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吾輩は猫である(わがはいはねこである)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-18 9:35:33  点击:  切换到繁體中文


「ハハハハこれは上出来。そこまで持って行くにはだいぶ苦心惨憺たるものがあったのだろう。僕は男子のサンドラ・ベロニが東方君子の邦(くに)に出現するところかと思って、今が今まで真面目に拝聴していたんだよ」と云った迷亭君は誰かサンドラ・ベロニの講釈でも聞くかと思のほか、何にも質問が出ないので「サンドラ・ベロニが月下に竪琴(たてごと)を弾いて、以太利亜風(イタリアふう)の歌を森の中でうたってるところは、君の庚申山(こうしんやま)へヴァイオリンをかかえて上(のぼ)るところと同曲にして異巧なるものだね。惜しい事に向うは月中(げっちゅう)の嫦娥(じょうが)を驚ろかし、君は古沼(ふるぬま)の怪狸(かいり)におどろかされたので、際(きわ)どいところで滑稽(こっけい)と崇高の大差を来たした。さぞ遺憾(いかん)だろう」と一人で説明すると、
「そんなに遺憾ではありません」と寒月君は存外平気である。
「全体山の上でヴァイオリンを弾こうなんて、ハイカラをやるから、おどかされるんだ」と今度は主人が酷評を加えると、
「好漢(こうかん)この鬼窟裏(きくつり)に向って生計を営む。惜しい事だ」と独仙君は嘆息した。すべて独仙君の云う事は決して寒月君にわかったためしがない。寒月君ばかりではない、おそらく誰にでもわからないだろう。
「そりゃ、そうと寒月君、近頃でも矢張り学校へ行って珠(たま)ばかり磨いてるのかね」と迷亭先生はしばらくして話頭を転じた。
「いえ、こないだうちから国へ帰省していたもんですから、暫時(ざんじ)中止の姿です。珠ももうあきましたから、実はよそうかと思ってるんです」
「だって珠が磨けないと博士にはなれんぜ」と主人は少しく眉をひそめたが、本人は存外気楽で、
「博士ですか、エヘヘヘヘ。博士ならもうならなくってもいいんです」
「でも結婚が延びて、双方困るだろう」
「結婚って誰の結婚です」
「君のさ」
「私が誰と結婚するんです」
「金田の令嬢さ」
「へええ」
「へえって、あれほど約束があるじゃないか」
「約束なんかありゃしません、そんな事を言い触(ふ)らすなあ、向うの勝手です」
「こいつは少し乱暴だ。ねえ迷亭、君もあの一件は知ってるだろう」
「あの一件た、鼻事件かい。あの事件なら、君と僕が知ってるばかりじゃない、公然の秘密として天下一般に知れ渡ってる。現に万朝(まんちょう)なぞでは花聟花嫁と云う表題で両君の写真を紙上に掲ぐるの栄はいつだろう、いつだろうって、うるさく僕のところへ聞きにくるくらいだ。東風君なぞはすでに鴛鴦歌(えんおうか)と云う一大長篇を作って、三箇月前(ぜん)から待ってるんだが、寒月君が博士にならないばかりで、せっかくの傑作も宝の持ち腐れになりそうで心配でたまらないそうだ。ねえ、東風君そうだろう」
「まだ心配するほど持ちあつかってはいませんが、とにかく満腹の同情をこめた作を公けにするつもりです」
「それ見たまえ、君が博士になるかならないかで、四方八方へ飛んだ影響が及んでくるよ。少ししっかりして、珠を磨いてくれたまえ」
「へへへへいろいろ御心配をかけて済みませんが、もう博士にはならないでもいいのです」
「なぜ」
「なぜって、私にはもう歴然(れっき)とした女房があるんです」
「いや、こりゃえらい。いつの間(ま)に秘密結婚をやったのかね。油断のならない世の中だ。苦沙弥さんただ今御聞き及びの通り寒月君はすでに妻子があるんだとさ」
「子供はまだですよ。そう結婚して一と月もたたないうちに子供が生れちゃ事でさあ」
「元来いつどこで結婚したんだ」と主人は予審判事見たような質問をかける。
「いつって、国へ帰ったら、ちゃんと、うちで待ってたのです。今日先生の所へ持って来た、この鰹節(かつぶし)は結婚祝に親類から貰ったんです」
「たった三本祝うのはけちだな」
「なに沢山のうちを三本だけ持って来たのです」
「じゃ御国の女だね、やっぱり色が黒いんだね」
「ええ、真黒です。ちょうど私には相当です」
「それで金田の方はどうする気だい」
「どうする気でもありません」
「そりゃ少し義理がわるかろう。ねえ迷亭」
「わるくもないさ。ほかへやりゃ同じ事だ。どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをするようなものだ。要するに鉢合せをしないでもすむところをわざわざ鉢合せるんだから余計な事さ。すでに余計な事なら誰と誰の鉢が合ったって構いっこないよ。ただ気の毒なのは鴛鴦歌(えんおうか)を作った東風君くらいなものさ」
「なに鴛鴦歌は都合によって、こちらへ向け易(か)えてもよろしゅうございます。金田家の結婚式にはまた別に作りますから」
「さすが詩人だけあって自由自在なものだね」
「金田の方へ断わったかい」と主人はまだ金田を気にしている。
「いいえ。断わる訳がありません。私の方でくれとも、貰いたいとも、先方へ申し込んだ事はありませんから、黙っていれば沢山です。――なあに黙ってても沢山ですよ。今時分は探偵が十人も二十人もかかって一部始終残らず知れていますよ」
 探偵と云う言語(ことば)を聞いた、主人は、急に苦(にが)い顔をして
「ふん、そんなら黙っていろ」と申し渡したが、それでも飽(あ)き足らなかったと見えて、なお探偵について下(しも)のような事をさも大議論のように述べられた。
「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間(ま)に雨戸をはずして人の所有品を偸(ぬす)むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑(すべ)らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強(し)うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風上(かざかみ)に置けるものではない。そんな奴の云う事を聞くと癖になる。決して負けるな」
「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整えて襲撃したって怖(こわ)くはありません。珠磨(たます)りの名人理学士水島寒月でさあ」
「ひやひや見上げたものだ。さすが新婚学士ほどあって元気旺盛(おうせい)なものだね。しかし苦沙弥さん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、その探偵を使う金田君のごときものは何の同類だろう」
「熊坂長範(くまさかちょうはん)くらいなものだろう」
「熊坂はよかったね。一つと見えたる長範が二つになってぞ失(う)せにけりと云うが、あんな烏金(からすがね)で身代(しんだい)をつくった向横丁(むこうよこちょう)の長範なんかは業(ごう)つく張りの、慾張り屋だから、いくつになっても失せる気遣(きづかい)はないぜ。あんな奴につかまったら因果だよ。生涯(しょうがい)たたるよ、寒月君用心したまえ」
「なあに、いいですよ。ああら物々し盗人(ぬすびと)よ。手並はさきにも知りつらん。それにも懲(こ)りず打ち入るかって、ひどい目に合せてやりまさあ」と寒月君は自若として宝生流(ほうしょうりゅう)に気※(「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64)(きえん)を吐(は)いて見せる。
「探偵と云えば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳だろう」と独仙君は独仙君だけに時局問題には関係のない超然たる質問を呈出した。
「物価が高いせいでしょう」と寒月君が答える。
「芸術趣味を解しないからでしょう」と東風君が答える。
「人間に文明の角(つの)が生えて、金米糖(こんぺいとう)のようにいらいらするからさ」と迷亭君が答える。
 今度は主人の番である。主人はもったい振(ぶ)った口調で、こんな議論を始めた。
「それは僕が大分(だいぶ)考えた事だ。僕の解釈によると当世人の探偵的傾向は全く個人の自覚心の強過ぎるのが原因になっている。僕の自覚心と名づけるのは独仙君の方で云う、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)とか、自己は天地と同一体だとか云う悟道の類(たぐい)ではない。……」
「おや大分(だいぶ)むずかしくなって来たようだ。苦沙弥君、君にしてそんな大議論を舌頭(ぜっとう)に弄(ろう)する以上は、かく申す迷亭も憚(はばか)りながら御あとで現代の文明に対する不平を堂々と云うよ」
「勝手に云うがいい、云う事もない癖に」
「ところがある。大(おおい)にある。君なぞはせんだっては刑事巡査を神のごとく敬(うやま)い、また今日は探偵をスリ泥棒に比し、まるで矛盾の変怪(へんげ)だが、僕などは終始一貫父母未生(ふもみしょう)以前(いぜん)からただ今に至るまで、かつて自説を変じた事のない男だ」
「刑事は刑事だ。探偵は探偵だ。せんだってはせんだってで今日は今日だ。自説が変らないのは発達しない証拠だ。下愚(かぐ)は移らずと云うのは君の事だ。……」
「これはきびしい。探偵もそうまともにくると可愛いところがある」
「おれが探偵」
「探偵でないから、正直でいいと云うのだよ。喧嘩はおやめおやめ。さあ。その大議論のあとを拝聴しよう」
「今の人の自覚心と云うのは自己と他人の間に截然(せつぜん)たる利害の鴻溝(こうこう)があると云う事を知り過ぎていると云う事だ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むにしたがって一日一日と鋭敏になって行くから、しまいには一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになる。ヘンレーと云う人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかかった部屋に入(はい)って、鏡の前を通る毎(ごと)に自己の影を写して見なければ気が済まぬほど瞬時も自己を忘るる事の出来ない人だと評したのは、よく今日(こんにち)の趨勢(すうせい)を言いあらわしている。寝てもおれ、覚(さ)めてもおれ、このおれが至るところにつけまつわっているから、人間の行為言動が人工的にコセつくばかり、自分で窮屈になるばかり、世の中が苦しくなるばかり、ちょうど見合をする若い男女の心持ちで朝から晩までくらさなければならない。悠々(ゆうゆう)とか従容(しょうよう)とか云う字は劃(かく)があって意味のない言葉になってしまう。この点において今代(きんだい)の人は探偵的である。泥棒的である。探偵は人の目を掠(かす)めて自分だけうまい事をしようと云う商売だから、勢(いきおい)自覚心が強くならなくては出来ん。泥棒も捕(つか)まるか、見つかるかと云う心配が念頭を離れる事がないから、勢自覚心が強くならざるを得ない。今の人はどうしたら己(おの)れの利になるか、損になるかと寝ても醒(さ)めても考えつづけだから、勢探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入(い)るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒詛(じゅそ)だ。馬鹿馬鹿しい」
「なるほど面白い解釈だ」と独仙君が云い出した。こんな問題になると独仙君はなかなか引込(ひっこ)んでいない男である。「苦沙弥君の説明はよく我意(わがい)を得ている。昔(むか)しの人は己れを忘れろと教えたものだ。今の人は己れを忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己れと云う意識をもって充満している。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が薬だと云って己れを忘れるより薬な事はない。三更月下(さんこうげっか)入無我(むがにいる)とはこの至境を咏(えい)じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいている。英吉利(イギリス)のナイスなどと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっている。英国の天子が印度(インド)へ遊びに行って、印度の王族と食卓を共にした時に、その王族が天子の前とも心づかずに、つい自国の我流を出して馬鈴薯(じゃがいも)を手攫(てづか)みで皿へとって、あとから真赤(まっか)になって愧(は)じ入ったら、天子は知らん顔をしてやはり二本指で馬鈴薯を皿へとったそうだ……」
「それが英吉利趣味ですか」これは寒月君の質問であった。
「僕はこんな話を聞いた」と主人が後(あと)をつける。「やはり英国のある兵営で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事がある。御馳走が済んで手を洗う水を硝子鉢(ガラスばち)へ入れて出したら、この下士官は宴会になれんと見えて、硝子鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしまった。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云いながら、やはりフ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ンガー・ボールの水を一息に飲み干したそうだ。そこで並(な)みいる士官も我劣らじと水盃(みずさかずき)を挙げて下士官の健康を祝したと云うぜ」
「こんな噺(はなし)もあるよ」とだまってる事の嫌(きらい)な迷亭君が云った。「カーライルが始めて女皇(じょこう)に謁した時、宮廷の礼に嫻(なら)わぬ変物(へんぶつ)の事だから、先生突然どうですと云いながら、どさりと椅子へ腰をおろした。ところが女皇の後(うし)ろに立っていた大勢の侍従や官女がみんなくすくす笑い出した――出したのではない、出そうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、ちょっと何か相図をしたら、多勢(おおぜい)の侍従官女がいつの間(ま)にかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面目を失わなかったと云うんだが随分御念の入った親切もあったもんだ」
「カーライルの事なら、みんなが立ってても平気だったかも知れませんよ」と寒月君が短評を試みた。
「親切の方の自覚心はまあいいがね」と独仙君は進行する。「自覚心があるだけ親切をするにも骨が折れる訳になる。気の毒な事さ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通云うが大間違いさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、御互の間は非常に苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真中で四(よ)つに組んで動かないようなものだろう。はたから見ると平穏至極だが当人の腹は波を打っているじゃないか」
「喧嘩(けんか)も昔(むか)しの喧嘩は暴力で圧迫するのだからかえって罪はなかったが、近頃じゃなかなか巧妙になってるからなおなお自覚心が増してくるんだね」と番が迷亭先生の頭の上に廻って来る。「ベーコンの言葉に自然の力に従って始めて自然に勝つとあるが、今の喧嘩は正にベーコンの格言通りに出来上ってるから不思議だ。ちょうど柔術のようなものさ。敵の力を利用して敵を斃(たお)す事を考える……」
「または水力電気のようなものですね。水の力に逆らわないでかえってこれを電力に変化して立派に役に立たせる……」と寒月君が言いかけると、独仙君がすぐそのあとを引き取った。「だから貧時(ひんじ)には貧(ひん)に縛(ばく)せられ、富時(ふじ)には富(ふ)に縛せられ、憂時(ゆうじ)には憂(ゆう)に縛せられ、喜時(きじ)には喜(き)に縛せられるのさ。才人は才に斃(たお)れ、智者は智に敗れ、苦沙弥君のような癇癪持(かんしゃくも)ちは癇癪を利用さえすればすぐに飛び出して敵のぺてんに罹(かか)る……」
「ひやひや」と迷亭君が手をたたくと、苦沙弥君はにやにや笑いながら「これでなかなかそう甘(うま)くは行かないのだよ」と答えたら、みんな一度に笑い出した。
「時に金田のようなのは何で斃れるだろう」
「女房は鼻で斃れ、主人は因業(いんごう)で斃れ、子分は探偵で斃れか」
「娘は?」
「娘は――娘は見た事がないから何とも云えないが――まず着倒れか、食い倒れ、もしくは呑んだくれの類(たぐい)だろう。よもや恋い倒れにはなるまい。ことによると卒塔婆小町(そとばこまち)のように行き倒れになるかも知れない」
「それは少しひどい」と新体詩を捧げただけに東風君が異議を申し立てた。
「だから応無所住(おうむしょじゅう)而(に)生其心(しょうごしん)と云うのは大事な言葉だ、そう云う境界(きょうがい)に至らんと人間は苦しくてならん」と独仙君しきりに独(ひと)り悟ったような事を云う。
「そう威張るもんじゃないよ。君などはことによると電光影裏(でんこうえいり)にさか倒れをやるかも知れないぜ」
「とにかくこの勢で文明が進んで行った日にや僕は生きてるのはいやだ」と主人がいい出した。
「遠慮はいらないから死ぬさ」と迷亭が言下(ごんか)に道破(どうは)する。
「死ぬのはなおいやだ」と主人がわからん強情を張る。
「生れる時には誰も熟考して生れるものは有りませんが、死ぬ時には誰も苦にすると見えますね」と寒月君がよそよそしい格言をのべる。
「金を借りるときには何の気なしに借りるが、返す時にはみんな心配するのと同じ事さ」とこんな時にすぐ返事の出来るのは迷亭君である。
「借りた金を返す事を考えないものは幸福であるごとく、死ぬ事を苦にせんものは幸福さ」と独仙君は超然として出世間的(しゅっせけんてき)である。
「君のように云うとつまり図太(ずぶと)いのが悟ったのだね」
「そうさ、禅語に鉄牛面(てつぎゅうめん)の鉄牛心(てつぎゅうしん)、牛鉄面の牛鉄心と云うのがある」
「そうして君はその標本と云う訳かね」
「そうでもない。しかし死ぬのを苦にするようになったのは神経衰弱と云う病気が発明されてから以後の事だよ」
「なるほど君などはどこから見ても神経衰弱以前の民だよ」
 迷亭と独仙が妙な掛合(かけあい)をのべつにやっていると、主人は寒月東風二君を相手にしてしきりに文明の不平を述べている。
「どうして借りた金を返さずに済ますかが問題である」
「そんな問題はありませんよ。借りたものは返さなくちゃなりませんよ」
「まあさ。議論だから、だまって聞くがいい。どうして借りた金を返さずに済ますかが問題であるごとく、どうしたら死なずに済むかが問題である。いな問題であった。錬金術(れんきんじゅつ)はこれである。すべての錬金術は失敗した。人間はどうしても死ななければならん事が分明(ぶんみょう)になった」
「錬金術以前から分明ですよ」
「まあさ、議論だから、だまって聞いていろ。いいかい。どうしても死ななければならん事が分明になった時に第二の問題が起る」
「へえ」
「どうせ死ぬなら、どうして死んだらよかろう。これが第二の問題である。自殺クラブはこの第二の問題と共に起るべき運命を有している」
「なるほど」
「死ぬ事は苦しい、しかし死ぬ事が出来なければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりもはなはだしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのが厭(いや)だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。ただたいていのものは智慧(ちえ)が足りないから自然のままに放擲(ほうてき)しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかし一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必(かなら)ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新(ざんしん)な名案を呈出するに違ない。だからして世界向後(こうご)の趨勢(すうせい)は自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法をもってこの世を去るに違ない」
「大分(だいぶ)物騒(ぶっそう)な事になりますね」
「なるよ。たしかになるよ。アーサー・ジョーンスと云う人のかいた脚本のなかにしきりに自殺を主張する哲学者があって……」
「自殺するんですか」
「ところが惜しい事にしないのだがね。しかし今から千年も立てばみんな実行するに相違ないよ。万年の後(のち)には死と云えば自殺よりほかに存在しないもののように考えられるようになる」
「大変な事になりますね」
「なるよきっとなる。そうなると自殺も大分研究が積んで立派な科学になって、落雲館のような中学校で倫理の代りに自殺学を正科として授けるようになる」
「妙ですな、傍聴に出たいくらいのものですね。迷亭先生御聞きになりましたか。苦沙弥先生の御名論を」
「聞いたよ。その時分になると落雲館の倫理の先生はこう云うね。諸君公徳などと云う野蛮の遺風を墨守(ぼくしゅ)してはなりません。世界の青年として諸君が第一に注意すべき義務は自殺である。しかして己(おの)れの好むところはこれを人に施(ほど)こして可なる訳だから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。ことに表の窮措大(きゅうそだい)珍野苦沙弥氏のごときものは生きてござるのが大分苦痛のように見受けらるるから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。もっとも昔と違って今日は開明の時節であるから槍(やり)、薙刀(なぎなた)もしくは飛道具の類(たぐい)を用いるような卑怯(ひきょう)な振舞をしてはなりません。ただあてこすりの高尚なる技術によって、からかい殺すのが本人のため功徳(くどく)にもなり、また諸君の名誉にもなるのであります。……」
「なるほど面白い講義をしますね」
「まだ面白い事があるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを第一の目的としている。ところがその時分になると巡査が犬殺しのような棍棒(こんぼう)をもって天下の公民を撲殺(ぼくさつ)してあるく。……」
「なぜです」
「なぜって今の人間は生命(いのち)が大事だから警察で保護するんだが、その時分の国民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲のために打(ぶ)ち殺してくれるのさ。もっとも少し気の利(き)いたものは大概自殺してしまうから、巡査に打殺(ぶちころ)されるような奴はよくよく意気地なしか、自殺の能力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。それで殺されたい人間は門口(かどぐち)へ張札をしておくのだね。なにただ、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけておけば巡査が都合のいい時に巡(まわ)ってきて、すぐ志望通り取計ってくれるのさ。死骸かね。死骸はやっぱり巡査が車を引いて拾ってあるくのさ。まだ面白い事が出来てくる。……」
「どうも先生の冗談(じょうだん)は際限がありませんね」と東風君は大(おおい)に感心している。すると独仙君は例の通り山羊髯(やぎひげ)を気にしながら、のそのそ弁じ出した。
「冗談と云えば冗談だが、予言と云えば予言かも知れない。真理に徹底しないものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫(ほうまつ)の夢幻(むげん)を永久の事実と認定したがるものだから、少し飛び離れた事を云うと、すぐ冗談にしてしまう」
「燕雀(えんじゃく)焉(いずく)んぞ大鵬(たいほう)の志(こころざし)を知らんやですね」と寒月君が恐れ入ると、独仙君はそうさと云わぬばかりの顔付で話を進める。
「昔(むか)しスペインにコルドヴァと云う所があった……」
「今でもありゃしないか」
「あるかも知れない。今昔の問題はとにかく、そこの風習として日暮れの鐘がお寺で鳴ると、家々の女がことごとく出て来て河へ這入(はい)って水泳をやる……」
「冬もやるんですか」
「その辺はたしかに知らんが、とにかく貴賤老若(きせんろうにゃく)の別なく河へ飛び込む。但(ただ)し男子は一人も交らない。ただ遠くから見ている。遠くから見ていると暮色蒼然(ぼしょくそうぜん)たる波の上に、白い肌(はだえ)が模糊(もこ)として動いている……」
「詩的ですね。新体詩になりますね。なんと云う所ですか」と東風君は裸体(らたい)が出さえすれば前へ乗り出してくる。
「コルドヴァさ。そこで地方の若いものが、女といっしょに泳ぐ事も出来ず、さればと云って遠くから判然その姿を見る事も許されないのを残念に思って、ちょっといたずらをした……」
「へえ、どんな趣向だい」といたずらと聞いた迷亭君は大(おおい)に嬉しがる。
「お寺の鐘つき番に賄賂(わいろ)を使って、日没を合図に撞(つ)く鐘を一時間前に鳴らした。すると女などは浅墓(あさはか)なものだから、そら鐘が鳴ったと云うので、めいめい河岸(かし)へあつまって半襦袢(はんじゅばん)、半股引(はんももひき)の服装でざぶりざぶりと水の中へ飛び込んだ。飛び込みはしたものの、いつもと違って日が暮れない」
「烈(はげ)しい秋の日がかんかんしやしないか」
「橋の上を見ると男が大勢立って眺(なが)めている。恥ずかしいがどうする事も出来ない。大に赤面したそうだ」
「それで」
「それでさ、人間はただ眼前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものだから気をつけないと駄目だと云う事さ」
「なるほどありがたい御説教だ。眼前の習慣に迷わされの御話しを僕も一つやろうか。この間ある雑誌をよんだら、こう云う詐欺師(さぎし)の小説があった。僕がまあここで書画骨董店(こっとうてん)を開くとする。で店頭に大家の幅(ふく)や、名人の道具類を並べておく。無論贋物(にせもの)じゃない、正直正銘(しょうじきしょうめい)、うそいつわりのない上等品ばかり並べておく。上等品だからみんな高価にきまってる。そこへ物数奇(ものずき)な御客さんが来て、この元信(もとのぶ)の幅はいくらだねと聞く。六百円なら六百円と僕が云うと、その客が欲しい事はほしいが、六百円では手元に持ち合せがないから、残念だがまあ見合せよう」
「そう云うときまってるかい」と主人は相変らず芝居気(しばいぎ)のない事を云う。迷亭君はぬからぬ顔で、
「まあさ、小説だよ。云うとしておくんだ。そこで僕がなに代(だい)は構いませんから、お気に入ったら持っていらっしゃいと云う。客はそうも行かないからと躊躇(ちゅうちょ)する。それじゃ月賦(げっぷ)でいただきましょう、月賦も細く、長く、どうせこれから御贔屓(ごひいき)になるんですから――いえ、ちっとも御遠慮には及びません。どうです月に十円くらいじゃ。何なら月に五円でも構いませんと僕が極(ごく)きさくに云うんだ。それから僕と客の間に二三の問答があって、とど僕が狩野法眼(かのうほうげん)元信の幅を六百円ただし月賦十円払込の事で売渡す」
「タイムスの百科全書見たようですね」
「タイムスはたしかだが、僕のはすこぶる不慥(ふたしか)だよ。これからがいよいよ巧妙なる詐偽に取りかかるのだぜ。よく聞きたまえ月十円ずつで六百円なら何年で皆済(かいさい)になると思う、寒月君」
「無論五年でしょう」
「無論五年。で五年の歳月は長いと思うか短かいと思うか、独仙君」
「一念万年(いちねんばんねん)、万年一念(ばんねんいちねん)。短かくもあり、短かくもなしだ」
「何だそりゃ道歌(どうか)か、常識のない道歌だね。そこで五年の間毎月十円ずつ払うのだから、つまり先方では六十回払えばいいのだ。しかしそこが習慣の恐ろしいところで、六十回も同じ事を毎月繰り返していると、六十一回にもやはり十円払う気になる。六十二回にも十円払う気になる。六十二回六十三回、回を重ねるにしたがってどうしても期日がくれば十円払わなくては気が済まないようになる。人間は利口のようだが、習慣に迷って、根本を忘れると云う大弱点がある。その弱点に乗じて僕が何度でも十円ずつ毎月得をするのさ」
「ハハハハまさか、それほど忘れっぽくもならないでしょう」と寒月君が笑うと、主人はいささか真面目で、
「いやそう云う事は全くあるよ。僕は大学の貸費(たいひ)を毎月毎月勘定せずに返して、しまいに向(むこう)から断わられた事がある」と自分の恥を人間一般の恥のように公言した。
「そら、そう云う人が現にここにいるからたしかなものだ。だから僕の先刻(さっき)述べた文明の未来記を聞いて冗談だなどと笑うものは、六十回でいい月賦を生涯(しょうがい)払って正当だと考える連中だ。ことに寒月君や、東風君のような経験の乏(とぼ)しい青年諸君は、よく僕らの云う事を聞いてだまされないようにしなくっちゃいけない」
「かしこまりました。月賦は必ず六十回限りの事に致します」
「いや冗談のようだが、実際参考になる話ですよ、寒月君」と独仙君は寒月君に向いだした。「たとえばですね。今苦沙弥君か迷亭君が、君が無断で結婚したのが穏当(おんとう)でないから、金田とか云う人に謝罪しろと忠告したら君どうです。謝罪する了見ですか」
「謝罪は御容赦にあずかりたいですね。向うがあやまるなら特別、私の方ではそんな慾はありません」
「警察が君にあやまれと命じたらどうです」
「なおなお御免蒙(ごめんこうむ)ります」
「大臣とか華族ならどうです」
「いよいよもって御免蒙ります」
「それ見たまえ。昔と今とは人間がそれだけ変ってる。昔は御上(おかみ)の御威光なら何でも出来た時代です。その次には御上の御威光でも出来ないものが出来てくる時代です。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかかる事が出来ない世の中です。はげしく云えば先方に権力があればあるほど、のしかかられるものの方では不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今の世は昔(むか)しと違って、御上の御威光だから出来ないのだと云う新現象のあらわれる時代です、昔しのものから考えると、ほとんど考えられないくらいな事柄が道理で通る世の中です。世態人情の変遷と云うものは実に不思議なもので、迷亭君の未来記も冗談だと云えば冗談に過ぎないのだが、その辺の消息を説明したものとすれば、なかなか味(あじわい)があるじゃないですか」
「そう云う知己(ちき)が出てくると是非未来記の続きが述べたくなるね。独仙君の御説のごとく今の世に御上の御威光を笠(かさ)にきたり、竹槍の二三百本を恃(たのみ)にして無理を押し通そうとするのは、ちょうどカゴへ乗って何でも蚊(か)でも汽車と競争しようとあせる、時代後れの頑物(がんぶつ)――まあわからずやの張本(ちょうほん)、烏金(からすがね)の長範先生(ちょうはんせんせい)くらいのものだから、黙って御手際(おてぎわ)を拝見していればいいが――僕の未来記はそんな当座間に合せの小問題じゃない。人間全体の運命に関する社会的現象だからね。つらつら目下文明の傾向を達観して、遠き将来の趨勢(すうせい)を卜(ぼく)すると結婚が不可能の事になる。驚ろくなかれ、結婚の不可能。訳はこうさ。前(ぜん)申す通り今の世は個性中心の世である。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格はまるでなかった。あっても認められなかった。それががらりと変ると、あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになる。ふたりの人が途中で逢えばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中(うち)で喧嘩(けんか)を買いながら行き違う。それだけ個人が強くなった。個人が平等に強くなったから、個人が平等に弱くなった訳になる。人がおのれを害する事が出来にくくなった点において、たしかに自分は強くなったのだが、滅多(めった)に人の身の上に手出しがならなくなった点においては、明かに昔より弱くなったんだろう。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのは誰もありがたくないから、人から一毫(いちごう)も犯(おか)されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛(はんもう)でも人を侵(おか)してやろうと、弱いところは無理にも拡(ひろ)げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる。出来るだけ自分を張りつめて、はち切れるばかりにふくれ返って苦しがって生存している。苦しいから色々の方法で個人と個人との間に余裕を求める。かくのごとく人間が自業自得で苦しんで、その苦し紛(まぎ)れに案出した第一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へ這入って見給え。一家一門(いっけいちもん)ことごとく一軒のうちにごろごろしている。主張すべき個性もなく、あっても主張しないから、あれで済むのだが文明の民はたとい親子の間でもお互に我儘(わがまま)を張れるだけ張らなければ損になるから勢(いきお)い両者の安全を保持するためには別居しなければならない。欧洲は文明が進んでいるから日本より早くこの制度が行われている。たまたま親子同居するものがあっても、息子(むすこ)がおやじから利息のつく金を借りたり、他人のように下宿料を払ったりする。親が息子の個性を認めてこれに尊敬を払えばこそ、こんな美風が成立するのだ。この風は早晩日本へも是非輸入しなければならん。親類はとくに離れ、親子は今日(こんにち)に離れて、やっと我慢しているようなものの個性の発展と、発展につれてこれに対する尊敬の念は無制限にのびて行くから、まだ離れなくては楽が出来ない。しかし親子兄弟の離れたる今日、もう離れるものはない訳だから、最後の方案として夫婦が分れる事になる。今の人の考ではいっしょにいるから夫婦だと思ってる。それが大きな了見違いさ。いっしょにいるためにはいっしょにいるに充分なるだけ個性が合わなければならないだろう。昔しなら文句はないさ、異体同心とか云って、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前(いちにんまえ)なんだからね。それだから偕老同穴(かいろうどうけつ)とか号して、死んでも一つ穴の狸に化ける。野蛮なものさ。今はそうは行かないやね。夫はあくまでも夫で妻はどうしたって妻だからね。その妻が女学校で行灯袴(あんどんばかま)を穿(は)いて牢乎(ろうこ)たる個性を鍛(きた)え上げて、束髪姿で乗り込んでくるんだから、とても夫の思う通りになる訳がない。また夫の思い通りになるような妻なら妻じゃない人形だからね。賢夫人になればなるほど個性は凄(すご)いほど発達する。発達すればするほど夫と合わなくなる。合わなければ自然の勢(いきおい)夫と衝突する。だから賢妻と名がつく以上は朝から晩まで夫と衝突している。まことに結構な事だが、賢妻を迎えれば迎えるほど双方共苦しみの程度が増してくる。水と油のように夫婦の間には截然(せつぜん)たるしきりがあって、それも落ちついて、しきりが水平線を保っていればまだしもだが、水と油が双方から働らきかけるのだから家のなかは大地震のように上がったり下がったりする。ここにおいて夫婦雑居はお互の損だと云う事が次第に人間に分ってくる。……」
「それで夫婦がわかれるんですか。心配だな」と寒月君が云った。
「わかれる。きっとわかれる。天下の夫婦はみんな分れる。今まではいっしょにいたのが夫婦であったが、これからは同棲(どうせい)しているものは夫婦の資格がないように世間から目(もく)されてくる」
「すると私なぞは資格のない組へ編入される訳ですね」と寒月君は際(きわ)どいところでのろけを云った。
「明治の御代(みよ)に生れて幸さ。僕などは未来記を作るだけあって、頭脳が時勢より一二歩ずつ前へ出ているからちゃんと今から独身でいるんだよ。人は失恋の結果だなどと騒ぐが、近眼者の視(み)るところは実に憐れなほど浅薄なものだ。それはとにかく、未来記の続きを話すとこうさ。その時一人の哲学者が天降(あまくだ)って破天荒(はてんこう)の真理を唱道する。その説に曰(いわ)くさ。人間は個性の動物である。個性を滅すれば人間を滅すると同結果に陥(おちい)る。いやしくも人間の意義を完(まった)からしめんためには、いかなる価(あたい)を払うとも構わないからこの個性を保持すると同時に発達せしめなければならん。かの陋習(ろうしゅう)に縛せられて、いやいやながら結婚を執行するのは人間自然の傾向に反した蛮風であって、個性の発達せざる蒙昧(もうまい)の時代はいざ知らず、文明の今日(こんにち)なおこの弊竇(へいとう)に陥(おちい)って恬(てん)として顧(かえり)みないのははなはだしき謬見(びゅうけん)である。開化の高潮度に達せる今代(きんだい)において二個の個性が普通以上に親密の程度をもって連結され得べき理由のあるべきはずがない。この覩易(みやす)き理由はあるにも関らず無教育の青年男女が一時の劣情に駆られて、漫(みだり)に合※(「丞/(厄-厂)」、第4水準2-3-54)(ごうきん)の式を挙ぐるは悖徳没倫(はいとくぼつりん)のはなはだしき所為である。吾人は人道のため、文明のため、彼等青年男女の個性保護のため、全力を挙げこの蛮風に抵抗せざるべからず……」
「先生私はその説には全然反対です」と東風君はこの時思い切った調子でぴたりと平手(ひらて)で膝頭(ひざがしら)を叩いた。「私の考では世の中に何が尊(たっと)いと云って愛と美ほど尊いものはないと思います。吾々を慰藉(いしゃ)し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く両者の御蔭であります。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗錬するのは全く両者の御蔭であります。だから吾人はいつの世いずくに生れてもこの二つのものを忘れることが出来ないです。この二つの者が現実世界にあらわれると、愛は夫婦と云う関係になります。美は詩歌(しいか)、音楽の形式に分れます。それだからいやしくも人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と芸術は決して滅する事はなかろうと思います」
「なければ結構だが、今哲学者が云った通りちゃんと滅してしまうから仕方がないと、あきらめるさ。なに芸術だ? 芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個性の発展というのは個性の自由と云う意味だろう。個性の自由と云う意味はおれはおれ、人は人と云う意味だろう。その芸術なんか存在出来る訳がないじゃないか。芸術が繁昌するのは芸術家と享受者(きょうじゅしゃ)の間に個性の一致があるからだろう。君がいくら新体詩家だって踏張(ふんば)っても、君の詩を読んで面白いと云うものが一人もなくっちゃ、君の新体詩も御気の毒だが君よりほかに読み手はなくなる訳だろう。鴛鴦歌(えんおうか)をいく篇作ったって始まらないやね。幸いに明治の今日(こんにち)に生れたから、天下が挙(こぞ)って愛読するのだろうが……」
「いえそれほどでもありません」
「今でさえそれほどでなければ、人文(じんぶん)の発達した未来即(すなわ)ち例の一大哲学者が出て非結婚論を主張する時分には誰もよみ手はなくなるぜ。いや君のだから読まないのじゃない。人々個々(にんにんここ)おのおの特別の個性をもってるから、人の作った詩文などは一向(いっこう)面白くないのさ。現に今でも英国などではこの傾向がちゃんとあらわれている。現今英国の小説家中でもっとも個性のいちじるしい作品にあらわれた、メレジスを見給え、ジェームスを見給え。読み手は極(きわ)めて少ないじゃないか。少ない訳(わけ)さ。あんな作品はあんな個性のある人でなければ読んで面白くないんだから仕方がない。この傾向がだんだん発達して婚姻が不道徳になる時分には芸術も完(まった)く滅亡さ。そうだろう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなった日にゃ、君と僕の間には芸術も糞もないじゃないか」
「そりゃそうですけれども私はどうも直覚的にそう思われないんです」
「君が直覚的にそう思われなければ、僕は曲覚的(きょっかくてき)にそう思うまでさ」
「曲覚的かも知れないが」と今度は独仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんか担(かつ)ぎ出すのも全くこの窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあんな哲学に変形したものだね。ちょっと見るとあれがあの男の理想のように見えるが、ありゃ理想じゃない、不平さ。個性の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多(めった)に寝返りも打てないから、大将少しやけになってあんな乱暴をかき散らしたのだね。あれを読むと壮快と云うよりむしろ気の毒になる。あの声は勇猛精進(ゆうもうしょうじん)の声じゃない、どうしても怨恨痛憤(えんこんつうふん)の音(おん)だ。それもそのはずさ昔は一人えらい人があれば天下翕然(きゅうぜん)としてその旗下にあつまるのだから、愉快なものさ。こんな愉快が事実に出てくれば何もニーチェ見たように筆と紙の力でこれを書物の上にあらわす必要がない。だからホーマーでもチェヴィ・チェーズでも同じく超人的な性格を写しても感じがまるで違うからね。陽気ださ。愉快にかいてある。愉快な事実があって、この愉快な事実を紙に写しかえたのだから、苦味(にがみ)はないはずだ。ニーチェの時代はそうは行かないよ。英雄なんか一人も出やしない。出たって誰も英雄と立てやしない。昔は孔子(こうし)がたった一人だったから、孔子も幅を利(き)かしたのだが、今は孔子が幾人もいる。ことによると天下がことごとく孔子かも知れない。だからおれは孔子だよと威張っても圧(おし)が利かない。利かないから不平だ。不平だから超人などを書物の上だけで振り廻すのさ。吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などはちょっといいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋じゃ昔しから心の修行をした。その方が正しいのさ。見給え個性発展の結果みんな神経衰弱を起して、始末がつかなくなった時、王者(おうしゃ)の民(たみ)蕩々(とうとう)たりと云う句の価値を始めて発見するから。無為(むい)にして化(か)すと云う語の馬鹿に出来ない事を悟るから。しかし悟ったってその時はもうしようがない。アルコール中毒に罹(かか)って、ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ」
「先生方は大分(だいぶ)厭世的な御説のようだが、私は妙ですね。いろいろ伺っても何とも感じません。どう云うものでしょう」と寒月君が云う。
「そりゃ妻君を持ち立てだからさ」と迷亭君がすぐ解釈した。すると主人が突然こんな事を云い出した。
「妻(さい)を持って、女はいいものだなどと思うと飛んだ間違になる。参考のためだから、おれが面白い物を読んで聞かせる。よく聴くがいい」と最前(さいぜん)書斎から持って来た古い本を取り上げて「この本は古い本だが、この時代から女のわるい事は歴然と分ってる」と云うと、寒月君が
「少し驚きましたな。元来いつ頃の本ですか」と聞く。「タマス・ナッシと云って十六世紀の著書だ」
「いよいよ驚ろいた。その時分すでに私の妻(さい)の悪口を云ったものがあるんですか」
「いろいろ女の悪口があるが、その内には是非君の妻(さい)も這入る訳だから聞くがいい」
「ええ聞きますよ。ありがたい事になりましたね」
「まず古来の賢哲が女性観を紹介すべしと書いてある。いいかね。聞いてるかね」
「みんな聞いてるよ。独身の僕まで聞いてるよ」
「アリストートル曰(いわ)く女はどうせ碌(ろく)でなしなれば、嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大きな碌でなしより、小さな碌でなしの方が災(わざわい)少なし……」
「寒月君の妻君は大きいかい、小さいかい」
「大きな碌でなしの部ですよ」
「ハハハハ、こりゃ面白い本だ。さああとを読んだ」
「或る人問う、いかなるかこれ最大奇蹟(さいだいきせき)。賢者答えて曰く、貞婦……」
「賢者ってだれですか」
「名前は書いてない」
「どうせ振られた賢者に相違ないね」
「次にはダイオジニスが出ている。或る人問う、妻を娶(めと)るいずれの時においてすべきか。ダイオジニス答えて曰く青年は未(いま)だし、老年はすでに遅し。とある」
「先生樽(たる)の中で考えたね」
「ピサゴラス曰(いわ)く天下に三の恐るべきものあり曰く火、曰く水、曰く女」
「希臘(ギリシャ)の哲学者などは存外迂濶(うかつ)な事を云うものだね。僕に云わせると天下に恐るべきものなし。火に入(い)って焼けず、水に入って溺れず……」だけで独仙君ちょっと行き詰る。
「女に逢ってとろけずだろう」と迷亭先生が援兵に出る。主人はさっさとあとを読む。
「ソクラチスは婦女子を御(ぎょ)するは人間の最大難事と云えり。デモスセニス曰く人もしその敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となく夜(よ)となく彼を困憊(こんぱい)起つあたわざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無学をもって世界における二大厄とし、マーカス・オーレリアスは女子は制御し難き点において船舶に似たりと云い、プロータスは女子が綺羅(きら)を飾るの性癖をもってその天稟(てんぴん)の醜を蔽(おお)うの陋策(ろうさく)にもとづくものとせり。ヴァレリアスかつて書をその友某におくって告げて曰く天下に何事も女子の忍んでなし得ざるものあらず。願わくは皇天憐(あわれみ)を垂れて、君をして彼等の術中に陥(おちい)らしむるなかれと。彼また曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや。避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、蜜(みつ)に似たる毒にあらずや。もし女子を棄つるが不徳ならば、彼等を棄てざるは一層の呵責(かしゃく)と云わざるべからず。……」
「もう沢山です、先生。そのくらい愚妻のわる口を拝聴すれば申し分はありません」
「まだ四五ページあるから、ついでに聞いたらどうだ」
「もうたいていにするがいい。もう奥方の御帰りの刻限だろう」と迷亭先生がからかい掛けると、茶の間の方で
「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ声がする。
「こいつは大変だ。奥方はちゃんといるぜ、君」
「ウフフフフ」と主人は笑いながら「構うものか」と云った。
「奥さん、奥さん。いつの間(ま)に御帰りですか」
 茶の間ではしんとして答がない。
「奥さん、今のを聞いたんですか。え?」
 答はまだない。
「今のはね、御主人の御考ではないですよ。十六世紀のナッシ君の説ですから御安心なさい」
「存じません」と妻君は遠くで簡単な返事をした。寒月君はくすくすと笑った。
「私も存じませんで失礼しましたアハハハハ」と迷亭君は遠慮なく笑ってると、門口(かどぐち)をあらあらしくあけて、頼むとも、御免とも云わず、大きな足音がしたと思ったら、座敷の唐紙が乱暴にあいて、多々良三平(たたらさんぺい)君の顔がその間からあらわれた。
 三平君今日はいつに似ず、真白なシャツに卸立(おろした)てのフロックを着て、すでに幾分か相場(そうば)を狂わせてる上へ、右の手へ重そうに下げた四本の麦酒(ビール)を縄ぐるみ、鰹節(かつぶし)の傍(そば)へ置くと同時に挨拶もせず、どっかと腰を下ろして、かつ膝を崩したのは目覚(めざま)しい武者振(むしゃぶり)である。
「先生胃病は近来いいですか。こうやって、うちにばかりいなさるから、いかんたい」
「まだ悪いとも何ともいやしない」
「いわんばってんが、顔色はよかなかごたる。先生顔色が黄(きい)ですばい。近頃は釣がいいです。品川から舟を一艘雇うて――私はこの前の日曜に行きました」
「何か釣れたかい」
「何も釣れません」
「釣れなくっても面白いのかい」
「浩然(こうぜん)の気を養うたい、あなた。どうですあなたがた。釣に行った事がありますか。面白いですよ釣は。大きな海の上を小舟で乗り廻わしてあるくのですからね」と誰彼の容赦なく話しかける。
「僕は小さな海の上を大船で乗り廻してあるきたいんだ」と迷亭君が相手になる。
「どうせ釣るなら、鯨(くじら)か人魚でも釣らなくっちゃ、詰らないです」と寒月君が答えた。
「そんなものが釣れますか。文学者は常識がないですね。……」
「僕は文学者じゃありません」
「そうですか、何ですかあなたは。私のようなビジネス・マンになると常識が一番大切ですからね。先生私は近来よっぽど常識に富んで来ました。どうしてもあんな所にいると、傍(はた)が傍だから、おのずから、そうなってしまうです」
「どうなってしまうのだ」
「煙草(たばこ)でもですね、朝日や、敷島(しきしま)をふかしていては幅が利(き)かんです」と云いながら、吸口に金箔(きんぱく)のついた埃及(エジプト)煙草を出して、すぱすぱ吸い出した、
「そんな贅沢(ぜいたく)をする金があるのかい」
「金はなかばってんが、今にどうかなるたい。この煙草を吸ってると、大変信用が違います」
「寒月君が珠を磨くよりも楽な信用でいい、手数(てすう)がかからない。軽便信用だね」と迷亭が寒月にいうと、寒月が何とも答えない間に、三平君は
「あなたが寒月さんですか。博士にゃ、とうとうならんですか。あなたが博士にならんものだから、私が貰う事にしました」
「博士をですか」
「いいえ、金田家の令嬢をです。実は御気の毒と思うたですたい。しかし先方で是非貰うてくれ貰うてくれと云うから、とうとう貰う事に極(き)めました、先生。しかし寒月さんに義理がわるいと思って心配しています」
「どうか御遠慮なく」と寒月君が云うと、主人は
「貰いたければ貰ったら、いいだろう」と曖昧(あいまい)な返事をする。
「そいつはおめでたい話だ。だからどんな娘を持っても心配するがものはないんだよ。だれか貰うと、さっき僕が云った通り、ちゃんとこんな立派な紳士の御聟(むこ)さんが出来たじゃないか。東風君新体詩の種が出来た。早速とりかかりたまえ」と迷亭君が例のごとく調子づくと三平君は
「あなたが東風君ですか、結婚の時に何か作ってくれませんか。すぐ活版にして方々へくばります。太陽へも出してもらいます」
「ええ何か作りましょう、いつ頃(ごろ)御入用(にゅうよう)ですか」
「いつでもいいです。今まで作ったうちでもいいです。その代りです。披露(ひろう)のとき呼んで御馳走(ごちそう)するです。シャンパンを飲ませるです。君シャンパンを飲んだ事がありますか。シャンパンは旨(うま)いです。――先生披露会のときに楽隊を呼ぶつもりですが、東風君の作を譜にして奏したらどうでしょう」
「勝手にするがいい」
「先生、譜にして下さらんか」
「馬鹿云え」
「だれか、このうちに音楽の出来るものはおらんですか」
「落第の候補者寒月君はヴァイオリンの妙手だよ。しっかり頼んで見たまえ。しかしシャンパンくらいじゃ承知しそうもない男だ」
「シャンパンもですね。一瓶(ひとびん)四円や五円のじゃよくないです。私の御馳走するのはそんな安いのじゃないですが、君一つ譜を作ってくれませんか」
「ええ作りますとも、一瓶二十銭のシャンパンでも作ります。なんならただでも作ります」
「ただは頼みません、御礼はするです。シャンパンがいやなら、こう云う御礼はどうです」と云いながら上着の隠袋(かくし)のなかから七八枚の写真を出してばらばらと畳の上へ落す。半身がある。全身がある。立ってるのがある。坐ってるのがある。袴(はかま)を穿(は)いてるがある。振袖(ふりそで)がある。高島田がある。ことごとく妙齢の女子ばかりである。
「先生候補者がこれだけあるです。寒月君と東風君にこのうちどれか御礼に周旋してもいいです。こりゃどうです」と一枚寒月君につき付ける。
「いいですね。是非周旋を願いましょう」
「これでもいいですか」とまた一枚つきつける。
「それもいいですね。是非周旋して下さい」
「どれをです」
「どれでもいいです」
「君なかなか多情ですね。先生、これは博士の姪(めい)です」
「そうか」
「この方は性質が極(ごく)いいです。年も若いです。これで十七です。――これなら持参金が千円あります。――こっちのは知事の娘です」と一人で弁じ立てる。
「それをみんな貰う訳にゃいかないでしょうか」
「みんなですか、それはあまり慾張りたい。君一夫多妻主義(いっぷたさいしゅぎ)ですか」
「多妻主義じゃないですが、肉食論者(にくしょくろんしゃ)です」
「何でもいいから、そんなものは早くしまったら、よかろう」と主人は叱りつけるように言い放ったので、三平君は
「それじゃ、どれも貰わんですね」と念を押しながら、写真を一枚一枚にポッケットへ収めた。
「何だいそのビールは」
「お見やげでござります。前祝(まえいわい)に角(かど)の酒屋で買うて来ました。一つ飲んで下さい」
 主人は手を拍(う)って下女を呼んで栓(せん)を抜かせる。主人、迷亭、独仙、寒月、東風の五君は恭(うやうや)しくコップを捧げて、三平君の艶福(えんぷく)を祝した。三平君は大(おおい)に愉快な様子で
「ここにいる諸君を披露会に招待しますが、みんな出てくれますか、出てくれるでしょうね」と云う。
「おれはいやだ」と主人はすぐ答える。
「なぜですか。私の一生に一度の大礼(たいれい)ですばい。出てくんなさらんか。少し不人情のごたるな」
「不人情じゃないが、おれは出ないよ」
「着物がないですか。羽織と袴(はかま)くらいどうでもしますたい。ちと人中(ひとなか)へも出るがよかたい先生。有名な人に紹介して上げます」
「真平(まっぴら)ご免(めん)だ」
「胃病が癒(なお)りますばい」
「癒らんでも差支(さしつか)えない」
「そげん頑固張(がんこば)りなさるならやむを得ません。あなたはどうです来てくれますか」
「僕かね、是非行くよ。出来るなら媒酌人(ばいしゃくにん)たるの栄を得たいくらいのものだ。シャンパンの三々九度や春の宵。――なに仲人(なこうど)は鈴木の藤(とう)さんだって? なるほどそこいらだろうと思った。これは残念だが仕方がない。仲人が二人出来ても多過ぎるだろう、ただの人間としてまさに出席するよ」
「あなたはどうです」
「僕ですか、一竿風月(いっかんのふうげつ)閑生計(かんせいけい)、人釣(ひとはつりす)白蘋紅蓼間(はくひんこうりょうのかん)」
「何ですかそれは、唐詩選ですか」
「何だかわからんです」
「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでしょうね。今までの関係もあるから」
「きっと出る事にします、僕の作った曲を楽隊が奏するのを、きき落すのは残念ですからね」
「そうですとも。君はどうです東風君」
「そうですね。出て御両人(ごりょうにん)の前で新体詩を朗読したいです」
「そりゃ愉快だ。先生私は生れてから、こんな愉快な事はないです。だからもう一杯ビールを飲みます」と自分で買って来たビールを一人でぐいぐい飲んで真赤(まっか)になった。
 短かい秋の日はようやく暮れて、巻煙草の死骸(しがい)が算を乱す火鉢のなかを見れば火はとくの昔に消えている。さすが呑気(のんき)の連中も少しく興が尽きたと見えて、「大分(だいぶ)遅くなった。もう帰ろうか」とまず独仙君が立ち上がる。つづいて「僕も帰る」と口々に玄関に出る。寄席(よせ)がはねたあとのように座敷は淋しくなった。
 主人は夕飯(ゆうはん)をすまして書斎に入る。妻君は肌寒(はださむ)の襦袢(じゅばん)の襟(えり)をかき合せて、洗(あら)い晒(ざら)しの不断着を縫う。小供は枕を並べて寝る。下女は湯に行った。
 呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かも知れないが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨(たます)りをやめてとうとうお国から奥さんを連れて来た。これが順当だ。しかし順当が永く続くと定めし退屈だろう。東風君も今十年したら、無暗に新体詩を捧げる事の非を悟るだろう。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がむずかしい。生涯(しょうがい)三鞭酒(シャンパン)を御馳走して得意と思う事が出来れば結構だ。鈴木の藤(とう)さんはどこまでも転(ころ)がって行く。転がれば泥がつく。泥がついても転がれぬものよりも幅が利(き)く。猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分ではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うていたが、先達(せんだっ)てカーテル・ムルと云う見ず知らずの同族が突然大気※(「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64)(だいきえん)を揚(あ)げたので、ちょっと吃驚(びっくり)した。よくよく聞いて見たら、実は百年前(ぜん)に死んだのだが、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥土(めいど)から出張したのだそうだ。この猫は母と対面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の肴(さかな)を啣(くわ)えて出掛けたところ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、自分で食ってしまったと云うほどの不孝ものだけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時などは詩を作って主人を驚かした事もあるそうだ。こんな豪傑がすでに一世紀も前に出現しているなら、吾輩のような碌(ろく)でなしはとうに御暇(おいとま)を頂戴して無何有郷(むかうのきょう)に帰臥(きが)してもいいはずであった。
 主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木(こ)の葉は大概落ち尽した。死ぬのが万物の定業(じょうごう)で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢こいかも知れない。諸先生の説に従えば人間の運命は自殺に帰するそうだ。油断をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか気がくさくさして来た。三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろう。
 勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間(ま)にか消えているが、月夜と思われて窓から影がさす。コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。硝子(ガラス)の中のものは湯でも冷たい気がする。まして夜寒の月影に照らされて、静かに火消壺(ひけしつぼ)とならんでいるこの液体の事だから、唇をつけぬ先からすでに寒くて飲みたくもない。しかしものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、真赤(まっか)になって、熱苦(あつくる)しい息遣(いきづか)いをした。猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにしておく事だ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔(く)やんでもおっつかない。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興(すいきょう)でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性(しょう)が合わない。これは大変だと一度は出した舌を引込(ひっこ)めて見たが、また考え直した。人間は口癖のように良薬口に苦(にが)しと言って風邪(かぜ)などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒(なお)るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸(さいわい)だ。この問題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中までにがくなったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲(もう)け者(もの)で、近所の猫へ教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。眼をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。
 吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽(らく)になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭(ぬぐ)うがごとく腹内(ふくない)に収めた。
 それからしばらくの間は自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食(くら)えと云う気になる。金田のじいさんを引掻(ひっか)いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。起(た)ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。
 陶然とはこんな事を云うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、しないような心持でしまりのない足をいい加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寝ているのだか、あるいてるのだか判然しない。眼はあけるつもりだが重い事夥(おびただ)しい。こうなればそれまでだ。海だろうが、山だろうが驚ろかないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、――やられた。どうやられたのか考える間(ま)がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしまった。
 我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈(やたら)に掻(か)いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足(あとあし)で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応(てごたえ)があった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きな甕(かめ)の中に落ちている。この甕(かめ)は夏まで水葵(みずあおい)と称する水草(みずくさ)が茂っていたがその後烏の勘公が来て葵を食い尽した上に行水(ぎょうずい)を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。近来は大分(だいぶ)減って烏が見えないなと先刻(さっき)思ったが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使おうなどとは思いも寄らなかった。
 水から縁(ふち)までは四寸余(よ)もある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気(のんき)にしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気は焦(あせ)るが、足はさほど利(き)かなくなる。ついにはもぐるために甕を掻くのか、掻くためにもぐるのか、自分でも分りにくくなった。
 その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責(かしゃく)に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面(おもて)にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりようがなければいくらも掻(が)いても、あせっても、百年の間身を粉(こ)にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自(みずか)ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問(ごうもん)に罹(かか)っているのは馬鹿気ている。
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙(めんこうむ)るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。
 次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支(さしつか)えはない。ただ楽である。否(いな)楽そのものすらも感じ得ない。日月(じつげつ)を切り落し、天地を粉韲(ふんせい)して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。





底本:「夏目漱石全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年9月29日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:渡部峰子(一)、おのしげひこ(二、五)、田尻幹二(三)、高橋真也(四、七、八、十、十一)、しず(六)、瀬戸さえ子(九)
1999年9月17日公開
2005年11月16日修正
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