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濡れた葦(ぬれたあし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-23 13:09:53  点击:  切换到繁體中文


     4

 海風館と云ふ旅館に、木山は滯在してゐた。松林のなかをぬけて、砂地の丘に、明治時代の遺物のやうな、色硝子の雨戸のはいつた古い旅館が木山のゐる宿屋だつた。
 木山は吃驚してふじ子たちを迎へた。
「よくわかりましたねえ‥‥」
 木山は青年の時よりずつと痩せてはゐたが、少しも病人らしくなかつた。八年の星霜が、二人の間にあつたことを、ふじ子は老けた木山を見て、始めて無量な氣特になつてゐる。木山は眼鏡をかけてゐた。聲音だけは昔のとほりだつたけれど、ふじ子は目の前に立つてゐる木山を、昔の木山とはどうしても思へなかつた。
 木山にしたところで、これが、あの當時のふじ子なのかと思つてゐるに違ひない。子供たちは生れて始めて海を見るので、しつかりと、ふじ子の袖につかまつてゐた。海を見晴らした、二階の木山の部屋へ上つてゆくと、子供たちは、砂でざらざらした廊下を、二人とも四ツ這ひに這つて歩いてゐる。
「始めて海をみせたり、その上、この人たちは、いままで、二階家に住んだことがないものですから、怖くて這つて歩くんですわ‥‥」
 ふじ子がそつと辯解をした。
 砂地をかつと照りかへすやうな暑い日だつたけれど、海からは涼しい風が吹いてきた。風が吹きつけるたび、ざあつと雨のやうな音をたてて松林の梢が鳴つた。
「とても涼しいところですね、――お躯はいかゞでございますか?」
「躯はすつかりいゝのですが、こゝが氣にいつてしまつて、東京へ歸りたくなくなつて弱つてゐます」
 木山の後の床の間には、古風な文字で、佛法の海に入らんには、信を根本と爲し、生死の河を渡らんには、戒を船筏と爲す。と書いた軸がさがつてゐる。生死の河を渡らんには‥‥昨夜の新宿の宿のおもひが、ふじ子の胸にぐつとせりあげてきた。
 よく眠つてゐる子の寢姿をみて、もうこのまゝこの子供たちと、こゝで自殺をしてしまはうかと思つた。――子供たちは、いつの間にか二階にも海の景色にもなれてしまつたとみえて、今度は、宿の廣い梯子段を上つたり降りたりして遊んでゐる。
「ふじ子さんもかはりましたねえ‥‥」
「えゝ、でも、八年もたてば、いゝかげん、女つてかはりますわ」
 ふじ子は、木山からみて、さだめし自分は老いつかれた女にかはつてゐるのだらうと、何となく、木山がまぶしかつた。
 木山はぬるい茶をつぎながら、ふじ子の身上話をきいてゐる。
「男つて、結婚生活にも、自分の職業にも飽いて來ると、まるで、手がつけられないンですもの。木山さんにも、そんなお氣持ありますかしら?」
「さうね。ある年齡に達した時、そんなおさきまつくらな氣持は、必ずありますね。女のひとにはわからないでせうが――三十をすぎて來ると、男も、本當に仕事が面白くなつてきますからねえ。仕事に不滿や懷疑の出て來るのも、僕たちの年齡ですよ。あなたの云ふやうな仕事に飽きる氣持ぢやなくて、仕事に慾を持つた時の中だるみだと僕は思ふンです。女のひとが出來たところで、それは長つゞきするものぢやないと思ふンだが。あなたや、子供たちを忘れ果てて去つてゆかれたのだとは、どうも思へないですね」
「さうでせうか‥‥でも私、どうしてもどんなことがあつても、再び前どほりに家庭を持つと云ふことはとても出來ないと思ひますわ。潔癖とでも云ふのでせうかしら。もう、いままでの生活を二度くりかへすのはこりごりですの‥‥」
「子供さんはどうします?」
「子供は私が養育するより仕方がないとおもつてゐます。兄の方を、父親へかへしてやらうかともおもひましたけれども、いざとなると、可愛くて手離すことが出來ませんし‥‥」
「ぢやア、生活はどうします?」
「えゝ、それなンですけれど、どうしたらいゝかと思つてゐますの。二十八にもなつて、しかも子供まであるンですもの、おいそれと、いゝ職業もみつかりつこはありませんし、いつそ、親子心中でもしようかとおもつたりしましたわ」
「ぶつさうですね、――まア、四五日、こゝにゐらつしやい。そしてよく考へるンですよ。死ぬることはいつでも出來ます。最後の瞬間まで、元氣を持たなくちやいけませんね」
 娘の頃よりも落ちついてゐて、ふじ子の胸や腰の肉づきが、木山には變にくすぐつたい感じだつた。ふじ子は、このごろ、何もたのしいことがないから、腹いせに煙草を喫ひ出してみたのだと、袂から「朝日」を出して一本口に咥へた。
 煙草を唇に咥へた手つきも妙に自然だつたし、白粉氣のない、白い皮膚が、さつぱりとしてゐる。木山はこの女が四五日ゐたところで不快ではないとおもひ、
「まア、ゆつくりしてゐらつしやい、僕は子供好きだし、賑やかでいゝ」
 と云つた。
「えゝ、ありがたうございます‥‥木山さんはその後、御結婚なすつてゐらつしやいますの?」
「僕ですか、さア貰つたやうなこともあるし、貰はないやうなところもあるし、と云ふところですかな。――いまは獨りものですよ」

     5

 廣太郎は郷里の姫路へかへつたが、四五日は親類の家へ出向いて酒をよばれることだけで日をおくつた。どの家からもまとまつた資金を出させるにいたらなかつた。
「わしの方こそ、あんたたちに相談をしようと思つた位だぜ‥‥千圓はおろか、百圓だつて都合はつくまい」
 末弟は、小さい材木商をやつてゐたが、このごろは建築の方もおもはしくなくて、臺所向きも白々と逼塞してゐる風である。廣太郎は、無爲に十日ばかりも郷里で日を過したけれど、空想したやうな甘い考へ通りにはゆかなかつた。一萬圓もあれば、小さな工場を持つて、インキの製造をやらうと思つてゐたし、少し豐かになつたら、八重子の爲に、小綺麗な喫茶店をつくつてやつてもいゝと思つてゐたのだ。
 親類のものたちは、何の前ぶれもなく郷里に戻つて來た廣太郎を不思議がつてゐたし、酒で荒んでゐる、面がはりの廣太郎に、どの家のものも何か警戒してゐる樣子があつた。――廣太郎は日を經るにしたがつて、資金調達が困難だつたし、始めのやうに、珍しがつて迎へて呉れる知人もなくなつて來ると、祖母ををがみたふして、祖母の貯金を全部おろして瓢然とまた東京へ戻つて來た。
 百圓たらずの金だつたが、それでも、子供たちへ土産物を買つたりして東京へ戻つて來た。ふじ子へ會ひたいとは思はなかつたが子供たちには妙に會ひたかつた。何と云ふこともなく、歸つたら子供たちを抱いてやりたいなごやかなものを感じてゐる。
 八重子にも會ひたかつたが、何よりもまづ子供に會ひたいと云ふ氣持は、廣太郎にとつては、幾年にもないことだつたらう。
 平凡な家庭に馴れてしまつて、何の波瀾もなかつた日常に、こんなに、二週間近くも子供に會はないと云ふことは、廣太郎にとつては珍しいことだとも云へる。――歸心矢の如しで、廣太郎は子供に會ひたくて仕方がなかつた。そのくせ、廣太郎は、東京驛から、素直にふじ子のもとへ歸るのが億劫で、靜岡から、わざわざ八重子へ東京着の時間を電報で打つたりしておく勝手さもあつた。
 東京は雨が降つてゐた。
 赤煉瓦の東京驛のホームへ、汽車がすさまじい勢で這入つて行つた。帽子をあみだにかぶつて、ステッキを持ち、網棚から土産物をおろして、廣太郎は悠々と窓から首を出して見たが、ホームに八重子らしいおもかげは見えなかつた。
 電報を見ないはずはないのだが、奴さん、もう店へ出てゐたのかも知れんな、廣太郎は、一寸ばかり失望した氣持で、人のまばらになつたホームを歩いていつた。
 おゝ、だうは形無し、か、去りて明存みやうそんし‥‥だな、廣太郎は、白い飛沫をあげて降りつゞけてゐる雨のうつたうしさを眺めて肚のなかから佗しさの溜息を吐いてゐた。
 四方八方にゆきくれたおもひである。
 明日から、また、會社へ出てゆき、あの世界に身を屈して働くより仕方もないのだらう。人の山林を調べ、人の邸内の坪數を評價して、この鬱勃たる人生が暮れてゆくのも俺の運命かも知れない。
 瀧野川へ戻つてみたが、家は鍵がかゝつてゐて誰もゐる樣子がなかつた。差配に鍵をかりてやつと家の中へ這入つたが、家の中は雜然としてゐた。玩具箱がひつくりかへつてゐたし、ハンモックも吊つたなりだつた。よほど以前から、皆さんゐらつしやらないのですよ、と隣家のものが教へてくれた。
 廣太郎は、ハンモックの中へ、帽子や土産物を投げいれて、臺所に二本並んでゐるビールを座敷へ持つて來て、一人で栓をぬいてごくごく飮んだ。なまぬるくて美味くはなかつたけれど、哀しみを誘ふやうなビールの味は、廣太郎をいやがうへにも感傷的にしてしまふ。
 整理好きのふじ子が、こんなに部屋の中をとりみだしてゐるのは、自分の出たあと怒つて、子供を連れて姫路へ行つたのかも知れないとおもつた。姫路へ歸つても、ふじ子の實家をたづねてやらなかつた冷さが悔いられたが、いまになつては仕方もないことだと、廣太郎は雨の中を、郵便局まで電報を打ちに行き、歸りは酒屋から酒をとどけさせるやうにして家へ戻つて來た。疊はしめつてゐてかびくさく、床の間の百合の花は、枯れてちりちりに銹びた色をしてゐた。

 翌日、ふじ子の實家から、こちらには戻つてゐないが、當分、東京へは歸らぬだらう、母子共健在故安心してくれと云つた返電が來た。
 廣太郎は、いつたい、ふじ子は何處へ行つたのだらうかと考へた。
 雨は昨日から降りつゞいてゐる。
 廣太郎は、子供をかゝへた何の取柄もない女が、いつたい二週間以上もどこをうろついてゐるのだらうと思つた。ひよいとしたら自殺でもするのではないかとも思へ、寒いものが背筋を走つた。死ぬるのだつたら子供だけは置いて逝つてくれと云つた、男の勝手きはまる想念が、意地惡く廣太郎の胸の中を走りまはつてゐる。
 だが、本當に、あの女が死んでしまつたとなると、自分はこんな氣持で平然とつゝ立つてはゐないかも知れない。
 何かしら瞼が熱くなつて來て仕方がなかつた。たいした幸福なおもひもさせなかつた妻に對して、ぴしぴしと苛責を受けてゐるやうな切なさがあり、子供へ會ひたい思ひが、まるで炎のやうに一日ぢゆう、目のさきにちらちらして仕方がなかつた。
 昨夜、寢卷姿で夜更けまで、家の中をきちんと整理して、今朝は早々と、廣太郎は雨の中を久しぶりに會社へ出掛けて行つた。
 病氣屆を出しておいたので、見舞を云つてくれる同僚もゐたりして、廣太郎は妙になさけない氣持だつたが、をかしいことには退屈ないまの仕事に、何と云ふことなく新しい元氣が湧いて來つゝある事だつた。不思議なことには、いままでよりも一級上の椅子に、廣太郎の位置がかはつてゐる。月給も少しばかりだつたが上つてゐた。
 廣太郎は、掛け心地のいゝ、革の椅子にどかつと腰を降ろして、ふつと、やつれ果てた妻の顏をおもひ出してゐた。さゝやかなよろこびだけれど、ふじ子が一番よろこんでくれさうな氣がして來る。
 二三日たつてから、廣太郎はふじ子からの手紙を手にした。

――おかへんなさい。姫路の家から、お歸りを知らせて來ました。お元氣ですか。
私たちもおかげさまで元氣でをります。同封の寫眞のやうになりました。
秋までこゝにゐようとぞんじます。
私は、いままでの生活に再び戻つてゆける自信はありません。何も知らない、平凡な妻であつた私に、あなたはおもひがけないところで、私に何百燭光と云ふ燈火をつけて下さつたやうなものです。子供もこゝがいゝと云つてゐます。私は久しぶりに、女學生のやうな昔の生々しさにかへりました。子供は私が養育したいとおもひます。生意氣なやうですけれども、子供たちも、もう、すつかり、この海邊の生活になついてしまつて東京へ歸らうとは申しません。どうぞお元氣でゐて下さい。籍の方はいつでも御自由に拔いて下さいまし。新しい奧さまをお迎へになつて、いゝ生活をなさいますやうに。いまは昔のやうな怨嫉つゆほどもなく、私も新しく生々と生活してをります。子供の着替へと、私のもの、お序の折に、姫路へ送り戻しておいて下さいませ。くれぐれもお大切に祈りあげます。
ふじ子 拜
    廣太郎 樣

 手紙の中へ二枚の小さい寫眞が入れてあつた。水平線の見える海邊で、ふじ子がハイカラな海水着を着て子供たちとたはむれてゐるのと、籐椅子に腰をかけて健吉と二人ですましてゐる、ふじ子の若々しい寫眞が、廣太郎の眼に燒きつくやうに寫つた。
 若い芽をおもひきり發芽させたやうなみちがへるばかり美しくなつた妻の寫眞を、廣太郎はのぼせるやうななつかしさで、ぢつと黄昏の縁側で眺めてゐた。





底本:「惡鬪」中央公論社
   1940(昭和15)年4月17日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※片仮名の拗音、促音を小書きするか否かは、底本通りとしました。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
ファイル作成:
2005年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
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