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ほととぎす(ほととぎす)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 16:18:37  点击:  切换到繁體中文



 そんな葵祭あおいまつりが過ぎてから、殿は又かき絶えたように入らっしゃらなくなった。
 道綱は、この頃、しきりに例の大和守のむすめもとへ文をやっては、内気な子だから、女の方の返事の思わしくないのを、一人でもどかしく思っているらしい。私にはまだ何も打ち明けてくれないので、こちらも何も言わずに見ているよりしようがない。日ねもす何か憂わしげな様子で庭面にわもなど眺めながら暮らしているかと思うと、次ぎの日は小弓の遊びなどに出かけて往って、きょうは上手に射たなどと帰って来るなりその日の模様をはしゃいで皆に話したりするのだった。
 撫子の方はまた撫子で、ようやく世の中と言うものが分かりかけて来た少女らしく、あれから何か私に気を置いて、つとめて顔をさえ見合わせないようにしている。小さい心に過ぎていろいろ思っている事もあろうかと、いたいたしいような位。――私はもうこのまま殿がいつお絶えになろうとも、自分自身は思い残すような事もあまりあるまいと思われたが、只、こうしていろいろな夢をいだいて私のところにやって来たでもあろう撫子がまあどんなに胸のつぶれるような思いをする事だろうと、その事のみが気づかわれるのだった。
 もう梅雨つゆちかいそんな或日、突然殿があの祭の日からはじめてお見えになられた。私がうつけたような顔ばかりして、いつまでも物を言わずにいると、「どうして何も言わないのだ」と、殿は私の機嫌をとるように言い出された。「何も言うことがございませんので――」と私が思わず生返事をすると、殿は急にこらえ兼ねられたようにお声を荒らげて、「どうしてお前は、来てくれない、憎い、悔やしいと、おれを打つなりつねるなりしないのだ」などとお言い続けになった。私はしばらく打ち伏したまま無言で聞いていたが、ややたってから、やっと顔をもたげ、「わたくしの方で実は申し上げたかった事を、そのように何もかも御自分でおっしゃられてしまいましたので、もう私の申し上げたい事はなくなりました」と言いながら、私はいつか自分がいかにも気味よげにほほみだしているのを感じていた。
 その日はそうやって一日中、二人共、むっつりとし合ったままでむかっていた。殿は撫子を呼びにやられたが、撫子までがきょうは気分が悪いと言ってとうとう出て来なかった。殿はますます苦々しげな御顔をなすって入らしったが、それでも何かがお心残りのようにすぐにはお立ちにもならず、日暮れ近く、ようやくお帰りになって往かれた。

 しばらく此日記を附けずにいた。みずから進んでそれを附けたいような気にもならず、又、それを附けずにいることが気にもならなかったので、そのまま放っておいたのである。もともと、ながらく途絶えていた此日記を再び何んと云うこともなしにこの頃附けはじめていたのは、前のように自分で自分を何んとかしなければならないと言った、切迫した気持なんぞからではなかった。只、あれほど自分の事だけでぎりぎり一ぱいになっていた私が、こうしてあの方に棄てられた女の子を養うような余裕のある心もちにまでなり出したのが自分にも不思議な位で、それで筆をとり出したのだが、矢っ張、此日記を私に書かせたものは、あの方への、又、自分自身への一種の意地であったかも知れぬ。しかし、そういう気もちもだんだん無くなりかかっている現在、その日記がこうして終るともなく終ろうとしているのも当然であるのだろう。此日記にいつかまた別の弾んだ心で向えるような日の来るまで、しばらくそれを仕舞っておくため、私はいま、この物憂い筆をとっていると言えようか。
 ここ数日、雲のたたずまいが険しく、雨が思い出したように降ったりんだりするような日が続いている。この頃はよく明け方なんぞに時鳥ほととぎすいているらしく、女房の一人が「ゆうべ聞いた」などと言うと、他の女房がすぐそれに応じて「けさも啼いていた」などと話し合っているが、人もあろうに、この私がまだこの夏は一度もそれを聞かないなんぞと言うのははずかしいような気がする程。――それほど、この頃はどう云うものか我にもなくぐっすりとてばかりいる自分をかえり見て、私は皆の前では何も言わずにいたけれど、心のうちではひそかに「自分はいくらぐっすり寐ていたって、本当に打ち解けて寐ているわけではないのだ。恐らくこの頃私自身にさえ見向きもされなくなってしまった私の物思いが、毎夜のように自分のうちから抜け出して、時鳥となり、あちらこちらを啼き渡っているのだろう」などと考え考え、そんな負けず嫌いな気もちを歌によんだりして、わずかに悶をっていた。しかし、それを誰に見せようでもなく、私はそこいらの紙に書き散らしては、それがそのまま失せるもよいと思っていた。……

   その二

 もう一年余もひらかなかった此日記を取り出して、それにまだこう云う気もちではついぞこれまで向った事もないようにさえ見える、心のときめきを感じながら、いま、夜の更けるのも私は知らずにいる。自分にとって附けても附けなくとも好いようなものになりかかっていた此日記を、再びこんな切ない心もちで手にとる事があろうとは、夢にも思わなかった事である。
 かんきみがお立ち去りになって往かれたのは、もう余程前のことであろう。その跡、私はながいこと、灯をそむけたまま、薄暗いなかに、ひとり目をつむっていた。いつまでもそうしながら、自分でも何をとははっきりと分からないようなものを考えで追い続けていた。そしてその自分でもはっきりとは分からないもののために自分の心が切ないほどらいでいるのを、私もまた切なくそれを揺らぐがままにさせていた。……
 暫くしてから、私は観念したように閉じていた目をやっと見ひらき、出来るだけ心を落着けるようにして、自分の前にこの日記を置いた。

 一生受領ずりょうだった父が、私のためにいろいろと気づかって呉れて、私達をいまの中川のほとりの住居に移らせて下すったのは、去年の秋の半ば頃だった。殿が私のためにあてがって下すっていた、これまでの家はますます荒れ放題に荒れてきて、もう住み難いばかりになっているとは言え、父の勧告に従って其家を去ってしまえば、同時に殿との間もこちらから絶やすも同様になるので、最近わざわざ志賀の里から引きとったばかりの養女の事など考え、さすがにそれを自分ひとりでは決し兼ねて、まあそう言えば殿の方でどうお出でになるだろうかと、それとなくその移居の事をほのめかすように殿にお伝えして置いたのだった。けれども、殿からはその事については何んとも御返事がないばかりか、この頃は例の近江とかいう女の許へばかり繁々とお通いになって入らっしゃると云うお噂を耳にしたので、私はいよいよもうこれまでと思い、殿にはなんともお断りせずに、父の言うとおりに中川の家に移ったのだった。大層山近く、河原に沿うた、ささやかな家で、本当にこんなところにこそ住いたいと年頃思っていたような住いであった。――其処へ移ってからなお二三日は、殿はまだそれをお知りになった様子もなかった。ようやく五六日立ってから、「どうしておれに知らせてくれなかったのだ」と御文をもうわけのように寄こされた。「お知らせいたそうかとも思いましたが、こちらはあんまり片寄った処でございますので。本当に、せめてもう一度なりと、もとの処でお会いいたしとうございました」と私が気強くすっかりもう仲の絶えたようにして返事を差し上げると、殿の方でもお怒りになったかのように、「そうか、そんな不便な処ではおれには往かれそうもない」と言って寄こされたぎりだった。それからそのまま、私達はとうとう仲が絶えた形になった。
 九月、十月とたち、早朝などしとみを上げて見出すと、川霧が一めんに立ちこめていて、山々はふもとすら見えないようなこともあった。それほど寂しい、それほどわびしい住居に自分自身を見出すのが、私にはせめてもの気休めになった。その川を前にして果てしもなく拡がっている田の面には、ところどころに稲束いなたばが刈り干されていた。たまたま私達のもとに訪れて来るような人でもあると、その青稲をそのまま馬に飼ってやっているのも、いかにもあわれが深かった。小鷹狩が好きなので、ときおり野へ出ては鷹を舞い上がらせたりしているものの、こんなところでもって一緒に暮らすようになった道綱は、まだ若いだけ、何んだかすべてが物足らなさそうに見えた。
 そのままやがて冬になろうという頃、こちらではもうすっかり仲の絶えた気でいた殿の許から、突然、冬の着物を使いの者に持って来させて、これを仕立ててくれなどと言って来られた。「御文もありましたが、途中に落して来てしまいました」と使いの者がしきりにわけをしていたが、最初からそんなものはお持たせにならなかったのだろうと思われた。私はもう意地を立てとおす気もなく、言われるなりにそれを仕立てて、こちらからも文を附けずに送って差し上げた。その後、そんな事が二度も三度も続いてあった。なかなか仲が絶えそうで絶えないのが気になったが、それもまあこんな縫物位のためではと、私達の果敢はかなかった仲がいまさらのように思い返されたりしているうちに、その年も暮れたのだった。
 ながいこと大夫たいふの位より昇進しなかった道綱が、ようやく右馬助うまのすけに叙せられたのは、その翌年の除目じもくの折だった。殿からも珍らしくお喜びの御文を下さったりした。今度の昇進はよっぽど道綱も嬉しいと見え、いそいそとして其処此処御礼まわりなどに歩いていたが、そのつかさ(右馬寮)の長官が丁度道綱には叔父にあたる御方なので、其処へも或日お伺いすると、まだお若いその御方は非常によろこばれて、よもやまな物語の末、何処からお聞きになって知っていらしったのか、私の手許に養っている撫子の事を何くれとなくお問いになり、「御いくつになられました?」などと熱心にかれたそうだった。帰って来てから、道綱が私にその事を話して聞かせたが、私は「まあ、いくらお好色すきな方だって、こんな撫子を御覧になったら――」と答えたぎり、なんとも気にはとめなかった。
 撫子は去年志賀の里から私の許に引き取られてきた頃から見れば、だいぶ大人寂おとなさびた美しさも具え出して来てはいる。そして幼少の折からいろいろ苦労をして来たせいか、年の割には世の中の事は何もかも分かるようで、私の前なんぞでは山里に一人佗しく暮らしている母の事などを少しも恋しそうにはしない位、――だが、身体つきなどはまだ細々としていて、全体に何処となく子供子供している。初事ういごとなどはまだ遠そうである。――そういう誰の目にもつきそうもない小さな草花のように生い立っているこの少女を、まあその御方は何処からお聞きつけになって、もうそれに御目をかけられようとしているのだろう。……

 右馬頭うまのかみはその寮で道綱にお出合いなさると、話のついでにかならず撫子について同じような事を繰り返しお尋ねになるらしかった。最初は道綱も気になると見え、逐一それを報告していたが、私の方で一向取り合おうとしなかったので、しまいにはもう私には何も聞かせないようになった。ところが、或日、夜更けてから帰って来るなり、もう私のているところへ這入ってきて、「実はきょうお父う様にお目にかかりましたら、お前の寮の頭がこの頃おれをしきりに責めるのだが、お前のところの撫子はどうしているな、もう大ぶ大きくなったろう、などとおっしゃっておりました。それから寮で、かんきみにお逢いしましたら、殿から何かそなたに仰せにはなりませんでしたか、と訊かれたので、その通りにお答えしますと、頭の君はそれをどうお取りになられたのか、それでは明後日が好い日だから御文を差し上げたい、などと私に言われるのです。私は何んとも御返事いたさずに参りましたが――」と生真面目な道綱はさも困った事になってしまったようにそれを話すのだった。私はそれを一通り聞くと、「まあ本当に何を勘ちがいなすって入らっしゃるのでしょうね。まだ撫子がこんなに小さいとは御存知ないからなのでしょうよ」などと事もなげに返事をして、心配そうな道綱を去らせた。そうして私もその夜はそのまま寐た。
 さて、その日になると、矢っ張、頭の君から御文があった。「日頃からわたくしの思っておりまする事を殿にお頼みいたしておきましたが――」などと丁寧に書いて、殿からそちらへ自分で文を差し上げよと言われましたので、こうやって消息をしたためましたと言って来たのだった。私はそれを受け取って、まあ頭の君も撫子がこんなにおさない事がお分りになりさえすればと、おかしい位に思って、さしあたり返事はどうしようかと迷っていたが、いっその事この手紙を殿のところに持たせてやって何んと仰ゃるか聞いて来させようと思った。が、御物忌おものいみやら何やらでなかなかそれを殿に御目にかける事が出来ないでいるらしかった。一方、頭の君は頭の君で、こちらの返事のいつまでもないのをしきりにうらんで入らっしゃるらしかった。仲に立って、道綱は一人で殆ど困っていた。ようやく殿の御返事のあったのを見ると、「おれがどうしてそんな事をまだ許すものか。そのうち考えて置こう、と右馬頭には言って遣っただけだ。返事はお前が好いように取做とりなせ。そんな姫のいる事さえ誰もまだ知ってはいない位だのに、しそんな右馬頭でもそちらに通ったりしてみろ、お前がおかしく思われてもしようがないぞ」といかにも心外な事らしく仰ゃって来られた。そんな事を言われれば、こちらだって腹が立つ。その腹いせのように、私はつい大人げなく頭の君にも「ちょっと殿の許に使いを遣りましたら、まるで唐土もろこしにでも行ったように長いことかかって、ようやく御返事をいただいて参りました。しかしそれを見ますと、ますます私には分かり兼ねる事ばかりなので、何んとも返事のいたしようがございませぬ」と手きびしい返事を書いてやった。そんな風にいつになく腹を立てた後で、ふと気がつくと、なんでもない事だろうと思っているうちに、急にすべての事がなんだか思いもよらない方へ往ってしまいそうな危惧きぐが、其処には感じられないでもなかった。私はそれを感ずると、何がなし心の引き締まるような気もちがした。――そんなこちらの冷めたい返事にも、私のおそれたとおり、頭の君はすこしもお懲りにならず、それどころか反って熱心に同じような御文をお寄こしになり出したのだった。もうそうなると、こちらではなるべくそれに取り合わないようにしているよりしようがなかった。

 ところが、三月になり、或日の昼頃「右馬頭様がお出になりました」と言うことだった。突然だったのでびっくりしたが、私はすぐざわめき立った女房たちに「まあ静かにしておいで」とたしなめ、それを取次いだものには「好いから、いま、私達は留守だとお答えなさい」と言いつけた。
 が、そうこうしているうちに、一人の品のいい青年が中庭からお這入りになっていらしって、目のあらまがきの前にお立ち止まりになられたのがみすごしに認められた。練衣ねりぞを下に着て、柔かそうな直衣のうしをふんわりと掛け、太刀たちいたまま、紅色の扇のすこし乱れたのを手にもてあそんでいらしったが、丁度風が立って、その冠のえいが心もち吹き上げられたのを、そのままになさりながら、じっとお立ちになって入らっしゃる様子はまるで絵に描かれたようだった。
「まあ綺麗な方がいらっしゃること」奥の女房たちは、まだなんにも知らずに、なども打ち解けた姿のまま、そんな事をささやき合って、みすごしにその青年を見ようとしているらしかった。折から、その青年のえいを吹き上げていた風が、其処まで届いて、急にその簾をうちそとへあおったものだから、簾のかげにいた女房どもはあれよと言って、それをおさえようとして騒ぎ出していた。恐らくその青年に、そのしどけない姿を残らず見られたろうと思って、私は死ぬほどはずかしい思いをしていた。
 ゆうべ夜更けて帰ってきた道綱がまだていたので、それを起しに往っている間の、それは出来事だった。道綱はやっとそのとき起きてきて、「生憎あいにくきょうはみんな留守でして――」などとかんきみに言っていた。風がひどく吹いていた日だったので、先刻から南面のしとみをすっかり下ろさせてあったので、それが丁度いい口実になった。
 頭の君はそれでも強いて縁に上がられて、「まあ、円座わろうだでも拝借して、しばらくここに坐らせて下さい」など言いながら、其処で道綱を相手にしばらく物語られていたが、「きょうは日が好かったので、ほんの真似事にでもこうして居初いそめさせていただきました。これだけで帰るのはいかにも残念ですが――」と、すこししおれた様子で、お帰りになって往かれた。
「思ったよりも品の好さそうな御方だこと」そんな事を思いながら、私は簾ごしにその後姿をいつまでも見送っていた。

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