朦朧(もうろう)と見える。熱い熱いと云う声が吾輩の耳を貫(つら)ぬいて左右へ抜けるように頭の中で乱れ合う。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互に畳(かさ)なりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内に漲(みなぎ)らす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声と云うのみで、ほかには何の役にも立たない声である。吾輩は茫然(ぼうぜん)としてこの光景に魅入(みい)られたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーと云う声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬと云う点まで張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返している群(むれ)の中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼の身(み)の丈(たけ)を見ると他(ほか)の先生方よりはたしかに三寸くらいは高い。のみならず顔から髯(ひげ)が生(は)えているのか髯の中に顔が同居しているのか分らない赤つらを反(そ)り返して、日盛りに破(わ)れ鐘(がね)をつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々(ふんぷん)と縺(もつ)れ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁(とうりょう)だ。と思って見ていると湯槽(ゆぶね)の後(うし)ろでおーいと答えたものがある。おやとまたもそちらに眸(ひとみ)をそらすと、暗憺(あんたん)として物色も出来ぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三介(さんすけ)が砕けよと一塊(ひとかたま)りの石炭を竈(かまど)の中に投げ入れるのが見えた。竈の蓋(ふた)をくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴るときに、三介の半面がぱっと明るくなる。同時に三介の後(うし)ろにある煉瓦(れんが)の壁が暗(やみ)を通して燃えるごとく光った。吾輩は少々物凄(ものすご)くなったから早々(そうそう)窓から飛び下りて家(いえ)に帰る。帰りながらも考えた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴(はかま)を脱いで平等になろうと力(つと)める赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。
 帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐(ばんさん)を食っている。吾輩が椽側(えんがわ)から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいているんだろうと云った。膳の上を見ると、銭(ぜに)のない癖に二三品御菜(おかず)をならべている。そのうちに肴(さかな)の焼いたのが一疋(ぴき)ある。これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日(きのう)あたり御台場(おだいば)近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘(ざんぜん)を保(たも)つ方がよほど結構だ。こう考えて膳の傍(そば)に坐って、隙(すき)があったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく装(よそお)っていた。こんな装い方を知らないものはとうていうまい肴は食えないと諦(あきら)めなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないと云う顔付をして箸(はし)を置いた。正面に控(ひか)えたる妻君はこれまた無言のまま箸の上下(じょうげ)に運動する様子、主人の両顎(りょうがく)の離合開闔(りごうかいこう)の具合を熱心に研究している。
「おい、その猫の頭をちょっと撲(ぶ)って見ろ」と主人は突然細君に請求した。
「撲てば、どうするんですか」
「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」
 こうですかと細君は平手(ひらて)で吾輩の頭をちょっと敲(たた)く。痛くも何ともない。
「鳴かんじゃないか」
「ええ」
「もう一返(ぺん)やって見ろ」
「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細君また平手でぽかと参(まい)る。やはり何ともないから、じっとしていた。しかしその何のためたるやは智慮深き吾輩には頓(とん)と了解し難い。これが了解出来れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろだから、撲つ細君も困るし、撲たれる吾輩も困る。主人は二度まで思い通りにならんので、少々焦(じ)れ気味(ぎみ)で「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」と云った。
 細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのだ。主人はかくのごとく愚物(ぐぶつ)だから厭(いや)になる。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手数(てすう)はしなくてもすむし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのだ。ただ打(ぶ)って見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでない。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事だ。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんと云うものだ。猫を馬鹿にしている。主人の蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う金田君ならやりそうな事だが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかし実のところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡猾(こうかつ)の極(きょく)に出(い)でたのではない。つまり智慧(ちえ)の足りないところから湧(わ)いた孑孑(ぼうふら)のようなものと思惟(しい)する。飯を食えば腹が張るに極(き)まっている。切れば血が出るに極っている。殺せば死ぬに極まっている。それだから打(ぶ)てば鳴くに極っていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅(てんぷら)を食えば必ず下痢(げり)する事になる。月給をもらえば必ず出勤する事になる。書物を読めば必ずえらくなる事になる。必ずそうなっては少し困る人が出来てくる。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚(みな)されては猫と生れた甲斐(かい)がない。まず腹の中でこれだけ主人を凹(へこ)ましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった。
 すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。
 細君はあまり突然な問なので、何にも云わない。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合壁(きんじょがっぺき)有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中の奴が神経病だと頑張(がんば)っている。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼等を豚々(ぶたぶた)と呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こう云う男だからこんな奇問を細君に対(むか)って呈出するのも、主人に取っては朝食前(あさめしまえ)の小事件かも知れないが、聞く方から云わせるとちょっと神経病に近い人の云いそうな事だ。だから細君は煙(けむ)に捲(ま)かれた気味で何とも云わない。吾輩は無論何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で
「おい」と呼びかけた。
 細君は吃驚(びっくり)して「はい」と答えた。
「そのはいは感投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。「それで、どっちだか分ったんですか」
「重要な問題だからそう急には分らんさ」と例の肴(さかな)をむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚と芋(いも)のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑(だいけいべつ)の調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯(さかずき)を出す。
「今夜はなかなかあがるのね。もう大分(だいぶ)赤くなっていらっしゃいますよ」
「飲むとも――御前世界で一番長い字を知ってるか」
「ええ、前(さき)の関白太政大臣でしょう」
「それは名前だ。長い字を知ってるか」
「字って横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」
「ええ。そうしたら御飯ですよ」
「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字だ」
「出鱈目(でたらめ)でしょう」
「出鱈目なものか、希臘語(ギリシャご)だ」
「何という字なの、日本語にすれば」
「意味はしらん。ただ綴(つづ)りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」
 他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗(むやみ)にのむ。平生なら猪口(ちょこ)に二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸(やけひばし)のようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に
「もう御よしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」と苦々(にがにが)しい顔をする。
「なに苦しくってもこれから少し稽古するんだ。大町桂月(おおまちけいげつ)が飲めと云った」
「桂月って何です」さすがの桂月も細君に逢っては一文(いちもん)の価値もない。
「桂月は現今一流の批評家だ。それが飲めと云うのだからいいに極(きま)っているさ」
「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事ですわ」
「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」
「なおわるいじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……」
「道楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」
「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始められちゃあ大変ですよ」
「大変だと云うならよしてやるから、その代りもう少し夫(おっと)を大事にして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」
「これが精一杯のところですよ」
「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が這入(はい)り次第やる事にして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜(よ)豚肉三片(みきれ)と塩焼の頭を頂戴した。

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