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白い雌鷄の行方(しろいめんどりのゆくえ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 17:00:34  点击:  切换到繁體中文

        一

 年老いた父と母と小娘二人との寂しいくらし――それは私が十二の頃の思出に先づ浮んで來る家庭の姿であつた。總領の兄は笈を負うて都に出てゐるし、やむなく上の姉に迎へた養子は、まだ主人からの暇が出ないで、姉と共に隣町のおたなに勤めてゐた。町でも繁華な場所に家屋敷はあつたけれど、軒並に賑つてゐる呉服屋や小間物店の間にあつて、私の家ばかりは廣い間口に寂しく蔀が下されてあつた。
 年に一度、少しばかりの米俵を積んだ荷馬車がどこからか來て庭先にとまる。そして馬子がそれを一俵づつ背中に負うて、内庭を通つて倉に運んで行く。私はもの珍しくその後について行つてみると、母は上つぱりを着て手拭を冠つて、もう一人の男と馬子とが擔ぎあげる天秤棒を通した秤の目を取つてゐる。母のうわつぱりの横の方が、糠か何かで白くなつてゐる。時々俵をこぢあけて、一つまみ米をつまみ上げて手の平で吟味する――さうした大人のしぐさを感心して見てゐる私の足許に、ふと「こゝこゝこ、こゝこゝ。」といふ元氣のいゝ鷄の聲がする。奴さん達もう落米を見付けてそれをひろひにやつて來たのだ。
 あゝ、今でもその薄暗い倉の中に動いてゐる母の手拭を冠つた姿と、あのまつ白な雌鷄のちよつぴり傾いた鷄冠とが見えるやうな氣がする。そしてその二つのものが、何といふ女性らしい――否、いふ事が出來れば母性らしさを、共通に私の記臆にとゞめてゐる事であらう。
 私の家で鷄を飼つてゐたのは、後にも先にもその頃が初めてゞあつた。何でもそれは、總ての生物が好きだつた私が、犬を飼つてくれ犬を飼つてくれとせがんだのがはじまりだつたと思ふ。父が實利的な頭から割り出して、犬は大飼を喰ふばかりで何の役にも立たない、猫はそれでも鼠を捕るといふ仕事があるが、犬ばかりは人間に直接な役目をしないといふのがその持論なのであつた。ところで、猫は私達姉妹が大好きなのだけれど、幾ら飼つてもどうしても私の家には育たないのであつた。病氣になつて死ぬか、でなければ車に轢かれる、或はゐなくなつてしまふといふ風に、どうしても大きくならないうちにみんなどうかなつてしまふのであつた。寅年生の者がゐる家には猫が育たないといふ話があるけれど、姉はちようどその寅年生なのであつた。で、猫も駄目なので、犬のかはりに鷄が飼はれたわけであつた。鷄なら玉子を生むからといふのである。
 かうして飼はれるやうになつた鷄が、どこからどうして手に入つたのかなぞは、全然私の記臆にない。私はたゞ珍しくつて嬉しくつて、そして何故ともなく、かすかに得意だつた氣持を覺えてゐる。最初の日は、どこかに行つてしまふのを恐れて、裏庭に出して背負籠をかぶせて置いた。(勿論金網の[#「金網の」は底本では「金綱の」]用意などはなかつたし、作らうともしなかつた。)そしてその前に屈んで、私は飽かず彼等に眺め入つた。
 純粹の矮鷄ちやぼにしては少し形の大きい雄鷄は、玉蟲色に光の陰翳する羽根や、黄金のやうに輝く毛をもつて全身を蔽はれ、形よく盛れ上つた尾は長く地を曳くばかりであつた。そしていかにも若い者のやうな元氣で地を掻きながら、首をかしげて雌鷄に合圖をし、又は絶えず周圍の物音に氣を配つて、きつと重い鷄冠を振りたてた。彼は如何にも男性らしく立派であつた。その立派さに對して雌鷄の無彩色なのは、一寸見ると見劣がするやうであつたけれど、雄鷄から暫く目を轉じて彼女を見てゐるうちに、私はたまらなくその雌鷄が好きになつてしまつた。全身が眞白で、綺麗で、ぷくりと脹れてゐる胸のあたりの美しい線が、何ともいへず華奢であつた。小さな丸い首の上に赤い鷄冠がちよんびりついてゐて、それが左の方が少し曲つてゐるのが、前髪に赤いきれをかけた娘のやうに、いかにも女らしかつた。時々小さな潤んだ目を上げて、籠の前に跼んでゐる私を窺ふやうに首をさしのべた。私は無暗と籠の目から菜の葉を差し込んだり、そつと臺所から磨いだお米を握つて來たて、上からぱらぱら振りかけたりした。鑵詰の空鑵に入れて置いた水を、狭い籠の中で雄鷄が足掻く拍子に引つくり返してしまふのを、幾度か充してやつた。
 少年時代の幸福な眠を、私はその夜も母の懷の傍で眠つた。そして一夜の夢の旅から、私のおぼろな意識がだんだん朝の領分に歸りかけた時分に、今迄聞いた事もない、つい近くで、冴々として閧を作る鷄の聲を聞いた。やがて私はぱつちりと眼を開けた。そしてその時はじめて昨日の記臆が瞭然と私の腦裡に歸つたので、私は珍しく自發的に起き上つて、臺所に物音をたてゝゐる母を思ひながら默つて着物の袖に手を通した。
 私が下駄の音をたてゝ鳥屋の前に近づいて行くと、庭の戸がまだ閉つてゐるために薄暗い小屋の中から[#「小屋の中から」は底本では「小屋の から」]、もう疾うに目覺めてゐるといはぬばかりに、「こゝこゝ」と促すやうに呼んでゐた。雛を少し[#「少し」は底本では「少 」]大人にしたやうな「ぴいよぴいよ」といふ優しい雌鷄の聲も遠慮深さうに交つてゐた[#「交つてゐた」は底本では「交つゐた」]
 私がその小さな小屋の戸をはづしてやると、勇んだ足取で出て來た雄鷄は、背伸でもするやうに 羽搏して[#「するやうに 羽搏して」はママ]、突然力を入れて閧を作り、それから「こゝこゝ」と妻を呼びたてる。私の足が小屋の前に立つてるために、出るのを躊躇してゐた雌鷄は、その聲を聞くと、まつ白くするりと脱け出して、怪訝さうに首をのばしながら見なれぬ庭の中を覗き廻してゐた。
 やがて煙のやうに湯氣の騰る暖い朝餉の膳に私達は向つた。すると母が思ひ出したやうに、
『曉方、どこかの一番鷄が一聲啼くと、すぐに家の鶏が閧を作つたつけ。』と言つた。
『さうだ。』と、無口な姉も口を添へる。
 父は默つてゐたけれど、無論それを知つてるだらうと私は思つたので、自分一人が、この私の家に於ける最初の鶏の啼聲を聞き洩したことを、どんなに殘念に思つたか知れなかつた。

        二

 私は學校から歸ると、必ず自分のおやつを貰ふことゝ、それを喰べながら鶏を眺めることゝを忘れなかつた。おさつの臍の方などを投げてやると、雄鷄は「こゝこ、こゝこ」とつゝき廻しながら雌鷄に譲つてやるのだつた。けれども時々雄鷄が翼をひろげて雌鷄の方に寄つて行くのを見ると、雌鷄が一寸逃げるやうにするので、はじめのうちはよく雄鷄を袂で追ひ拂つたものだつた。雌鷄がいぢめられるのだと思つたものだから。
 ある日のこと、雌鷄はひとりで内庭の方に入つて來て、頻に何かを搜してゐる模樣だつた。
『玉子をすのかも知れないから、小屋の戸を開けてやつて見ろ。』と、母が言つた。
 それを聞くと、私は何か信じられないものを信ずるやうな期待でいつぱいになつた。言はれるとほりに小屋の戸を開けてやると、彼女はやがて用心しいしいその中に入つて行つた。
 私は幾度か小屋を覗きに行つた。その度に彼女は不安さうに首をのべて、私がどうかしやしないかと窺ふやうに顏を眺めるのだつた。幾ら待つても彼女は巣から出て來ないので、私はやゝ飽いてしまつた。そして折から誘ひに來た友と一所に表に出ていつてしまつた。
 暫くして、何も彼も忘れて表から家の中に飛び込んで來ると、庭の入口に立つてゐた母が、
『ほれ、こんなにめんげのをした……』と、手の平に粉を吹くばかりに綺麗な、恰好のよい玉子を載せてゐた。
『ほんと? え? これほんとに家の鷄がしたの?』
 私は奇蹟でも見るやうに、母の手から玉子を奪つて、握つて見たり、頬にあてゝ見たりして騒ぎ廻つた。その玉子は家内中の手から手へ渡り、それから私の友達が遊びに來さへすると、必ず出して見せられたのであつた。
 それからといふもの、彼女は大抵一日おきに産卵した。

『おゝ、いゝ鷄がゐやすなあ、どうです卵をしやすか? これはもう一羽雌鷄を置くといゝんですがなあ、さうしつと大抵卵をかはりばんこに生しやすからなあ。そのうち一つ在の方さ行つた時に、恰好なのを見つけて來てあげやせう。』と、あるとき紙屑を買ひに來た棒手振が、暫く鶏を眺めてゐたあとで言つた。
 その人の手から買はれたものであるかどうかははつきり分らないけれど、とにかくもう一羽の雌鷄が、間もなく一所に遊んでゐるやうになつた。
 それは全身茶褐色の雌鷄で、白い雌鷄に比してどこやら形が武骨であつた。飽く迄も白い雌鷄贔負の私には、その茶色の鷄の眼付が、何となく意地惡さうに見えてならなかつた。また實際彼女は意地惡であつた。ぱらぱらと小麥を撒いてやると、一口二口ついばむと思ふ間に、いきなり白い雌鷄をつゝいて、餌の傍に寄せつけないやうにするのであつた。氣の弱い白い雌鷄は、それに手向はうともしないで、一人で悲しさうに遠のいてゐるので、私はわざといつぱいそこらに餌を撒いてやる。すると茶色のは、自分の方を一粒殘さず拾ひ上げもしないうちに、又やつて來て白い雌鷄をつつく。それを憎らしがつて私はよく茶色の籠をかぶせてやつたものだつた。
 この茶色の雌鷄は一つも卵を生まなかつた。それでゐて燒餠やきで、雄鷄が白い雌鷄を呼ぶやうなけはひがすると、つゝうつと走つて行つて、白い雌鷄をつゝいていぢめた。それにも拘らず白い方はやはり今までどほり卵を生んでゐた。そしてつゝましく群を離れて遊んでゐる事が多かつた。
『この鷄は石鷄だ。』と、あるとき母は奸婦らしい茶色の雌鷄を眺めながら呟いてゐた。

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