您现在的位置: 贯通日本 >> 作家 >> 宮本 百合子 >> 正文

一本の花(いっぽんのはな)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-2 11:12:54  点击:  切换到繁體中文


        九

 転退を欲する本能、一思いに目をつぶって墜落したい狂的な欲望、そういうものだけが、やがて朝子の心の中に残った。それ等の欲望が跳梁するとき、常に仲介者として、大平の存在が、朝子の念頭から離れぬ。朝子は、自分に信頼出来ない心持の頂上で、その日その日を送った。生活はほんの薄い表皮だけ固まりかけの、熱い熔岩の上に立ってでもいるように、あぶなかった。
 幸子の姉で、山口県へ嫁入っている人があった。
 春、葡萄状鬼胎の手術を受けてから、ずっとよくなかった。最近容体の面白くない話があったところへ、或る日、幸子の留守、電報が来た。幸子が帰って、それを見たのは四時頃であった。
「こりゃ行かなくちゃならない」
「勿論だわ」
「旅行案内、私んところになかったかしら」
 朝子は、今独りにされることは恐しくなって来た。
 幸子が帰って来る迄に、自分は今の自分でなくなってしまっている。――そんな予感がした。
 朝子は、
「私も行っちゃおうかしら」
と云った。
「一緒に?」
「うん」
「そりゃ来たっていいけど……」
 幸子は、旅行案内から眼をあげ、
「駄々っ児だな。まだ雑誌も出ないじゃないの」
と苦笑した。
「駄目だ、仕事を放っちゃいけない」
 校正がまだ終っていなかった。然しそれはどうにもなることであった。暫く考えた後、朝子は、
「私、行く」
と、椅子から立ち上った。
「今独りんなると碌なことをしないにきまってる。いやだわ」
 幸子には、いい意味でぼんやりなところがあり、朝子の動揺している心持を知っていても、実感としては、わからないらしかった。彼女は、
「いなさい、いなさい」
 いかにも年長らしくきめつけた。
「そんなこって、どうするのさ」
 それから間に合う汽車は九時十五分であった。幸子は手鞄に遽しく手廻りものをつめながらまた云った。
「第一、私の旅費さえかつかつなんだもの」
 銀座で見舞物を買ったりしているうちに、朝子は、変な不安から段々自由な心持になった。
 幸子のいないのもよい。自分の前後左右を通りすがる夥しい群集を眺めながら、朝子は思った。自分も苦しいなら苦しいまんま、この群集の一人となって生きればよいのだ。どんなに苦しくても、間違っても、人間の裡にあればこそだ。
 ところどころの飾窓の夜の鏡に、ちらりと、自分の歩いている姿が映った。その自分を、内心で刺している苦しさや、一瞬同じ灯に照らされ鏡にうつる様々な顔、ネクタイの色などに、朝子は暖い感情を抱いた。
 外国へ出発する名士でもあると見え、一等寝台の前で、さかんにマグネシウムの音がした。幸子の乗った車室の前のプラットフォームには、朝子の他四五人の男女がいるだけであった。窓から半身外へのり出し、幸子が訊いた。
「大丈夫?」
 朝子は、頬笑んで合点した。
「本当に?」
「本当に。――大丈夫でなくたって、大丈夫と思っちゃった」
「何のことさ、え? 何のこと?」
「いいのよ、安心して」
「着いたら電報打つけど、若し何かあったら」
 何心なく云いかけ、驚いて止めた拍子に、幸子は赤い顔をし、口に当てた掌のかげで舌を出した。朝子は、
莫迦ばかね」
 薄笑いしたが、段々おかしく自分もしまいに声を出して笑った。幸子は習慣的に、大平に頼めと云いかけたのであった。
 列車が動き出す、万歳ばんざァーイという声がプラットフォームの二箇所ばかりで起った。
 カーブにつれて列車がうねり、幸子の振る手が見えなくなってから、朝子は歩き出した。すると、人ごみの中から、
「――しばらく」
 太いフェルト草履の鼻緒をそろえて、挨拶した者があった。
「まあ――」
 朝子と、同級の中では親しい部の富貴子であった。
「来てらしたの? この汽車?」
 富貴子は、ずば抜けて背の高い肩の間へ、首をちぢめるような恰好をした。
「母の名代を仰せ付かっちゃったの」
 車寄せへ出ると、
「あなた、真直ぐおかえり?」
 洒落しゃれた紙入れを持ったクリーム色の手套のかげで、時間を見ながら富貴子が訊いた。
「――何だかこのまんまお別れするの厭ね、……銀座抜けましょうか」
「私かまわないけれど――いいの? あなたんところの小さい方」
「いいのよ」
 富貴子は朝子の手を引っぱって歩き出した。
「名代してやったんですもの、暫く位いいお祖母ちゃんになってくれたっていいわ。こんな折でもないと、私なんぞ、哀れよ。身軽にのし出すことも出来ないんですもの」
 夫が外遊中で、富貴子は二人の子供と実家に暮しているのであった。
 先刻は幸子と新橋の方から来た、同じ通りを逆の方向から、今度は富貴子と歩いた。富貴子は、
「あ、ちょっと待って頂戴」
と云って、途中で子供のために手土産を買った。そうかと思うと、呉服屋の陳列台の間を、ペーブメントの連続かなどのようにぐるりと通りぬけたりした。朝子は女学校時代のまんまの気持で、ずっと母となった富貴子の態度に、好意を感じた。糸屋の飾窓に、毛糸衣裳をつけた針金人形が幾つも並んでいた。朝子はその前へ立ち止った。
「ちょっと――いらないの?」
「なあに――まさか!」
 二人は、珈琲コーヒーを飲みによった。友達の噂のまま、
「結局一番いいのは、あなたなのよ、朝子さん」
 断定を下すように富貴子が云った。
「私みたいに一時預け、全く閉口。預ってる手前っていうわけか、いやに遠廻しの監視つきなんですもの」
「それも、もう十月の辛抱でしょう!」
 顎をひき、上眼を使うようにして合点したが、富貴子は急に顔を耀かせ、
「そりゃそうと、あなたの方、どうなのよその後」
と云った。
「何が」
「いやなひと! 相変らず?」
「相変らずよ」
「――うそ!」
「どうして? 私はあなたと違って正直に生れついているのよ」
「だって……ああ、じゃあ、そうなの、やっぱりあなたは偉いわね」
 およそその意味が想像され、朝子はぼんやり苦笑を浮べた。すると、云った方の当人が、今度はそれを感違いし、意外らしく、胸まで卓子テーブルの上へのり出して、逆に、
「――そう?――大道無門?」
と小声で念を押しなおした。
 朝子はそうなると、なお笑うだけで、パイをたべていたが、
「モダンだって幾通りもあるんじゃないの――少し話は違うけれど」
と云った。
 全く、個人的に自己消耗だけ華々しく或は苦々しくやって満足している部と、それが一人から一人へ伝わり、或る程度まで一般となった現代の消耗が身にこたえて徹えてやり切れず、何か確乎とした、何か新しいものを見出さなくてはやり切れながっている人たちもきっとある。朝子は自分の苦痛として、それを感じているのであった。後者に属する人は、強烈な消耗と同時に新生の可能の故に、自分を包括する。更にひろい人間は、群を忘れることが出来ない。例え、それに対して自分は無力であろうとも忘れることは出来ない。
 朝子は、考え考え珈琲を含んだが、不図、一杯の珈琲をも、自分達は事実に於て夥しい足音と共に飲んでいるのだと感じ、背筋を走る一種の感に打たれた。
 朝子は、やがてぶっきら棒のように、富貴子に訊いた。
「いつか――あなたとだった? 底知れぬ深さ、っていう詩読んだの」
「さあ、……そうかしら」
 彼女等のいるボックスを、色彩ではたくようにして入って来た若い一団に気をとられ、富貴子はうっかり答えたが、
「おや、もうあんな時間?」
 自分の手頸と、花模様の壁にかかっている時計とを見較べ、富貴子は、
「大変、大変」
と、油絵で薔薇を描いた帯の前をたたいて立ち上った。
 朝子もタクシーで、十一時過ぎ家へ着いた。

        十

『明るい時』と云うベルハアランの小さい詩集がある。その中に、底知れぬ深さ、その他朝子の愛する小曲が数多あまたあった。
 帰ってから、それを読み始め、朝子が眠りについたのは二時近くであった。電燈を消そうとし、思いついて、旅行案内をとりに行った。幸子の汽車が、静岡と浜松の間を走っている刻限であった。
 翌日は晴れやかな日で、独り食事などする静かな寂しさも、透明な秋日和の中では、いい心持であった。
 朝子は午後から、亀戸の方へ出かけた。市の宿泊所に用があった。かえりに彼女はセットルメントへ寄って見た。新たに児童図書館が設けられ、赤児を結いつけおんぶした近所の子供が、各年級に分れた卓子を囲んで、絵本を見たり雑誌を読んだりしていた。托児所の久保という女が朝子を以前から知っていて、案内をしてくれた。彼女はリューマチスで、二階の私室で休んでいた。髪をぐるぐる巻きにして、セルの上へ袷羽織を着た久保は、やせた肩越しに、朝子を振り返り、
「私の方も見て下さい、そりゃ私、骨を折っているんですよ」
 渡廊下の踏板を越えながら云った。
「みんな若い人達ばかりで、ただおとなしく四時まで遊ばしときさえすればいいと思ってるんだから。――そんな人の方が、またお気に入るんですからね。私喧嘩したってこうと思うことはやって貰うんです。いやな女だと思っているだろうけど、いざ子供を動かすとなると、どうしたって、そりゃ、私でなければならないことが起って来るんですからね」
 久保は、自分一人で切り廻しているように云った。そして、変質な子が一人あって、それが誰の云うこともきかない、髪をむしって暴れるようなのを、自分がこの頃すっかり手なずけた苦心を朝子に聞かせた。
 別棟になって、広い遊戯室や、医務室や、嬰児室があった。遊戯室の板敷に辷り台や、室内ブランコなどあって、エプロンをかけた幼い子供達が遊んでいた。先生が、やはりエプロンを羽織って、一隅に五六人の子供を寄せて、話をしてやっていた。室じゅうに明るい光線がさし込んでいた。その中で、子供のエプロンや、兵児帯の赤や黄色が清潔な床の上にくっきり浮立って見えた。知らぬ朝子が入って行ったせいか、子供が、割合おとなしく遊んでいる。朝子は、その行儀のいいのが少し自然でないように感じた。そのことを云うと久保は、
「今、おとなし遊びの時間なんですよ」
と云った。そう云いながら彼女は、窓を見廻していたが、
「ああいますよ」
 窓際の子供達に向っておいでおいでをし、
「今村さん、こっちへいらっしゃい」
と呼んだ。若い先生は顔をあげ、子供と久保とを見たが、直ぐあちらを向いた。
「何なの、いいの、呼んで」
「かまわないんですよ」
 紺絣の着物を着た、頭の大きい男の児が、素足へ草履をはいて、久保の傍へ来て立った。
「さ、こちらの先生に御挨拶なさい」
 子供の肩へ手をかけ、自分の身に引き添えた。素直にされるままになっているが、三白眼のその男の児が久保を愛しても、なついてもいないのは、表情で明らかであった。芸当を強いるようで、朝子は、
「およしなさいよ」
と止めた。
 久保は、去りたそうにしている児の肩を押えたまま、なお、
「今村さん、先生の云うことは何でもきき分けるわね」
などと云った。
 朝子は、彼女の部屋へ戻りながら、
「子供、もっと放っといてやらなけりゃ」
と云った。
「愛想のいい子供なんて拵えたって、下らなかないの」
 久保は、家庭のない、健康のない、慰めのない、自分の生活の苦痛を、持ち前の強情さに還元して、その力で子供も同僚も押して行くらしく思えた。久保はいろいろな手段で蒐集した藤村とうそんの短冊など見せた。
 本館の三階に、相原の部屋があった。朝子はそこで小一時間話した。
 相原は、世間で重役風を形容する恰幅であった。ただ笑うと上唇の両端が変に持ち上って、歯なみよい細かい前歯とはぐきとがヒーンとすっかり見えた。その小さい口は性格的で、朝子にいい感じを与えなかった。
 相原は、先頃退職した或る男の噂をし、
「どうして罷めたのかね……いずれ何とかするように諸戸さんにも云おうと思っていたんだが」
と云った。朝子の知っている事実はそうではなかった。
「諸戸さんに、あなたが忠告なすったんじゃなかったんですか」
 相原は平気で、
「ふーん、そんな風に聞えてますかね」
と云った。相原の態度と、言葉とだけで見ると、朝子の知っている事実の方が間違っていると云うようであった。
 諸戸の処置を批評するようなことを云い、
「まあ、白杉さんも、一つ確りやって下さい。今にちょっと金も出せるようになるだろうから」
などと云った。朝子は黙って笑った。しんに弱気な小野心があるので、一人一人の顔を見ているうちは、悪感情を抱かせては損という打算が働く、相原はそういう種類の心を持っているらしかった。
 帰り途、朝子は人間の生存の尖端ラ・ポアント・ド・ラ・ヴィというようなことを深く思った。道徳や常識、教養などその人を支える何の役にも立たない瞬間が人生にある。またそういう非常の時でないまでも、我等を取巻く常識や、道徳や、それ等の権威の失墜の間に生きて行くに、何が心のよりどころとなるであろう。何で人間が人間らしく生きて行く道をかぎ分けるかと云えば、それは、草木で云えば草木を伸び育てる大切な芽に等しい、人間の心の中にある生存の尖端によってだ。朝子は昨夜詩を読んだときにも、例えば、

  自体を浄めるために結び合う!
  同じお寺の二つの黄金の薔薇窓が
  ちがった明るさの炎を交じえて
  たがいに貫きあうように。

 こんなに高貴で優しく美しい、深い感じを捉え得る詩人とは、どのような心であろう、と思った。彼は考えるのではない。感じるのだ。――感じるのだ。そして朝子は、その敏感な本源的な魂の触覚を、符牒のような生存の尖端という言葉にまとめて思ったのである。
 自分が、放埒の欲望を感じながら、何のためにか、のめり込まずいる。それはと云えば、正気は失っても、その尖端が拒絶するからだ。
 幸子が、昨夜立つとき、
「大丈夫?」
と訊いた、朝子は、ひとりでに、
「大丈夫でなくても、大丈夫だと思っちゃった」
と、捉えどころのないような返事をしたが、そうだ大丈夫ではないが、その尖端が感じ、選択し、何ごとか主張している間は大丈夫だ。その生存の尖端ラ・ポアント・ド・ラ・ヴィをも押しつつむ程大きな焔が燃えたらどうであろう。
 それならそれで、万歳だ。朝子は思いつづけた。自分は、そして、自分の生存の尖端は、その焔のなかにあって我が生の歌を一つうたおう。
 朝子は、会って来たばかりの久保のこと、相原の生活、間には、新しく磨きたての磁石の針のように活々と光り、敏く、自分の内心に存在すると感じるものについて考え、味い、長い夕方の電車に揺られて行った。
 六時前後で、電車は混み、朝子の横も後もその日の労働を終って帰ろうとする職工、事務員などの群であった。或る交叉点で先の車台がつかえ、朝子の電車も久しい間立往生した。窓から外を眺めたら、甘栗屋があり、丁度その店頭の燈火で、市営自動車停留場の標識が見えた。黒い詰襟服の監督らしい髭のある四十前後の男が、そこに立っていた。何か頻りに見ている。鏡のようだ。よく視たら、彼の手にあるのは女持ちの一つのコムパクトであった。拾ったのだろう。彼は偶然停った満員電車の中から観ている者があろうとは心づこうはずなく、そのコムパクトを珍しそうに、とう見、こう見していたが、やがて蓋をあけ中についている鏡で自分の顔をちょっと見た。それは直ぐやめ、今度はコムパクトの方を鼻に近づけ白粉の匂いを嗅いだ。――トラックや自転車の往き交う周囲の雑踏を忘れた情景であった。
 その位長く彼は嗅いだ。





底本:「宮本百合子全集 第四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第四巻」河出書房
   1951(昭和26)年12月発行
初出:「改造」改造社
   1927(昭和2)年12月号
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2002年4月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。

上一页  [1] [2] [3] [4]  尾页


 

作家录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇作家:

  • 下一篇作家:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    没有任何图片作家

    广告

    广告