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愛する人達(あいするひとたち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 12:45:21  点击:  切换到繁體中文

ばうばうとした野原に立つて口笛をふいてみても
もう永遠に空想の娘らは来やしない。
なみだによごれためるとんのずぼんをはいて
私は日傭人のやうに歩いてゐる。
ああもう希望もない 名誉もない 未来もない。
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。


 萩原朔太郎といふ詩人は、もうすでに此世にはないけれども、此様な詩が残つてゐる。専造は、大学のなかの、銀杏並木の下をゆつくりと歩きながら、この詩人の「宿命」といふ本の頁をめくつてゐた。
 約束の時間を十分も過ぎたが、五郎の姿はみえない。繁つた、銀杏の大樹はまるで緑のトンネル。枝々が両側からかぶりあつて、馥郁とした涼風をただよはせてゐる。
 この日頃、胃の腑[#「腑」は底本では「附」]の恰好なぞ、考へたこともないほど、専造は食事らしい食事はしてゐない。
 下宿代は滞り勝ち。――二三、友人にあたつてみた職業も、みんな向うから、閉め出しだと云ふ報告。その上、五郎という厄介な子供を抱へてゐては、宛然、もう水の上の捨て小舟。といつて、その二、三の友人すら、現在のやうな世の中では、自身の体のなりゆきに、肝胆を砕いてゐるのがせいいつぱいである。
「旦那!」
 専造はふつと身を引いた。
 ぴたつと汗臭い人間が寄り添つて来たからだ。
 休暇にはいつてゐる大学の構内はこの真昼間、あまり人通りもなく森閑としてゐる。
「旦那!」
「僕のことかい!」
「どうです? 煙草は要りませんかね?」
 あわてて胸の釦をしめた。眼の前に、にゆつと、オレンヂ色の「光」の箱が二つ。
 専造は赧くなつて「いくらなの?」と、尋ねてみる。
「拾三円」
「さア、一箱の金もないな」
「ぢやア、五本、どうです?」
 すでに、箱を開きかけてゐる。男の小指の爪が馬鹿に長い。頭は砂利禿げで並んでみるといやに背がひくい。
 ポケツトを探して、六円五十銭よれよれの札をあはせて出すと、可愛いチヨークのやうな光が五本、男はそのまま正門の方へ歩いてゆく。
 五郎は何を躊躇してゐるンだ。また時計を見る。時計の汚れた硝子に、銀杏の緑が滴つてゐる。
 あいつ、萎れきつて戻つて来るンぢやないかな。
 あゝ、生きる苦しみといふものは‥‥専造は、いつも、くづくづと鳴つてゐる胃の腑を、うるさい奴だと思つた。ふつと、立駐つた。
「専造さアん‥‥」
 人力車夫のやうな走りかたで、五郎が両の手を振り振り走つて来た。
「どうだ?」
「ゐたよ。いま帰つたとこだつて‥‥」
「さうか。何かくれた?」
「手紙をくれたよ」
 汚れたピケの帽子の下から、粗末なハトロンの封筒を出した。
 葡萄のやうな、明るい少年の眼が、つぶらに動く。封を切ると、拾円札が五枚出て来た。
「もう、その本、売らなくてもいいンだらう?」
「また、この次だ」
 当分、御教授はお休みにして下さい。手紙には簡単にかう書いてある。
「君は、藤崎さん、御病気ですと云つたかい?」
「あゝ、云つたさ。――奥へはいる時、あのひとも度々だから厭だねつて、云つてたよ」
「マザーの方か?」
「うん」
 愚や愚や、汝は弱き家庭教師也。専造は手紙を揉みくしやにしてポケツトへ入れた。
「浅草へ行つてみようか?」
「うん」
「歩けるかい?」
「大丈夫だよ‥‥」
 五郎はにやりと笑つて、片足を高くあげてみせた。専造は、煙草を一本出して唇に咥へた。だが、マツチがない。
「凄いンだねえ」
「いま、こゝで五本買つたんだよ」
「こんな処にも、煙草売り、ゐるの?」
「そりやアあるさ」
 満足に、ものは食べないけれども、二人の若さは少しも狙喪[#「狙喪」はママ]してはゐない。
「ブリヂイ・ウエル・サンクスだ‥‥僕達はまアまア上の部だよ」
「えゝなアに?」
 無慈悲な世の中とも思はれぬと、さて五十円を手にしてみれば、貧乏人にとつては、その場では兎に角大にこにこ、専造は、急に元気になつた。
 だが、この金額の中から、間代を少し入れて、浅草で何か食べるとすれば、五拾円といふ金は、うたかたの如き金銭で、剰し得るものは何もない。これは御供への饅頭の如きものだと、専造は憂欝になつた。
「こゝへ来た次手に、やつぱり、この本も売つてゆかう‥‥」
「どうして?」
「君は心配しなくてもいゝよ」
「だつて、兄ちやん、本はこの次と云つたぢやアないか」
 まづ、二人は正門を出て、軒並みに本屋の前を歩いた。うつさうとした、山奥の水流をおもはせるやうな、ラジオの音楽が、きらめく水の色を髣髴とさせる。
 五郎は、かなり歩きつかれて、頭の芯が痛くなつてきた。それに暑くて、咽喉もかわいてゐる。
 とある、小さい書肆にはいつて、朔太郎の「宿命」を、なにがしかの金に替へた。全く、なにがしかの金額といふにふさはしい売り値で、専造は本を手離す時、胸がうづいた。
 貧しい学生から、たつた一冊の本すらもうばつてゆくこの世のあはれさを、見参して、専造は、いつか口癖になつてゐる、「都に、骸骨あえれ、犬を、猫を、むさぼり食ふはいつの日ぞ‥‥」と、妙な唄をくちずさんでゐる。
「専造さん」
「何だ」
「俺、眼がまひさうだなア‥‥」
「えツ?大丈夫か、おいツ!」
 専造はあわてて、五郎を抱くやうにして、書肆の横丁にある氷屋にはいつた。
「水を一杯下さいツ!」
 紺絣のうはつぱりを着たねえちやんが、なみなみと二つのコツプに水を持つて来てくれた。思ひがけない親切である。
 五郎は青い顔をして一息にその水を呑んだ。

 四時半には、もう起きて雨戸を開ける。
 南が吹いてゐる[#「南が吹いてゐる」はママ]ので、馬鹿に暑い。だが、四囲は晴れてゐる。
 ガスに火をつけると、只、ごうごうと臭い風が鳴つてゐるきり、ガス屋さんは、今朝も御倹約ね‥‥。定子は、仄明るい格子窓に、朱色のぶちのある古い手鏡を立てかけて髪を結ふ。
(五郎ちやんは、いまごろどうしてゐるかしら。藤崎さん可愛がつてくれてるかしら‥‥)
 東京は、人間の屑の、掃溜めのやうな処だと、坂田のおばあさんは云つてゐたけれども、定子は、結局、田舎よりも東京がいゝといふ信念を持つてゐた。束京といふ処も、田舎のひとの寄りあひでかたまつた処だから、上海のやうに自由でのんびりしてゐる。
 定子は、此家へ来た事を、一度も辛いと思つたことがない。夜になると、家の路地口を、酔つぱらひが歩いてゐたり、妙な家ではないかと、そつとのぞいていくひともあつて、一日ぢゆう賑やかな、この街が、定子には何となく面白い。「まだ茶は沸かないの?」
 寝床からをばさんの声。
「あのウ、まだ、ガスが出ないンです」
「定ちやんは鼻つんぼだから、よオく、ガスへ鼻をくつつけてごらんよ」
「鼻をくつつけたンです」
 何だか、ぶつくさ云つて、をばさんは黙つてしまつた。定子は、昨夜、洗つておいた洗濯物を、二階の物干に持つて行つた。物干は、四方八方、風の海、広い焼跡は、草ぼうぼうや、畑になつてゐるのや、鉄屑の山や、何も彼も、それはそれなりに、うねうねと下町をいつたい、渺茫たる広野原の遠見。そのなかを、沈んだ色のビルデイングや、煙の出ない煙筒の林立。
(何時もこの物干へ来ると、定子は何か歌ひたくなる。リンゴの唄や、雨のブルース、それから歌つてはいけない軍歌、峰子の歌ふ唱歌。)
 あわてて階下へ降りると、薄暗い台所はおそろしくガス臭い。すぐ火をつけて薬罐をかける。茶を淹れて、をばさんの寝てゐる枕もとへ持つてゆくと、
「八時半に薪の配給があるの、わかつているわね。一束、七円五十銭よ」
「えゝ、わかつてゐます」
「今朝はすゐとんでもつくるかね?」
「えゝさうしませう」
「ガスが出るやうだつたら、昼のパンもふかしておくといいわね」
「えゝ、わかつてゐます」
 ふくらし粉をつかへば、拾円で三日しかないといふので、ふくらし粉なしの、餅のやうに固いパン、これが、毎日のこと。――親仁さんの良吉は、二日ばかりの商用で、福島へ行つて留守である。
 六時になると、二階で雨戸を開く音がして、政子が起きる。
「昨夜、わたし、とても、こはい夢みたのよ。牛のおつぱいが、おてんたうさまから、ベロンとぶるさがつてるの‥‥。脚なンてない、とても大きい牛なのよ」
 梯子段の途中から、政子がこんなことを云ひながら降りて来た。よく眠つたせゐか、眼が澄んでゐる。内心、政子も、自分の眼の美しさは、充分自信があるのであらう。
 朝の食卓についたのが八時。四囲がのぼせたやうに暑くなりかけてゐる。
「いつたい、世間のひと、何を食べてるのかしら‥‥」
 定子が、ふつと、こんなことをいつた。
「力の及ぶ範囲で、やつてるンでせう‥‥」
 政子は、すゐとんがきらひなので、電気コンロに、フライパンをかけて、粉を焼いてゐる。
「定子ちやんは、昔のことで、何が一等なつかしい?」
「昔のこと、あら、そりやア、母さんのこと、どうして死ンだンだらうて、いつもさう思ふわ‥‥」
「いゝえ、お母さんのことぢやないの。住んでたところとか、食べものとかつていふのよ。たとへばさうね。新富の寿司だとか、下谷のポンチ軒のカツレツとか‥‥」
「いやだねえ、また、朝から食べものの話だよ。――早く、食事を済ませて、大久保へ行つて、話をきめて来なさい。日中は暑くなつて、また出にくくなるからさア」
 をばさんは、浴衣の袖を書生のやうに、肩にたくしあげて、長煙管で煙草を吸つてゐる。
「ねえ定子ちやん、上海の餃子もおいしいわねえ。焼餃子もよく喰べたわ。上海つて、どうして、あなに[#「あなに」はママ]おいしいものが沢山あつたんだもう[#「もう」はママ]‥‥。わたし、飽きるほど食べておけばよかつた‥‥。――あゝ、つまらないツ。何もなくてつまらないツ。――中国のひとで、わたし、岡惚れのひと、ゐたンだけど、今頃どうしてるかしら‥‥あゝ、つまンないツ」政子は食卓の下に、かたちのいい脚を投げ出して、やけに団扇をつかつてゐる。
 まだガスが出てゐるので、定子は昨夜の肉湯をあたゝめに立つたが急に峰子に逢ひたくなつてきた。
 姉弟三人が、ちりぢりになつてゐる、いまの生活が淋しかつた。もう少し収入があれば、間借りでもして、三人で水いらずに暮したい‥‥。
 茶の間では、まだ政子が何か饒舌つてゐる。
「定子ちやん、今日は、日曜でせう? 大久保へ一緒にゆかない? ひとりで行くのつまらないわ‥‥」
 軈て、洋服箪笥を開ける音。定子は、いま、ひといきで涙のあふれるところだつたので吻つとして小声でリンゴの唄をくちずさむ。
「ぢやア、定子ちやんも行つていらつしやいね」
 をばさんのお許しが出た。肉湯にうんと胡椒をふりかけて、あゝこれに老列児の葉があればと、定子は上海の昔を思ひ出してゐる。

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