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ほととぎす(ほととぎす)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-25 16:18:37  点击:  切换到繁體中文



 そんな或日の事、思いがけず道綱が殿の久しく絶えていた御消息を私のところに持って来た。何事かと思って、私はいそいでひらいて見た。「この頃よく右馬頭うまのかみがそちらへ参るそうな。八月まで待たせなさいと言ってあるのに。人の噂によると、なんでもお前が右馬頭を派手にもてなしてやっているそうではないか。お前に会えるのだったら、怨みの一言も言ってやりたいものだ」
 その消息を手にしたまま、余りの事にしばらく私はうつけたようにさえなっていた。こんな事を、あの気位の高い殿がよくもまあ私になど仰ゃって来られたものだ。事もあろうに、あんなお若い頭の君のことで私をお疑ぐりなさるなんて。――そう思うと、何より先きに、ひとりでに苦笑とも冷笑ともつかないようなものが私の胸のうちにおさえ兼ねたように込み上げて来た。その一方、何とも云えず悔やしいような気もちもしないではいられなかった。……
 そうやってその消息を手から離しもしないで、しばらく空けたようになっていた私は、やっと気を変えて、ともかくも早速殿に何んとか返事を差し上げなければならないと思った。が、何を書いても、誰が誰に向って書いても同じような弁疏いいわけめいた事しか書けそうもなかった。そんな事位でこちらの心をお疑ぐりになるのを反って殿にお怨み申したい――そう自分でありたいと思うような気もちには、しかしどうしても今の私はなれなくなっていた。自分の心が既に殿からはこんなにも離れてしまっているのかと思って、私はみずから驚いた位だった。
 私はそのまま悔やしそうに、その殿の手紙の裏に何んと云うこともなしに散らし書きをし出していた。こういう今の自分の何もかもを引括ひっくるめて自嘲したいような気もちにしかなれずに。――

  いまさらにいかなる駒かなつくべき
    すさめぬ草とのがれにし身を

 私は殿には返事を差し上げる代りに、そんな歌だけ書いてお送りする事にした。それを道綱に持たせてやった後も、しかし私はいつまでも自分の裡に何物に対するともつかない、果てしない不満のようなものが残っているのをどうしようもなかった。
 頭の君はこの頃も相変らず、何かと言っては道綱を呼びに寄こしたり、又遠慮がちに道綱のところに御自身でも入らしったりなすっているらしい。かんきみはこんどの事は何も御存知ないのだから、別にかれこれ言うこともないので、私はそのまま勝手にさせておいた。そのうち五月になった。時鳥ほととぎすがいつになくよくいた。昼間からこんなに啼くことも珍らしい。かわやにはいっていて、ほととぎすの啼き声を聞くのは悪い前兆だといって昔から人々が忌むらしいが、私はしばしばそれをすらうつけたように聞くがままになっていた。……

 いつか世の中は長雨ながさめにはいり出していた。十日たっても、二十日たっても、それは小止おやみもなしに降りつづいていた。
 或夜など、雨のためにひさしく音信おとずれのなかった頭の君から突然道綱のもとに「雨が小止おやみになったら、ちょっと入らしって下さい、是非お会いしたい事がありますから。どうぞお母あ様には、自分の宿世すくせが思い知られました故何も申し上げませぬ、とお言付ください」などと、何を思ったのか、書いて寄こされた。――そこで道綱が何やら気になるような様子で、雨の中をわざわざ訪ねてゆくと、別に何の用事もなかったらしく、ただ頭の君に人懐しそうにもてなされ、女絵など一しょに見ながら常談を言い合って、夜遅く再び雨に濡れて帰って来た。
 撫子の方も撫子で、この頃は何かふさいだようにしている。日ねもす、こもったまま、琴などを物憂そうに掻き撫でたり、そうかと思うと急に止めたりして、少しいらいらしたようにして暮らしている。――こういう物忌ものいみがちな長雨頃の、そういう若い人達の、何処へも持ってゆき場のない、じっとしていたくともじっとしていられないような気もちは私にもよく分かっていた。そればかりではなかった。私は絶えてここ数年というもの感じたことのなかった、そういう何処へも持ってゆき場のないような気もちを、撫子なんぞのために思いがけずよみがえらされたようで、――しかし、今の私にはその昔日の堪え難さそのものさえ、それと一しょにそれが自分のうちに蘇らせるもののためにか、反って不思議になつかしい気のするものだった。私はそういう心もちに誘われるがまま、一人きりで端近くに出ては、雨にけぶった植込みなどをぼんやりと見入っていたりする事が多かった。まだ殿もお通いにならなかったような若い頃、よく自分がそうやっていたように……

 そんな長雨のつづいている間の、すこし晴れて、どことなく薄月のさしているような晩だった。
 きょうはひさしぶりの雨間に、さっきから頭の君が道綱のところに来ていられたようだったが、そのうち知らない間に一人でこちらへ入らしってしまわれた。そうしていつもの縁の端に坐られて、例の撫子の事、いつまでもこうして一人でいなければならぬ苦しさなんどを、何かと私にお訴えになり出した。「もうあとの三月みつきばかりなど、すぐ立ってしまいましょう」私はいつもの冷やかな、突っ放すような調子で言った。
「それが反って中途半端で、この頃私にはますます苦しいのでございます」頭の君はそれには構わずに、自分の言おうとする事は押し切っても言ってしまわれようとするように言い続けられた。「御約束下さった日は、あともう三月と申せば、向うに見えて居るも同然なものではございますが、それでいてこのまま只今のように空しく待たされて居りますると、どうもそれに一日一日と近づいて往かねばならぬのがいかにもまだるく、もどかしくて、反ってそれに近づけば近づくほどその日が遠のくように思われてなりませぬ。もういよいよと言うところまで待っても、私はそのとき自分が此どうにもならない堪え難さのためにどうかしてしまいはせぬかと不安でたまらないのです。どうか私からその不安を取り除くように、何とかお計らい下さいませんでしょうか」だんだん哀訴するような調子になって来ていた。
 そうなればなるほど、私はますます取り合わないように、「まさか私に殿の御暦の中をって、すぐ八月が出るように、つないでくれとおっしゃるのではないでしょうね?」と思わず笑いを立てながら言ったりした。
 頭の君はしかし、にこりともなさらずに、みすの方をじっと見つめて入らしった。そのため、私はその簾の中に自分の立てた笑いがいつまでも空虚うつろにひびいているような気もちになったほどだった。私はそのときふいと殿の御手紙の事を思い出しながら、「それは御無理な事です。それに、この頃は殿にもこちらから御催促しにくいような事情になりまして……」
「それは又、どうなすったのですか?」頭の君は心もち縁からいざり寄られた。
 これはまだ言うのではなかった、と思ったけれど、私はすぐ又、そう、いっそ此事は早くお知らせしておいた方がよくはないかしら、とも思い直して見るのだった。しかし自分の口からはさすがに言い出しにくいので、その殿から寄こされた御文をそのまま、頭の君にお見せしたくないところだけ破り取って、「これを御覧なすって下さいまし。御目にかけてもしようのないものですけれど、まあ、これで殿に催促しにくいわけがお分かりになるでしょうから――」と言いながら、簾の下から差し出した。
 頭の君はそれを手にせられると、ずうっと縁の先まで滑り出して往かれて、かすかに差している月あかりにすかしながら、それをいつまでも見入っていられた。
 そうやってながいこと見て入らしった後、頭の君は何やら口籠りながらそれを簾の下から、こちらへ差し入れられた。それからっと聞えるか聞えないほどの声で、「御料紙の色さえわかり兼ねます位で、折角ながら何んとも読めませんでした」と言って、再び縁の方へすさって往かれた。
 私は頭の君に巧みにすかされたような気がして、「いいえ、こんなものはもう破いてしまいますから――」と悔やしそうに言ったものの、しかしそれにはすぐに手を出そうともしなかった。
 頭の君が縁の方から再び言われた。「どうぞお破りにだけはならないで下さいまし。昼間、もう一度、拝見させて戴きとうございます」何処までもそれが読めなかったような御様子をなさろうとして入らっしゃるらしかった。それからそのまま頭の君は無言でお控えになっておられるかと思っていたら、一人で何を口ずさんで入らっしゃるのだか分からないような事を口ずさんで入らしった。……
「あすは役所の方へは助の君に代りに往っていただいて、私はこちらへもう一度、それを拝見に参りますから――」頭の君がそう言い残されて、其処を立ち去って往かれたのは、それから間もなくの事だった。
 その跡で、私は半ば気の抜けたように、そこの簾の下に差し入れられたままになっている殿の御文を破ろうとするのでもなく、手に取って見ると、まあ何とした事か、私は頭の君に御目にかけたくないと思って破ったところを反対にあの方に御目にかけてしまっていたのだった。その上、誤って御目にかけた紙の端が半分ほど更に引きもがれているのに気がついた。私にはすぐ、あの薄月の微かに差している縁先きで頭の君が帰りぎわに何かしきりに口ずさまれて入らしった姿が思い出された。
 私はその頭の君に見られた紙片の丁度裏あたりに、あのとき自分で自分をあざけるように一ぱいに散らし書きをしたままであったのを、それまで忘れるともなく忘れていたのだった。――「いまさらにいかなる駒かなつくべき……」
 私はふと口をいて出たその文句が自分の胸を一ぱいにするがままにさせながら、なぜか知ら、撫子の悲しいまなざしをくうに浮べ出していた。いまにも私に物を言いかけそうにして、しかしすぐに何んにも言うまいと諦めてしまうような、撫子のしおらしいまなざしが、それまでついぞそんな事はなかったのに、その夜にかぎって私の目のあたりからいつまでも離れなかった。

   その四

 その翌朝、かんきみは道綱のところへ使いの者に、風邪気味で役所へ出られそうもありませんから一寸お出がけにでもお立ち寄り下さい、とことづけて来させた。ゆうべの出来事を少しも知らない道綱は、又例の事かと思ったらしく、いつまでも出仕しゅっしの支度をぐずぐずしていると、再び使いの者が来て、お待ち兼ねのようですからどうぞ早く入らしって下さいませ、としきりに催促しているらしかった。何んの用があるのか分からなかったけれど、何か私にも気がかりでない事もなかった。
 が、そのとき頭の君は私の方へも別に御文を持ってよこされたのだった。ひらいて見ると、「風邪気味で、折角ゆうべ御約束したものを拝見に伺えず、なんとも残念でなりませぬ。私なんぞには忖度そんたくいたし兼ねます事ながら、何か殿にわざと御催促なさりにくいような御事情がおありなさいまするなら、然るべき折を見てなりと、よいように御取りなし下さいまし。此日頃、われとわが身が不安になるほど何が何やら分からず思い乱れておるような私の気もちをも御推量下すって」といつもに似ず乱雑な、読みにくいほどな手跡で、したためられてあった。
 私はいろいろ考えあぐねた末、それに対する返事はそのまま出さずに置いた。

 しかし、あくる日になってから、矢っ張それぎり返事を差し上げないのは、反ってこちらで何んだかこだわっているようで、若々しいかたではないかと私は考え直して、いかにも何気なさそうに返事をすることにした。「きのうはこちらに物忌ものいみなどいたす者がございまして、御返事もつい書けずにしまいました。その事をどうぞ川水のよどみでもしたかのように、心あってかなんぞとはお思いにならないで下さいまし。殿へはこちらからは使いをやるよすがさえ無いのが、御存知のとおりの、今のわたくしの果敢はかない身の上。――御文の紙のいろは、昼間御覧なすっても、同じように覚束おぼつかのうございましょうとも」
 夕方、その文を頭の君の許へ届けに往った使いの者は、先方に法師姿をしたものがおおぜい集ってごった返していたので、只、それを置いて参りましたと言って戻って来た。
 まだ風邪気味でていらっしゃるらしい頭の君から「きのうは法師共がおおぜい参っておりました上、日も暮れてからお使いの方が見えられましたので――」などと言いわけがましく書いてよこされたのは、その翌日になってからだった。「――ここ数日、どうしたのか私の庭を離れず、一羽のほととぎすがはなの蔭などでしきりにてておりますが、こうして日ごと一人きりで歎き明かしてばかりおる私にすっかりなつきでもしたと見えます。

  なげきつつ明し暮らせばほととぎす
    この卯の花のかげに啼きつつ

 まあ、一体、私はこのほととぎすと共にどうなることでしょうか知ら」
 いかにも何事もなげながら、どことなくお心のうめきをお洩らしになって入らっしゃる、そのような御文を読み返しているうちに、私はついらずらずのうちに、苦しんでいるのが相手の方であるときいつも自分の内をひとりでに充たしてくる、一種言うに言われぬ安らかさを味い出している自分自身を見出さずにはいられなかった。……
 それから数日後、突然、おじ君にあたられる左京頭さきょうのかみがお亡くなりになられたので、頭の君もその喪に服せねばならなくなり、殿の御約束せられた八月を前にして、私共に心を残されながら、しばらくその病後の御身を山寺へおこもりになられ出した。山からは、最初のうちは絶えず御消息をおよこしになられた。それは相変らず独居の淋しさと撫子を求める切なるねがいとに充たされていた。しかし私はその頭の君の御文のなかの独居の淋しさをお訴えなさる御言葉がなんとも言えず切実に身にしみて覚えられれば覚えられるほど、一方、撫子をお求めになられる同じ文中の御言葉が、なぜか知ら、いよいよ空疎なものに見えて来るのに気がつかないわけには往かなかった。恐らくそれにはただ私だけが気がついているのだという事も自分には分かっていた。それが一層私を身じろぎもできないような苦しい心もちにさせていた。そのうちにそんな頭の君の御文がだんだん途絶えがちになって来るようなのに、私が気がつくかつかないうちに、突然、それが絶えてしまった。絶えてから、私ははじめてこうなるだろう事を前から何んとはなしに予知していたような気さえしたのだった。しかし頭の君が山を下りられたらしいお噂はついぞまだ聞かなかった。

  …………………………………

 私は此日記を仕舞わないうちに、もう一と言附け加えておきたいと思う。左京頭の喪のために山に籠られたぎり、そのまま行方ゆくえ知れずのようになられていた頭の君が、実はいつの間にやら他人の妻をぬすまれて何処ぞへこっそりとお姿をくらましてしまわれたのであるという事が分かったのは、もう七月もなかばを過ぎてからだった。その事を知った当初は、あまりといえばあまりな出来事に心がみだれて、そういう頭の君に対する思いがけない程のはげしい憤りやら、自分のした事に対する悔いやらを感ぜずにはいられなかったが、ようやくいつもの落着いた自分に立ち返った今はもう、何やら自分でもわけの分からぬ身の切なさを除いては、私の気もちも割合に静かになっている。
 女房たちはそんな私に向って言うのだった。「もう御約束の日も間近かになっておりましたのに、あれほど御執心なすって入らしった姫君をいて、あの方とした事が、まあ何んという事をなすったのでございましょうね。本当にあまりといえばあんまりな……」私はそういう人々のおなじ繰り返しのような慰めの言葉はどうも無関心に聞き流しているよりしようがなかった。
 が、そういう頭の君のこんどの唐突な振舞も、少くともいまの私にだけは、そうなさるべくあの方を余儀なくせしめたようなお心の動きの全然分からない事もないような気がする。否、むしろ、もう殆ど手に入れられるばかりになっていた撫子をいつまでもあの方に限りなく遠いところにあるかのように思わせ、あの方のお気もちをわざとらし抜いて、御自分で御自分がもう何を欲していらっしゃるのかさえ見分けられないようにおさせして、とうとうこんな思いがけないような結果にならせてしまったのは、この日頃の私、――いつの頃からか男という男のあらゆる運命に対してともすれば皮肉になりがちな、しかもそんな自分を自分でもどうしようもない、この私の所為せいだったのではなかろうか。そんな気にも私はどうかするとなり兼ねないのだった。……
 そういう一抹の不安のないこともない私に、道綱が何かそわそわとして黙って一通の文を届けてくれたのは、丁度きのうの事である。まあ、おめずらしい、殿の、と思ったら、それは思いがけず頭の君のだった。しかし、道綱の手前、何気なさそうにして手にとって見ると、「本当にわれながら浅ましい姿になり果てました。いくら心にもないことだと私が申しましても、お聞き入れにはなさいますまい。こんなどうしようもない羽目にならない先きに、どうしてもう一度なりとあなた様のお目にかかってしみじみとお語らいしなかったのだろうと、悔やまれてなりませぬ。――」
 そのあとに何やら歌のようなものが書かれてあって、その上が墨で消されてあった。私はその一部分を辛うじて判読した。「……をしむはきみが名……」
 私はつとめて冷めたい顔をしたまま、その紙をしずかに巻き出していた。道綱は私の前に据わったまま、別にその文を見たくもなさそうにしていた。そしてしばらく、二人は何んとも言わずにいた。しかし、そのながい沈黙は、私にとっては、何か心いちめんに張りつめていた薄氷うすらいがひとりでにわれるような、うすら寒い、なんとも云えず切ない気もちのするものだった。……





底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
   1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第2巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年8月30日初版第1刷発行
初出:「文藝春秋」
   1939(昭和14)年2月号
初収単行本:「かげろうの日記」創元社
   1939(昭和14)年6月3日
※底本の親本の筑摩書房版は創元社版による。
※初出情報は、「堀辰雄全集 第2巻」筑摩書房、1977(昭和52)年8月30日、解題による。
入力:kompass
校正:松永正敏
2004年2月27日作成
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