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四十余日(しじゅうよにち)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 16:58:11  点击:  切换到繁體中文

     一

 炬燵にうつ伏したまゝになつてゐて、ふと氣がついてみると、高窓が青白いほど日がのぼつてゐた。びつくりして飛び起きてお芳はそこらを見廻した。子供の聲やら荷馬車の轍の音やら、表どほりはもうがやがやしてをるらしいのに、店の者もまだ前後不覺に寢入つてゐる。清治といふ小僧の名を二聲ばかり呼んで、お芳はぐづぐづになつた帶を解いてきりつと着物の前を合した。二人の醫者の馬乘提燈が相前後して山サのくゞりを出て、曉近い街に南と北と分れてから一時間程して皆やうやう寢床に入つたのだ。何かと後の始末をしてゐた産婆が、襷をはづして一まづ暇を告げた時には、母親もお芳も少からず心細く思はれたが、二晩一日看護に疲れた人を、さういつまでも引きとめて置くわけにはいかないので、一寢入して夜が明けたら、また見舞つてくれるやうにとくれぐれも頼んだ。心もとなささうに座敷をのぞいてはうろうろ寢もやらずにゐるお芳を、母親は一寢入するやうにとすゝめて、自分も掻卷を着て娘の枕許を衞つた。――二三時間前の恐しいさわぎを思ひ出すと、うめき聲がまだ耳についてゐるやうな氣がする。臺所に來て見ると、ゆうべ夜食に出した玉子の殼が皿の上にそのまゝになつてゐた。お茶のかはりにと店の棚から持つて來て口を切つた正宗の壜が、底の方に黄色い色を殘して、それも隅の方に押しやられてある。お芳は一人で厨のことをしなければならなかつた。
 赤兒が無いと肥立が惡い、それに並はづれて骨を折つたのだものと、母親はひどく産後を氣づかつた。それも無理はなかつた、一年ばかり措いて前に一度同じやうな産のくるしみをして、二月ばかり床をはなれることができなかつたのだ。
 清治がむかへに行つて、千藏といふ出入の越後者の爺が來た。産婦の眠つてる間にそつと白木の小さな箱を縁に出して、繩をかけて爺はそれを背負つた。母親はその上に赤い裏のついた着物をかけた。見えないやうにと爺はその上に蓑を着て、羽織をひつかけた宗三郎は、一把の赤い線香を袂に入れて先に立つた。
 午後になつて産婆が來て、するべき手當をしてから檢温器をかけた。
『どうでせう、熱が大へんあるやうでせうか?』と、煙管をついて母親が膝を進ませると、
『さうですねえ、少うし高いのがあたり前ですけれど……三十八度五分ばかりありますよ。』と、産婆は首をかしげた。
 あくる日になつて産婦はお乳が張るやうだと言ひ出した。母親は元來が小さい乳首を指先で揉み出すやうにしながら、自分から子供のやうに吸つてやつてそれを茶碗に吐き出した。はじめは薄い薄い水のやうだつたのが、暇ある毎にさうしてやつてゐるうちに、だんだんと白く濃いのが出て來るやうになつた。それを便所に捨てるのは勿體ないといつて、水を割つては臺所のながしに流した。
 洋燈がついてから、あまり赤い顏をしてゐるやうだからと、母親はお芳と一所になつて、あつた筈の檢温器を箪笥の引出の中に搜した。
 お芳が火鉢の前に坐つて編物の針を動してゐると、
『芳、幾度だや?』と、座敷から出て來て、目の前に檢温器をさし出した。水銀の細い騰り目を燈影に翳してびつくりしたやうに、
『三十九度二分!』と、お芳は言つた。
『三十九度二分!』と、母親は鸚鵡返す。
『三十九度二分!』と、炬燵にゐた老父が聰くも耳をたてた。
 一重一重と絹を張つて行くやうに、二年ばかり前に全く明を失した老父は、若い頃に醫書をあさつて少しはその道に通じてゐた。病氣のことに就ては、毛程のことにも心配して騷ぐ方だつた。
 帳場に出てゐる宗三郎が呼ばれた。三人が火鉢を圍んでひそひそ醫者の人選をやつてゐると、
『お母さん、お母さん。』と、屏風のかげから産婦が低い聲を出して母を呼んだ。

       二

 瀬戸といふ薄曇の眼鏡をかけた醫者の俥がとまるやうになつた。
 産婆は看護婦から仕上げた人だつたので、毎日洗滌のために通つて來ては、熱度表に鉛筆を入れてその高く低くなるのに面をくもらした。
 宵のうちに一寢入することにした母親に代つてお芳が枕許に雜誌を見てゐると、突然眠つてゐたと思つた産婦が、抑揚のない調子で何事か言ひ出した。
『え?』と、手をさし込んでゐた行火の上に雜誌を伏せて顏を覘くと、その顏を見かへしてまた同じやうなことを言つた。眼は人を見てゐるけれども、どこやらうつとりしてゐる。お芳はぎよつとして母を呼びに立つた。
『勝、お勝、苦しいか?』と、そつと額に手をやつて見た母親は、『道理で夕方あんまり紅い顏をしてると思つた!』とつぶやいた。
 宗三郎もびつくりしたやうに入つて來て、すぐに清治を醫者の家にやつた。熱度をはかつて見ると、四十一度にちよつぴり頭が出てゐる。來るべき暴風が來たといふやうな氣を集めて、人々は枕許につくねんとした。晝間だけ病家まはりを雇俥でするらしく、醫者は馬乘提燈をさげて和服で來た。霙の中を蛇の目の後について、清治は手さげをさげて續いた。形のとほりに脈をとつて再び熱度をとつたが、その時はもう一度ばかりひいて、かへつて熱さうにふうふうと頤にかぶさる蒲團を氣にしてゐた。醫者が歸つたあと、清治はまた頓服をもらひにやられた。
 聞き傳へて折々さまざまな見舞の客が來た。こゝの老父のもの堅いのを少からず信用してゐる蒟蒻粉問屋の新造、夫婦揃つて塵も積つて山主義の身代を溜めた加納屋のをばさんは、殊に度々見舞つてくれて、その度にお芳にいろいろなことを教へていつた。産婆や何かにも、手のないところを一々お茶を出したり何かしなくとも、後で相當のお禮をすればいゝものだとか、一寸した漬物の仕方などもをしへてくれた。
 また新吉田のお竹をばさんといつて、縁つゞきになつてゐる乾物屋の女を、これは山サの一家が揃つてみな嫌だつた。榮へる家をくやうに話し、衰へる家を小氣味よささうに語るやうな種類の女で、年中人の家のあらばかり搜してゐる。口のはたに唾を溜めるのが嫌だといつて、産婦はいつもこの人の聲を聞く度に、眠つたふりをして病室にはひつて來るのを避けた。
 老父の話相手でもあり、お勝が若い頃に茶の湯を習つた先生でもあり、子供の時からのかたはのために、占や灸點のやうなことをやつてゐる人の細君も來た。人の好いばかりで、どこか足らぬといふやうな噂のある人で、その時來合して、醫者と産婆が白い衣を着て、ブラシユで手を洗つて、洗滌の用意をしてもまだ病室を出なかつたのには少からず困つた。
 一寸顏を出して見舞をのべて行く人もあり、兩隣や向の家からもおかみさん達が來て、『赤んぼは仕方がありませんけれどもねえ、なにしろ親のからだが大事ですわい。なあにまだお若いんだから。』と、皆同じやうなことを言つて歸つた。出入の商家からなども見舞の品を送つて來た。玉子が殊に多く集つた。
 四十度近くの熱が續くばかりでなく、時には平温をずつと下つて、熱度表の青い筋が度はづれて高低になつた。そろそろ薄曇の眼鏡をかけた醫者の手にかけて置くのがなんとなく不安になつて來た。産科醫でなく、かうなつてはもう普通の病氣のやうなものだからといふ説も出て、つい一週間ばかり前に開業した醫學士――新しいものを好む人の常のせいか、町ではこの人の評判がすばらしかつた。その醫學士をといふことになつて、一寸手づるがあるのをさいはひ、加納屋のをぢさんがある晩提燈をつけて、特にわざわざ勝手元から頼みに行つてくれた。
 その晩病人は突然烈しい戰慄が來た。早急のことゝて母親もお芳も少からず狼狽して、聲をたてゝ宗三郎を呼んだ。醫者へ驅けさせた鐵雄といふのが、折惡しく近在の急病人のところへ行つて留守だつたと戻つて來た時には、ふるへはをさまつてゐたが、そのかはり今度は急に熱がり出して、蒲團をかいやつて仕方がなかつた。その明日背の圖拔けて高い醫學士が廻つて來た時にも、前夜と同じやうな戰慄が來て、寒い寒いと大騷をするので、そこにあつたありたけの座蒲團をかけて、母とお芳が左右から力を入れて押へてゐた。暫くして熱い熱いと言ひ出すのもそのまゝにして置いて、學士は宗三郎からこれまでの經過を靜に聞いて、やがて徐に手の脈をとつた。
 薄曇の眼鏡をかけた醫者は、その日から病人かこつけによしてしまつて、今までの藥代と、それにお禮としてビールを半打添へて持つて行つた。

       三

 冬至に入つてからは、めつきり寒くなつて、雪の日が續いた。
 〇日 二十五度。

つめたいつめたい朝、寒い寒い日。
神の鉢の飯が凍つた。
 お芳の日記にはこんな字が多くなつた。
水桶の氷を力まかせに叩いて柄杓の柄を折る。

 こんな朝もあつた。凍つた土にさらりとまた白く撒かれて、倉の前に鳩の足跡が紅葉形についてゐる。井戸にかゝつた水がそのまゝに凍つてゐて、乘せた手桶の底がつるりと辷る。釣瓶の繩はつめたいといふよりは寧ろ痛かつた。
 家の中の上と下と、この節では大抵お芳の手になつた。かうして切り廻すことが自分にできようとも思はなかつたし、そんな時節が來ようなどとも思ひもうけなかつた。姉や母に手傳つて朝晩の用位はしてゐたけれども、町屋の娘並にお針に通ふ。朝はいゝ位にして出かけ、日によつては日が暮れてから歸つて來る。習慣になつて爲るべき用はしてゐても、氣は少しもそんなことに散らなかつた。すべてのことに考なしに生きて來た。
 前髮の毛をまだざんぎりにしてゐた時分、小さい姉が縫物の下にしのばせてゐた弦齋の「血の涙」や「小猫」などといふやうなものを、ふとひらき見したのが病付となつて、歌であれ、詩であれ、小説であれ、字の上には眼を皿にする興味を持つた。十七ではじめて體の變化を見るまで、お芳は男と女がどう違ふものかといふことも知らなかつた。烈しい驚に泣いて、初めてその時母から女といふものゝことを聞いた、驚と不思議と、それも長くは續かなかつた。
『芳ちやんはめでたく十九になりやした。』と、今年の正月に友達弟子と師匠の家へ行つて、常から奇拔なことをいふのが癖で、かう年始の挨拶をして皆を笑はせたが、その時さう言ひながら、いかにしても自分が十九になつたとは信ずることができなかつた。十九といふ年が不思議な、をかしなものに耳に響いた。
『お早うござりやす。』とか、『鬱陶しいお天氣ですねえ。』とか、そんな言葉をかけられても、たゞ『ええ。』とか、『は。』ですましてゐる。人への挨拶もできないと母親からよく叱られたが、子供だ、子供だといはれるのがお芳には寧ろ得意な位だつた。
 母親は大抵枕許にゐる。口數の多い見舞の女客などを引き受けて、お芳は今までのやうにのつそりしてゐられなくなつた。おのづと年上の人に對する言葉を遣つても恥かしくはなくなるし、合槌も打てる。自分が長火鉢の横に坐つて、煙草やお茶などを汲んで出す時には、女――嫁――一家の主婦などゝいふやうなことが考へられるやうになつた。
 店に來た取引の客へ茶を運ぶ、醫者を乘せて來た車夫に火を焚いてやる、それお手水の湯、それお茶、佛壇の南天の葉に埃が溜つたのも目につくし、通りがかりに覆つてゐる下駄を起す程の氣も出た。やらなければならぬと思へば、家の中のいろいろなことに氣が付いた。
 手が廻りかねて日が昏れてから、ぽつりぽつりと綿のやうに飛んで來ては着物にしみて消えるうすら雪に、手拭をかぶつて、凍つた井桁に桶をのせて米も浙いだ。その井戸車の軋る音を寢床に聞いて、『芳はまあ……』と、病人の聲が震へた。
 早くどうか快くなりたい! みごもつてもみごもつても辛い苦しい思の形見ばかり殘つて、二十九の今だに一人の子もない心細さ、神を怨んでも見たが、今はもうそれは思ふまい! 盲目の父、かうして横つてつくづく見れば、今初めて白髮に驚かれる母、二人の妹、とそれらが重く重く自分の肩に頼りかゝつてゐた。何事も何事も自分を相談相手にしてゐた夫は、さぞ歳暮くれの忙しさに手廻りかねてゐるであらう、店の者達の仕着せもまだ整へてなかつた。先刻藥罎を持つてはひつて來た清治の足袋から、親指の先が赤く覘いてゐた……あゝ、あゝ糞! 生きなければならぬ!……
 廣くもない家のことゝて、荷を下す車力の聲や、客の駈引、裏の倉に品を出しに驅けて行く足音や、それらが鋭くなつた頭に手に取るやうに響いた。見えない見えないと思つてゐた手袋の片方が、鼠に喰はれてぼろぼろになつて棚のかげから出て來たり、荷車が隣の小間物屋の店にかけて、轅が壞れて突き出されてあつたり、いろいろなことが病人の目に見えた。

       四

『お芳、御苦勞でもなあ、稻荷樣へお母さんの名代になつてお詣して來てくれろや、姉さんの命乞に……もしも快くなつたら旗を上げますつて願をかけて……』
 老人の頑愚を嗤ふにはお芳はなほ幼かつた。馬鹿馬鹿しい、そんな氣も起りながら、なほまた漠然として神といふものに望をかけて、一寸着物を更へて家を出た。宵に小ぶりの雪が解けかけて、家家の檐にしぶきがしてゐる。泥に塗れた雪が下駄の齒にきしんで足袋が濡れた。
『お母さんは、とても助るまい助るまいとひとりで青くなつてゐる。併し人間といふものがさうもたやすく死ねるものだらうか? 姉さんが死ぬ? あの姉さんが死ぬ?……』
 人が死んだといふことを聞いてもさう不思議には感じないが、さてその死といふものが今自分の家に來やうとはどうしても思ふ事ができない。
『死ぬもんか、姉さんが、あの姉さんが死ぬもんか!』
『併しもし死んだとする……山崎家に大切な姉さんが死んだとする……』かう思つてその時のことゝ、それから以後のことゝを想像して、お芳はぎよつとした。
『宗三郎兄さんは婿に來た人である。親身の娘といふ鎖が切れて、舅姑と婿との間には隙が出來ずには居らぬ。新しい嫁、それを外から持つて來て押しつけたとて、ますますその隙が大きくなつて行くにきまつてゐるのだ。世間によくある奴、もしも私でも押し付けられたならば……厭だ、厭だ、身ぶるひする程いやだ! その時には、その時こそ私こそ死んでしまふ、いやいや死ぬにも當らない。その時こそあこがれてゐる東京に出られる機會なのかも知れない……』
 お芳はものを書くことを知つて、それを雜誌などに投書することを覺え、高じては常にその道にあこがれてゐた。女といふ名に縛られて、所詮許されさうもない望、ほんとに神樣といふものがあるならば、私を殺して姉さんを助けて下さい。
 感情に喰はれてお芳はしよんぼりとなつた。さていつの間にか鳥居をくぐつてゐたけれども、まじめに合掌して母の願を屆ける氣にもなれなかつた。

       五

 醫學士のところから看護婦が毎日通つて來て洗滌をした。その人はよく學士の細君の蔭口などを産婆に話してゐたが、ある日も縁側のところで二人が何か話してゐる。
『ねえ澤田さん、あの石井のお澄さんね、あの人そら、あの人よ、あの人また入院よ。』
『へえ……また?』
『月經閉止三箇月だつて……』
 何氣なくお芳は出て行つてまつ赤になつた。お芳はこんな職業の人達ですら、そんなことを言ひ合ふなどとは思つてもゐなかつた。
 加納屋のをばさんが下女を一人手傳によこさうかと言つたのを、『いゝえ、結句一人で氣長にやつた方がいゝから。』と斷つて、宗三郎の肌の着替までも洗濯した。雪解道に足袋を汚して來ては脱ぎ捨てゝ、かけかへがなければないでそのまゝ赤い足をしてゐるので、母は見かねて小言を言ひながらも、氷柱の碎ける檐によくそれを洗濯した。小學校から、或はお針から歸つて見ると、母親は丸い背中をして火鉢の前にそれを刺してゐる。そのうちのなるだけ白い、なるだけ刺目の少いのを擇つて、糸を切つてはいた――こんなことを考へながら、男のものまで洗つたり着せたり、それが女の運命なのかと思つたりした。
 風呂場はあつても、この節は大抵すきな時に錢湯に行くことにしてゐる。耳を切るやうな外の寒さを思ふと、つい億劫になつて、三四日行かずにゐたからと、お芳は夜のことゝてむきみやさんを着たまゝ手拭を持つて表に出た。湯屋のある横町へ曲らうとしたところで、提燈を持つた小學校の同級生に會つた。
『なあにまあ、芳ちやんはそんなものを着て?』と、その友達は笑った。
『だつて働くのにはこれでなくちやあ。』
『働くだつて、芳ちやんが?……』
『そんなこといふなら見なんしよ、これでも隨分稼ぐんだからない。』と、お芳は、つと目の前に握つた手を出した。手の甲はがさがさと荒れて、皸が一ぱいに切れてゐた。
『まあ……』と、その友達は顏を見て、活溌で、無邪氣で、文章が上手で、先生達にかはいがられてゐたその人が……といふやうな顏をした。
 また清治といふ子は面白い子だつたので、毎日藥取に行く藥局の書生と仲善になつてゐた。時々遊び過ぎて遲くなつて來て宗三郎に叱られたり、さうかと思ふと皸や霜燒の藥などを貰つて來て、お芳にくれたりした。
『お芳ちやん、お芳ちやん、君島さんがこれよこしたぞい。』と、ある日清治は藥罎と一所に一通の手紙を渡した。
『君島さん?……』
『うん? 藥局の人、書生。』と、口早に言つていつた。
 披いて見て笑つてお芳は捨てた。歌のまねしたやうなものが二三首書いてあつて、例によつてお芳の文才を稱へてある。これに類した思はせぶりな手紙は、絶えず他方から來た。
 お芳の足の霜燒は頽れていたみに變つた。
『一人ではなかなか大變だから、民でも呼びよせて使つたらどうだい。』と、宗三郎の姉が來てよくさう言つた。
『ほんとにまあ、芳ちやんのよく働くこと……』
 加納屋のをばさんは來る度に感心する。この人には二番目の息子があつて、もう嫁を取る時分になつてゐる。

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