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種山ヶ原(たねやまがはら)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-10-29 16:10:18  点击:  切换到繁體中文


 そして、黒い路が、俄(にはか)に消えてしまひました。あたりがほんのしばらくしいんとなりました。それから非常に強い風が吹いて来ました。
 空が旗のやうにぱたぱた光って翻へり、火花がパチパチパチッと燃えました。
 達二はいつか、草に倒れてゐました。
 そんなことはみんなぼんやりしたもやの中の出来事のやうでした。牛が逃げたなんて、やはり夢だかなんだかわかりませんでした。風だって一体吹いてゐたのでせうか。
 達二はみんなと一緒に、たそがれの県道を歩いてゐたのです。
 橙(だいだい)色の月が、来た方の山からしづかに登りました。伊佐戸の町で燃す火が、赤くゆらいでゐます。
「さあ、みんな支度はいゝが。」誰かが叫びました。
 達二はすっかり太い白いたすきを掛けてしまって、地面をどんどん踏みました。楢夫(ならを)さんが空に向って叫んだのでした。
「ダー、ダー、ダー、ダー、ダースコダーダー。」それから、大人が太鼓を撃ちました。
 達二は刀を抜いてはね上りました。
「ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」
「危なぃ。誰だ、刀抜いだのは。まだ町さも来なぃに早ぁぢゃ。」怪物の青仮面(あをめん)をかぶった清介(せいすけ)が威張って叫んでゐます。赤い提灯(ちゃうちん)が沢山点(とも)され、達二の兄さんが提灯を持って来て達二と並んで歩きました。兄さんの足が、寒天のやうで、夢のやうな色で、無暗(むやみ)に長いのでした。
「ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」
 町はづれの町長のうちでは、まだ門火を燃して居ませんでした。その水松樹(いちゐ)の垣に囲まれた、暗い庭さきにみんな這入(はひ)って行きました。
 小さな奇麗な子供らが出て来て、笑って見ました。いよいよ大人が本気にやり出したのです。
「ホウ、そら、遣(や)れ。ダー、ダー、ダー、ダー。ダー、スコ、ダーダー。」「ドドーン ドドーン。」
 「夜風さかまき ひのきはみだれ、

月は射そゝぐ 銀の矢なみ、
打ぅつも果てるも 一つのいのち、
太刀(たあち)の軋(きし)りの 消えぬひま。ホッ、ホ、ホッ、ホウ。」
 刀が青くぎらぎら光りました。梨(なし)の木の葉が月光にせはしく動いてゐます。
「ダー、ダー、スコ、ダーダー、ド、ドーン、ド、ドーン。太刀はいなづま すゝきのさやぎ、燃えて……」
 組は二つに分れ、剣がカチカチ云ひます。青仮面(あをめん)が出て来て、溺死(いっぷかっぷ)する時のやうな格好(かくかう)で一生懸命跳ね廻ります。子供らが泣き出しました。達二は笑ひました。
 月が俄(には)かに意地悪い片眼になりました。それから銀の盃(さかづき)のやうに白くなって、消えてしまひました。
(先生の声がする。さうだ。もう学校が始まってゐるのだ。)と達二は思ひました。
 そこは教室でした。先生が何だか少し瘠(や)せたやうです。
「みなさん。楽しい夏の休みももう過ぎました。これからは気持ちのいゝ秋です。一年中、一番、勉強にいゝ時です。みなさんはあしたから、又しっかり勉強をするのです。どなたも宿題はして来たでせうね。今日持って来た方は手をあげて。」
 達二と楢夫(ならを)さんと、たった二人でした。
「明日は忘れないでみなさん持って来るのですよ。もし、ぜんたい、してしまはなかった人があっても、やはりその儘(まま)、持って来るのです。すっかりしてしまはなかった人は手をあげて。」
 誰も上げません。
「さうです。皆さんは立派な生徒です。休み中、みなさんは何をしましたか。そのうちで一番面白かったことは何ですか。達二さん。」
「おぢいさんと仔馬を集めに行ったときです。」
「よろしい。大へん結構です。楢夫さん。あなたはお休みの間に、何が一番楽しかったのですか。」
「剣舞(けんばひ)です。」
「剣舞をあなたは踊ったのですか。」
「さうです。」
「どこでですか。」
「伊佐戸(いさど)やあちこちです。」
「さうですか。まあよろしい。お座りなさい。みなさん。外にも剣舞に出た人はありますか。」
「先生、私も出ました。」
「先生、私も出ました。」
「達二さんも、さうですか。よろしい。みなさん。剣舞は決して悪いことではありません。けれども、勿論(もちろん)みなさんの中にそんな方はないでせうが、それでお銭(あし)を貰(もら)ったりしてはなりません。みなさんは、立派な生徒ですから。」
「先生。私はお銭を貰ひません。」
「よろしい。さうです。それから……。」
 達二は、眼を開きました。みんな夢でした。冷たい霧や雫(しずく)が額に落ちました。空は霧で一杯で、なんにも見えません。俄(には)かに明るくなったり暗くなったりします。一本のつりがねさうが、身体(からだ)を屈(かが)めて、達二をいたはりました。
 そして達二は又うとうとしました。そこで霧が生温(なまぬる)い湯のやうになったのです。可愛らしい女の子が達二を呼びました。
「おいでなさい。いゝものをあげませう。そら。干した苹果(りんご)ですよ。」
「ありがど、あなたはどなた。」
「わたし誰でもないわ。一緒に向ふへ行って遊びませう。あなた驢馬(ろば)を有(も)ってゐて。」
「驢馬は持ってません。只(ただ)の仔馬ならあります。」
「只の仔馬は大きくて駄目(だめ)だわ。」
「そんなら、あなたは小鳥は嫌(きら)ひですか。」
「小鳥。わたし大好きよ。」
「あげませう。私はひはを有ってゐます。ひはを一疋(ぴき)あげませうか。」
「えゝ。欲しいわ。」
「あげませう。私今持って来ます。」
「えゝ、早くよ。」
 達二は、一生懸命、うちへ走りました。美しい緑色の野原や、小さな流れを、一心に走りました。野原は何だかもくもくして、ゴムのやうでした。
 達二のうちは、いつか野原のまん中に建ってゐます。急いで籠(かご)を開けて、小鳥を、そっとつかみました。そして引っ返さうとしましたら、
「達二、どこさ行く。」と達二のおっかさんが云ひました。
「すぐ来るがら。」と云ひながら達二は鳥を見ましたら、鳥はいつか、萌黄(もえぎ)色の生菓子に変ってゐました。やっぱり夢でした。
 風が吹き、空が暗くて銀色です。
「伊佐戸(いさど)の町の電気工夫のむすこぁ、ふら、ふら、ふら、ふら、ふら、」とどこかで云ってゐます。
 それからしばらく空がミインミインと鳴りました。達二は又うとうとしました。
 山男が楢(なら)の木のうしろからまっ赤な顔を一寸(ちょっと)出しました。
(なに怖いことがあるもんか。)
「こりゃ、山男。出はって来(こ)。切ってしまふぞ。」達二は脇差(わきざ)しを抜いて身構へしました。
 山男がすっかり怖がって、草の上を四つん這(ば)ひになってやって来ます。髪が風にさらさら鳴ります。
「どうか御免(ごめ)御免(ごめ)。何(な)じょなことでも為(さ)んす。」
「うん。そんだら許してやる。蟹(かに)を百疋捕って来(こ)。」
「ふう。蟹を百疋。それ丈(だ)けでようがすかな。」
「それがら兎(うさぎ)を百疋捕って来(こ)。」
「ふう。殺して来てもようがすか。」
「うんにゃ。わがん[#「ん」は小書き]なぃ。生ぎだのだ。」
「ふうふう。かしこまた。」
 油断をしてゐるうちに、達二はいきなり山男に足を捉(つか)まれて倒されました。山男は達二を組み敷いて、刀を取り上げてしまひました。
「小僧。さあ、来(こ)。これから俺(お)れの家来だ。来う。この刀はいゝ刀だな。実に焼きをよぐかげである。」
「ばか。奴(うな)の家来になど、ならなぃ。殺さば殺せ。」
「仲々づ太ぃやづだ。来(こ)ったら来(こ)う。」
「行がない。」
「ようし、そんだらさらって行ぐ。」
 山男は達二を小脇(こわき)にかゝへました。達二は、素早く刀を取り返して、山男の横腹をズブリと刺しました。山男はばたばた跳ね廻って、白い泡を沢山吐いて、死んでしまひました。
 急にまっ暗になって、雷が烈(はげ)しく鳴り出しました。
 そして達二は又眼を開きました。
 灰色の霧が速く速く飛んでゐます。そして、牛が、すぐ眼の前に、のっそりと立ってゐたのです。その眼(め)は達二を怖(おそ)れて、横の方を向いてゐました。達二は叫びました。
「あ、居だが。馬鹿だな。奴(うな)は。さ、歩(あ)べ。」
 雷と風の音との中から、微(かす)かに兄さんの声が聞えました。
「おゝい。達二。居るが。達二。達二。」
 達二はよろこんでとびあがりました。
「おゝい。居る、居る。兄(あい)なぁ。おゝい。」
 達二は、牛の手綱をその首から解いて、引きはじめました。
 黒い路が又ひょっくり草の中にあらはれました。そして達二の兄さんが、とつぜん、眼の前に立ちました。達二はしがみ付きました。
「探(さが)したぞ。こんたな処(どご)まで来て。何(な)して黙って彼処(あそご)に居なぃがった。おぢいさん、うんと心配してるぞ。さ、早く歩(あ)べ。」
「牛ぁ逃げだだも。」
「牛ぁ逃げだ。はあ、さうが。何にびっくりしたたがな。すっかりぬれだな。さあ、俺(おら)のけら着ろ。」
「一向寒ぐなぃ。兄(あい)な[#「な」は小書き]のなは大きくて引き擦(ず)るがらわがん[#「ん」は小書き]なぃ。」
「さうが。よしよし。まづ歩(あ)べ。おぢいさん、火たいで待ってるがらな。」
 緩い傾斜を、二つ程昇り降りしました。それから、黒い大きな路について、暫(しば)らく歩きました。
 稲光が二度ばかり、かすかに白くひらめきました。草を焼く匂(にほひ)がして、霧の中を煙がほっと流れてゐます。
 達二の兄さんが叫びました。
「おぢいさん。居だ、居だ。達二ぁ居だ。」
 おぢいさんは霧の中に立ってゐて、
「あゝさうが。心配した、心配した。あゝ好(え)がった。おゝ達二。寒がべぁ、さあ入れ。」と云ひました。
 半分に焼けた大きな栗の木の根もとに、草で作った小さな囲ひがあって、チョロチョロ赤い火が燃えてゐました。
 兄さんは牛を楢(なら)の木につなぎました。
 馬もひひんと鳴いてゐます。
「おゝむぞやな。な。何ぼが泣いだがな。さあさあ団子たべろ。食べろ。な。今こっちを焼ぐがらな。全体何処迄行ってだった。」
「笹長根(ささながね)の下(お)り口だ。」と兄が答へました。
「危ぃがった。危ぃがった。向ふさ降りだらそれっ切りだったぞ。さあ達二。団子喰べろ。ふん。まるっきり馬こみだぃに食ってる。さあさあ、こいづも食べろ。」
「おぢいさん。今のうぢに草片附げで来るべが。」と達二の兄さんが云ひました。
「うんにゃ。も少し待で。又すぐ晴れる。おらも弁当食ふべ。あゝ心配した。俺(おら)も虎(とら)こ山の下まで行って見で来た。はあ、まんつ好(え)がった。雨も晴れる。」
「今朝ほんとに天気好(え)がったのにな。」
「うん。又好(ゆ)ぐなるさ。あ、雨漏って来た。草少し屋根さかぶせろ。」
 兄さんが出て行きました。天井がガサガサガサガサ云ひます。おぢいさんが、笑ひながらそれを見上げました。
 兄さんが又はひって来ました。
「おぢいさん。明るぐなった。雨あ霽(は)れだ。」
「うんうん。さうが。さあ弁当食ってで草片附げべ。達二。弁当食べろ。」
 霧がふっと切れました。陽の光がさっと流れて入りました。その太陽は、少し西の方に寄ってかかり、幾片かの蝋(らふ)のやうな霧が、逃げおくれて仕方なしに光りました。
 草からは雫(しづく)がきらきら落ち、総(すべ)ての葉も茎も花も、今年の終りの陽の光を吸ってゐます。
 はるかの北上の碧(あを)い野原は、今泣きやんだやうにまぶしく笑ひ、向ふの栗の木は、青い後光を放ちました。





底本:「新修宮沢賢治全集 第八巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年5月15日初版第1刷発行
   1984(昭和59)年1月30日初版第7刷発行
入力:林 幸雄
校正:久保格
2002年11月10日作成
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