您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 牧野 信一 >> 正文

吊籠と月光と(つるべとげっこうと)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 9:01:13  点击:  切换到繁體中文


 で、「七郎丸」の旗を壁に懸けたのが、いまだにそのままそこにあったのだ。
 七郎丸は、それ以来引つづいて、この観測台に務め続けて来たのである。何故なぜか僕たちは、その一度だけで、まるで痛いものを避けるが如くに旗に関する一言ずつの会話も取り交さなかったのである。
 一言弁明して置くが、僕のAは飲酒家であるが、七郎丸との交渉は大方僕のCのみである。僕らが大酔のあまりかかる超現実性を帯びた亢奮状態をあらわしたのは、そのおよそ十年近き以前の一夜だけで、今日まで僕たちの間では平調をはずれた音声すら一言だって交されたためしもないのである。七郎丸の涙などを見たのは僕にとっては、さっきの居酒屋の騒ぎが空前の奇蹟に違いなかった。
「ねえ、七郎丸、あれはおそらく十年も前のことになるだろうな。今晩は、ひとつ旗にからまるお前の夢について……」
 語らないか――と僕が、静かに目をつむりながらおもむろに首をかしげると彼は、
「スリップスロップ!」
と唸りながら慌てて洋盃コップを傾けると、立ちあがって壁の旗を取り下しにかかった。
「今急に、何もその旗を取り下さなくっても好さそうなものじゃないか。この祝盃は旗の下で挙げようじゃないかね!」
「君の見ている前で一度下すのだ――それから君、これをどうにでもしてくれ……思い出だけは勘弁してくれよ。」
「おお――船が動く動く!」
「動き出した動き出した! なかなか波が高いぞ。」
 僕も立ちあがると、二人ともおそろしく脚がフラフラとして止め難く、二人は一旒いちりゅうの旗の両端をつかんだまま、
「いや、まあこれは君の手で!」
「いけない、今夜とそして進水日にはどうしても友達である君の手で!」
「志はありがたいが、俺にはそんな形式張ったことは柄に合わないから!」
「だって他に人がないことは解っているじゃないか!」
 などと譲り合いつつ、酔いに酔った遠慮深いアメリカ・インデアンと美しいマイワイをまとった大男とは、牡丹ぼたんに戯れる連獅子れんじしの舞踊ででもあるかのように狭い部屋の中をグルグルと追い廻った。
(註一。スリップスロップ。――この間投詞は僕が若者間に流行させているもので、知らるる通り「汝の感傷癖をわらうよ。」というほどの意味である。)
(註二。マイワイ。――これは豊漁の時に村中の人々に配布されるドテラ様の上着で、祝着と書いてマイワイと振り仮名すべきが適当であろう。多くは浅黄地あさぎじにてすそ回りに色とりどりの図案にて七福神の踊りとか唐子からこ遊戯の図などが染出された木綿の長襦袢ながじゅばんのようなものである。祝着というても祝祭日に着るわけでもない。村人は薄ら寒い夕べの散歩時にも、部屋着にも、四季の別ちなく自由に着用している。余談だが、僕はアメリカ人である知合の一女性と毎年クリスマス・プレゼントの慣例を持っているのだが、去年の時は所持金が皆無で当惑の余り、七郎丸からもらった新しい祝着マイワイに、貴女の国にては近頃物数奇ものずき者間にてわれらが国の労働着がハッピイ・コートとやら称ばれて用いられている由なれど、これこそわれらが海辺の村の誠のハッピイ・ガウンなれば、試みに着用して茶友達の評を仰いで見給え! などと勿体をつけて贈り、絶大な感謝をけたことがある。)
 そんな風にしていい争っていたが、七郎丸は不意に手を離してじっと息を殺したかと思うと、片手の平を耳の傍らにかざして、
「聞えるだろう!」
と力をめてささやいた。
 外はくまなくえ渡った月夜である。で、僕は和やかな波の合間に耳を澄して見ると、はるかの彼方かなたからカチン、カチンとしきりに響いているのみの音が伝って来る。僕は吸い込まれるようにその音の方に耳をそばだてた。
 あたりの漁家は既にもう一様に燈火を消して眠りにいたらしい中で、浜辺近くの松林の傍らにある船大工の工房だけが夜業に励んでいるさまがうかがわれた。その工房は屋根だけで周囲の囲いがなかったから、その上仕事場の前の広場に焚火たきびがあがっているので、働いている人たちの姿がくっきりとシルエットになって浮び出ている。
「もうやっているのか?」
 僕は眼を視張ってたずねた。なんとも名状しがたい爽快なあらしが僕の胸のうちには更に新しく火の手を挙げた。
「…………」
 七郎丸は深く点頭うなずいてから、重々しい口調で説明した。
「丸源はね、先々代の七郎丸の友達でね――半ば義侠的にこの仕事を完成してやるという意気込みなんだよ。この月のあるうちに大方を仕上げてしまうと、今日力んでいたが、まさしく取りかかったじゃないか。あそこには十五人ばかりの弟子が働いているけれど、八人までは丸源のせがれなんだぜ。そろいもそろって屈強な舟大工さ。そらそらあの焚火の傍で何か叫んでいるらしい赤鬼のような老人が指揮者の丸源だよ。……どうだい。」
 焚火の炎が、月明の真中にともされた大提燈おおぢょうちんのように輝いて、働いている人たちの姿が、提燈の画になって見える。
「惜しいかな、声がとどかないな。」
「それは無理だ。」
「それが一層輝々こうごうしい眺めとなって、見えるじゃないか!」
 僕は、仕事場の壮麗な遠望に魂を奪われて固唾かたずをのんだ。僕は、振りあげられたつちが、打ち下され、更に打手の頭上に構えられた時分に、打たれた音がこっちの耳に響いて来るほどの距離であるにもめげず、かがりの火の明るさをすかして、彼らのどんな微細な動作をも見逃さぬように努めた。
 月光の、静寂な大気の――無限大に青白いスクリーンの中央に、世にも不思議な巨大なランプの月の傘の如く八方に放った光芒こうぼうが澄明な黄金の輪を現出して、その一区劃の中ばかりが戦闘準備のように花々しい活気を呈している面白い光景に僕は魅了された。
 ……すると――おそらく僕が余りに凝然と眼を視張って眼ばたきもしないでいるために起る視覚の錯誤なのだが、その巨大な提燈は、活躍を続けている花々しいシルエットをはらんだまま、スーッと音もなく滑走し、宙に浮んで、小さく、明るい月に変った。それでもそこに立働いている人たちの姿は相変らずはっきりと見え、丸源の太郎、二郎、三郎の顔かたちはおろかどんなことを話しているのか、その口の動きで想像も出来るくらいにまざまざと判別出来るのだ。
「月のあるうちに急いで置かないと、後はかがり火だけじゃ仕事が出来なくなるからな。」
「そうですとも、お父さん、七郎丸の仕事なら私たちは昼夜の差別も知りませんよ。」
 いろいろと僕は彼らの会話を想像していると、(ああ、僕は夢に駆られ出したのを自ら気づかなかったのか!)丸源の太郎、二郎、三郎を、眼ばたきをして見直すと、驚いたことには、その三人は、僕が、「国境の丘」まで見送ったところの、あの三人ではないか!――彼らは、旅の第一夜をあんな処であんな風に過しているのか。あのかがり火を村里の灯とでも思って慕い寄ったことなのだろう。
 Aは、いまだに、「あれから、これへ」を口吟くちずさみながら、それでも懸命につちを振りあげている。Bは、えあがるほのおの傍らで時はずれにも弁当を喰っている。Cは、うつむいてばかりいるので仔細な顔は解らないが、物差ものさしを執って、一心に木片の寸法をとっている様子である。
「第一夜からして、あの勢いでは頼もしくはあるが、一言その労をねぎらう言葉だけでも贈ってやりたいものだな。」
 僕は三人の無銭旅行者のための幸福を祈った。しかし僕は祈るべき言葉を持たなかったから、Bの恩師の言葉を引用して、ひたすら彼らの旅路のまどかなるべきをねがうのであった。
「汝らの旅は全世界へ向っての遍歴であり、空間のあらゆる空所において営まれつつある全建造の視察であり、万物の物理的復帰を包括しながら、壮麗なる無限大へ向って進むものである。」
 かく祈りながら僕は彼らに向って、胸の切なさをつかんでは投げ、つかんでは投げつける心算つもりで、その通りに腕を振り動かせているのであった。胸先を握って、こぶしをつくり、空間に腕を突き出しては拳を開くのであった。
 そうこうしているうちに向方むこうの円光の中には様々な人影が次第に増して来て、焚火のまわりをグルリと取り巻いて、景気の好い仕事を見物している。彼らは、口々によろこびの言葉を発しているらしい。
「おやおや!」
と僕は、もう一度眼ばたきをしてつぶやいた。その人だかりの中には七郎丸の祖父と父親が紋付の羽織を着て控えている。僕の父親も同じような姿で、ひど武張ぶばった顔つきをしている。祝着マイハイを着た若者連が焚火のまわりを踊り廻ったりしている。――僕らが既にこの世で永久の別れを告げたはずの祖父たちが、そんな風に現れているので僕は幾分馬鹿馬鹿しくもなったが、彼らの姿が現世のそれと寸分もたがわず、そして、あの丸源たちと一緒になって談笑もしている様子を見ると、僕は別段そこに何の不思議もないあり得べきことを見ている通りな心地になって、何ということもなく、
「まあ、好かった。」
と思ったりした。
「有りがとう――」
 僕は七郎丸に肩をたたかれてわれに返ったが、向方の仕事場の明るみのうちに見た幻が、なかなか幻と思い切れなかった。――七郎丸は、僕の肩をたたきながら続けた。
「有りがとう――俺は、君が、そこでそうして丸源の仕事を眺めている怖ろしく真剣な姿に感謝せずには居られない。俺は、君の、その情熱のあふれきった素晴しい姿を永久に忘れることは出来ないだろう……もうこっちが苦しい、卓子テーブルに戻ってくれ。」
 こういわれたので僕は、その自分の姿勢を験べて見ると、自分は窓わくに片脚をかけ、右の拳を月光の中に、悪人の脇腹を突いた荒武者のそれのように力一杯に突き出し、上体を虎のように前方に乗り出し、そして左手の拳で自分のあごを突きあげているままの生人形に化していたのである。
 ベルが鳴った。
 来訪者だ。
「どなた?」と七郎丸が通話口に顔をあてて訊ねた。
「エレベーターを降して頂戴な。」
 僕の妻の声だった。
 ここの部屋は「係員以外の出入厳禁」であったから、係員である僕たちは部屋に戻ると縄梯子なわばしごきあげておかなければならなかった。また荷物を携えている来訪者は、係員にエレベーターの下降をうのであった。
 滑車に綱を垂らし、綱に木製の箱を結び、これを釣籠つるべ仕掛で、部屋の中から人力で捲きあげるエレベーターである。人力ではあるが、捲き上げの部所には大小二個の歯車がつけられ、大輪のハンドルをって捲きあげる具合になっていて、あたかも自転車の理に似て、機械は与えられたる動力の幾倍かの仕事能率を現すわけだったから、仮令たとい酔漢であろうともこのエレベーター係りは容易たやすく果されるわけだった。
「おひとり?」
「いいえ、大勢――マメイドさんも一緒よ、そこで出遇ったの。」
 そこで僕は、七郎丸に代って通話口をのぞき込んでうなった。
「どんな意味であろうとも僕らに反感や不快を抱いている者があったら、今夜だけは失敬する。」
「お神楽かぐら稽古けいこの邪魔になって?……遠くから皆な見えたわよ。」
「どうしようか?」
と僕は七郎丸に計った。
「見られたら見られたで、決して臆するところはないよ。――降そう。」
 かぎを外すと、ゆるやかな音をたててエレベーター・ボックスが静かに降りて行った。
「御存知でしょうが、ひとりずつでなければいけませんよ。」
「六人も、で、大変じゃありませんか?」
「御遠慮なく――。乗り込むたびにベルをおして下さいよ。」
 ベルが鳴った。
「オーライ。――それっ!」
と七郎丸が合図すると、二人は、至極もの慣れた動作で、
「ヘッヴ・ハウ! 捲け捲け! ヘッヴ・ハウ・ハウ捲け捲け」と掛声勇ましく、吊籠エレベーターを引きあげるのであった。
 最初に箱から現れたのは、登山袋を背にして片手に醤油らしいものの瓶やねぎの束などを携えているBだった。(B・R・Hなどの若者は僕の妻と弟の友達で其処そこの僕の村の住居で共和生活を続けている同人である。次々のR・H・妻、そして弟らも一様に重そうなリュック・サックを背にしていたことを先に述べて置こう。)
「今日は荷車をいて町へ行き、あなたの本を大方売却しましたよ。」
「そいつはひどい。あれらの書物は僕の生命についで――」
と僕は赤くなって詰問しようとすると、次のベルがなって、再び僕らはハンドルを執らせられる――と、Rが、蓮根れんこん牛蒡ごぼうかかえて現れ、
「あなたの時計を質屋に預けて弾丸を買って来ました。当分肉類の心配はありません。」
と申し立てた。Rは鉄砲の名手で、常々僕らを鳥をもって養っていた。
「ああ!」
 僕は悲鳴をあげた。「あの時計がなくなったら僕は観測台の仕事が……」
「僕はガソリンを買って来ました。これで当分の間町通いにオートバイが使えることになりました。どんな類いのあなたの用事でも一時間以内で果せるでしょう。」
とHが、モビロイルのブリキびんを僕の目の先に誇らかに突きつけた。
「そして、その資金は?」
 僕は痛い胸を押えて眼を視張ったが、答えを待つ間もなく、次のベルで、
「兄さんだけが着物を持っていることもなかろうと相談して、……」
「その先は聞かすな。俺は悲しくなる。」
 僕は弟に向って激しく手を振った。なかなかの洒落者しゃれものである僕は着物を奪われてしまったかと思うと泣きたくなるのであった。が泣く間もなく、パンの棒を小脇に抱えた妻がマメイドに続いて現れ、
「あなたは、否応いやおうなく、当分の間は、そのなりでいなければなりませんよ。」
と宣告を与えた。それを聞くと同時に僕は一途の嘆きがこみあげて来て、
「ああ、どうしよう? どうしよう?」とばかりに声をたてて泣きくずれてしまった。
 一同の者は僕の女々めめしい醜態に接して唖然あぜんとした。何故なら僕は常々所有の物資に関してはおそらく恬淡てんたんげな高言を持って彼らに接していたからである。
「何ぼなんだって、この身装みなりでこれから俺は毎日を送らなければならないなんて……」
「皆さん。」
と七郎丸がいい放った。「安心して下さい、マキノ君は今夜は常規をはずれた或る歓喜に酔っているがために、思わずも感情が不思議な処へれてしまったんです。彼ばかりとはいいません、この私も――」
「七郎丸さん、あなたもお酒を飲む人なの?」
「そんなことは……」
と彼はそれとなくおしのけて、「七郎丸」に関するゆくたてを熱弁をもって吹聴ふいちょうした。
「御覧なさい。船は既にあの通りの花々しさを持って造られつつあります。『七郎丸』が海上に浮び出ると同時に、諸君は、これまでの共和生活を挙げてわれらの船の上に移して下さい。」
 この演説を聞くと、一同の失業者連は手に手に携えているものを思わず高くさしあげて、
「嬉しいな!」
と叫んだ。
「はじめて解った。うちの人が、あんなことぐらいで悲しんだりするなどというわけはないと思っていたんですよ。」
と妻は胸をでおろしながら僕の傍らに駆け寄って、
「その恰好かっこうはあなたにとても好く似合うわよ。誰も変になんて思う人はないでしょうから、平気でそれで働きなさいよ。」
といって胸にすがりついた。
「一体、その皆なの背中の袋の内には何が入っているのさ?」
 僕が訪ねると、一同は生徒のように声をそろえて答えた。
「米。」
「町へ行って、お米を買って来たのよ。」
 ――妻はマメイドと連れ立って酒を買いに行くことになった。
 身軽だからというので二人を一緒に吊籠エレベーターに載せて、僕は、鍵を外しハンドルを執った。そして、おもむろに降って行く箱の調節をとるべくハンドルを廻しながら、
「たしか昨夜も、今朝もジャガいもばかり喰っていたかな。――道理で胸の具合が変挺へんてこで、酒のき目が奇天烈きてれつになったのかしら?」
 などと考えた。
 妻の口笛が、遠くに聞えた。
 部屋のうちは明るい談笑に満ちていてどれが誰の言葉やらも区別出来なかったが、誰かが誰かを、
「スリップス・ロップ!」
嘲笑ちょうしょうしたりしているのが、仕事中のエレベーター係りの耳に聞えた。





底本:「ゼーロン・淡雪 他十一篇」岩波文庫、岩波書店
   1990(平成2)年11月16日第1刷発行
初出:「新潮」
   1930(昭和5)年3月
入力:土屋隆
校正:宮元淳一
2005年5月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
  • 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。

上一页  [1] [2]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告