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或る女(あるおんな)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 12:48:02  点击:  切换到繁體中文


「輕井澤で逢つたあの男だらう?」
「ええ、さうね‥‥」
「不思議なもンだねえ‥‥」
「ええ」
「少しは胸に應へるかね‥‥」
「何?」
「何つて、昔の戀人のことさ‥‥」
「まア、何を云つてらつしやるの、あンな子供みたいな男のこと‥‥」
「ふふん、まさかさうでもあるまい。あの當時のことを考へてみるがいいさ」
 考へてみるがいいと云はれると、何か腹立たしい氣持ちだつた。
 溟心共に消えてしまつて、霧散さしてくれと云つたのはこんな事だつたのかと、たか子は齒ぎしりするやうな佗しさだつた。
 久賀夫人が、娘の結婚を、こんなにぎりぎりになつてから通知してくれたのも、徹男のこころあつての事ぢやないかと、たか子はきりきりした。
「お前、結婚式に出られるかい?」
 と堂助が意味あり氣に尋ねた。たか子はわざと吃驚した顏をみせて、
「二人に招待が來てるぢやありませんか、行きますよ、行かないぢや惡いでせう?」
 たか子は平氣ですよ、何でもないンですものと云つた強氣をみせてゐた。――堂助とたか子は二人とも紋服姿で披露宴のある東京會館へ自動車を走らせたが、堂助の後から自動車を降り立つたたか子は、激しい動悸と吐氣がして來て、氣持が据らなかつた。
 花嫁の登美子は、地につきさうな振袖姿で、高島田の髮も初々しい。帶は白しゆちんの龍の模樣で、登美子の柔らかさうな躯を、何か守つてゐるやうな高雅さに見せてゐた。集つてゐる者は誰も彼も美しい夫婦だと讚めてゐる。
 徹男も紋服姿で、深い陰のある眼が暫く見ないうちに、益※(二の字点、1-2-22)艷をましてゐるやうに思へた。堂助は臆せずに、會場の入口に立つてゐる花聟花嫁の前へ進んで行つて、
「いや、おめでたう‥‥」
 と云つた。
 堂助の、後にゐるたか子も小さい聲で、
「おめでたう厶います」
 と云つた。
 堂助は、花聟の表情も見ずに金屏風の前をずんずん會場の中へ這入つて行つたが、たか子は足が釘づけになつたやうで、歩くことが出來なかつた。(やつぱり私は愛してゐたのだ。必死になつて愛してゐたのだ‥‥)たか子は心のうちにさうおもふと、涙が溢れて來た。その涙を見せまいとして、たか子は辛うじて、花聟たちの前からトイレツトの方へ躯を運んでゆき、森閑とした化粧室の鏡の前に立ちはだかつた。立つてゐると、まるで子供のやうに聲をたてて泣けて來る。
 會場の方では餘興が始まつたのか、波のやうな拍手の音がきこえて來た。
(あのひとの前へ立つて、おめでたうと云つたら、あのひとは、小さい聲で、ありがたう厶いますと云つた‥‥)
 あの脣、あの眼、あの胸で、二人だけの愉しい思ひ出があるのを、あのひとは忘れはしないだらう‥‥。年齡の違ひが何だつて云ふのだ‥‥。鏡の前に立つて、まるで良人か子供を失つた女のやうに、黒い紋服のたか子は、ハンカチを頬にあててさめざめと泣くのであつた。


 軈て、宴が始まり、各※(二の字点、1-2-22)名前の書いてある席に著いた。偶然なのか、たか子の席は花聟花嫁が筋向うに見える、メン・テーブルから二側目の席だつた。ボーイが白葡萄酒をついでまはつた。たか子はボーイの白い服のかげから、そつと、徹男の方へ眼を向けたが、徹男もたか子の席の方へ何氣なく眼を向けてゐた。宙で二人の眼が逢つたが、徹男は微笑に似た表情で、そつと、たか子の眼をはぐらかして行つた。
 たか子は手先きが莫迦々々しいほど震へてフオークを持つことも出來なかつた。
(いつたい誰の結婚式なのだらう‥‥私が立ちあがつて正直なことを云へば、この結婚式はくものこを散すやうにみぢんにする事も出來るのだわ‥‥)
 たか子は震へながらそんな事を考へてゐた。座にゐるのが辛らかつた。祝ひの言葉も半ばすすみ、酒で、宴がなごやかになつてゆくにつれ、たか子は叫び出したいやうな妬ましさで心が痛んだ。
「氣分が惡いのぢやないか、おい、中座したらどうだ?」
 堂助が、震へてゐるたか子の右腕を取つて立ちあがつた。堂助に頼つて歩きながら、たか子はをかしい程、しんのぬけてゐる自分を感じた。
 ボーイが右往左往してゐるので、二人が立つて行つても少しも目立たなかつた。控室の大きな長椅子に腰を降ろして吻つとしてゐると、花聟と花嫁が家族の人達に圍まれてぞろぞろ會場を出て來た。新婚旅行へ出る仕度でもするのだらう、花嫁につきそつて、美容師が三人、花嫁の袂をささげて歩いて來た。登美子の母親の久賀夫人も、佐々博士の小さい奧さんも何かしやべりながら笑つて歩いて來てゐる。
 堂助は急に立ちあがると、
「おい、歸らう‥‥」
 と云つた。
 自動車へ乘ると、こらへ性もなくたか子は顏に半巾をあてた。齒をくひしめても涙がすぐあふれて來る。堂助は袂から煙草を出して、味があるのかないのか、走る窓外を見ながら呆んやり吸つてゐた。さうして、やや暫くしておもひ出したやうに、
「君があの男を愛してゐた氣持ちは、まるで生娘みたいなンだねえ‥‥そんなだとはおもはなかつたよ‥‥」
 これからの一生を、こんな心でゐる妻とどうして暮していいのか一寸判らなかつた。たまらないなと思つた。
「そんなに泣くほど切なかつたのかねえ‥‥」
「‥‥‥‥」
「いい年をして‥‥」
 いい年をしてと云はれると、たか子はそれが弱點なだけに、無性に腹が立つて來た。あの若い二人は愉し氣にどこへ行くのだらう。窓外の暗い景色の中には、只街の灯しか見えない、自分のそばを走つてゐる自動車が、どれもこれも花聟と花嫁の自動車に見える。
 勝手だけれども、こんな時にたよれるのは良人でしかないと云ふことが、たか子にはまた寂しかつた。
 家へ歸ると、書齋へ引つこんで森としてゐる良人の前に坐つて、たか子は「ごめんなさい」と云つた。
(ごめんなさいと云ふ言葉はあのひとも云つたが‥‥)
「ごめんなさい‥‥」
「君は正直に、自分の氣持ちをひれきしたまでだよ。あやまられても俺は知らんよ」
 知らんよと云はれても一言もなかつた。良人とも別れになるのではないかと思ふと、たか子は、徹男に流した涙とはまた別な涙がこぼれた。――十八の時に結婚して、二十年間何の波風もなく暮らして來たことを考へると、徹男との事は、何の隙間だつたのだらうと不思議におもへて來る。
「かんじんの男が結婚してしまつては何もならんし‥‥俺も、もう、お前と一緒にゐるのは厭だ。俺は朴念仁だから、ケツペキなンだよ。ぬけがらのやうな女房も困る‥‥。だが、別れはしないよ。別れても別れなくつても、この波は何とかして靜まつてゆくだらう‥‥。だが、今日から、お前はお前で勝手にふるまつてくれ、俺は俺で勝手にする‥‥」


 堂助が、俺は俺で勝手にすると云つてから丁度二年經つた。堂助が云つた通り、たか子達は夫婦らしい生活をしたこともなく、夏の旅も冬の旅も一度も一緒ではなかつた。
 たか子は、良人から離れてしまふと、段々、名流婦人になつて行つた。結城の家へ來る手紙も大半はたか子のものであり、今日は何の會、明日は何の座談會と、太つたたか子夫人の出ない會はない位になつた。月々の婦人雜誌を見ると、かならずどの頁かにたか子夫人の寫眞が載つてゐた。

 輕井澤の別莊には毎年俊助と孝助が行くやうになり、輕井澤には堂助もたか子もふつと行かなかつた。――時々、仲のいい徹男夫婦のことを人づてに聞くと、たか子は人がかはつたやうに、若夫婦の惡口を云つたりした。
「あそこのお宅は此頃火の車で大變なのよ。久賀さんのお家だつて小華族だし、佐々さんのお家だつて、ああして山かんで博士になつた、なりあがり者みたいなお家ですもの‥‥どつちもお金があるだらうと探ぐりあひで結婚したのよ」
 などと、えげつない事も云つた。そんなことを云つたあとは穴の中へ墜ちたやうに淋しかつたが、
(あのひと、あんな意地惡してるンだもの、仕方がないわ‥‥)
 と自分を可哀想におもつたりして自分をかばふ氣持だつた。
 鏡の前に坐つても、自分の顏が妙にとげとげしてゐる。いつかも、高等學校にゐる俊助が冬の休みに歸つて來て、
「ねえ、お母さんは、僕にどんな風な結婚をさせたいと思ひます?」
 と訊いた。
 何時も、ママ、パパで育つた子供が、何時の間にか、自分を「お母さん」と呼ぶやうになつてゐる。
「ママ? そりやア、見合結婚だわ。それを、ママ、望んで、よ‥‥」
「やつぱりさうですかねえ‥‥」
「何? あなた好きな方でもあるの?」
「好きな娘の一人や二人はありますよ。だけと、見合結婚も一寸困るなア‥‥」
「パパ、何て云つて?」
「女なんか、どんなのでもいいから、田舍の素朴さうなのを選んで來いつて云ひましたよ‥‥」
「まア、厭なパパ!」
「だつて、お父さんだつて、お母さんのやうな奧さんは一寸困るでせう‥‥」
「どうして?」
「始終、うちをあけて、お父さんは女中のつくつたものばかり食べてるぢやありませんか‥‥」
「うちをあけてるつて、そりやア何かと用事があるのよ、私がこんなにうちをあけなきやならないのも、パパに一半の責任があるわ‥‥」
「何か知らないが、僕は女の出歩くの厭だな。わけのわからん層のひくい女達は、母さん達をうらやましがるか知れないけど、僕は厭だな‥‥お母さんの寫眞が出てると、寒々しいものを感じますよ‥‥」
 たか子は、瞠つてゐた眼をあけてゐられなかつた。涙がすぐ溢れて來た。涙弱くなつてゐる母親を見ると、俊助は吃驚して半巾を母親の手へ握らした。
「あんたまで、そんなことを云つて、このママをふんづけてしまふのね。女つて云ふものは良人や子供の臺石にならなきやならないの?」
 子供の半巾を脣へ持つて行くと、不圖、昔、徹男とドライヴした時の革のやうな匂ひがする。
(おお厭だ。この息子まで男臭くなつてゐる‥‥)
 たか子は身震ひして半巾を俊助へ投げかへした。
「まア、あなた、このハンカチ何日洗はないのよ?」
「母さん洗つてくれたらいいぢやありませんか‥‥」
「まア、あんなこと云つて、厭なひとねえ」


 冬の休みも濟んで、また夏が來て、秋になつた。たか子の外出は依然としてかはらない。今日も、遲くなつて歸つて來たのだ。
「星を眺めるつて、久しぶりだわ‥‥」
 久しぶりなのは、夫婦がかうして向きあふことも久しぶりなのだつた。
「ねえ、あんたの怒りんぼにも私負けてしまふわ。私、いま、何もないのですもの‥‥もう憤らないで頂戴‥‥」
「憤つてやしないよ。だが俺の方がもう、我慢が出來なくなつたよ。俺はお前と別居をしたくなつたンだがねえ、どうだらう?」
「別居つて、別れきりなの?」
「ああ、但し籍の方なら當分置いておいていいよ‥‥俊助も孝助も分別がついて來てゐるのだし、俺達の不思議な氣持ちも軈て判るだらうとおもつてゐる。俺は、こんな空疎な生活なンて大きらひだツ」
 たか子は默つてゐた。
 堂助は、たか子と別れて、田舍者の女と結婚して、勉強したいと云つた。まだ相手はみつかつてはゐないが、不幸な女があつたら、結婚するかも知れない。籍も貰ふかも知れない、だがそれはもしかの事だと云ふ。
 いまは孤獨になつて勉強したいきりだとも云ふのであつた。
「あなたは、私が、自殺でもしなければ許しては下さらないのですかツ!」
 と、たか子は一生懸命な力で良人の膝へとりすがつて行つた。良人の膝は、久しぶりに安住の地へかへつたなごやかな氣持ちだつた‥‥。
「君が自殺をしたつて、此氣持ちはぬぐへないよ。俺は、君の見てゐる男達とは違ふのかも知れないねえ‥‥此世の中で一番厭な女が君だつたらどうするンだ?」
「だつて、あなたは、たつた此間も愛妻論を新聞に書いて下すつたぢやないの?」
「ふふん、うぬぼれちやいけないよ。あれは、俺の理想の妻だよ‥‥」
「まア、ひどいことをおつしやるわ‥‥」
 二人共向きあふとまた默つてしまつた。さうして二人とも、こんな氣持ちでゐることは本當にたまらないとおもつた。たか子は、心のうちで、本當に別れるのだつたら、子供と貯金帳だけは手放さないでゐようとおもふのであつた。





底本:「氷河」竹村書房
   1938(昭和13)年3月20日発行
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年6月27日作成
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