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画の悲み(えのかなしみ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-11-26 8:52:06  点击:  切换到繁體中文


 彼は熱心に書いている。草の上に腰から上が出て、その立てたひざに画板が寄掛よせかけてある、そして川柳の影がうしろから彼の全身を被い、ただその白い顔のあたりから肩先へかけてやなぎれた薄い光が穏かに落ちている。これは面白ろい、彼奴きゃつを写してやろうと、自分はそのまま其処そこに腰を下して、志村その人の写生に取りかかった。それでも感心なことには、画板に向うと最早志村もいまいましい奴など思う心は消えて書く方に全く心をられてしまった。
 彼はかしらを上げては水車を見、また画板に向う、そして折り折りさも愉快らしい微笑をほおに浮べていた。彼が微笑するごとに、自分も我知らず微笑せざるを得なかった。
 そうするうちに、志村は突然ち上がって、その拍子に自分の方を向いた、そして何にも言いがたき柔和な顔をして、にっこりと笑った。自分も思わず笑った。
きみは何を書いているのだ、」と聞くから、
「君を写生していたのだ。」
「僕は最早水車を書いてしまったよ。」
「そうか、僕はまだ出来ないのだ。」
「そうか、」と言って志村はそのまま再び腰を下ろし、もとの姿勢になって、
「書き給え、僕はそのにこれを直すから。」
 自分は画き初めたが、画いているうち、彼を忌ま忌ましいと思った心は全く消えてしまい、かえって彼が可愛くなって来た。そのうちに書き終ったので、
「出来た、出来た!」と叫ぶと、志村は自分のそばに来り、
「おや君はチョークで書いたね。」
「初めてだから全然まるで画にならん、君はチョーク画を誰に習った。」
「そら先達せんだって東京から帰って来た奥野さんに習った。しかしまだ習いたてだから何にも書けない。」
「コロンブスはく出来ていたね、僕は驚いちゃッた。」
 それから二人は連立つれだって学校へ行った。この以後自分と志村は全く仲がくなり、自分は心から志村の天才に服し、志村もまた元来が温順おとなしい少年であるから、自分をまたなき朋友ほうゆうとして親しんでくれた。二人で画板を携え野山を写生して歩いたことも幾度か知れない。
 間もなく自分も志村も中学校に入ることとなり、故郷の村落を離れて、県の中央なる某町に寄留することとなった。中学に入っても二人は画を書くことを何よりのたのしみにして、以前と同じく相伴うて写生に出掛けていた。
 この某町から我村落まで七里、もし車道をゆけば十三里の大迂廻おおまわりになるので我々は中学校の寄宿舎から村落に帰る時、決して車に乗らず、夏と冬の定期休業ごとに必ず、この七里のみち草鞋わらじがけで歩いたものである。
 七里の途はただ山ばかり、坂あり、谷あり、渓流けいりゅうあり、ふちあり、滝あり、村落あり、児童あり、林あり、森あり、寄宿舎の門を朝早く出て日の暮にうちに着くまでの間、自分はこれらの形、色、光、趣きを如何どういう風に画いたら、自分の心を夢のようにざしているなぞを解くことが出来るかと、それのみに心をられて歩いた。志村も同じ心、あとになり先になり、二人で歩いていると、時々は路傍に腰を下ろして鉛筆の写生を試み、彼がたずば我も起たず、我筆をやめずんば彼もやめないという風で、思わず時がち、驚ろいて二人とも、次の一里を駆足かけあしで飛んだこともあった。
 爾来じらい数年すねん、志村はゆえありて中学校を退いて村落に帰り、自分は国を去って東京に遊学することとなり、いつしか二人の間には音信もなくなって、たちまちまた四、五年経ってしまった。東京に出てから、自分は画を思いつつも画を自ら書かなくなり、ただ都会の大家の名作を見て、わずかに自分の画心えごころを満足さしていたのである。
 ところが自分の二十の時であった、久しぶりで故郷の村落に帰った。宅の物置にかつて自分がもちあるいた画板があったのを見つけ、同時に志村のことを思いだしたので、早速人に聞いて見ると、驚くまいことか、彼は十七のとし病死したとのことである。
 自分は久しぶりで画板と鉛筆をひっさげて家を出た。故郷の風景はもとの通りである、しかし自分は最早以前の少年ではない、自分はただ幾歳いくつかの年をしたばかりでなく、幸か不幸か、人生の問題になやまされ、生死の問題に深入りし、等しく自然に対しても以前の心には全く趣を変えていたのである。言いがたき暗愁は暫時しばらくも自分を安めない。
 時は夏の最中もなか自分はただ画板を提げたというばかり、何を書いて見る気にもならん、ひとりぶらぶらと野末に出た。かつて志村と共にく写生に出た野末に。
 やみにもよろこびあり、光にもかなしみあり、麦藁帽むぎわらぼうひさしを傾けて、彼方かなたの丘、此方こなたの林を望めば、まじまじと照る日に輝いてまばゆきばかりの景色。自分は思わず泣いた。





底本:「日本児童文学名作集(上)」桑原三郎・千葉俊二編、岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年2月16日第1刷発行
底本の親本:「国木田独歩全集 2」学習研究社
   1964(昭和39)年7月1日初版発行
初出:「青年界」第一巻第二号
   1902(明治35)年8月1日発行
入力:鈴木厚司
校正:mayu
2001年5月28日公開
2004年7月8日修正
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