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牛をつないだ椿の木(うしをつないだつばきのき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-21 9:10:44  点击:  切换到繁體中文

 一

 山(やま)の中(なか)の道(みち)のかたわらに、椿(つばき)の若木(わかぎ)がありました。牛曳(うしひ)きの利助(りすけ)さんは、それに牛(うし)をつなぎました。
 人力曳(じんりきひ)きの海蔵(かいぞう)さんも、椿(つばき)の根本(ねもと)へ人力車(じんりきしゃ)をおきました。人力車(じんりきしゃ)は牛(うし)ではないから、つないでおかなくってもよかったのです。
 そこで、利助(りすけ)さんと海蔵(かいぞう)さんは、水(みず)をのみに山(やま)の中(なか)にはいってゆきました。道(みち)から一町(ちょう)ばかり山(やま)にわけいったところに、清(きよ)くてつめたい清水(しみず)がいつも湧(わ)いていたのであります。
 二人(ふたり)はかわりばんこに、泉(いずみ)のふちの、しだやぜんまい[#「しだ」「ぜんまい」に傍点]の上(うえ)に両手(りょうて)をつき、腹(はら)ばいになり、つめたい水(みず)の匂(にお)いをかぎながら、鹿(しか)のように水(みず)をのみました。はらの中(なか)が、ごぼごぼいうほどのみました。
 山(やま)の中(なか)では、もう春蝉(はるぜみ)が鳴(な)いていました。
「ああ、あれがもう鳴(な)き出(だ)したな。あれをきくと暑(あつ)くなるて。」
と、海蔵(かいぞう)さんが、まんじゅう笠(がさ)をかむりながらいいました。
「これからまたこの清水(しみず)を、ゆききのたンびに飲(の)ませてもらうことだて。」
と、利助(りすけ)さんは、水(みず)をのんで汗(あせ)が出(で)たので、手拭(てぬぐ)いでふきふきいいました。
「もうちと、道(みち)に近(ちか)いとええがのオ。」
海蔵(かいぞう)さんがいいました。
「まったくだて。」
と、利助(りすけ)さんが答(こた)えました。ここの水(みず)をのんだあとでは、誰(だれ)でもそんなことを挨拶(あいさつ)のようにいいあうのがつねでした。
 二人(ふたり)が椿(つばき)のところへもどって来(く)ると、そこに自転車(じてんしゃ)をとめて、一人(ひとり)の男(おとこ)の人(ひと)が立(た)っていました。その頃(ころ)は自転車(じてんしゃ)が日本(にっぽん)にはいって来(き)たばかりのじぶんで、自転車(じてんしゃ)を持(も)っている人(ひと)は、田舎(いなか)では旦那衆(だんなしゅう)にきまっていました。
誰(だれ)だろう。」
と、利助(りすけ)さんが、おどおどしていいました。
区長(くちょう)さんかも知(し)れん。」
と、海蔵(かいぞう)さんがいいました。そばに来(き)てみると、それはこの附近(ふきん)の土地(とち)を持(も)っている、町(まち)の年(とし)とった地主(じぬし)であることがわかりました。そして、も一つわかったことは、地主(じぬし)がかんかんに怒(おこ)っていることでした。
「やいやい、この牛(うし)は誰(だれ)の牛(うし)だ。」
と、地主(じぬし)は二人(ふたり)をみると、どなりつけました。その牛(うし)は利助(りすけ)さんの牛(うし)でありました。
「わしの牛(うし)だがのイ。」
「てめえの牛(うし)? これを見(み)よ。椿(つばき)の葉(は)をみんな喰(く)ってすっかり坊主(ぼうず)にしてしまったに。」
 二人(ふたり)が、牛(うし)をつないだ椿(つばき)の木(き)を見(み)ると、それは自転車(じてんしゃ)をもった地主(じぬし)がいったとおりでありました。若(わか)い椿(つばき)の、柔(やわ)らかい葉(は)はすっかりむしりとられて、みすぼらしい杖(つえ)のようなものが立(た)っていただけでした。
 利助(りすけ)さんは、とんだことになったと思(おも)って、顔(かお)をまっかにしながら、あわてて木(き)から綱(つな)をときました。そして申(もう)しわけに、牛(うし)の首(くび)ったまを、手綱(たづな)でぴしりと打(う)ちました。
 しかし、そんなことぐらいでは、地主(じぬし)はゆるしてくれませんでした。地主(じぬし)は大人(おとな)の利助(りすけ)さんを、まるで子供(こども)を叱(しか)るように、さんざん叱(しか)りとばしました。そして自転車(じてんしゃ)のサドルをパンパン叩(たた)きながら、こういいました。
「さあ、何(なん)でもかんでも、もとのように葉(は)をつけてしめせ。」
 これは無理(むり)なことでありました。そこで人力曳(じんりきひ)きの海蔵(かいぞう)さんも、まんじゅう笠(がさ)をぬいで、利助(りすけ)さんのためにあやまってやりました。
「まあまあ、こんどだけはかに[#「かに」に傍点]してやっとくんやす。利助(りすけ)さも、まさか牛(うし)が椿(つばき)を喰(く)ってしまうとは知(し)らずにつないだことだて。」
 そこでようやく地主(じぬし)は、はらのむしがおさまりました。けれど、あまりどなりちらしたので、体(からだ)がふるえるとみえて、二、三べん自転車(じてんしゃ)に乗(の)りそこね、それからうまくのって、行(い)ってしまいました。
 利助(りすけ)さんと海蔵(かいぞう)さんは、村(むら)の方(ほう)へ歩(ある)きだしました。けれどもう話(はなし)をしませんでした。大人(おとな)が大人(おとな)に叱(しか)りとばされるというのは、情(なさ)けないことだろうと、人力曳(じんりきひ)きの海蔵(かいぞう)さんは、利助(りすけ)さんの気持(きも)ちをくんでやりました。
「もうちっと、あの清水(しみず)が道(みち)に近(ちか)いとええだがのオ。」
と、とうとう海蔵(かいぞう)さんが言(い)いました。
「まったくだて。」
と、利助(りすけ)さんが答(こた)えました。

  二
 
 海蔵(かいぞう)さんが人力曳(じんりきひ)きのたまり場(ば)へ来(く)ると、井戸掘(いどほ)りの新五郎(しんごろう)さんがいました。人力曳(じんりきひ)きのたまり場(ば)といっても、村(むら)の街道(かいどう)にそった駄菓子屋(だがしや)のことでありました。そこで井戸掘(いどほ)りの新五郎(しんごろう)さんは、油菓子(あぶらがし)をかじりながら、つまらぬ話(はなし)を大(おお)きな声(こえ)でしていました。井戸(いど)の底(そこ)から、外(そと)にいる人(ひと)にむかって話(はなし)をするために、井戸新(いどしん)さんの声(こえ)が大(おお)きくなってしまったのであります。
井戸(いど)ってもなア、いったいいくらくらいで掘(ほ)れるもんかイ、井戸新(いどしん)さ。」
と、海蔵(かいぞう)さんは、じぶんも駄菓子箱(だがしばこ)から油菓子(あぶらがし)を一本(ぽん)つまみだしながらききました。
 井戸新(いどしん)さんは、人足(にんそく)がいくらいくら、井戸囲(いどがこ)いの土管(どかん)がいくらいくら、土管(どかん)のつぎめを埋(う)めるセメントがいくらと、こまかく説明(せつめい)して、
先(ま)ず、ふつうの井戸(いど)なら、三十円(えん)もあればできるな。」
と、いいました。
「ほオ、三十円(えん)な。」
と、海蔵(かいぞう)さんは、眼(め)をまるくしました。それからしばらく、油菓子(あぶらがし)をぼりぼりかじっていましたが、
「しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]を下(お)りたところに掘(ほ)ったら、水(みず)が出(で)るだろうかなア。」
と、ききました。それは、利助(りすけ)さんが牛(うし)をつないだ椿(つばき)の木(き)のあたりのことでありました。
「うん、あそこなら、出(で)ようて、前(まえ)の山(やま)で清水(しみず)が湧(わ)くくらいだから、あの下(した)なら水(みず)は出(で)ようが、あんなところへ井戸(いど)を掘(ほ)って何(なん)にするや。」
と、井戸新(いどしん)さんがききました。
「うん、ちっとわけがあるだて。」
と、答(こた)えたきり、海蔵(かいぞう)さんはそのわけをいいませんでした。
 海蔵(かいぞう)さんは、からの人力車(じんりきしゃ)をひきながら家(いえ)に帰(かえ)ってゆくとき、
「三十円(えん)な。……三十円(えん)か。」
と、何度(なんど)もつぶやいたのでありました。
 海蔵(かいぞう)さんは藪(やぶ)をうしろにした小(ちい)さい藁屋(わらや)に、年(とし)とったお母(かあ)さんと二人(ふたり)きりで住(す)んでいました。二人(ふたり)は百姓仕事(ひゃくしょうしごと)をし、暇(ひま)なときには海蔵(かいぞう)さんが、人力車(じんりきしゃ)を曳(ひ)きに出(で)ていたのであります。
 夕飯(ゆうはん)のときに二人(ふたり)は、その日(ひ)にあったことを話(はな)しあうのが、たのしみでありました。年(とし)とったお母(かあ)さんは隣(となり)の鶏(にわとり)が今日(きょう)はじめて卵(たまご)をうんだが、それはおかしいくらい小(ちい)さかったこと、背戸(せど)の柊(ひいらぎ)の木(き)に蜂(はち)が巣(す)をかけるつもりか、昨日(きのう)も今日(きょう)も様子(ようす)を見(み)に来(き)たが、あんなところに蜂(はち)の巣(す)をかけられては、味噌部屋(みそべや)へ味噌(みそ)をとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話(はな)しました。
 海蔵(かいぞう)さんは、水(みず)をのみにいっている間(あいだ)に利助(りすけ)さんの牛(うし)が椿(つばき)の葉(は)を喰(く)ってしまったことを話(はな)して、
「あそこの道(みち)ばたに井戸(いど)があったら、いいだろにのオ。」と、いいました。
「そりゃ、道(みち)ばたにあったら、みんながたすかる。」
と、いって、お母(かあ)さんは、あの道(みち)の暑(あつ)い日盛(ひざか)りに通(とお)る人々(ひとびと)をかぞえあげました。大野(おおの)の町(まち)から車(くるま)をひいて来(く)る油売(あぶらう)り、半田(はんだ)の町(まち)から大野(おおの)の町(まち)へ通(とお)る飛脚屋(ひきゃくや)、村(むら)から半田(はんだ)の町(まち)へでかけてゆく羅宇屋(らうや)の富(とみ)さん、そのほか沢山(たくさん)の荷馬車曳(にばしゃひ)き、牛車曳(ぎゅうしゃひ)き、人力曳(じんりきひ)き、遍路(へんろ)さん、乞食(こじき)、学校生徒(がっこうせいと)などをかぞえあげました。これらの人(ひと)ののど[#「のど」に傍点]がちょうどしんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]あたりで乾(かわ)かぬわけにはいきません。
「だで、道(みち)のわきに井戸(いど)があったら、どんなにかみんながたすかる。」
と、お母(かあ)さんは話(はなし)をむすびました。
 三十円(えん)くらいで、その井戸(いど)が掘(ほ)れるということを、海蔵(かいぞう)さんが話(はな)しました。
「うちのような貧乏人(びんぼうにん)にゃ、三十円(えん)といや大(たい)した金(かね)で眼(め)がまうが、利助(りすけ)さんとこのような成金(なりきん)にとっちゃ、三十円(えん)ばかりは何(なん)でもあるまい。」
と、お母(かあ)さんはいいました。海蔵(かいぞう)さんは、せんだって利助(りすけ)さんが、山林(さんりん)でたいそうなお金(かね)を儲(もう)けたそうなときいたことをおもいだしました。
 ひと風呂(ふろ)あびてから、海蔵(かいぞう)さんは牛車曳(ぎゅうしゃひ)きの利助(りすけ)さんの家(いえ)へ出(で)かけました。
 うしろ山(やま)で、ほオほオと梟(ふくろう)が鳴(な)いていて、崖(がけ)の上(うえ)の仁左(にざ)エ門(もん)さんの家(いえ)では、念仏講(ねんぶつこう)があるのか、障子(しょうじ)にあかりがさし、木魚(もくぎょ)の音(おと)が、崖(がけ)の下(した)のみちまでこぼれていました。もう夜(よる)でありました。行(い)ってみると、働(はたら)き者(もの)の利助(りすけ)さんは、まだ牛小屋(うしごや)の中(なか)のくらやみで、ごそごそと何(なに)かしていました。
「えらい精(せい)が出(で)るのオ。」
と、海蔵(かいぞう)さんがいいました。
「なに、あれから二へん半田(はんだ)まで通(かよ)ってのオ、ちょっとおくれただてや。」
といいながら、牛(うし)の腹(はら)の下(した)をくぐって利助(りすけ)さんが出(で)て来(き)ました。
 二人(ふたり)が縁(えん)ばなに腰(こし)をかけると、海蔵(かいぞう)さんが、
「なに、きょうのしんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]のことだがのオ。」
と、話(はな)しはじめました。
「あの道(みち)ばたに井戸(いど)を一つ掘(ほ)ったら、みんながたすかると思(おも)うがのオ。」
と、海蔵(かいぞう)さんがもちかけました。
「そりゃ、たすかるのオ。」
と、利助(りすけ)さんがうけました。
牛(うし)が椿(つばき)の葉(は)をくっちまうまで知(し)らんどったのは、清水(しみず)が道(みち)から遠(とお)すぎるからだのオ。」
「そりゃ、そうだのオ。」
「三十円(えん)ありゃ、あそこに井戸(いど)がひとつ掘(ほ)れるだがのオ。」
「ほオ、三十円(えん)のオ。」
「ああ、三十円(えん)ありゃええだげな。」
「三十円(えん)ありゃのオ。」
 こんなふうにいっていても、いっこう利助(りすけ)さんが、こちらの心(こころ)をくみとってくれないので、海蔵(かいぞう)さんは、はっきりいってみました。
「それだけ、利助(りすけ)さ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、お前(まえ)、だいぶ山林(さんりん)でもうかったそうだが。」
 利助(りすけ)さんは、いままで調子(ちょうし)よくしゃべっていましたが、きゅうに黙(だま)ってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。
「どうだエ、利助(りすけ)さ。」
と、海蔵(かいぞう)さんは、しばらくして答(こた)えをうながしました。
 それでも利助(りすけ)さんは、岩(いわ)のように黙(だま)っていました。どうやら、こんな話(はなし)は利助(りすけ)さんには面白(おもしろ)くなさそうでした。
「三十円(えん)で、できるげながのオ。」
と、また海蔵(かいぞう)さんがいいました。
「その三十円(えん)をどうしておれが出(だ)すのかエ。おれだけがその水(みず)をのむなら話(はなし)がわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸(いど)に、どうしておれが金(かね)を出(だ)すのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」
と、やがて利助(りすけ)さんはいいました。
 海蔵(かいぞう)さんは、人々(ひとびと)のためだということを、いろいろと説(と)きましたが、どうしても利助(りすけ)さんには「のみこめ」ませんでした。しまいには利助(りすけ)さんは、もうこんな話(はなし)はいやだというように、
「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹(はら)がへっとるで。」
と、家(いえ)の中(なか)へむかってどなりました。
 海蔵(かいぞう)さんは腰(こし)をあげました。利助(りすけ)さんが、夜(よる)おそくまでせっせと働(はたら)くのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。
 ひとりで夜(よ)みちを歩(ある)きながら、海蔵(かいぞう)さんは思(おも)いました。――こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんの力(ちから)でしなけりゃ、と。

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