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死(し)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-7 9:38:03  点击:  切换到繁體中文


 医学士はこの表情で自分を見られたのが、自尊心に満足を与へられたやうな心持がした。そこで一寸考へて見て、口から煙を吹いて、うなじを反らして云つた。「いや。わたしもそれはさうだらうと思ふ。無論でせう。併し死刑といふものは第一に暴力ですね。或る荒々しい、不自然なものですね。それに第二にどちらかと云へば人間に親んでゐるのは」と云ひ掛けた。
「いゝえ。死だつても矢張不自然な現象で、或る暴力的なものです」と、見習士官は直ぐに答へた。丁度さう云ふ問題を考へてゐた所であつたかと思はれるやうな口気こうきである。
「ふん。それは只空虚な言語に過ぎないやうですな」と、毒々しくなく揶揄からかふやうに、ソロドフニコフが云つた。
「いゝえ。わたくしは死にたくないのに死ぬるのです。わたくしは生きたい。生き得る能力がある。それに死ぬるのです。暴力的で不自然ではありませんか。実際がさうでないなら、わたくしの申す事が空虚な言語でせう。所が、実際がさうなのですから、わたくしの申す事は空虚な言語ではありません。事実です。」ゴロロボフは此詞を真面目でゆつくり言つた。
「併し死は天則ですからね」と、ソロドフニコフは肩を聳やかして叫んだ。そして室内の空気が稠厚ちうこうになつて来て、頭痛のし出すのを感じた。
「いゝえ。死刑だつて或る法則にしたがつて行はれるものです。その法則が自然から出てゐたつて、自然以外の或る威力から出てゐたつて、同じ事です。そして自然以外の威力は可抗力なのに、自然は不可抗力ですから、猶更堪へ難いのです。」
「それはさうです。併し我々は死ぬる月日は知らないのですからね」と、学士は不精不精に譲歩した。
「それはさうです」とゴロロボフは承認して置いて、それからかう云つた。「併し死刑の宣告を受けた人は、処刑の日を前知してゐる代りには、いよいよ刑に逢ふまで、若し赦免になりはすまいか、偶然助かりはすまいか、奇蹟がありはすまいかなんぞと思つてゐるのです。死の方になると、誰も永遠に生きられようとは思はないのです。」
「併し誰でもなる丈長く生きようと思つてゐますね。」
「そんな事は出来ません。人の一生涯は短いものです。其に生きようと思ふ慾は大いのです。」
「誰でもさうだと云ふのですか」と、嘲笑を帯びて、ソロドフニコフは問うた。そして可笑しくもない事を笑つたのが、自分ながらへんだと思つた。
「無論です。或るものは意識してさう思ふでせう。或るものは無意識にさう思ふでせう。人の生涯とは人そのものです。自己です。人は何物をも自己以上に愛するといふことはないのです。」
「だからどうだと云ふのですか。」
「どうも分かりません。先生は何をお尋ねなさるのでせう」とゴロロボフが云つた。
 ソロドフニコフはこの予期しない問を出されて、思量の端緒を失つてしまつた。そして暫くの間は、茫然として、顔を赤くして見習士官の顔を見てゐて、失つた思量の端緒を求めてゐた。然るにそれが獲られない。それに反して、今ゴロロボフが多分己を馬鹿だと思つてゐるだらう。己を冷笑してゐるだらうと思はれてならない。さう思ふと溜まらない心持になる。そして一旦は真蒼になつて、その跡では真赤になつた。太つた白い頸に血が一ぱい寄つて来た。間もなくこの憤懣の情が粗暴な、意地の悪い表情言語になつてほとばしり出た。わざと相手を侮辱して遣らうと思つたのである。学士は自分の顔を、ずつと面皰にきびだらけのきたない相手の顔の側へ持つて行つて、殆ど歯がみをするやうな口吻こうふんで、「一体君はなんの為めにこんな馬鹿な事を言つてゐるのです」と叫んだ。それがもつと激烈な事を言ひたいのをこらへてゐるといふ風であつた。
 ゴロロボフはすぐに立ち上がつて、一寸会釈をした。そしてソロドフニコフがまだなんとも考へる暇のないうちに、すぐに又腰を掛けて、頗る小さい声で、しかもはつきりとかう云つた。「なんの為めでもありません。わたくしはさう感じ、さう信じてゐるからです。そして自殺しようと思つてゐるからです。」
 ソロドフニコフは両方の目を大きく※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらいて、唇を動かしながら、見習士官の顔を凝視した。見習士官は矢張前のやうにぢつとして据わつてゐて、匙で茶碗の中を掻き廻してゐる。ソロドフニコフはそれを凝視してゐればゐる程、或る事件がはつきりして来るやうに思はれた。その考へは頭の中をぐる/\廻つてゐる。一しよう懸命に気を鎮めようとするうちに、忽ち頭の中が明るくなるのを感じた。併しまだその事件が十分に信じ難いやうに思はれた。そして問うた。
「ゴロロボフ君。君はまさか気が違つてゐるのではあるまいね。」
 ゴロロボフは涙ぐんで来て、高く聳やかした、狭い肩をゆすつた。「わたくしも最初はさう思ひました。」
「そして今はどう思ふのですか。」
「今ですか。今は自分が気が違つてゐない、自分が自殺しようと思ふのに、なんの不合理な処もないと思つてゐます。」
「それではなんの理由もなく自殺をするのですか。」
「理由があるからです」と、ゴロロボフは詞を遮るやうに云つた。
「その理由は」と、ソロドフニコフは何を言ふだらうかと思ふらしく問うた。
「さつきあれ程くはしくお話申したではありませんか」と、ゴロロボフは問はれるのがさも不思議なといふ風で答へた。そして暫く黙つてゐて、それから慇懃に、しかもなんだか勉強して説明するといふ調子で云つた。「わたくしの申したのは、詰まり人生は死刑の宣告を受けてゐると同じものだと見做すと云ふのです。そこでその処刑の日を待つてゐたくもなく、又待つてゐる気力もありませんから、寧ろ自分で。」
「それは無意味ですね。そんなら暴力をのがれようとして暴力を用ゐると云ふもので。」
「いゝえ。暴力を遁れようとするのではありません。それは遁れられはしません。死刑の宣告を受けてゐる命を早く絶つてしまはうと云ふのです。寧ろ早く絶たうと。」
 ソロドフニコフはこれを聞いたとき、なんだか心持の悪い、冷たい物を背中に浴びたやうで、両方の膝が顫えて来た。口では、「併しさうしたつて同じ事ではありませんか」と云つた。
「いゝえ。わたくしの霊が自然に打ち勝つのです。それが一つで、それから。」
「でもその君の霊といふものも、君の体と同じやうに、矢張自然が造つたもので。」
 忽ちゴロロボフが微笑んだ。ソロドフニコフは始て此男の微笑むのを見た。そしてそれを見てぎよつとした。大きい口がへんにゆがんで、殆ど耳まで裂けてゐるやうになつてゐる。小さい目をしつかりねむつてゐる。そのぼやけた顔附が丸で酒に酔つておめでたくなつたといふやうな風に見えるのである。ゴロロボフは微笑んで答へた。「それは好く知つてゐます。どちらも自然の造つたものには違ひありませんが、わたくしの為めには軽重けいぢゆうがあります。わたくしの霊といふとわたくし自己です。体は仮の宿に過ぎません。」
「でも誰かがその君の体を打つたら、君だつて痛くはないですか。」
「えゝ。痛いです。」
「さうして見れば。」
 ゴロロボフは相手の詞を遮つた。「若しわたくしの体がわたくし自己であつたら、わたくしは生きてゐることになるでせう。なぜといふに、体といふものは永遠です。死んだ跡にも残つてゐます。さうして見れば死は処刑の宣告にはならないのです。」
 ソロドフニコフは余儀なくせられたやうに微笑んだ。「これまで聞いたことのない、最も奇抜な矛盾ですね。」
「いゝえ。奇抜でもなければ、矛盾でもないです。体が永遠だと云ふ事は事実です。わたくしが死んだら、わたくしの体は分壊して原子になつてしまふのでせう。その原子は別な形体になつて、原子そのものは変化しません。又一つも消滅はしません。わたくしの体の存在してゐる間有つた丈の原子は死んだ跡でも依然として宇宙間に存在してゐます。事に依つたら、一歩を進めて、その原子が又た同じ組立を繰り返して、同じ体を拵へるといふことも考へられませう。そんな事はどうでも好いのです。霊は死にます。」
 ソロドフニコフは力を入れて自分の両手を握り合せた。もう此見習士官を狂人だとは思はない。そしてその言つてゐる事が意味があるかないか、それを判断することが出来なくなつた。気が沈んで来た。見習士官の詞と、薄暗いランプの光と、自分の思量と、いやにがらんとした部屋とから、陰気なやうな、咄々とつ/\人に迫るやうな、前兆らしい心持が心の底にきざして来た。併し強ひて答へた。「さうにも限らないでせう。死んだ後に、未来に性命がないといふことを、君は知つてゐるのですか。」
 ゴロロボフは首を掉つた。「それは知りません。併しそれはどうでも宜しいのです。」
「なぜどうでも好いのですか。」
「死んでから性命がない以上は、わたくしの霊は消滅するでせう。又よしやそれがあるとしても、わたくしの霊は矢張消滅するでせう。」二度目には「わたくし」といふ詞に力を入れて云つた。「わたくし自己は消滅します。霊といふものが天国へ行くにしても、地獄へ堕ちるにしても、別な物の体にやどるにしても、わたくしは亡くなります。この罪悪、習慣、可笑しい性質、美しい性質、懐疑、悟性、愚蒙、経験、無知の主人たる歩兵見習士官ゴロロボフの自我は亡くなります。何が残つてゐるにしても、兎に角ゴロロボフは消滅します。」
 ソロドフニコフは聞いてゐて胸が悪くなつた。両脚が顫える。頭が痛む。なんだか抑圧せられるやうな、腹の立つやうな、重くろしい、恐ろしい気がする。
「どうとも勝手にしやがるが好い。気違ひだ。こゝにゐると、しまひにはこつちも気がへんになりさうだ」と学士は腹の中で思つた。そして一言「さやうなら」と云つて、人に衝き飛ばされたやうに、立ち上がつた。
 ゴロロボフも矢張立ち上がつた。そして丁度さつきのやうに、慇懃に「さやうなら」と云つた。
「馬鹿をし給ふなよ。物数奇にさつき云つたやうな事を実行しては困りますぜ」と、ソロドフニコフは面白げな調子で云つたが、実際の心持は面白くもなんともなかつた。
「いゝえ。先刻も申した通り、あれはわたくしの確信なのですから。」
「馬鹿な。さやうなら」と、ソロドフニコフは憤然として言ひ放つて、梯子はしごの下の段を殆ど走るやうに降りた。
     ――――――――――――
 ソロドフニコフは背後うしろで戸を締める音を聞きながら、早足に往来へ出た。雨も風もひどくなつてゐる。併し外に出たので気分が好い。帽を阿弥陀にかぶり直した。頭が重くて、額が汗ばんでゐる。
 忽然こつぜんソロドフニコフには或る事実が分かつた。あれは理論ではなかつた。或る恐るべき、暗黒な、人の霊を圧する事件である。あれは今はまだ生きてゐて、数分の後には事に依るともう亡くなつてゐる一個の人間の霊である。かう思つたのが、非常に強烈な印象を与へるので、ソロドフニコフはそこに根が生えたやうに立ち留まつた。
 雨は留めどもなく、ゆつくりと、ざあざあと降つてゐる。ソロドフニコフはくびすめぐらして、忽然大股にあとへ駈け戻つた。ぬかるみに踏み込んで、ずぼんのよごれるのも構はなかつた。息を切らせて、汗をびつしより掻いて、帽を阿弥陀に被つた儘で、ソロドフニコフはゴロロボフの住ひの前に戻つて来て、燈火ともしびの光のさしてゐる窓の下に立ち留まつた。一寸見ると、ゴロロボフの顔が見えるやうであつたが、それはサモワルの横つらが燈火の照り返しで光つてゐるのであつた。ランプは同じ所に燃えてゐる。それから、さつき茶を飲んだあとの茶碗が一つと、ぴかぴか光る匙が一本と見えてゐる。見習士官は見えない。ソロドフニコフはどうしようかと思つて窓の下に立つてゐた。なんだか部屋の中がいやにひつそりしてゐて、事に依つたらあの部屋のとこの上に見習士官は死んで横はつてゐるのではあるまいかと思はれた。
「馬鹿な。丸で気違ひじみた話だ」と、肩を聳やかして、極まりの悪いやうな微笑をして云つた。そして若し誰かが見てゐはすまいか、事に依つたらゴロロボフ本人が窓から見てゐはすまいかと思つた。
 ソロドフニコフは意を決して踵を旋して、腹立たしげに外套の襟を立てて、帽を目深に被り直して、自分の内へ帰つた。
「丸で気違ひだ。人間といふものは、どこまで間違ふものか分からない」と、殆ど耳に聞えるやうに独言を言つた。
「併しなぜ己にはあんな考へが一度も出て来ないのだらう。無論考へたことはあるに違ひないが、無意識に考へたのだ。一体恐ろしいわけだ。かうして平気で一日一日と生きて暮らしてはゐる様なものの、どうせ誰でも死ななくてはならないのだ。それなのになんの為めにいろんな事をやつてゐるのだらう。苦労をするとか、喜怒哀楽をけみするとかいふことはさて置き、なんの為めに理想なんぞを持つてゐるのだらう。明日は己を知つてゐるものがみな死んでしまふ。己が大事にして書いてゐるものを鼠が食つてしまふ。それでなければ、人が焼いてしまふ。それでおしまひだ。その跡では誰も己の事を知つてゐるものはない。この世界に己より前に何百万の人間が住んでゐたのだらう。それが今どこにゐる。己は足で埃を蹈んでゐる。この埃は丁度己のやうに自信を持つてゐて、性命を大事がつてゐた人間の体の分壊した名残りだ。土の上で、あそこに火を焚いてゐる。あれが消えれば灰になつてしまふ。併しまた火を付けようと思へば付けられる。併しその火はもう元の火ではない。丁度あんなわけで、もう己のあとには己といふものはないのだ。かう思ふと脚や背中がむづむづして来る。このソロドフニコフといふものは亡くなるのだ。ドクトル・ウラヂミル・イワノヰツチユ・ソロドフニコフといふものは亡くなるのだ。」
 この詞を二三遍繰り返して、ソロドフニコフは恐怖と絶望とを感じた。心臓は不規則に急促きふそくに打つてゐる。何物かが胸の中を塞ぐやうに感ぜられる。額には汗が出て来る。


 

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