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産褥の記(さんじょくのき)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-22 10:14:32  点击:  切换到繁體中文


 

と云ふのがわたしの実感であつた。

 二月の初に一度産の気が附いて、産婆や看護婦が駈け付け、森棟先生に泊つて頂く様な騒ぎを夜通しながら其儘鎮まつて仕舞つた。此前の産も同じ様な事があつて一月程経つてから生れた。癖になると云ふから今度も三月に入つて生むのかと想ふと、其様に延びてはわたしの体が持ち相に無い。森棟さんも榊博士も人工的に分娩を計らねばなるまいと言はれる。良人も親戚の者も子供は何うなつても可いから母親の体を助けて欲しいと言ふ。わたし自身にも然う考へて居た。死を怖れるのでは勿論無い。死ぬる際の肉の苦痛を怖れるのかと云ふと、多少は其れもあるが、度度の産で荒瀬に揉まれて居る自分には、男子が初陣の戦で感じる武者ぶるひ程の恐怖は無い。又もつと生き永らへて御国の為に微力を尽したいの、社会上の名誉が何うのと云ふ様な気楽な欲望からでは更更無い。つづまる所良人と既に生れて居る子供との為に今しばらく生きて居たいと言ふ理由に帰着する。此の切端せつぱ詰つた場合の「自分」と言ふ物の内容は良人と子供とで総てである。平生の心で考へたなら、何も自分が居なくなつたからと云つて良人や子供が生きて行かれぬ訳も無いであらう。其れが此場合では、自分が亡くなると同時に良人と子供とが全く一無に帰して仕舞ふ気がしてならぬ。人は何処までも利己的である。禅家の大徳の臨終が立派であると云ふのは何よりも繋累けいるゐの無いと云ふ事が根柢になつては居ないでせうか。
 わたしは斯んな事で産前十日程から不安に襲はれ、体の苦痛にさいなまれて、神経が例に無くひどくたかぶつて居た。

 お産は二三度目が比較的楽で、度び重る程初産の時の様な苦痛をすると云ふ。産む人の体質にも由る事でせうが、わたしの経験した所ではよく其れが当てはまる。此前の産も重かつたが、今度のは更に重かつた。産む時ばかりで無く、産前産後に亘つて苦痛が多かつた。幸ひ人工的の施術しじゆつも受けず、二月廿二日の午前三時再び自然の産気が附いて、榊博士の御立会下さつた中で生みました。わたしは病院の御厄介になると云ふ事を従来これまで経験しませなんだが、お産を病院ですると云ふ事は経済さへ許せば万事に都合がよい。院長さんに親しく脈を取つて頂き、産婆さんや看護婦さんの手が揃つて居るので、産婦には何よりも心強い。
 けれども産む時の苦痛は減じない。かへつて従来よりも劇しかつた。

悪龍あくりようとなりて苦しみ、猪となりてかずば人の生み難きかな。
蛇の子に胎を裂かるる蛇の母そを冷くも「時」の見詰むる。

 と思つて悲鳴を続けて居るより外は無かつた。先に生れた児は思つたよりも容易でしたが、例の飛行機が縦横にわたしを苦める。博士が「手術をしよう」と沈着おちついた小声で言はれた時、わたしは真白な死のきりぎしに棒立になつた感がした。
 逆児の飛行機が死んで生れた。後で聞くと院長さんが直ぐに人工呼吸を施して下さつた相であるけれど甲斐が無かつた。

その母の骨ことごとく砕かるる呵責の中に健き児の啼く。
胎の子は母を噛むなり。静かにも黙せる鬼の手をば振るたび。
よわき児は力およばず胎に死ぬ。母と戦ひ姉と戦ひ。
あはれなる半死の母と呼吸せざる児と横たはる。薄暗き床。

 産後の痛みが又例に無い劇しさで一昼夜つづいた。此痛みの劇しいのは後腹の収縮の為に好い兆候だと云ふのですけれど、鬼の子の爪が幾つもお腹に引掛つて居る気がして、出た後でまでわたしを苦めることかと生れた児が一途に憎くてなりませなんだ。親子の愛情と云ふものも斯う云ふ場合には未だ芽をかない。考へて見ると変なものである。
 隣の室で良人の弟とすばる発行所の和貝さんとが、死んだ児の柩に成るべく音を立てまいとして釘を打つて居る。良人が「一目見て置いて遣らないか。これまでに無い美くしい児だ」と云つたけれど、わたしは見る気がしなかつた。産後の痛みの劇しいのと疲労とで、死んだ子供の上などを考へて居る余裕は無かつた。

その母の命に代はる児なれども器の如く木の箱に入る。
虚無を生む、死を生む、斯かる大事をも夢と現の境にて聞く。

 実際其場合のわたしは、わが児の死んで生れたと云ふ事を鉢や茶椀が落ちて欠けた程の事にしか思つて居なかつた。桐ヶ谷の火葬場まで送つて来て呉れた弟が、その子煩悩な心から「可愛い児でしたのに惜しい事をしました」と云つて目を潤ませた時、初めてわたしも目が潤んだ。其れは死んだ児の為に泣いたのではない、弟の其子煩悩な美くしい涙に思はず貰泣をしたのであつた。

 漸く産後の痛みが治つたので、うとうとと眠らうとして見たが、目をつぶると種種の厭な幻覚に襲はれて、此正月に大逆罪で死刑になつた、自分の逢つた事もない、大石誠之助さんの柩などが枕許に並ぶ。目を開けると直ぐ消えて仕舞ふ。疲れ切つて居る体は眠くて堪らないけれど、強ひて目を瞑ると、死んだ赤ん坊らしいものがほそい指で頻に目蓋まぶたを剥かうとする。止むを得ず我慢をして目を開けて居ることが又一昼夜ほど続いた。斯んな幻覚を見たのは初めてである。わたしの今度の疲労は一通で無かつた。

 日が経つに従つて産後の危険期も過ぎ、余病も癒り、体も心持も次第に平日に復して行くらしい。昨日から少しづつ室内を歩く事を許され、文字なども短いものならば書いてよい事になつた。
 わたしの目に触れないで消えて仕舞つた死んだ赤ん坊の印象は、産の苦痛の無くなつた今日何もわたしに残らない、まるで人事の様である。空である、虚無である。唯其児の為にと思つて拵へた赤い枕や衣類が、副室の押入に余計な物になつて居るのを見ると、物足らない淡い哀しみが湧いて来る。やはり他人に別れたのでは無い、棄てられた母と云つた様な淋しい気持である。
 看護婦さんは硝子の花瓶から萎れたヘリオトロオプを一本抜いて捨てに行つた。
 わたしは早く騒しい中六番町の宅へ帰りたい。

 婦人問題を論ずる男の方の中に、女の体質を初から弱いものだと見て居る人のあるのは可笑をかしい。さう云ふ人に問ひたいのは、男の体質はお産ほどの苦痛に堪へられるか。わたしは今度で六度産をして八人の児を挙げ、七人の新しい人間を世界に殖した。男は是丈の苦痛が屡※(二の字点、1-2-22)せられるか。少くともわたしが一週間以上一睡もしなかつた程度の辛抱が一般の男に出来るでせうか。
 婦人の体質がふくよかに美しく柔かであると云ふ事は出来る。其れを見て弱く脆いと概論するのは軽卒で無いでせうか。更に其概論を土台にして男子に従属すべき者だと断ずるのは、論ずる人の不名誉ではありませんか。

男をば罵る。彼等子を生まず命を賭けず暇あるかな。

 わたしは野蛮の遺風である武士道は嫌ですけれど、命がけで新しい人間の増殖に尽す婦道は永久に光輝があつて、かの七八百年の間武門の暴力の根柢となつて皇室と国民とを苦めた野蛮道などとは反対に、真に人類の幸福は此婦道から生じると思ふのです。是は石婦うまずめの空言では無い、わたしの胎を裂いて八人の児を浄めた血で書いて置く。
 日本の女に欧米の例を引いて結婚を避ける風を戒める人のあるのは大早計である。日本の女は皆幸福なる結婚を望んで居る。剛健なる子女を生まうと準備して居る。





底本:「日本の名随筆42 母」作品社
   1986(昭和61)年4月25日第1刷発行
   1988(昭和63)年1月20日第5刷発行
底本の親本:「定本・与謝野晶子全集 第一四巻」講談社
   1980(昭和55)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:もりみつじゅんじ
校正:菅野朋子
2000年6月1日公開
2005年6月25日修正
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●表記について
  • このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
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