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響(ひびき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-26 17:03:56  点击:  切换到繁體中文

       一

 藤村の羊羹、岡野の粟饅頭、それから臺灣喫茶店の落花生など、あの人の心づくしの数々が、一つ一つ包の中から取り出されつゝあつた。――私はゴム枕に片頬をつけたまゝ、默つてお蔦が鋏をもつて糸を切るのから、その糸を丹念にくるくると指の先に巻いて、薄紫と赤と青との切手の貼られた送票を丁寧に剥がしたりしてゐるのを、もどかしく眺めてゐた。けれどもそのもどかしさに何ともいへぬ樂しさがあるのを思つて、私はせかずにぢいつと堪へてお蔦の手許をみつめてゐた。書簡箋、小形の封筒、そんなものを順々にお蔦が私の枕許に並べたてた。その時、それらのものゝ間に隱れるやうに挟つてゐたオレンヂ色の表紙を持つたこの小さな手帳を、私はふと手をのべて自分の蒲團の上に取つたのであつた。片手の指先でぱらぱらと繰ると、彈力のある紙は大いそぎで優しい薄桃色の線を綾に亂して伏せていつた。私は何となくこの手帳が氣に入つてしまつた。そしてすぐに萬年筆の鞘をぬいて、そのオレンヂ色のおもてに「響」と題を打つたのであつた。けれどもそれは、別にどうといふ意味を持たせたつもりではなかつた。たゞその時、左を下にして横つてゐた私の心臓の音が、とつとつとつとしづかに枕に響いてゐたのを、ふとそのまゝ紙の表に印象させたまでの事であつた。
 けれども、私は別にこれぞといつてこゝに書かなければならぬ事を持つてゐるのではない。毎日毎日、或は瞬間に、或はかなり長い間連續して、さまざまな思は私の心を過ぎて行く。それらが或は歌といはれるものゝ形を取る事もあれば、詩ともいふべきリズムを持つた獨語ひとりごとである場合もある。けれども敢てそれらを書きとめて置いて私の何になるだらう? やがては消えてゆくべき命であり、姿であるものを……私の心臓の響がはたと絶えた時、最もよくそのすべての意味を語るものは、何も書かずにのこされたこの白紙であるであらうよ! すべてを書き遺すにしてはあまりにこの思が多過ぎる……
 さらば愛も、憎も、惱も、苦もよ、今暫くが間であらうほどに、私の胸が張り裂けるまでは、お前達の棲所すみかとして、私はこの心臓を提供する。それらのものが、私のものとしてこの世にある間のしるしは、日毎夜毎に枕を傳うて我とわが耳に入る、あゝこの響である……とつとつと……

(かう、序のやうなものが、その手帳のはじめに書かれてあつた。それは昨年の秋の頃、廿七で死んでいつたある人妻の、たつた一つの遺稿――ともいふべきものであつた。彼女は生前相當な文筆を持つてゐたのであつたのに、自分の病が到底起つ事が出來ないのを知つてからは、時たま極めて僅な人達の間に書く手紙以外には、決してものを書かなかつた。それは書く事がなかつたのでも、また書きたくないからでもなかつたのだと私(作者)は思つてゐる。それは書きたくて書きたくて仕方がなかつたからこそ、その願があまりに強くあまりに大きかつたからこそ、彼女は書かなかつたのだと[#「書かなかつたのだと」は底本では「書かなかつたのだとと」]私は思つてゐる。書き遺すほどのものならば、書いて書いて書きぬきたい、けれどもそれにしては、彼女の息はそれに伴ひ續かなかつた。その爲に、最初のうちは彼女は頻に悶え苦しんだ。けれども、それは苦しめば苦しむほど、却つて惱ばかりがありありと殘されてゆくのを悟つてからは、ふつつりと思ひ諦めたやうに、彼女は絶えてものを書き綴るといふ事がなかつた。さうしてその折々に浮んで來るさまざまな思を、その折々の去來にまかして、語る人もない故郷の寂しい田舎で堅く口を結んで一年あまりの年月を送つたのであつた。この「響」はその間に書かれたものらしく、日記やその他の書き反古は前にすべて燒かせてしまつたとかで、これだけがやつと枕許から發見されたのであつた。それは大方みな白紙であつた。それは彼女の日記でもあれば、感想録でもあるところの、意味の深い白紙であつた。私がその夫なる人と共にこの手帳をひらいて見た時、めくつてもめくつても出て來る白紙は、却つてあのをはりに近い頃の沈默と微笑とを、それからそれを獲るまでの長い長い間の苦悶と葛藤とを、最もよく雄辯に語つてゐるとしか思はれなかつた。たゞこの手帳のおしまひの方に、恰も何かの例外のやうに、次に録するやうなものが全文書き込まれてあつた。それは彼女の從姉へと書かれたものであつた。それを見ると、現代の相當な教育を受けたある年輩の女の、妻の、さうして死といふものをみつめてゐる人の、ある心持がしみじみわかるやうに思へるのである……)

        二

あたゝかうわれを見おきて雪風のあとさびしらににし君はも。

 寂しさはいつもあの人の後姿に殘る。そのマントの肩といはず裾といはずに、雪は亂れ亂れてあとを追うたであらう。見送る事も叶はなくて、いつぱいに開いた瞳を硝子戸に置いてゐると、雪は狂ふやうに降りしきつてゐたつけ、その日は早くも先へ先へと流れていつてしまつた。
 今夜は、いつもあの人が見えて歸つた後暫くの、寂しいおちつきの氣持のうちにゐる。病氣以來の並並ならぬいたはりを思ふにつけ、我儘ばかりしてゐた昔の苦しい記臆をのみのこして、何の酬ゆるところもなく離れて行かなければならぬのが濟まなく佗しい。けれども考へても考へてもすべては考へきれない、それは考へ盡したも同じ事なのだ。にも拘らず私はやつぱりいろんな事を考へてゐる。それはやがて來る嚴なるものゝ前に、いかに造作なく崩れ去るものであらうとも、いろいろな色に塗られた積木を、弄ぶとは知らずに幼い建築を企てる子供のやうに、私はやつぱりとかくこの胸に不思議なやうな樓閣を築いたりしてゐる。寂しければ寂しいやうに、悲しければ悲しい姿に……
 この頃ふとある考が私の心を捉へて放さない。それも不思議な樓閣に棲むやうなものゝ一つであるかも知れないけれど、ともかく私の心はその考に促されて止まない故に、私はしづかに百合さんにそれを書いて置かうと思ふ。

 百合さん。
 この手紙が他日私の亡いあとあなたのお目に觸れる事があつても、どうか死者に對した時にありがちのあらたまつた心持や、何となく感じるものである義務の念やに支配されずに、どうか自然な心持で、まだ生きて丈夫でゐる私のたよりの一つだと思つて讀んで下さい。それでないと却つて、私があなたにお話しようとする心持が、その自然さを失つて、この手紙の命を失つてしまふ事になりますから。
 そして百合さん、たとへこの手紙が書置の形式をなすとしても、敢て告別の言葉をこゝにくだくだしく書き遺しますまいね。それはたゞ後に殘つた人の情緒をそゝつて、徒なかなしみを湧きたゝせるに過ぎませんから。おわかれなら多分もつとそれの適當した場合にする事が出來ませう。多分恐らくもう一度はあなたにもお目にかゝれる事が出來ると思ひますから。よしやまた私の終が意外に早く突然に來て、あなたにも誰にもお目にかゝられなかつたとしても、私のつめたくなつた唇は、その時却つて最もたしかに左樣ならを語るでせう、なぜならば、それが一番最後のほんとの左樣ならですから。私はあの二度目の咯血以來といふもの、毎日世と人とに向つて一つづつ左樣ならを繰り返して來ました。今も毎日心から眞面目にそれを繰り返してゐます。
 私の用意はもう既に成つてゐます。どうしてもかうしも[#「かうしも」はママ]避けられない爲に、せめては慌てないまでに整へなければならぬその用意が。けれどもあの捕捉すべからざるもの――死の姿――が、もはや、私を苦しめはしないけれども、絶えず私の身邊に漂つて、一所懸命にその姿をはつきり掴まうとみつめてゐる私をなやまし疲らせてゐます。私の眼は、もう地には向いてゐません、たゞひたすらにあの、覘かうとすれば隱れ、掴まうとすれば消えて行く姿に向つて、いつぱいに目を見ひらいてゐます。もうそこより外に私の目の向けどころはないのです。そして一歩一歩、それに向つて近づいて行くに從つて、不思議にも心の苦痛やなやみは一歩づつ後もどりをしてゆきます。依然として私を招ぐ姿は暗くおぼろではあるけれども、私の心は決してそれを厭ふどころか、あるなつかしみをすら持つて迎へ、また手をのべてゐます。美しい幻影をもつて冷い現實の墓場に葬る事の悲しさに泣いた心は、もう古い脱殻のやうに、私の心の片隅に押し寄せられて、ひたすらに眞實を見ようとする願に胸を[#「願に胸を」はママ]抱いてゐます、極めて柔順に、極めて謙遜に。そしてその眞實は、今の私に取つてはどうしても、間もなく私のために來る死と結び合つて離す事が出來なくなつてゐます。それ故今私がどんなに澤山の涙を流してゐようとも、もはやその涙は私の悲や苦をあらはすものではなくなつてゐます。これは名づける事の出來ぬ、自然な、たゞ靜に流れる涙です。
 けれども百合さん、かうしてもう自分自身のために泣く必要のなくなつた私も、遺されたものゝ悲哀を思ふ時には、まだまだやつぱりこの二つの眼に堪へ切れぬ熱い涙がこぼれます。それは月日と共に薄れゆき、いつかは忘れ去られるものではあつても、死んで逝くといふ事が私一人の出來事にとゞまらずに、多少に拘らず、或は一時にもせよ、ある打撃を人の上にのこしてゆかなければならないといふ事は、私に取つてはほんとに辛く苦しい事です。

        三

 死別の哀苦は、逝くものよりも、感じやすい心と共に殘るものゝ方がどんなにか強く生々しいことでせう[#「でせう」は底本では「でぜう」]、あなたはようくそれを知つてゐらつしやるのですね。私は覺えてゐます、あの時のあなたのあの激しい嗚咽を……それはもう、まだついこの間のやうだけれど、もう三年にもなりますね[#「三年にもなりますね」は底本では「三年になもりますね」]
 弘一さんの靜な髏を納めた寢棺で、燒場へと行くためにあの鎌倉の家の門を出たのは、氣の短い冬の日が、一秒の猶豫もなしにさつさと暮れていつた頃で、世話人の振り翳す提燈の火影で漸く、人々の顏がそれと分るやうな時でした。ぎしぎしと重々しい、けれども寂しい音をたてゝ、白木の棺は私の俥の脇をすれずれに通つて先の方へ行きました。幾臺もの俥が置かれた順序なりにそれに續かうとすると、『どうぞ御縁の近い方からお先に願ひます、御縁の近いお方は前の方にいらして下さい。』と葬儀屋の男が呼んでゐるので、俥は暫く車上の人の指圖のまゝに入り亂れました。亡き人の妻の從妹としての私は、血筋をひいたと思はれる人々の後に遠慮深く俥を入れさせて、しづしづと動いて行く行列に續きました。振り返つても見なかつたけれど、けはひではもう二臺ばかりが私の後に續いてるやうでした。私はあなたがどの邊にいらしたのか、恐らく棺のすぐ後に從つたのでせうけれど、少しも知りませんでした。私はなるべくなるべくあなたと顏を眞面目に向き合せるのを避けてゐました。あなたの眼を見る事が私には辛かつたのです。あなたの眼は私の涙を誘ひ、私の涙はあなたが一所懸命に支へてゐる涙の堰を危くするだらうと恐れたのでした。私は人知れず多勢の中から、絶えずあなたの姿を求めまた追うてゐました。あのかなり複雜した親戚關係の人達に圍繞されて、あなたは實に雄々しく、僅な事にも氣を配つて亡き人の遺志のために戦ひながら、立派に振舞つてゐました。その取り亂さない姿が、私には一層悲しくかはいさうに見えました。私ははじめからしまひまで俥の上で泣き通しでした。なぜこんなに泣くのだらうと自分で自分を怪しむ程泣けて泣けて仕方がありませんでした。それはあなたに對する同情と同感とが、人事ならずひしひしと感じられたからで、私に取つては半分はもう自分の打撃であり悲しさであつたのでした。やがては自分にもかうした境遇がめぐつて來るのだといふ考が、どうしてもこびりついたやうに頭から離れないで――今から考へるとをかしいやうだけれど、あの頃はAがわるかつた時分でせう、そして私は元氣でぴんぴんしてゐたのですから、私はすつかり自分が遺されるものだとばかり思ひ込んでゐたのでした――もう既にその時が來たのでもあるかのやうに、あなたの哀痛と私のそれとが一所くたになつて、又その癖百合さんがかはいさうだかはいさうだと始終胸の中で呟きながら、闇の夜の俥で誰にも顏を見られないのを幸ひ、ひた流しに涙を流しながら運ばれてゆきました。一生の中で……と、もう言つても差支ないでせう、あんなに泣いたのは、お父さんお母さんのなくなつた時とあの時と[#「あの時と」は底本では「あの。時と」]だけで、あの時はお父さんお母さんの時よりも、もつともつと泣いた位に私は記臆してゐます。それはそれだけ私達が大人になつて、いろいろ憂きくるしみを實際に知つて來たからなのでせう。[#「でせう。」は底本では「でせう、」]
 かうしてあの暗い野道を、車夫達は掛聲から掛聲を送りながら、あの暗い險しい寂しい火葬場のある山の下に着きました。私達はそこからみな徒歩かちになつて、おぼろな弓張提燈の導くのをたよりに、足許に氣をとられながら、揉まれ揉まれてのぼつて行く棺のあとに續きました。あゝ何といふはつきりした記臆でせう、あの寂しい夜の光景は!
 太々しい怖い顏の隱坊から火室の鍵を受け取つて、それでもあなたはなほ念を入れて改めるやうに、その實は離れ難なく、弓張提燈を振り翳して、あの氣味のわるい火室のぐるりを一週しました。現在その手で口火をつけて、現在その手で夫の遺骸を燒くその焔の音が、煉瓦に圍まれた不思議な世界の中に、耳を欹てるまでもなくはつきりと聞えてゐました。生と死との歴然とした區別が、煉瓦一重の中と外とにありました。死の方は冷く、生の方は暗かつたのです。鐵の扉を固く閉されて、中の火影が糸よりも細くちらちらと洩れてゐました――何と思つたかあなたはぴたりと扉の前に立ちどまつて、既に下された錠に手を掛けてそれをゆすりました――『大丈夫ですよ奥樣、鍵はこのとほりこちらで預りましたんですから、明日お骨上げにおいでになるまでは誰だつて開ける事が出來ません、それにこの人が一晩寢ないで番をするんですから……』と、こゝまでもついて來た葬儀屋の男が、時に心付といふ意味をふくめて言つた時、あなたがどんな氣がなすつたか私はようく知つてゐます。それだのに人々はもう先刻から外に出てあなたを待つてゐました。さあと促されて、一歩片足があの火屋の閾の外に出た時、『わつ!』といつてあなたは突然體を二つに折つてしまひました。たうとうかなしみの極で堤が切れてしまつたのでしたね。その刹那あなたの程近にゐた私は、いきなり自分も共にわつとなつて、あなたを抱きしめたいと思ひました。けれどもやつぱりそれを堪へました。あなたをしてそこで思ふさま泣かせる事の出來ないのを[#「出來ないのを」は底本では「出來なないのを」]口惜しくかはいさうに思ひながら、私はたゞ默つて、冷く瀧のやうに流れるものを拭ひもあへずに、あなたの袂の先を掴んで思ふさまそれを握りしめました。その袂を強く引く事すらも敢てしなかつた私を、ハンカチでぴつたりと顏を押へてゐたあなたは恐らく今まで御存じがなかつたでせう。あなたが顏をあげた時には、みんながびつくりしてこちらを振り向いてゐましたので、佐瀬家の親戚としては全く存在を認められない位の私が、こんなにも泣いてゐるといふ事を恥かしく隱すやうな氣持で下を向いてゐましたから。その時は私の持つて出たハンケチと鼻紙とは、殆どもう用をなさなくなつてゐました。それで私は暗いところに行くと、しきりに顏を手で拂ひ指で拭ひしてゐました。

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