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戦場(せんじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-10 9:43:43  点击:  切换到繁體中文


       二

 私たちの行程は非常に困難であった。
 はてしもなく漫々たる黒土原と、数限りない砲弾の穴が作る氷と泥の陥穽おとしあなの連続。その上に縦横ムジンに投出されている白樺の鹿砦ろくさい。砲車のながえ。根こそぎのくさむらの大塊。煉瓦塀の逆立さかだち。軍馬の屍体。そんな地獄じみた障害物が、鼠に噛じられたような棘々とげとげしい下弦の月の光りと、照明弾と、砲火の閃光のために赤から青へ、青から紫へ、紫から黄色へ、やがて純白へと、寒い、冷めたい氷点下二十度前後の五色の反射を急速度に繰返しながら半マイルばかり続きに続いた。
 私と連れ立った候補生は、途中で苦痛のために二度ばかり失神して、あまり頑強でない私の身体からだをグラグラと引摺り倒しかけたが、私が与えた薄荷火酒メントールブランデーでヤット気力を回復して、あえぎ喘ぎよろめき出した。お互いにワルデルゼイ大佐の命令の意味がわからないまま、月の出ている方向へ、息も絶え絶えの二人三脚を続けた。
 しかし二人とも大佐には追附き得なかった。大佐は途中で二度ばかり私を振返って、
「ソンナ奴は放っとき給え。早く来給え」
 と噛んで吐き出すような冷めたい語気で云ったが、私の頑固な態度を見て諦めたのであろう。そのままグングンと私たちから遠ざかって行った。そうした理屈のわからない残忍極まる大佐の態度を見ると、私はイヨイヨしっかりと候補生を抱え上げてやった。
 候補生はホントウに目が見えないらしかった。その眼の前の零下二十度近い空気を凝視している二重瞼ふたえまぶたと、青い、澄んだ瞳には何等の表情も動かなかった。ただその細長い、細い、女のような眉毛だけが、苦痛のためであろう。絶えずビクビク……ビクビク……と顫動せんどうしているだけであった。
 私は遥かの地平線に散り乱れる海光色の光弾と、中空にすべり登っている石灰色の月の光りに、交る交る照らされて行く候補生の拉甸らてん型の上品な横顔を見上げて行くうちに又も胸が一パイになって来た。こんなに美しい、無邪気な顔をした青年が、気絶する程に痛い足を十基米キロメートルも引摺り引摺り、又もあの鉄と火のざき地獄の中へ追返されるのかと思うと、自分自身が苛責さいなまれるような思いを肋骨あばら空隙くうげきに感じた。
 候補生も何か感じているらしく、その大きく見開いた無感覚な両眼から、涙をパラリパラリと落しているのが、月の光りを透かして見えた。
 私は外套がいとうのポケットから使い残りの脱脂綿を掴み出してその涙を拭いてやった。……すぐに凍傷になるおそれがあるから……すると候補生は、わななく指で私の右手を探って、その脱脂綿を奪い取ると、なおも新しく溢れ出して来る涙を自分で拭い拭い立停まった。ガクガクとおののく左足の苦痛をジイッと唇に噛みしめ噛みしめ、だんだんと遠ざかって行くワルデルゼイ軍医大佐の佩剣の音に耳を傾けているようであったが、やがて極めて小さい、虫のような声で私に問うた。
「軍医大佐殿とはモウ余程離れておりますか」
「……ソウ……百米突メートルばかり離れております。何か用事ですか」
 候補生は答えないまま空虚な瞳を星空へ向けた。血の気の無い白い唇をポカンと開け、暫く何か考えているらしかったが、やがて上衣の内ポケットから小さな封筒大の油紙づつみを取出して、手探りで私の手に渡して、シッカリと握らせた。
 しかし私は受取らなかった。彼の手と油紙包みを一所に握りながら問うた。
「これを……私に呉れるのですか」
「……イイエ……」
 と青年は頭を強く振った。なおも湧出す新しい涙を、汚れた脱脂綿で押えた。
「お願いするのです。この包を私の故郷の妻に渡して下さい」
貴方あなたの……奥さんに……」
「……ハイ。妻の所書ところがきも、貴方の旅費も、この中に入っております」
「中味の品物は何ですか」
「僕たちの財産を入れた金庫の鍵です」
「……金庫の鍵……」
「そうです。その仔細わけをお話ししますから……ドウゾ……ドウゾ……聞いて下さい」
 と云ううちに青年は、両手を脱脂綿ごと顔に押し当てて、乞食のように連続的にペコペコ……ペコペコと頭を下げた。私はすこし持て余し気味になって来た。
「とにかく……話して御覧なさい」
「……あ……有難う御座います……」
「サアサア……泣かないで……」
「すみません。済みません。こうなんです」
「……ハハア……」
「……僕の先祖はザクセン王国の旧家です。僕の家にはザクセン王以上の富を今でも保有しております。父は僕と同姓同名でミュンヘン大学の教授をつとめておりました。僕はその一人息子でポーエル・ハインリッヒという者です。今の母親は継母で、父の後妻なんですが、僕と十歳ぐらいしか年齢としが違いません。その父が昨年の夏、突然に卒中で亡くなりましてからは、継母は家付きの弁護士をミュンヘンの自宅に出入りさせておりますが、この弁護士がドウモ面白くない奴らしいのです。いいですか……」
「成る程。よくわかります」
「僕が継母に説伏ときふせられて三度の御飯よりも好きな音楽をやめて、軍隊に入る約束をさせられたのもドウヤラその弁護士の策謀さしがねらしいのです。つまりその弁護士は僕と、僕の新婚の妻との間に子供が出来ないうちに、継母ははと共謀して、財産の横領を企てているのじゃないかと疑い得る理由があるのです。その弁護士は非常に交際の広い、一種の世間師という評判です。く極く打算的な僕の継母ははもこの弁護士にばかりは惜し気もなくお金を吸い取られているという評判ですからね。僕をヴェルダンの要塞戦に配属させたのも、その弁護士の秘密運動が効を奏した結果じゃないかと疑われる位なんです」
 私は太い、長い、ふるえたタメ息を腹の底から吐き出した。最初は不承不承に聞いていたつもりであったが、いつの間にか一も二もなく候補生に同情させられていた。
「成る程……現在いまの独逸には在りそうな話ですね。悪謀わるだくみに邪魔になる人間は、戦場に送るのが一番ですからね」
「……でしょう……ですから僕は、僕の財産の一切を妻のイッポリタに譲るという遺言書と一緒に、色々な証書や、家に伝わった宝石や何かの全部を詰め込んだ金庫の鍵を、戦線に持って来てしまったんです。ちょうど妻が伊太利イタリーの両親の処へ帰っている留守中に、僕の出征命令が突然に来たのですからね。いつもだと僕の妻が喜ぶ事を絶対に好まなかった継母ははが、不思議なほど熱心に妻にすすめて故郷へ帰らせて、非常な上機嫌で駅まで送ったりした態度がドウモ可怪おかしいと思っていたところだったのです」
「成る程。よくわかります」
「それだけじゃないのです。私の出征した後で帰って来た妻は、私の母親と弁護士に勧められて、他家よそへ縁附くように持ちかけられているし、妻の両親も、それに賛成している……という手紙が妻から来たのです」
「それあしからんですねえ」
「……怪しからんです……しかし妻は、僕から離別した意味の手紙を受取らない限り、一歩もこの家を出て行かないと頑張っているそうですが……私たちは固く固く信じ合っているものですからね……」
 候補生は一秒の時間も惜しいくらい迅速に、要領よく事情を説明した。恐らく彼が鉄と、火と、毒瓦斯ガスの中で一心をらして考え抜いて来た説明の順序を、今一度、ここで繰返したものらしかったが、そのせいか、こうした甘ったるいおのろけが、氷のように切迫した人生の一断面を作って、私の全神経に迫って来たのであった。
「どうぞどうぞ後生ですから、この鍵をごく秘密のうちに妻に手渡しして下さい。僕の妻からハインリッヒ伯爵家の主婦の地位と、巨額の財産を奪い取るべく暗躍している者が随分多いのですから……」
 私は思わずえりを正した。それは立佇たちどまっているうちにヒシヒシと沁み迫まって来る寒気のせいではなかった。
 見も知らぬ人間にこうした重大な物品を委托するポーエル・ハインリッヒ候補生の如何にもお坊ちゃんらしい純な、無鉄砲さに呆れ返りながらも、無言のままシッカリと油紙包みを受取った。
「……ありがとう御座います。ドウゾドウゾお願します……僕は……この悩みのために二度、戦線から脱走しかけました。そうして二度とも戦線に引戻されましたが、その三度目の逃亡の時に……今朝けさです……ヴェルダンのX型堡塁ほうるい前の第一線の後方二十米突メートルの処の、夜明け前の暗黒くらやみの中で、このこむらを上官から撃たれたのです……この包を妻に渡さない間は、僕は安心して死ねなかったのです」
「……………」
「……しかし……しかし貴方あなたはこの上もなく御親切な……神様のようなお方です。僕の言葉を無条件で真実と信じて下さる御方であるという事が、僕にチャントわかっています。……どうぞどうぞお願いします。クラデル先生。どうぞ僕を安心して、喜んで祖国のために死なして下さい。眼は見えませぬが敵の方向は音でもわかります。一発でもいいから本気で射撃さして下さい。独逸ドイツ軍人の本分を尽して死なして下さい」
 そう云ううちにポーエル候補生は手探りで探り寄って来て、私の両肩にシッカリと両手をかけた。私の軍帽のひさしを見下して、マジマジと探るように凝視していたが、イクラ凝視しても、何度眼をパチパチさしても私の顔を見る事が出来ないのが自烈度じれったいらしかった。
「……見えませぬ。……見えませぬ。神様のような貴方のお顔が見えませぬ……ああ……残念です……」
 私は思わず赤面させられた。私は自分の顔の怪奇みにくさを知っている。それはアンマリ立派な神様ではない……コンナ顔は見られない方がいい……と思った。
「ナアニ、今に見えるようになりますよ。失望なさらないように……」
 候補生は真黒く凍った両手で、私のひげだらけの両頬をソッと抱え上げた。両眼をシッカリと閉じて頭低うなだれた。そのまぶたからしたたり落ちる新しい涙の一粒一粒が、光弾の銀色の光りを宿して、黒い土に消え込んだ。少年は神様に祈るような口調で云った。
「僕はモウジキ死にます。遅かれ早かれヴェルダンの土になります。……その前にタッタ一眼ひとめ先生のお顔を見て死にとう御座います。先生のお顔を記憶して地獄へ墜ちて行きとう御座います。ほかに御礼のし方がありませんから……モウ……太陽……月も……星も……妻の顔も見ないでいいです。そんなものは印象し過ぎる程、印象しておりますから。タッタ一眼……御親切な先生のお顔を……ああ……残念です……」
 私はモウすこしで混乱するところであった。
 死のマグネシューム光が照し出す荒涼たる黒土原……殺人器械の交響楽が刻み出す氷光の静寂の中に、あらゆる希望を奪い尽くされた少年が、タッタ一つ恩人の顔だけを見て死にたいと憧憬あくがれ願っている……その超自然的な感情が裏書きする戦争の暴風的破壊が……秒速数百米突メートルの鉄と火の颶風ぐふう、旋風、※(「飆」の「風」が左、第4水準2-92-41)ひょうふう颱風たいふう……そのおびえ切った霊魂のドン底にわずかに生き残っている人間らしい感情までも、脅やかし、吹き飛ばし、掠奪しようとする。その怖ろしい戦争の無限の破壊力の中から、何でも構わない、美しい、楽しい、霊的なものの一片でも掴み止めようとしている少年の憐れな努力……溺れかけている魂が、海底へ持って行こうとしている小さな花束……それがまあ「醜い私の顔」である事にやっと気が付いた私はモウ、ドウしていいのか、わからなくなってしまった。
 しかし地平線の向うでダンダンと発狂に近付いて来るヴェルダン要塞の震動に、凝然と耳を傾けていた候補生は、間もなく頭を強く左右に振った。ヨロヨロと私から退き離れた。
「ああ。何もならぬ事を申しました。さあ参りましょう。軍医大佐殿が待っておられますから……疑われると不可いけませんから……」
 私はここでシッカリと候補生を抱き締めて、何とか慰めてやりたかった。昂奮の余りの超自然的な感情とはいえ、この零下何度の殺気にとざされた時間と空間の中で、コンナに美しい、純な少年から、これ程までに信頼され、感謝された崇高な一瞬間を、私の一生涯のうちでも唯一、最高の思い出として、モットモット深く、強く印象したかった。
 しかし候補生は何かしら気がくらしく、早くも私の肩から離れて、よろぼいよろぼい歩き出していた。しかも驚くべき事には、その少年の一歩一歩には今までと見違える程の底強い力が籠っていた。それは私の気のせいばかりではなかった。真実に心の底からスッカリ安心して、勇気づけられている歩きぶりであった。少年らしい凜々りりしい決心が全身に輝き溢れていて、その頬にも、肩にも苦痛の痕跡さえ残っていなかった。その見えない二つの瞳には、戦場に向って行く男の特有の勇しい希望さえ燃え輝いていた。
 私は神様に命ぜられたような崇高な感じに打たれつつ蹌踉そうろうとして一候補生に追い附いた。無言で肩を貸してやって、又も近付いて来る砲弾の穴を迂廻させてやった。

       三

 やがて二基米キロメートルも来たと思う頃、半月の真下に見えていた村落の廃墟らしい処に辿り付いた。
 その僅かに二三尺から、四五尺の高さに残っているコンクリートや煉瓦塀の断続の間に白と、黒と、灰色の斑紋まだらになった袋の山みたような物が、射的場の堤防ぐらいの高さに盛り上っていた。私はそれを工兵隊が残して行った大行李の荷物か、それとも糧秣の山積かと思っていたが、だんだん接近するに連れて、その方向から強烈な、たまらない石油臭が流れて来たので、怪訝おかしいと思って、なおも接近しながらよくよく見ると、その袋の山みたようなものは皆、手足の生えた人間の死骸であった。白いまだらと見えたのは顔や、手足や、服の破れ目から露出した死人の皮膚で、それが何千あるか、何万あるか判然わからない。私たちが今まで居た白樺の林から運び出されたものも在ったろうし、途中で死亡して直接にここに投棄なげすてられたものも在ったろう。石油の臭気は、そんな死体の山を一挙に焼き尽すつもりでブッかけて在ったものと考えられる。
 青褪あおざめた月の光りと、屍体の山と、たまらない石油の異臭……屍臭……。
 もうスッカリ麻痺していた私の神経は、そんな物凄い光景を見ても、何とも感じなかったようであった。候補生を肩にかけたままグングンとその死骸の山の間に進み入った。ガチャリガチャリと鳴る軍医大佐の佩剣はいけんの音をアテにして……。
 そこは戦前まで村の中央に在った学校の運動場らしかった。周囲に折れたり引裂かれたりしたポプラやユーカリの幹が白々と並んでいるのを見てもわかる。その並木の一本一本を中心にして三方に、四五メートル高さの堡塁ほうるいのように死骸が積重ねて在って、西の方の地平線、ヴェルダンに向った方向だけがU字型に展開されているのであった。
 その広場の中央に近く、やはり数十の負傷兵が、縦横十文字に投出されたように寝転がっていたが、しかしこの負傷兵たちが、何のために白樺の林から隔離されて、コンナ陰惨な死骸の堡塁の中間に収容されているのか私はサッパリ見当が付かなかった。しかもこの連中は比較的軽傷の者が多いらしく、村の入口らしい、石橋の処で待っていた大佐と、私たちとが一緒になって中央に進み入ると、寝たまま半身を起して敬礼する者が居た。それは特別に軍医の注意を惹いて、早く治療を受けたいといったような、負傷兵特有の痛々しい策略でもないらしい敬礼ぶりであった。
 しかしワルデルゼイ軍医大佐は、そっちをジロリと見たきり、敬礼を返さなかった。直ぐに私の方を振返って、
「その小僧をそこへ突放し給え」
 と云ったがその鬚だらけの顔付の恐しかったこと……月光を背にして立っていたせいでもあったろう。地獄から出張して来た青鬼か何ぞのように物凄く見えた。

 私が候補生を地面にソッと寝かしてやると、軍医大佐は苦々しい顔をしたまま私を身近く招き寄せた。携帯電燈をカチリと照して、そこいらに寝散らばっている負傷兵の傷口を、私と一緒に一々点検しながら、無学な負傷兵にはわからない露西亜ロシア語と、羅典ラテン語と、術語をゴッチャにした独逸ドイツ語で質問しはじめた。
「この傷はドウ思うね……クラデル君……」
「……ハ……右手掌うしゅしょう、貫通銃創であります」
「普通の貫通銃創と違ったところはないかね」
「銃創の周囲に火傷かしょうがあります」
「……というと……どういう事になるかね」
 私はヤット軍医大佐の質問の意味がわかった。
 しかし私は返事が出来なかった。……自分の銃で、自分のてのひらを射撃したもの……と返事するのは余りに残酷なような気がしたので……。
 大佐は鬚の間から白い歯をあらわしてニヤリと笑った。直ぐに次の負傷兵に取りかかった。
「そんならこの下士官の傷はドウ思うね」
「……ハ……やはり上膊部の貫通銃創であります。火傷は見当らないようですが……」
「それでも何か違うところはないかね」
「……弾丸の入口と出口との比較が、ほかの負傷兵のと違います。仏軍の弾丸ではないようで……近距離から発射された銃弾の貫通創と思います」
「……ウム……ナカナカ君はよく見える。そこでつまりドウいう事になるかね」
 私は又も返事に困った。前の時と同じ理由で……。
「この脚部のきずはドウ思うね。君が今連れて来た候補生だが……」
「弾丸の入口が後方に在ります」
「……というとドンナ意味になるかね」
「……………………」
「それじゃ君……コッチに来たまえ。この腕の傷がわかるかね」
「わかります。弾丸の口径が違います。私は剔出てきしゅつしてやったのです」
「何の弾丸だったね。それは……」
「……………………」
「味方の将校のピストルの弾丸たまじゃなかったかね」
「……………………」
「……ハハハ……もう大抵わかったね。ここに集めて在る負傷兵の種類が……」
「……ハイ……ワ……わかりました」
 私は何故となくガタガタ震え出した。
 しかしワルデルゼイ軍医大佐は、依然として「研究」を中止しなかった。なおも次から次へと私を引っぱりまわして、殆んど百名に近いかと思われる負傷者の患部を診察しては質問し、質問しては次に移って行ったが、いずれもその最後は、私が答える事の出来ない質問に帰着する種類の負傷ばかりであった。
 悽愴極まる屍体の山と石油臭の中に隔離されている約一小隊の生霊に、モウ間もなく与えられるであろう軍律の制裁……或る不可知の運命を考えさせられながら、その不名誉この上もない……むしろ悲惨事以上の悲惨事とも見るべき超常識的な負傷の傷口を一々、念入りに診察して行くうちに、私の背筋の全面が、気温を超越した冷汗にジットリと蔽われた。烈しい恐怖の予想から来る荒い呼吸のために、私の鬚の一本一本が真白い霜に蔽われた。膝頭と歯の根が同時にガタガタと音を立てそうになって来た。そうして百に近い負傷兵の何となくおびえた、怨めしそうな、力ない視線に私の全神経が射竦いすくめられて、次第次第に気が遠くなりかけて来た時にヤット全部の診察、研究が終ると、大佐は私をすこし離れた小高い土盛の上に連れて行って、軍刀をグット背後に廻した。両耳の蔽いを取って自分の顔を、手袋をはめた両手で強く摩擦し初めた。
「……そこでクラデル君。これらの全部の負傷兵の種類を通じての特徴として、君は何を感じますかね」
「……ハッ……。皆、味方の銃弾か、銃剣によってきずついている事であります。砲弾、毒瓦斯ガス、鉛筆(仏軍飛行機が高空から撒布して行く短かい金属性の投矢の一種)等の負傷は一つも無い事です」
「……よろしい……」
 吾が意を得たりという風に云い放った軍医大佐はピタリ顔面の摩擦を中止した。満足げに首肯うなずき首肯き小高い土盛りの中央に月の光を背にして立った。今一度、勢よく軍刀の※(「木+霸」、第3水準1-86-28)つかを背後に押しやって咳一咳がいいちがいした。振返ってみるとヴェルダンの光焔が、グングンと大空に這い昇って、星の光りを奪いつつ湧き閃めいている。
 その時に姿勢を正したワルデルゼイ軍医大佐は、三方の屍体の山を見まわしながら真白い息を吐いて長吼ちょうくした。
「……皆ア……立て――エッ……」
 アッチ、コッチに寝転がっていた負傷兵が皆、弾かれたようにヒョコリヒョコリと立上った。中には二三人、地面に凍り付いたように長くなっている者も在ったが、それは早くも軍医大佐の命令の意味を覚って、失神した連中であったらしい。
 何の反響も与えない三方の屍体の山が、云い知れぬモノスゴイ気分を場内一面に横溢させている。
「皆、俺の前に一列に並べ。早く並べ……何をしとるか。倒れとる奴は引摺り起せ」
 声に応じて二三人の負傷兵が寄り集まって、長くなっている仲間を抱き上げようとしたが結局、無駄であった。正体のなくなっている酔漢と同様にグタグタとなって何度も何度も戦友の腕から辷り落ちるのであった。真実に気絶しているらしいので、凍死しては不可いけないと思って、私が近附いて行こうとするのを大佐が押止めた。
「……放っとき給え……ほっときたまえ……凍死する奴は勝手に凍死させておけ。そんな者はいいから早く並べ。……ヨオシ……皆、気を附け……整頓……番号……」
「二、三、四……八十……八十一ッ……」
「八十一か……」
「ハイ。八十一名であります」
 最後尾に居るポーエル候補生が真正面を向いたまま答えた。
「よろしい。寝ている奴が三人と……合計八十四名だな」
「そうであります」
 今度は候補生の一つ前に居る中年の軍曹が答えた。ピストルで腕を撃たれている男だ。肩から白い繃帯と副木で綿に包まれた腕を釣っているのがこの場合、恐ろしく贅沢なものに見える。
「……よろしい……」
 軍医大佐が又も咳一咳した。
「……馬鹿……誰が休めと云うたか……銃殺するぞ。馬鹿者がッ。……気を付け……」
 死骸の山を背景にして、蒼白な月光に正面した負傷兵の一列の顔はドレもコレも生きた色を失っていた。死人よりも力ない……幽霊よりもタヨリない表情であった。その生きた死相の行列は、一生涯、私の網膜にコビリ付いて離れないであろう。
「……汝等は……何故に普通の負傷兵から区別されて、ここに整列させられているか、自分で知っているか」
 軍医大佐の言葉が終らぬうちに又も二三人、気が遠くなったらしい。ドタリドタリと棒倒しに引っくり返った。ヤット自分達の立場が彼等にわかったらしい。
 ツルツルと一筋、つめたい汗の玉が背筋を走ったと思うと、私も眼の前の光景が、二三十キロも遠方の出来事のように思えて来た。
 倒れた仲間を振返って見る者は愚か、身動きする者すらいなかった。皆、蒼白い月の光の中に氷結したようにシインと並んで立っていた。……その時の彼等がドンナ気持で立っていたか、私には想像出来なかった。ただボンヤリと飾氷かざりごおりの中の花束の行列を聯想させられていただけであった。死んだまま立っている人間の行列……死刑を宣告されかけている自傷兵の一小隊……。
「わからなければモウ一つ質問する」
 軍医大佐は一歩前進して自分の背後を指した。
「眼を開いて汝等の正面を見よ。あの物凄い銃砲の音と、火薬の渦巻を見よ。あれが見えるか。あれは一体、何事であるか……わかるか……」
「……………」
 誰も返事をしなかった。返事の代りに又も二三人バタリバタリと引っくり返っただけであった。
「……よろしい……それから……廻れエ、右ッ……」
 皆、器械のように決然と廻転した。ついでにブッ倒れた者もいたくらい元気よく……。
「よしッ。汝等の背後に山積して在る汝等の同胞の死骸を見よ……これはイッタイ何事であるか汝等の同胞は何のためにコンナ悲壮な運命を甘受しているのか……わかるか……」
 思い出したように頸低うなだれた者が四五人。軍服の袖を顔に当ててススリなきを初めた者が二三人……。
 光弾が……仏軍のマグネシューム光がタラタラと白い首筋の一列を照して直ぐに消えた。
「……よろしい。廻れエ、右ッ……整頓……。わからなければ今一つ尋ねる。ええか。……イッタイ吾々軍医なるものは何のために戦場に来ているのか汝等は知っているか」
「……………」
「……ただ自分達の負傷の手当のためにばかり来ていると思ったら大間違いだぞ。汝等のような売国奴同然の非国民を発見して処分するのが俺達、軍医の第一、第二、第三の責務である。負傷の手当てなどいうものは第四、第五の仕事という事を知らないのか! エエッ!」
 そういううちにもバタバタと四五人卒倒した。歯の抜けたようになった一列横隊がまたも、アリアリと光弾に照し出された。
 ワルデルゼイ軍医大佐は更に強く咳一咳した。声がすこししゃがれたせいか、口調が一層、深刻に冴え返って来た。傍に立っている私までも、気絶することを忘れて傾聴させられた。
「……ええか……よく聞け……軍医の学問の第一として教えられることは自傷ゼルウー鑑別方法みわけかたである。戦場から退却しりぞきたさに、自分自身で作る卑怯な傷の診察し方である。吾儕われわれ軍医はこれを自傷ゼルプスト・ウンデー……略してS・ゼルウーと名付けている。すなわちS・Wの特徴は生命に別条のない手や足に多い事である。そんな処を戦友に射撃してもらったり、自分で射撃したりして作った傷は、距離が近いために貫通創の附近に火傷が出来る。火薬の燃えかすが黒いポツポツとなって沁み込んでいる事もある。……さもなくとも仏軍の弾丸と吾軍の弾丸は先頭の形が違うために傷口の状況が、一目でわかるほど違っている。口径の違うピストルの傷は尚更なおさら、明瞭である。塹壕の外に故意わざと足を投出したり、手を突出したりして受けた負傷と、銃身を構えて前進しながら受けた傷とは三歳児みつごでも区別出来ることを汝等は知らんのか。それ位の自傷がわからなくて軍医がつとまると思うのか。そんな卑怯な、横着な傷に吾儕われわれ、軍医が欺むかれて、一々鉄十字勲章と、年金を支給されるように吾々が取計らって行ったならば、国家の前途は果してドウなると思っているのか。常識で考えてもわかる事だ……仮病、詐病、佯狂にせきちがい、そのほか何でも兵隊が自分自身で作り出した肉体の故障ならば、一目でわかるように看護卒の端々までも仕込まれているのだぞ……俺達は……」
「……………」
「……現在……汝等の父母の国は、汝等の父母が描きあらわした偉大な民族性の発展を恐れ憎んでいる全世界の各国から撃滅されむとしつつ在る。学術に、技芸に、経済政策に、模範的の進取精神を輝かして、世界を掠奪せむとしている吾々独逸民族に対して、卑怯、野蛮な全世界の未開民族どもが、あった限りの非人道的な暴力を加えつつ在る。英、仏、伊、露、米、等々々は皆、吾々の文化を恐れ、吾々の正義を滅ぼそうとしている旧式野蛮国である……わかったか……」
「……………」
「これを憤ったカイゼルは現在、吾々を率いて全世界を相手に戦っている。汝等の父母、同胞、独逸民族の興亡をして戦っている。人類文化の開拓のために…よろしいか……」
「……………………」
「その戦いの勝敗の分岐点……全、独逸民の生死のわかれ目の運命は、今、汝等の真正面に吠え、唸り、燃え、渦巻いているヴェルダンの要塞戦にかかっているのだ。その危機一髪の戦いに肉弾となって砕けた勇敢なる死骸は……見ろ……汝等の背後にあの通り山積しているのだ。……その死骸を見て汝等は恥しいとは思わないのか」
「……………」
「汝等はそれでも人間か。光栄ある独逸民族か。世界を敵として正義のために戦うべく、父母兄弟に送られて来た勇士と思っているのか」
「……………」
「……下等動物のありや蜂を見よ。あんな下等な生物でも汝等のような卑怯な本能は持っていないぞ。汝等は実に虫ケラ以下の存在だ。神……人……共に憎む破廉恥漢はれんちかんとは汝等の事だ。……汝等は売国奴だ。非国民だ。生かしておけば独逸軍の士気に関する害虫だ。ボルセビイキ以上の裏切者だ……」
「……………」
「汝等は戦死者の列に入る事は出来ない。無論……故郷の両親や妻子にも扶助料は渡らない覚悟をしろ。ただ汝等の卑怯な行為が、汝等の父母、兄弟、朋友たちに絶対に洩らされない……軍法会議にも渡されない……今日只今限りの秘密のうちに葬むられる事を、無上の名誉とし、光栄として余の処分を受けよ」
 私はモウ立っている事が出来ない位ふるえ出していた。眼の前の負傷兵の一列が、どうして身動き一つせずにチャント立っているのだろうと不思議に思った位であった。
 ワルデルゼイ軍医大佐は、演説を終ると同時に右手を唇に当てて、呼子の笛を高らかに吹き鳴らした。その寒い、鋭い音響が私の骨の髄まで沁みとおって、又も気が遠くなりかけたところへ、私の背後の月の下からオドロオドロしい靴の音が湧起って来たので、私は又ハッと気を取直した。ポケットに忍ばせていたメントール酒の残りをグッと一息に飲干のみほして、背筋をい上る胴震いと共にホーッと熱い呼吸を吹いた。わななく膝を踏み締めて、軍医大佐と共に横の方へ退いた。
 それは輜重隊の大行李に配属されている工兵隊の一部が、程近い処に伏せて在ったのであろうと思われる。かねてから打合わせて在ったと見えて一小隊、約百名ばかりの腮紐あごひもをかけた兵卒が負傷兵に正面して一列に並んだ。並ぶと同時に銃を構えてガチャガチャと装填しはじめた。
 その列の後方から小隊長と見える一人の青年士官が、長靴と、長剣の鎖を得意気に鳴らして走り出て来た。軍医大佐の前に来て停止すると同時に物々しくり返って、軍刀をギラリと引抜いて敬礼した。
 折からヴェルダンの中空に辷り昇った強力な照明弾が、向い合った味方同志の兵士の行列を、あく迄も青々と、透きとおる程悽惨に照し出した。
 その背後の死骸の山と一緒に……。

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