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樋口一葉(ひぐちいちよう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 9:32:15  点击:  切换到繁體中文

     一

 秋にさそわれて散る木の葉は、いつとてかぎりないほど多い。ことに霜月は秋の末、落葉も深かろう道理である。私がここに書こうとする小伝の主一葉いちよう女史も、病葉わくらばが、霜のいたみにたえぬように散った、世に惜まれるひとである。明治二十九年十一月二十三日午前に、この一代の天才は二十五歳のほんに短い、人世のなかばにようやく達したばかりでってしまった。けれど布は幾百丈あろうともただの布であろう。蜀江しょくこうにしきは一寸でも貴く得難い。命の短い一葉女史の生活のページには、それこそ私たちがこれからさき幾十年を生伸びようとも、とてもその片鱗へんりんにも触れることの出来ないものがある。一葉女史の味わった人世の苦味にがみあきらめと、まけじ魂との試練を経た哲学――
 信実のところ私は、一葉女史を畏敬いけいし、推服してもいたが、私の性質さがとして何となく親しみがたく思っていた。虚偽いつわりのない、全くの私の思っていたことで、もし傍近くにいたならば、チクチクと魂にこたえるような辛辣しんらつなことを言われるに違いないというようにも思ったりした。それはいうまでもなくそんな事を考えたのは、一葉女史の在世中の私ではない、その折はあまり私の心が子供すぎて、ただえらいと思っていたに過ぎなかった。明治四十五年に、故人の日記が公表おおやけにされてからである。私は今更、夢の多かった生活、いつも居眠りをしていたような自分を恥じもするが――幾度かその日記をひもときかけてはめてしまった。愛読しなかったというよりは、実は通読することすらいやなのであった。それは私の、衰弱しきった神経がいとったのであったが、あの日記には美と夢とがあまりすくなくて、あんまり息苦しいほどの、切羽せっぱ詰った生活が露骨に示されているのを、私は何となく、胸倉むなぐらをとられ、締めつけられるような切なさに堪えられぬといった気持ちがして、そのため読む気になれなかった。
 しかし、今はどうかというに、私も年齢よわいを加えている。そして、様々のことから、心の目を、少しずつ開かれ風流や趣味に逃げて、そこから判断したことの錯誤あやまちをさとるようになった。この折こそと思って、私は長くそのままにしておいた一葉女史の日記を読むことにした。すこしでも親しみを持ちたいと思いながら――
 で、お前はどう思ったか?
と誰かにたずねてもらいたいと思う。何故ならば、私はせまい見解を持ったおりに、よくこの日記を読まないでおいたと思ったことだった。ひねくれた先入観があっては、私はこの故人を、こう彷彿ほうふつと思い浮べることは出来なかったであろう。よくこそ時機のくるのを待っていたと思いながら、日記のなかの、ある行にゆくと、まぶたを引きこするのであった。それで私に、そのあとでの、故人の感じはと問えば、私はこう答えたい気がする。
 ふきにおいと、あの苦味
 お世辞気のちっともない答えだ。四月のはじめに出る青い蕗のあまり太くない、土から摘立てのを歯にあてると、いいようのないさわやかなかおりと、ほろ苦い味を与える。その二つの香味こうみが、一葉女史の姿であり、心意気であり、魂であり、生活であったような気がする。
 文芸評に渡るようにはなるが、作物を通して見た一葉女史にも、ほろ苦い涙の味がある。どの作のどのひとを見ても、幽艶、温雅、誠実、艶美、貞淑の化身けしんであり、所有者でありながら、そのいずれにも何かしら作者の持っていたものを隠している。柔風やわかぜにもたえない花の一片ひとひらのような少女、はぎの花の上におく露のような手弱女たおやめに描きだされている女たちさえ、何処にか骨のあるところがある。ことに「にごり江」のおりき、「やみ夜」のおらん、「闇桜やみざくら」の千代子、「たまだすき」の糸子、「別れ霜」のおたか、「うつせみ」の雪子、「十三夜」のおせき、「経づくえ」のお園――と数えれば数えるものの、二十四年から二十八年へかけての五年間、二十五編の作中、一つとして同じ性格には書いてないが、その底の底を流れて、隠しても隠しきれないねた気質は、日記から読みとった作者の、どこか打解けにくいところのある、寂しい諦めと、我執がしゅうを見のがされない。

 私は一葉女史の作中の人物をかりて、女史に似通っている点をあげて見たいと思った。も一つは、どの作が作者の気に入っていた作か知りたいと思った。それよりも深く知りたいのは、どの作のどの女性が、最も深く作者の同情を得、共鳴のあるものかということであった。最も高く評価されたのは「濁り江」のお力、「十三夜」のお関、「たけくらべ」のみどりであったが、すべての女主人公を一固めにして、そして太く出た線こそ、女史の持っているほんとうの魂だという事が出来るであろう。
「経づくえ」は小説としては「にごり江」や「たけくらべ」にくらべようもない、その他の諸作よりも決してすぐれてはいない。その構想も『源氏物語』の若紫を今様いまようにして、あのはなやぎを見せずに男を死なせ、遠く離れたのちに、男が死んだあとで、十六の娘がその人のなさけを恋うという、結末を皮肉にした短いものである。けれども、その少女お園の心持ちは、内気な少女おとめには、よくうなずかれもし、残りなく書尽かきつくされてもいる。我と我身がうらめしいというような悩みと、時機を一度失えば、もう取返しのつかない、身悶みもだえをしても及ばないくいちがいが、穏かに、寸分のすきもなく、傍目わきめもふらせぬようにぴったりと、くいというかたちもないものの中へ押込めてしまって、長い一生を、っと、きえてしまった故人の、恋心の中へとつき進めてゆかせようとするのを、私は何とも形容することの出来ない、涙と圧迫とを感じずにはいられない。――動きのとれない苦しみを知る人でなければと思うと、私はお園の上から作者の上へと涙をうつすのであった。

 ――私の書方かきかたは、あんまり一葉女史を知ろうために、急ぎすぎていはしまいか。
 或る人は女史を決して美人ではないといった。また馬場孤蝶ばばこちょう氏の記するところでは、美人ではなかったが決して醜い婦人ではない。先ず並々の容姿であったとある。親友の口からそうきわめがつけられているのを、見も逢いもせぬ私が、何故なぜ美人にしてしまうのかと、いぶかしまれもしようが、私が作物を通して知っている一葉女史は、たしかに美人というのをはばからぬと思う自信がある。写真でも知れるが、あの目のあの輝き、それだけでも私は美人の資格は立派にあるといいたい。脂粉にいろどられた傾国けいこくの美こそなかったかも知れないが、美の価値を、自分の目の好悪こうおによって定める、男の鑑賞眼は、時によって狂いがないとはいえない。あまりお化粧もしなかったらしい上に、余裕のある家庭ではなし、ことに、

――なまめかしいという感じを与える婦人ではなかった、つやはない、如何いかにもクスんだ所のある人であった、娘というよりは奥さんといいたいような人であった。当時の普通一般の女を離れて、男性の方に一歩変化しかけたように感ぜられる婦人であった。挙止きょしは如何にもしとやかであった。言葉はいかにも上品であった。何処に女らしくないというところはげ得られないにかかわらず、何処となく女離れがしているように感ぜられた。多分は一葉君の気魄きはくの人を圧するようなところがあったからであろう。要するに、共に語って痛快な婦人の一人であったろう。男が恋うることなしに親しく交わりえられる婦人の一人だと私は思っていた。 ――馬場氏記――
とあるのから見ても、そうした婦人ひとで、並々の容色と見えれば、厚化粧で人目を眩惑げんわくさせる美女よりも、確かであるということが出来ようかと思われる。
 その上に、もし一度ひとたび興起り、想みなぎきたって、無我の境に筆をとる時の、ひとみは輝き、青白いほおに紅潮のぼれば、それこそ他の模倣をゆるさない。引緊ひきしまった面に、物を探る額の曇り、キと結んだ紅いくちびる懊悩おうのうと、勇躍とを混じた表情の、ひらめきを思えば、類型の美人ということが出来よう。
 誰に聞いても髪の毛は薄かったという事である。背柄せがらは中位であったという。受け答えのよい人で話上手じょうずで、あったとも聞いた。話込んでくると頬に血がのぼってくる、それにしたがって話もはずむ。冷嘲れいちょうな調子のおりがことに面白かったとかいう。礼儀ただしいのでからだをこごめて坐っているが、退屈をするとびんの毛の一、二本ほつれたのを手のさきでいじり、それを見詰めながらはなす。話に油がのってくると、あいだをへだてていたのが、いつの間にか対手あいてひざの方へ、真中にはさんだ火鉢ひばちをグイグイ押してくるほど一生懸命でもあったという。
 半日に一枚の浴衣ゆかたをしたてあげる内職をしたり、あるおりは荒物屋あらものやの店を出すとて、自ら買出しの荷物を背負せおい、あるよい吉原よしわら引手茶屋ひきてぢゃやに手伝いにたのまれて、台所で御酒のおかんをしていたり、ある日は「御料理仕出し」の招牌かんばんをたのまれて千蔭ちかげ流の筆をふるい、そうした家の女たちから頼まれる手紙の代筆をしながらも、
小説のことに従事し始めて一年にも近くなりぬ、いまだよに出したるものもなく、我が心ゆくものもなし、親はらからなどの、なれは決断の心うとく、跡のみかへり見ればぞかく月日ばかり重ぬるなれ、名人上手と呼ばるゝ人も初作より世にもてはやさるゝべきにはあるまじ、非難せられてこそそのあたひも定まるなれと、くれ/″\せめらる、おのれ思ふにはかなき戯作げさくのよしなしごとなるものから、我が筆とるはまことなり、衣食のためになすといへども、雨露しのぐためのわざといへど、拙なるものは誰が目にも拙とみゆらん、我れ筆とるといふ名ある上は、いかで大方のよの人のごと一たび読みされば屑籠くずかごに投げらるゝものはかくまじ、人情浮薄にて、今日喜ばるゝもの明日は捨てらるゝのよといへども、真情に訴へ、真情をうつさば、一葉の戯著といふともなどかは価のあらざるべき、我れは錦衣きんいを望むものならず、高殿たかどのを願ふならず、千載せんざいにのこさん名一時のためにえやは汚がす、一片の短文三度稿をかへてしかして世の評を仰がんとするも、むなしく紙筆のつひへに終らば、なお天命と観ぜんのみ。(一葉随筆、「森のした草」の中より)
おろかやわれをすね物といふ、明治の清少せいしょうといひ、女西鶴さいかくといひ、祇園ぎおん百合ゆりがおもかげをしたふとさけび小万茶屋がむかしをうたふもあめり、何事ぞや身は小官吏の乙娘おとむすめに生まれて手芸つたはらず文学に縁とほく、わづかにはぎが流れの末をくめりとも日々夜々の引まどのけむりこゝろにかかりていかで古今の清くたかく新古今のあやにめづらしき姿かたちをおもひうかべえられん、ましてやにほの海に底ふかき式部が学芸おもひやらるるままにさかひはるか也、ただいささか六つななつのおさなだちより誰つたゆるとも覚えず心にうつりたるもの折々にかたちをあらはしてかくはかなき文字たにはなりつ、人見なばすねものなどことやうの名をや得たりけん、人はわれを恋にやぶれたる身とやおもふ、あはれやさしき心の人々に涙そそぐ我れぞかし、このかすかなる身をささげて誠をあらはさんとおもふ人もなし、さらば我一代を何がための犠牲などこと/″\しくとふ人もあらん、花は散時ちりどきあり月はかくる時あり、わが如きものわが如くして過ぬべき一生なるに、はかなきすねものの呼名よびなをかしうて、
    うつせみのよにすねものといふなるは
        つま子もたぬをいふにや有らん
をかしの人ごとよな(一葉随筆、「さおのしづく」より)

と、心を高く持っていたこの人のことを、私は自分の不文を恥じながらも、忠実に書かなければならないと思う。ともかくも、私はまずこの人の生れた月日と、その所縁のつづきあいとを書落さぬうちにしるしておこう。

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