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画の悲み(えのかなしみ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 8:52:06  点击:  切换到繁體中文

 を好かぬ小供こどもず少ないとしてそのうちにも自分は小供の時、何よりも画が好きであった。(と岡本某が語りだした)。
 好きこそ物の上手じょうずとやらで、自分も他の学課のうち画では同級生の中自分に及ぶものがない。画と数学となら、はばかりながらたれでも来いなんて、自分もおおいに得意がっていたのである。しかし得意ということは多少競争を意味する。自分の画の好きなことは全く天性といってもかろう、自分をひとりで置けば画ばかり書いていたものだ。
 独で画を書いているといえば至極温順おとなしく聞えるが、そのくせ自分ほど腕白者わんぱくものは同級生のうちにないばかりか、校長が持て余して数々しばしば退校をもっおどしたのでも全校第一ということが分る。
 全校第一腕白でも数学でも。しかるに天性好きな画では全校第一の名誉を志村しむらという少年に奪われていた。この少年は数学は勿論もちろん、その他の学力も全校生徒中、第二流以下であるが、画の天才に至っては全く並ぶものがないので、わずかに塁を摩そうかとも言われる者は自分一人、その他は、ことごとく志村の天才をあがめ奉っているばかりであった。ところが自分は志村を崇拝しない、今に見ろという意気ごみしきりとげんでいた。
 元来志村は自分よりかとしも兄、級も一年上であったが、自分は学力優等というので自分のいるクラスと志村のいる級とを同時にやるべく校長から特別の処置をせられるので自然志村は自分の競争者となっていた。
 しかるに全校の人気、校長教員を始め何百の生徒の人気は、温順おとなしい志村に傾いている、志村は色の白い柔和な、女にして見たいような少年、自分は美少年ではあったが、乱暴な傲慢ごうまんな、喧嘩けんか好きの少年、おまけに何時いつも級の一番を占めていて、試験の時は必らず最優等の成績を得る処から教員は自分の高慢がしゃくさわり、生徒は自分の圧制が癪に触り、自分にはどうしても人気が薄い。そこで衆人みんなの心持は、せめて画でなりと志村を第一として、岡本の鼻柱をくだいてやれというつもりであった。自分はよくこの消息を解していた。そして心中ひそかに不平でならぬのは志村の画必ずしもく出来ていない時でも校長をはじめ衆人みんながこれを激賞し、自分の画は確かに上出来であっても、さまでめてくれ手のないことである。少年こどもながらも自分は人気というものをにくんでいた。
 或日学校で生徒の製作物の展覧会が開かれた。その出品は重に習字、図画、女子は仕立物したてもの等で、生徒の父兄姉妹は朝からぞろぞろと押かける。取りどりの評判。製作物を出した生徒は気が気でない、なそわそわして展覧室を出たり入ったりしている。自分もこの展覧会に出品するつもりで画紙えがみ一枚に大きく馬の頭を書いた。馬の顔をはすに見た処で、無論少年の手には余る画題であるのを、自分はこの一挙によって是非志村に打勝うちかとうという意気込だから一生懸命、学校から宅に帰ると一室にこもって書く、手本をもとにして生意気にも実物の写生を試み、幸い自分の宅から一丁ばかり離れた桑園くわばたけの中に借馬屋しゃくばやがあるので、幾度いくたびとなく其処そこうまやかよった。輪廓といい、陰影といい、運筆といい、自分はたしかにこれまで自分の書いたものは勿論、志村が書いたもののうちでこれに比ぶべき出来はないと自信して、これならば必ず志村に勝つ、いかに不公平な教員や生徒でも、今度こそ自分の実力に圧倒さるるだろうと、大勝利を予期して出品した。
 出品の製作はみんな自宅で書くのだから、何人なんぴとも誰が何を書くのか知らない、また互に秘密にしていた。ことに志村と自分は互の画題を最も秘密にして知らさないようにしていた。であるから自分は馬を書きながらも志村は何を書いているかというといを常にいだいていたのである。
 さて展覧会の当日、恐らく全校数百の生徒中もっとも胸をとどろかして、展覧室に入った者は自分であろう。図画室は既に生徒及び生徒の父兄姉妹で充満いっぱいになっている。そして二枚の大画(今日のいわゆる大作)が並べて掲げてある前は最も見物人がたかっている。二枚の大画は言わずとも志村の作と自分の作。
 一見自分は先ず荒胆あらぎもを抜かれてしまった。志村の画題はコロンブスの肖像ならんとは! しかもチョークで書いてある。元来学校では鉛筆画ばかりで、チョーク画は教えない。自分もチョークで画くなど思いもつかんことであるから、画の善悪よしあしはともかく、先ずこの一事で自分は驚いてしまった。その上ならず、馬の頭と髭髯しぜんめんおおう堂々たるコロンブスの肖像とは、一見まるで比べ者にならんのである。かつ鉛筆の色はどんなに巧みに書いても到底チョークの色には及ばない。画題といい色彩といい、自分のは要するに少年が書いた画、志村のは本物である。技術の巧拙は問う処でない、掲げて以て衆人の展覧に供すべき製作としては、いかに我慢強い自分も自分の方がいとは言えなかった。さなきだに志村崇拝の連中は、これを見て歓呼している。「馬も佳いがコロンブスは如何どうだ!」などいう声があっちでもこっちでもする。
 自分は学校の門を走り出た。そしてうちには帰らず、直ぐ田甫たんぼへ出た。止めようと思うても涙が止まらない。口惜くやしいやら情けないやら、前後夢中で川の岸まで走って、川原かわらの草の中に打倒ぶったおれてしまった。
 足をばたばたやって大声を上げて泣いて、それで飽き足らず起上って其処そこらの石を拾い、四方八方に投げ付けていた。
 こうあばれているうちにも自分は、彼奴きゃつ何時いつにチョーク画を習ったろう、何人だれが彼奴に教えたろうとそればかり思い続けた。
 泣いたのと暴れたので幾干いくらか胸がすくと共に、次第に疲れて来たので、いつか其処にてしまい、自分は蒼々そうそうたる大空を見上げていると、川瀬の音が淙々そうそうとして聞える。若草をいで来る風が、得ならぬ春のを送ってかおかすめる。い心持になって、自分は暫時しばらくじっとしていたが、突然、そうだ自分もチョークで画いて見よう、そうだという一念に打たれたので、そのまま飛び起き急いでうちに帰えり、父のゆるしを得て、直ぐチョークを買い整え画板がばんひっさげ直ぐまた外に飛び出した。
 この時まで自分はチョークを持ったことがない。どういう風に書くものやら全然まるで不案内であったがチョークで書いた画を見たことは度々たびたびあり、ただこれまで自分で書かないのは到底まだ自分どもの力に及ばぬものとあきらめていたからなので、志村があの位い書けるなら自分も幾干いくらか出来るだろうと思ったのである。
 再び先の川辺かわばたへ出た。そして先ず自分の思いついた画題は水車みずぐるま、この水車はその以前鉛筆で書いたことがあるので、チョークの手始めに今一度これを写生してやろうと、堤を辿たどって上流の方へと、足を向けた。
 水車は川向かわむこうにあってその古めかしい処、木立こだちしげみに半ばおおわれている案排あんばい蔦葛つたかずらまとうている具合、少年心こどもごころにも面白い画題と心得ていたのである。これを対岸から写すので、自分は堤をりて川原の草原くさはらに出ると、今まで川柳のかげで見えなかったが、一人の少年が草の中に坐ってしきりに水車を写生しているのを見つけた。自分と少年とは四、五十けん隔たっていたが自分は一見して志村であることを知った。彼は一心になっているので自分のちかづいたのに気もつかぬらしかった。
 おやおや、彼奴きゃつが来ている、どうして彼奴は自分の先へ先へとわるだろう、ましい奴だとおおいしゃくさわったが、さりとて引返えすのはなおいやだし、如何どうしてくれようと、そのまま突立つったって志村の方を見ていた。

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