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銀河鉄道の夜(ぎんがてつどうのよる)


     八 鳥をる人

「ここへかけてもようございますか」
 がさがさした、けれども親切そうな、大人おとなの声が、二人ふたりのうしろで聞こえました。
 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうて、白いきれでつつんだ荷物にもつを、二つに分けてかたけた、赤髯あかひげのせなかのかがんだ人でした。
「ええ、いいんです」ジョバンニは、少しかたをすぼめてあいさつしました。その人は、ひげの中でかすかに微笑わらいながら荷物にもつをゆっくり網棚あみだなにのせました。ジョバンニは、なにかたいへんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面しょうめん時計とけいを見ていましたら、ずうっと前の方で、硝子ガラスふえのようなものが鳴りました。汽車はもう、しずかにうごいていたのです。カムパネルラは、車室の天井てんじょうを、あちこち見ていました。その一つのあかりに黒い甲虫かぶとむしがとまって、そのかげが大きく天井てんじょうにうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわるまどの外から光りました。
 赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人にきました。
「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか」
「どこまでも行くんです」ジョバンニは、少しきまりわるそうに答えました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ」
「あなたはどこへ行くんです」カムパネルラが、いきなり、喧嘩けんかのようにたずねましたので、ジョバンニは思わずわらいました。すると、こうのせきにいた、とがった帽子ぼうしをかぶり、大きなかぎこしに下げた人も、ちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くしてわらいだしてしまいました。ところがその人はべつにおこったでもなく、ほおをぴくぴくしながら返事へんじをしました。
「わっしはすぐそこでります。わっしは、鳥をつかまえる商売しょうばいでね」
「何鳥ですか」
つるがんです。さぎも白鳥もです」
つるはたくさんいますか」
「いますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか」
「いいえ」
「いまでも聞こえるじゃありませんか。そら、耳をすましていてごらんなさい」
 二人ふたりげ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水のくような音が聞こえて来るのでした。
つる、どうしてとるんですか」
つるですか、それともさぎですか」
さぎです」ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。
「そいつはな、雑作ぞうさない。さぎというものは、みんな天の川のすなかたまって、ぼおっとできるもんですからね、そして始終しじゅう川へ帰りますからね、川原でっていて、さぎがみんな、あしをこういうふうにしておりてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっとおさえちまうんです。するともうさぎは、かたまって安心あんしんしてんじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。にするだけです」
さぎにするんですか。標本ひょうほんですか」
標本ひょうほんじゃありません。みんなたべるじゃありませんか」
「おかしいねえ」カムパネルラがくびをかしげました。
「おかしいも不審ふしんもありませんや。そら」その男は立って、網棚あみだなからつつみをおろして、手ばやくくるくるときました。
「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです」
「ほんとうにさぎだねえ」二人ふたりは思わずさけびました。まっ白な、あのさっきの北の十字架じゅうじかのように光るさぎのからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒いあしをちぢめて、浮彫うきぼりのようにならんでいたのです。
をつぶってるね」カムパネルラは、ゆびでそっと、さぎ三日月みかづきがたの白いつぶったにさわりました。頭の上のやりのような白い毛もちゃんとついていました。
「ね、そうでしょう」鳥捕とりとりは風呂敷ふろしきかさねて、またくるくるとつつんでひもでくくりました。だれがいったいここらでさぎなんぞたべるだろうとジョバンニは思いながらきました。
さぎはおいしいんですか」
「ええ、毎日注文ちゅうもんがあります。しかしがんの方が、もっと売れます。がんの方がずっとがらがいいし、第一だいいち手数てすうがありませんからな。そら」鳥捕とりとりは、またべつの方のつつみをきました。すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのようにひかるがんが、ちょうどさっきのさぎのように、くちばしをそろえて、少しひらべったくなって、ならんでいました。
「こっちはすぐたべられます。どうです、少しおあがりなさい」鳥捕とりとりは、黄いろのがんの足を、かるくひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。
「どうです。すこしたべてごらんなさい」鳥捕とりとりは、それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは、ちょっとたべてみて、
(なんだ、やっぱりこいつはお菓子かしだ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんながんんでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋かしやだ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子かしをたべているのは、たいへんきのどくだ)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。
「も少しおあがりなさい」鳥捕とりとりがまたつつみを出しました。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、
「ええ、ありがとう」といって遠慮えんりょしましたら、鳥捕とりとりは、こんどはこうのせきの、かぎをもった人に出しました。
「いや、商売しょうばいものをもらっちゃすみませんな」その人は、帽子ぼうしをとりました。
「いいえ、どういたしまして。どうです、今年のわたどり景気けいきは」
「いや、すてきなもんですよ。一昨日おととい第二限だいにげんころなんか、なぜ燈台とうだいを、規則以外きそくいがいに間(一時空白)させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障こしょうが来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、わたどりどもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですからしかたありませんや、わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情くじょうは、おれのとこへって来たってしかたがねえや、ばさばさのマントをあしと口との途方とほうもなくほそ大将たいしょうへやれって、こうってやりましたがね、はっは」
 すすきがなくなったために、こうの野原から、ぱっとあかりがして来ました。
さぎの方はなぜ手数てすうなんですか」カムパネルラは、さっきから、こうと思っていたのです。
「それはね、さぎをたべるには」鳥捕とりとりは、こっちになおりました。「天の川の水あかりに、十日もつるしておくかね、そうでなけぁ、すなに三、四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀すいぎんがみんな蒸発じょうはつして、たべられるようになるよ」
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子かしでしょう」やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、たずねました。鳥捕とりとりは、何かたいへんあわてたふうで、
「そうそう、ここでりなけぁ」といながら、立って荷物にもつをとったと思うと、もう見えなくなっていました。
「どこへ行ったんだろう」二人ふたりは顔を見合わせましたら、燈台守とうだいもりは、にやにやわらって、少しびあがるようにしながら、二人のよこまどの外をのぞきました。二人ふたりもそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕とりとりが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光りんこうを出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手りょうてをひろげて、じっとそらを見ていたのです。
「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな」とったとたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から、さっき見たようなさぎが、まるで雪のるように、ぎゃあぎゃあさけびながら、いっぱいにいおりて来ました。するとあの鳥捕とりとりは、すっかり注文ちゅうもん通りだというようにほくほくして、両足りょうあしをかっきり六十に開いて立って、さぎのちぢめてりて来る黒いあし両手りょうてかたっぱしからおさえて、ぬのふくろの中に入れるのでした。するとさぎは、ほたるのように、ふくろの中でしばらく、青くぺかぺか光ったりえたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、をつぶるのでした。ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事ぶじに天の川のすなの上にりるものの方がおおかったのです。それは見ていると、足がすなへつくやいなや、まるでゆきけるように、ちぢまってひらべったくなって、まもなく溶鉱炉ようこうろから出たどうしるのように、すな砂利じゃりの上にひろがり、しばらくは鳥の形が、すなについているのでしたが、それも二、三明るくなったりくらくなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
 鳥捕とりとりは、二十ぴきばかり、ふくろに入れてしまうと、きゅう両手りょうてをあげて、兵隊へいたい鉄砲弾てっぽうだまにあたって、ぬときのような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕とりとりの形はなくなって、かえって、
「ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほどかせいでいるくらい、いいことはありませんな」というききおぼえのある声が、ジョバンニのとなりにしました。見ると鳥捕とりとりは、もうそこでとって来たさぎを、きちんとそろえて、一つずつかさなおしているのでした。
「どうして、あすこから、いっぺんにここへ来たんですか」ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がしていました。
「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか」
 ジョバンニは、すぐ返事へんじをしようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
「ああ、遠くからですね」鳥捕とりとりは、わかったというように雑作ぞうさなくうなずきました。

     九 ジョバンニの切符きっぷ

「もうここらは白鳥のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所かんそくじょです」
 まどの外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物たてものが四むねばかり立って、その一つの平屋根ひらやねの上に、もさめるような、青宝玉サファイア黄玉トパーズの大きな二つのすきとおったたまが、になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだんこうへまわって行って、青い小さいのがこっちへすすんで来、まもなく二つのはじは、かさなり合って、きれいなみどりいろの両面凸りょうめんとつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみだして、とうとう青いのは、すっかりトパーズの正面しょうめんに来ましたので、みどりの中心と黄いろな明るいとができました。それがまただんだんよこれて、前のレンズの形をぎゃくにくりかえし、とうとうすっとはなれて、サファイアはこうへめぐり、黄いろのはこっちへすすみ、またちょうどさっきのようなふうになりました。銀河ぎんがの、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所そっこうじょが、ねむっているように、しずかによこたわったのです。
「あれは、水のはやさをはかる器械きかいです。水も……」鳥捕とりとりがいかけたとき、
切符きっぷ拝見はいけんいたします」三人のせきよこに、赤い帽子ぼうしをかぶったせいの高い車掌しゃしょうが、いつかまっすぐに立っていていました。鳥捕とりとりは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌しゃしょうはちょっと見て、すぐをそらして(あなた方のは?)というように、ゆびをうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
「さあ」ジョバンニはこまって、もじもじしていましたら、カムパネルラはわけもないというふうで、小さなねずみいろの切符きっぷを出しました。ジョバンニは、すっかりあわててしまって、もしか上着うわぎのポケットにでも、はいっていたかとおもいながら、手を入れてみましたら、何か大きなたたんだ紙きれにあたりました。こんなものはいっていたろうかと思って、いそいで出してみましたら、それは四つにったはがきぐらいの大さ[#「大さ」はママ]みどりいろの紙でした。車掌しゃしょうが手を出しているもんですからなんでもかまわない、やっちまえと思ってわたしましたら、車掌しゃしょうはまっすぐに立ちなおってていねいにそれを開いて見ていました。そして読みながら上着うわぎのぼたんやなんかしきりになおしたりしていましたし燈台看守とうだいかんしゅも下からそれを熱心ねっしんにのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書しょうめいしょか何かだったと考えて少しむねあつくなるような気がしました。
「これは三次空間じくうかんの方からおちになったのですか」車掌しゃしょうがたずねました。
「なんだかわかりません」もう大丈夫だいじょうぶだと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつわらいました。
「よろしゅうございます。南十字サウザンクロスきますのは、つぎだい三時ころになります」車掌しゃしょうは紙をジョバンニにわたしてこうへ行きました。
 カムパネルラは、その紙切れが何だったかちかねたというようにいそいでのぞきこみました。ジョバンニもまったく早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草からくさのような模様もようの中に、おかしな十ばかりの字を印刷いんさつしたもので、だまって見ているとなんだかその中へまれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕とりとりが横からちらっとそれを見てあわてたようにいました。
「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符きっぷだ。天上どこじゃない、どこでもかってにあるける通行券つうこうけんです。こいつをおちになれぁ、なるほど、こんな不完全ふかんぜん幻想第四次げんそうだいよじ銀河鉄道ぎんがてつどうなんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方たいしたもんですね」
「なんだかわかりません」ジョバンニが赤くなって答えながら、それをまたたたんでかくしに入れました。そしてきまりがわるいのでカムパネルラと二人ふたり、またまどの外をながめていましたが、その鳥捕とりとりの時々たいしたもんだというように、ちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじきわし停車場ていしゃじょうだよ」カムパネルラがこうぎしの、三つならんだ小さな青じろい三角標さんかくひょうと、地図とを見くらべていました。
 ジョバンニはなんだかわけもわからずに、にわかにとなりの鳥捕とりとりがきのどくでたまらなくなりました。さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくるつつんだり、ひとの切符きっぷをびっくりしたように横目よこめで見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕とりとりのために、ジョバンニのっているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうのさいわいになるなら、自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももうだまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものはいったい何ですかとこうとして、それではあんまり出しけだから、どうしようかと考えてふりかえって見ましたら、そこにはもうあの鳥捕とりとりがいませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物にもつも見えなかったのです。またまどの外で足をふんばってそらを見上げてさぎるしたくをしているのかと思って、いそいでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子すなごと白いすすきのなみばかり、あの鳥捕とりとりの広いせなかもとがった帽子ぼうしも見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう」カムパネルラもぼんやりそうっていました。
「どこへ行ったろう。いったいどこでまたあうのだろう。ぼくはどうしても少しあの人にものわなかったろう」
「ああ、ぼくもそう思っているよ」
ぼくはあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だからぼくはたいへんつらい」ジョバンニはこんなへんてこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今までったこともないと思いました。
「なんだか苹果りんごのにおいがする。ぼくいま苹果りんごのことを考えたためだろうか」カムパネルラが不思議ふしぎそうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果りんごのにおいだよ。それから野茨のいばらのにおいもする」
 ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれはまどからでもはいって来るらしいのでした。いま秋だから野茨のいばらの花のにおいのするはずはないとジョバンニは思いました。
 そしたらにわかにそこに、つやつやした黒いかみの六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけず、ひどくびっくりしたような顔をして、がたがたふるえてはだしで立っていました。となりには黒い洋服ようふくをきちんとたせいの高い青年がいっぱいに風にかれているけやきの木のような姿勢しせいで、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ」青年のうしろに、もひとり、十二ばかりのの茶いろな可愛かわいらしい女の子が、黒い外套がいとうて青年のうでにすがって不思議ふしぎそうにまどの外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカットしゅうだ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちはかみさまにされているのです」黒服くろふくの青年はよろこびにかがやいてその女の子にいました。けれどもなぜかまたひたいふかしわきざんで、それにたいへんつかれているらしく、無理むりわらいながら男の子をジョバンニのとなりにすわらせました。それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりのせきゆびさしました。女の子はすなおにそこへすわって、きちんと両手りょうてを組み合わせました。
「ぼく、おおねえさんのとこへ行くんだよう」腰掛こしかけたばかりの男の子は顔をへんにして燈台看守とうだいかんしゅこうのせきにすわったばかりの青年にいました。青年はなんともえずかなしそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれたぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手りょうてを顔にあててしくしくいてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事しごとがあるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなにながっていらっしゃったでしょう。わたしの大事だいじなタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、ゆきる朝にみんなと手をつないで、ぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたり、ほんとうにって心配しんぱいしていらっしゃるんですから、早く行って、おっかさんにお目にかかりましょうね」
「うん、だけどぼく、船にらなけぁよかったなあ」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派りっぱな川、ね、あすこはあの夏じゅう、ツィンクル、ツィンクル、リトル、スターをうたってやすむとき、いつもまどからぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています」
 いていたあねもハンケチでをふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟きょうだいにまたいました。
「わたしたちはもう、なんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこをたびして、じきかみさまのとこへ行きます。そこならもう、ほんとうに明るくてにおいがよくて立派りっぱな人たちでいっぱいです。そしてわたしたちのわりにボートへれた人たちは、きっとみんなたすけられて、心配しんぱいしてっているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう」青年は男の子のぬれたような黒いかみをなで、みんなをなぐさめながら、自分もだんだん顔いろがかがやいてきました。
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか」
 さっきの燈台看守とうだいかんしゅがやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。
「いえ、氷山ひょうざんにぶっつかって船がしずみましてね、わたしたちはこちらのお父さんがきゅうようで二か月前、一足さきに本国へお帰りになったので、あとからったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師かていきょうしにやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日きのうのあたりです、船が氷山ひょうざんにぶっつかって一ぺんにかたむきもうしずみかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、きり非常ひじょうふかかったのです。ところがボートは左舷さげんの方半分はんぶんはもうだめになっていましたから、とてもみんなはり切らないのです。もうそのうちにも船はしずみますし、私は必死ひっしとなって、どうか小さな人たちをせてくださいとさけびました。近くの人たちはすぐみちを開いて、そして子供たちのためにいのってくれました。けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんかいて、とてもしのける勇気ゆうきがなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをおたすけするのが私の義務ぎむだと思いましたから前にいる子供らをしのけようとしました。けれどもまた、そんなにしてたすけてあげるよりはこのままかみ御前みまえにみんなで行く方が、ほんとうにこの方たちの幸福こうふくだとも思いました。それからまた、そのかみにそむくつみはわたくしひとりでしょってぜひともたすけてあげようと思いました。けれども、どうしても見ているとそれができないのでした。子どもらばかりのボートの中へはなしてやって、お母さんが狂気きょうきのようにキスをおくりお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなど、とてももうはらわたもちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずんしずみますから、私たちはかたまって、もうすっかり覚悟かくごして、この人たち二人をいて、かべるだけはかぼうと船のしずむのをっていました。だれげたかライフヴイが一つんで来ましたけれどもすべってずうっとこうへ行ってしまいました。私は一生けんめい甲板かんぱん格子こうしになったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく三〇六番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのときにわかに大きな音がして私たちは水にち、もううずにはいったと思いながらしっかりこの人たちをだいて、それからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一昨年さくねんくなられました。ええ、ボートはきっとたすかったにちがいありません、なにせよほど熟練じゅくれん水夫すいふたちがいで、すばやく船からはなれていましたから」
 そこらから小さな嘆息たんそくやいのりの声が聞こえジョバンニもカムパネルラもいままでわすれていたいろいろのことをぼんやり思い出してあつくなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山ひょうざんながれる北のはての海で、小さな船にって、風やこおりつく潮水しおみずや、はげしいさむさとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうにきのどくでそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう)
 ジョバンニはくびをたれて、すっかりふさぎんでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちをすすむ中でのできごとなら、とうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福こうふくに近づく一あしずつですから」
 燈台守とうだいもりがなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいにいたるためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」
 青年がいのるようにそう答えました。
 そしてあの姉弟きょうだいはもうつかれてめいめいぐったりせきによりかかってねむっていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白いやわらかなくつをはいていたのです。
 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光りんこうの川のきしすすみました。こうの方のまどを見ると、野原はまるで幻燈げんとうのようでした。百も千もの大小さまざまの三角標さんかくひょう、その大きなものの上には赤い点々をうった測量旗そくりょうきも見え、野原のはらのはてはそれらがいちめん、たくさんたくさんあつまってぼおっと青白いきりのよう、そこからか、またはもっとこうからか、ときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のろしのようなものが、かわるがわるきれいな桔梗ききょういろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗きれいな風は、ばらのにおいでいっぱいでした。
「いかがですか。こういう苹果りんごはおはじめてでしょう」こうのせき燈台看守とうだいかんしゅがいつか黄金きんべにでうつくしくいろどられた大きな苹果りんごとさないように両手りょうてひざの上にかかえていました。
「おや、どっから来たのですか。立派りっぱですねえ。ここらではこんな苹果りんごができるのですか」青年はほんとうにびっくりしたらしく、燈台看守とうだいかんしゅ両手りょうてにかかえられた一もりの苹果りんごを、ほそくしたりくびをまげたりしながら、われをわすれてながめていました。
「いや、まあおとりください。どうか、まあおとりください」
 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。
「さあ、こうのぼっちゃんがた。いかがですか。おとりください」
 ジョバンニはぼっちゃんといわれたので、すこししゃくにさわってだまっていましたが、カムパネルラは、
「ありがとう」といました。
 すると青年は自分でとって一つずつ二人におくってよこしましたので、ジョバンニも立って、ありがとうといました。
 燈台看守とうだいかんしゅはやっと両腕りょううでがあいたので、こんどは自分で一つずつねむっている姉弟きょうだいひざにそっときました。
「どうもありがとう。どこでできるのですか。こんな立派りっぱ苹果りんごは」
 青年はつくづく見ながらいました。
「このあたりではもちろん農業のうぎょうはいたしますけれどもたいていひとりでにいいものができるような約束やくそくになっております。農業のうぎょうだってそんなにほねはおれはしません。たいてい自分ののぞ種子たねさえけばひとりでにどんどんできます。米だってパシフィックへんのようにからもないし十ばいも大きくてにおいもいいのです。けれどもあなたがたのいらっしゃる方なら農業のうぎょうはもうありません。苹果りんごだってお菓子かしだって、かすが少しもありませんから、みんなそのひとそのひとによってちがった、わずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです」
 にわかに男の子がばっちりをあいていました。
「ああぼくいまおっかさんのゆめをみていたよ。おっかさんがね、立派りっぱ戸棚とだなや本のあるとこにいてね、ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼく、おっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか、とったらがさめちゃった。ああここ、さっきの汽車のなかだねえ」
「その苹果りんごがそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ」青年がいました。
「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん」
 あねはわらってをさまし、まぶしそうに両手りょうてにあてて、それから苹果りんごを見ました。
 男の子はまるでパイをたべるように、もうそれをたべていました。またせっかくむいたそのきれいなかわも、くるくるコルクきのような形になってゆかちるまでの間にはすうっと、はいいろに光って蒸発じょうはつしてしまうのでした。
 二人ふたりはりんごをたいせつにポケットにしまいました。
 川下のこうぎしに青くしげった大きな林が見え、そのえだにはじゅくしてまっ赤に光るまるいがいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標さんかくひょうが立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじってなんともえずきれいないろが、とけるようにみるように風につれてながれて来るのでした。
 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。
 だまってそのを聞いていると、そこらにいちめん黄いろや、うすいみどりの明るい野原のはら敷物しきものかがひろがり、またまっ白なろうのようなつゆ太陽たいようめんをかすめて行くように思われました。
「まあ、あのからす」カムパネルラのとなりの、かおるとばれた女の子がさけびました。
「からすでない。みんなかささぎだ」カムパネルラがまた何気なくしかるようにさけびましたので、ジョバンニはまた思わずわらい、女の子はきまりわるそうにしました。まったく河原かわらの青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいにれつになってとまってじっと川の微光びこうを受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんとびてますから」青年はとりなすようにいました。
 こうの青い森の中の三角標さんかくひょうはすっかり汽車の正面しょうめんに来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方から、あの聞きなれた三〇六番の讃美歌さんびかのふしが聞こえてきました。よほどの人数で合唱がっしょうしているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ、たって一ぺんそっちへ行きそうにしましたが思いかえしてまたすわりました。かおる子はハンケチを顔にあててしまいました。
 ジョバンニまでなんだかはなへんになりました。けれどもいつともなくだれともなくその歌は歌い出されだんだんはっきり強くなりました。思わずジョバンニもカムパネルラもいっしょにうたいだしたのです。
 そして青い橄欖かんらんの森が、見えない天の川のこうにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまい、そこからながれて来るあやしい楽器がっきの音も、もう汽車のひびきや風の音にすりへらされてずうっとかすかになりました。
「あ、孔雀くじゃくがいるよ。あ、孔雀くじゃくがいるよ」
「あの森ライラ宿やどでしょう。あたしきっとあの森の中にむかしの大きなオーケストラの人たちがあつまっていらっしゃると思うわ、まわりには青い孔雀くじゃくやなんかたくさんいると思うわ」
「ええ、たくさんいたわ」女の子がこたえました。
 ジョバンニはその小さく小さくなっていまはもう一つのみどりいろのかいぼたんのように見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってその孔雀くじゃくがはねをひろげたりとじたりする光の反射はんしゃを見ました。
「そうだ、孔雀くじゃくの声だってさっき聞こえた」カムパネルラが女の子にいました。
「ええ、三十ぴきぐらいはたしかにいたわ」女の子が答えました。
 ジョバンニはにわかになんともえずかなしい気がして思わず、
「カムパネルラ、ここからはねおりてあそんで行こうよ」とこわい顔をしておうとしたくらいでした。
 ところがそのときジョバンニは川下の遠くの方に不思議ふしぎなものを見ました。それはたしかになにか黒いつるつるした細長ほそながいもので、あの見えない天の川の水の上にび出してちょっとゆみのようなかたちにすすんで、また水の中にかくれたようでした。おかしいと思ってまたよく気をつけていましたら、こんどはずっと近くでまたそんなことがあったらしいのでした。そのうちもうあっちでもこっちでも、その黒いつるつるしたへんなものが水からび出して、まるくんでまた頭から水へくぐるのがたくさん見えてきました。みんな魚のように川上へのぼるらしいのでした。
「まあ、なんでしょう。たあちゃん。ごらんなさい。まあたくさんだわね。なんでしょうあれ」
 ねむそうにをこすっていた男の子はびっくりしたように立ちあがりました。
「なんだろう」青年も立ちあがりました。
「まあ、おかしな魚だわ、なんでしょうあれ」
海豚いるかです」カムパネルラがそっちを見ながら答えました。
海豚いるかだなんてあたしはじめてだわ。けどここ海じゃないんでしょう」
「いるかは海にいるときまっていない」あの不思議ふしぎひくい声がまたどこからかしました。
 ほんとうにそのいるかのかたちのおかしいことは、二つのひれをちょうど両手りょうてをさげて不動ふどう姿勢しせいをとったようなふうにして水の中からび出して来て、うやうやしく頭を下にして不動ふどう姿勢しせいのまままた水の中へくぐって行くのでした。見えない天の川の水もそのときはゆらゆらと青いほのおのようになみをあげるのでした。
「いるかお魚でしょうか」女の子がカムパネルラにはなしかけました。男の子はぐったりつかれたようにせきにもたれてねむっていました。
「いるか、魚じゃありません。くじらと同じようなけだものです」カムパネルラが答えました。
「あなたくじら見たことあって」
ぼくあります。くじら、頭と黒いしっぽだけ見えます。しおくとちょうど本にあるようになります」
「くじらなら大きいわねえ」
「くじら大きいです。子供こどもだっているかぐらいあります」
「そうよ、あたしアラビアンナイトで見たわ」あねほそぎんいろの指輪ゆびわをいじりながらおもしろそうにはなししていました。
(カムパネルラ、ぼくもう行っちまうぞ。ぼくなんかくじらだって見たことないや)
 ジョバンニはまるでたまらないほどいらいらしながら、それでもかたく、くちびるんでこらえてまどの外を見ていました。そのまどの外には海豚いるかのかたちももう見えなくなって川は二つにわかれました。そのまっくらなしまのまん中に高い高いやぐらが一つ組まれて、その上に一人のゆるふくて赤い帽子ぼうしをかぶった男が立っていました。そして両手りょうてに赤と青のはたをもってそらを見上げて信号しんごうしているのでした。
 ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤いはたをふっていましたが、にわかに赤旗あかはたをおろしてうしろにかくすようにし、青いはたを高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者しきしゃのようにはげしくりました。すると空中にざあっと雨のような音がして、何かまっくらなものが、いくかたまりもいくかたまりも鉄砲丸てっぽうだまのように川のこうの方へんで行くのでした。ジョバンニは思わずまどからからだを半分出して、そっちを見あげました。うつくしいうつくしい桔梗ききょういろのがらんとした空の下を、じつ何万なんまんという小さな鳥どもが、幾組いくくみ幾組いくくみもめいめいせわしくせわしく鳴いて通って行くのでした。
「鳥がんで行くな」ジョバンニがまどの外で言いました。
「どら」カムパネルラもそらを見ました。
 そのときあのやぐらの上のゆるいふくの男はにわかに赤いはたをあげて狂気きょうきのようにふりうごかしました。するとぴたっと鳥のれは通らなくなり、それと同時にぴしゃあんというつぶれたような音が川下の方でこって、それからしばらくしいんとしました。と思ったらあの赤帽あかぼう信号手しんごうしゅがまた青いはたをふってさけんでいたのです。
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥」その声もはっきり聞こえました。
 それといっしょにまた幾万いくまんという鳥のれがそらをまっすぐにかけたのです。二人ふたりの顔を出しているまん中のまどからあの女の子が顔を出してうつくしいほおをかがやかせながらそらをあおぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気なまいきな、いやだいと思いながら、だまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっといきをして、だまってせきもどりました。カムパネルラがきのどくそうにまどから顔を引っめて地図を見ていました。
「あの人鳥へ教えてるんでしょうか」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
「わたり鳥へ信号しんごうしてるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう」
 カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしいんとなりました。ジョバンニはもう頭を引っめたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったので、だまってこらえてそのまま立って口笛くちぶえいていました。
(どうしてぼくはこんなにかなしいのだろう。ぼくはもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこのきしのずうっとこうにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。ぼくはあれをよく見てこころもちをしずめるんだ)
 ジョバンニはほてっていたいあたまを両手りょうておさえるようにして、そっちの方を見ました。
(ああほんとうにどこまでもどこまでもぼくといっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうにはなしているしぼくはほんとうにつらいなあ)
 ジョバンニのはまたなみだでいっぱいになり、天の川もまるで遠くへったようにぼんやり白く見えるだけでした。
 そのとき汽車はだんだん川からはなれてがけの上を通るようになりました。こうぎしもまた黒いいろのがけが川のきし下流かりゅうに下るにしたがって、だんだん高くなっていくのでした。そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見ました。そのはぐるぐるにちぢの下にはもう美しいみどりいろの大きなほうが赤い毛をいて真珠しんじゅのようなもちらっと見えたのでした。それはだんだん数をしてきて、もういまはれつのようにがけ線路せんろとの間にならび、思わずジョバンニがまどから顔を引っめてこうがわまどを見ましたときは、うつくしいそらの野原の地平線ちへいせんのはてまで、その大きなとうもろこしの木がほとんどいちめんにえられて、さやさや風にゆらぎ、その立派りっぱなちぢれたのさきからは、まるでひるの間にいっぱい日光をった金剛石こんごうせきのようにつゆがいっぱいについて、赤やみどりやきらきらえて光っているのでした。カムパネルラが、
「あれとうもろこしだねえ」とジョバンニにいましたけれども、ジョバンニはどうしても気持きもちがなおりませんでしたから、ただぶっきらぼうに野原を見たまま、
「そうだろう」と答えました。
 そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルとてんてつあかりを過ぎ、小さな停車場ていしゃばにとまりました。
 その正面しょうめんの青じろい時計とけいはかっきり第二時だいにじしめし、風もなくなり汽車もうごかず、しずかなしずかな野原のなかにそのはカチッカチッと正しく時をきざんでいくのでした。
 そしてまったくそのの音のたえまを遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律せんりつが糸のようにながれて来るのでした。
新世界交響楽しんせかいこうきょうがくだわ」こうのせきあねがひとりごとのようにこっちを見ながらそっといました。
 まったくもう車の中ではあの黒服くろふく丈高たけたかい青年もだれもみんなやさしいゆめを見ているのでした。
(こんなしずかないいとこでぼくはどうしてもっと愉快ゆかいになれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、ぼくといっしょに汽車にっていながら、まるであんな女の子とばかりはなしているんだもの。ぼくはほんとうにつらい)
 ジョバンニはまた手で顔を半分はんぶんかくすようにしてこうのまどのそとを見つめていました。
 すきとおった硝子ガラスのようなふえが鳴って汽車はしずかに動きだし、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛くちぶえきました。
「ええ、ええ、もうこのへんはひどい高原ですから」
 うしろの方でだれかとしよりらしい人の、いまがさめたというふうではきはきはなしている声がしました。
「とうもろこしだってぼうで二尺もあなをあけておいてそこへかないとはえないんです」
「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ」
「ええ、ええ、かわまでは二千じゃくから六千じゃくあります。もうまるでひどい峡谷きょうこくになっているんです」
 そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそう思いました。
 あのあねは弟を自分のむねによりかからせてねむらせながら黒いひとみをうっとりと遠くへげて何を見るでもなしに考えんでいるのでしたし、カムパネルラはまださびしそうにひとり口笛くちぶえき、男の子はまるできぬつつんだ苹果りんごのような顔いろをしてジョバンニの見る方を見ているのでした。
 突然とつぜんとうもろこしがなくなっておおきな黒い野原のはらがいっぱいにひらけました。
 新世界交響楽しんせかいこうきょうがくはいよいよはっきり地平線ちへいせんのはてからき、そのまっ黒な野原のはらのなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根はねを頭につけ、たくさんの石をうでむねにかざり、小さなゆみをつがえていちもくさんに汽車をって来るのでした。
「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。おねえさまごらんなさい」
 黒服くろふくの青年もをさましました。
 ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。
「走って来るわ、あら、走って来るわ。いかけているんでしょう」
「いいえ、汽車をってるんじゃないんですよ。りょうをするかおどるかしてるんですよ」
 青年はいまどこにいるかわすれたというふうにポケットに手を入れて立ちながらいました。
 まったくインデアンは半分はんぶんおどっているようでした。第一だいいちかけるにしても足のふみようがもっと経済けいざいもとれ本気にもなれそうでした。にわかにくっきり白いその羽根はねは前の方へたおれるようになり、インデアンはぴたっと立ちどまって、すばやくゆみを空にひきました。そこから一つるがふらふらとちて来て、また走り出したインデアンの大きくひろげた両手りょうてちこみました。インデアンはうれしそうに立ってわらいました。そしてそのつるをもってこっちを見ているかげも、もうどんどん小さく遠くなり、電しんばしらの碍子がいしがきらっきらっとつづいて二つばかり光って、またとうもろこしの林になってしまいました。こっちがわまどを見ますと汽車はほんとうに高い高いがけの上を走っていて、その谷のそこには川がやっぱりはばひろく明るくながれていたのです。
「ええ、もうこのへんから下りです。なんせこんどは一ぺんにあの水面すいめんまでおりて行くんですから容易よういじゃありません。この傾斜けいしゃがあるもんですから汽車はけっしてこうからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったでしょう」さっきの老人ろうじんらしい声がいました。
 どんどんどんどん汽車はりて行きました。がけのはじに鉄道てつどうがかかるときは川が明るく下にのぞけたのです。ジョバンニはだんだんこころもちが明るくなってきました。汽車が小さな小屋こやの前を通って、その前にしょんぼりひとりの子供こどもが立ってこっちを見ているときなどは思わず、ほう、とさけびました。
 どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中へやじゅうのひとたちは半分はんぶんうしろの方へたおれるようになりながら腰掛こしかけにしっかりしがみついていました。ジョバンニは思わずカムパネルラとわらいました。もうそして天の川は汽車のすぐ横手よこてをいままでよほどはげしくながれて来たらしく、ときどきちらちら光ってながれているのでした。うすあかい河原かわらなでしこの花があちこちいていました。汽車はようやくいたようにゆっくり走っていました。
 こうとこっちのきしに星のかたちとつるはしを書いたはたがたっていました。
「あれなんのはただろうね」ジョバンニがやっとものをいました。
「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。てつふねがおいてあるねえ」
「ああ」
はしけるとこじゃないんでしょうか」女の子がいました。
「ああ、あれ工兵こうへいはただねえ。架橋演習かきょうえんしゅうをしてるんだ。けれど兵隊へいたいのかたちが見えないねえ」
 その時こうぎしちかくの少し下流かりゅうの方で、見えない天の川の水がぎらっと光って、はしらのように高くはねあがり、どおとはげしい音がしました。
発破はっぱだよ、発破はっぱだよ」カムパネルラはこおどりしました。
 そのはしらのようになった水は見えなくなり、大きなさけますがきらっきらっと白くはらを光らせて空中にほうり出されてまるいえがいてまた水にちました。ジョバンニはもうはねあがりたいくらい気持きもちがかるくなっていました。
「空の工兵大隊こうへいだいたいだ。どうだ、ますなんかがまるでこんなになってはねあげられたねえ。ぼくこんな愉快ゆかいたびはしたことない。いいねえ」
「あのますなら近くで見たらこれくらいあるねえ、たくさんさかないるんだな、この水の中に」
「小さなお魚もいるんでしょうか」女の子がはなしにつりまれていました。
「いるんでしょう。大きなのがいるんだから小さいのもいるんでしょう。けれど遠くだから、いま小さいの見えなかったねえ」ジョバンニはもうすっかり機嫌きげんなおっておもしろそうにわらって女の子に答えました。
「あれきっと双子ふたごのお星さまのおみやだよ」男の子がいきなりまどの外をさしてさけびました。
 右手のひくおかの上に小さな水晶すいしょうででもこさえたような二つのおみやがならんで立っていました。
双子ふたごのお星さまのおみやってなんだい」
「あたし前になんべんもおっかさんから聞いたわ。ちゃんと小さな水晶すいしょうのおみやで二つならんでいるからきっとそうだわ」
「はなしてごらん。双子ふたごのお星さまが何をしたっての」
「ぼくも知ってらい。双子ふたごのお星さまが野原へあそびにでて、からすと喧嘩けんかしたんだろう」
「そうじゃないわよ。あのね、天の川のきしにね、おっかさんお話しなすったわ、……」
「それから彗星ほうきぼしがギーギーフーギーギーフーてって来たねえ」
「いやだわ、たあちゃん、そうじゃないわよ。それはべつの方だわ」
「するとあすこにいまふえいているんだろうか」
「いま海へ行ってらあ」
「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ」
「そうそう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう」

 川の向こうぎしがにわかに赤くなりました。
 やなぎの木や何かもまっ黒にすかし出され、見えない天の川のなみも、ときどきちらちらはりのように赤く光りました。まったくこうぎしの野原に大きなまっ赤な火がもやされ、その黒いけむりは高く桔梗ききょういろのつめたそうな天をもがしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおり、リチウムよりもうつくしくったようになって、その火はえているのでした。
「あれはなんの火だろう。あんな赤く光る火は何をやせばできるんだろう」ジョバンニがいました。
さそりの火だな」カムパネルラがまた地図とくびっぴきして答えました。
「あら、さそりの火のことならあたし知ってるわ」
さそりの火ってなんだい」ジョバンニがききました。
さそりがやけて死んだのよ。その火がいまでもえてるって、あたし何べんもお父さんからいたわ」
さそりって、虫だろう」
「ええ、さそりは虫よ。だけどいい虫だわ」
さそりいい虫じゃないよ。ぼく博物館はくぶつかんでアルコールにつけてあるの見た。にこんなかぎがあってそれでされるとぬって先生がってたよ」
「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんこうったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきのさそりがいて小さな虫やなんかころしてたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生けんめいにげてにげたけど、とうとういたちにおさえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸いどがあってその中にちてしまったわ、もうどうしてもあがられないで、さそりはおぼれはじめたのよ。そのときさそりはこうっておいのりしたというの。
 ああ、わたしはいままで、いくつのもののいのちをとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けんめいにげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうかかみさま。私の心をごらんください。こんなにむなしくいのちをすてず、どうかこのつぎには、まことのみんなのさいわいのために私のからだをおつかいください。ってったというの。
 そしたらいつかさそりはじぶんのからだが、まっ赤なうつくしい火になってえて、よるのやみをらしているのを見たって。いまでもえてるってお父さんおっしゃったわ。ほんとうにあの火、それだわ」
「そうだ。見たまえ。そこらの三角標さんかくひょうはちょうどさそりの形にならんでいるよ」
 ジョバンニはまったくその大きな火のこうに三つの三角標さんかくひょうが、ちょうどさそりのうでのように、こっちに五つの三角標さんかくひょうがさそりのやかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるくえたのです。
 その火がだんだんうしろの方になるにつれて、みんなはなんともえずにぎやかな、さまざまのがくや草花のにおいのようなもの、口笛くちぶえや人々のざわざわう声やらを聞きました。それはもうじきちかくに町か何かがあって、そこにおまつりでもあるというような気がするのでした。
「ケンタウルつゆをふらせ」いきなりいままでねむっていたジョバンニのとなりの男の子がこうのまどを見ながらさけんでいました。
 ああそこにはクリスマストリイのようにまっ青な唐檜とうひかもみの木がたって、その中にはたくさんのたくさんの豆電燈まめでんとうがまるで千のほたるでもあつまったようについていました。
「ああ、そうだ、今夜ケンタウルさいだねえ」
「ああ、ここはケンタウルの村だよ」カムパネルラがすぐいました。

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