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一兵卒と銃(いっぺいそつとじゅう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-21 8:44:41  点击:  切换到繁體中文

 きりふかい六ぐわつよるだつた。丁度ちやうどはら出張演習しゆつちやうえんしふ途上とじやうのことで、ながい四れつ縱隊じうたいつくつた我我われわれのA歩兵ほへい聯隊れんたいはC街道かいだうきたきたへと行進かうしんしてゐた。
 かぜはなかつた。空氣くうきみづのやうにおもしづんでゐた。人家じんかも、燈灯ともしびも、はたけも、もりも、かはも、をかも、そしてあるいてゐる我我われわれからだも、はひとかしたやうな夜霧よぎりうみつつまれてゐるのであつた。頭上づじやうには處處しよしよかすかな星影ほしかげかんじられた。
「おい小泉こいづみやにすぢやないか‥‥」と、わたし右隣みぎどなりあるいてゐる、これも一ねん志願兵しぐわんへい河野かうのささやいた。
「さうだ、まつたすね。わるくすると、明日あしたあめだぜ‥‥」と、わたしざまこたへた。河野かうのねむさうなやみなかにチラリとひかつた。
「うむ‥‥」と、河野かうのうなづいた。「しかし、演習地えんしふちあめ閉口へいこうするな‥‥」と、かれはまたつかれたやうなこゑつた。
「ほんとにあめやだな‥‥」と、わたしはシカシカするそら見上みあげた。
 よる大分だいぶんけてゐた。「遼陽城頭れうやうじやうとうけて‥‥」と、さつきまで先登せんとうの一大隊だいたいはうきこえてゐた軍歌ぐんかこゑももう途絶とだえてしまつた。兵營へいえいからすでに十ちか行程かうていと、息詰いきづまるやうにしするよる空氣くうきと、ねむたさと空腹くうふくとにされて、兵士達へいしたちつかれきつてゐた。たれもがからだをぐらつかせながら、まるで出來できわる機械人形きかいにんぎやうのやうなあしはこんでゐたのだつた。隊列たいれつ可成かなみだれてゐた。
 わたし左側ひだりがはにゐる中根なかね等卒とうそつはもう一時間じかんまへから半分はんぶんくちをダラリとけて、ねむつたままあるいてゐた。平生へいぜいからお人好ひとよしで、愚圖ぐづで、低能ていのうかれは、もともとだらしのないをとこだつたが、いままつた正體しやうたいうしなつてゐた。かれ何度なんどわたしかたたふれかゝつたかれなかつた。そしてまた何度なんどわたしみちそとへよろけさうとするかれおさへてやつたかれなかつた。
「おい、ちやああぶないぞ‥‥」と、わたし度毎たびごとにハラハラしてかれ脊中せなかたたけた。が、瞬間しゆんかんにひよいといて足元あしもとかためるだけで、またぐにひよろつきすのであつた。
「みんなねむつちやいかん‥‥」と、時時ときどき我我われわれ分隊長ぶんたいちやう高岡軍曹たかをかぐんそう無理作むりづくりのドラごゑげた[#「げた」は底本では「けた」]。が、中根なかねばかりではない、どの兵士達へいしたちももうそれにみみすだけの氣力きりよくはなかつた。そして、まるで酒場さかばひどれのやうな兵士へいし集團しふだんしめつた路上ろじやうおもくつりながら、革具かはぐをぎゆつぎゆつきしらせながら劍鞘けんざやたがひにかちあはせながら、折折をりをり寢言ねごとのやうなうなごゑてながら、まだ五六さきのNはらまであるかなければならなかつた。
「Fまちはまだかな‥‥」とまた河野かうのいて、おもしたやうにたづねた。
「もうきだ。よつぽどまへにEはしわたつたからな‥‥」と、わたしねむたさをこらへながら生返事なまへんじをした。
「さうか、それでもまださきはなかなかとほいなあ‥‥」と、河野かうの右手みぎてじうおもさうにずりげながらつた。
「うん、それもさうだが、なにしろおれはもうねむくて閉口へいこうだ。此處ここらでゴロリとやつちまひたいな‥‥」
まつたくだ。いま一寢入ひとねいりさせてくれりやあいのちらないな‥‥」
「はは、かうなりやあ人間にんげんもみじめだ‥‥」と、わたし暗闇くらやみなか我知われしらず苦笑くせうした。
 河野かうのわたしもそのままくちつぐんだ。そして、時々ときどきよろけてかたかたをぶつけつたりしながらあるいてゐた。わたしはもうになる中根なかねことなんかをかんがへるすきはなかつた。自分自身じぶんじしんまるで地上ちじやうあるいてゐるやうな氣持きもちはしなかつた。おも背嚢はいなうけられるかたじうささへた右手みぎてゆびあしかかと――その處處ところどころにヅキヅキするやうないたみをかんじながら、それを自分じぶんからだいたみとはつきり意識いしきするちからさへもなかつた。そして、――てはならん‥‥と、一所懸命しよけんめいかんがへてはゐながら、何時いつにかトロリとまぶたちて、くびがガクリとなる。あしがくたくたとまがるやうながする。はつとくと、まへ兵士へいし背嚢はいなう鼻先はなさきがくつついてゐたりした。
ねむつては危險きけんだぞ。左手ひだりてかはけろ‥‥」と、しばらくすると突然とつぜんまへはう小隊長せうたいちやう大島少尉おほしませうゐ呶鳴どなこゑきこえた。
 わたしはきよつとしてひらいた。と、左手ひだりてはう人家じんか燈灯ともしびがぼんやりひかつてゐた――Fまちかな‥‥とおもひながらやみなか見透みすかすと、街道かいだう沿うてながれてゐるせま小川をがは水面みづもがいぶしぎんのやうにひかつてゐた。きり何時いつしかうすらいでたのか、とほくのひく丘陵きうりよう樹木じゆもくかげ鉛色なまりいろそらにしてうつすりとえた。
志願兵殿しぐわんへいどの何時なんじでありますか‥‥」と、背後うしろから兵士へいし一人ひとりたづねた。
「一十五分前ふんまへだ‥‥」と、わたし覺束おぼつかない星明ほしあかりに腕時計うでどけいをすかしてながらこたへた。
 が、さうこたへながらもよるがそんなにけたかとおもふと同時どうじに、わたしねむたさは一さうくなつた。そして、ふらふらしながらあるつづけてゐるうち現實的げんじつてき意識いしきほとんえて、へんにぼやけたあたまなか祖母そぼ友達ともだちかほうかあがつたり、三四日前かまへにKくわん活動寫眞くわつどうしやしん場面ばめんはしつたりした。――ゆめかな‥‥とおもふと、空洞うつろたたくやうな兵士達へいしたちにぶ靴音くつおとみみいた。――あるいてるんだな‥‥とおもふと、何時いつにからないをんなわらがほまへにはつきりえたりした。仕舞しまひには、そのどつちがほんとの自分じぶん區別くべつ出來できなくなつた。そして、時時ときどき我知わたしらずぐらぐらとひよろけ自分じぶんからだをどうすることも出來できなかつた。
 何分なんぷんつた。突然とつぜん一人ひとり兵士へいしわたしからだひだりからたふれかかつた。わたしははつとしてひらいた。その瞬間しゆんかんわたしひだりほほなにかにやとほどげられた。
いたい、だれだつ‥‥」と、わたしからだこたへながらその兵士へいしばした。と、かれやみなかをひよろけてまた背後はいご兵士へいしあたつた、「けろい‥‥」と、その兵士へいし呶鳴どなつた。かれはやつとわれかへつてあるした。
中根なかねだな、相變あひかはらず爲樣しやうのないやつだ‥‥」と、わたし銃身じうしんげられたひだりほほおさへながら、忌々いまいましさに舌打したうちした。
 が、この出來事できごとわたし眠氣ねむけ瞬間しゆんかんましてしまつた。やみなか見透みすかすと、人家じんか燈灯ともしびはもうえなくなつてゐた。Fまち夢中むちうとほぎてしまつたのだつた。そして、變化へんくわのない街道かいだう相變あいかはらず小川をがは沿うて、たひら田畑たはたあひだをまつぐにはしつてゐた。きりほとんあがつて、そらには星影ほしかげがキラキラとした。ひんやりした夜氣やききふからだにぞくぞくかんじられてた。
「おい河野かうの‥‥」と、わたしへん心細こころほそさとさびしさを意識いしきして、右手みぎていてことばけたが、河野かうのこたへなかつた。くびをダラリとまへげて、かれねむりながらあるいてゐた。
 ――しかし、みんなやつてるな‥‥と、つづいて周圍しうゐ見廻みまはしたときわたし夜行軍やかうぐん可笑をかしさとみじめさかんじてつぶやいた。四列縱隊れつじうたいは五れつになり三れつになりして、兵士達へいしたちはまるで夢遊病者むいうびやうしやのやうにそろそろあるいてゐるのだつた。指揮刀しきたうさや銀色ぎんいろやみなかひらめかしてゐる小隊長せうたいちやう大島少尉おほしませうゐさへよろけながらあるいてゐるのが、五六さきえた。
 が、そけてしまつたわたしあたまなかへんおもく、それにさむさがくははつててゾクゾク毛穴けあながそばつのがたまらなく不愉快ふゆくわいだつた。わたしくびをすくめていたあしりながらあるつづけてゐた。
「さうだ、もうつき時分じぶんだな‥‥」と、しばらくしてわたしとほひがしはう地平線ちへいせんしらんでたのにがついてつぶやいた。そのそらあかるみをうつみづや、處處ところどころ雜木林ざふきばやしかげ蒼黒あをぐろよるやみなかあがつてした。わたしはそれをぢつと見詰みつめてゐるうちに、なんとなく感傷的かんしやうてき氣分きぶんちてた。そして、そんなとき何時いつものくせで、Sのうたなんかを小聲こごゑうたした。何分なんぷんかがさうしてぎた。
 と、いきなりひだりはうでガチヤガチヤと劍鞘けんざやおとがした。ゴソツとくつにこすれるおとがした。同時どうじに「ウウツ‥‥」とうな人聲ひとごゑがした。わたしがぎよツとしてかへすきもなかつた。たちまよる暗闇くらやみなかはげしい水煙みづけむりつて、一人ひとり兵士へいし小川をがはなかにバチヤンとんでしまつた。
 ――とうとうやつたな‥‥と、わたしおもつた。そして、總身そうみ身顫みぶるひをかんじながらどまつた。中根なかね姿すがたえなかつた。小川をがはあぶらのやうな水面すゐめんおほきく波立なみだつて、眞黒まつくろ人影ひとかげこはれた蝙蝠傘かうもりがさのやうにうごいてゐた。
だれだ、だれだ‥‥」と、小隊せうたいの四五にん川岸かはぎしまつた。

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